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今回の動画ではかなり海軍の悪いところばかり言っていますが、私自身海軍内部でどのようなロジックが動き、このような結果になったのかについては、おそらく理解しきれていないと思います。軍隊である以上、一見非合理的な結果であっても、おそらくある程度合理的なロジックに基づいて動いていると思いますので(それが裏目に作用したにしても)その辺について勉強していきたいなと思います。
戦国時代もそうだがそもそも負けてる側は理想的な動き出来てないのが普通。ベトナムの時のアメリカだってそう、枯葉剤まいたりメチャクチャなことしたのにグダグダだった。
兵器の生産スピードに圧倒的な差があって、時間がたてばたつほど戦力差が開いてしまうので、海軍が早期決戦を指向するのはやむを得なかったように思います。
うp主さんであれば調査済みかもしれませんが、ペリリュー島の戦いとそれ以降にも続く戦術立案に一役買った元陸軍情報参謀部の方が残した書籍も参考になりますよ。彼らはマキン、タラワ、サイパンと負け続けの中で米軍がどう攻めてくるか、その為の準備はどれほど必要なのかを研究し続け、集めた情報をパラオに出発直前の中川大佐の部隊に伝えたと記録しています。本来は大本営の作戦参謀が研究すべき内容を情報参謀部が行っていること自体、旧軍の組織上の欠陥が見えてきますが‥‥
とにかく海軍は長期戦になればアメリカ軍の戦力が整って勝てない、後方に下がって戦力を貯めると言うがアホか、相手はそれ以上に戦力を貯める、今やるしかない!と背伸びし続けて墓穴を掘った所でしょう。とはいえ時間が経てば大量のエセックス級空母他の大兵力で完膚なきまでにやられて「陸軍案に乗った日本軍はアホだ」と言われてた気がします結論:そもそも勝ち筋がないまま開戦した時点でどの策も五十歩百歩、陸軍が悪い、海軍が悪いは意味無し
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
自分の曽祖父は生還した34人の一人でした。なかなか扱われない戦いな上、簡略化された解説動画が多い中、曽祖父たちの戦いを詳しく解説してくださりありがとうございます。
精鋭 第十四師団。
曽祖父さん生きて帰還されてよかったです。明治政府が外交安全保障も経済も強かったのは幕末の熾烈な戦いを生き抜いた人達がいたからだと思います。戦後日本の復興を担ったのはまさにskylaker numaさんの曽祖父様はじめ多くの戦争経験者がその想いを復興のために活かして下さったからだと思います。
日本軍ヤバ過ぎる…ほぼ全滅している中不謹慎かも知れないけど、パラオ人との絆も含めこの戦い本当に熱くて好きガチで泣いた…
終戦まで生き残り、米軍に占領された島の中を抵抗し続けて生き残った方々がいらっしゃったとは、、、まさに想像を絶する。亡くなった祖父がパラオに行っていた、と聞いたことがあったが、悲しいかなとうの昔に他界しており何も分からず。勉強になりました。
10月3日参謀長ハンキンス大佐は、「日本兵の狙撃など児戯に等しい」と豪語し「私が仕留めてもいい」とまで言っていたそうです。実際、射撃の腕はかなりの物だったそうです。そして、現地を視察するために向かい車両から降りた瞬間に撃たれたそうです。
出オチやんけ
ザマア〜
やっぱ戦いの時に相手舐めたり白い歯見せると死亡フラグなんやなあ。
滅茶苦茶長くなりました。次回は香港攻略作戦、フィリピン攻略作戦、北支那治安戦のどれかです。インパール作戦は現在基礎研究中。日本の要塞についても研究開始。
インパール作戦は難しいですよねえ。ms08p氏の解説を首を長くして楽しみにしております。
インパールは客観性欠いた解説ばかりが目立つからかなり期待してます
他の投稿者さんの動画になるのですが、heinkelさんの「ゆっくり解説 インパール作戦の作戦計画」(前編と後編)はとても参考になると思いますので、ぜひご覧になってはいかがでしょうか?
なんか、海軍は大事な所で選択を間違っちゃってるような気がするなあ
参考文献が皆牟田口批判しかないのが現状です、「険しい道なき道を進行したという定説の嘘」31佐藤師団は浸透作戦なので補給が無いのは当然です。「参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘」参謀が反対したのはウ号作戦です。「白骨街道の嘘」実際飢餓に苦しんだのは15師団で、31,33師団は飢餓に苦しんでいません、この白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料はこの60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
海ゆかばのくだりは思わず涙がこぼれてしまいました
ペリリュー島の戦いについては今までよく知りませんでしたが、この動画を知ってこんなに長く激しい戦いがあったと知ることができました。文字で聞くだけでも苛烈な戦いですが、実際の戦闘は相当に激しい戦いだったと思います。島を防衛した日本軍の兵士も、攻略したアメリカ軍の兵士も、本当に大変だったのだろうと思います。
海軍を検証すると何故、敗戦したか、何故、物資が輸入出来ず国内が飢えていたかがわかる。全く民間船を護衛したがらない体質でした。
大東亜戦争は近代史になってしまったのですね。60歳代半ばの私には、未だに現代史です。これも時代の趨勢ですねぇ~。
いくら砲弾を撃ち込めても、味方の歩兵がそこにいなければ占領はできてないって意外と忘れられがちですね
歩兵は軍隊の骨幹ですからねぇ
今の無人兵器やこれから使われるであろうドローンにも言える大事なことですな
最後の決は我が任務、ですものね。
マンガ、楽園のゲルニカ読んでます。当時の日本の兵隊の方々には涙が出ます。二度と戦争にならないよう、日本人はこの戦争を忘れてはいけないと思います。
帝国陸軍参謀本部は頭が固いと言われていますが、大戦中に水際作戦から持久戦に切り替えて米軍に多大な出血を強いることに成功しているので戦術に関しては転換が早かったと思います。
終盤にかけての抵抗は、敵から鹵獲した武器を使いながら戦闘していたとされています。また、狙撃により負傷兵を増やして精神的に追い詰める戦法を使ったため、PTSDによる戦闘不能になった兵士が激増したとも言われています。
色んなところで航空戦力を投入、再建途中の空母艦載機まですりつぶして、陸軍の守る島々にほぼ無抵抗で上陸まで漕ぎ着けられてしまう。陸軍の最初の水際作戦がほぼ失敗してるのは、そのせいでもある。
主さんの動画を見始めたときは日本海軍好きだったのだけれども、見ているうちに段々日本陸軍の方が好きになってきた。と言うよりかは、日本海軍への好感度が下がってきた…
ファンさん、自分も同じですw大和や武蔵、赤城や加賀といった海軍艦艇に見惚れ日本軍に関して調べる様になりましたが、主さんや他の実況者の動画を見ていたら傲慢で理想主義の海軍より現実主義である程度臨機応変差を持つ陸軍に魅力を感じていますw後大本営などの高官は無能揃いですが、現地の士官や将兵の僕らには到底真似できないであろう勇敢さを見せてくれたのは、尊敬すべき一つだと思います。1万7千名の方が最後には水源地も失いもはや疲労困憊であるのにも関わらず最後まで戦い抜いたその勇気は見習いたいと思います。
@@1941山さん 軍艦や駆逐艦がカッコイイのは間違いないんですがね(笑)組織として見ると日本陸軍の方が好きです。
陸軍も酷いけどね。例えば、ガダルカナルの撤退の最初のきっかけは、陸軍が「情報も少ない中で、一木支隊のみの突撃は危険だ。」といった二見参謀長の再三の忠告を無視した事に始まる。その後、二見参謀長があまりにもうるさいので更迭。そして、うるさい二見参謀長がいなくなったら、わずか900名の一木支隊が丸腰で10000名ものアメリカ軍に突撃させた上、一木支隊は全滅。死人に口なしなのを良いことに、「無謀な突撃をした一木大佐が悪い。」と全ての責任を一木大佐に押し付けた。更にアメリカ軍に「負け続けていた日本兵にとうとう勝った。」といった自信まで与えてしまった。海軍も酷いが、陸軍も酷い。どちらの上層部も本当におかしかったと思う。
@@サイサイ-h8s ま確かにどちらかが圧倒的に悪いなんてことはないよな。海軍は陸軍の補給線を途中からほぼ保護できてなかったし陸軍だって補給がないから玉砕かよって感じ。其々にそれぞれの誇りがあってそれを互いに理解するのは難しいのは凄くわかるけどせめてもう少し何とかならんかったのかなぁって思うわ
@@サイサイ-h8s 1.ガ島戦はそもそも海軍の無策な進出および飛行場設定に端を発する 2.二見参謀長が反対したのは進軍であって突撃ではない 3.一木支隊は武装しており丸腰ではない
よくぞ、本動画を作成して下さり、ありがとうございました。
陣地構築をできるだけの時間と物資があれば、圧倒的な米軍相手にこれほどまでに戦えたという事がよくわかります。しかし精強な兵士と優秀な指揮官をことごとく失う一方、幻の大戦果に沸いたり大失態を隠蔽したり無責任な海軍上層部との対比がヒドイですね…。
微妙に台湾沖航空戦と被ってるんですね・・・それはさておきペリリュー島の戦いで約2か月もの間米軍相手に戦い抜いて結果ペリリュー島守備軍はほぼ玉砕したけど、米軍も10800人もの死傷者を出したんだからすごいじゃないですか。中川大佐は2階級特進。この戦いに関しては負けたけどよくやったって言いたくなりますよ。
@優しい子猫 万はいらない(突っ込みをこらえきれなかった)
日本軍の戦術が水際防衛から内陸への防衛に変わった顛末は、堀栄三の「大本営参謀の情報戦記」にありますね。本書の中で、”米軍の心胆を寒からしめ、世界戦史に「驚嘆」の賛辞を残し” とありこの動画を見ました。有名な硫黄島の、にも勝るとも劣らない戦いをしていたことを知りました。ほんとにすごいぜ。
戦史叢書は読んだことがないのと「大本営参謀の~」が手元に無いため大まかな話になることを前提として、堀栄三は米軍の戦闘のやり方を研究して「敵軍戦法早わかり」というマニュアルをまとめ中国から太平洋へ行く部隊に講義をしていました。ペリリューの部隊にも講義をしましたが、すでに水際陣地構築が進んでいて縦深陣地構築の資材が足りず、云々という話がありました。2つ目の質問については、命令ではなく説得するというレベルです。最終的には現場の指揮官が判断したのです。
お疲れさまでした_(._.)_ありがとうございます叔父二人ペリリューとパラオ本島にて戦死しています。小学生の頃父に連れられ靖国神社での戦友会に行った事が有ります。当時は良く意味が分からず怖い思いをした記憶が有ります。
既に読んでるかもしれないけど水戸の歩兵二連隊の歴史をまとめた栄光の軍旗って本にもペリリューの事は結構載ってますねペリリューで大叔父が亡くなってるせいか家に置いてありました
高度に築城された島嶼防衛が塹壕戦や要塞戦に似ているというのは、とても興味深いものでした。海軍との綿密な協力や上陸などの特殊技術が必要なことなど差違はありますが、合致する点は多いですね…
陸自の場合常時地下陣地に駐屯するというのは考えにくいので、むしろ敵軍が島嶼部に上陸した際、速やかな地下陣地構築に移られたら非常に厄介なことになるでしょうね。
@@ms08p34 自衛隊の島嶼奪還をかつての防衛戦から、裏返して見るのは面白いですね!
武田一義氏の漫画ペリリューを読んでる方いらっしゃいますか?この漫画で私もペリリュー島の戦闘について知ることになりました。
私も同じです
アレうちの学校な図書館にもあるんですよwww
ウチの地元からは、水戸第2連隊として多くの方々が散った。今は頭上を平成の零戦F-2が飛ぶ胸熱な立地。日本を守る為に散った方と、今尚も備える方たちがいるのが、百里近くの我が地元。今日も、日本人でいられます。合掌
すっげー面白かった
ありがとうございます!
ペリリュー、硫黄島と来たら、その防衛作戦の根幹を作った、帝国両軍の中でも最高の情報参謀、堀栄三氏も語らなければならないと思います。
同感です。
ちなみにペリリュー島の戦いでは、アメリカ軍将校にプラー大佐なる人物がいるのですが、勇敢を通り越して蛮勇な軍人で、連隊長として部下に無謀な突撃を強いて連隊に壊滅的損害(具体的には損害率50%over)を出させるだけでなく、損害の「少なさ」にブチギレて、部下に「ふざけんな!ピクニックの点呼じゃねえぞ!」と罵ったというやばい逸話を持っています。結局ペリリュー島の戦いではアメリカ海兵隊第1師団は全滅し、アメリカ陸軍歩兵第81師団に交代したのですが、プラー大佐は責任を問われることなく最終的には中将に栄達しています。日本軍にも限らずアメリカ軍にも上級将校が責任を追及されないことがあったようです。
その突撃は第一海兵師団を率いるリュパータスの指示だったけどね。ペリリューなんか軽く落とせると楽観視していたリュパータスに対して、プラーは念のため、ペリリュー島の上空視察を事前にさせた。しかし、写真を見ると驚いた。何と日本の兵隊が見られない。そこで、「写真を見る限り、上空からあまりに兵隊が見えなさ過ぎる。日本軍が陣地構築している可能性もある。」とリュパータスに進言しても、リュパータスは無視している。プラーは志願兵からの叩き上げ軍人。同じく叩き上げ軍人の中川大佐と同じく合理主義の持ち主だった。
サイサイ 海兵隊第1師団の壊滅の責任はリュパータス少将の方が大きいですが、プラーの指揮も合理主義とはかけ離れたものだったと思います。プラー大佐は他にも火炎放射器を見た際にこれに銃剣はどうやってつけるんだい?と大真面目に聞いていたというやばい逸話があり、プラー大佐は合理主義者とはかけ離れた猪武者のような軍人だったと思います。
@@太郎冠者-p9d リュパータス少将は全軍に「とにかく止まるな!」と進軍させて、各連隊に大損害を与えている。プラー大佐がいくら「この状況下の進軍は危険すぎる。もっと様子を見ながらの方が良い。」と言っても、リュパータス少将は一切聞く耳を持たなかった。そして、第一海兵連隊は死者や重傷者が続出。部隊としての体をなさなくなり、最後はまともに動けるのが数十名しかいなくなった。こんな状態なら普通はプラー大佐は解任どころか、アメリカ軍内での居場所すら失うが、解任され、アメリカ軍内での居場所を失ったのはリュパータス少将のみ。第一海兵師団の大半の海兵隊達は、各連隊長の指示は本心ではなかったのは知っていた。確かにプラー大佐は人間的におかしな部分もあった人だと聞くが、ペリリュー島への上空視察を事前に行ったり、指揮官としては有能だったと聞く。だから、志願兵から登り詰めても中隊長が良いところのアメリカ軍で、太平洋戦争時に連隊長まで行き、最後は将官まで登り詰めたり出来たのだから。
@@サイサイ-h8s 海兵隊第一師団といえば開戦時に日本に占領された土地を初めて奪還した師団ってことで英雄視されていたし、多少の損害が出ても結果を求められる存在だったのかもしれませんね。現にこの後の沖縄戦でも同じくらいの戦死者を出しているし、朝鮮戦争ではさらに戦死者が増えてるので
@@Y.H-g9g 現在は知りませんが、当時のアメリカ海兵師団にはアメリカ軍屈指の強力な部隊が揃っていました。しかし、その中でも第一海兵師団は海兵師団最強との呼び声が高かった部隊でした。そうなると確かに結果が求められる部隊になりますよね。
日本最強陸軍VSアメリカ最強海軍の戦い...ほぼ5倍の戦力を壊滅させているからアンガウルからの増援抜けば日本の勝ちだよね
昭和帝陛下が毎朝ご心配なされたという。「ペリリューはどうか」と。
昭和天皇はひたすら戦争回避を考えておられたのでそんなことは無理だと分かっていても「ひとりの兵士も死なずに帰ってきてほしい…」と思われていたんでしょうね。民の竈の話じゃないですが、ひたすら臣民の安寧を願っておられた。
この期に及んで、1回や2回の艦隊決戦で戦争がどうにかなると思ってる海軍がどうにかしてる。戦略的思考が日露戦争の頃で止まってる。
艦隊決戦企図してるのに、前進してきた戦力片っ端から逐次投入するのはなんなの・・・
色々使って敵を斬減して残った敵を叩く、その時点で短期決戦不可能では…
海軍に限らず戦略的思考ができる人間がいたらアメリカ相手に戦争なんてしてないのだ
大艦巨砲も航空主兵も選べず流されるまま戦ってた。関東軍関連からよく陸軍が責められるけど海軍の方がヤバかったと思ってる
@@foolishgavanira 主兵の問題は仕方ないと思うが。アメリカだって結局最後まで戦艦つくってたわけだし、あれは時代の潮流だっただけだと思うがなぁ。思いきれるほどの戦果が戦争始まる直前に無かったわけだし。
いつも面白い動画をUPありがとうございます。
戦後にペリリュー島守備隊で生き残った方が、「ペリリュー島攻防戦サクラサクラ」という本を出版されています。小学生の時に読んだのですが、途中から涙が止まらなかった思い出があります。米軍が土嚢を山のように積んでいるのを見て、自分達にもあればもっと有利に戦えると悔しがったり、雨が降れば喉の乾きが癒されると喜んだり、戦いの中でも人間らしい感情が溢れていたと書いてありました。最近の戦記物は、悲劇的な描写で悲しい虚しいから戦争反対みたいな物ばかりで読む気になりますね。
うぽつです!待ってました!
いつも見てます。大変かと思うけどがんばってください‼︎いいね押しとくわ‼️
ペリリュー戦を持久戦に持ち込めたのは ここ独特の岩山地が大きな要因の内の一つです。「山」と言っても、旅順の203高地のような典型的なものと違い、大まかに、縦長に複数の鋭い峰が走っている地形で、一つの山頂や峰を取っても、すぐ隣のものから銃撃を受け、その間には急斜面と深い小谷がよく見られると言う有様です。この為、重火器をここへ持ち込むのは非常に困難で、軽武装の兵力を送り込んだ米軍は 幾度となく損害を被っています。又、この作戦計画時に、米軍ではパラオ諸島攻略に反対する意見もあったとのことですが、個人的にはそれに同意しています。アメリカ側からすれば、政治的にも戦略的にも重要でないパラオに貴重な陣地建設のリソースを肝心のレイテ島に替わって費やし、一万以上の兵力を孤立させて配備した日本軍の趣にわざわざ従わなくともよいのではないかと思います。
動画投稿お疲れ様です。
長編お疲れ様です。北支那治安戦は関心があるので楽しみです。
ゲリラ掃討はいろいろ面白そうですよね
凄い映画があっても良さそうなぁ👍
そこら辺の感動映画とかアニメとか漫画より、感動出来るのが歴史。やっぱり歴史は素晴らしいと思った。 そんなことより、この話マジで道徳でして欲しい。
重さっていうことですね
@@medbyhi5114 創作物じゃ無いですからね
道徳でやるなら日本兵がやった悪事も洗いざらい紹介して、子どもたちに「この悪事は絶対繰り返さない」と思わせる授業じゃなきゃ意味がない美化するな
@@abcd6473 そんなら日本がやった善行も洗いざらい紹介しないとアメリカの思う壺だよ大本営はブリカスの下位互換だったけど、日本兵は割といいことしてたよ
陣地構成とかいう滅茶苦茶男心くすぐるワード
奇麗事でない話も...生き残った兵の間では喧嘩で殺人になってしまったり、本当に日本が降伏したんじゃないかと投降を主張した人が処刑されたりしたこともある。生き残りが生還するきっかけになった土田氏も味方に殺されることをかなり恐れていたようです。
その辺は 久山著 ”戦いいまだ終わらず”あたりに詳しいですね 著者が臨編陸戦隊所属で早々に敗残兵になっているので
こういう大負けの前の脇の出来事を知ってないと、単に「アメリカに物量で負けた」って話にしかならんのね
@@taaaaakaaaaa0000 ドイツなら負けの原因とか詳細に出てると思うんですけどね。完全に物量だけでタコ殴りにされた戦場なんかそうは無かったはずですし。
@@taaaaakaaaaa0000 そもそも物量も含めて国力だしそれを言うのはナンセンスだよね。そんなこと言ったら日本は海軍と陸軍の粘り強さだけだし、ドイツは陸軍の軍質だけだし
待ってました
守備隊の鬼神の如きはたらき。
大東亜戦争史上、最も凄惨な戦いの一つだ。ペリリュー島の戦闘を初めて知った時は戦争の悲惨さが身に染みた。矢張り戦争はいけない。しかし………。
国を守るために戦う事は必要だと思うよ侵略されるのを黙って見過ごす事なんて出来ない
蛇足
日米ともに多くの犠牲を払い、そして今がある。忘れちゃいけないね。。。
帝国海軍好きから見ても海軍の駄目っぷりが酷い
この動画を見た人ならほとんど全員ご存じの「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が良い漫画です。海軍は陸で戦闘する軍隊じゃないので許して。
対ソ連の精鋭が送られて、ソ連に対する守りが少なくなった
海軍…陸軍が不憫すぎる
これだけ壮絶な戦いだったのだからさぞ高い山なのだろうと思ったら、最高峰の大山ですら98m日本軍はよほど強力な陣地を構築したのだろう
米軍パイロットの言葉空港から日本軍の立てこもる東山へ攻撃まで約2分それだけ近くとも2ヶ月立てこもるんだからねもう悲惨な戦争はやめて欲しい
南方派遣と決まった第14師団(照兵団)は、駐屯する満州チチハルで、工兵第14聯隊倉庫から出火した。幸いにも兵器・器材を全部搬出できたが、元照兵団出身の補給士官が「南方へ行くからには陣地構築のため工兵器材は多いほど携行したほうがよい、火災で全部消失したと申請すれば新品を交付する」と入知恵してくれた。この好意で照兵団は規定の倍の工兵器材を獲得した。しかしそれが憲兵隊に露見してしまった。しかし師団長井上貞衛中将は否定したが、憲兵は横浜港に停泊中の「阿蘇山丸」を検査するという。そこで井上師団長は「船の出航は4月6日の午前10時」と伝えたが、当日の8時に出航してしまった。井上師団長がこうのような奇計を思いついたのは、工兵の面子と陣地構築のための工兵戦力を重視したためである。(高橋文雄著 丸 別冊 軍司令官と師団長 パラオ防衛の名将 井上貞衛中将より)このような名師団長がいたからこそ、水戸歩兵第2連隊はペリリュー戦でアメリカ海兵隊に大打撃を与える事ができたのかもしれない
出典付きで面白い話をありがとうございます!工兵資材を2倍持って行ったのは大正解でしたね しかし憲兵に嘘の時間伝えて出航しちゃう師団長は図太いなぁ・・・
@@ms08p34そうですね、井上師団長も度胸がありますね。でも生きるか死ぬかの戦場へ行くのですから、この判断は正解でしょう。なお、同出典によると、照兵団を乗せた東松5号船団は館山沖で対潜訓練を行いましたが、第15聯隊第5中隊の円栄太郎上等兵(群馬県出身)が潜望鏡を発見。報告しました。視察していた井上師団長は、即刻上等兵を兵長に進級させ、賞詞を授与しました。「信賞必則」を身上とする井上師団長の人すばらしい人間性が出ています。
うぽつです海軍がワガママになるから陸軍が尻拭いされる理不尽ぇ・・・。アメリカからしたら前線で戦う日本兵は恐れつつも称賛したが、将校将軍には悪い印象が露骨に語られたんだろう(多分)
海軍さん平常運転じゃないですか()
陸軍が悪い海軍が悪いというよりそれらを統合できなかった大日本帝国の限界な気がする
統帥権の独立が全て悪い
海軍がごみすぎて魔理沙が可哀想になってくるw
ペリリュー楽園のゲルニカという漫画を思い出すなあ。あの漫画グロいんだよなあ
絵柄可愛らしいけどちゃんと悲惨ですよね
流石関東軍の精鋭部隊
うぽつ
元米軍兵の話で、日本軍の中には生きながら傷口に蛆が湧いていても、降伏せず戦っていた兵士もいたそうですね。生きながら蛆が湧いている人間は初めて見た、って言ってました。
ひめゆり学徒隊のような部隊の生き残りの人の話を沖縄へ修学旅行に行った際に聞いたけど、負傷兵がいる洞窟に入るとシャクシャクシャクという音が響き渡っていたとの事。これは腐肉を蛆虫が食らう音・・・。
「スリーデイズ、メイビー ツー」(三日か、二日で陥落させる)てのが米海兵の合言葉だったらしいが。
インパル作戦やガタルカナル、ペリリュー島の戦いをNHKの特集で観ましたが、どれも悲惨の一言でした。特にペリリュー島では食料も医薬品も尽きて飢え死に寸前で戦っていました。1万人以上いた日本軍で生存者が34人とか生存率0.34%・・・ただし島民は全員逃がしていたので死傷者0という立派な数字。戦後ここで戦った多くの米兵たちはPDSTに罹り長く精神的苦痛に苛まれたそうです。戦死者を放置しておくと1時間経たずにハエが卵産んで蛆が孵り遺体が黒い塊になるような戦場での殺し合いの経験は死ぬまで家族にも話さなかった兵士が多かったそうです。もしかするとペリリュー島や硫黄島、沖縄戦で大きな被害を出したせいで原爆使用が早まったのかもしれませんね。あっさり占領されて負けていれば投下はなかったかもです。
なぜ海軍は有能で陸軍は無能というステレオイメージが定着したのか…
実際は全く逆ですね、海軍からは戦犯を出していないというのが大きいと思います。それから陸軍のプロパガンダが足りないと思います。海軍が目覚ましい戦果を挙げたのは実の所セイロン島沖海戦しかないでしょう。これも、天運に恵まれてのもの
映画や小説で海軍は大和や零戦でカッコいいっていう感じだけど、陸軍はあんまりメディアに出ないし、でたとしても泥試合みたいに書かれてるのが原因だと思う
政治の視点から見れば、絶対勝てないから戦争止めようと主張し続けた海軍は有能だし楽勝と言ってた中国にも勝てないまま、イギリス、アメリカとも戦争始めようとする陸軍は無能ってなっちゃうと思う
@@Y.H-g9g 実際には「大陸で頑張っている陸軍より、対米戦争を想定し予算を分捕っておきながら何もしていない無能な海軍」との国民世論でした。その点で日米戦争はまさに『軍拡が戦争へとつながった稀有なケース』なんです。
アメリカ、イギリスが援助してたからね。それが無ければ決着着いてたでしょ。
遅滞戦となり、フィリピンの独立が成った。アジア各国の独立という戦争目的を達成したのは日本だった。英雄は君たちだ。感謝を
日本が侵攻来なければ1945年に独立でしたが?おびただしい現地人の死者と被害を出したのに褒められることではない。
貴重な資料はどこからの情報でしょうか。
概要欄に参考文献記載してるのでそちらをどうぞ
太平洋戦史って、よく米軍:死傷者数 日本軍:死者数 を比較しがちよね。意味合いが違いすぎる。
でも「損耗兵力」と見れば日本軍は基本全員死亡、米軍も戦傷者はほとんどが退役か予備役だから平等な見方な気がす
中川大佐だー。日本軍の防御作戦が決定した一つだね
昭和18年(1943)11月6日大東亜会議(東京)を開催。出席者は以下の通り。日本・東條英機内閣総理大臣中華民国、(南京)国民政府・汪兆銘、行政院長満州国・張景恵、国務総理大臣フィリピン共和国、ホセ・ラウレス大統領ビルマ国・バーモウ内閣総理大臣タイ王国・ワンワイタヤーコーン親王インド・チャンドラ・ボース(ビハリ)インドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた自由インド仮政府、首班のチャンドラ・ボースが参加しました。
海軍と比べて陸軍が優秀だったから戦後、必要以上に貶められたんかね?
日本軍初空軍?である、大戦末期に構成された”航空総軍”について知りたいな・・・と。
後でアメリカ軍ろはペリリュー島を素通りしてフィリピンに向かって行ったら良かったて言っている。日本がこの辺の航空制空権が無かった様に思えるし日本本土からの補給も出来ないでいたのではないかそれでは航空制空権は出来ないだろうと思うけど。
某南沙諸島を埋め立て平坦な人工島に基地を多数構築した某大陸国家。ペリリュー以降血みどろの戦闘を続けたこれら両国家の様にに南沙諸島を攻め取り護り切るだけの気概や戦力・経験そして根性は有るのだろうか?
長編作成お疲れ様です
亡くなった日本兵の皆様へ、ご冥福をお祈りします…
結構頑張って、アメちゃんをいたぶったのね。左遷されたアメちゃんの責任者は泣きっ面かもしれない
主さんは「パシフィック」ってドラマ見られたことあります?海兵隊視点なんですけど太平洋戦線がいかに地獄だったかよく描かれてます。
ペリリュー島戦いの生存者へのインタビュー👇ruclips.net/video/tfDXZGZjT4c/видео.html&t=1023%E3%80%80%E3%81%A7ペ島の桜を讃える歌👇ruclips.net/video/XVTycoOczLk/видео.html
世の中の陸軍悪玉論だと大本営や参謀本部は無能で唯一中川大佐と栗林中将だけマトモって良くも悪くもレッテル貼りますが、水際作戦を見直そうとしたのは参謀本部全体の思考転換だと思います。大本営の堀栄三が早くから水際作戦を改めて敵兵を引きつける持久戦を構想していました。また、水際作戦をおこなった島でもサイパン島やタラワ島では水際での攻防で失敗したあとも島の形状を利用した防衛戦と夜間斬り込みで多大な犠牲を米軍に与えています。そもそも陸軍の秋丸機関は南へ行って西へ行く作戦を構想していたのにそれを握り潰してハワイまで攻め込んだり北はアッツ島南はオーストラリアの端のガダルカナルまで広げたのは海軍の山本五十六、黒島亀人、軍令部総長永野修身です。MSさんは非常に冷静に海軍の問題点も指摘されているのでバランスの取れたいい動画が多いと思います。
衝撃的だよね
海軍乙事件で2機で脱出したとありますが、実際は3機です。
海軍乙事件での二式大艇遭難機は2機というのが一般的な話だと思いますが、3機というのはどのような資料を基にした話でしょうか?是非教えてください。
@@ms08p34 遭難したのはおっしゃる通り2機ですが、3機目は遭難せず無事到着しています 乙事件で海軍要員脱出に飛んだのは3機であって2機という説明は誤りです ネットをさらうだけではわからないですね 乙事件に関する書籍を読んでみてください
戦史叢書13巻79Pに”古賀連合艦隊司令長官は幕僚と共に大艇2機に分乗してダバオに転進途中行方不明”という旨書かれていたためこれを採用しました。主旨と逸れるのであまり深く調べませんでしたが、海軍乙事件について調べてみようかと思いましたので、どの書籍に書かれていたか覚えていれば教えてください。
@@ms08p34 はじめまして。私も何かの本で3機で脱出したと読んだ記憶があります。3番機は遅れて到着して先行2機が遭難したと騒ぎになったかと。
楽園のゲルニカ読んだから来た
まともに連携取れてたら勝ててたよなぁ
いつも思うのだがBGMの軍歌はうるさい。もっと静かな音楽にできないのか。それとも令和の時代に戦意高揚を狙ってるのか。
海軍ボロくそで草
島国だから主力にならないかんのにこれなんて涙が出ますよ…
9:47陸海航空作戦かあわさって帝国陸海軍は合わさってましたか?
何回聞いてもペリユー島にしか聞こえない...当時はそう呼んでたのか?
ダイビングでパラオに行き、帰国前日は飛行機での減圧症回避のためダイビングはやめペリリュー島ツアーに行き英霊の頑張りを知った帰国後、家の中で廊下をかける音、障子を揺らす音など怪現象が頻発なんか東北に行きたくなり、東北旅行から帰ると怪現象はやんだその後、ペリリュー島の戦いを調べると、東北出身者が多かったのを知り鳥肌が立った自分が依り代になり、英霊を帰国させたなかな?
はーカロリンってスペイン由来なのねぇ
知れば知るほど海軍が嫌いになるwいっつも陸軍が可哀想な目にあってるよな...散々ヘマしてその上陸軍を馬鹿にしまくってるとか本当にクズすぎる...
わーい
福留嫌な顔してるなぁ。それに対して、中川さんは怖そうな顔してるけど、意外と優しそう。この戦訓を生かして、尖閣諸島を要塞化すべきかもしれんよ。
ぶっちゃけこんなとこに投入されて死ぬまで戦えとか正気の沙汰じゃない。
狂気の沙汰じゃない。→狂気の沙汰だわ。間違ってました。
日本の国旗🇯🇵、パラオの国旗🇵🇼、、、日の丸☀️に似せて、海に満月🌕️!日本の光を浴びて輝くパラオの月🥺🙇親日国家なんです、、、
我が皇軍兵士は世界一精強な兵隊だー
海軍善玉論、どこ?ここ?
出てくる敵は、みんなみんな殺せの曲久しぶりに聴きました。なんか最近日本は、変な国になってしまいました。
16:46
これで日米双方の戦力一覧とかをみたら俺はどう思うだろうか
海軍には海軍の事情と作戦計画があるのです陸さんにはわからないことがあるのですこの動画で相容れないなと確信しました
今回の動画ではかなり海軍の悪いところばかり言っていますが、私自身海軍内部でどのようなロジックが動き、このような結果になったのかについては、おそらく理解しきれていないと思います。軍隊である以上、一見非合理的な結果であっても、おそらくある程度合理的なロジックに基づいて動いていると思いますので(それが裏目に作用したにしても)その辺について勉強していきたいなと思います。
戦国時代もそうだがそもそも負けてる側は理想的な動き出来てないのが普通。
ベトナムの時のアメリカだってそう、枯葉剤まいたりメチャクチャなことしたのにグダグダだった。
兵器の生産スピードに圧倒的な差があって、時間がたてばたつほど戦力差が開いてしまうので、海軍が早期決戦を指向するのはやむを得なかったように思います。
うp主さんであれば調査済みかもしれませんが、ペリリュー島の戦いとそれ以降にも続く戦術立案に一役買った元陸軍情報参謀部の方が残した書籍も参考になりますよ。彼らはマキン、タラワ、サイパンと負け続けの中で米軍がどう攻めてくるか、その為の準備はどれほど必要なのかを研究し続け、集めた情報をパラオに出発直前の中川大佐の部隊に伝えたと記録しています。
本来は大本営の作戦参謀が研究すべき内容を情報参謀部が行っていること自体、旧軍の組織上の欠陥が見えてきますが‥‥
とにかく海軍は長期戦になればアメリカ軍の戦力が整って勝てない、後方に下がって戦力を貯めると言うがアホか、相手はそれ以上に戦力を貯める、今やるしかない!
と背伸びし続けて墓穴を掘った所でしょう。
とはいえ時間が経てば大量のエセックス級空母他の大兵力で完膚なきまでにやられて
「陸軍案に乗った日本軍はアホだ」と言われてた気がします
結論:そもそも勝ち筋がないまま開戦した時点でどの策も五十歩百歩、陸軍が悪い、海軍が悪いは意味無し
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
自分の曽祖父は生還した34人の一人でした。
なかなか扱われない戦いな上、簡略化された解説動画が多い中、曽祖父たちの戦いを詳しく解説してくださりありがとうございます。
精鋭 第十四師団。
曽祖父さん生きて帰還されてよかったです。
明治政府が外交安全保障も経済も強かったのは幕末の熾烈な戦いを生き抜いた人達がいたからだと思います。
戦後日本の復興を担ったのはまさにskylaker numaさんの曽祖父様はじめ多くの戦争経験者がその想いを復興のために活かして下さったからだと思います。
日本軍ヤバ過ぎる…
ほぼ全滅している中不謹慎かも知れないけど、パラオ人との絆も含めこの戦い本当に熱くて好き
ガチで泣いた…
終戦まで生き残り、米軍に占領された島の中を抵抗し続けて生き残った方々がいらっしゃったとは、、、まさに想像を絶する。
亡くなった祖父がパラオに行っていた、と聞いたことがあったが、悲しいかなとうの昔に他界しており何も分からず。
勉強になりました。
10月3日参謀長ハンキンス大佐は、「日本兵の狙撃など児戯に等しい」と豪語し「私が仕留めてもいい」とまで言っていたそうです。実際、射撃の腕はかなりの物だったそうです。そして、現地を視察するために向かい車両から降りた瞬間に撃たれたそうです。
出オチやんけ
ザマア〜
やっぱ戦いの時に相手舐めたり白い歯見せると死亡フラグなんやなあ。
滅茶苦茶長くなりました。次回は香港攻略作戦、フィリピン攻略作戦、北支那治安戦のどれかです。インパール作戦は現在基礎研究中。日本の要塞についても研究開始。
インパール作戦は難しいですよねえ。
ms08p氏の解説を首を長くして楽しみにしております。
インパールは客観性欠いた解説ばかりが目立つからかなり期待してます
他の投稿者さんの動画になるのですが、heinkelさんの「ゆっくり解説 インパール作戦の作戦計画」(前編と後編)はとても参考になると思いますので、ぜひご覧になってはいかがでしょうか?
なんか、海軍は大事な所で選択を間違っちゃってるような気がするなあ
参考文献が皆牟田口批判しかないのが現状です、「険しい道なき道を進行したという定説の嘘」31佐藤師団は浸透作戦なので補給が無いのは当然です。「参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘」参謀が反対したのはウ号作戦です。「白骨街道の嘘」実際飢餓に苦しんだのは15師団で、31,33師団は飢餓に苦しんでいません、この白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
海ゆかばのくだりは思わず涙がこぼれてしまいました
ペリリュー島の戦いについては今までよく知りませんでしたが、この動画を知ってこんなに長く激しい戦いがあったと知ることができました。文字で聞くだけでも苛烈な戦いですが、実際の戦闘は相当に激しい戦いだったと思います。島を防衛した日本軍の兵士も、攻略したアメリカ軍の兵士も、本当に大変だったのだろうと思います。
海軍を検証すると何故、敗戦したか、何故、物資が輸入出来ず国内が飢えていたかがわかる。全く民間船を護衛したがらない体質でした。
大東亜戦争は近代史になってしまったのですね。60歳代半ばの私には、未だに現代史です。これも時代の趨勢ですねぇ~。
いくら砲弾を撃ち込めても、味方の歩兵がそこにいなければ占領はできてないって意外と忘れられがちですね
歩兵は軍隊の骨幹ですからねぇ
今の無人兵器やこれから使われるであろうドローンにも言える大事なことですな
最後の決は我が任務、ですものね。
マンガ、楽園のゲルニカ読んでます。当時の日本の兵隊の方々には涙が出ます。二度と戦争にならないよう、日本人はこの戦争を忘れてはいけないと思います。
帝国陸軍参謀本部は頭が固いと言われていますが、大戦中に水際作戦から持久戦に切り替えて米軍に多大な出血を強いることに成功しているので戦術に関しては転換が早かったと思います。
終盤にかけての抵抗は、敵から鹵獲した武器を使いながら戦闘していたとされています。
また、狙撃により負傷兵を増やして精神的に追い詰める戦法を使ったため、PTSDによる戦闘不能になった兵士が激増したとも言われています。
色んなところで航空戦力を投入、再建途中の空母艦載機まですりつぶして、陸軍の守る島々にほぼ無抵抗で上陸まで漕ぎ着けられてしまう。
陸軍の最初の水際作戦がほぼ失敗してるのは、そのせいでもある。
主さんの動画を見始めたときは日本海軍好きだったのだけれども、見ているうちに段々日本陸軍の方が好きになってきた。と言うよりかは、日本海軍への好感度が下がってきた…
ファンさん、自分も同じですw
大和や武蔵、赤城や加賀といった海軍艦艇に見惚れ日本軍に関して調べる様になりましたが、主さんや他の実況者の動画を見ていたら傲慢で理想主義の海軍より現実主義である程度臨機応変差を持つ陸軍に魅力を感じていますw
後大本営などの高官は無能揃いですが、現地の士官や将兵の僕らには到底真似できないであろう勇敢さを見せてくれたのは、尊敬すべき一つだと思います。
1万7千名の方が最後には水源地も失いもはや疲労困憊であるのにも関わらず最後まで戦い抜いたその勇気は見習いたいと思います。
@@1941山さん 軍艦や駆逐艦がカッコイイのは間違いないんですがね(笑)
組織として見ると日本陸軍の方が好きです。
陸軍も酷いけどね。例えば、ガダルカナルの撤退の最初のきっかけは、陸軍が
「情報も少ない中で、一木支隊のみの突撃は危険だ。」
といった二見参謀長の再三の忠告を無視した事に始まる。その後、二見参謀長があまりにもうるさいので更迭。そして、うるさい二見参謀長がいなくなったら、わずか900名の一木支隊が丸腰で10000名ものアメリカ軍に突撃させた上、一木支隊は全滅。死人に口なしなのを良いことに、
「無謀な突撃をした一木大佐が悪い。」
と全ての責任を一木大佐に押し付けた。更にアメリカ軍に
「負け続けていた日本兵にとうとう勝った。」
といった自信まで与えてしまった。海軍も酷いが、陸軍も酷い。どちらの上層部も本当におかしかったと思う。
@@サイサイ-h8s ま確かにどちらかが圧倒的に悪いなんてことはないよな。海軍は陸軍の補給線を途中からほぼ保護できてなかったし陸軍だって補給がないから玉砕かよって感じ。其々にそれぞれの誇りがあってそれを互いに理解するのは難しいのは凄くわかるけどせめてもう少し何とかならんかったのかなぁって思うわ
@@サイサイ-h8s 1.ガ島戦はそもそも海軍の無策な進出および飛行場設定に端を発する 2.二見参謀長が反対したのは進軍であって突撃ではない 3.一木支隊は武装しており丸腰ではない
よくぞ、本動画を作成して下さり、ありがとうございました。
陣地構築をできるだけの時間と物資があれば、圧倒的な米軍相手にこれほどまでに戦えたという事がよくわかります。しかし精強な兵士と優秀な指揮官をことごとく失う一方、幻の大戦果に沸いたり大失態を隠蔽したり無責任な海軍上層部との対比がヒドイですね…。
微妙に台湾沖航空戦と被ってるんですね・・・
それはさておきペリリュー島の戦いで約2か月もの間米軍相手に戦い抜いて結果ペリリュー島守備軍はほぼ玉砕したけど、米軍も10800人もの死傷者を出したんだからすごいじゃないですか。
中川大佐は2階級特進。
この戦いに関しては負けたけどよくやったって言いたくなりますよ。
@優しい子猫 万はいらない(突っ込みをこらえきれなかった)
日本軍の戦術が水際防衛から内陸への防衛に変わった顛末は、堀栄三の「大本営参謀の情報戦記」にありますね。本書の中で、”米軍の心胆を寒からしめ、世界戦史に「驚嘆」の賛辞を残し” とありこの動画を見ました。有名な硫黄島の、にも勝るとも劣らない戦いをしていたことを知りました。ほんとにすごいぜ。
戦史叢書は読んだことがないのと「大本営参謀の~」が手元に無いため大まかな話になることを前提として、堀栄三は米軍の戦闘のやり方を研究して「敵軍戦法早わかり」というマニュアルをまとめ中国から太平洋へ行く部隊に講義をしていました。ペリリューの部隊にも講義をしましたが、すでに水際陣地構築が進んでいて縦深陣地構築の資材が足りず、云々という話がありました。2つ目の質問については、命令ではなく説得するというレベルです。最終的には現場の指揮官が判断したのです。
お疲れさまでした_(._.)_
ありがとうございます
叔父二人ペリリューとパラオ本島にて
戦死しています。
小学生の頃
父に連れられ靖国神社での戦友会に
行った事が有ります。
当時は良く意味が分からず
怖い思いをした記憶が有ります。
既に読んでるかもしれないけど水戸の歩兵二連隊の歴史をまとめた栄光の軍旗って本にもペリリューの事は結構載ってますね
ペリリューで大叔父が亡くなってるせいか家に置いてありました
高度に築城された島嶼防衛が塹壕戦や要塞戦に似ているというのは、とても興味深いものでした。
海軍との綿密な協力や上陸などの特殊技術が必要なことなど差違はありますが、合致する点は多いですね…
陸自の場合常時地下陣地に駐屯するというのは考えにくいので、むしろ敵軍が島嶼部に上陸した際、速やかな地下陣地構築に移られたら非常に厄介なことになるでしょうね。
@@ms08p34 自衛隊の島嶼奪還をかつての防衛戦から、裏返して見るのは面白いですね!
武田一義氏の漫画ペリリューを読んでる方いらっしゃいますか?この漫画で私もペリリュー島の戦闘について知ることになりました。
私も同じです
アレうちの学校な図書館にもあるんですよwww
ウチの地元からは、水戸第2連隊として多くの方々が散った。今は頭上を平成の零戦F-2が飛ぶ胸熱な立地。日本を守る為に散った方と、今尚も備える方たちがいるのが、百里近くの我が地元。今日も、日本人でいられます。合掌
すっげー面白かった
ありがとうございます!
ペリリュー、硫黄島と来たら、その防衛作戦の根幹を作った、帝国両軍の中でも最高の情報参謀、堀栄三氏も語らなければならないと思います。
同感です。
ちなみにペリリュー島の戦いでは、アメリカ軍将校にプラー大佐なる人物がいるのですが、勇敢を通り越して蛮勇な軍人で、連隊長として部下に無謀な突撃を強いて連隊に壊滅的損害(具体的には損害率50%over)を出させるだけでなく、損害の「少なさ」にブチギレて、部下に「ふざけんな!ピクニックの点呼じゃねえぞ!」と罵ったというやばい逸話を持っています。結局ペリリュー島の戦いではアメリカ海兵隊第1師団は全滅し、アメリカ陸軍歩兵第81師団に交代したのですが、プラー大佐は責任を問われることなく最終的には中将に栄達しています。日本軍にも限らずアメリカ軍にも上級将校が責任を追及されないことがあったようです。
その突撃は第一海兵師団を率いるリュパータスの指示だったけどね。ペリリューなんか軽く落とせると楽観視していたリュパータスに対して、プラーは念のため、ペリリュー島の上空視察を事前にさせた。しかし、写真を見ると驚いた。何と日本の兵隊が見られない。そこで、
「写真を見る限り、上空からあまりに兵隊が見えなさ過ぎる。日本軍が陣地構築している可能性もある。」
とリュパータスに進言しても、リュパータスは無視している。プラーは志願兵からの叩き上げ軍人。同じく叩き上げ軍人の中川大佐と同じく合理主義の持ち主だった。
サイサイ
海兵隊第1師団の壊滅の責任はリュパータス少将の方が大きいですが、プラーの指揮も合理主義とはかけ離れたものだったと思います。プラー大佐は他にも火炎放射器を見た際にこれに銃剣はどうやってつけるんだい?と大真面目に聞いていたというやばい逸話があり、プラー大佐は合理主義者とはかけ離れた猪武者のような軍人だったと思います。
@@太郎冠者-p9d
リュパータス少将は全軍に「とにかく止まるな!」と進軍させて、各連隊に大損害を与えている。プラー大佐がいくら
「この状況下の進軍は危険すぎる。もっと様子を見ながらの方が良い。」
と言っても、リュパータス少将は一切聞く耳を持たなかった。そして、第一海兵連隊は死者や重傷者が続出。部隊としての体をなさなくなり、最後はまともに動けるのが数十名しかいなくなった。こんな状態なら普通はプラー大佐は解任どころか、アメリカ軍内での居場所すら失うが、解任され、アメリカ軍内での居場所を失ったのはリュパータス少将のみ。第一海兵師団の大半の海兵隊達は、各連隊長の指示は本心ではなかったのは知っていた。
確かにプラー大佐は人間的におかしな部分もあった人だと聞くが、ペリリュー島への上空視察を事前に行ったり、指揮官としては有能だったと聞く。だから、志願兵から登り詰めても中隊長が良いところのアメリカ軍で、太平洋戦争時に連隊長まで行き、最後は将官まで登り詰めたり出来たのだから。
@@サイサイ-h8s
海兵隊第一師団といえば開戦時に日本に占領された土地を初めて奪還した師団ってことで英雄視されていたし、多少の損害が出ても結果を求められる存在だったのかもしれませんね。現にこの後の沖縄戦でも同じくらいの戦死者を出しているし、朝鮮戦争ではさらに戦死者が増えてるので
@@Y.H-g9g
現在は知りませんが、当時のアメリカ海兵師団にはアメリカ軍屈指の強力な部隊が揃っていました。しかし、その中でも第一海兵師団は海兵師団最強との呼び声が高かった部隊でした。そうなると確かに結果が求められる部隊になりますよね。
日本最強陸軍VSアメリカ最強海軍の戦い...
ほぼ5倍の戦力を壊滅させているからアンガウルからの増援抜けば日本の勝ちだよね
昭和帝陛下が毎朝ご心配なされたという。「ペリリューはどうか」と。
昭和天皇はひたすら戦争回避を考えておられたのでそんなことは無理だと分かっていても「ひとりの兵士も死なずに帰ってきてほしい…」と思われていたんでしょうね。
民の竈の話じゃないですが、ひたすら臣民の安寧を願っておられた。
この期に及んで、1回や2回の艦隊決戦で戦争がどうにかなると思ってる海軍がどうにかしてる。戦略的思考が日露戦争の頃で止まってる。
艦隊決戦企図してるのに、前進してきた戦力片っ端から逐次投入するのはなんなの・・・
色々使って敵を斬減して残った敵を叩く、
その時点で短期決戦不可能では…
海軍に限らず戦略的思考ができる人間がいたらアメリカ相手に戦争なんてしてないのだ
大艦巨砲も航空主兵も選べず流されるまま戦ってた。関東軍関連からよく陸軍が責められるけど海軍の方がヤバかったと思ってる
@@foolishgavanira 主兵の問題は仕方ないと思うが。アメリカだって結局最後まで戦艦つくってたわけだし、あれは時代の潮流だっただけだと思うがなぁ。
思いきれるほどの戦果が戦争始まる直前に無かったわけだし。
いつも面白い動画をUPありがとうございます。
戦後にペリリュー島守備隊で生き残った方が、「ペリリュー島攻防戦サクラサクラ」という本を出版されています。
小学生の時に読んだのですが、途中から涙が止まらなかった思い出があります。
米軍が土嚢を山のように積んでいるのを見て、自分達にもあればもっと有利に戦えると悔しがったり、雨が降れば喉の乾きが癒されると喜んだり、戦いの中でも人間らしい感情が溢れていたと書いてありました。
最近の戦記物は、悲劇的な描写で悲しい虚しいから戦争反対みたいな物ばかりで読む気になりますね。
うぽつです!
待ってました!
いつも見てます。大変かと思うけどがんばってください‼︎いいね押しとくわ‼️
ペリリュー戦を持久戦に持ち込めたのは ここ独特の岩山地が大きな要因の内の一つです。「山」と言っても、旅順の203高地のような典型的なものと違い、大まかに、縦長に複数の鋭い峰が走っている地形で、一つの山頂や峰を取っても、すぐ隣のものから銃撃を受け、その間には急斜面と深い小谷がよく見られると言う有様です。この為、重火器をここへ持ち込むのは非常に困難で、軽武装の兵力を送り込んだ米軍は 幾度となく損害を被っています。
又、この作戦計画時に、米軍ではパラオ諸島攻略に反対する意見もあったとのことですが、個人的にはそれに同意しています。アメリカ側からすれば、政治的にも戦略的にも重要でないパラオに貴重な陣地建設のリソースを肝心のレイテ島に替わって費やし、一万以上の兵力を孤立させて配備した日本軍の趣にわざわざ従わなくともよいのではないかと思います。
動画投稿お疲れ様です。
ありがとうございます!
長編お疲れ様です。北支那治安戦は関心があるので楽しみです。
ゲリラ掃討はいろいろ面白そうですよね
凄い映画があっても良さそうなぁ👍
そこら辺の感動映画とかアニメとか漫画より、感動出来るのが歴史。やっぱり歴史は素晴らしいと思った。 そんなことより、この話マジで道徳でして欲しい。
重さっていうことですね
@@medbyhi5114 創作物じゃ無いですからね
道徳でやるなら日本兵がやった悪事も洗いざらい紹介して、子どもたちに「この悪事は絶対繰り返さない」と思わせる授業じゃなきゃ意味がない
美化するな
@@abcd6473 そんなら日本がやった善行も洗いざらい紹介しないとアメリカの思う壺だよ
大本営はブリカスの下位互換だったけど、日本兵は割といいことしてたよ
陣地構成とかいう滅茶苦茶男心くすぐるワード
奇麗事でない話も...生き残った兵の間では喧嘩で殺人になってしまったり、本当に日本が降伏したんじゃないかと投降を主張した人が処刑されたりしたこともある。生き残りが生還するきっかけになった土田氏も味方に殺されることをかなり恐れていたようです。
その辺は 久山著 ”戦いいまだ終わらず”あたりに詳しいですね 著者が臨編陸戦隊所属で早々に敗残兵になっているので
こういう大負けの前の脇の出来事を知ってないと、単に「アメリカに物量で負けた」って話にしかならんのね
@@taaaaakaaaaa0000 ドイツなら負けの原因とか詳細に出てると思うんですけどね。
完全に物量だけでタコ殴りにされた戦場なんかそうは無かったはずですし。
@@taaaaakaaaaa0000 そもそも物量も含めて国力だしそれを言うのはナンセンスだよね。
そんなこと言ったら日本は海軍と陸軍の粘り強さだけだし、ドイツは陸軍の軍質だけだし
待ってました
ありがとうございます!
守備隊の鬼神の如きはたらき。
大東亜戦争史上、最も凄惨な戦いの一つだ。
ペリリュー島の戦闘を初めて知った時は戦争の悲惨さが身に染みた。
矢張り戦争はいけない。
しかし………。
国を守るために戦う事は必要だと思うよ
侵略されるのを黙って見過ごす事なんて出来ない
蛇足
日米ともに多くの犠牲を払い、そして今がある。
忘れちゃいけないね。。。
帝国海軍好きから見ても海軍の駄目っぷりが酷い
この動画を見た人ならほとんど全員ご存じの「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が良い漫画です。海軍は陸で戦闘する軍隊じゃないので許して。
対ソ連の精鋭が送られて、ソ連に対する守りが少なくなった
海軍…陸軍が不憫すぎる
これだけ壮絶な戦いだったのだからさぞ高い山なのだろうと思ったら、最高峰の大山ですら98m
日本軍はよほど強力な陣地を構築したのだろう
米軍パイロットの言葉
空港から日本軍の立てこもる東山へ攻撃まで約2分
それだけ近くとも2ヶ月立てこもるんだからね
もう悲惨な戦争はやめて欲しい
南方派遣と決まった第14師団(照兵団)は、駐屯する満州チチハルで、工兵第14聯隊倉庫から出火した。幸いにも兵器・器材を全部搬出できたが、元照兵団出身の補給士官が「南方へ行くからには陣地構築のため工兵器材は多いほど携行したほうがよい、火災で全部消失したと申請すれば新品を交付する」と入知恵してくれた。この好意で照兵団は規定の倍の工兵器材を獲得した。しかしそれが憲兵隊に露見してしまった。しかし師団長井上貞衛中将は否定したが、憲兵は横浜港に停泊中の「阿蘇山丸」を検査するという。そこで井上師団長は「船の出航は4月6日の午前10時」と伝えたが、当日の8時に出航してしまった。井上師団長がこうのような奇計を思いついたのは、工兵の面子と陣地構築のための工兵戦力を重視したためである。
(高橋文雄著 丸 別冊 軍司令官と師団長 パラオ防衛の名将 井上貞衛中将より)
このような名師団長がいたからこそ、水戸歩兵第2連隊はペリリュー戦でアメリカ海兵隊に大打撃を与える事ができたのかもしれない
出典付きで面白い話をありがとうございます!工兵資材を2倍持って行ったのは大正解でしたね しかし憲兵に嘘の時間伝えて出航しちゃう師団長は図太いなぁ・・・
@@ms08p34そうですね、井上師団長も度胸がありますね。でも生きるか死ぬかの戦場へ行くのですから、この判断は正解でしょう。なお、同出典によると、照兵団を乗せた東松5号船団は館山沖で対潜訓練を行いましたが、第15聯隊第5中隊の円栄太郎上等兵(群馬県出身)が潜望鏡を発見。報告しました。視察していた井上師団長は、即刻上等兵を兵長に進級させ、賞詞を授与しました。「信賞必則」を身上とする井上師団長の人すばらしい人間性が出ています。
うぽつです
海軍がワガママになるから陸軍が尻拭いされる理不尽ぇ・・・。アメリカからしたら前線で戦う日本兵は恐れつつも称賛したが、将校将軍には悪い印象が露骨に語られたんだろう(多分)
海軍さん平常運転じゃないですか()
陸軍が悪い海軍が悪いというよりそれらを統合できなかった大日本帝国の限界な気がする
統帥権の独立が全て悪い
海軍がごみすぎて魔理沙が可哀想になってくるw
ペリリュー楽園のゲルニカという漫画を思い出すなあ。あの漫画グロいんだよなあ
絵柄可愛らしいけどちゃんと悲惨ですよね
流石関東軍の精鋭部隊
うぽつ
元米軍兵の話で、日本軍の中には生きながら傷口に蛆が湧いていても、降伏せず戦っていた兵士もいたそうですね。生きながら蛆が湧いている人間は初めて見た、って言ってました。
ひめゆり学徒隊のような部隊の生き残りの人の話を沖縄へ修学旅行に行った際に聞いたけど、負傷兵がいる洞窟に入るとシャクシャクシャクという音が響き渡っていたとの事。これは腐肉を蛆虫が食らう音・・・。
「スリーデイズ、メイビー ツー」(三日か、二日で陥落させる)てのが米海兵の合言葉だったらしいが。
インパル作戦やガタルカナル、ペリリュー島の戦いをNHKの特集で観ましたが、どれも悲惨の一言でした。
特にペリリュー島では食料も医薬品も尽きて飢え死に寸前で戦っていました。
1万人以上いた日本軍で生存者が34人とか生存率0.34%・・・
ただし島民は全員逃がしていたので死傷者0という立派な数字。
戦後ここで戦った多くの米兵たちはPDSTに罹り長く精神的苦痛に苛まれたそうです。
戦死者を放置しておくと1時間経たずにハエが卵産んで蛆が孵り遺体が黒い塊になるような戦場での殺し合いの経験は死ぬまで家族にも話さなかった兵士が多かったそうです。
もしかするとペリリュー島や硫黄島、沖縄戦で大きな被害を出したせいで原爆使用が早まったのかもしれませんね。
あっさり占領されて負けていれば投下はなかったかもです。
なぜ海軍は有能で陸軍は無能というステレオイメージが定着したのか…
実際は全く逆ですね、海軍からは戦犯を出していないというのが大きいと思います。それから陸軍のプロパガンダが足りないと思います。
海軍が目覚ましい戦果を挙げたのは実の所セイロン島沖海戦しかないでしょう。
これも、天運に恵まれてのもの
映画や小説で海軍は大和や零戦でカッコいいっていう感じだけど、陸軍はあんまりメディアに出ないし、でたとしても泥試合みたいに書かれてるのが原因だと思う
政治の視点から見れば、絶対勝てないから戦争止めようと主張し続けた海軍は有能だし
楽勝と言ってた中国にも勝てないまま、イギリス、アメリカとも戦争始めようとする陸軍は無能ってなっちゃうと思う
@@Y.H-g9g 実際には「大陸で頑張っている陸軍より、対米戦争を想定し予算を分捕っておきながら何もしていない無能な海軍」との国民世論でした。その点で日米戦争はまさに『軍拡が戦争へとつながった稀有なケース』なんです。
アメリカ、イギリスが援助してたからね。
それが無ければ決着着いてたでしょ。
遅滞戦となり、フィリピンの独立が成った。アジア各国の独立という戦争目的を達成したのは日本だった。英雄は君たちだ。感謝を
日本が侵攻来なければ1945年に独立でしたが?
おびただしい現地人の死者と被害を出したのに褒められることではない。
貴重な資料はどこからの情報でしょうか。
概要欄に参考文献記載してるのでそちらをどうぞ
太平洋戦史って、よく
米軍:死傷者数 日本軍:死者数 を比較しがちよね。
意味合いが違いすぎる。
でも「損耗兵力」と見れば日本軍は基本全員死亡、米軍も戦傷者はほとんどが退役か予備役だから平等な見方な気がす
中川大佐だー。
日本軍の防御作戦が決定した一つだね
昭和18年(1943)11月6日大東亜会議(東京)を開催。
出席者は以下の通り。
日本・東條英機内閣総理大臣
中華民国、(南京)国民政府・汪兆銘、行政院長
満州国・張景恵、国務総理大臣
フィリピン共和国、ホセ・ラウレス大統領
ビルマ国・バーモウ内閣総理大臣
タイ王国・ワンワイタヤーコーン親王
インド・チャンドラ・ボース(ビハリ)
インドからは、日本と協力しインド全土のイギリス
(イギリス領インド帝国)からの完全独立を目指していた
自由インド仮政府、首班のチャンドラ・ボースが
参加しました。
海軍と比べて陸軍が優秀だったから戦後、必要以上に貶められたんかね?
日本軍初空軍?である、大戦末期に構成された”航空総軍”について知りたいな・・・と。
後でアメリカ軍ろはペリリュー島を素通りしてフィリピンに向かって行ったら良かったて言っている。日本がこの辺の航空制空権が無かった様に思えるし日本本土からの補給も出来ないでいたのではないかそれでは航空制空権は出来ないだろうと思うけど。
某南沙諸島を埋め立て平坦な人工島に基地を多数構築した某大陸国家。ペリリュー以降血みどろの戦闘を続けたこれら両国家の様にに南沙諸島を攻め取り護り切るだけの気概や戦力・経験そして根性は有るのだろうか?
長編作成お疲れ様です
ありがとうございます!
亡くなった日本兵の皆様へ、ご冥福をお祈りします…
結構頑張って、アメちゃんをいたぶったのね。左遷されたアメちゃんの責任者は泣きっ面かもしれない
主さんは「パシフィック」ってドラマ見られたことあります?海兵隊視点なんですけど太平洋戦線がいかに地獄だったかよく描かれてます。
ペリリュー島戦いの生存者へのインタビュー👇
ruclips.net/video/tfDXZGZjT4c/видео.html&t=1023%E3%80%80%E3%81%A7
ペ島の桜を讃える歌👇
ruclips.net/video/XVTycoOczLk/видео.html
世の中の陸軍悪玉論だと大本営や参謀本部は無能で唯一中川大佐と栗林中将だけマトモって良くも悪くもレッテル貼りますが、水際作戦を見直そうとしたのは参謀本部全体の思考転換だと思います。
大本営の堀栄三が早くから水際作戦を改めて敵兵を引きつける持久戦を構想していました。
また、水際作戦をおこなった島でもサイパン島やタラワ島では水際での攻防で失敗したあとも島の形状を利用した防衛戦と夜間斬り込みで多大な犠牲を米軍に与えています。
そもそも陸軍の秋丸機関は南へ行って西へ行く作戦を構想していたのにそれを握り潰してハワイまで攻め込んだり北はアッツ島南はオーストラリアの端のガダルカナルまで広げたのは海軍の山本五十六、黒島亀人、軍令部総長永野修身です。
MSさんは非常に冷静に海軍の問題点も指摘されているのでバランスの取れたいい動画が多いと思います。
衝撃的だよね
海軍乙事件で2機で脱出したとありますが、実際は3機です。
海軍乙事件での二式大艇遭難機は2機というのが一般的な話だと思いますが、3機というのはどのような資料を基にした話でしょうか?是非教えてください。
@@ms08p34 遭難したのはおっしゃる通り2機ですが、3機目は遭難せず無事到着しています 乙事件で海軍要員脱出に飛んだのは3機であって2機という説明は誤りです ネットをさらうだけではわからないですね 乙事件に関する書籍を読んでみてください
戦史叢書13巻79Pに”古賀連合艦隊司令長官は幕僚と共に大艇2機に分乗してダバオに転進途中行方不明”という旨書かれていたためこれを採用しました。
主旨と逸れるのであまり深く調べませんでしたが、海軍乙事件について調べてみようかと思いましたので、どの書籍に書かれていたか覚えていれば教えてください。
@@ms08p34 はじめまして。
私も何かの本で3機で脱出したと読んだ記憶があります。
3番機は遅れて到着して先行2機が遭難したと騒ぎになったかと。
楽園のゲルニカ読んだから来た
まともに連携取れてたら勝ててたよなぁ
いつも思うのだがBGMの軍歌はうるさい。もっと静かな音楽にできないのか。それとも令和の時代に戦意高揚を狙ってるのか。
海軍ボロくそで草
島国だから主力にならないかんのにこれなんて涙が出ますよ…
9:47
陸海航空作戦かあわさって
帝国陸海軍は合わさってましたか?
何回聞いてもペリユー島にしか聞こえない...
当時はそう呼んでたのか?
ダイビングでパラオに行き、帰国前日は飛行機での
減圧症回避のためダイビングはやめ
ペリリュー島ツアーに行き英霊の頑張りを知った
帰国後、家の中で廊下をかける音、障子を揺らす音など
怪現象が頻発
なんか東北に行きたくなり、東北旅行から帰ると怪現象はやんだ
その後、ペリリュー島の戦いを調べると、東北出身者が多かった
のを知り鳥肌が立った
自分が依り代になり、英霊を帰国させたなかな?
はーカロリンってスペイン由来なのねぇ
知れば知るほど海軍が嫌いになるw
いっつも陸軍が可哀想な目にあってるよな...
散々ヘマしてその上陸軍を馬鹿にしまくってるとか本当にクズすぎる...
わーい
福留嫌な顔してるなぁ。それに対して、中川さんは怖そうな顔してるけど、意外と優しそう。
この戦訓を生かして、尖閣諸島を要塞化すべきかもしれんよ。
ぶっちゃけこんなとこに投入されて
死ぬまで戦えとか正気の沙汰じゃない。
狂気の沙汰じゃない。→狂気の沙汰だわ。
間違ってました。
日本の国旗🇯🇵、パラオの国旗🇵🇼、、、日の丸☀️に似せて、海に満月🌕️!日本の光を浴びて輝くパラオの月🥺🙇親日国家なんです、、、
我が皇軍兵士は世界一精強な兵隊だー
海軍善玉論、どこ?ここ?
出てくる敵は、みんなみんな
殺せの曲久しぶりに聴きました。
なんか最近日本は、変な国に
なってしまいました。
16:46
これで日米双方の戦力一覧とかをみたら俺はどう思うだろうか
海軍には海軍の事情と作戦計画があるのです
陸さんにはわからないことがあるのです
この動画で相容れないなと確信しました