Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
太宰さんに直接関わった人の証言を聞けるって凄いことだし、映像が残ってるってすごい。喧嘩しないで〜‼️
貴重な映像をありがとうございます。彼らがもたらした喜怒哀楽があってこそ『作家太宰治』がつくられたのだ...と痛感しました。
@@doyouknow280-k7i 一緒に死にたくて死んだんじゃないの?心中でしょ?
@@doyouknow280-k7i この人は持ってる情報量や視野の広さや引力がいろいろと桁違い…常識を持っていながら究極のメンヘラで人を惑わすのが上手くて面白い。文豪ってええな🙃
@@KT-ls6pq お前あれだろ、味方がいたら強気になるタイプだろ?笑
@@doyouknow280-k7i 味方はいた方が心強いのは当たり前だけどそこまで気にしないタイプだよ。ぼっちだし…太宰治は行動して失敗から学んで広い知識を得てて面白いなと尊敬してます。本読んで見てください
「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、 信じて断乎として右へ曲るのも、 その運命は同じ事です。 どっちにしたって 引き返すことは出来ないんだ」「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ」太宰の、大好きな言葉です。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
わたしみたいです…ω
なんのために生まれて来たんって煽られたから恋と革命のためって言い返したったわ
三島由紀夫がなぜ太宰が嫌いだったのか分かるような気がする。あの人は全速力で走って死ぬ時は前につんのめって転げ回って死んでやるって人だからね。
@@Peta_CHAD69さんあたってると思います。三島由紀夫は大学生の頃、同級生達と太宰治に会いに行って、「僕は貴方が嫌いだ」とどうしてかというと、太宰治の作品は「自分の傷のえげつない所を見せようとしながらも最後の最後で、それでは見る人が辛かろうと痛み止めを用意したり、モザイクをかけてるかのようなところがある。そこが嫌だ。どうして100%にさらけ出さないのか?見せつけないのか?自分ならば、遠慮会釈なく全部傷をつぶさにアップして、完全に見せつけて見せる」と。でも、それは一つの強さ、です。太宰は「僕は強さとは無縁なんだよ」とただ、「でも、好きだから会いに来たんだろう?やっぱり好きなんだよ、ね!」と、気弱い者の精一杯の返しは、それだけに芯をついていて、ささるものがあったのだと思います。後年三島由紀夫は「やっぱり凄い意識してた、自分自信が太宰化してしまいそうで意識して突っぱねた」というようなことを語ってました。
この映像を見ても、作品を読んでも、私はやっぱり太宰は優しい人間だったと思う。ただ、優しさと駄目さはひとりの人間の中に共存し得る。それが人間らしさだと思うし、私は好きだ。
僕も太宰さんはとびきり優しい人だと思います。姪だか誰かに書いた慰めの手紙を読んで確信しましたね。人の気持ちが嫌でも分かり過ぎてしまうタイプの人だと思います。
誰かの心に一時寄り添って、その相手の中に自分の居場所を確保する。そして、それが少しくらいの振動じゃ動かないことを了解したら、とっととまた別の誰かの心の中に入っていく。次から次へと他人の弱い心の中に自分自身を溶け込ませていく、そうして自分の心の安静のみを拡大していく。確保した住処(誰か)には気まぐれで帰っていくだけ。戦国武将が武力でもって領地を拡大していき自国の安定と拡大を図ったように、太宰は自分の弱さでもってその拠り所を拡大していった。こんなのを、優しさ、って言うならまぁそれでいいけど。普通にその辺いるダメ男、ヒモ、ろくでなしと一緒じゃん。責任を伴わない優しさはほとんどエゴみたいなもん。ある意味で一番タチが悪い。こいつの場合、相手(だけ)を死なせてもうてるから、タチの悪さで言うならこれ以上ない一級品だよね。優れた文学残した功績が、1人の女性の命よりも重く、だからこそこうして彼だけ後世に語り継がれてるんだとしたら、まぁ世も末ですわな笑笑世も、というか、マジで人間終わってる。お前ら特に😂
「優しさと駄目さが共存してる人間臭さ」に対する否定的な意見が見れると思って読んだのに、ただ気持ち良くなりたいだけのズレた批判だった…残念
@@doyouknow280-k7iなんで安住の地とした人と、自殺しようと思うのか…貴様より色々考えすぎてしまう人なんだと思うが
@@slowpotato-jq2tr どんなこと考えて自殺に至ったのか、その辺りの考察は一切書かないで、ただ「お前には分かんないよ」じゃなんの説得力もおまへんで?笑笑核心的な部分は語らないで表面的な知識だけ披露し合って「議論」とかほざいてるちょっと文学に被れ始めた中学生みたい。。。☺️自殺文学読んで自殺する人間の心理理解できた気になっちゃってるガキみたい。パパの稼ぎとママの手料理、あったかいお家で安眠ぶっこいてるガキくせに。実際に自殺を行動に移したこともそこまで精神が追い込まれたこともないから、その核心にはいつまでもたっても触れられない。触った経験ないこと自分でちゃんと知ってるから、その感触や色合い温度感重み、具体的なことは"何も語れない"。あ、お前のことな?笑笑何知った風な口きいてんだよぼっちゃん。
「太宰治は存在したんだなぁ...」人間失格を読むと太宰治本人についてもすごく感慨深くなる今もどこかで文学少年少女の心を動かしているんだ
ゲス不倫しといて平気で公表する老害結婚したくはないあそびだったってことだよな?つくづく男尊女卑だなあこの国は
この動画をずっと永遠に残してくれることを願っています。
ありがとうございます。削除されない限りこのまま視聴できるようにしておくつもりです。
@@satotera1963ありがとうございます。嬉しいです。
私には猪●が話してる時点でこの動画の重みが一瞬で消えた
太宰治自身のコメントが残っていない。
@@user-hu6vx1er5b 無駄転載
当時の生き証人の方々の映像が残っていたのに非常に驚いています。ありがとうございました。
魚服記を留守晴夫、賢者の毒が、不幸・悲哀の視点から話してゐます。
都合がいいから残す?
@@aa35544 ?
@@user-YJSP_810 ❤
この番組は教科書にするべき作品だ国宝級
私はロシア人です。でも太宰治は私の好きな文学ですね!四月から日本語を勉強しました。太宰さんは頭い人ですね!彼は私の好きな男です!太宰の本を読むが大好きだけど!
私はドストエフスキーが好きです。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫も好き。
人間失格を読んだ時の安心感というかこんなに分かってくれて、寄り添ってくれて温かい人がいるんだと本当に驚いたことをよく覚えています
太宰治や三島由紀夫はなんとなく気難し屋で繊細なガラスのようなイメージを持っているけど、リアルでの振る舞いは割とノリが良いんだよな。
この2人似てないようで似てますよね。
三島が太宰に向かって、きみは大嫌いだと言うと、太宰はにやりと本当は好きでしょうと言ったとか。私も似たものを感じます。
太宰さんは自分はとても繊細で優しい人だったと思う。実際彼は自分の弟子に「酒をのんで、家に帰ると、バタリと倒れて寝ちまうんだが、夜中の三時頃になると、かならず眼がさめる。するとね、こし方、行末、ありとあらゆるいやなことがわッと集ってきてね、その苦しさ、やりきれなさはひどいもんなんだ。遠くで暮らしている、知人たちの苦悩まで、どっと胸に流れこんできてね。あれだけはかなわんよ」と小声で漏らしていたらしい。
これは本当に貴重映像トイレで用を足している時に「間違いを犯しちゃった」と自白したなんて 当人しか知らないことだもんね映像の世紀とか、こう言うの大好きです!ありがとうございます
人間性も書いた作品も偉大だとは全く言えないけど、人の心を動かす力があるのは事実
そもそも「作家」なるような人間の「人間性」なんて「御察し」ですよ。「偉大」な「傑作」を残したトルストイは、自分の領地の農奴のロリっこをレイプしてスッキリ!して、「光あるうち光の中を歩め」なんて書いてたそうだしなw
書いた作品は真に偉大だと思いますがね。
作品は偉大だと思いますよ。その作品によって人の心を動かしたわけですから。まあ、私達が評価できたことじゃありませんけど。偉大だとは全く言えないと言い切ってしまうあなたが不思議です。
三島に影響されやすいなぁ現代の若者は、阿呆が
こういう日本の偉人の話聞くのマジで好き
太宰治はファンも多い分、「嫌い」と思う人も多いよね。実際、彼は誇れた人生を送ったとは言い難いけど、でも、彼の綴る文字は、どこか人を引き寄せる力を持ってるんだろうなぁ…人間味溢れているけれど、どこか人とは違う感じで。個人的にはそんな太宰治が好きなんだよな。
敬愛する山崎富榮様を死の淵へと連れた太宰治は嫌いですが、彼女がのめり込んだ太宰という人間の思考を知るために太宰治の作品を読んでいます
嫌いはほとんど聞いたことないな
太宰さんの産まれた日本で、この映像が見れる現代に産まれたことに感謝🙏
音楽が邪魔!
ピース又吉のチャンネルでも、実際に太宰と交流のあった女性との会話について話してるんだけど、生前を知ってる人がみんな「とても明るくていい人だった、世間が言うような葛藤は感じなかったし自殺するような人には見えなかった」って言ってるのが興味深いよなぁ。太宰の言うところの、「道化」の結果なのかね
全くの無知な人間ですが動画を見てみました。メンヘラでどうしようもない、そして、だからこそ魅力的だったんでしょうね。
たった数十年しか生きていないけどこれだけ後世に名を残せるのはやっぱすごいよなぁ
周りの人が皆優しい、きっと太宰治もそうだったのかな。
理想と現実の差からくるコンプレックスを文学で埋めようとしていたのが三島由紀夫、自己矛盾を抱えている現実世界に絶望して、文学へ現実逃避したのが太宰治。生前二人は犬猿の仲だった(正確には三島由紀夫が太宰を激しく嫌っていた)し、文体も前者はガチガチで理性的、後者は滑らかで柔らかいテイストで全然違うけど、どちらも死に対して執着している点では、本質的な部分で結局両者は似た者同士だったんだよね。三島が太宰に初めて会いに来て、太宰の文学は嫌いだと言った時に太宰が返した「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」という言葉は、太宰らしい意趣返しながらも、的確に真理をついていたと思う。
それデマでほんとは太宰は「(俺の作品が嫌いなら)だったら見なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てたらしいですよ
どっちもじゃない
当時の学生が三島由紀夫にインタビューする映像がありますが、そこで太宰について聞かれて、自分は太宰と似てるから、太宰の気持ちが分かるから、だからこそ苦手みたいな事仰ってましたよ太宰の書く本に関しても美しいと言ってましたし、嫌いだからと言ってリスペクトしてない訳では無いのがよくわかります戦後に過激な学生運動する学生と面と向かって(今の様な揚げ足取り合戦みたいな事ではなく)ちゃんと討論できる人というのも納得出来ますね
投稿者様がアップロードしてくれたこのビデオは、9年前と今、2度にわたって見ました。とても勉強になりました。これからも何度も見たいと思います。
ナレーションの末尾にあったように、生きようとした作家。だからこそ絶望の中でもがき続けた文は、心に突き刺さる。心底苦しんだ人間が良い人だったかつまらない悪人だったか、だれも裁けないと感じます。
太宰治の作品を読んでいると、これは自分にしかわからない、彼は自分と全く同じ考えを持っていてそれを作品を通じて訴えかけてきているのだ!って考えてしまうんだけど、そう思わせてしまう彼の作品性が多くの人々を惹きつけてしまうのだと思う。
確かに、太宰さんの生き方は褒められたものではありません。でも、このような生き方しか出来なかった人、『桜桃』読めば、太宰さんが苦しんでいたこと、わかります。太宰さんのように、うまく生きられない人、山ほどいます。
だからこそ愛読者が、後を絶たないのでしょうね。
褒められようと生きる人間は虚しい
どっか壊れてたんだろうね、脳。双極性障害と薬物依存症だったとは思う。遺伝性疾患らしいですね、あれ
@@湯-f7l 人間なんてそんなもん
一人で勝手に苦しんでりゃ良いものを。女巻き添えにしたのは許されん
人間ってすごい生き物。永遠に生き残ってほしい
ベタですが、人間失格で太宰治さんがすきになりました。私は太宰さんのように異性にはモテませんが、太宰さんにはすごく惹かれます。同じものを感じます。
俺もそーだよ(笑)ほとんどの人が人間失格か走れメロスで太宰を知ったきっかけになった人がほとんどやと思う
芥川好きすぎて色々と真似しまくってるのしっかり黒歴史で好き。けど芥川の様に一高には受からず、地元の高校行くところも好き。芥川賞取りたすぎてめちゃくちゃ媚び売ってるのに結局取れなくて怒り狂ってるところも好き。幼少期から東京に死ぬほど憧れてたところも好き。参考書を東京からわざわざ取り寄せて買ったはいいも結局積ん読して全然やる気がなかったところも親近感湧いて好き。
わりと歴史的に近い偉人になりました。 天才は天才、今では芥川氏とも肩を並べるほど…両氏とも教科書に載りますから。でも文豪としても太宰氏は特別な存在になりました。とても人間味があって、あやうくて、ほっとけない人……。人間失格をよんだ中学生のころ衝撃をおぼえました。…もう、この世を去ったんだと…今になり自分にも当てはまるかなと、凝縮された人生だったのでしょうね。どう思われますか。
芥川龍之介芥川龍之介って百ぺんも二百ぺんもノートに書いてるのも好き?芥川が生きていたら彼も生きていたかもしれない。
この人の小説読んだ時多くの事に共感出来た。文面に出来るだけ凄いよ
太宰治は比較的今っぽい考え方の人間だと思う
学生の頃は太宰大好きでどっぷり太宰でしたが、最近は瑣末なことに追われこの時期に桜桃をみると思い出す程度です。でも、この動画をみるとタイムスリップしたかのように浸れました。桜桃忌にこんな素敵な動画に出会えるとは…嬉しかった。ありがとうございます🍒
古舘善四郎のインタビューはかなり貴重ですね。とても参考になりました。
コメントありがとうございます。初代さんの浮気話は有名ですが、その相手本人からの証言は非常に貴重だと思います。生前によくこんなインタビューが取れたと感心しますね。
好きで好きでたまらない、というほどに愛される人でもある一方で、大嫌いだと言われても仕方ない人万人に好かれるべきではない人ではあるが、それは作品にもあらわれている人の弱さをこれでもかと言うほどに書き、それで救われる人もいる悲しみに寄り添ってくれるメンヘラDV彼氏みたいな感じ
とても貴重な証言も聞けるいい動画でした太宰治という作家の側面がよく分かり、改めて読んでみたくなりました
生で見てみたいけど、1度見たら惚れてしまいそうで怖い。
@@デュークジョーダン じゃあ俺入れて四奇人な。
いいなぁ、そこまで人から好きになってもらえるの。羨ましい
金持ちでイケメンで少し病んでる著名人となれば女性も母性本能がでるものなんでしょうかね。しかし人命を奪うのはいけない。道化の華を読むと田部あつみさんが可哀想で仕方ない。
@@デュークジョーダン 素敵な方ですよね。とても魅力的です。広島時代に、新天地の新天座前にあるワンダス写真館に飾られていた洋服姿の短髪の田部あつみさんも、また違った雰囲気で素敵です。太宰に出会わなければ今頃はちょっとした芸能人として名を残していたかもしれませんね。
もっと早く生まれて、会って、言葉を交わして見たかった。どんな声でどんな風に話す人だったんだろう。
最善は生まれ出ぬこと、次善は早く死ぬこと。生きていく力いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
昔、太宰の骨格から類推して、人工的に作られた「太宰の声」というのを聴いたことがあります。それは「もっと太宰治」という本に載っていたのですが、太宰治関係のある団体が提供しているもので、そこに電話を掛けると、「太宰の声」で、彼の「思い出」の朗読が聴けるというものでした。その声は、太宰の遺族の方が驚くほど似ているということです。私も一度電話して聴きました。想像とは全く違って、私の個人的な感想ですが、線の細い、やや金属的な、枯れた鳥のような声(説明が下手ですみません)でした。太宰ってこんな声だったのかー-。と、感慨もひとしおでした。それから何年かしてまた電話をかけると、なぜかそのサービスは終了していました。残念なことですが、「太宰の声」を聴けたことは、私の中では貴重な経験です。
私は絶対に会いたくない…こういう人巻き込むもん、周りを。特に異性関係。今の若い人達でいうサークルクラッシャー男子みたいな
@@花咲-z4o 楽観主義者の所があるからね、でもそこもまた魅力のひとつであり、人間として不完全な所が太宰治を形成してると思う、会いたいかと言われたら会いたいし、周りを巻き込むと言っても今のDQN程じゃないでしょ、まぁ愛人とかは巻き込むけどね太宰さんはw
@@デュークジョーダン 少しかすれ声でボソボソっと話す感じらしいですね。肉声聞いてみたいですね。
でも結局これが人間の本質なんだろうな。誰でも心の奥に闇を持ってる。太宰が1番人間らしい
太宰治ファンにとって残しておきたい貴重な映像なので永久保存版として残しておいて下さい
ヨボヨボのおじいちゃんやなあと思ったら太宰の先妻を寝取った人だと知った時の衝撃
わかる笑 思わず「えー!!」って叫んだ
昔は倫理観、道徳感が今より低いから割と欲望のまま行動する人々ばっかでしたから不思議ではない。
まるで、今が倫理観のしっかりしているみたいだね。
@@is1937 昔と比べればね。
参りました。
自殺や自傷のトピックの可能性があるなんて警告初めて見たわw
普通によく見るよ
@@激辛キムチ-q9uこの人は初めて見たんでしょ。
太宰だから可能性もクソもないと思うが。誰でも知ってることだし、警告なんて要らないよ。
@@雲地雲国齋誰でもは知らんやろw
病んでる時は普通に見る笑笑
実際に会ってみたかったなあ
実際に会いたくなかったなあ。作品は天才だけど
@@花咲-z4o 会ったみたいな言い方で草
1回だけ直接話してみたかった。
同感
酒とか飲んでくだらない話したかった、、
もう少し速く生まれて、先生に会いたい人生でした。いつか空の上でお会いしましょう。大好きです。
急にどうした?
もし、生きていたら、どんな問題児だったのだろう。どんな声のトーンで、どんな表情でどんな言葉を出すのだろう。
大好きで沢山本も読みました。私としては愛すべき駄目人間という想いです。どうしようもない、身内だったなら「しっかりせえ」とゲキを飛ばしそうな人物像です。才能があっても、幸せな人生を送れるとは限らないのだと思うと、もの悲しい思いになります。
どちらかというと愉快な気分になるけどなあ。ルサンチマンでなくても、才能がなきゃ幸せになれない世界の方が嫌だよ。
もし初めて読むなら新潮文庫版の女生徒と題されてる短編集から読んで欲しい。ひとつの話が短くてよみやすいし、太宰治らしい良さが味わえるから。載ってる作品全部おもろいから。この人の作品は絶対に若いうちに読まないともったいないと思う。
\堤 康久0:01「太宰のこういう…あるけども、ああいう感じじゃなかったですね。明るくて、物凄い高いユーモアで、それが吹き出すような話題で、死って言うのは感じなかったですね」\林 聖子0:21「やっぱり太宰さんはもう…仕事が一番したかった方だと思うんだけど、いい作品をねえ、それはもうずっと思ってらしたでしょう?そんなに死にたがってらしたかしら」\野平 健一0:57「四十ちょっと前だったけども、大文豪って顔はしてたねえ。決して自殺しそこなった人間だって言うのは、気配は全然ありませんでしたよ」\ナレーション1:18「太宰治は本当に生きることに疲れたのか、それとも最後まで生き抜こうとしていたのか。太宰治についてこれまで数え切れない程の本が書かれた。そのほとんどは作品を通して、作家太宰治に迫るものだった。去年、これまでとは異なる視点で書かれた評伝が発表された。600冊以上にわたる文献の調査、新たな関係者の取材、それは太宰治の行動を綿密に追っていくことで人物を捉え直す試みであった。作者の猪瀬直樹は三島由紀夫や川端康成など、自殺した大作家の人生に興味を持ち続けている。4年前太宰治を調べ始めた。果たして死を望みながら作品が書けるものなのか。自らの作家生活に重ねてみた時、新たな疑問が生まれてきた」\猪瀬直樹2:36「そもそもね、作家ってのはなんなの[ろ]っていうね、作家とは何ぞやってなるわけよ。で、まあ市場社会の海に漂ってるね、個人なんだけど。あの、農業の人もね農業経営者って言うでしょ。作家もね作家経営者なんだよね。つまり、[や]っぱりあの自分の書いたものが売れなければ、これは継続的に仕事ができないわけで、そう言う側面から作家ってのをきちんと捉えておかないと。実は僕自身も作家と言う仕事を始める時の迷いとか、それからその作品が出来上がった時の評価とか、あるいは次にどうしたら良いかとか、そう言う迷いの連続でしたから。太宰も当然そう言うサイクルの中で生きていたに決まっているわけで、そうすると『死ぬ死ぬ』とか言ってるけども、実際に事件を調べていくと死ぬ気は全然ないでしょ?ね?と僕は思っているわけ。まあ割と僕の本で証明したつもりだけども、全然死ぬ気はない。で、ある事件を作って、それからそれによって素材をさらにそこに付け加えて、そして作品化する。と言う風な繰り返しをやってきて」\ナレーション4:02「太宰治は本名津島修治。二十歳の時自殺未遂によって窮地を切り抜けた初めての事件が起きる。旧制高校の卒業を目前にした昭和4年12月睡眠薬自殺を図ったのである。津島修治は明治42年青森県屈指の大資産家の六男に生まれた。成績の良かった修治は旧制弘前高校へ進学した。弘前市内には70年以上前、修治が青春時代を過ごした下宿の部屋が今も残っている。どうすれば東京へ出て作家になれるのか。兄たちが実業や政治の世界へ進むのを横目に見ながら、修治はこの部屋で、文学で身を立てることを夢見ていた」\5:07「ここからこうして{つんどる(混んでる)の方面でいたもんでひょうなあと思うんでな}」\ナレーション5:16「高校時代、修治は実家の援助を受け仲間と同人誌を発行した。文学界で派手な話題を振りまく耽美派の作家たちの様に芸者遊びもしていた。真似ることが修治の作家修行だった。当時、修治に最も強く影響を与えたのが大正文学のスター、芥川龍之介だった。ノートの余白に書かれた自画像、写真を撮るときのポーズ、修治はいつも芥川を意識していた。その芥川が自殺して以降、時代はプロレタリア文学の全盛期に向かっていた。所謂資本家の搾取に抵抗する民の物語である。修治も同人誌に大地主である実家を批判的に書いた。修治は新聞雑誌部に所属していた。そこにはプロレタリア文学の作品を書き、注目されている先輩、上田重彦がいた。修治は自分の小説をよく上田の前で朗読した。しかし、厳しく批評されると直ぐに泣いた」\上田重彦6:44「一番手っ取り早くその…文壇に出るにはプロレタリア文学がいいと言う風に皆思ってた。からですね」「彼自身にはその自信はあったんでしょうかね?」「それはあったと思いますよ。とにかく文学好きで、それから彼はね…彼の下宿に行って分かったんだけれども、なんか{一棹}(太棹?)の三味線が掛かってるんですよ。それから部屋の佇まいでもねなんか非常にまるで{女形の楽屋}にでも行ったような感じでね、あの{緋縮緬の座布団}[が]あったりね、大分他の学生とは違ってました」\ナレーション7:52「上田たちと校内の雑誌に学校批判の文章を載せた直後、修治は睡眠薬を飲み自殺を図った。卒業の3か月前だった。実家は大騒ぎになった。その1ヶ月後、雑誌作りに参加したメンバーはほとんどが逮捕され、放校処分になった。しかし修治は卒業し東京帝国大学に進学した」\上田重彦8:23「しかしよく遊んでたんですよ、その…彼はね。あの…出席日数が足りないと卒業出来ないって言う事を苦慮してね、心配して、まああの自殺の真似をしたんだと思うです[よ]。家に対しての何か言い訳みたいなもの」\猪瀬直樹9:00「校友会雑誌にちょっとプロレタリア文学っぽい景気良いこと書いちゃったわけでしょ。でそう言うの[で]どうもその特高がうろついてるというね、その尾行してると言う情報が入ってきますから、当然その…彼は首謀者じゃなくて周辺にいただけだけれども、でもやっぱり影響はあるだろうと思いますよね。だからここは上手く戦線を離脱すると、言う作戦があったと思うし、それからまあ学校の成績もあんまり良くないと言うこともあるから、ここで一芝居打っとくと言うことで早く弘前高校からさよならして、東京に出て[い]きたいと、まあ卒業して出てきたいと、言うことはあったと思いますよね。自殺ってのは一つの方法として彼は自覚すると思います。太宰治はね。作家ってのは自殺{も}ありなんだなだと、でまあたまたま窮地に追い詰められたと、卒業も色々と間近に控えて弘前高校{で}ね、でちょっと睡眠薬を余計に飲んでみたと、で死ぬつもりはない。でそしたらまあ自殺未遂ですけど、未遂と言って[も]非常に簡単な未遂ですけどね。[そし]たらあの長兄文治。家長の文治が、お兄さんが、慌てて飛んできたわけでしょう。あっこれはやっぱり凄いことだなと、[や]っぱ死ぬと言う事を、まあある種の人質にするというか、そう言う風にしたら結構周りはみんな動き出しちゃうなっていう、そう言う事を多分ね、そこまでは予想してなくていたんだと思うけれども、ある程度は効果を見計らってたと思うけどね、思ったより効果があったなと、凄いなって言う[風]に思ったと思いますよ。自殺未遂における適正な分量、本当にたくさん飲んだら死んじゃいますから、どの位まで飲んだら大丈夫かって言う、一つ実験の経験的な数値として入ったと思いますけどね。それはまあ勿論後で何度も自殺未遂しようなんて計画立ててるわけじゃないけれども、後で活きてくるんですよね」\ナレーション11:23「修治は上京して半年後に再び事件を起こした。鎌倉の海での心中未遂、一緒にいた女性が死んだのである。修治は高校時代に青森の料理屋で知り合った芸者と結婚する約束をしていた。その芸者が上京し、まもなく一緒に暮らそうという直前に、全く別の女性と起こした心中事件だった。死んだのは田辺あつみと言う銀座のカフェで働いていた女性である。どこで話がねじれたか。実家が大地主だった修治は結婚すれば財産分与を受けられると見込んでいた。しかし実家は、芸者小山初代との結婚に強く反対した。修治が意思を曲げない事が分かると実家は、大学卒業までは仕送りを続けるが分家に伴う財産分与はしないと言い渡した。事件が起(続く)
きたのはそれから凡そ3週間後の事である。この事件は薬を飲んで海に飛び込んだと言われてきた。しかし猪瀬直樹は、本当に睡眠薬を飲んで冬の海に入れば二人とも助からないと考えている。何故修治は鎌倉の海を選んだのか、二人が発見されたこの海岸は当時漁港として賑わっていた」\猪瀬直樹(海岸)13:10「ここ漁港ですから、夜…まあ夜中にここに着いてですね薬を飲んで寝ていると、朝の3時ぐらいにもう船が出て来ますから、[もう]直ぐ発見されるんですね。だからそう言う発見されると言う事を予想して、えーまあ自殺未遂事件を起こしたんだと言う風に考えていいかと思います。それでもう一つ、太宰には計算がありました。太宰のお姉さん、まあうんと年上のお姉さんですけど、その旦那さんがこの先の療養所で結核ですけれども療養所にいました。だからそう言う意味でここに土地勘があるし、いざとなったら%%助けてくれるだろうと言う読みがあります。もう一つは、太宰治のすぐ上のお兄さんがいるんですが、このすぐ上のお兄さんのその中学時代のお友達が、この鎌倉の警察署の刑事になってます。だからその人とも前に会ってますので、ここで事件を起こしたらそのお姉さんの旦那さん、あるいはお兄さんの友達の刑事、こう言う人達が多分自分を保護してくれるだろうと言う風に考えたと思います。」\猪瀬直樹14:22「未遂事件として上手くやるつもりだったのに、相方の女性が死んでしまいますよね。これは計算外なわけですよね。それはやっぱりショックでしょ。つまり、その成功する企画を立てながら、半ば失敗してるわけですね。相方が死ぬという事は、これはやはり自分が殺したようなものですから、罪があるわけですね。で法律的には自殺幇助で不起訴と言うことで罰は受けてませんから、罪{にな}れば罰が対応するわけで、法律的な罰を受けないとなれば、心理的にやっぱり罰を受けているという気持ちは残りますよね。トラウマになると思いますよこれは」\ナレーション15:14「修治は事件の前に初代宛ての遺書を残している。『お前の意地も立つ筈だ。自由の身になったのだ』財産分与の無い初代との結婚はこの事件でご破算になるはずだった。しかし初代は母親の説得を受けて地主の息子修治との結婚を選んだ。二人は一緒に暮らし始めた。昭和10年、大学生として6年目になろうとする春。修治はまた、鎌倉で自殺未遂事件を起こした。修治は実家から仕送りを受けながら学校へは行かず小説を書き続けていた。この年の2月、太宰治の名前で商業雑誌にデビューしたが、とても原稿料で食える状態ではなかった。そして3月、まもなく仕送りの期限が切れるという時、同じ青森出身の友人を誘って横浜へ遊びに行き、その帰り道、姿を消した。太宰がいなくなり東京の仲間や青森の実家は大騒ぎになった。しかし、一緒に遊びに行った友人、小館善四郎は横浜へ向かう車での太宰の様子から、全く自殺を心配していなかった」\小館善四郎16:53「なんか檀一雄とかね、みんなね心配して[い]るんですよね。私は死なないと思ってたけどね。[こう]車の中でね、ヒモをこうやってねこうくるくる回したりね、取ろうとするとひゅっとこう隠したりね、そう言うことは全部あの…なんか演出してるんでしょうね。見せかけの自殺の証人にね、なると思ってたんでしょう」\ナレーション17:33「失踪から3日後、太宰は戻ってきた。首には赤いミミズ腫れがあった。この自殺未遂の後、実家からの仕送りは1年延長が決まった。太宰はこの後、文壇への足がかりを芥川賞に求めるが願いはかなわない。芥川賞の落選以降、薬物中毒がひどくなり病院に強制入院させられる。その入院中に太宰の想像もしないことが起きていた。弟のようにかわいがっていた小館善四郎が、妻初与と間違いを犯していたのである。太宰はそのことを退院後、小館本人の口から告白された」\小館善四郎18:35「初代さんと間違いを犯しちゃうんですけどね。それ[を]またね、隠しおけなくて、太宰にね。トイレへ、二人でトイレへ立ってこうおしっこ[を]してる時なん[で]すよね。初代さんとこう言う間違いを犯したって言うことをね、彼に告白した。というのは結婚したいとかそう言う事と[は]全然違う。ああいうことは本当は黙ってるとそれなりにね、それなりに何ていうこともなく太宰夫婦もね」\ナレーション19:31「芥川賞の落選、薬物中毒による強制入院、そして妻の不倫、太宰治はまた心中未遂事件を起こした。初代を連れ群馬県の水上温泉に行き、薬を飲んだのである。しかし二人とも死ななかった。太宰は初代の叔父に迎えに来るように電報を打った。そして初代を置き去りにして、一人で旅館を後にした。初代の叔父、吉沢祐五郎はその時の様子を妻のみつに語っている」\吉沢みつ20:17「部屋の中には初代ポツンといて、太宰さんはどっかの宿屋に行っちゃったと。でそこのね経緯なんかは何も喋らないんです%%%。ただ小窓から見た景色が、目の前[に]まで山が迫っていて、もう雲が雲とか霧とかのがうわーっとこの目の前を流れていって、寒くて凄かったなあーと。でその部屋にポツンと初代が一人残されていて、まあこれが夫婦の別れのねシーンとしては、場面としてはかなりね厳しいなって思ったってこと[を]言ってました。汽車の中で水上の方を何度か振り向いたって言ってましたねぇ。初代が向かい合わせに座ったんだよーって、そしたらあの目にゴミが入ったとか何とかって言い訳してね、何回か振り向いて泣いてたなって。力になってくれた、女だったんですよ。ちょっと津軽弁で喋ったってつとかでしょ、面白いしさ。それで質屋から帰ってきたお金でやりくりしてお料理作れば凄く上手に作るんですって。[ほ]だからね檀さんなんかも言ってましてけど、料理は上手でしたねえつってね。それでとってもね美味しくね食べて、どれだけ太宰{がね}食べたか[は]分かりませんけど%%%%ど、そう言う風にしていたんですよ」\猪瀬直樹22:26「別れ方の空間を作るというか、そう言うまたこれ[は]太宰の企画力ですよね。それ{はやる}しかなかったんでしょうね。まあ清算したかったんでしょう色々ね。初代と共に全部清算したかったんですね、今までの事は。清算って言うのは簡単にいかないですよね。貸借対照表でその支、負債の項目が凄い多いわけですから、これはね。それまでやっぱりそのずっと弘前高校で自殺未遂やって以降あの…田辺あつみとの心中事件、これも失敗。あと鎌倉で首吊りの失敗してますよね。そして初代と別れると言う、色んな事[を]含めて、負債の項目がうんと多いわけですよね。負債の項目って言うのを、これどっかで{不良債権}みたいなところで全部チャラにしたいんだよね。それ出直さないと負債抱えたまんま前に進めないとこ[ろ]あるでしょ、それもあったと思う。『姥捨』って言う作品では、妻がねあの自分が死にたいと言ってる。それをまあ夫である太宰が%%%ですけども、{止め}ようとしていると言う、そう言う風に書いてあるけれども、実際には『姥捨』と言うタイトル自体がもうそういう本音が出てますよね。つまり、妻である初代を捨てると言う、姥捨っていうのはそう言う事ですよね」\ナレーション23:57「二年後太宰は二人目の妻、石原美知子と結婚する」\猪瀬直樹24:05「今度は石原美知子と言う高学歴の有能な秘書ですね、そういう女性と結婚した。そうすると今までの溜まっていたものを一気にそこで吐き出し%たんですけども、書けるようになったんですね。だからまあその都度その都度ね自分の目的に会った女性に切り替えたというか、そこはもう徹底して自分本位ですね」\ナレーション24:40「東京の三鷹で石原美智子と(続く)
の生活を始めて間もなく、ついに中央公論から執筆依頼が来た。当時この雑誌に作品が乗れば分檀で一人前の作家として認められた。これまで太宰は自殺未遂や薬物中毒など、自分の体験をもとに数多くの私小説を書いてきた。歴史や伝説に小説の題材を求めることもあった。だが原稿依頼は日増しに増え続けていく。太宰には新しい創作の源、何らかの素材が必要だった。太宰の元に有明淑子という女性から日記が、送られて来た。太宰に憧れ、読んでもらいたいと言うのである。太宰はこの日記を素材として、まったく新しい物語を作り上げた。この作品『女生徒』が評判を呼び、その後太宰は他人の日記をもとに多くの作品を残していく。太宰の家に出入りしていた文学生の堤康久も、弟の日記を提供した。そして『正義と微笑』という作品が生まれた」\堤康久26:11「兄貴が『先生僕の弟の日記がちょっと面白いんですけども読んでください』っつったらば、太宰さんがその日の別れる時に、吉祥寺の駅かな…別れる時に『君、その日記は必ず持ってきてください』って、それで僕に無断で{太宰}さんに渡しちゃったらしいんですよね。{太宰}さん、それ全部読んでパーッと書き始めたらしいんですよね。兄貴の言葉借りると、ギャーって光った{宝石}の様なね、なんかみずみずしい日記になったって言ってましてけど。全く違ったような感じの小説だけども、でも僕のなんか…あの…まあ家庭のとってもいい幸福さって[言うんで]すかね、幸せさと言うかそう言う家族の幸せと言うかそういうな…太宰さんが書いてくれて良かったなと思いますね」\ナレーション27:37「太宰治の代表作『斜陽』も、太田静子という女性の日記を素材にして書いた作品である」\猪瀬直樹27:49「作品は、あのディテールと言うか本当に細部が命ですから。そう言う素材を集めてくという事は絶対に必要なんですね、取材行為と言うのは。で、井伏がまあ仕事上のですね、まあ師と言うかまあお付き合いと言うか井伏のお手伝いを、%年齢がずっと上ですからね、お手伝いをすると言うことがありました。で井伏鱒二はもう…売れないんですね、彼は。だからどんな%便利屋的な原稿をいっぱい書いてるんですね。で時々いい仕事が来ると、で{あとは}書けない中々。たまたま『青ヶ島大概記』と言う八丈島の噴火の話があって、それは記録があるんですね、『八丈実記』と言う。その記録をそのまま青ヶ島大概記と言う{とこに}写してるんですね。それを写すのを太宰治は手伝ってるんですね。でそのままポーンと原稿渡してますから、{あ、ほんと}写せば出来ちゃうじゃないのって言う風にね、太宰は思ったと思いますよ。太宰はやっぱり、自分の作品をもう一個ステップアップしたいと言うか、完成度を高めたいという、そう言う意味では芥川龍之介のイメージがずーっとありますから、自分は良い作品を書くんだと、良い作品を必ず後世に残るんだと(残すの言い間違い)言う気持ちが強くありました。それが井伏鱒二と太宰治の違いで、だから太宰治は作品のためだったら何でもすると、そこは悪漢ですね。悪人ですね。ピカレスクだと思います」\日本ニュース29:19「斜陽、その他独自な作品で知られた小説家、太宰治氏は、6月13日山崎富栄さんと共に消息を絶ちました」\ナレーション29:33「死の前年、太宰が発表した斜陽はベストセラーになった。死の1カ月前には『人間失格』を完成。さらに朝日新聞にも『グッド・バイ』のタイトルで連載小説を書き始めたばかりであった。多くの愛人たちと別れ、最後に妻に捨てられる男。軽いタッチで書く構想もできていた。文芸誌に1年間の約束で書き始めた『如是我聞』も、まだ4回しか書いていなかった。当時、如是我聞を担当していた編集者、野平健一は家族ぐるみで太宰と付き合っていた」\野平健一30:27「そして僕のところのあれ、如是我聞も一年やるっ[て]約束でやってんだもん。だからそんな突然自殺するような事になるとは全然考えてもいないよ。だからびっくりしたんだよいなくなった事で。えだから女の人を殺しちゃったりさ、そりゃ批判があるよ当然。だけど口にするわけにはいかないけど、マイナス面が非常に彼はしょっちゅうしょってんだよ。だからこれを清算する時がどっかで来るとは思ってたわけで、だけどそれはちょっと早すぎるっていう感じも同時にあった。だって朝日{の}ね連載始めて10回ぐらいなんでしょ?発表し始めて」\林 聖子31:32「太宰さん無頼派とかね言われてらっしゃっ…言われてますけど、あの…夜中とか書く方じゃないんですよ。朝、やっぱりきちんと午前中から仕事なすって、それで夕方には一応パッとやめられて、さあ一杯ってそう言う風でした。ですか{ら}ねえ」\ナレーション31:58「林聖子は当時、出版社で編集の手伝いをしていた。太宰の作品『メリイクリスマス』に出てくる少女のモデルになった女性である。太宰は彼女の母親とも親交が深かった」\林 聖子32:16「うちのね母はね、太宰さんがね死ぬんじゃないかしらとか言ってた。あんまりそう言うもんですから私が野原さんか野平さんに、なんかうちの母がそんなことを言ってるのよってことをね言ったんですよ。そしたらねそれがどうあの…あの…太宰さんの耳にそれが入りましてね、太宰さんちょうどその時忘れもしない左側にね歩いてらしたんですよね。そしたら『聖子ちゃん、僕が死ぬって言ってるんだって?』っていきなり言われて私もう胸がドキドキしちゃって、で『私じゃなくて母が言ってるんだ』って事を言いたかったんですがね、あんまりいきなり言われたもんで、あの…何も言えなくってもう言葉が出なかったんですよね。そしたら太宰さんが『僕は死なないよ』って『あの子をおいては死ねないんだ』ってそうおっしゃった。息子さんのねえことだと思うんですけれど」\ナレーション33:33「家庭の幸福は諸悪の元と書いた太宰だが、2度目の妻美知子との間には3人の子供をもうけた。女の子が2人と男の子が1人だった。男の子は生まれつき障害を持っていた」\野平ふさ子34:02「こんなことして踊ったりするのよ、そうすと『こいつはひょうきんなとこがあるやつでね』とか言ってね。ホントに優しい顔してさ、その編集者かなんかがお世辞に『お可愛らしいぼっちゃんですね』なんて言うとね『うーん』なんて言ってね、少し経つとね台所にねある埃だらけの一升瓶からね、お酒をコップに注いでねぐっと飲んでね、またねその編集者の方にね、行ったりしてたからさ」\林 聖子34:38「これ三鷹の駅の近くの若松屋さんって言う屋台の、ウナギ屋さんの、これ暖簾なんですが、ここへいつもね太宰さんあの…中の方のベンチに座ってらっしゃ[る]んですよ、屋台の。だから通りがこう、通る人が見えるのね。私がこう会社の帰り通ると『関所だよー』とか言ってね」\ナレーション35:10「太宰は心中した美容師の山崎富栄と三鷹の飲み屋で出会った。気が利いてよく動く富栄を『スタコラサッちゃん』と呼び、可愛いがった。いつしか太宰は富栄の部屋で仕事をするようになっていく、富栄は太宰をできるだけ人に会わせない様にしていた」\林 聖子35:39「富栄さんのあの…日記の中でね、太宰さんが随分喀血なすったり、凄い身体が先生悪いって言う風に書いてらっしゃるんですけれど、それは私とっても不思議なの。さっちゃんは少し大袈裟にね、あんまり太宰さん大事に思ってらして、太宰さんがちょっと『具合悪い』とか言うとホントにそれをまたね、しっかりもっと『あっ大変だ』つって大きく受け止めちゃったんじゃないかしら。なんかそんな感じはするの、だってそんなにね具合悪そうじゃなかったですもん」(続く)
\野平健一36:29「あの無くなる年の3月にね{突然的}に言い出したんだよ、彼は。この部屋にね、彼女は青酸カリを隠してるんでね君が探してくれって言うんだよ。僕はとてもそんな事は出来ないって言ったの、人の押し入れまで上げてね、そんな物探し物するわけにはいかないって言ったんだよ。僕は断ったよ。トイレ%%廃棄しようと思ってんでしょ、そんな物があってさ脅かされる感じになるのが、ちょっと彼は我慢できないんだよ。彼はその頃はもう作品がピークになろうと乗ってたんだからねえ」\ナレーション37:29「太宰が行方不明になった翌日、野平健一と林聖子は玉川上水の土手を歩き2人の痕跡を探した。玉川上水は自殺の名所だった」\林 聖子37:45「いやあそこはちょっとあの…歩道と言うのかな、普通みんなが歩く道からちょっと高くこれぐらいのこう高くなって[る]んですよね。でその上をこう歩いてちょっと行ったら、ガラスのこう言うこれくらいのお皿があってて、置いてあって。それとなんかねハサミとかねこれぐらいの茶色だったかなあ、あの…色の付いたビンがあったんですよ。このお皿って言うのはねガラスのお皿でね、さっちゃんところへ行くと、よくおつまみをねピーナッツなんかをそれに入れて出してくれてたお皿だったんで、まあよくあるお皿なんだけど。それで、あっこれは見覚えがあると思って、そしたらその横にこれぐらいの幅で、あの…雨降って草があの…こう…こうなってるでしょ?そこをなんか下駄みたいなものでグーっとこう抉った様な、レールを引いた様なこれぐらいの幅でねずーっとあったんですよ。それで、あっここからだって野平さんと二人で、ここから…なんかねあったんだって」\猪瀬直樹39:21「作品をね、書いていくという事はもうギリギリの場所、やっぱり死ぬという事をどっか人質にしている場所なんですね。そうすると『桜桃』で涙の谷と言って、ね?奥さんのおっぱいとおっぱいの間が涙の谷であると、家庭は大事であると言いながら、一方で家庭の幸福は諸悪の元だと、こう言ってるわけでしょ。でこっちは日常性で、こっちはその日常性を否定する側ですね。これ両方が太宰の中にはある。その境目をずーっと彼は生きてくわけですから、そうするとまあ、こちらの非日常的な部分って言うのは死の部分ですね、こっちは日常的な部分ですね、両方ずーっとこう段々段々選択肢がですね、非常に狭いところに行くと思いますよね。で日常的日常と言うかまあ普通のマイホーム主義と、それと心中事件を起こすという二つが重なり合ってるわけで、僕[は]あの…作品とかそう言うどっち側にも行っちゃ駄目だと思うん[で]すね。死んじゃったら終わりだし、書けないわけだから、ね?で、マイホーム主義でただ日常性だけがいれば%%%惜しいですからこれは、その間をどうやって生きるかと言うか、その間に作品の恐らく一番その…真実味がある世界と言うかね、そう言うのあると思うんですよね。それを太宰は段々段々迫っていった。常にこう…平穏な日常に対して何かを投げかけて行くわけですね。ですからそれは作家だと思うんですね。その場合には、だからまあ極端に言えば全ての作家が{ある意味誰もが太宰}治であるわけで、非常に日常的な家庭の幸福みたいな物と、そうじゃなくて作品のためにあらゆる物を犠牲にするっていうもう一つの心と、[こ]の二つがあってやってるわけで、これをただ続けてくしかないわけですよね」\ナレーション41:46「太宰治は死の淵を覗き見ながら最後まで作家として強かに生きようとした。私たちの前にあるのは、死のうとした作家ではなく、生きようとした作家の作品である」
"\"は発言者の名前または肩書"%"は認識不可"[]"は完全に発音されていない部分(省略の補完)"()"は注釈・コメントなど"{}"で囲まれた部分は不確実意味がないと感じた感動詞は省略しています誤字脱字の指摘、改善案などお待ちしています
感謝
文豪は自分より先に生まれ先に死んだからなのか、とても昔の人間だと思ってたけど、映像の中で実際に太宰と出会った者が話していると一気に太宰治という文面の文字と写真でしか見てこなかった男が本当に現実にいたのかと驚きました。そして太宰治を調べたのが猪瀬さんというのも驚きました。現在は政治家としての印象が強いので、作家・研究者としての面が見れるのは貴重ですね。文豪と聞くと、悲しい過去や背景を持っていたり、自殺したり病死する等悲しい死を迎える陰気なイメージですが、実際どんな人間かは他人から見た彼(彼女)もしくは本人にしか分からないでしょう。現代に太宰治が生きていたら、彼はどんな生き方をしたのだろう。彼はどのように「生産」していくのか、はたまた自死を果たすのだろうか。太宰治の生き方は賛否両論あるが、彼の作品は教科書にも載っている程今でも多くの人に読まれています。それは、太宰の様な人間が今の日本にもいること、そして浮気や不倫、自殺中毒や薬物などの何かに依存する性質を持つ日本人が老若男女、学歴社歴関係なく、いるからなのではないでしょうか。また完全にそうではないが、今後太宰のような者になるかもしれない者も…
人は多面的であって側面から見ても半分も分からない。おそらく作品のなかにこそ心の真実が表れていると思う。
たいへん貴重な映像だと思います。亡くなる昭和23年ごろ、それほど衰弱していたわけではなかったようですね。太宰治についてはまだ知られていないことがあるのではないでしょうか。
このような貴重な映像が残っていることはとても凄いです。私は、太宰治氏の小説がとても好きです。自分は、貴重な映像が見れたことがとても嬉しく思います。
想像より複雑な人間でした
昔のNHKの雰囲気好き
私は、坂口安吾が語る太宰 がもっとも腑に落ちる。 彼の書いた「太宰治 情死考」が、もっとも真実に近いと考える。
お道化のプロだったんだなあ…としみじみ思った。自分を理解してくれる人はいない、満たされない、とばかり思ってしまう究極の寂しがり屋さんというか…理解して欲しいと思いながらも本当のところは「誰にも理解されない自分」に酔っているような節を感じる。思春期のまま大人になった人とでも言うべきかなあ。
思春期のままってのはそうかもだお。今で言う中二病やらヤンデレやらかまちょやら、それぞれが滑稽ででもどこか自分にもあって気になっちゃうもんだよね。当時は気張って皆生きてただろうから太宰があえてそれを出して、小説ってのがまたいいんだよね。一人でこっそり読めるし、注目の作家の作品なら話題にぽろっとだしちゃってもお前そんなの読んでんのか、女々しいななんて思われることも少しは緩和されるだろうし
思春期でなくても人間なんてそんなもんだと思うけどね。
人間失格の葉蔵そのものですね。
今生きてたら多分Twitterで永遠と呪詛を書き散らしてたのかな。
自分に酔うしか無かったんでしょうね
聖子さんの話し方がとっても太宰先生の小説に似てる。大好きだなぁ。
太宰治の大ファンとしてありがたく拝見しました。彼の作品を読む人々ににぜひ見ていただきたいと思います。
苦しんだ人には苦しんでいる人にしか分からない世界がある。それは普通の人には決して分からない。
骨折の痛みは骨を折ったことのある者にしか分からない。みたいに、当たり前の事をそれっぽく言ってるだけですね笑
@@doyouknow280-k7i 骨折の痛みどころか今の日本人は蚊に刺された痛みさえ分かち合えないから自殺者が3万人もいる国になったんだよ。
@@doyouknow280-k7i 小泉構文みたいな感じか
やはりそうなんだよね
だからね、痛みを知っていれば知っているほど優しいんだよね
この番組の登場人物皆さんがお話が上手だからこれも1本の小説ですね。
太宰治の友人であった画家・小館善四郎(こだて・ぜんしろう)さんの実録インタビューは、16:30 あたりから 19:30 までたっぷりと時間を使って収録されていますね。後のための私自身の覚書として、ここに書かせて頂きます。
小館さんの若いころは美しく、晩年も、かなり男前ですね。太宰治も男前ですが。。
それでも太宰さんも太宰さんの作品も大好きすぎる
到底、善人とは思えないけど、凄い好きっていう矛盾な感情がある。自分と同じ世界で住んでたはずなのに全く自分と違う世界の人のようで(まとまんない
凄い‼️感動です
生死の真ん中を綱渡りで歩くピエロ道化師のようださだまさしさんの道化師のソネット聴くといつも太宰治が頭に浮かぶ。そして号泣する
感性が死んでる
でもいいよね、それだけ人を惹きつける才能あるの。ずるい、羨ましいです。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が、人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
@@紅海月-q3x感性が死んでたらこういうこと思わない。太宰治だって小説を書かない、書けないと思う。
同時代資料どころか、当時の太宰の関係者がそのまま証言してるのがめちゃ貴重・・初代さんとのエピソードを話す「みつ」さんは、あの『姥捨て』に登場する女将さんですかね古館善四郎の実録インタビューが聴けるとは思ってもみませんでした今まで太宰作品で読んだ数々のエピソードが甦って来るようです
「東京八景」を読むと彼の実像がよくわかるよね。のらりくらりと生きてて、日々の瞬間は、驚くほど楽観的に生きてるよね。究極の楽観主義者だと思う。
@@デュークジョーダン そうですね。太宰はほとんど真実を書かない人ですよね。完全犯罪を夢想し実行し続ける確信犯に似ていると思います。もしかすると彼の書く目的は諸事件の偽装工作ではないか、とすら思われるくらいです。まあ、これは極論で言い過ぎかもしれませんけど。
だからやっぱり、双極性障害感。明るい時とそうじゃない時の差が激しくて、自分でも何故変にテンションの上げ下げが起きるかわからなかったのでは
究極の楽観と究極の悲観を行ったりきたり。でもそこまで周りを惹きつけられる力は本当に羨ましいです。
@@花咲-z4o人を障害者に当て嵌めて言うのってとっっても失礼なことですよ。恥です。やめましょう。
16:45 これが真理だろ。亡くなった人のことだし、本と僅かな写真でしか推し測ることはできないけど。太宰はふっと自分が消滅してくれるのを願っていたけど、自殺が直感的に怖くて誰かに一緒にいてほしくて、生き残ったら当面の苦しみを癒すためにふざけ回る、そんな人間じゃなかったのかな。側から見るぶんにはいいけど、関わりたくはない。(同族嫌悪かもしれない)
関わりたくないのわかる。こういう男の人一番嫌い。周りの女も、奥様以外皆嫌い。不倫は駄目です
純粋すぎて図々しくなれなかった、歳とっても。
太宰治の生家が旅館になっていて泊まりに行ったことがあります。客室には程遠い部屋で、重苦しさを感じました。隣の大広間で一晩中宴会をやっていて全然眠れなかったです。居心地の悪い家と言っていた意味が少しだけ分かりました。
文学が好きな人は一度ははまる「太宰治」氏。私も分かりし頃は憧れたものだ。これを見ると実像はだいぶ違う。波乱万丈な人生を自分で作り出していたような。関係者の証言は貴重。作品は残る。
もう文豪に実際に会ったことある人も亡くなっていくのか…。人間失格を読んでて正に「人間失格」ってとこで息が止まった。そして一気に脱力して感情移入しまくってたのか自分もそうだと絶望した。
狡猾であろうとしたができなかった男、でもこそ好きなんだよなぁ。だからこそ、今も墓の溝に桜桃をぐいぐいと詰めてしまう。
作品を通して文豪たちの人間性を自分なりに解釈したり紐解いていく楽しさを知って読む機会が増えました。コメント欄を読んでてこんなにも捉え方が違うのかと知れて面白かったです。ありがとうございました。
「分かる」なんて一言で片付けられるなんて太宰も癪だろうけど、分かる。と言いたい。優しさと弱さと独自の考えとある種の名誉欲が一つの箱に共存してるなんて、言葉に表したって理解できることじゃないけど、実際にそれはある。ある者には共感できる。雑に片付けると気難しい人間やるのは気難しい人間には難し過ぎる。
久しぶりに感慨深い動画を拝見しました。小説に生涯を捧げた太宰の最期は彼らしいと思いますよ。
私の知人に何度も自殺未遂をしたことのある人がいますが、直後、警察沙汰になり周りに迷惑をかけたことも、死んでいたかもしれない事に対する恐れや後悔は全く感じられず、まるで他人事のように話していました「何で、自殺するの?」と聞くと「分からないけど、したくなる」と答えるので、本人にも分からないのだから私に分かるはずがないと思いました結構、衝動的に自殺してお亡くなりになっている方は多いのかも知れません
確かに自殺する人はそういう人が多いのかもしれませんね。逆に理由がはっきりしていたら自殺しないのかも。
私は太宰を愛読する韓国の大学生です。 日本語ができなくて理解できませんが、いつか日本語を勉強して翻訳なしで太宰の本を読んでみたいです。 東京旅行中に行ってみた三鷹は大切な思い出としてあります。 翻訳機を使っているのでぎこちないです、ご了承ください。
なんかすごい生々しいし、貴重な映像。
もうすぐ桜桃忌ですね。太宰の作品の中で一番好きなのは津軽ですが、同じ思いの人いますか?
私も津軽が一番好きです。太宰治という人間の生の姿が垣間見えるのとその時代の香りが漂う貴重な作品だと思います!
タケさんの存在は大きいと思ういなかったらもっと荒んでいただろう。
突発的な死に対しての野望はあったと思う。でも本当に死にたかったわけじゃない。
死にたいけど死にたくない、矛盾してるけど今でもそういう人多いですよね
明るい性格も、暗い性格も、どちらも本物の津島修治だと思う。時代が関係していたのかな……
『人間失格』のはしがきで「人は拳をにぎりながら笑えるものではない」みたいなことが書いてあるように、自分の暗い地金を人に晒す必要はないし、できれば知られたくない。「自殺をするような人じゃない」と言われる人ほど隠してるんだよな。だけどさすがに限度はある。
@awesome えーと。上の文は太宰のすごさを言っているんではなくて、「明るい印象の人でも、病んでる場合があるよね」という事です。太宰はその最たる例で、常に陽気な自分を演じていました。これは動画内でも言及されていますし、小説のなかでも「お道化は他人に対する最後の求愛」と表現されています。太宰は作家としてはすごい人ですが、1人の男としては褒めれたものではありません。芥川賞に落選して川端康成に「刺す」と言うくらいにはぶっとんでいます。一つ気になったのですが、「歴史上の人物に勝手にしちゃってる」とはどういう意味ですか?美化してしまっているということでしょうか?それに「歴史上の人物」という表現は500年くらい前のかなり昔の人間に使う表現であって、昭和初期の文豪はそれに該当しないと思います。
人間失格読んで本動画を見ると、太宰の言ってる、お道化ってこのような事なのかなって思う。
要は、ずっと演技してたんだよ。最近自殺した上島竜兵さんみたいに。
@awesome はいはい流石猫アイコン。
編集者たちや日記の作者だった方の話はとても興味深かったです。また一歩太宰治に近づけたような気がしました。猪瀬直樹さんのお若い頃は今と少し感じが違いますね。
コメントありがとうございます。太宰の近くにいた方々の生の証言は興味深いですね。
猪瀬直樹はなぜこの番組に関わったのか、ご存知の方教えてください。
@@reikoamano102 なぜって、太宰の評伝を書いたからでしょう。
小館善四郎氏を拝見できるなんて思わなかった。すごい。
コメント有り難うございます。太宰にしても、小館善四郎にしても、完全に想像上の人物なので、こういう映像やエピソードは、息づかいがかえって現実味がないというか、とても不思議に感じてしまう自分がいます。35年前、中学生の時、好きで好きでたまらなかった。今で言う2次元の世界、ですかね。今回は本当に感激しました。長文失礼しました。
@@デュークジョーダン 古館保さんと言えば田部あつみさんと直接会ったことのある方ですよね?凄いな。羨ましいです。
無理をせずに、 がんばって ほしいです。
若い頃の際立った「眉目秀麗」な顔立ちを見ていると、なんとなく、アメリカの作家、フィッツジェラルドが思い浮かぶ。その繊細な作風も、どこか似ている感じがする。ヘミングウェイとともに、「失われた世代」を代表する作家だが、あくまで個人的な感想ながら、太宰治は、日本の「失われた世代」の象徴的作家ではないかと。ヘミングウェイやフィッツジェラルドは第一次大戦後のそれで、太宰は、もちろん、第二次世界大戦後のそれとして。今もなお、人気、特に若い世代の読者に人気があるのも、似ているような。
太宰さんの本、好きです。なので生い立ちなども知っておりましたが、興味深い‼️真相はわからないけど、太宰さんは「人たらし」だなぁ。
この人は、凄くズルい人に見えるんだよな。
確かに。それはわかる。
境界性人格障害だからね。
高校の時、人間失格を読んだ時の衝撃を思い出しました。自分自身に幻滅し、迷いが多い時期でした。でも読み終えた後、こんな私でも生きてもいいんだと思いました。自分の中の毒をこんなにさらけ出す心の中をエグるような描写に、逆に自分の中の毒が崩壊されていくような、なんとも言えない感覚をこの映像と共に思い出しました。貴重な映像をありがとうございました。猪瀬さんの最後の言葉がグッときました。
初代さんと間違いを犯しちゃうんですけどねは草
せっかく太宰を知る貴重なお話に夢中になってたのに初代さんとの間違いが頭から離れなくなってしまったので同士がいて安心しましたwww
ついこの間、人間失格を初めて読みました。私自身の思考思想、生き方の類似の多さに驚愕しました。私は自分自身がとても嫌いです。恥ずかしい人間です。彼の最期は自らなのはなんとなくわかります。私はそうはならないように生きたいと思います。太宰治の他の作品も読みたいと思います。
戦後の新しい文学の世界で再生して次世代太宰文学の創作で活躍してほしかったです。根底に聖書がある限り、死と背中合わせの壮絶さ、は感覚的には本人の中にはなかったのだろうなと思います。青森の生んだ二大スター太宰と寺山に嫉妬?の猪瀬の言う貸借対照表とかの計算的人生は猪瀬自身のことのようで、太宰は文学的人生そのものであると思います。
太宰治は愛人に首を絞められながら引きずられ玉川上水に入水したといわれています。理由は玉川上水や飛び降りた橋には引きずられた跡があったこと彼を知る人物が「自殺するような人じゃないと証言したこと」愛人の遺体のは死顔は「はげしく恐怖しているおそろしい相貌」だったのに対し太宰の死顔は愛人の死顔とは対照的に穏やかでほとんど水を飲んでいなかったことから、太宰は入水前すでに絶命していたか仮死状態だったと推測されたためです(この説は諸説ある中の一説にしか過ぎないのであまり真に受けないようにしてください)
どうなんだろ。個人的には自殺する時は一人で死にたい。人といると疲れる、何故こんなに疲れるかもわからない
そもそも愛人とか、不倫は駄目だよ。何苦しそうな顔でその女死んでんだ、くだらねー。
@@花咲-z4o 1人じゃ勇気がないんだろ
検死によって、そのような事件性はないと判断されています太宰は生前首吊りに失敗した際に首に残った痣が、酒に酔うと浮かび上がったと言われていますから、それを見たのではないでしょうか共に情死を遂げた山崎富榮様に対する、太宰界隈からの根拠のない誹謗中傷、無理心中説が幾らも飛び交いましたが、その殆どは何の根拠もない謂わば太宰を奪われたことに対する嫉妬心からくるデマカセでした
今日、6月19日桜桃忌ですね。合掌
御伽草子が好きだった!(彼がちょっと明るい頃に書かれた小説)
とんでもないレベルの野心家だったと思う実家は大金持ちで父親も長兄も社会的にトップクラスだったからこそ、自分の命を賭けた分野でなんとしても、どんな手を使っても成り上がってタメはる必要があったしかも、実家金持ち、東大、筆まめ、ユーモアのセンス、長身でイケメンなら、周りの女性も放っておくわけがないやはり彼がいまだに文学界のアイドルだけのことはある
太宰さんの実際の声を聞いてみたかったなぁ
なんかのRUclipsにあったようなきがしますよ
今日は桜桃忌、興味深く拝見しています。2023年6月19日
古館さん初め拝見しました。よくインタビューに応じて下さいましたね。貴重な映像、興味深かったです。若気の至りかもしれませんが…初代さんも、裏切られた太宰さんも可哀想に思います…。太宰さんの最期は残念です。マイナスの人とマイナスの人が出会ってもプラスにはならなかったということですね。苦しみながらも生きてほしかった。○を留めさせるような女性と出会っていればよかった。
1953年生まれですが、当時の若者は大宰治に共感し、かぶれるのが 学生のステータスのようだった。就職の面接に「好きな作家に大宰治と言うなよ」と父が行っていたこと(笑)今思うのは、こんな男と結婚したら、とんでもないことにって😁
自己矛盾を抱えながら生きることが、人間の本質なのかもしれないですね、そんなことを太宰治先生から教えられた気がしました。
太宰さんに直接関わった人の証言を聞けるって凄いことだし、映像が残ってるってすごい。
喧嘩しないで〜‼️
貴重な映像をありがとうございます。彼らがもたらした喜怒哀楽があってこそ『作家太宰治』がつくられたのだ...と痛感しました。
@@doyouknow280-k7i 一緒に死にたくて死んだんじゃないの?
心中でしょ?
@@doyouknow280-k7i この人は持ってる情報量や視野の広さや引力がいろいろと桁違い…常識を持っていながら究極のメンヘラで人を惑わすのが上手くて面白い。文豪ってええな🙃
@@KT-ls6pq
お前あれだろ、味方がいたら強気になるタイプだろ?笑
@@doyouknow280-k7i 味方はいた方が心強いのは当たり前だけどそこまで気にしないタイプだよ。ぼっちだし…太宰治は行動して失敗から学んで広い知識を得てて面白いなと尊敬してます。本読んで見てください
「疑いながら、ためしに右へ曲るのも、 信じて断乎として右へ曲るのも、 その運命は同じ事です。 どっちにしたって 引き返すことは出来ないんだ」
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ」
太宰の、大好きな言葉です。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
わたしみたいです…ω
なんのために生まれて来たんって煽られたから恋と革命のためって言い返したったわ
三島由紀夫がなぜ太宰が嫌いだったのか分かるような気がする。
あの人は全速力で走って死ぬ時は前につんのめって転げ回って死んでやるって人だからね。
@@Peta_CHAD69さん
あたってると思います。
三島由紀夫は大学生の頃、同級生達と太宰治に会いに行って、「僕は貴方が嫌いだ」と
どうしてかというと、太宰治の作品は「自分の傷のえげつない所を見せようとしながらも最後の最後で、それでは見る人が辛かろうと痛み止めを用意したり、モザイクをかけてるかのようなところがある。そこが嫌だ。どうして100%にさらけ出さないのか?見せつけないのか?自分ならば、遠慮会釈なく全部傷をつぶさにアップして、完全に見せつけて見せる」と。
でも、それは一つの強さ、です。
太宰は「僕は強さとは無縁なんだよ」と
ただ、「でも、好きだから会いに来たんだろう?やっぱり好きなんだよ、ね!」と、気弱い者の精一杯の返しは、それだけに芯をついていて、ささるものがあったのだと思います。後年三島由紀夫は「やっぱり凄い意識してた、自分自信が太宰化してしまいそうで意識して突っぱねた」というようなことを語ってました。
この映像を見ても、作品を読んでも、私はやっぱり太宰は優しい人間だったと思う。ただ、優しさと駄目さはひとりの人間の中に共存し得る。それが人間らしさだと思うし、私は好きだ。
僕も太宰さんはとびきり優しい人だと思います。
姪だか誰かに書いた慰めの手紙を読んで確信しましたね。
人の気持ちが嫌でも分かり過ぎてしまうタイプの人だと思います。
誰かの心に一時寄り添って、その相手の中に自分の居場所を確保する。そして、それが少しくらいの振動じゃ動かないことを了解したら、とっととまた別の誰かの心の中に入っていく。次から次へと他人の弱い心の中に自分自身を溶け込ませていく、そうして自分の心の安静のみを拡大していく。確保した住処(誰か)には気まぐれで帰っていくだけ。戦国武将が武力でもって領地を拡大していき自国の安定と拡大を図ったように、太宰は自分の弱さでもってその拠り所を拡大していった。こんなのを、優しさ、って言うならまぁそれでいいけど。普通にその辺いるダメ男、ヒモ、ろくでなしと一緒じゃん。責任を伴わない優しさはほとんどエゴみたいなもん。ある意味で一番タチが悪い。こいつの場合、相手(だけ)を死なせてもうてるから、タチの悪さで言うならこれ以上ない一級品だよね。
優れた文学残した功績が、1人の女性の命よりも重く、だからこそこうして彼だけ後世に語り継がれてるんだとしたら、まぁ世も末ですわな笑笑
世も、というか、
マジで人間終わってる。お前ら特に😂
「優しさと駄目さが共存してる人間臭さ」に対する否定的な意見が見れると思って読んだのに、ただ気持ち良くなりたいだけのズレた批判だった…残念
@@doyouknow280-k7iなんで安住の地とした人と、自殺しようと思うのか…
貴様より色々考えすぎてしまう人なんだと思うが
@@slowpotato-jq2tr
どんなこと考えて自殺に至ったのか、その辺りの考察は一切書かないで、ただ「お前には分かんないよ」じゃなんの説得力もおまへんで?笑笑
核心的な部分は語らないで表面的な知識だけ披露し合って「議論」とかほざいてるちょっと文学に被れ始めた中学生みたい。。。☺️自殺文学読んで自殺する人間の心理理解できた気になっちゃってるガキみたい。パパの稼ぎとママの手料理、あったかいお家で安眠ぶっこいてるガキくせに。実際に自殺を行動に移したこともそこまで精神が追い込まれたこともないから、その核心にはいつまでもたっても触れられない。触った経験ないこと自分でちゃんと知ってるから、その感触や色合い温度感重み、具体的なことは"何も語れない"。あ、お前のことな?笑笑
何知った風な口きいてんだよぼっちゃん。
「太宰治は存在したんだなぁ...」
人間失格を読むと太宰治本人についてもすごく感慨深くなる
今もどこかで文学少年少女の心を動かしているんだ
ゲス不倫しといて平気で公表する老害
結婚したくはないあそびだったってことだよな?つくづく男尊女卑だなあこの国は
この動画をずっと永遠に残してくれることを願っています。
ありがとうございます。削除されない限りこのまま視聴できるようにしておくつもりです。
@@satotera1963ありがとうございます。嬉しいです。
私には猪●が話してる時点でこの動画の重みが一瞬で消えた
太宰治自身のコメントが残っていない。
@@user-hu6vx1er5b 無駄転載
当時の生き証人の方々の映像が残っていたのに非常に驚いています。ありがとうございました。
魚服記を留守晴夫、賢者の毒が、不幸・悲哀の視点から話してゐます。
都合がいいから残す?
@@aa35544 ?
@@user-YJSP_810 ❤
この番組は教科書にするべき作品だ国宝級
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
私はロシア人です。でも太宰治は私の好きな文学ですね!四月から日本語を勉強しました。太宰さんは頭い人ですね!彼は私の好きな男です!太宰の本を読むが大好きだけど!
私はドストエフスキーが好きです。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫も好き。
人間失格を読んだ時の安心感というかこんなに分かってくれて、寄り添ってくれて温かい人がいるんだと本当に驚いたことをよく覚えています
太宰治や三島由紀夫はなんとなく気難し屋で繊細なガラスのようなイメージを持っているけど、
リアルでの振る舞いは割とノリが良いんだよな。
この2人似てないようで似てますよね。
三島が太宰に向かって、きみは大嫌いだと言うと、太宰はにやりと本当は好きでしょうと言ったとか。
私も似たものを感じます。
太宰さんは自分はとても繊細で優しい人だったと思う。
実際彼は自分の弟子に
「酒をのんで、家に帰ると、バタリと倒れて寝ちまうんだが、夜中の三時頃になると、かならず眼がさめる。
するとね、こし方、行末、ありとあらゆるいやなことがわッと集ってきてね、
その苦しさ、やりきれなさはひどいもんなんだ。
遠くで暮らしている、知人たちの苦悩まで、どっと胸に流れこんできてね。
あれだけはかなわんよ」
と小声で漏らしていたらしい。
これは本当に貴重映像
トイレで用を足している時に「間違いを犯しちゃった」と自白したなんて 当人しか知らないことだもんね
映像の世紀とか、こう言うの大好きです!ありがとうございます
人間性も書いた作品も偉大だとは全く言えないけど、人の心を動かす力があるのは事実
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
そもそも「作家」なるような人間の「人間性」なんて「御察し」ですよ。「偉大」な「傑作」を残したトルストイは、自分の領地の農奴のロリっこをレイプしてスッキリ!して、「光あるうち光の中を歩め」なんて書いてたそうだしなw
書いた作品は真に偉大だと思いますがね。
作品は偉大だと思いますよ。その作品によって人の心を動かしたわけですから。まあ、私達が評価できたことじゃありませんけど。偉大だとは全く言えないと言い切ってしまうあなたが不思議です。
三島に影響されやすいなぁ現代の若者は、阿呆が
こういう日本の偉人の話聞くのマジで好き
太宰治はファンも多い分、「嫌い」と思う人も多いよね。
実際、彼は誇れた人生を送ったとは言い難いけど、でも、彼の綴る文字は、どこか人を引き寄せる力を持ってるんだろうなぁ…人間味溢れているけれど、どこか人とは違う感じで。個人的にはそんな太宰治が好きなんだよな。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
敬愛する山崎富榮様を死の淵へと連れた太宰治は嫌いですが、彼女がのめり込んだ太宰という人間の思考を知るために太宰治の作品を読んでいます
嫌いはほとんど聞いたことないな
太宰さんの産まれた日本で、この映像が見れる現代に産まれたことに感謝🙏
音楽が邪魔!
ピース又吉のチャンネルでも、実際に太宰と交流のあった女性との会話について話してるんだけど、
生前を知ってる人がみんな「とても明るくていい人だった、世間が言うような葛藤は感じなかったし自殺するような人には見えなかった」って言ってるのが興味深いよなぁ。
太宰の言うところの、「道化」の結果なのかね
全くの無知な人間ですが動画を見てみました。メンヘラでどうしようもない、そして、だからこそ魅力的だったんでしょうね。
たった数十年しか生きていないけどこれだけ後世に名を残せるのはやっぱすごいよなぁ
周りの人が皆優しい、きっと太宰治もそうだったのかな。
理想と現実の差からくるコンプレックスを文学で埋めようとしていたのが三島由紀夫、自己矛盾を抱えている現実世界に絶望して、文学へ現実逃避したのが太宰治。生前二人は犬猿の仲だった(正確には三島由紀夫が太宰を激しく嫌っていた)し、文体も前者はガチガチで理性的、後者は滑らかで柔らかいテイストで全然違うけど、どちらも死に対して執着している点では、本質的な部分で結局両者は似た者同士だったんだよね。三島が太宰に初めて会いに来て、太宰の文学は嫌いだと言った時に太宰が返した「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」という言葉は、太宰らしい意趣返しながらも、的確に真理をついていたと思う。
それデマでほんとは太宰は「(俺の作品が嫌いなら)だったら見なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てたらしいですよ
どっちもじゃない
当時の学生が三島由紀夫にインタビューする映像がありますが、そこで太宰について聞かれて、自分は太宰と似てるから、太宰の気持ちが分かるから、だからこそ苦手みたいな事仰ってましたよ
太宰の書く本に関しても美しいと言ってましたし、嫌いだからと言ってリスペクトしてない訳では無いのがよくわかります
戦後に過激な学生運動する学生と面と向かって(今の様な揚げ足取り合戦みたいな事ではなく)ちゃんと討論できる人というのも納得出来ますね
投稿者様がアップロードしてくれたこのビデオは、9年前と今、2度にわたって見ました。とても勉強になりました。これからも何度も見たいと思います。
ナレーションの末尾にあったように、生きようとした作家。だからこそ絶望の中でもがき続けた文は、心に突き刺さる。
心底苦しんだ人間が良い人だったかつまらない悪人だったか、だれも裁けないと感じます。
太宰治の作品を読んでいると、これは自分にしかわからない、彼は自分と全く同じ考えを持っていてそれを作品を通じて訴えかけてきているのだ!って考えてしまうんだけど、そう思わせてしまう彼の作品性が多くの人々を惹きつけてしまうのだと思う。
確かに、太宰さんの生き方は褒められたものではありません。
でも、このような生き方しか出来なかった人、『桜桃』読めば、太宰さんが苦しんでいたこと、わかります。
太宰さんのように、うまく生きられない人、山ほどいます。
だからこそ愛読者が、後を絶たないのでしょうね。
褒められようと生きる人間は虚しい
どっか壊れてたんだろうね、脳。双極性障害と薬物依存症だったとは思う。遺伝性疾患らしいですね、あれ
@@湯-f7l 人間なんてそんなもん
一人で勝手に苦しんでりゃ良いものを。
女巻き添えにしたのは許されん
人間ってすごい生き物。永遠に生き残ってほしい
ベタですが、人間失格で太宰治さんがすきになりました。
私は太宰さんのように異性にはモテませんが、太宰さんにはすごく惹かれます。同じものを感じます。
俺もそーだよ(笑)ほとんどの人が人間失格か走れメロスで太宰を知ったきっかけになった人がほとんどやと思う
芥川好きすぎて色々と真似しまくってるのしっかり黒歴史で好き。
けど芥川の様に一高には受からず、地元の高校行くところも好き。
芥川賞取りたすぎてめちゃくちゃ媚び売ってるのに結局取れなくて怒り狂ってるところも好き。
幼少期から東京に死ぬほど憧れてたところも好き。
参考書を東京からわざわざ取り寄せて買ったはいいも結局積ん読して全然やる気がなかったところも親近感湧いて好き。
わりと歴史的に近い偉人になりました。
天才は天才、今では芥川氏とも肩を並べるほど…
両氏とも教科書に載りますから。
でも文豪としても太宰氏は特別な存在になりました。
とても人間味があって、あやうくて、ほっとけない人……。
人間失格をよんだ中学生のころ衝撃をおぼえました。
…もう、この世を去ったんだと…
今になり自分にも当てはまるかなと、
凝縮された人生だったのでしょうね。
どう思われますか。
芥川龍之介芥川龍之介って百ぺんも二百ぺんもノートに書いてるのも好き?
芥川が生きていたら彼も生きていたかもしれない。
この人の小説読んだ時多くの事に共感出来た。
文面に出来るだけ凄いよ
太宰治は比較的今っぽい考え方の人間だと思う
学生の頃は太宰大好きでどっぷり太宰でしたが、最近は瑣末なことに追われこの時期に桜桃をみると思い出す程度です。
でも、この動画をみるとタイムスリップしたかのように浸れました。
桜桃忌にこんな素敵な動画に出会えるとは…嬉しかった。ありがとうございます🍒
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
古舘善四郎のインタビューはかなり貴重ですね。とても参考になりました。
コメントありがとうございます。初代さんの浮気話は有名ですが、その相手本人からの証言は非常に貴重だと思います。
生前によくこんなインタビューが取れたと感心しますね。
好きで好きでたまらない、というほどに愛される人でもある一方で、大嫌いだと言われても仕方ない人
万人に好かれるべきではない人ではあるが、それは作品にもあらわれている
人の弱さをこれでもかと言うほどに書き、それで救われる人もいる
悲しみに寄り添ってくれるメンヘラDV彼氏みたいな感じ
とても貴重な証言も聞けるいい動画でした
太宰治という作家の側面がよく分かり、改めて読んでみたくなりました
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
生で見てみたいけど、1度見たら惚れてしまいそうで怖い。
@@デュークジョーダン じゃあ俺入れて四奇人な。
いいなぁ、そこまで人から好きになってもらえるの。羨ましい
金持ちでイケメンで少し病んでる著名人となれば女性も母性本能がでるものなんでしょうかね。しかし人命を奪うのはいけない。道化の華を読むと田部あつみさんが可哀想で仕方ない。
@@デュークジョーダン 素敵な方ですよね。とても魅力的です。広島時代に、新天地の新天座前にあるワンダス写真館に飾られていた洋服姿の短髪の田部あつみさんも、また違った雰囲気で素敵です。
太宰に出会わなければ今頃はちょっとした芸能人として名を残していたかもしれませんね。
@@デュークジョーダン 素敵な方ですよね。とても魅力的です。広島時代に、新天地の新天座前にあるワンダス写真館に飾られていた洋服姿の短髪の田部あつみさんも、また違った雰囲気で素敵です。
太宰に出会わなければ今頃はちょっとした芸能人として名を残していたかもしれませんね。
もっと早く生まれて、会って、言葉を交わして見たかった。どんな声でどんな風に話す人だったんだろう。
最善は生まれ出ぬこと、次善は早く死ぬこと。
生きていく力
いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
昔、太宰の骨格から類推して、人工的に作られた「太宰の声」というのを聴いたことがあります。それは「もっと太宰治」という本に載っていたのですが、太宰治関係のある団体が提供しているもので、そこに電話を掛けると、「太宰の声」で、彼の「思い出」の朗読が聴けるというものでした。その声は、太宰の遺族の方が驚くほど似ているということです。私も一度電話して聴きました。想像とは全く違って、私の個人的な感想ですが、線の細い、やや金属的な、枯れた鳥のような声(説明が下手ですみません)でした。太宰ってこんな声だったのかー-。と、感慨もひとしおでした。それから何年かしてまた電話をかけると、なぜかそのサービスは終了していました。残念なことですが、「太宰の声」を聴けたことは、私の中では貴重な経験です。
私は絶対に会いたくない…こういう人巻き込むもん、周りを。特に異性関係。今の若い人達でいうサークルクラッシャー男子みたいな
@@花咲-z4o 楽観主義者の所があるからね、でもそこもまた魅力のひとつであり、人間として不完全な所が太宰治を形成してると思う、会いたいかと言われたら会いたいし、周りを巻き込むと言っても今のDQN程じゃないでしょ、まぁ愛人とかは巻き込むけどね太宰さんはw
@@デュークジョーダン 少しかすれ声でボソボソっと話す感じらしいですね。肉声聞いてみたいですね。
でも結局これが人間の本質なんだろうな。誰でも心の奥に闇を持ってる。太宰が1番人間らしい
太宰治ファンにとって残しておきたい貴重な映像なので永久保存版として残しておいて下さい
ヨボヨボのおじいちゃんやなあと思ったら太宰の先妻を寝取った人だと知った時の衝撃
わかる笑 思わず「えー!!」って叫んだ
昔は倫理観、道徳感が
今より低いから割と欲望のまま
行動する人々ばっかでしたから
不思議ではない。
まるで、今が倫理観のしっかりしているみたいだね。
@@is1937
昔と比べればね。
参りました。
自殺や自傷のトピックの可能性があるなんて警告初めて見たわw
普通によく見るよ
@@激辛キムチ-q9uこの人は初めて見たんでしょ。
太宰だから可能性もクソもないと思うが。誰でも知ってることだし、警告なんて要らないよ。
@@雲地雲国齋
誰でもは知らんやろw
病んでる時は普通に見る笑笑
実際に会ってみたかったなあ
実際に会いたくなかったなあ。作品は天才だけど
@@花咲-z4o 会ったみたいな言い方で草
1回だけ直接話してみたかった。
同感
酒とか飲んでくだらない話したかった、、
もう少し速く生まれて、先生に会いたい人生でした。いつか空の上でお会いしましょう。大好きです。
急にどうした?
もし、生きていたら、どんな問題児だったのだろう。どんな声のトーンで、どんな表情でどんな言葉を出すのだろう。
大好きで沢山本も読みました。私としては愛すべき駄目人間という想いです。どうしようもない、身内だったなら「しっかりせえ」とゲキを飛ばしそうな人物像です。才能があっても、幸せな人生を送れるとは限らないのだと思うと、もの悲しい思いになります。
どちらかというと愉快な気分になるけどなあ。ルサンチマンでなくても、才能がなきゃ幸せになれない世界の方が嫌だよ。
もし初めて読むなら
新潮文庫版の女生徒と題されてる短編集から読んで欲しい。ひとつの話が短くてよみやすいし、太宰治らしい良さが味わえるから。載ってる作品全部おもろいから。この人の作品は絶対に若いうちに読まないともったいないと思う。
\堤 康久0:01
「太宰のこういう…あるけども、ああいう感じじゃなかったですね。明るくて、物凄い高いユーモアで、それが吹き出すような話題で、死って言うのは感じなかったですね」
\林 聖子0:21
「やっぱり太宰さんはもう…仕事が一番したかった方だと思うんだけど、いい作品をねえ、それはもうずっと思ってらしたでしょう?そんなに死にたがってらしたかしら」
\野平 健一0:57
「四十ちょっと前だったけども、大文豪って顔はしてたねえ。決して自殺しそこなった人間だって言うのは、気配は全然ありませんでしたよ」
\ナレーション1:18
「太宰治は本当に生きることに疲れたのか、それとも最後まで生き抜こうとしていたのか。太宰治についてこれまで数え切れない程の本が書かれた。そのほとんどは作品を通して、作家太宰治に迫るものだった。去年、これまでとは異なる視点で書かれた評伝が発表された。600冊以上にわたる文献の調査、新たな関係者の取材、それは太宰治の行動を綿密に追っていくことで人物を捉え直す試みであった。作者の猪瀬直樹は三島由紀夫や川端康成など、自殺した大作家の人生に興味を持ち続けている。4年前太宰治を調べ始めた。果たして死を望みながら作品が書けるものなのか。自らの作家生活に重ねてみた時、新たな疑問が生まれてきた」
\猪瀬直樹2:36
「そもそもね、作家ってのはなんなの[ろ]っていうね、作家とは何ぞやってなるわけよ。で、まあ市場社会の海に漂ってるね、個人なんだけど。あの、農業の人もね農業経営者って言うでしょ。作家もね作家経営者なんだよね。つまり、[や]っぱりあの自分の書いたものが売れなければ、これは継続的に仕事ができないわけで、そう言う側面から作家ってのをきちんと捉えておかないと。実は僕自身も作家と言う仕事を始める時の迷いとか、それからその作品が出来上がった時の評価とか、あるいは次にどうしたら良いかとか、そう言う迷いの連続でしたから。太宰も当然そう言うサイクルの中で生きていたに決まっているわけで、そうすると『死ぬ死ぬ』とか言ってるけども、実際に事件を調べていくと死ぬ気は全然ないでしょ?ね?と僕は思っているわけ。まあ割と僕の本で証明したつもりだけども、全然死ぬ気はない。で、ある事件を作って、それからそれによって素材をさらにそこに付け加えて、そして作品化する。と言う風な繰り返しをやってきて」
\ナレーション4:02
「太宰治は本名津島修治。二十歳の時自殺未遂によって窮地を切り抜けた初めての事件が起きる。旧制高校の卒業を目前にした昭和4年12月睡眠薬自殺を図ったのである。津島修治は明治42年青森県屈指の大資産家の六男に生まれた。成績の良かった修治は旧制弘前高校へ進学した。弘前市内には70年以上前、修治が青春時代を過ごした下宿の部屋が今も残っている。どうすれば東京へ出て作家になれるのか。兄たちが実業や政治の世界へ進むのを横目に見ながら、修治はこの部屋で、文学で身を立てることを夢見ていた」
\5:07
「ここからこうして{つんどる(混んでる)の方面でいたもんでひょうなあと思うんでな}」
\ナレーション5:16
「高校時代、修治は実家の援助を受け仲間と同人誌を発行した。文学界で派手な話題を振りまく耽美派の作家たちの様に芸者遊びもしていた。真似ることが修治の作家修行だった。当時、修治に最も強く影響を与えたのが大正文学のスター、芥川龍之介だった。ノートの余白に書かれた自画像、写真を撮るときのポーズ、修治はいつも芥川を意識していた。その芥川が自殺して以降、時代はプロレタリア文学の全盛期に向かっていた。所謂資本家の搾取に抵抗する民の物語である。修治も同人誌に大地主である実家を批判的に書いた。修治は新聞雑誌部に所属していた。そこにはプロレタリア文学の作品を書き、注目されている先輩、上田重彦がいた。修治は自分の小説をよく上田の前で朗読した。しかし、厳しく批評されると直ぐに泣いた」
\上田重彦6:44
「一番手っ取り早くその…文壇に出るにはプロレタリア文学がいいと言う風に皆思ってた。からですね」
「彼自身にはその自信はあったんでしょうかね?」
「それはあったと思いますよ。とにかく文学好きで、それから彼はね…彼の下宿に行って分かったんだけれども、なんか{一棹}(太棹?)の三味線が掛かってるんですよ。それから部屋の佇まいでもねなんか非常にまるで{女形の楽屋}にでも行ったような感じでね、あの{緋縮緬の座布団}[が]あったりね、大分他の学生とは違ってました」
\ナレーション7:52
「上田たちと校内の雑誌に学校批判の文章を載せた直後、修治は睡眠薬を飲み自殺を図った。卒業の3か月前だった。実家は大騒ぎになった。その1ヶ月後、雑誌作りに参加したメンバーはほとんどが逮捕され、放校処分になった。しかし修治は卒業し東京帝国大学に進学した」
\上田重彦8:23
「しかしよく遊んでたんですよ、その…彼はね。あの…出席日数が足りないと卒業出来ないって言う事を苦慮してね、心配して、まああの自殺の真似をしたんだと思うです[よ]。家に対しての何か言い訳みたいなもの」
\猪瀬直樹9:00
「校友会雑誌にちょっとプロレタリア文学っぽい景気良いこと書いちゃったわけでしょ。でそう言うの[で]どうもその特高がうろついてるというね、その尾行してると言う情報が入ってきますから、当然その…彼は首謀者じゃなくて周辺にいただけだけれども、でもやっぱり影響はあるだろうと思いますよね。だからここは上手く戦線を離脱すると、言う作戦があったと思うし、それからまあ学校の成績もあんまり良くないと言うこともあるから、ここで一芝居打っとくと言うことで早く弘前高校からさよならして、東京に出て[い]きたいと、まあ卒業して出てきたいと、言うことはあったと思いますよね。自殺ってのは一つの方法として彼は自覚すると思います。太宰治はね。作家ってのは自殺{も}ありなんだなだと、でまあたまたま窮地に追い詰められたと、卒業も色々と間近に控えて弘前高校{で}ね、でちょっと睡眠薬を余計に飲んでみたと、で死ぬつもりはない。でそしたらまあ自殺未遂ですけど、未遂と言って[も]非常に簡単な未遂ですけどね。[そし]たらあの長兄文治。家長の文治が、お兄さんが、慌てて飛んできたわけでしょう。あっこれはやっぱり凄いことだなと、[や]っぱ死ぬと言う事を、まあある種の人質にするというか、そう言う風にしたら結構周りはみんな動き出しちゃうなっていう、そう言う事を多分ね、そこまでは予想してなくていたんだと思うけれども、ある程度は効果を見計らってたと思うけどね、思ったより効果があったなと、凄いなって言う[風]に思ったと思いますよ。自殺未遂における適正な分量、本当にたくさん飲んだら死んじゃいますから、どの位まで飲んだら大丈夫かって言う、一つ実験の経験的な数値として入ったと思いますけどね。それはまあ勿論後で何度も自殺未遂しようなんて計画立ててるわけじゃないけれども、後で活きてくるんですよね」
\ナレーション11:23
「修治は上京して半年後に再び事件を起こした。鎌倉の海での心中未遂、一緒にいた女性が死んだのである。修治は高校時代に青森の料理屋で知り合った芸者と結婚する約束をしていた。その芸者が上京し、まもなく一緒に暮らそうという直前に、全く別の女性と起こした心中事件だった。死んだのは田辺あつみと言う銀座のカフェで働いていた女性である。どこで話がねじれたか。実家が大地主だった修治は結婚すれば財産分与を受けられると見込んでいた。しかし実家は、芸者小山初代との結婚に強く反対した。修治が意思を曲げない事が分かると実家は、大学卒業までは仕送りを続けるが分家に伴う財産分与はしないと言い渡した。事件が起
(続く)
きたのはそれから凡そ3週間後の事である。この事件は薬を飲んで海に飛び込んだと言われてきた。しかし猪瀬直樹は、本当に睡眠薬を飲んで冬の海に入れば二人とも助からないと考えている。何故修治は鎌倉の海を選んだのか、二人が発見されたこの海岸は当時漁港として賑わっていた」
\猪瀬直樹(海岸)13:10
「ここ漁港ですから、夜…まあ夜中にここに着いてですね薬を飲んで寝ていると、朝の3時ぐらいにもう船が出て来ますから、[もう]直ぐ発見されるんですね。だからそう言う発見されると言う事を予想して、えーまあ自殺未遂事件を起こしたんだと言う風に考えていいかと思います。それでもう一つ、太宰には計算がありました。太宰のお姉さん、まあうんと年上のお姉さんですけど、その旦那さんがこの先の療養所で結核ですけれども療養所にいました。だからそう言う意味でここに土地勘があるし、いざとなったら%%助けてくれるだろうと言う読みがあります。もう一つは、太宰治のすぐ上のお兄さんがいるんですが、このすぐ上のお兄さんのその中学時代のお友達が、この鎌倉の警察署の刑事になってます。だからその人とも前に会ってますので、ここで事件を起こしたらそのお姉さんの旦那さん、あるいはお兄さんの友達の刑事、こう言う人達が多分自分を保護してくれるだろうと言う風に考えたと思います。」
\猪瀬直樹14:22
「未遂事件として上手くやるつもりだったのに、相方の女性が死んでしまいますよね。これは計算外なわけですよね。それはやっぱりショックでしょ。つまり、その成功する企画を立てながら、半ば失敗してるわけですね。相方が死ぬという事は、これはやはり自分が殺したようなものですから、罪があるわけですね。で法律的には自殺幇助で不起訴と言うことで罰は受けてませんから、罪{にな}れば罰が対応するわけで、法律的な罰を受けないとなれば、心理的にやっぱり罰を受けているという気持ちは残りますよね。トラウマになると思いますよこれは」
\ナレーション15:14
「修治は事件の前に初代宛ての遺書を残している。『お前の意地も立つ筈だ。自由の身になったのだ』財産分与の無い初代との結婚はこの事件でご破算になるはずだった。しかし初代は母親の説得を受けて地主の息子修治との結婚を選んだ。二人は一緒に暮らし始めた。昭和10年、大学生として6年目になろうとする春。修治はまた、鎌倉で自殺未遂事件を起こした。修治は実家から仕送りを受けながら学校へは行かず小説を書き続けていた。この年の2月、太宰治の名前で商業雑誌にデビューしたが、とても原稿料で食える状態ではなかった。そして3月、まもなく仕送りの期限が切れるという時、同じ青森出身の友人を誘って横浜へ遊びに行き、その帰り道、姿を消した。太宰がいなくなり東京の仲間や青森の実家は大騒ぎになった。しかし、一緒に遊びに行った友人、小館善四郎は横浜へ向かう車での太宰の様子から、全く自殺を心配していなかった」
\小館善四郎16:53
「なんか檀一雄とかね、みんなね心配して[い]るんですよね。私は死なないと思ってたけどね。[こう]車の中でね、ヒモをこうやってねこうくるくる回したりね、取ろうとするとひゅっとこう隠したりね、そう言うことは全部あの…なんか演出してるんでしょうね。見せかけの自殺の証人にね、なると思ってたんでしょう」
\ナレーション17:33
「失踪から3日後、太宰は戻ってきた。首には赤いミミズ腫れがあった。この自殺未遂の後、実家からの仕送りは1年延長が決まった。太宰はこの後、文壇への足がかりを芥川賞に求めるが願いはかなわない。芥川賞の落選以降、薬物中毒がひどくなり病院に強制入院させられる。その入院中に太宰の想像もしないことが起きていた。弟のようにかわいがっていた小館善四郎が、妻初与と間違いを犯していたのである。太宰はそのことを退院後、小館本人の口から告白された」
\小館善四郎18:35
「初代さんと間違いを犯しちゃうんですけどね。それ[を]またね、隠しおけなくて、太宰にね。トイレへ、二人でトイレへ立ってこうおしっこ[を]してる時なん[で]すよね。初代さんとこう言う間違いを犯したって言うことをね、彼に告白した。というのは結婚したいとかそう言う事と[は]全然違う。ああいうことは本当は黙ってるとそれなりにね、それなりに何ていうこともなく太宰夫婦もね」
\ナレーション19:31
「芥川賞の落選、薬物中毒による強制入院、そして妻の不倫、太宰治はまた心中未遂事件を起こした。初代を連れ群馬県の水上温泉に行き、薬を飲んだのである。しかし二人とも死ななかった。太宰は初代の叔父に迎えに来るように電報を打った。そして初代を置き去りにして、一人で旅館を後にした。初代の叔父、吉沢祐五郎はその時の様子を妻のみつに語っている」
\吉沢みつ20:17
「部屋の中には初代ポツンといて、太宰さんはどっかの宿屋に行っちゃったと。でそこのね経緯なんかは何も喋らないんです%%%。ただ小窓から見た景色が、目の前[に]まで山が迫っていて、もう雲が雲とか霧とかのがうわーっとこの目の前を流れていって、寒くて凄かったなあーと。でその部屋にポツンと初代が一人残されていて、まあこれが夫婦の別れのねシーンとしては、場面としてはかなりね厳しいなって思ったってこと[を]言ってました。汽車の中で水上の方を何度か振り向いたって言ってましたねぇ。初代が向かい合わせに座ったんだよーって、そしたらあの目にゴミが入ったとか何とかって言い訳してね、何回か振り向いて泣いてたなって。力になってくれた、女だったんですよ。ちょっと津軽弁で喋ったってつとかでしょ、面白いしさ。それで質屋から帰ってきたお金でやりくりしてお料理作れば凄く上手に作るんですって。[ほ]だからね檀さんなんかも言ってましてけど、料理は上手でしたねえつってね。それでとってもね美味しくね食べて、どれだけ太宰{がね}食べたか[は]分かりませんけど%%%%ど、そう言う風にしていたんですよ」
\猪瀬直樹22:26
「別れ方の空間を作るというか、そう言うまたこれ[は]太宰の企画力ですよね。それ{はやる}しかなかったんでしょうね。まあ清算したかったんでしょう色々ね。初代と共に全部清算したかったんですね、今までの事は。清算って言うのは簡単にいかないですよね。貸借対照表でその支、負債の項目が凄い多いわけですから、これはね。それまでやっぱりそのずっと弘前高校で自殺未遂やって以降あの…田辺あつみとの心中事件、これも失敗。あと鎌倉で首吊りの失敗してますよね。そして初代と別れると言う、色んな事[を]含めて、負債の項目がうんと多いわけですよね。負債の項目って言うのを、これどっかで{不良債権}みたいなところで全部チャラにしたいんだよね。それ出直さないと負債抱えたまんま前に進めないとこ[ろ]あるでしょ、それもあったと思う。『姥捨』って言う作品では、妻がねあの自分が死にたいと言ってる。それをまあ夫である太宰が%%%ですけども、{止め}ようとしていると言う、そう言う風に書いてあるけれども、実際には『姥捨』と言うタイトル自体がもうそういう本音が出てますよね。つまり、妻である初代を捨てると言う、姥捨っていうのはそう言う事ですよね」
\ナレーション23:57
「二年後太宰は二人目の妻、石原美知子と結婚する」
\猪瀬直樹24:05
「今度は石原美知子と言う高学歴の有能な秘書ですね、そういう女性と結婚した。そうすると今までの溜まっていたものを一気にそこで吐き出し%たんですけども、書けるようになったんですね。だからまあその都度その都度ね自分の目的に会った女性に切り替えたというか、そこはもう徹底して自分本位ですね」
\ナレーション24:40
「東京の三鷹で石原美智子と
(続く)
の生活を始めて間もなく、ついに中央公論から執筆依頼が来た。当時この雑誌に作品が乗れば分檀で一人前の作家として認められた。これまで太宰は自殺未遂や薬物中毒など、自分の体験をもとに数多くの私小説を書いてきた。歴史や伝説に小説の題材を求めることもあった。だが原稿依頼は日増しに増え続けていく。太宰には新しい創作の源、何らかの素材が必要だった。太宰の元に有明淑子という女性から日記が、送られて来た。太宰に憧れ、読んでもらいたいと言うのである。太宰はこの日記を素材として、まったく新しい物語を作り上げた。この作品『女生徒』が評判を呼び、その後太宰は他人の日記をもとに多くの作品を残していく。太宰の家に出入りしていた文学生の堤康久も、弟の日記を提供した。そして『正義と微笑』という作品が生まれた」
\堤康久26:11
「兄貴が『先生僕の弟の日記がちょっと面白いんですけども読んでください』っつったらば、太宰さんがその日の別れる時に、吉祥寺の駅かな…別れる時に『君、その日記は必ず持ってきてください』って、それで僕に無断で{太宰}さんに渡しちゃったらしいんですよね。{太宰}さん、それ全部読んでパーッと書き始めたらしいんですよね。兄貴の言葉借りると、ギャーって光った{宝石}の様なね、なんかみずみずしい日記になったって言ってましてけど。全く違ったような感じの小説だけども、でも僕のなんか…あの…まあ家庭のとってもいい幸福さって[言うんで]すかね、幸せさと言うかそう言う家族の幸せと言うかそういうな…太宰さんが書いてくれて良かったなと思いますね」
\ナレーション27:37
「太宰治の代表作『斜陽』も、太田静子という女性の日記を素材にして書いた作品である」
\猪瀬直樹27:49
「作品は、あのディテールと言うか本当に細部が命ですから。そう言う素材を集めてくという事は絶対に必要なんですね、取材行為と言うのは。で、井伏がまあ仕事上のですね、まあ師と言うかまあお付き合いと言うか井伏のお手伝いを、%年齢がずっと上ですからね、お手伝いをすると言うことがありました。で井伏鱒二はもう…売れないんですね、彼は。だからどんな%便利屋的な原稿をいっぱい書いてるんですね。で時々いい仕事が来ると、で{あとは}書けない中々。たまたま『青ヶ島大概記』と言う八丈島の噴火の話があって、それは記録があるんですね、『八丈実記』と言う。その記録をそのまま青ヶ島大概記と言う{とこに}写してるんですね。それを写すのを太宰治は手伝ってるんですね。でそのままポーンと原稿渡してますから、{あ、ほんと}写せば出来ちゃうじゃないのって言う風にね、太宰は思ったと思いますよ。太宰はやっぱり、自分の作品をもう一個ステップアップしたいと言うか、完成度を高めたいという、そう言う意味では芥川龍之介のイメージがずーっとありますから、自分は良い作品を書くんだと、良い作品を必ず後世に残るんだと(残すの言い間違い)言う気持ちが強くありました。それが井伏鱒二と太宰治の違いで、だから太宰治は作品のためだったら何でもすると、そこは悪漢ですね。悪人ですね。ピカレスクだと思います」
\日本ニュース29:19
「斜陽、その他独自な作品で知られた小説家、太宰治氏は、6月13日山崎富栄さんと共に消息を絶ちました」
\ナレーション29:33
「死の前年、太宰が発表した斜陽はベストセラーになった。死の1カ月前には『人間失格』を完成。さらに朝日新聞にも『グッド・バイ』のタイトルで連載小説を書き始めたばかりであった。多くの愛人たちと別れ、最後に妻に捨てられる男。軽いタッチで書く構想もできていた。文芸誌に1年間の約束で書き始めた『如是我聞』も、まだ4回しか書いていなかった。当時、如是我聞を担当していた編集者、野平健一は家族ぐるみで太宰と付き合っていた」
\野平健一30:27
「そして僕のところのあれ、如是我聞も一年やるっ[て]約束でやってんだもん。だからそんな突然自殺するような事になるとは全然考えてもいないよ。だからびっくりしたんだよいなくなった事で。えだから女の人を殺しちゃったりさ、そりゃ批判があるよ当然。だけど口にするわけにはいかないけど、マイナス面が非常に彼はしょっちゅうしょってんだよ。だからこれを清算する時がどっかで来るとは思ってたわけで、だけどそれはちょっと早すぎるっていう感じも同時にあった。だって朝日{の}ね連載始めて10回ぐらいなんでしょ?発表し始めて」
\林 聖子31:32
「太宰さん無頼派とかね言われてらっしゃっ…言われてますけど、あの…夜中とか書く方じゃないんですよ。朝、やっぱりきちんと午前中から仕事なすって、それで夕方には一応パッとやめられて、さあ一杯ってそう言う風でした。ですか{ら}ねえ」
\ナレーション31:58
「林聖子は当時、出版社で編集の手伝いをしていた。太宰の作品『メリイクリスマス』に出てくる少女のモデルになった女性である。太宰は彼女の母親とも親交が深かった」
\林 聖子32:16
「うちのね母はね、太宰さんがね死ぬんじゃないかしらとか言ってた。あんまりそう言うもんですから私が野原さんか野平さんに、なんかうちの母がそんなことを言ってるのよってことをね言ったんですよ。そしたらねそれがどうあの…あの…太宰さんの耳にそれが入りましてね、太宰さんちょうどその時忘れもしない左側にね歩いてらしたんですよね。そしたら『聖子ちゃん、僕が死ぬって言ってるんだって?』っていきなり言われて私もう胸がドキドキしちゃって、で『私じゃなくて母が言ってるんだ』って事を言いたかったんですがね、あんまりいきなり言われたもんで、あの…何も言えなくってもう言葉が出なかったんですよね。そしたら太宰さんが『僕は死なないよ』って『あの子をおいては死ねないんだ』ってそうおっしゃった。息子さんのねえことだと思うんですけれど」
\ナレーション33:33
「家庭の幸福は諸悪の元と書いた太宰だが、2度目の妻美知子との間には3人の子供をもうけた。女の子が2人と男の子が1人だった。男の子は生まれつき障害を持っていた」
\野平ふさ子34:02
「こんなことして踊ったりするのよ、そうすと『こいつはひょうきんなとこがあるやつでね』とか言ってね。ホントに優しい顔してさ、その編集者かなんかがお世辞に『お可愛らしいぼっちゃんですね』なんて言うとね『うーん』なんて言ってね、少し経つとね台所にねある埃だらけの一升瓶からね、お酒をコップに注いでねぐっと飲んでね、またねその編集者の方にね、行ったりしてたからさ」
\林 聖子34:38
「これ三鷹の駅の近くの若松屋さんって言う屋台の、ウナギ屋さんの、これ暖簾なんですが、ここへいつもね太宰さんあの…中の方のベンチに座ってらっしゃ[る]んですよ、屋台の。だから通りがこう、通る人が見えるのね。私がこう会社の帰り通ると『関所だよー』とか言ってね」
\ナレーション35:10
「太宰は心中した美容師の山崎富栄と三鷹の飲み屋で出会った。気が利いてよく動く富栄を『スタコラサッちゃん』と呼び、可愛いがった。いつしか太宰は富栄の部屋で仕事をするようになっていく、富栄は太宰をできるだけ人に会わせない様にしていた」
\林 聖子35:39
「富栄さんのあの…日記の中でね、太宰さんが随分喀血なすったり、凄い身体が先生悪いって言う風に書いてらっしゃるんですけれど、それは私とっても不思議なの。さっちゃんは少し大袈裟にね、あんまり太宰さん大事に思ってらして、太宰さんがちょっと『具合悪い』とか言うとホントにそれをまたね、しっかりもっと『あっ大変だ』つって大きく受け止めちゃったんじゃないかしら。なんかそんな感じはするの、だってそんなにね具合悪そうじゃなかったですもん」
(続く)
\野平健一36:29
「あの無くなる年の3月にね{突然的}に言い出したんだよ、彼は。この部屋にね、彼女は青酸カリを隠してるんでね君が探してくれって言うんだよ。僕はとてもそんな事は出来ないって言ったの、人の押し入れまで上げてね、そんな物探し物するわけにはいかないって言ったんだよ。僕は断ったよ。トイレ%%廃棄しようと思ってんでしょ、そんな物があってさ脅かされる感じになるのが、ちょっと彼は我慢できないんだよ。彼はその頃はもう作品がピークになろうと乗ってたんだからねえ」
\ナレーション37:29
「太宰が行方不明になった翌日、野平健一と林聖子は玉川上水の土手を歩き2人の痕跡を探した。玉川上水は自殺の名所だった」
\林 聖子37:45
「いやあそこはちょっとあの…歩道と言うのかな、普通みんなが歩く道からちょっと高くこれぐらいのこう高くなって[る]んですよね。でその上をこう歩いてちょっと行ったら、ガラスのこう言うこれくらいのお皿があってて、置いてあって。それとなんかねハサミとかねこれぐらいの茶色だったかなあ、あの…色の付いたビンがあったんですよ。このお皿って言うのはねガラスのお皿でね、さっちゃんところへ行くと、よくおつまみをねピーナッツなんかをそれに入れて出してくれてたお皿だったんで、まあよくあるお皿なんだけど。それで、あっこれは見覚えがあると思って、そしたらその横にこれぐらいの幅で、あの…雨降って草があの…こう…こうなってるでしょ?そこをなんか下駄みたいなものでグーっとこう抉った様な、レールを引いた様なこれぐらいの幅でねずーっとあったんですよ。それで、あっここからだって野平さんと二人で、ここから…なんかねあったんだって」
\猪瀬直樹39:21
「作品をね、書いていくという事はもうギリギリの場所、やっぱり死ぬという事をどっか人質にしている場所なんですね。そうすると『桜桃』で涙の谷と言って、ね?奥さんのおっぱいとおっぱいの間が涙の谷であると、家庭は大事であると言いながら、一方で家庭の幸福は諸悪の元だと、こう言ってるわけでしょ。でこっちは日常性で、こっちはその日常性を否定する側ですね。これ両方が太宰の中にはある。その境目をずーっと彼は生きてくわけですから、そうするとまあ、こちらの非日常的な部分って言うのは死の部分ですね、こっちは日常的な部分ですね、両方ずーっとこう段々段々選択肢がですね、非常に狭いところに行くと思いますよね。で日常的日常と言うかまあ普通のマイホーム主義と、それと心中事件を起こすという二つが重なり合ってるわけで、僕[は]あの…作品とかそう言うどっち側にも行っちゃ駄目だと思うん[で]すね。死んじゃったら終わりだし、書けないわけだから、ね?で、マイホーム主義でただ日常性だけがいれば%%%惜しいですからこれは、その間をどうやって生きるかと言うか、その間に作品の恐らく一番その…真実味がある世界と言うかね、そう言うのあると思うんですよね。それを太宰は段々段々迫っていった。常にこう…平穏な日常に対して何かを投げかけて行くわけですね。ですからそれは作家だと思うんですね。その場合には、だからまあ極端に言えば全ての作家が{ある意味誰もが太宰}治であるわけで、非常に日常的な家庭の幸福みたいな物と、そうじゃなくて作品のためにあらゆる物を犠牲にするっていうもう一つの心と、[こ]の二つがあってやってるわけで、これをただ続けてくしかないわけですよね」
\ナレーション41:46
「太宰治は死の淵を覗き見ながら最後まで作家として強かに生きようとした。私たちの前にあるのは、死のうとした作家ではなく、生きようとした作家の作品である」
"\"は発言者の名前または肩書
"%"は認識不可
"[]"は完全に発音されていない部分(省略の補完)
"()"は注釈・コメントなど
"{}"で囲まれた部分は不確実
意味がないと感じた感動詞は省略しています
誤字脱字の指摘、改善案などお待ちしています
感謝
文豪は自分より先に生まれ先に死んだからなのか、とても昔の人間だと思ってたけど、映像の中で実際に太宰と出会った者が話していると一気に太宰治という文面の文字と写真でしか見てこなかった男が本当に現実にいたのかと驚きました。
そして太宰治を調べたのが猪瀬さんというのも驚きました。現在は政治家としての印象が強いので、作家・研究者としての面が見れるのは貴重ですね。
文豪と聞くと、悲しい過去や背景を持っていたり、自殺したり病死する等悲しい死を迎える陰気なイメージですが、実際どんな人間かは他人から見た彼(彼女)もしくは本人にしか分からないでしょう。
現代に太宰治が生きていたら、彼はどんな生き方をしたのだろう。彼はどのように「生産」していくのか、はたまた自死を果たすのだろうか。
太宰治の生き方は賛否両論あるが、彼の作品は教科書にも載っている程今でも多くの人に読まれています。それは、太宰の様な人間が今の日本にもいること、そして浮気や不倫、自殺中毒や薬物などの何かに依存する性質を持つ日本人が老若男女、学歴社歴関係なく、いるからなのではないでしょうか。また完全にそうではないが、今後太宰のような者になるかもしれない者も…
人は多面的であって側面から見ても半分も分からない。おそらく作品のなかにこそ心の真実が表れていると思う。
たいへん貴重な映像だと思います。亡くなる昭和23年ごろ、それほど衰弱していたわけではなかったようですね。太宰治についてはまだ知られていないことがあるのではないでしょうか。
このような貴重な映像が残っていることはとても凄いです。私は、太宰治氏の小説がとても好きです。自分は、貴重な映像が見れたことがとても嬉しく思います。
想像より複雑な人間でした
昔のNHKの雰囲気好き
私は、坂口安吾が語る太宰 がもっとも腑に落ちる。 彼の書いた「太宰治 情死考」が、もっとも真実に近いと考える。
お道化のプロだったんだなあ…としみじみ思った。
自分を理解してくれる人はいない、満たされない、とばかり思ってしまう究極の寂しがり屋さんというか…
理解して欲しいと思いながらも本当のところは「誰にも理解されない自分」に酔っているような節を感じる。
思春期のまま大人になった人とでも言うべきかなあ。
思春期のままってのはそうかもだお。今で言う中二病やらヤンデレやらかまちょやら、それぞれが滑稽ででもどこか自分にもあって気になっちゃうもんだよね。当時は気張って皆生きてただろうから太宰があえてそれを出して、小説ってのがまたいいんだよね。一人でこっそり読めるし、注目の作家の作品なら話題にぽろっとだしちゃってもお前そんなの読んでんのか、女々しいななんて思われることも少しは緩和されるだろうし
思春期でなくても人間なんてそんなもんだと思うけどね。
人間失格の葉蔵そのものですね。
今生きてたら多分Twitterで永遠と呪詛を書き散らしてたのかな。
自分に酔うしか無かったんでしょうね
聖子さんの話し方がとっても太宰先生の小説に似てる。大好きだなぁ。
太宰治の大ファンとしてありがたく拝見しました。彼の作品を読む人々ににぜひ見ていただきたいと思います。
苦しんだ人には苦しんでいる人にしか分からない世界がある。
それは普通の人には決して分からない。
骨折の痛みは骨を折ったことのある者にしか分からない。みたいに、当たり前の事をそれっぽく言ってるだけですね笑
@@doyouknow280-k7i 骨折の痛みどころか今の日本人は蚊に刺された痛みさえ分かち合えないから自殺者が3万人もいる国になったんだよ。
@@doyouknow280-k7i 小泉構文みたいな感じか
やはりそうなんだよね
だからね、痛みを知っていれば知っているほど優しいんだよね
この番組の登場人物皆さんがお話が上手だからこれも1本の小説ですね。
太宰治の友人であった画家・小館善四郎(こだて・ぜんしろう)さんの実録インタビューは、16:30 あたりから 19:30 までたっぷりと時間を使って収録されていますね。後のための私自身の覚書として、ここに書かせて頂きます。
小館さんの若いころは美しく、晩年も、かなり男前ですね。
太宰治も男前ですが。。
それでも太宰さんも太宰さんの作品も大好きすぎる
到底、善人とは思えないけど、凄い好きっていう矛盾な感情がある。自分と同じ世界で住んでたはずなのに全く自分と違う世界の人のようで(まとまんない
凄い‼️感動です
生死の真ん中を綱渡りで歩くピエロ道化師のようだ
さだまさしさんの道化師のソネット聴くと
いつも太宰治が頭に浮かぶ。そして号泣する
感性が死んでる
でもいいよね、それだけ人を惹きつける才能あるの。ずるい、羨ましいです。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が、人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
@@紅海月-q3x感性が死んでたらこういうこと思わない。太宰治だって小説を書かない、書けないと思う。
同時代資料どころか、当時の太宰の関係者が
そのまま証言してるのがめちゃ貴重・・
初代さんとのエピソードを話す「みつ」さんは、あの『姥捨て』に登場する女将さんですかね
古館善四郎の実録インタビューが聴けるとは思ってもみませんでした
今まで太宰作品で読んだ数々のエピソードが甦って来るようです
「東京八景」を読むと彼の実像がよくわかるよね。
のらりくらりと生きてて、日々の瞬間は、驚くほど楽観的に生きてるよね。
究極の楽観主義者だと思う。
@@デュークジョーダン そうですね。太宰はほとんど真実を書かない人ですよね。完全犯罪を夢想し実行し続ける確信犯に似ていると思います。もしかすると彼の書く目的は諸事件の偽装工作ではないか、とすら思われるくらいです。まあ、これは極論で言い過ぎかもしれませんけど。
だからやっぱり、双極性障害感。明るい時とそうじゃない時の差が激しくて、自分でも何故変にテンションの上げ下げが起きるかわからなかったのでは
究極の楽観と究極の悲観を行ったりきたり。でもそこまで周りを惹きつけられる力は本当に羨ましいです。
@@花咲-z4o人を障害者に当て嵌めて言うのってとっっても失礼なことですよ。恥です。やめましょう。
16:45 これが真理だろ。
亡くなった人のことだし、本と僅かな写真でしか推し測ることはできないけど。
太宰はふっと自分が消滅してくれるのを願っていたけど、自殺が直感的に怖くて誰かに一緒にいてほしくて、生き残ったら当面の苦しみを癒すためにふざけ回る、そんな人間じゃなかったのかな。
側から見るぶんにはいいけど、関わりたくはない。(同族嫌悪かもしれない)
関わりたくないのわかる。こういう男の人一番嫌い。周りの女も、奥様以外皆嫌い。不倫は駄目です
純粋すぎて図々しくなれなかった、歳とっても。
太宰治の生家が旅館になっていて泊まりに行ったことがあります。
客室には程遠い部屋で、重苦しさを感じました。
隣の大広間で一晩中宴会をやっていて全然眠れなかったです。
居心地の悪い家と言っていた意味が少しだけ分かりました。
文学が好きな人は一度ははまる「太宰治」氏。私も分かりし頃は憧れたものだ。これを見ると実像はだいぶ違う。波乱万丈な人生を自分で作り出していたような。関係者の証言は貴重。作品は残る。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が、人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
もう文豪に実際に会ったことある人も亡くなっていくのか…。
人間失格を読んでて正に「人間失格」ってとこで息が止まった。そして一気に脱力して感情移入しまくってたのか自分もそうだと絶望した。
狡猾であろうとしたができなかった男、でもこそ好きなんだよなぁ。
だからこそ、今も墓の溝に桜桃をぐいぐいと詰めてしまう。
作品を通して文豪たちの人間性を自分なりに解釈したり紐解いていく楽しさを知って読む機会が増えました。
コメント欄を読んでてこんなにも捉え方が違うのかと知れて面白かったです。ありがとうございました。
「分かる」なんて一言で片付けられるなんて太宰も癪だろうけど、分かる。と言いたい。優しさと弱さと独自の考えとある種の名誉欲が一つの箱に共存してるなんて、言葉に表したって理解できることじゃないけど、実際にそれはある。ある者には共感できる。雑に片付けると気難しい人間やるのは気難しい人間には難し過ぎる。
久しぶりに感慨深い動画を拝見しました。小説に生涯を捧げた太宰の最期は彼らしいと思いますよ。
私の知人に何度も自殺未遂をしたことのある人がいますが、直後、警察沙汰になり周りに迷惑をかけたことも、死んでいたかもしれない事に対する恐れや
後悔は全く感じられず、まるで他人事のように話していました
「何で、自殺するの?」と聞くと「分からないけど、したくなる」と答えるので、本人にも分からないのだから私に分かるはずがないと思いました
結構、衝動的に自殺してお亡くなりになっている方は多いのかも知れません
確かに自殺する人はそういう人が多いのかもしれませんね。逆に理由がはっきりしていたら自殺しないのかも。
私は太宰を愛読する韓国の大学生です。 日本語ができなくて理解できませんが、いつか日本語を勉強して翻訳なしで太宰の本を読んでみたいです。 東京旅行中に行ってみた三鷹は大切な思い出としてあります。 翻訳機を使っているのでぎこちないです、ご了承ください。
なんかすごい生々しいし、貴重な映像。
もうすぐ桜桃忌ですね。太宰の作品の中で一番好きなのは津軽ですが、同じ思いの人いますか?
私も津軽が一番好きです。太宰治という人間の生の姿が垣間見えるのとその時代の香りが漂う貴重な作品だと思います!
タケさんの存在は大きいと思う
いなかったらもっと荒んでいただろう。
突発的な死に対しての野望はあったと思う。でも本当に死にたかったわけじゃない。
死にたいけど死にたくない、矛盾してるけど今でもそういう人多いですよね
明るい性格も、暗い性格も、
どちらも本物の津島修治だと思う。
時代が関係していたのかな……
『人間失格』のはしがきで「人は拳をにぎりながら笑えるものではない」みたいなことが書いてあるように、自分の暗い地金を人に晒す必要はないし、できれば知られたくない。
「自殺をするような人じゃない」と言われる人ほど隠してるんだよな。
だけどさすがに限度はある。
@awesome えーと。
上の文は太宰のすごさを言っているんではなくて、「明るい印象の人でも、病んでる場合があるよね」という事です。
太宰はその最たる例で、常に陽気な自分を演じていました。
これは動画内でも言及されていますし、小説のなかでも「お道化は他人に対する最後の求愛」と表現されています。
太宰は作家としてはすごい人ですが、1人の男としては褒めれたものではありません。
芥川賞に落選して川端康成に「刺す」と言うくらいにはぶっとんでいます。
一つ気になったのですが、「歴史上の人物に勝手にしちゃってる」とはどういう意味ですか?
美化してしまっているということでしょうか?
それに「歴史上の人物」という表現は500年くらい前のかなり昔の人間に使う表現であって、昭和初期の文豪はそれに該当しないと思います。
人間失格読んで本動画を見ると、太宰の言ってる、お道化ってこのような事なのかなって思う。
要は、ずっと演技してたんだよ。最近自殺した上島竜兵さんみたいに。
@awesome はいはい流石猫アイコン。
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が、人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
編集者たちや日記の作者だった方の話はとても興味深かったです。また一歩太宰治に近づけたような気がしました。猪瀬直樹さんのお若い頃は今と少し感じが違いますね。
コメントありがとうございます。太宰の近くにいた方々の生の証言は興味深いですね。
猪瀬直樹はなぜこの番組に関わったのか、ご存知の方教えてください。
@@reikoamano102
なぜって、太宰の評伝を書いたからでしょう。
小館善四郎氏を拝見できるなんて思わなかった。すごい。
コメント有り難うございます。
太宰にしても、小館善四郎にしても、完全に想像上の人物なので、こういう映像やエピソードは、息づかいがかえって現実味がないというか、とても不思議に感じてしまう自分がいます。35年前、中学生の時、好きで好きでたまらなかった。今で言う2次元の世界、ですかね。今回は本当に感激しました。長文失礼しました。
@@デュークジョーダン 古館保さんと言えば田部あつみさんと直接会ったことのある方ですよね?凄いな。羨ましいです。
無理をせずに、 がんばって ほしいです。
若い頃の際立った「眉目秀麗」な顔立ちを見ていると、なんとなく、アメリカの作家、フィッツジェラルドが思い浮かぶ。その繊細な作風も、どこか似ている感じがする。ヘミングウェイとともに、「失われた世代」を代表する作家だが、あくまで個人的な感想ながら、太宰治は、日本の「失われた世代」の象徴的作家ではないかと。ヘミングウェイやフィッツジェラルドは第一次大戦後のそれで、太宰は、もちろん、第二次世界大戦後のそれとして。今もなお、人気、特に若い世代の読者に人気があるのも、似ているような。
太宰さんの本、好きです。
なので生い立ちなども知っておりましたが、興味深い‼️
真相はわからないけど、太宰さんは「人たらし」だなぁ。
この人は、凄くズルい人に見えるんだよな。
確かに。それはわかる。
境界性人格障害だからね。
高校の時、人間失格を読んだ時の衝撃を思い出しました。
自分自身に幻滅し、迷いが多い時期でした。でも読み終えた後、こんな私でも生きてもいいんだと思いました。
自分の中の毒をこんなにさらけ出す心の中をエグるような描写に、逆に自分の中の毒が崩壊されていくような、なんとも言えない感覚をこの映像と共に思い出しました。貴重な映像をありがとうございました。猪瀬さんの最後の言葉がグッときました。
初代さんと間違いを犯しちゃうんですけどねは草
せっかく太宰を知る貴重なお話に夢中になってたのに初代さんとの間違いが頭から離れなくなってしまったので同士がいて安心しましたwww
ついこの間、人間失格を初めて読みました。私自身の思考思想、生き方の類似の多さに驚愕しました。
私は自分自身がとても嫌いです。恥ずかしい人間です。
彼の最期は自らなのはなんとなくわかります。私はそうはならないように生きたいと思います。太宰治の他の作品も読みたいと思います。
戦後の新しい文学の世界で再生して次世代太宰文学の創作で活躍してほしかったです。根底に聖書がある限り、死と背中合わせの壮絶さ、は感覚的には本人の中にはなかったのだろうなと思います。
青森の生んだ二大スター太宰と寺山に嫉妬?の猪瀬の言う貸借対照表とかの計算的人生は猪瀬自身のことのようで、太宰は文学的人生そのものであると思います。
太宰治は愛人に首を絞められながら引きずられ玉川上水に入水したといわれています。
理由は玉川上水や飛び降りた橋には引きずられた跡があったこと
彼を知る人物が「自殺するような人じゃないと証言したこと」
愛人の遺体のは死顔は「はげしく恐怖しているおそろしい相貌」だったのに対し
太宰の死顔は愛人の死顔とは対照的に穏やかでほとんど水を飲んでいなかったことから、
太宰は入水前すでに絶命していたか仮死状態だったと推測されたためです
(この説は諸説ある中の一説にしか過ぎないのであまり真に受けないようにしてください)
どうなんだろ。個人的には自殺する時は一人で死にたい。人といると疲れる、何故こんなに疲れるかもわからない
そもそも愛人とか、不倫は駄目だよ。何苦しそうな顔でその女死んでんだ、くだらねー。
@@花咲-z4o 1人じゃ勇気がないんだろ
太宰の魚服記を取り上げ、留守晴夫・賢者の毒が、人間の不幸、悲哀の視点から話してゐます。ご参考までに。
検死によって、そのような事件性はないと判断されています
太宰は生前首吊りに失敗した際に首に残った痣が、酒に酔うと浮かび上がったと言われていますから、それを見たのではないでしょうか
共に情死を遂げた山崎富榮様に対する、太宰界隈からの根拠のない誹謗中傷、無理心中説が幾らも飛び交いましたが、その殆どは何の根拠もない謂わば太宰を奪われたことに対する嫉妬心からくるデマカセでした
今日、6月19日桜桃忌ですね。合掌
御伽草子が好きだった!(彼がちょっと明るい頃に書かれた小説)
とんでもないレベルの野心家だったと思う
実家は大金持ちで父親も長兄も社会的にトップクラスだったからこそ、自分の命を賭けた分野でなんとしても、どんな手を使っても成り上がってタメはる必要があった
しかも、実家金持ち、東大、筆まめ、ユーモアのセンス、長身でイケメンなら、周りの女性も放っておくわけがない
やはり彼がいまだに文学界のアイドルだけのことはある
太宰さんの実際の声を聞いてみたかったなぁ
なんかのRUclipsにあったようなきがしますよ
今日は桜桃忌、興味深く拝見しています。
2023年6月19日
古館さん初め拝見しました。よくインタビューに応じて下さいましたね。貴重な映像、興味深かったです。若気の至りかもしれませんが…初代さんも、裏切られた太宰さんも可哀想に思います…。
太宰さんの最期は残念です。マイナスの人とマイナスの人が出会ってもプラスにはならなかったということですね。苦しみながらも生きてほしかった。○を留めさせるような女性と出会っていればよかった。
1953年生まれですが、当時の若者は大宰治に共感し、かぶれるのが 学生のステータスのようだった。
就職の面接に「好きな作家に大宰治と言うなよ」と父が行っていたこと(笑)
今思うのは、こんな男と結婚したら、とんでもないことにって😁
自己矛盾を抱えながら生きることが、人間の本質なのかもしれないですね、そんなことを太宰治先生から教えられた気がしました。