【衝撃】前田武彦が番組司会者を下された衝撃の事件....「バンザイ事件」が巻き起こった裏側がついに発覚...!!中村晃子との密かな関係...芸能界の二代司会者と言われた大橋巨泉との関係とは...
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- みなさん、こんにちは
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#昭和 #昭和芸能 #芸能界 #俳優 #女優 #前田武彦
大橋巨泉との司会「ゲバゲバ90分」は面白かった。
好事魔多し。やはり驕りがあったと思う。復活したけど痛々しかった。
宗教と政治の話は、安易な気持ちでしちゃいけない。
良ければ周囲から距離を置かれる程度で済むが、悪ければ仕事も人生も失う。
私にとっては
『朝のホットライン』のお天気マン=気象予報士のイメージです。
もし
『夜ヒット』のバンザイ事件が無ければ…
大橋巨泉さん同様に
大物司会者の地位をキープしてたと思います。
テレビにフリートーク芸を持ち込んだ先駆者。お昼のゴールデンショーや夜ヒットなど生放送の前武さんは強かった。ただ、フリートークに頼りすぎるあまり、巨泉さんほどセルフブランディングに熱心じゃなかった点で、番組に前武カラーを作れなかったのが惜しまれる。仮にバンザイ事件がなくても、昭和48年時点の前武さんは以前ほどの人気はなく、早晩仕事は減っていたかも…。結果的に、前武さんが干された穴を埋めたのが、タモリさんや久米宏さんだったと思う。
久米さんも後に「巨人バンザイ事件」で世の顰蹙を買いましたね😅。
故前田武彦が、笑点(日本テレビ)、笑って!笑って!!60分(TBS)の出演が短期で終わったのは、共演者やスタッフとの確執からだったのですね。
前武さんと言えば、巨泉さんとのコンビでゲバゲバ90分等を思い出す😮
ラジオで初めてフリートークをした人で、その才能には一目置かれていたものの、その分驕ってしまったんでしょうね。
盟友だった巨泉さんの方は、その辺りをうまくコントロール出来ていた感が。
もっとも、彼もセミリタイアした後は、左派系議員として政界入りした訳で、思想はほぼ一緒だったのでしょう。
最期の仕事となったTBSラジオの永六輔さんの番組も、巨泉さん同様、定期的にゲスト出演していました。
この番組,映像も音声も同じことを何回も繰り返す番組。最初の5分見れば十分なような。
前武さんなつかしいなあ。バンザイ事件はやらかしだったなあ。
死者を鞭打つ事は良くないとだけ思うのです、失敗しない人生を過ごす人など稀です。
あの🙌バンザイはリアルタイムで見てましたが「これはイカン」と
思いました。
番組をおろされて暫くしてからこの事件を
自虐ネタにしたCMに出てましたよ。
1960年代末期は「政治の季節」だったからね、マエタケも何か政治的パフォーマンスをしたくなったんだろうな。それを軽率と言ってしまうと酷だろうか。
泣かせると言うか何故か
女性歌手が泣いて前武に
顔を埋めるシーンが多かった
甘えてる感じだったよ
好きでも嫌いでも無かったけど…
傲慢ゆえのミス・・だな
前武の同じ写真が何度も出てくるのが、だんだんと面白く感じられてくる
巨泉とゲバゲバだった。
司会の大橋巨泉です!総合司会の前田武彦です^_^
8マンの作詞は前田武彦さん!
暫しの「干され」も、「8マンの第四の呪い」かもしれません。
桑田次郎の銃所持事件。克美しげる事件のほかに何かありましたっけ?
@@ichimi3035 「実写映画のおおごけ」と言われています。
@@秋山繁樹
ぅぁわう!あったんですね🤭!
wikiで見たら‘92 に宍戸開くんでと…記憶の端っこにも引っかかってませんでした😖
ありがとうございました🙋!!
この解説では、前田武彦の経歴に、重要な抜け落ちがある。それは大学に入る以前の彼の経験、大東亜戦中の体験だ。旧制中学から甲種飛行予科練を志願したが訓練に用いる飛行機が無くなり、特攻特殊潜航艇「蛟龍」搭乗員として配属され、出撃前の訓練中に終戦を迎えて九死に一生を得たという苛烈なる経歴だ。当時を回想して彼は、「ひどい時代で、上官は死んでゆく我々を毎日、棒で叩いていた」と、忘れてしまいたい記憶として、言葉少なに語っていた。戦後の高度成長期のあのころ共産党にささやかなシンパシィを抱いた心情も理解できるのである。
マエタケは嫌い ピンキーとキラーズのリサイタルのライブ盤(レコード)で司会をしててピンキーに対してこれでもかとセクハラ発言してた。ピンキーが可愛そうなくらい… 今の時代なら絶対的に許されないですね。
『ゲバゲバ90分』では出演者達が自分の登場する所で看板を持って出ていたのが印象的でした。
また、この番組には藤村俊二(おひょいさん)さんも出ていた記憶があります。
テーマ曲名はわかりませんが♪ジャージャジャジャンという騒々しい音楽であったと思います。
私は当時小学生でしたが『ゲバゲバ90分』は衝撃的な番組だった思い出があります。
話は上手い、人当たりは良いので嫌いではなかったが、チャンネル回せば出ていたせいか食傷気味だった。その頃テレビで「バンザイ」やって消えてくれた。丁度よかった。
80年代前半に日曜お昼のバラエティで裁判官の設定で出ていた記憶があります
記憶が曖昧なので間違っていたらごめんなさい
語るに値しない男である。
共産主義って・・、お察しだわ。
あの当時ゎ反日、社会、共産で無ければ芸能人で在らずの風潮珍しくないね。
上にも記したが、この解説では、前田武彦の経歴に、重要な抜け落ちがある。それは大学に入る以前の彼の経験、大東亜戦中の体験だ。旧制中学から甲種飛行予科練を志願したが訓練に用いる飛行機が無くなり、特攻特殊潜航艇「蛟龍」搭乗員として配属され、出撃前の訓練中に終戦を迎えて九死に一生を得たという苛烈なる経歴だ。当時を回想して彼は、「ひどい時代で、上官は死んでゆく我々を毎日、棒で叩いていた」と、忘れてしまいたい記憶として、言葉少なに語っていた。戦後の高度成長期のあのころ共産党にささやかなシンパシィを抱いた心情も理解できるのである。
私は朝のホットラインとそこが知りたいかな。
晴れ時々殺人
松任谷正隆のお父さん役
クセの強い人間性が顔に出ている
今の人って前武なんか知ってるの?(笑)
夜のヒットスタジオの司会進行をしてたのは、・・・俺ぜんぜんっ!知らなかった。まぁこの人もっ‼️、あまり好感度なかったから、どうでもいいが。😮
小学生の頃はゲバゲバも楽しみにみてました 巨泉さんと並ぶほどネームバリューありましたね バンザイ事件の事は親が言ってたのを憶えてます
調べてみたら俺の高校の大先輩だった。
もう今は、前武(前田武彦)、大橋巨泉、意地悪ばあさんことっ‼️、青島さん皆、他界された。
こんなのが笑点の司会者だったんだから笑っちゃうよ、ホントつまらなかった、でもそのあとが三波伸介、こいつも生意気で嫌いだった。
伸介さん、ゎ生意気とわ思わんかつた😮喜怒快楽、笑顔がよかつた。
生意気というかしょっちゅう怒ってたから、子供心に怖かった
三波伸介の時が一番面白かった。歌丸と小園遊の掛け合いが最高だった!
前武さんは
『笑点』には絶対合わないのは確かです。
三波さんは
強引&豪快な進行口調だったと思います。
圓楽さんは
気品のある進行口調だった様に思います。
多分、年下であろう君が「生意気」とほざくなよ!
長序の礼もわきまえないとは、日本人じゃないな?