渚ゆう子リサイタル(3-6 女の指輪)1974

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  • Опубликовано: 27 ноя 2024

Комментарии • 2

  • @yasakaKeiji
    @yasakaKeiji 4 года назад +2

    塞翁が馬、いつも彼女のliveに訪れた彼のお姉さんが・・・・クモの糸で、細い細い絆が、やがて二人を再び結ばせて、ライブ会場で、ご報告があったことを聞いたとき、・・・得も言われぬ感動と…泣いちゃったよ。
     そして間もなく、二人は、結ばれたわけです・・
     お姉さんは、あきらめた二人を、なんとつなぎ留めようと足しげくコンサート会場に足うぁこんでは花束を贈って、おられたんですよ。
     そして、・・・・・・
     お互い、この先を思うと、一緒になって余生を過ごそうという、彼氏の申し出に、手を取ったゆう子さんは、等々、結ばれましたね。あれから十年は過ぎたでしょうか。
     わたしも、16才だったか、小型ラジオから歌謡曲が流れる中に」京都の恋というベンチャーズ・プレゼンスわおシングルかった推したことを知って、もう夢中で彼女の歌を聞きました。
     あのミリオンヒットの割にはなかなかTVni映してもあれなかったんだね。
    外国曲だから・・・・セリさん・・・石川セリさんも、はーふっだたことでずいぶんつらい思いをしましたし、当時の外国局もまたハーフの人も、皆なにがしか苦しんでいましたね。
     石川セリさんは要望は西洋人でも、実際中身は大和撫子さんで、京都が好きでお寺が好きな・・・・凶御ンアみたいに回らしかったけどね。
     
     渚ゆう子さんはハワイアンつながりというかベンチャーズがきっかけで、大ファンいなりました。
     ソウルメイトでしたね。」

    • @srx608rider
      @srx608rider  4 года назад +1

      渚ゆう子さんの歌が大好きで、頑張ってレコードを集めました。
      集めたレコードは傷まないようにすぐに録音して、テープが痛むまで繰り返して聴いていました。
      一方、ご本人の私生活は最近知るようになり、yasaka keijiさんのコメントのようにドラマチックな人生を送ったことも知りました。
      まだまだ先だけど、ハッピーエンドのようでホッとしています。