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後々この贔屓の差で明子の子供たちの鬱憤が溜まっていき頼通は明子の子供たちの中でも能信から敵意を向けられてしまい、禎子内親王と尊仁親王(後三条天皇)を通じて対立することにつながります頼通は尊仁親王を徹底的に冷遇し、后妃が一人も入らない状況に追い込みますがこれが隙を与えることになり、尊仁親王を支えていた能信が妻の姪である茂子を養女として入内させて白河天皇を始めとした多くの子女に恵まれますその一方で頼通は娘の寛子を後冷泉天皇に入内させますが子供が一人も生まれず頼通の後宮政策は失敗し、摂関家の衰退につながることになりました
40歳を超えて生きている事は本当にありがたい
実際の道長は、従来言われているほど悪い人ではないのではと思っていたが、この記録に残るエピソードからは酷い権力爺でしかありませんね。
道長は、棚ぼたの権力を失うのが、怖くて定子を虐め倒した。そんな男の娘を寵愛する?とは考えにくいが一条帝は阿呆だろ!あんたの寵愛なんかなくても子供さえうまれたら蛇蝎道長彰子親子にあんたなんかいらないと言われるだけなのに。
おのれの命がいつ絶たってもおかしくない時代、おのれの血縁を残すことに必死になっていたことがうかがえる。
せっかく上手に舞ったのに父が機嫌を損ねてしまった頼宗が可哀想に思います頼宗の母の明子が詮子の猶子だったため一条帝は頼宗に花を持たせようと思ったのかもしれませんが
大人の事情も分かりますが、1000年前とはいえ、2人ともまだ子ども。頼宗、せっかく褒めてもらったのに、父に良い顔をされないとは…。 3:43
道長の顔色を窺わず済んでた頼通と恒に妾腹と窺っていた頼宗に習い事させるとどうしても頼宗の方が良い結果になってしまうと思う。
だがその後で頼通流の官位進昇は猛スピードで上がり、もはや頼宗流は追い越しことはできません、だからこそ彼の子孫は政を遠ざける、蹴鞠(藤原成通)園芸(藤原宗補)、音楽を耽る、頼通流とその恨みを解け、摂関家の政治を丁寧に補佐しています
道長公任、髭はやしてて、貫禄ついて来ましたねなるほど、彰子の弟である田鶴が賞賛されないとダメだったわけですね。競馬やれるほど広い庭、土御門第は凄い。
今回も、内幕解説面白かったです。彰子と同母弟の頼通がこの頃の政治情勢下では、負けるわけにいかなかったという真の理由、説得力を感じます。現状では敦康親王しかいないので、容易に伊周ら中関白家に実権を奪われてしまう可能性は高く、それを少しでも遅らせ有利に運ぶように画策していたわけですね。彰子の実家である土御門殿で四十の賀を行い、入念にリハーサルまでしていたのに、本番では賞を受けたのは逆に頼宗だった。誰もが感じ実資や行成が特に記すほどの立派な舞いであったのに、全く別の思惑で父に激怒された頼宗は本当に可哀相です。当時の外戚頼みの政治体制では、道長といえど例外ではなく、この時期の彼は常に彰子の権威を上げることに腐心していたのでしょう。だから彰子に皇子が誕生した時は、肩の荷を下ろした気がしたはずです。こういう観点からも、あの望月の歌は心配から永久に開放された喜びの歌としても理解できます。頼宗の子が同じ舞いを披露した際の道長の普通の対応(喜んで褒美を与える)を見て、当の頼宗はどう感じたのでしょうか?正妻腹ではない自分達の不幸、理不尽な扱いに諦めと絶望の間を行き来していたのかもしれませんね。
ドラマと異なり史実の道長は、片方の子どもへの賞賛に対して立腹したり、生まれた孫が皇子でなかったことに露骨にがっかりしたり。“史実”といっても、視点の位置によってその意図する真実が異なるとはいえ、公平に見ても人の親としてより政治家としての立場に重心を置いていたと思われますね。
レキショック様後ほどで構いませんので、頼通は無能な坊っちゃんなのか(金正恩タイプ)、道長以上の器量の持ち主だった(徳川秀忠タイプ)のかの論評をお願いします。
頼通については自分の中で完全なイメージはまだ固まっていないのですが、その2択なら後者と思います。ただし、道長は器量以上に運に恵まれた部分も大きい一方、頼通は運が悪かったり兄弟に足を引っ張られているので、道長との比較は少し難しいかなという印象です。
頼宗達や天皇の側近に入念な根回しをしておかなかった 道長のミスですね本人が思った以上の禍根を残してしまいましたね
死せる伊周生ける道長を走らすいや、まだタヒんでないけど………
このエピソード知ってたから、ドラマで道長が面倒臭いおじさん仕草するんじゃないかと思ってハラハラしたw
女院様のお祝いの席だから養女の明子様の息子に花を持たせた と思いました😅
ちゃう!明子女王の息子のほうが優秀だったんだけど、金持ちの倫子に気を使い放題。優秀な子を無視したため、墓穴を掘った馬鹿。
詮子道長は鬼二人は生まれ変わっても蛇蝎に生まれ変わっている。とたん駆除されて居るに違いない。ザマミロ❢
化け者で、蛇蝎の娘は生きているかぎり迷惑な存在。
動画アップありがとうございます(^.^)(-.-)(__)宗達の「舞楽図屏風」のモチーフと関係していると思うのですが、李陵王・採桑老・納曽利・還城楽で覚えていました。
なるほど😮そんな史実があったのですね。何故一方の師にだけ褒美を与えたのかな?って思ってました。大河ドラマでは今後どうなるのでしょう。一条天皇の謀かなとも思えたので、展開が楽しみです。
16:43 白河上皇、鳥羽上皇等の院政時代に繋がると言うわけですね。
生まれつき虚弱体質だったので
明子は容姿端麗で、倫子は映えない不美人。子供たちも、美醜を受け継いでいたから、明子の息子の舞は美しく見栄えが良く、倫子の息子は垢抜け無かったんでしょうね。
0:21詮子せんし? 公式ホームページでは詮子あきこ、になってるで!
定子を"ていし"、倫子を"りんし"と呼ぶように、詮子も"せんし"と呼びます!
あっそ
定説ではないので、どう読んでも良い。なんて呼べばいいのか分からないので、とりあえず、音読みが圧倒主流派。 私の好きな女流作家さんでは、東三条女院詮子(とうさんじょうにょいん あきこ)、一条天皇の中宮定子(さだこ)、中宮→皇太后→太皇太后彰子(あきこ)、三条天皇の生母・超子(ちょうこ)(道隆・超子・道兼・詮子・道長が産まれ順の同母兄弟姉妹)と読んでました。 ちなみに、右大臣顕光の長女・元子(もとこ)、延子(のぶこ)。 右大臣顕光の長女は、一条天皇の女御。 次女の延子は、三条天皇(三条院)の皇子である敦明親王→皇太子→皇太子辞退で、上皇並みの待遇である小一条院の北の方。 ちょうど、道長の兄・道隆の娘である定子が一帝二后、延子は一家三后の悲劇で、それぞれ有名な方です。
@@SH-cq1qg はいそうです☺️
エアーコンディショナーと食べ物のおかげなのだろうなあ・・・
蛇蝎道長の娘に人間(一条帝)の愛情なんか必要無いでしょ。
道長は蛇蝎でも、彰子は優れた人格な女性とされてます。実資とかさえ褒める程。なのでその言い方は気の毒。定子の息子も大切に育て、愛情深い方なんですよ。
後々この贔屓の差で明子の子供たちの鬱憤が溜まっていき頼通は明子の子供たちの中でも能信から敵意を向けられてしまい、禎子内親王と尊仁親王(後三条天皇)を通じて対立することにつながります
頼通は尊仁親王を徹底的に冷遇し、
后妃が一人も入らない状況に追い込みますがこれが隙を与えることになり、尊仁親王を
支えていた能信が妻の姪である茂子を養女として入内させて白河天皇を始めとした多くの子女に恵まれます
その一方で頼通は娘の寛子を後冷泉天皇に
入内させますが子供が一人も生まれず頼通の後宮政策は失敗し、摂関家の衰退につながることになりました
40歳を超えて生きている事は本当にありがたい
実際の道長は、従来言われているほど悪い人ではないのではと思っていたが、この記録に残るエピソードからは酷い権力爺でしかありませんね。
道長は、棚ぼたの権力を失うのが、怖くて定子を虐め倒した。そんな男の娘を寵愛する?とは考えにくいが一条帝は阿呆だろ!あんたの寵愛なんかなくても子供さえうまれたら蛇蝎道長彰子親子にあんたなんかいらないと言われるだけなのに。
おのれの命がいつ絶たってもおかしくない時代、おのれの血縁を残すことに必死になっていたことがうかがえる。
せっかく上手に舞ったのに父が機嫌を損ねてしまった頼宗が可哀想に思います
頼宗の母の明子が詮子の猶子だったため一条帝は頼宗に花を持たせようと思ったのかもしれませんが
大人の事情も分かりますが、1000年前とはいえ、2人ともまだ子ども。頼宗、せっかく褒めてもらったのに、父に良い顔をされないとは…。 3:43
道長の顔色を窺わず済んでた頼通と
恒に妾腹と窺っていた頼宗に習い事させると
どうしても頼宗の方が良い結果になってしまうと思う。
だがその後で頼通流の官位進昇は猛スピードで上がり、もはや頼宗流は追い越しことはできません、だからこそ彼の子孫は政を遠ざける、蹴鞠(藤原成通)園芸(藤原宗補)、音楽を耽る、頼通流とその恨みを解け、摂関家の政治を丁寧に補佐しています
道長公任、髭はやしてて、貫禄ついて来ましたね
なるほど、彰子の弟である田鶴が賞賛されないとダメだったわけですね。
競馬やれるほど広い庭、土御門第は凄い。
今回も、内幕解説面白かったです。彰子と同母弟の頼通がこの頃の政治情勢下では、負けるわけにいかなかったという真の理由、説得力を感じます。現状では敦康親王しかいないので、容易に伊周ら中関白家に実権を奪われてしまう可能性は高く、それを少しでも遅らせ有利に運ぶように画策していたわけですね。彰子の実家である土御門殿で四十の賀を行い、入念にリハーサルまでしていたのに、本番では賞を受けたのは逆に頼宗だった。誰もが感じ実資や行成が特に記すほどの立派な舞いであったのに、全く別の思惑で父に激怒された頼宗は本当に可哀相です。当時の外戚頼みの政治体制では、道長といえど例外ではなく、この時期の彼は常に彰子の権威を上げることに腐心していたのでしょう。だから彰子に皇子が誕生した時は、肩の荷を下ろした気がしたはずです。こういう観点からも、あの望月の歌は心配から永久に開放された喜びの歌としても理解できます。頼宗の子が同じ舞いを披露した際の道長の普通の対応(喜んで褒美を与える)を見て、当の頼宗はどう感じたのでしょうか?正妻腹ではない自分達の不幸、理不尽な扱いに諦めと絶望の間を行き来していたのかもしれませんね。
ドラマと異なり史実の道長は、片方の子どもへの賞賛に対して立腹したり、生まれた孫が皇子でなかったことに露骨にがっかりしたり。
“史実”といっても、視点の位置によってその意図する真実が異なるとはいえ、公平に見ても人の親としてより政治家としての立場に重心を置いていたと思われますね。
レキショック様
後ほどで構いませんので、頼通は無能な坊っちゃんなのか(金正恩タイプ)、道長以上の器量の持ち主だった(徳川秀忠タイプ)のかの論評をお願いします。
頼通については自分の中で完全なイメージはまだ固まっていないのですが、その2択なら後者と思います。
ただし、道長は器量以上に運に恵まれた部分も大きい一方、頼通は運が悪かったり兄弟に足を引っ張られているので、道長との比較は少し難しいかなという印象です。
頼宗達や天皇の側近に入念な根回しをしておかなかった 道長のミスですね
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いや、まだタヒんでないけど………
このエピソード知ってたから、ドラマで道長が面倒臭いおじさん仕草するんじゃないかと思ってハラハラしたw
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詮子道長は鬼二人は生まれ変わっても蛇蝎に生まれ変わっている。とたん駆除されて居るに違いない。ザマミロ❢
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なるほど😮そんな史実があったのですね。何故一方の師にだけ褒美を与えたのかな?って思ってました。
大河ドラマでは今後どうなるのでしょう。一条天皇の謀かなとも思えたので、展開が楽しみです。
16:43 白河上皇、鳥羽上皇等の院政時代に繋がると言うわけですね。
生まれつき虚弱体質だったので
明子は容姿端麗で、倫子は映えない不美人。子供たちも、美醜を受け継いでいたから、明子の息子の舞は美しく見栄えが良く、倫子の息子は垢抜け無かったんでしょうね。
0:21詮子せんし? 公式ホームページでは詮子あきこ、になってるで!
定子を"ていし"、倫子を"りんし"と呼ぶように、詮子も"せんし"と呼びます!
あっそ
定説ではないので、どう読んでも良い。なんて呼べばいいのか分からないので、とりあえず、音読みが圧倒主流派。
私の好きな女流作家さんでは、東三条女院詮子(とうさんじょうにょいん あきこ)、一条天皇の中宮定子(さだこ)、中宮→皇太后→太皇太后彰子(あきこ)、三条天皇の生母・超子(ちょうこ)(道隆・超子・道兼・詮子・道長が産まれ順の同母兄弟姉妹)と読んでました。
ちなみに、右大臣顕光の長女・元子(もとこ)、延子(のぶこ)。
右大臣顕光の長女は、一条天皇の女御。
次女の延子は、三条天皇(三条院)の皇子である敦明親王→皇太子→皇太子辞退で、上皇並みの待遇である小一条院の北の方。
ちょうど、道長の兄・道隆の娘である定子が一帝二后、延子は一家三后の悲劇で、それぞれ有名な方です。
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エアーコンディショナーと食べ物のおかげなのだろうなあ・・・
蛇蝎道長の娘に人間(一条帝)の愛情なんか必要無いでしょ。
道長は蛇蝎でも、彰子は優れた人格な女性とされてます。実資とかさえ褒める程。なのでその言い方は気の毒。
定子の息子も大切に育て、愛情深い方なんですよ。