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陸路は平坦が少なく高低差もあるので馬車牛車の輸送は広範囲には及ばなかったな。河川含め海産物農産物の輸送は船舶による大量、広域なリレー輸送。
中華や南蛮に日本が侵略されない為にはまず国内を統一しなければならないと考えてたのって、信長と秀吉以外誰かいたのだろうか?
めっちゃ聴きやすい声
逆に言うと、山間部で農業生産力が低く、海に囲む面してなくて貿易も難しいところはあんまり豊じゃなかったってことか
近江は琵琶湖があった事で、水不足にならなかったので、石高が増えたと思います。昔は水が生命線だと思うので。
信長って一代で成り上がったみたいなイメージもあるかもですけど、たしかに版図の話をするとそうですけど、そのための経済基盤は父親が築いてたんですよね。尾張と熱田を力で奪って都市や港を発展させ、朝廷や幕府へのパイプを作った功績は大きいですし、信長もそれを継承してますし。経済発展にリソースをさほど割かなくても領国運営ができて常設軍を持てたのが信長の最大の親ガチャ成功だったのかなと思います。
なお、名将今川義元との圧倒的不利な戦がある模様。
のっけから傅役が自殺するし家宰の林と柴田が裏切るしの兄弟分裂からの地獄のスタートという…(佐久間ぐらいしか本当に信秀親子にずっとついてきた譜代がいない)
@@フォード-i1w そんな佐久間も本願寺攻め終結後に追放されるんだよね……
なんか近衛前久に越後上布を着せて京都歩かせてインフルエンサーにしたいう話聞いたことある
近衛前久は、謙信の親友でしたもんね。面白いエピソードですね☺️
こう見るとどの国からスタートするかで違いますね。関東なら武蔵、東海なら尾張等は、大きなアドバンテージですね。
今の日本は太平洋側に発展している地域が偏っていますが、明治維新までは日本海側地域の経済力も非常に強く、それが様々な恩恵をもたらしていた事をもう一度考え直してみる必要があると思います。
朝倉家は日本海航路で秋田の安東氏を通じ、蝦夷や樺太、沿海州とも交易していたようです。戦国初期の段階で豊かな越前を治め、大きな兵力を有していた朝倉家なら、信玄のように他国に進攻して領地を拡大する事も可能だったと思いますが、それをしなかったのは越前一国だけでも十分に豊かだったからでしょうね。
壮大だな、十三湊から敦賀、その間に直江津や酒田、加賀、越中、その間で文物の交易あったんだもんな
某漫画では義景は馬鹿殿扱いでして国に籠って女遊びしてるって感じで それくらい外に関心無く織田が来たから仕方なく戦ってる感じでした
一向一揆が北にあって背後にあるから動けなかった見方もあります。信長に秒で滅亡した訳でも無いから、凡将であっても愚将では無いと思う
学校の教材にもなる秀逸の構成と思います。
元々豊かな尾張を起点にまず農耕地に恵まれた美濃、伊勢をおさえた信長の戦略は正解だった
地元民として5位の越前の国が豊だと聞いて嬉しいよ
近江・尾張はかなりの米持国で商業、文化の水準も高く、この2国を完全に支配したらすごいアドバンテージでしょうね。ところで、平安時代の令制国の格付けでは、近江・越前は大国、尾張・摂津・越後は上国ですね。大国は他に大和・河内・伊勢・播磨・武蔵・上総・下総・上野・常陸・陸奥・肥後。古代における東国の国力の高さを物語ります。
陸奥、常陸、上野、下総と周りを大国に囲まれてる下野だけは上国でワンランク下。何ででしょうかね?
武田信玄、軍事力はすごいけど経済力が···😢
尾張の豊かさは、熊野灘を船で越えるのが難しかったことにもあります。東海道の海運の終点が伊勢湾です。これらの豊かな国は、周りの国から狙われるので、国がまとまってないとすぐに攻め込まれます。なので、織田は強国に挟まれていたのではなく、支配力を持った2つの隣国に狙われていた。
巨大な淡水湖の琵琶湖と広大な内陸平野を持つ近江の国は米作りに最適の地であったろう戦国時代はまだ大阪平野とかできてないもんね
北越後(阿賀北)は古くからの荘園で、尚且つ主要な金山が集中しているので揚北衆が素直に謙信に従わないのも分かる気がする
シーパワーを制し地政学政策と取り貿易で国を富ましたところが古今東西繁栄をしたのは事実。但し変な欲とか戦略を誤ると崩壊するのも早い。国の舵取りは難しい。
水運が大事なんですね
欧米風に言うと「大八島(おおやしま/日本列島)は国産みで伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)がつくったが、摂津は摂津人がつくった」ってことになるのかな?
今の日本しか知らないとかつての日本が湿地帯が多く米が獲れないところがいっぱいあったのが信じられなかったですね
共通しているのは「貿易できるか?」「経済に精通している重要人物がいるか?」でしたね。なお3位の国ですが、当時は「日本海から大阪湾まで河川で移動できる大水道」だったので貿易も積極的でした。
戦国時代当時の堺は、和泉の国に含まれます。
自分がやってたゲームの知識だけど堺は和泉のイメージ
信長の野望のマップの問題ですかね。僕も和泉だと思ってた。
やっぱり畿内や畿内に近い中部北陸が特に豊かだったんだね
雪が降るかどうか、も大きな問題だと思う。
個人的には国衆の内乱が激しいところが豊かなのかな?って思います。肥後、播磨、尾張、伊勢、近江等々
近江って昔は豊かな大国だったんだな。知らなかった。滋賀県は今は近畿地方の中では割と田舎の方だし自然豊かでも経済力という部分では知れてるからね。
播磨が出てこないのが不思議。当時は治国では一が越前ニが播磨となっていた。関ヶ原合戦後の領地分けで家康から結城秀康は越前か播磨のお好きな方をと言われ越前を選択。次に池田輝政は美濃か播磨のどちらかと言われ、戦乱の多い美濃より播磨を選択。秀康は冬の大雪に後で後悔する事になった。
播磨の羽柴秀吉が越前の柴田勝家に勝てた理由の一つだよね
堺を摂津として紹介するのはやっぱり堺市民としては違和感しかない。もちろん戦国時代は本当に境目だったのはしっているが栄えていたのは南側だし。今でいう市之町、大町、中之町と元々中心だったような町名も南側にある。堺廻り4か村も全て元々和泉国大鳥郡の所属。
農産物の収穫量から見るだけなら、太閤検地という固い資料があるのでそっちに傾きがち。銭の流通速度(経済学の用語にすると、交換手段の滞留時間)から、見たってすごい斬新な切り口ですね。ただどんな資料があるのかちょっと紹介して欲しかった。特に信長は、"関所の廃止をした"VS"傭兵の給料が銭で財源が津島と熱田の関銭"という矛盾した話になってませんか?
摂津池田氏が金融業で財を成し、その資金力で兵力を持ちその装備を整えていたことは色々考えさせられるわけですな
織田信長が全国統一に飛躍した理由は、重要地域を早期に取り込んで経済力を付けた事が要因ですな。
ただ、斎藤、六角はどちらも強敵。
その通りですね。ただ良いエリアに生まれたが故にライバルも多くて前半生はかなり苦労しています。生家も尾張守護代の家来筋でしたから、尾張のトップに立つには二段階の下克上が必要でした。
三遠駿の今川義元はバッタリ出会って討ち取り、三河から東方は徳川家康に任せる美濃の斎藤義龍は早死に、息子龍興はボンクラ近江の六角義治は観音寺騒動畿内の三好は分裂越前の朝倉義景は動かない足利義昭は上洛の護衛が欲しい上洛しやすい条件が揃いまくった
謙信時代の越後だと米収穫と港鉱山収入が同額程度だったらしいから、栄えた港町と採掘量の多い鉱山を持っていた大名は相当有利。甲斐武田の没落は鉱山の採掘量が減ったのが原因とも言われてるね
勝頼が跡を継いだ頃は、甲州金山の枯渇はかなり深刻な問題だったようですね。御館の乱の時、上杉景勝から多額の資金を贈られた勝頼が北条と手を切り、景勝の味方をした事は勝頼の大きな外交的失敗だと言われる事が多いですが、長年の盟友であった北条と手を切らざるを得ないくらい、当時の武田の財政は逼迫していたという事でしょう。
甲州信州駿河いずれも農耕地は狭いし富士山浅間山に囲まれ土地は痩せていた更には甲州には風土病
治水問題はかなり大きいのに軽視している 信濃川は江戸時代でも3年に1度は氾濫するレベル自分達が助かる為に向かい側の堤を破りに行く村もある位にひどい湿田も多く収穫量を考えると実高は25万石あるかどうか
青苧(あおそ)も貢献しましたね 謙信は畿内への独占権を確保した上洛の理由はそのほうが大きかったようだ後年、越後の 青苧は廃れ 会津・米沢(いずれも上杉の移転地)で盛んになったとか
@@aaaa3042 甲州征伐時金山衆の働きが鈍く新府城に石垣を設けることすら出来なかった程らしいですね
堺は和泉の国ではないでしょうか?
戦国時代の商業都市として有名な堺って和泉国じゃないの?と思い調べてみたら、摂津国と和泉国の2カ国にまたがっていた。
だから「堺」なんですね。
そして、摂津・和泉・河内の三国の交わるところが三国ヶ丘として、堺の地名に残っております。知らんけど・・・。
2位を説明しているサイトは意外と少ない
濃尾平野って関東平野に次ぐ広さではなく、関東・石狩・十勝・越後平野の次じゃなかったっけまぁ、石狩平野と十勝平野はこの時代アイヌの土地だったわけだけど勝幡城跡の近くに住んでるけど、勝幡駅に併設されてる勝幡城復元模型の写真が使われてて、あれ有名なのねってあと、「津島」のイントネーション違う
戦国時代は摂津、越後、近江、尾張、越前の順。現代の都道府県域内総生産高は東京(武蔵南部)、愛知(尾張・三河)、大阪(摂津・河内・和泉)、神奈川(相模、武蔵の一部)、埼玉(武蔵北部)の順
大阪は維新支配下になってからの悪政で愛知に抜かれてしまいました。あと、摂津は兵庫県の阪神間や神戸も含むので正確には大阪は摂津東部ですね。
やはり海に隣接していて貿易ができるのは大きいですね。金山があれば尚更いいですね
もっと前の時代なら、播磨が一番だったが、他が伸びて埋没した感。
どうして琵琶湖と敦賀の間に運河が建設されなかったのでしょうか?
地図見たらわかるが敦賀と琵琶湖の間は完全に山で切り開くのは非常に困難また近江は平野が広いが川が少ない地域で水運に使える川がない
生まれも育ちも名古屋市なのでランクインは嬉しいです1位はなるほどと思いました。勉強になります😄
経済に強い尾張、農作物が豊富な美濃、地形的に関東東海に強い影響力を持ち人口も多いしかも中央が内戦で荒廃に次ぐ荒廃これはチャンスしかないでしょうね逆に中央が強かったら危険分子として粛清されるレベルですが
当時は沼地等を水田にする技術が無かったからね。今は米所なのにね。
兵農分離ってのは人口がたくさんいないと出来ませんからね~。人口は国が豊かでないと増えないわけですし。
中世においては兵の強さは傭兵よりも農兵の方が強いですよ。それに殆どの大名は一年中戦えています。
堺を摂津にするか和泉にするか意見が分かれるね。堺市の三国ヶ丘がその名の通り、摂津・和泉・河内の境目で堺自体も三国の境目が由来の地名だし。ベスト5の内、越後だけは意外でした
逆に豊かな国ほど、兵が弱い。貧しい国ほど兵がガチ強い。甲斐・土佐・薩摩大隅。
越後はそれ程豊ではなかったよ。戦国時代では越後平野の干拓は行われていないので食糧事情が良くなかった。だから謙信は頻繁に他国への侵入を行っていた、理由付けが信玄より上手だったけど、やってることは同じ。大義名分て大事だよね。
多数の金銀山や青苧、直江津港、柏崎港等を抱えた越後が貧しいわけ無い。
金山銀山が開発されたのは江戸時代以降だし交易も信長の政策に圧されて大したこと無くなっていた。上杉家自体が本来公家の権益である青苧の税を横領していたのを知らんのか?米の干拓事業も江戸時代以降の話。越後はポテンシャルは高いけど当時はまだまだだよ。
@@sariel1166越後には多数の金銀山がある。鳴海金山なんてその代表格で当時日本の金の産出量の3割を占めいていた。ていうか信長の圧迫を受けていたってどこ情報?謙信の死後春日山城の蔵に3万両の黄金があったのは信長と敵対する前に集めたものってこと?あと越後を語るなら佐渡以外の金銀山も知っておこう。記録によると上杉景勝が秀吉に献上した金は全大名の6割に上っていてその3割が鳴海金山によるものみたいだから。
「がっついていない国は戦は弱い」傾向はありましたね、信長や謙信は個人の戦略やカリスマで補っていましたが。
周防や長門は貿易で栄えているイメージですかね!
全部海沿いの国だと思ったけど3位だけは違ったなぁ
琵琶湖は海みたいなものだから
この時代の地名に戻して地方自治体に分割してほしい
紹介された地域が現在の新潟、愛知、兵庫、大阪、滋賀なわけだが、そのうち神社仏閣の数が多い順に愛知、新潟、兵庫なのも何か関係がありそうだな。大阪は寺は多いが、神社の数が圧倒的に少ないが。
大阪は本願寺が関係しているかも?神社文化が根付かなかったという意味で
福井…
逆に貧しい国ランキングやって欲しい!
蝦夷、対馬、佐渡が当確
飛騨 by信長の野望
壱岐、隠岐、志摩あたりですかね
半島にある伊豆、安房、能登はどうでしょうか。
下国がほぼ出揃ったか?
小氷河期による大飢饉が起きていたこの時代、経済力のあるものが強かった尾張という肥沃の地に恵まれ越前近江を抑えた織田家、そんな織田を苦しめた本願寺、そして上杉も然り。こうしてみると彼らが強いのも合点がいきますね。
堺を抱える和泉は?
大内政権の領国が一つもないのは不思議
周防長門豊前筑前貧しくはないんですがね
分散してるからじゃないかなどれも尾張と同程度でしょ
堺は、摂津国ではなく和泉国では?
古代律令制の格付け、大国、上国、中国、下国、だと越前と近江が大国、摂津、越後、尾張は上国。
飽食である現代からは想像がつきにくいけど少し前の時代ですら、ご飯が食べられるかどうかというのは、本当に重要な事だったまた、大変な農作業をせずとも利益を産む商売は貴重な財産とも言えます飢餓の心配をしなくなったのって歴史で言うと、極々最近の出来事なのです
京都に近い、海がある
なんで最後に落武者が出て来るんだ?w
津島が堺並に栄えてたて聞くけど本当かな?
史実です。
流石に誇張だと思う 水運は日本海側が主流の時代 無論、東海道や中仙道、木曽川を抑えてた意味は大きいが。
関東以北には豊かな国は無かったのでしょうか?
米の品種改良が進んでいなかった時代ですからね。寒い陸奥国や出羽国は、稲作に適しておらず、貧しかったのです。平時の農業生産力で劣り、冷害で不作になる年も多く、都から遠いため技術や知識の伝播も遅く、海外貿易でも不利。条件が悪過ぎます。もし伊達政宗が早く生まれていたら…なんてネタも耳にしますが、大河ドラマで勘違いした人が言っているだけで、無理な話です。もし、ひとめぼれのような現代の品種が戦国時代にあったら、陸奥や出羽の生産力が拡大して、パワーバランスも違ったでしょうけどね。関東に関しては、ポテンシャルは高かったのですが、広大な湿地帯と自然堤防を利用して集落が点在している未発達の土地でした。江戸時代の利根川の付け替え工事などで、農地が拡大していったのですが、このような工事のためには関東一帯を支配している必要がありました。小豪族が小競り合いをしていては、広域治水工事は難しいですからね。徳川の広域支配が確立した後で、技術も発達した江戸時代だから出来たのです。
@@mashedpotatoes7006 ありがとうございます利根川水系とか良さそうなんですけどね。富国強兵を考えた領主がいなかったのかな?勉強になりました。
@@安達達也 富国強兵を考えた領主もいたかもしれませんが、利根川の治水はハードルが高かったと思いますよ。一つは技術的な問題。堤防を築き、流路を整え、後背地の水を抜いて干拓し、農地を作る。重機もポンプもない時代です。利根川クラスの流量になると難易度も上がります。多摩川は鎌倉時代に治水と農地開発が進みましたが、上流で規模も小さいので手がつけやすかったのです。本命の利根川の開発が進んだのは、技術も発達した江戸時代ですからね。信濃川も似たようなものです。動画で越後は豊かと言っていますが、当時の越後の中心は、新潟平野ではなく上越市周辺です。信濃川下流の新潟周辺は、治水も不十分で、居住や農業に適した土地が少ない未発達エリアでした。当時の技術では、それだけ大規模河川周辺の土地利用は難しかったのです。舟運は発達していたのですけどね。もう一つは政治の問題。甲斐国の治水では武田信玄の築いた堤が有名ですが、あちらは甲斐国だけ支配していれば完結します。利根川は、上野、下野、武蔵、下総などの勢力が入り乱れ、協力して工事するのは困難です。河川の規模も大きく、工事に必要な人員も大きくなります。関東を広域支配するくらいの勢力でなければ、部分的な治水が精一杯でしょう。淀川も規模は大きいですが、あちらは古代から治水と灌漑を繰り返してきた蓄積があるので、条件が違いますね。
@@mashedpotatoes7006 よくわかりました。当時の治水や架橋の技術では川幅や流域が大きすぎるのはかえってマイナスになるのですね。
納得できるランキング。国が豊かなのを大名の国力と連結させられるかというのが重要なことで、摂津・近江は在地勢力が強いため国主と呼べるほどの戦国大名は出なかった(六角は近江半国でさえ大勢力ではあったんだけど)。越前・朝倉は若狭・北近江まで影響力有ったけど、その豊かな国土狙って加賀一向宗が定期的に侵攻していた。越後・上杉は穀物生産力の低さ(と独立性の高い揚北衆)が有って、周辺勢力を圧倒するほどまでいけなかった。尾張は在地化した勢力も多かったが、勝幡織田家が津島・熱田を確保したことで信長の躍進につながったんだよな。(尾張統一は水野家追放後なんでかなり後ではあるが)
甲斐信濃が富国だったら信玄公も天下とれたかな?
富国でなかったからこそ色んな工夫をして強くなれたのかも知れないので、一概には言えませんね。
長篠の戦いで武田軍の鉄砲の玉は銅銭を溶かした銅でした。港を持たない武田には、金はあっても買えないものがあったということの証拠だと思います。やはり武田の天下は難しかったと思いますよ。
天下はないと思うが甲信に駿河や遠江は取れてそう
山がちな困難な土地だから、かの屈強な甲州兵が誕生したわけで、何とも言えんな
@@戸次伯耆それ史実やん
尾張…大半が平地だから石高も甲斐の比じゃなく且つ主要な湊が二つも。莫大な富。そんな国が2〜3千ぽっちの兵力な訳無いんですよねぇ?幼少期から特大疑問符でしたよ…牛一さん。
織田弾正忠家は尾張4郡で抑えていたのは約半分 25万石として動員は最大で7500 半分は家臣の領地として動員は精々4000 それに信長が家督を継いだ時は家臣が反抗的だから備えの兵も必要 3000しか動員できなくても不思議じゃないよ
@@戸次伯耆 信長公記の全てを否定する気はありませんが、一級史料とは思ってません。荷駄隊込みでも義元に4万5千なんて動員出来ません。当家の史料も他の史料もこんなに多数の記述は無い。信長は桶狭間前年にほぼ尾張統一。津島・熱田の二大経済拠点は既に掌握済み。最低5千。私的に1万は動員したと思います。それ以上の数を挙げてる学芸員や郷土史家の方もいましたが…信長自慢の馬廻衆らを中心とした練度の高い精鋭隊がいたにせよ、地の利を生かしたとしても、やはり総数二千で勝つにはムリがある。本陣突入は更に少数になる訳ですから尚更。信長が一躍名を馳せた戦を更に偉大にする為に牛一が両方の兵数を改ざんした…と言う私見です。歴史家連中ですら桶狭間は様々な説があるのだから十人十色の意見が出てるのは自然でしょうね。
すいませんが、どのあたりを根拠にしているのですか。
摂津を(σ・∀・)σゲッツ
西宮市越水町🗣️出たーーーーーーー!!25年間住んでましたわ🙏嬉しいでーす🏯嬉しいですー👆ありがとうございました😘!!💪💯
駿河が入ってないことが意外でした。石高こそ低いものの越前と同じく地方の京ですから、相当な繁栄を見せていたんでしょうね!!
駿河云々より今川の本拠地だから栄えてる気がする
武田信玄は駿河を手に入れたものの案外、山がちで水利も悪くより大きな収益力を求め遠州へ手を伸ばす
耕作地少なすぎだろ。ただ、大動脈たる東海道と、湊と海は魅力ある土地だな
@@戸次伯耆 確かにそれはありますね
@@S_McQueen ですね。農業生産力は超絶悪いですねwでもやっぱり駿府としては栄えていたのでは?と思ったり✨どうなんだろ…
ちなみにまともな農業がおこなわれていなかった朝鮮半島全体の石高は20万石もなかったそうです(´ω`)朝鮮半島では稲作すら行われていませんでした。
桶狭間のとき、織田が勝てたのもそもそも今川が尾張を狙ったのも駿遠三に匹敵する豊かさを尾張が持っていたからに他ならないまあ信長が統一するまでバラバラで真の実力は発揮しにくい環境だったけど
尾張から戦国時代を終わらせる信長が出たのは必然的ということだろうな。
で、摂津の国の石高は?
35万国くらいとちゃう? 知らんけど。秀頼の時、摂津、河内、和泉で65万石で、摂津がなんとなく多そう。
武蔵国も入れて欲しい 関東はもう一つの天下だと思ってます(日本には天下2分の計じゃないけど2つあると)あと近江国に異論 交通の要所故に戦乱も耐えなかった事も忘れては瀬田や関の関所(関ヶ原周辺は)古代から何度も戦争に巻き込まれ 甲賀地域も足利幕府に逆らった六角氏が逃げ込むなど(その後滅ぼされず復活)住むには大変な印象も 故に信長も最初に一番強いと思った浅井氏と同盟して 安定化の意味もあって安土城築城したかと
今川が織田より国力が圧倒的で織田が勝利は奇跡みたいな話は昔の定説でしたが普通に戦っても勝負になリますよね…あと武田金山も出るかと思いましたが出ないのは意外でした。
武田は本当に金山だけで農地には寄生虫がいて、土地は痩せ、水害に常に悩まされていましたからね。甲斐国はとても貧しい国でした。
貧しい甲斐を出て散々苦労して信濃を獲得しても、面積の割には生産力は高くなく、越前一国だけの朝倉家と動員兵力がさほど変わらないというのが悲しいところですね。
寄生虫の問題が解決したのは昭和ですからねr
織田信長の織田弾正忠家は尾張4郡 半分しか抑えてない 実質25万石程度 さらに織田信長の直轄領は半分として2500から3750しか動員出来ない 家督を継いだばかりで家臣も割れていて動員しても4000いくかどうか対する今川は70万石 動員兵力は1万4000から2万1000 三国同盟も有るので背後も心配ない普通なら勝負にならない 寝返りもあるだろうし
それ誤解したままミスリードしてる意見をよく見かけるけど、桶狭間当時の信長は、尾張の下四郡を支配してただけで、豊穣な上四郡(現在の愛知県犬山市、小牧市、春日井市、丹羽郡、岩倉市、江南市、一宮市あたり)の田園地帯は叔父さんの支配下でしたから、なんだかんだ言って養える兵力はやっぱり今川とかなり差があったと思いますよ。信長は恵まれてた説の多くが、意図的な印象操作なのか本当に知らないのか、いかに信長が尾張統一戦で苦労したかを語ろうとしませんよね。
美濃のアクセントは「み」だと思います。三河のイントネーションは素晴らしいのですが
「輩出」とは優れた人物が続々と世にでること。「織田信長を輩出した」とは言いません。
津島のアクセントがおかしいこれじゃ対馬
尾張は違うと思う。あとの越前・近江・越後・摂津は納得。
石高と商業都市の発展、港もあるから入っても良さそう!でもそうなると美濃、伊勢も入ると思うけど!
あんなに小さい尾張一国で60万石近くあって美濃以上。港も二つあるのにどこが栄えていないのでしょうか。戦国時代でもトップクラスに栄えていたと思いますよ。
尾張が入るなら、他の方も言われてますが、伊勢や美濃が入ると思います。また、石高なら武蔵がありますし。
あと、栄えていないとは言ってません。ベスト5に入るのが違うと述べているだけです。
@@milgauss193尾張は港がある時点で美濃より石高が上の時点で明らかに栄えていますし、武蔵のような石高ばかり高いところと比べてもしょうがないし、伊勢も大変栄えていましたが尾張と比べちゃうと流石に尾張です。
海を持ってないと厳しいわな、昔も今も海が大事、川は一方通行出し経済的には豊かにはなれない内陸部で天下人が現れる事は無いだろう。琵琶湖、例外として外しておいて
各順位の国と共に納めた大名・一族なんかを紹介するなら、最後の摂津は三好だろ。ここで、織田信長しかださないのは所詮その程度の順位つけですね。
三好は阿波やろがい。
それいうと、織田は尾張だけってなるかと。攻め取って、治めた国っというなら越前は織田か一向宗になるかと思います。
@@明石則実 その阿波も経済先進地域で細川、三好の策源地になったという絡め方はあるかな?
@@タニタ六五目 三好は後半は確かに摂津本拠だけど三好=阿波だろ それに三好時代の摂津に豊かなイメージもあんま無いそれより摂津を本拠&豊かさといったら豊臣時代の方があるしな
@@matukawatositane そうですね。阿波の藍は平安からの高級ブランドで戦国時代にも朝廷に税として納めたり、各国に売り捌いたりして経済効果はすごかったみたいですね。
「淀川」の発音がホンマ気持ち悪い。×「↓よ↑ど↓が↓わ」 〇「↑よ↑ど↑が↑わ」
現在と未来を生きる全人類にとって1ミクロンのクソ程も関係がないこと。全く意味がない。
陸路は平坦が少なく高低差もあるので馬車牛車の輸送は広範囲には及ばなかったな。河川含め海産物農産物の輸送は船舶による大量、広域なリレー輸送。
中華や南蛮に日本が侵略されない為にはまず国内を統一しなければならないと考えてたのって、信長と秀吉以外誰かいたのだろうか?
めっちゃ聴きやすい声
逆に言うと、山間部で農業生産力が低く、海に囲む面してなくて貿易も難しいところはあんまり豊じゃなかったってことか
近江は琵琶湖があった事で、水不足にならなかったので、石高が増えたと思います。昔は水が生命線だと思うので。
信長って一代で成り上がったみたいなイメージもあるかもですけど、たしかに版図の話をするとそうですけど、そのための経済基盤は父親が築いてたんですよね。尾張と熱田を力で奪って都市や港を発展させ、朝廷や幕府へのパイプを作った功績は大きいですし、信長もそれを継承してますし。経済発展にリソースをさほど割かなくても領国運営ができて常設軍を持てたのが信長の最大の親ガチャ成功だったのかなと思います。
なお、名将今川義元との圧倒的不利な戦がある模様。
のっけから傅役が自殺するし家宰の林と柴田が裏切るしの兄弟分裂からの地獄のスタートという…(佐久間ぐらいしか本当に信秀親子にずっとついてきた譜代がいない)
@@フォード-i1w そんな佐久間も本願寺攻め終結後に追放されるんだよね……
なんか近衛前久に越後上布を着せて京都歩かせてインフルエンサーにしたいう話聞いたことある
近衛前久は、謙信の親友でしたもんね。面白いエピソードですね☺️
こう見るとどの国から
スタートするかで違いますね。
関東なら武蔵、東海なら尾張等は、
大きなアドバンテージですね。
今の日本は太平洋側に発展している地域が偏っていますが、明治維新までは日本海側地域の経済力も非常に強く、
それが様々な恩恵をもたらしていた事をもう一度考え直してみる必要があると思います。
朝倉家は日本海航路で秋田の安東氏を通じ、蝦夷や樺太、沿海州とも交易していたようです。
戦国初期の段階で豊かな越前を治め、大きな兵力を有していた朝倉家なら、信玄のように他国に進攻して領地を拡大する事も可能だったと思いますが、それをしなかったのは越前一国だけでも十分に豊かだったからでしょうね。
壮大だな、
十三湊から敦賀、その間に直江津や酒田、加賀、越中、その間で文物の交易あったんだもんな
某漫画では義景は馬鹿殿扱いでして国に籠って女遊びしてるって感じで それくらい外に関心無く織田が来たから仕方なく戦ってる感じでした
一向一揆が北にあって背後にあるから動けなかった見方もあります。信長に秒で滅亡した訳でも無いから、凡将であっても愚将では無いと思う
学校の教材にもなる秀逸の構成と思います。
元々豊かな尾張を起点にまず農耕地に恵まれた美濃、伊勢をおさえた信長の戦略は正解だった
地元民として
5位の越前の国が
豊だと聞いて
嬉しいよ
近江・尾張はかなりの米持国で商業、文化の水準も高く、この2国を完全に支配したらすごいアドバンテージでしょうね。
ところで、平安時代の令制国の格付けでは、近江・越前は大国、尾張・摂津・越後は上国ですね。
大国は他に大和・河内・伊勢・播磨・武蔵・上総・下総・上野・常陸・陸奥・肥後。古代における東国の国力の高さを物語ります。
陸奥、常陸、上野、下総と周りを大国に囲まれてる下野だけは上国でワンランク下。何ででしょうかね?
武田信玄、軍事力はすごいけど経済力が···😢
尾張の豊かさは、熊野灘を船で越えるのが難しかったことにもあります。東海道の海運の終点が伊勢湾です。
これらの豊かな国は、周りの国から狙われるので、国がまとまってないとすぐに攻め込まれます。
なので、織田は強国に挟まれていたのではなく、支配力を持った2つの隣国に狙われていた。
巨大な淡水湖の琵琶湖と広大な内陸平野を持つ近江の国は
米作りに最適の地であったろう
戦国時代はまだ大阪平野とかできてないもんね
北越後(阿賀北)は古くからの荘園で、尚且つ主要な金山が集中しているので
揚北衆が素直に謙信に従わないのも分かる気がする
シーパワーを制し地政学政策と取り貿易で国を富ましたところが古今東西繁栄をしたのは事実。但し変な欲とか戦略を誤ると崩壊するのも早い。国の舵取りは難しい。
水運が大事なんですね
欧米風に言うと「大八島(おおやしま/日本列島)は国産みで伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)がつくったが、摂津は摂津人がつくった」ってことになるのかな?
今の日本しか知らないとかつての日本が湿地帯が多く米が獲れないところがいっぱいあったのが信じられなかったですね
共通しているのは「貿易できるか?」「経済に精通している重要人物がいるか?」でしたね。
なお3位の国ですが、当時は「日本海から大阪湾まで河川で移動できる大水道」だったので貿易も積極的でした。
戦国時代当時の堺は、和泉の国に含まれます。
自分がやってたゲームの知識だけど堺は和泉のイメージ
信長の野望のマップの問題ですかね。僕も和泉だと思ってた。
やっぱり畿内や畿内に近い中部北陸が特に豊かだったんだね
雪が降るかどうか、も大きな問題だと思う。
個人的には国衆の内乱が激しいところが豊かなのかな?って思います。
肥後、播磨、尾張、伊勢、近江等々
近江って昔は豊かな大国だったんだな。知らなかった。滋賀県は今は近畿地方の中では割と田舎の方だし自然豊かでも経済力という部分では知れてるからね。
播磨が出てこないのが不思議。
当時は治国では一が越前ニが播磨となっていた。
関ヶ原合戦後の領地分けで家康から結城秀康は越前か播磨のお好きな方をと言われ越前を選択。
次に池田輝政は美濃か播磨のどちらかと言われ、戦乱の多い美濃より播磨を選択。
秀康は冬の大雪に後で後悔する事になった。
播磨の羽柴秀吉が越前の柴田勝家に勝てた理由の一つだよね
堺を摂津として紹介するのはやっぱり堺市民としては違和感しかない。
もちろん戦国時代は本当に境目だったのはしっているが栄えていたのは南側だし。
今でいう市之町、大町、中之町と元々中心だったような町名も南側にある。
堺廻り4か村も全て元々和泉国大鳥郡の所属。
農産物の収穫量から見るだけなら、太閤検地という固い資料があるのでそっちに傾きがち。
銭の流通速度(経済学の用語にすると、交換手段の滞留時間)から、見たってすごい斬新な切り口ですね。ただどんな資料があるのかちょっと紹介して欲しかった。特に信長は、"関所の廃止をした"VS"傭兵の給料が銭で財源が津島と熱田の関銭"という矛盾した話になってませんか?
摂津池田氏が金融業で財を成し、その資金力で兵力を持ちその装備を整えていたことは色々考えさせられるわけですな
織田信長が全国統一に飛躍した理由は、重要地域を早期に取り込んで経済力を付けた事が要因ですな。
ただ、斎藤、六角はどちらも強敵。
その通りですね。ただ良いエリアに生まれたが故にライバルも多くて前半生はかなり苦労しています。生家も尾張守護代の家来筋でしたから、尾張のトップに立つには二段階の下克上が必要でした。
三遠駿の今川義元はバッタリ出会って討ち取り、三河から東方は徳川家康に任せる
美濃の斎藤義龍は早死に、息子龍興はボンクラ
近江の六角義治は観音寺騒動
畿内の三好は分裂
越前の朝倉義景は動かない
足利義昭は上洛の護衛が欲しい
上洛しやすい条件が揃いまくった
謙信時代の越後だと米収穫と港鉱山収入が同額程度だったらしいから、栄えた港町と採掘量の多い鉱山を持っていた大名は相当有利。甲斐武田の没落は鉱山の採掘量が減ったのが原因とも言われてるね
勝頼が跡を継いだ頃は、甲州金山の枯渇はかなり深刻な問題だったようですね。
御館の乱の時、上杉景勝から多額の資金を贈られた勝頼が北条と手を切り、景勝の味方をした事は勝頼の大きな外交的失敗だと言われる事が多いですが、長年の盟友であった北条と手を切らざるを得ないくらい、当時の武田の財政は逼迫していたという事でしょう。
甲州信州駿河
いずれも農耕地は狭いし
富士山浅間山に囲まれ土地は痩せていた
更には甲州には風土病
治水問題はかなり大きいのに軽視している 信濃川は江戸時代でも3年に1度は氾濫するレベル
自分達が助かる為に向かい側の堤を破りに行く村もある位にひどい
湿田も多く収穫量を考えると実高は25万石あるかどうか
青苧(あおそ)も貢献しましたね 謙信は畿内への独占権を確保した
上洛の理由はそのほうが大きかったようだ
後年、越後の 青苧は廃れ 会津・米沢(いずれも上杉の移転地)で盛んになったとか
@@aaaa3042 甲州征伐時金山衆の働きが鈍く新府城に石垣を設けることすら出来なかった程らしいですね
堺は和泉の国ではないでしょうか?
戦国時代の商業都市として有名な堺って和泉国じゃないの?と思い調べてみたら、摂津国と和泉国の2カ国にまたがっていた。
だから「堺」なんですね。
そして、摂津・和泉・河内の三国の交わるところが三国ヶ丘として、堺の地名に残っております。知らんけど・・・。
2位を説明しているサイトは意外と少ない
濃尾平野って関東平野に次ぐ広さではなく、関東・石狩・十勝・越後平野の次じゃなかったっけ
まぁ、石狩平野と十勝平野はこの時代アイヌの土地だったわけだけど
勝幡城跡の近くに住んでるけど、勝幡駅に併設されてる勝幡城復元模型の写真が使われてて、あれ有名なのねって
あと、「津島」のイントネーション違う
戦国時代は摂津、越後、近江、
尾張、越前の順。
現代の都道府県域内総生産高は東京(武蔵南部)、愛知(尾張・三河)、大阪(摂津・河内・和泉)、神奈川(相模、武蔵の一部)、埼玉(武蔵北部)の順
大阪は維新支配下になってからの悪政で愛知に抜かれてしまいました。
あと、摂津は兵庫県の阪神間や神戸も含むので正確には大阪は摂津東部ですね。
やはり海に隣接していて貿易ができるのは大きいですね。金山があれば尚更いいですね
もっと前の時代なら、播磨が一番だったが、他が伸びて埋没した感。
どうして琵琶湖と敦賀の間に運河が建設されなかったのでしょうか?
地図見たらわかるが敦賀と琵琶湖の間は完全に山で切り開くのは非常に困難
また近江は平野が広いが川が少ない地域で水運に使える川がない
生まれも育ちも名古屋市なのでランクインは嬉しいです
1位はなるほどと思いました。勉強になります😄
経済に強い尾張、農作物が豊富な美濃、地形的に関東東海に強い影響力を持ち人口も多い
しかも中央が内戦で荒廃に次ぐ荒廃
これはチャンスしかないでしょうね
逆に中央が強かったら危険分子として粛清されるレベルですが
当時は沼地等を水田にする技術が無かったからね。今は米所なのにね。
兵農分離ってのは人口がたくさんいないと出来ませんからね~。
人口は国が豊かでないと増えないわけですし。
中世においては兵の強さは傭兵よりも農兵の方が強いですよ。
それに殆どの大名は一年中戦えています。
堺を摂津にするか和泉にするか意見が分かれるね。堺市の三国ヶ丘がその名の通り、摂津・和泉・河内の境目で堺自体も三国の境目が由来の地名だし。ベスト5の内、越後だけは意外でした
逆に豊かな国ほど、兵が弱い。
貧しい国ほど兵がガチ強い。
甲斐・土佐・薩摩大隅。
越後はそれ程豊ではなかったよ。
戦国時代では越後平野の干拓は行われていないので
食糧事情が良くなかった。
だから謙信は頻繁に他国への侵入を行っていた、
理由付けが信玄より上手だったけど、やってることは同じ。
大義名分て大事だよね。
多数の金銀山や青苧、直江津港、柏崎港等を抱えた越後が貧しいわけ無い。
金山銀山が開発されたのは江戸時代以降だし交易も信長の政策に圧されて大したこと無くなっていた。上杉家自体が本来公家の権益である青苧の税を横領していたのを知らんのか?
米の干拓事業も江戸時代以降の話。
越後はポテンシャルは高いけど当時はまだまだだよ。
@@sariel1166越後には多数の金銀山がある。
鳴海金山なんてその代表格で当時日本の金の産出量の3割を占めいていた。
ていうか信長の圧迫を受けていたってどこ情報?謙信の死後春日山城の蔵に3万両の黄金があったのは信長と敵対する前に集めたものってこと?
あと越後を語るなら佐渡以外の金銀山も知っておこう。
記録によると上杉景勝が秀吉に献上した金は全大名の6割に上っていてその3割が鳴海金山によるものみたいだから。
「がっついていない国は戦は弱い」傾向はありましたね、信長や謙信は個人の戦略やカリスマで補っていましたが。
周防や長門は貿易で栄えているイメージですかね!
全部海沿いの国だと思ったけど3位だけは違ったなぁ
琵琶湖は海みたいなものだから
この時代の地名に戻して地方自治体に分割してほしい
紹介された地域が現在の新潟、愛知、兵庫、大阪、滋賀なわけだが、そのうち神社仏閣の数が多い順に愛知、新潟、兵庫なのも何か関係がありそうだな。大阪は寺は多いが、神社の数が圧倒的に少ないが。
大阪は本願寺が関係しているかも?
神社文化が根付かなかったという意味で
福井…
逆に貧しい国ランキングやって欲しい!
蝦夷、対馬、佐渡が当確
飛騨 by信長の野望
壱岐、隠岐、志摩あたりですかね
半島にある伊豆、安房、能登はどうでしょうか。
下国がほぼ出揃ったか?
小氷河期による大飢饉が起きていたこの時代、経済力のあるものが強かった
尾張という肥沃の地に恵まれ越前近江を抑えた織田家、
そんな織田を苦しめた本願寺、そして上杉も然り。
こうしてみると彼らが強いのも合点がいきますね。
堺を抱える和泉は?
大内政権の領国が一つもないのは不思議
周防長門豊前筑前
貧しくはないんですがね
分散してるからじゃないかな
どれも尾張と同程度でしょ
堺は、摂津国ではなく和泉国では?
古代律令制の格付け、大国、上国、中国、下国、だと越前と近江が大国、摂津、越後、尾張は上国。
飽食である現代からは想像がつきにくいけど
少し前の時代ですら、ご飯が食べられるかどうか
というのは、本当に重要な事だった
また、大変な農作業をせずとも利益を産む商売は
貴重な財産とも言えます
飢餓の心配をしなくなったのって
歴史で言うと、極々最近の出来事なのです
京都に近い、海がある
なんで最後に落武者が出て来るんだ?w
津島が堺並に栄えてたて聞くけど
本当かな?
史実です。
流石に誇張だと思う 水運は日本海側が主流の時代
無論、東海道や中仙道、木曽川を抑えてた意味は大きいが。
関東以北には豊かな国は無かったのでしょうか?
米の品種改良が進んでいなかった時代ですからね。寒い陸奥国や出羽国は、稲作に適しておらず、貧しかったのです。平時の農業生産力で劣り、冷害で不作になる年も多く、都から遠いため技術や知識の伝播も遅く、海外貿易でも不利。条件が悪過ぎます。
もし伊達政宗が早く生まれていたら…なんてネタも耳にしますが、大河ドラマで勘違いした人が言っているだけで、無理な話です。もし、ひとめぼれのような現代の品種が戦国時代にあったら、陸奥や出羽の生産力が拡大して、パワーバランスも違ったでしょうけどね。
関東に関しては、ポテンシャルは高かったのですが、広大な湿地帯と自然堤防を利用して集落が点在している未発達の土地でした。江戸時代の利根川の付け替え工事などで、農地が拡大していったのですが、このような工事のためには関東一帯を支配している必要がありました。小豪族が小競り合いをしていては、広域治水工事は難しいですからね。徳川の広域支配が確立した後で、技術も発達した江戸時代だから出来たのです。
@@mashedpotatoes7006
ありがとうございます
利根川水系とか良さそうなんですけどね。
富国強兵を考えた領主がいなかったのかな?
勉強になりました。
@@安達達也
富国強兵を考えた領主もいたかもしれませんが、利根川の治水はハードルが高かったと思いますよ。
一つは技術的な問題。堤防を築き、流路を整え、後背地の水を抜いて干拓し、農地を作る。重機もポンプもない時代です。利根川クラスの流量になると難易度も上がります。多摩川は鎌倉時代に治水と農地開発が進みましたが、上流で規模も小さいので手がつけやすかったのです。本命の利根川の開発が進んだのは、技術も発達した江戸時代ですからね。
信濃川も似たようなものです。動画で越後は豊かと言っていますが、当時の越後の中心は、新潟平野ではなく上越市周辺です。信濃川下流の新潟周辺は、治水も不十分で、居住や農業に適した土地が少ない未発達エリアでした。当時の技術では、それだけ大規模河川周辺の土地利用は難しかったのです。舟運は発達していたのですけどね。
もう一つは政治の問題。甲斐国の治水では武田信玄の築いた堤が有名ですが、あちらは甲斐国だけ支配していれば完結します。利根川は、上野、下野、武蔵、下総などの勢力が入り乱れ、協力して工事するのは困難です。河川の規模も大きく、工事に必要な人員も大きくなります。関東を広域支配するくらいの勢力でなければ、部分的な治水が精一杯でしょう。
淀川も規模は大きいですが、あちらは古代から治水と灌漑を繰り返してきた蓄積があるので、条件が違いますね。
@@mashedpotatoes7006
よくわかりました。
当時の治水や架橋の技術では川幅や流域が大きすぎるのはかえってマイナスになるのですね。
納得できるランキング。
国が豊かなのを大名の国力と連結させられるかというのが重要なことで、摂津・近江は在地勢力が強いため国主と呼べるほどの戦国大名は出なかった(六角は近江半国でさえ大勢力ではあったんだけど)。
越前・朝倉は若狭・北近江まで影響力有ったけど、その豊かな国土狙って加賀一向宗が定期的に侵攻していた。
越後・上杉は穀物生産力の低さ(と独立性の高い揚北衆)が有って、周辺勢力を圧倒するほどまでいけなかった。
尾張は在地化した勢力も多かったが、勝幡織田家が津島・熱田を確保したことで信長の躍進につながったんだよな。(尾張統一は水野家追放後なんでかなり後ではあるが)
甲斐信濃が富国だったら信玄公も天下とれたかな?
富国でなかったからこそ色んな工夫をして強くなれたのかも知れないので、一概には言えませんね。
長篠の戦いで武田軍の鉄砲の玉は銅銭を溶かした銅でした。港を持たない武田には、金はあっても買えないものがあったということの証拠だと思います。やはり武田の天下は難しかったと思いますよ。
天下はないと思うが甲信に駿河や遠江は取れてそう
山がちな困難な土地だから、
かの屈強な甲州兵が誕生したわけで、何とも言えんな
@@戸次伯耆
それ史実やん
尾張…大半が平地だから石高も甲斐の比じゃなく且つ主要な湊が二つも。莫大な富。そんな国が2〜3千ぽっちの兵力な訳無いんですよねぇ?幼少期から特大疑問符でしたよ…牛一さん。
織田弾正忠家は尾張4郡で抑えていたのは約半分 25万石として動員は最大で7500
半分は家臣の領地として動員は精々4000 それに信長が家督を継いだ時は家臣が反抗的だから備えの兵も必要
3000しか動員できなくても不思議じゃないよ
@@戸次伯耆 信長公記の全てを否定する気はありませんが、一級史料とは思ってません。荷駄隊込みでも義元に4万5千なんて動員出来ません。当家の史料も他の史料もこんなに多数の記述は無い。信長は桶狭間前年にほぼ尾張統一。津島・熱田の二大経済拠点は既に掌握済み。最低5千。私的に1万は動員したと思います。それ以上の数を挙げてる学芸員や郷土史家の方もいましたが…信長自慢の馬廻衆らを中心とした練度の高い精鋭隊がいたにせよ、地の利を生かしたとしても、やはり総数二千で勝つにはムリがある。本陣突入は更に少数になる訳ですから尚更。信長が一躍名を馳せた戦を更に偉大にする為に牛一が両方の兵数を改ざんした…と言う私見です。歴史家連中ですら桶狭間は様々な説があるのだから十人十色の意見が出てるのは自然でしょうね。
すいませんが、どのあたりを根拠にしているのですか。
摂津を(σ・∀・)σゲッツ
西宮市越水町🗣️出たーーーーーーー!!25年間住んでましたわ🙏嬉しいでーす🏯嬉しいですー👆ありがとうございました😘!!💪💯
駿河が入ってないことが意外でした。石高こそ低いものの越前と同じく地方の京ですから、相当な繁栄を見せていたんでしょうね!!
駿河云々より今川の本拠地だから栄えてる気がする
武田信玄は駿河を手に入れたものの
案外、山がちで水利も悪く
より大きな収益力を求め遠州へ手を伸ばす
耕作地少なすぎだろ。
ただ、大動脈たる東海道と、
湊と海は魅力ある土地だな
@@戸次伯耆
確かにそれはありますね
@@S_McQueen
ですね。農業生産力は超絶悪いですねw
でもやっぱり駿府としては栄えていたのでは?と思ったり✨どうなんだろ…
ちなみにまともな農業がおこなわれていなかった朝鮮半島全体の石高は20万石もなかったそうです(´ω`)
朝鮮半島では稲作すら行われていませんでした。
桶狭間のとき、織田が勝てたのも
そもそも今川が尾張を狙ったのも
駿遠三に匹敵する豊かさを尾張が持っていたからに他ならない
まあ信長が統一するまでバラバラで真の実力は発揮しにくい環境だったけど
尾張から戦国時代を終わらせる信長が出たのは必然的ということだろうな。
で、摂津の国の石高は?
35万国くらいとちゃう? 知らんけど。秀頼の時、摂津、河内、和泉で65万石で、摂津がなんとなく多そう。
武蔵国も入れて欲しい 関東はもう一つの天下だと思ってます(日本には天下2分の計じゃないけど2つあると)あと近江国に異論 交通の要所故に戦乱も耐えなかった事も忘れては瀬田や関の関所(関ヶ原周辺は)古代から何度も戦争に巻き込まれ 甲賀地域も足利幕府に逆らった六角氏が逃げ込むなど(その後滅ぼされず復活)住むには大変な印象も 故に信長も最初に一番強いと思った浅井氏と同盟して 安定化の意味もあって安土城築城したかと
今川が織田より国力が圧倒的で織田が勝利は奇跡みたいな話は昔の定説でしたが普通に戦っても勝負になリますよね…
あと武田金山も出るかと思いましたが出ないのは意外でした。
武田は本当に金山だけで農地には寄生虫がいて、土地は痩せ、水害に常に悩まされていましたからね。
甲斐国はとても貧しい国でした。
貧しい甲斐を出て散々苦労して信濃を獲得しても、面積の割には生産力は高くなく、越前一国だけの朝倉家と動員兵力がさほど変わらないというのが悲しいところですね。
寄生虫の問題が解決したのは昭和ですからねr
織田信長の織田弾正忠家は尾張4郡 半分しか抑えてない 実質25万石程度
さらに織田信長の直轄領は半分として2500から3750しか動員出来ない
家督を継いだばかりで家臣も割れていて動員しても4000いくかどうか
対する今川は70万石 動員兵力は1万4000から2万1000 三国同盟も有るので背後も心配ない
普通なら勝負にならない 寝返りもあるだろうし
それ誤解したままミスリードしてる意見をよく見かけるけど、桶狭間当時の信長は、尾張の下四郡を支配してただけで、豊穣な上四郡(現在の愛知県犬山市、小牧市、春日井市、丹羽郡、岩倉市、江南市、一宮市あたり)の田園地帯は叔父さんの支配下でしたから、なんだかんだ言って養える兵力はやっぱり今川とかなり差があったと思いますよ。
信長は恵まれてた説の多くが、意図的な印象操作なのか本当に知らないのか、いかに信長が尾張統一戦で苦労したかを語ろうとしませんよね。
美濃のアクセントは「み」だと思います。
三河のイントネーションは素晴らしいのですが
「輩出」とは優れた人物が続々と世にでること。「織田信長を輩出した」とは言いません。
津島のアクセントがおかしい
これじゃ対馬
尾張は違うと思う。あとの越前・近江・越後・摂津は納得。
石高と商業都市の発展、港もあるから入っても良さそう!
でもそうなると美濃、伊勢も入ると思うけど!
あんなに小さい尾張一国で60万石近くあって美濃以上。港も二つあるのにどこが栄えていないのでしょうか。
戦国時代でもトップクラスに栄えていたと思いますよ。
尾張が入るなら、他の方も言われてますが、伊勢や美濃が入ると思います。また、石高なら武蔵がありますし。
あと、栄えていないとは言ってません。ベスト5に入るのが違うと述べているだけです。
@@milgauss193尾張は港がある時点で美濃より石高が上の時点で明らかに栄えていますし、武蔵のような石高ばかり高いところと比べてもしょうがないし、伊勢も大変栄えていましたが尾張と比べちゃうと流石に尾張です。
海を持ってないと厳しいわな、昔も今も海が大事、川は一方通行出し経済的には豊かにはなれない
内陸部で天下人が現れる事は無いだろう。
琵琶湖、例外として外しておいて
各順位の国と共に納めた大名・一族なんかを紹介するなら、最後の摂津は三好だろ。ここで、織田信長しかださないのは所詮その程度の順位つけですね。
三好は阿波やろがい。
それいうと、織田は尾張だけってなるかと。
攻め取って、治めた国っというなら越前は織田か一向宗になるかと思います。
@@明石則実 その阿波も経済先進地域で細川、三好の策源地になったという絡め方はあるかな?
@@タニタ六五目 三好は後半は確かに摂津本拠だけど三好=阿波だろ
それに三好時代の摂津に豊かなイメージもあんま無い
それより摂津を本拠&豊かさといったら豊臣時代の方があるしな
@@matukawatositane そうですね。阿波の藍は平安からの高級ブランドで戦国時代にも朝廷に税として納めたり、各国に売り捌いたりして経済効果はすごかったみたいですね。
「淀川」の発音がホンマ気持ち悪い。
×「↓よ↑ど↓が↓わ」 〇「↑よ↑ど↑が↑わ」
現在と未来を生きる全人類にとって1ミクロンのクソ程も関係がないこと。
全く意味がない。