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いつかの宣言通り郝昭の解説動画嬉しいです。友人に降伏を勧められても圧倒的大差の兵に囲まれても怯まず闘う覚悟が決まっててカッコいいです。
郝昭と張遼は魏でベストで好きな武将です。ありがとうございます。
ちょうど三國志13で重宝してたので解説助かります。
13:20 絵の使い方がクレエイティブ
諸葛亮の動きを言い当てた張コウといい、寡兵で陳倉守り切った郝昭といい、魏には化け物が多すぎる
か、夏侯某💦
@@菅原のしゅん ぼうさんは大事に育てられてまともに戦経験なかったとか笑
郝昭の遺言カッコいいですね(^^)
王平と姜維が蜀に降らないルートがあったら想定と撤退に定評のあった孔明もいくらかのダメージはあっただろう。郝昭、王双、曹真、張郃がいなくなっても五丈原には司馬懿がいた。北伐の撤退の原因が地理的状況から兵糧を運べないことにあるんだが、迎え撃つ魏軍の優秀で孔明の想定を上回ったこともありますね。いきなり山に登る味方もいましたが…。一次から三次までで感じました。
曹操四天王、五子良将、都督○○諸軍事以外にも名将がゴロゴロいるところ、魏の人材の厚みを感じますね。
蜀にもいたんだろ、だけど諸葛亮が採用しないんだろうね。
@@naghoge4いない
魏では満寵と並ぶ守備のプロのイメージ。
コーエーの能力値で見ると、郝昭の評価の方が高いまである(笑)
鉄壁の勇将ですよね、長生きできなかったのが惜しまれるでも攻防どっちでもほいほい人材が出てくる、魏晋は恐ろしい
郝昭も「演義」の犠牲者である。史実では陳倉を守り抜いたにもかかわらず、「演義」では重病のところを蜀軍が放った間者が放火し、城門を開いて関興と張苞が押し寄せてきたのを目の当たりにしたショックで吐血し、そのまま息を引き取ってしまった。孟達に討たれた徐晃といい、「演義」は今更ながら蜀びいきに見える。
演技見た後に他の作品を見たのでここまで違うかと驚きましたね!
演義はクソ
郝昭と言うと、諸葛亮からの使者にきた旧友に「去れ。俺は貴様を知っているが、矢は貴様を知らんぞ」と言う件が好きだ。
張遼龐徳郝昭鄧艾魏で好きな四大武将
確か、センターか全国模試試の漢文で出たよ。自分は横山三国読んでたから助かった〜
試験に出る三国志楽しく見ています いつもありがとうございます。詳しく知りたい武将は王化白羽扇の中で毒泉に兵が倒れた時に紹介された 後漢創世時の武将「伏波将軍 馬援」です。彼を書いた書物を見るとかなり現代に残っている逸話も多く有りもっと詳しく知りたいと思っていますが中々その書物に行き当たりません。厚かましいお願いですが宜しくお願い致します。
あくまで「正史三国志」に載っている人物がメインなので、中々に触れづらいかもです(´;ω;`)ある程度、三国志を解説し終えたら、裾野を広げるかもしれませんので、それまでお待ちいただければ、なんて(苦笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ・・・三国志に登場している人物はかなり多いので大変だと思いますが 期待してお待ちしております。これからも楽しみに拝聴させて頂きます。頑張って下さい。
郝昭のその後の活躍を見てみたかったですね。名もなき将の寡兵に敗北なので諸葛孔明も軍才は低くはないですが高くもないということがわかります。事前調査の不備が多いような?
郝昭に限らず攻めよりも守りに強い人を多数抱えてる国ほど滅ばないしかし、諸葛亮は内政における能力は凄いとは思うけど軍師としては能力を生かせる場所がもうなかった北伐が無理ゲーだったからね極論だが馬謖の失敗が蜀は打つ手なしになったと思ってる結果、郝昭への城攻めに繋がるわけだけれども後、北伐は毎度時間との闘いだっただからほぼ全部時間切れで詰んでた食料運搬で考えられた木牛流馬とかあの手この手で兵站を維持しようとしても間に合わなかったからね他にも兵站軽視の部下もいたし・・・
兵站軽視の部下とは、魏延?話によると長安急襲を考えてたようですが、これはかなりの賭けらしいです。そもそも、長安に行き着くまでの道が険しいので補給がままならないです。魏延は長安を夏侯楙が守っていることを知っていたから、いけると思ったのでしょうが、実際に北伐開始時には倍以上有能な曹真に代わってた為、可能性はもっと下がります。
@@YH-nu7wc 第一次北伐228年春は馬謖の影響で頓挫第二次北伐228年冬は速攻失敗で撤退第三次北伐229年春は一部領土を奪っているので僅かながらの成功第四次北伐231年春は輸送怠慢により食料困窮第五次北伐234年春は五丈原での持久戦、のちに諸葛亮病没食糧問題に関しては一次二次は速攻がメインと思われるので軽視と言うか、考えられてないかもしれないただ、それ以降は速攻だけでなく持久戦も考えてたと思うのでそこで兵站の問題があったかなと問題の武将は李厳です彼は第四次北伐の食糧輸送を怠った結果、庶民に落とされてますまた木牛流馬もその頃作られたのではないかなと思われています(開発時期不明)
遺言がかっこよすぎる 徹底したリアリストって感じ
カクショウきたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!ありがとうございます。
長野業正となんか似てる気がするんですよね
諸葛亮破り、西の防衛の達人、病死が勿体ない人こんなイメージですねぇ陳泰とか黄権とかどうですかねぇ
リクエストありがとうございます!しっかりと候補に加えさせていただきます!
歴史小説といえば個人的にですが田中芳樹氏のものがおすすめです。三国時代以外の作品が主ですが、『紅塵』(南宋の韓公子)、『奔流』(南朝梁の陳慶之)『風よ、万里を翔けよ』(隋の花木蘭)など。一応蜀漢でも書いてます。短編だけど。主人公が魏の降将夏侯覇という珍しい作品です。
というわけで、次回のリクエストとして夏侯覇など良ければ。この作品で実は夏侯覇と劉禅が外戚関係にあたる(夏侯淵の娘と張飛の間の娘が劉禅の奥さん)という事実を初めて知ったものです。
「万里を翔けよ」は特に自分も好きですね。夏侯覇も触れていきたいですね!しっかりと候補に加えさせていただきます!
攻城兵器を持って山道を抜けた諸葛亮、改めてすごい!組み立て式だったとしても、そこそこパーツ大きかったと思うしそういう無理をしていること、郝昭はわかっていたのかもしれない。最後の「この世は生者にこそ・・」みたいなところ、当時としては、稀な合理主義者だったのかもしれない。
まあ普通に考えたら武都、陰平攻略のための陽動って、関中方面の魏軍が陳倉の方に引き寄せられないと陽動にならないしねこの時援軍に来たのは荊州方面にいた張コウやし、陳倉攻略自体が陽動にはなってないよね
ちなみにこの時張コウは漢中の南鄭まで進軍していたらしいから、蜀軍を横撃しようとしたのかもしれんですね
諸葛亮は第一次北伐で3階級降格しているいつまでも降級したままでは国内情勢が不安定になる、だからこそ早く実績を上げる必要があったこの辺りも第二・三次と兵糧が少ないながら、立て続けに北伐を行った理由になるでしょうね
陳倉の戦いかぁ。描いている小説は少ない気がしますね。あ。架空戦記になってしまうけども、確か『諸葛孔明 対 卑弥呼』にはあったかな。あれはあれで面白くはあったな……。
史実を限りなく活かすなら、卑弥呼vs司馬懿ならワンチャン書けそうな気がします(笑)
陳倉を守り切った郝昭は勿論、演義だとやられ役扱いの曹真の先見の明も見事ですよね
諸葛亮のライバルって、司馬懿よりも曹真かなーって何となく思いますね(笑)
諸葛亮の悲劇は、漢初の張良・蕭何・韓信の役割を一人で担おうとしたこと。
大した名家ではないだろうけど字が「伯道」だから、いちおう一族の嫡系当主なんだな。そこらへんは職業軍人あがりだけどマジの平民だった張飛とは少し違うものだ。雑号将軍は反乱鎮圧や外地遠征の度にその都度任命するってのが本来の形だったようです。都に帰ってくれば任を解かれ本来の官職に復すものなんですね。常設官は車騎・驃騎・衛・前後左右・偏・俾の9将軍のみです。平東将軍とかすら適任者がいなければいなくてもいいっていうことみたいです。北伐に関しては圧倒的国力差がどうにもならないのはあったにせよ、総大将が夏候楙ならあわよくばイケたかも??って思えるところはあるんだけど、そんなところは明帝も百も承知で北伐軍が来るとわかった瞬間に曹真に替えた時点で蜀軍に勝ち目はなくなっていたかなって感じがします。対呉は張遼・満寵・楽進・曹休といったオールスター色が強かった配置に対して、対蜀は一歩地味目なメンツになってはいるように見えるけど中国全体で見れば突出した実力の持ち主で揃えているんですね、それがこの当時の魏の国力の強さなんだろうな。
因みに最も実権があったのは都督諸軍事を加えられた将軍で、車騎将軍・驃騎将軍・衛将軍であっても都督諸軍事を加えられていなかった場合、都督諸軍事を加えられた下位の将軍(四征将軍や四鎮将軍)の指揮下に入らなければならなかった。
【太原の白虎 郝昭伯道】洞口の戦いで先に名をあげ、石亭の戦いでも絶体絶命の曹休を救う活躍をした太原の同郷王允の甥である王凌彦雲。東の青龍が王凌ならば、西の白虎は郝昭です。223年に病身をおして出陣し没した張遼と入れ替わる様に登場してきた王凌と、最後は涼州刺史として赴任し225年に亡くなった同郷の温恢と入れ替わる様に活躍した郝昭。雑号将軍の話ですけど、さほど重要な事ではなく、郝昭の駐留していた金城が、隴西に近く河西回廊に要衝に位置し、その地の軍権を預かっていたというのが大事なのです。金城太守を務めた人物で、蘇則と共に有名なのは楊阜。第一次北伐の際、隴西の游楚救援に徐邈が金城の太守と参軍を派遣したという記述があります。徐邈は秦の古都である平陽(陳倉)の太守を務めていました。しかも、徐邈の最初の赴任地は、隴西で涼州戦線で活躍していた郝昭と面識があったと想われます。侍中兼任で魏郡太守を務め、広平郡と陽平郡に分割して司州管轄とし、冀州の政庁を安平に遷して役目を終えた温恢は、游楚を見出した涼州刺史張既が亡くなった後任として赴任し、入れ替わる様に徐邈が安平太守となりました。しかも、温恢は自分の後任に諸葛亮の旧友である孟建を指名しています。曹丕の急死後の人事で、呉質が河北諸軍事となり信都を治所にした事から、徐邈は安平太守を罷免されたのだと考えられます。孟建も涼州刺史を解任され、涼州には征蜀将軍・涼州諸軍事として尚書僕射の衛臻が駐留していたのでしょう。それに伴い、涼州の所属だった隴西・天水・南安・安定が雍州刺史郭淮の管轄に遷された事が、諸葛亮北伐の決定打となりました。郝昭や楊阜も閑職に追いやられた中で、諸葛亮の第一次北伐が挙行され、徐邈と共に決起して隴西の救援に駆けつけた事が曹叡に賞され、郝昭は陳倉に赴任したのだと考えられます。郝昭の治める領域は決して小さいものではなく、西晋時代に秦州と呼ばれる一帯を河西の要である金城を含めて統括していたと推察します。楊阜・游楚は中央に招聘されて曹叡の側近となっていますし、徐邈は涼州刺史となって異民族との友好関係を築き、郝昭の後ろに控えているのです。諸葛亮の第二次北伐は、魏が石亭の戦いで敗れて、外交の主導権を握った呉の要請を受け、不本意ながらも敢行されたものだと想われます。唯一の勝機は、天敵である張郃が中央に召還されて曹叡の許にいた事です。陳倉の戦いは、張郃が救援に駆けつけてくるまでが勝負でした。諸葛亮が陳倉城を力攻めにしたのは、そういった背景があったのです。陳倉を速攻で片付けるというのは、隴西一帯に動揺を広げ、魏に大きなダメージを与える事が出来ます。だから、諸葛亮は無理をしました。『焦れば事を仕損じる』郝昭の懸命の防戦は、周知の事実。張郃が想定外の速度で長駆し救援に来ている情報を、斥候を放っていて掴んだ諸葛亮は、迷わず撤退を決めました。転んでもただでは起きない諸葛亮は、この後陰平に転進し、返す刀で迎撃に出ていた郭淮の背後を取ります。陽動としてこの方面に展開していた陳式と共闘、虚々実々の駆け引きに恐れを為して逃げた郭淮を駆逐し、隠平・武都を制圧しました。【恐らく、郝昭は病をおしての戦いだったと想われます。だから、旗下の将兵も奮い立ったのでしょう。郝昭の活躍は、色褪せる事はありません。太原の白虎と呼ぶに相応しい人物です】《戦の勝敗は、兵士の数で決まるものじゃない。例え少数でも苦楽を共にした将兵ならば、その働きは数倍に及ぶ。現場叩き上げの将軍だからこその強味。郝昭が英雄になった理由》
第一次の轍を踏まないように只では転ばない進軍。趙雲&馬謖ポジションには自らが赴いて大失態を避けた(←趙雲はちゃんと仕事した。桟道焼き払ったけど)そもそも今回陳倉落とせると算段してたなら、なぜ第一次からそうしなかったのかが謎。石橋を叩いて時期を逃したのですかね。
涼州の各県が蜀漢軍に呼応したのを見ると、予め何かしらの示し合わせがあり、第一次北伐はそれを受けて祁山の地を抑えようとしたのだと思います。陳倉だと涼州から少し遠いですしね。
試験に出る三国志さん その通りでした。入念に仕込みをしてある祁山方面を損害少なく抑えられるなら、そちらが最優先でした。破綻したから止むなく次の策を打ったまでですね。
うぽつですリクエストですが蘇飛などどうでしょうか?資料が少ないかもしれませんが甘寧との関係が結構好きです
北伐シリーズお次は孟達とかどうですか?
雍闓と内容が酷似しかねないので、もう少し期間を開けて、触れていきたいですね(笑)
あ、孟獲と間違えてました(笑)孟達は是非とも!!(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 北伐シリーズと言いましたやん(笑)
郝昭って昔のコーエー三国志では(陳倉の戦いでの超活躍のせいか)かなりの智将扱いだったんですよね(無論最近でもバランスの取れた名将なんだがそれ以上)そのため三国志Ⅴでは郝昭を武者修行に出してイベントで知力1upさせて『軍師』に昇格させる裏技的テク(郝昭は知力89であと1で軍師)が流行った思い出w ※軍師になると率いる最大兵が20000(一般武将は8000からスタートで最大限出世してやっと20000)かつ『陣立』のスキルがついてターン数を消費することなく陣形変形が可能ちなみに同様のテクは(ちときついが)知力88の趙雲でも可能
めちゃんこ優遇されてたってのは結構有名な話ですよね。孔明に正面から勝ったのがやはり要因なんでしょうな
@@KOUMEI_NO_WANADA ビリヤード(玉突き)式に『孔明優秀』→『孔明と戦ったやつもそこそこ優秀』という流れは確かにありましたねw同様に『関羽と一騎打ちしたやつ(関羽と戦ったという事実だけで)武力そこそこ優秀』という理論もありましたね笑(黄巾の管亥は最初の頃武力90超え、袁術配下の紀霊は正史に特に個人武勇のエピないけど今でも武力80クラス扱いとかw)
いつも楽しく拝見させてもらってます。三国志大好きなんです。ところでこのイラストの作家は誰ですか?
概要欄に記載しております!Twitterも確認していただけると嬉しいです!
ドラマでも諸葛亮が「彼が立ってるだけで兵は必死に戦う」って言ってた気がする…すごい将軍ってことには変わらない
スリーキングダムだと、曹真・曹爽のせいで鉄壁の防御破られて「司馬懿様、役目を果たせず申し訳ありません」と自害する悲しみ
曹真を悪く描きすぎなんだよなぁ、どの作品も(笑)
カク昭が亡き後は、すぐに陳倉は落ちてしまうんだよね…そして、蜀の要所として機能していくんだよね…
いや、兵糧切れで撤退。
郝昭は言うまでもないが、今回陳式に史実でちゃんと功績があったことを気づいてしまった^^;
陳式は劉備や諸葛亮にも独立した指揮権で別働隊を委ねられてますから、だいぶ評価されていたと思いますね。なのに記録が薄味なので、なんだかモヤモヤする人です(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 意外にも蒼天では、あの徐晃に啖呵きったり巧く撤退したりとカッコいいシーンもあります。
長生きして居たら蜀の滅亡がもっと早くなっていたかもしれず、陳倉の戦い後に病で亡くなった本当に惜しい名将
曹叡が狂喜乱舞の大絶賛ですからね、重職には間違いなく就いてたでしょう(笑)
郝昭が一番好きです。
この人演義被害者でもあるよなあ…あと霊夢よ、久保カズヤさんという文学界の期待の新星にして偉大なる作家の教育的価値のある作品を読むのだ!!!
そうだそうだ!(露骨)
武田鉄矢「あんたが郝昭‼️」
のぼうの城の子孫かも知れない人です
ミスった攻めてたほうでした
干し柿をどうぞ(ォィ
まあ浅野家の人かも知れないだけですがね
@@KOUMEI_NO_WANADA さん家紋が浅野家と同じ。違いの鷹の波紋なだけだから違うかも
ウチは島左近と同じ家紋です(笑)
秘本・三国志がいいですよ。
演義や漫画やドラマの描写なのかも知れませんが、あの魏延が攻め落とせなかったことで、チート守護神の印象があります。
すっごいくだらないことなんですけどね…なんで并州と涼州が完全に地続きで書かれてないんだろうって地図を見るたび思ってました(ホントにくだらない件について)
匈奴の跋扈する「黄土平原」が広がってますからね。相当、軍事力に余裕のある統一国家が誕生しないと、維持は難しかったと思います(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 恥ずかしながら黄土平原を知らなかった(ので調べてきました)…にしてもあんなところにも匈奴はいたのか…
究極の一発屋ってイメージ。これほどの人物が目立たず埋もれてたあたりに魏の層の厚さの凄さを感じる。
涼州、幽州に居る将軍はバッチバチに鍛えられますからねぇ。ココを抑えてるだけで、魏は圧倒的に有利ですね(゜ω゜)
がっぴ…
いつかの宣言通り郝昭の解説動画嬉しいです。友人に降伏を勧められても圧倒的大差の兵に囲まれても怯まず闘う覚悟が決まっててカッコいいです。
郝昭と張遼は魏でベストで好きな武将です。ありがとうございます。
ちょうど三國志13で重宝してたので解説助かります。
13:20 絵の使い方がクレエイティブ
諸葛亮の動きを言い当てた張コウといい、寡兵で陳倉守り切った郝昭といい、魏には化け物が多すぎる
か、夏侯某💦
@@菅原のしゅん
ぼうさんは大事に育てられてまともに戦経験なかったとか笑
郝昭の遺言カッコいいですね(^^)
王平と姜維が蜀に降らないルートがあったら想定と撤退に定評のあった孔明もいくらかのダメージはあっただろう。
郝昭、王双、曹真、張郃がいなくなっても五丈原には司馬懿がいた。
北伐の撤退の原因が地理的状況から兵糧を運べないことにあるんだが、迎え撃つ魏軍の優秀で孔明の想定を上回ったこともありますね。いきなり山に登る味方もいましたが…。
一次から三次までで感じました。
曹操四天王、五子良将、都督○○諸軍事以外にも名将がゴロゴロいるところ、魏の人材の厚みを感じますね。
蜀にもいたんだろ、だけど諸葛亮が採用しないんだろうね。
@@naghoge4いない
魏では満寵と並ぶ守備のプロの
イメージ。
コーエーの能力値で見ると、郝昭の評価の方が高いまである(笑)
鉄壁の勇将ですよね、長生きできなかったのが惜しまれる
でも攻防どっちでもほいほい人材が出てくる、魏晋は恐ろしい
郝昭も「演義」の犠牲者である。史実では陳倉を守り抜いたにもかかわらず、「演義」では重病のところを蜀軍が放った間者が放火し、城門を開いて関興と張苞が押し寄せてきたのを目の当たりにしたショックで吐血し、そのまま息を引き取ってしまった。孟達に討たれた徐晃といい、「演義」は今更ながら蜀びいきに見える。
演技見た後に他の作品を見たのでここまで違うかと驚きましたね!
演義はクソ
郝昭と言うと、諸葛亮からの使者にきた旧友に「去れ。俺は貴様を知っているが、矢は貴様を知らんぞ」と言う件が好きだ。
張遼
龐徳
郝昭
鄧艾
魏で好きな四大武将
確か、センターか全国模試試の漢文で出たよ。自分は横山三国読んでたから助かった〜
試験に出る三国志楽しく見ています いつもありがとうございます。詳しく知りたい武将は王化白羽扇の中で毒泉に兵が倒れた時に紹介された 後漢創世時の武将「伏波将軍 馬援」です。
彼を書いた書物を見るとかなり現代に残っている逸話も多く有りもっと詳しく知りたいと思っていますが中々その書物に行き当たりません。厚かましいお願いですが宜しくお願い致します。
あくまで「正史三国志」に載っている人物がメインなので、中々に触れづらいかもです(´;ω;`)
ある程度、三国志を解説し終えたら、裾野を広げるかもしれませんので、それまでお待ちいただければ、なんて(苦笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA ・・・三国志に登場している人物はかなり多いので大変だと思いますが 期待してお待ちしております。
これからも楽しみに拝聴させて頂きます。頑張って下さい。
郝昭のその後の活躍を見てみたかったですね。
名もなき将の寡兵に敗北なので諸葛孔明も軍才は低くはないですが高くもないということがわかります。
事前調査の不備が多いような?
郝昭に限らず
攻めよりも守りに強い人を多数抱えてる国ほど滅ばない
しかし、諸葛亮は内政における能力は凄いとは思うけど
軍師としては能力を生かせる場所がもうなかった
北伐が無理ゲーだったからね
極論だが馬謖の失敗が蜀は打つ手なしになったと思ってる
結果、郝昭への城攻めに繋がるわけだけれども
後、北伐は毎度時間との闘いだった
だからほぼ全部時間切れで詰んでた
食料運搬で考えられた木牛流馬とかあの手この手で
兵站を維持しようとしても間に合わなかったからね
他にも兵站軽視の部下もいたし・・・
兵站軽視の部下とは、魏延?
話によると長安急襲を考えてたようですが、これはかなりの賭けらしいです。そもそも、長安に行き着くまでの道が険しいので補給がままならないです。
魏延は長安を夏侯楙が守っていることを知っていたから、いけると思ったのでしょうが、実際に北伐開始時には倍以上有能な曹真に代わってた為、可能性はもっと下がります。
@@YH-nu7wc
第一次北伐228年春は馬謖の影響で頓挫
第二次北伐228年冬は速攻失敗で撤退
第三次北伐229年春は一部領土を奪っているので僅かながらの成功
第四次北伐231年春は輸送怠慢により食料困窮
第五次北伐234年春は五丈原での持久戦、のちに諸葛亮病没
食糧問題に関しては一次二次は速攻がメインと思われるので
軽視と言うか、考えられてないかもしれない
ただ、それ以降は速攻だけでなく持久戦も考えてたと思うので
そこで兵站の問題があったかなと
問題の武将は李厳です
彼は第四次北伐の食糧輸送を怠った結果、庶民に落とされてます
また木牛流馬もその頃作られたのではないかなと思われています(開発時期不明)
遺言がかっこよすぎる 徹底したリアリストって感じ
カクショウきたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!ありがとうございます。
長野業正となんか似てる気がするんですよね
諸葛亮破り、西の防衛の達人、病死が勿体ない人
こんなイメージですねぇ
陳泰とか黄権とかどうですかねぇ
リクエストありがとうございます!
しっかりと候補に加えさせていただきます!
歴史小説といえば個人的にですが田中芳樹氏のものがおすすめです。
三国時代以外の作品が主ですが、『紅塵』(南宋の韓公子)、『奔流』(南朝梁の陳慶之)『風よ、万里を翔けよ』(隋の花木蘭)など。
一応蜀漢でも書いてます。短編だけど。
主人公が魏の降将夏侯覇という珍しい作品です。
というわけで、次回のリクエストとして夏侯覇など良ければ。
この作品で実は夏侯覇と劉禅が外戚関係にあたる(夏侯淵の娘と張飛の間の娘が劉禅の奥さん)という事実を初めて知ったものです。
「万里を翔けよ」は特に自分も好きですね。
夏侯覇も触れていきたいですね!
しっかりと候補に加えさせていただきます!
攻城兵器を持って山道を抜けた諸葛亮、改めてすごい!組み立て式だったとしても、そこそこパーツ大きかったと思うし
そういう無理をしていること、郝昭はわかっていたのかもしれない。
最後の「この世は生者にこそ・・」みたいなところ、当時としては、稀な合理主義者だったのかもしれない。
まあ普通に考えたら武都、陰平攻略のための陽動って、関中方面の魏軍が陳倉の方に引き寄せられないと陽動にならないしね
この時援軍に来たのは荊州方面にいた張コウやし、陳倉攻略自体が陽動にはなってないよね
ちなみにこの時張コウは漢中の南鄭まで進軍していたらしいから、蜀軍を横撃しようとしたのかもしれんですね
諸葛亮は第一次北伐で3階級降格している
いつまでも降級したままでは国内情勢が不安定になる、だからこそ早く実績を上げる必要があった
この辺りも第二・三次と兵糧が少ないながら、立て続けに北伐を行った理由になるでしょうね
陳倉の戦いかぁ。描いている小説は少ない気がしますね。
あ。架空戦記になってしまうけども、確か『諸葛孔明 対 卑弥呼』にはあったかな。
あれはあれで面白くはあったな……。
史実を限りなく活かすなら、卑弥呼vs司馬懿ならワンチャン書けそうな気がします(笑)
陳倉を守り切った郝昭は勿論、演義だとやられ役扱いの曹真の先見の明も見事ですよね
諸葛亮のライバルって、司馬懿よりも曹真かなーって何となく思いますね(笑)
諸葛亮の悲劇は、漢初の張良・蕭何・韓信の役割を一人で担おうとしたこと。
大した名家ではないだろうけど字が「伯道」だから、いちおう一族の嫡系当主なんだな。そこらへんは職業軍人あがりだけどマジの平民だった張飛とは少し違うものだ。
雑号将軍は反乱鎮圧や外地遠征の度にその都度任命するってのが本来の形だったようです。都に帰ってくれば任を解かれ本来の官職に復すものなんですね。常設官は車騎・驃騎・衛・前後左右・偏・俾の9将軍のみです。平東将軍とかすら適任者がいなければいなくてもいいっていうことみたいです。
北伐に関しては圧倒的国力差がどうにもならないのはあったにせよ、総大将が夏候楙ならあわよくばイケたかも??って思えるところはあるんだけど、そんなところは明帝も百も承知で北伐軍が来るとわかった瞬間に曹真に替えた時点で蜀軍に勝ち目はなくなっていたかなって感じがします。
対呉は張遼・満寵・楽進・曹休といったオールスター色が強かった配置に対して、対蜀は一歩地味目なメンツになってはいるように見えるけど中国全体で見れば突出した実力の持ち主で揃えているんですね、それがこの当時の魏の国力の強さなんだろうな。
因みに最も実権があったのは都督諸軍事を加えられた将軍で、車騎将軍・驃騎将軍・衛将軍であっても都督諸軍事を加えられていなかった場合、都督諸軍事を加えられた下位の将軍(四征将軍や四鎮将軍)の指揮下に入らなければならなかった。
【太原の白虎 郝昭伯道】
洞口の戦いで先に名をあげ、石亭の戦いでも絶体絶命の曹休を救う活躍をした太原の同郷王允の甥である王凌彦雲。
東の青龍が王凌ならば、西の白虎は郝昭です。223年に病身をおして出陣し没した張遼と入れ替わる様に登場してきた王凌と、最後は涼州刺史として赴任し225年に亡くなった同郷の温恢と入れ替わる様に活躍した郝昭。
雑号将軍の話ですけど、さほど重要な事ではなく、郝昭の駐留していた金城が、隴西に近く河西回廊に要衝に位置し、その地の軍権を預かっていたというのが大事なのです。金城太守を務めた人物で、蘇則と共に有名なのは楊阜。
第一次北伐の際、隴西の游楚救援に徐邈が金城の太守と参軍を派遣したという記述があります。徐邈は秦の古都である平陽(陳倉)の太守を務めていました。しかも、徐邈の最初の赴任地は、隴西で涼州戦線で活躍していた郝昭と面識があったと想われます。
侍中兼任で魏郡太守を務め、広平郡と陽平郡に分割して司州管轄とし、冀州の政庁を安平に遷して役目を終えた温恢は、游楚を見出した涼州刺史張既が亡くなった後任として赴任し、入れ替わる様に徐邈が安平太守となりました。しかも、温恢は自分の後任に諸葛亮の旧友である孟建を指名しています。
曹丕の急死後の人事で、呉質が河北諸軍事となり信都を治所にした事から、徐邈は安平太守を罷免されたのだと考えられます。孟建も涼州刺史を解任され、涼州には征蜀将軍・涼州諸軍事として尚書僕射の衛臻が駐留していたのでしょう。それに伴い、涼州の所属だった隴西・天水・南安・安定が雍州刺史郭淮の管轄に遷された事が、諸葛亮北伐の決定打となりました。
郝昭や楊阜も閑職に追いやられた中で、諸葛亮の第一次北伐が挙行され、徐邈と共に決起して隴西の救援に駆けつけた事が曹叡に賞され、郝昭は陳倉に赴任したのだと考えられます。郝昭の治める領域は決して小さいものではなく、西晋時代に秦州と呼ばれる一帯を河西の要である金城を含めて統括していたと推察します。
楊阜・游楚は中央に招聘されて曹叡の側近となっていますし、徐邈は涼州刺史となって異民族との友好関係を築き、郝昭の後ろに控えているのです。
諸葛亮の第二次北伐は、魏が石亭の戦いで敗れて、外交の主導権を握った呉の要請を受け、不本意ながらも敢行されたものだと想われます。唯一の勝機は、天敵である張郃が中央に召還されて曹叡の許にいた事です。陳倉の戦いは、張郃が救援に駆けつけてくるまでが勝負でした。
諸葛亮が陳倉城を力攻めにしたのは、そういった背景があったのです。陳倉を速攻で片付けるというのは、隴西一帯に動揺を広げ、魏に大きなダメージを与える事が出来ます。だから、諸葛亮は無理をしました。
『焦れば事を仕損じる』郝昭の懸命の防戦は、周知の事実。張郃が想定外の速度で長駆し救援に来ている情報を、斥候を放っていて掴んだ諸葛亮は、迷わず撤退を決めました。
転んでもただでは起きない諸葛亮は、この後陰平に転進し、返す刀で迎撃に出ていた郭淮の背後を取ります。陽動としてこの方面に展開していた陳式と共闘、虚々実々の駆け引きに恐れを為して逃げた郭淮を駆逐し、隠平・武都を制圧しました。
【恐らく、郝昭は病をおしての戦いだったと想われます。だから、旗下の将兵も奮い立ったのでしょう。郝昭の活躍は、色褪せる事はありません。太原の白虎と呼ぶに相応しい人物です】
《戦の勝敗は、兵士の数で決まるものじゃない。例え少数でも苦楽を共にした将兵ならば、その働きは数倍に及ぶ。現場叩き上げの将軍だからこその強味。郝昭が英雄になった理由》
第一次の轍を踏まないように只では転ばない進軍。趙雲&馬謖ポジションには自らが赴いて大失態を避けた(←趙雲はちゃんと仕事した。桟道焼き払ったけど)
そもそも今回陳倉落とせると算段してたなら、なぜ第一次からそうしなかったのかが謎。石橋を叩いて時期を逃したのですかね。
涼州の各県が蜀漢軍に呼応したのを見ると、予め何かしらの示し合わせがあり、第一次北伐はそれを受けて祁山の地を抑えようとしたのだと思います。
陳倉だと涼州から少し遠いですしね。
試験に出る三国志さん その通りでした。入念に仕込みをしてある祁山方面を損害少なく抑えられるなら、そちらが最優先でした。破綻したから止むなく次の策を打ったまでですね。
うぽつです
リクエストですが蘇飛などどうでしょうか?
資料が少ないかもしれませんが甘寧との関係が結構好きです
リクエストありがとうございます!
しっかりと候補に加えさせていただきます!
北伐シリーズ
お次は孟達とかどうですか?
雍闓と内容が酷似しかねないので、もう少し期間を開けて、触れていきたいですね(笑)
あ、孟獲と間違えてました(笑)
孟達は是非とも!!(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
北伐シリーズと言いましたやん(笑)
郝昭って昔のコーエー三国志では(陳倉の戦いでの超活躍のせいか)かなりの智将扱いだったんですよね(無論最近でもバランスの取れた名将なんだがそれ以上)
そのため三国志Ⅴでは郝昭を武者修行に出してイベントで知力1upさせて『軍師』に昇格させる裏技的テク(郝昭は知力89であと1で軍師)が流行った思い出w
※軍師になると率いる最大兵が20000(一般武将は8000からスタートで最大限出世してやっと20000)かつ『陣立』のスキルがついてターン数を消費することなく陣形変形が可能
ちなみに同様のテクは(ちときついが)知力88の趙雲でも可能
めちゃんこ優遇されてたってのは結構有名な話ですよね。孔明に正面から勝ったのがやはり要因なんでしょうな
@@KOUMEI_NO_WANADA ビリヤード(玉突き)式に『孔明優秀』→『孔明と戦ったやつもそこそこ優秀』という流れは確かにありましたねw
同様に『関羽と一騎打ちしたやつ(関羽と戦ったという事実だけで)武力そこそこ優秀』という理論もありましたね笑(黄巾の管亥は最初の頃武力90超え、袁術配下の紀霊は正史に特に個人武勇のエピないけど今でも武力80クラス扱いとかw)
いつも楽しく拝見させてもらってます。三国志大好きなんです。ところでこのイラストの作家は誰ですか?
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ドラマでも諸葛亮が「彼が立ってるだけで兵は必死に戦う」って言ってた気がする…すごい将軍ってことには変わらない
スリーキングダムだと、曹真・曹爽のせいで鉄壁の防御破られて
「司馬懿様、役目を果たせず申し訳ありません」と自害する悲しみ
曹真を悪く描きすぎなんだよなぁ、どの作品も(笑)
カク昭が亡き後は、すぐに陳倉は落ちてしまうんだよね…そして、蜀の要所として機能していくんだよね…
いや、兵糧切れで撤退。
郝昭は言うまでもないが、今回陳式に史実でちゃんと功績があったことを気づいてしまった^^;
陳式は劉備や諸葛亮にも独立した指揮権で別働隊を委ねられてますから、だいぶ評価されていたと思いますね。なのに記録が薄味なので、なんだかモヤモヤする人です(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 意外にも蒼天では、あの徐晃に啖呵きったり巧く撤退したりとカッコいいシーンもあります。
長生きして居たら蜀の滅亡がもっと早くなっていたかもしれず、陳倉の戦い後に病で亡くなった本当に惜しい名将
曹叡が狂喜乱舞の大絶賛ですからね、重職には間違いなく就いてたでしょう(笑)
郝昭が一番好きです。
この人演義被害者でもあるよなあ…
あと霊夢よ、久保カズヤさんという文学界の期待の新星にして偉大なる作家の教育的価値のある作品を読むのだ!!!
そうだそうだ!(露骨)
武田鉄矢「あんたが郝昭‼️」
のぼうの城の子孫かも知れない人です
ミスった攻めてたほうでした
干し柿をどうぞ(ォィ
まあ浅野家の人かも知れないだけですがね
@@KOUMEI_NO_WANADA さん家紋が浅野家と同じ。違いの鷹の波紋なだけだから違うかも
ウチは島左近と同じ家紋です(笑)
秘本・三国志がいいですよ。
演義や漫画やドラマの描写なのかも知れませんが、あの魏延が攻め落とせなかったことで、チート守護神の印象があります。
すっごいくだらないことなんですけどね…
なんで并州と涼州が完全に地続きで書かれてないんだろうって地図を見るたび思ってました(ホントにくだらない件について)
匈奴の跋扈する「黄土平原」が広がってますからね。
相当、軍事力に余裕のある統一国家が誕生しないと、維持は難しかったと思います(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 恥ずかしながら黄土平原を知らなかった(ので調べてきました)…にしてもあんなところにも匈奴はいたのか…
究極の一発屋ってイメージ。これほどの人物が目立たず埋もれてたあたりに魏の層の厚さの凄さを感じる。
涼州、幽州に居る将軍はバッチバチに鍛えられますからねぇ。ココを抑えてるだけで、魏は圧倒的に有利ですね(゜ω゜)
がっぴ…