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多少ストーリーに触れているので、それが嫌な方はぜひ映画観た後に見てください🙏
今日2回目見てきて、この動画を見つけました。コンサートのお父さんの視点になるシーンが本当に好きです。自分ではどうにも確かめることができない娘の声に、多くの人が酔いしれているのを自分の目で確信した時のあの表情はもはや演技とは思えませんでした。ルッシ家の4人は演技を見ているというより、ドキュメンタリーを見ているのかと感じるほど自然で、耳が聞こえるかどうかより、俳優として本当に素晴らしい方々なのだと感じました。
初めまして。米国在住です。日米の違いに触れていらっしゃるのを見て、一言。母役のMarlee Matlinは今回の映画製作が始まった時、夫、息子役を聴者の俳優を起用すると聞いて「ろう者を起用しないのであれば、私は出演しない」と発言したとインタビューで言っていました。彼女自身coda4人のお母さんで、1987年にアカデミー賞主演女優賞を受賞していながらろう者の代表としてハリウッドで戦ってきたゆえに、限りなくcodaの真実の姿を見せたかったと話していました。日本から見ると米国は恵まれている環境のように見える部分もあるかと思いますが、当事者からすると米国もまだまだ、という現実があることをお伝えしたくコメントさせて頂きました。もし機会があれば製作者、俳優のインタビューを見てみてください。最後になりましたが、映画関係のビデオ閲覧中にこちらにたどり着きました。素敵なチャンネルを作られていますね。これからも貴重な情報発信を続けてください!
こんにちは、レポートありがとうございました。「ルビーの声が変だ」と学校でからかわれていたのは、発声のことだけでなく、おそらく手話文法に引っ張られてでルビーが英語を喋ったということもあったんでしょうね。なお、DVD版では「ママはミスコンで『聴者』に勝ったぞ」って夫婦で盛り上がってました。字幕がすべて「ろう者」「聴者」になってました‼️きっと指摘があって、販売時に字幕を考え直して改善をしたんですね❤Both Sides Now♪それぞれのDISTANCEへの気付きと発見。そして接近。勇気を出して湖水に飛び込む若者たち・・字幕も前進してました。ちょっと嬉しい。いい映画だったです。
この動画きっかけでこちらのチャンネルに出会えました。私は英語の音声はそのまま理解できるのですが、ASLは全く分からないので、日本語字幕に頼っていました。「聾唖」じゃなくて「ろう」、「健聴者」の「健」は不要、言われて初めて気づきました。ご自身の体験を交えた貴重な解説、ありがとうございます。日本語字幕、直るといいなぁ…
本日鑑賞した者です。お話しされてる内容(特に最後の字幕の点)は当事者でらっしゃる方だからこそ気づかれたことですね…教えてくださりありがとうございます。何も引っ掛からなかった私は単に不勉強だったと痛感しますし、細かい単語にニュアンスが差別に繋がることって常に気をつけるべきことだと思います。共生の社会を目指すなら尚のことですよね。
昨日見に行きました!私はろう者で息子がコーダなのでそれぞれのシーンに経験や今までの事に重なって心にきたり考えされたりしました。また私の家族(父、母、妹、弟)はみんな聴者です。逆に家族が聴者で一人だけろう者というのを映画作ってほしいなぁ(笑)息子とのコミュニケーションですが私は手話と発音(発音は自信ないですが育ってきた環境でつい声出してしまいます)で息子は全て手話で返してくれます。できるだけ通訳は頼まないようにしてますがどうしても間に入ってもらう時があります...。本人は気にしてないみたいですが責任感、やらないと!とは思ってほしくないという気持ちあります...。でも映画はとっても良かったし観て良かったと思いました!(聾唖、健聴者という言葉には同じく引っかかりましたけど笑)長くなりましたがコーダtvいつも拝見しております。コーダ当事者の立場とか気持ちなど参考になりますしこれからも動画楽しみにしています。
ありがとうございます😊自分だけろうで他の皆は聴者っていうのはろう者にとってはけっこうあるあるですよね。そういう生活で直面することをろう者の視点から作り込まれた映画があればとてもおもしろそうだなあと思いました🤔息子さん手話できるの羨ましい、、生活しててとっさにコーダが通訳するのは仕方ないことだと思いますよ〜そこで多少の責任感を感じていてても、息子さんを押し潰すほどの大きな責任感でなければ、とりあえずは心配いらないのかなと思います!
CODA今日、2回目見に行きましたよ 泣けますね同じところで涙が止まりませんでした。ルビーの歌の発表会の時に無音になり、お父さんが周りを見渡すところや ルビーの歌声を首に手を当てて歌を感じるところに涙腺崩壊です。アカデミー賞候補ですよね賞を取るでしょう きっと
僕も2回見に行きましたー😊お父さん役の俳優も賞にノミネートされましたね!ぜひ取ってほしいです👌
CODAたった今見てきました。勝手に個人の感想をつらつら書きます!父のフランクの視点になった瞬間に心が揺さぶられまくりました!私は今までの人生で1度も耳の不自由な方(なんて呼べば良いか…失礼に思ったら申し訳ありません。)に出会ったこともなかったので、このシーンが来るまで「どこまで聴こえているんだろうか。口の動きとかである程度分かるってテレビで聞いたことあるけどなぁー。」なんてことを無意識に思ってました。ところが、フランク視点になった瞬間に、自分がそう思ってたことに気づいて、フランクの立場になって考えらていなかった自分に恐ろしさを覚えました。何も分かっていないのに、分かったつもりになっていたからです。さらに、フランク視点に切り替わった一瞬。「可哀想」なんて気持ちも起こりました。ルビー以外のロッシ家にとっての世界をどうして可哀想なんて思えるのか。耳が聞こえることが良いこと。聞こえないことは弱者で可哀想な存在だと誰が決めたんだと。兄のレオの「卑屈になるな。無力じゃない。」の言葉が刺さります。この映画は感動したけれど、私は泣けませんでした。というより泣いてはいけないという気持ちでした笑他にもルビーと兄の逞しさもカッコよかったし、父も子供を1人の人間として見る姿勢も勉強になりました。母は少し理解度が低く見える演出が逆にリアルでいいなと思います笑 もう一度見に行こうと思います!
元ろう学校事務員で、日本語対応手話が少しわかります。とてもいい映画でした。映画を見ながら、ろう学校にいたときのことをいろいろと思い出しました。私も字幕を見て、「ろう者と聴者でしょう。」と思っていました。ろう者の文化を多くの人に知ってもらいたいと、思っていますが、この映画はそのきっかけになってくれる気がします。
DVDでは直されて「ろう者」「聴者」になっていました。前向きに改善していこうと販売者側で改訂に取り組んだのでしょうね
映画見に行きました。手話を勉強中の聴者です。笑って泣いて久しぶりに感動しました。海外の映画は、ろう者の役は、ろう者が演じますよね 日本だと、聴者の俳優が手話を勉強して演じますよね それが何とも、お国柄なんでしょうか?
映画良かったですよね!マイノリティの役はそのマイノリティに演じてもらおうという考えがないんだと思います🥲聴者がろう者を演じることでろう者の活躍の場がなくなるし、誤ったイメージが広まりかねないんですけどね、、
忍足亜希子さんの主演映画「アイ・ラヴ・ユー、 アイ・ラヴ・フレンズ、 アイ・ラヴ・ピース」と映画「僕が君の耳になる」は当事者役は全員、実際の当事者を起用して、映像には最初からバリアフリー日本語字幕付きで上映しています。それ以外の聴者の脚本、監督が手掛けた手話が出てくる映画は聴者が手話を覚えてろう者役を演じて、映画の中に初めからバリアフリー日本語字幕付きではない作品が多いですね。
@@codatv1 しょうがいを持ってる人に、そのしょうがいを表に出せって、しょうがいは辛くて悲しい気持ちに決まってるから、そんなかわいそうなことしちゃダメって、ジョーシキじゃん!という勢がまだまだ多いのが日本だし、当事者としても、なるべく触って欲しくない勢が多いし、それなら、触らないのが思いやりだから、聞こえない人が聞こえないのは当たり前じゃん?別にどこも悪くないよね?という域には、まだまだ…
遅れて映画を鑑賞しました。当事者さんのノートを共有していただいて、また視点が広がりました。正直映画を観た時は、母が聴こえない子で生まれて欲しかった。と伝えるシーンはで、聴者の私はすごく傷つきました。聴こえる子で生まれてしまってごめんって思うからです。ですが、ノートを読んで"子ども、家族とわかり合いたい"と思う1人の母としての真っ直ぐで正直な気持ちを、伝えたんだ…と。(すごくチャレンジな演出ですよね)気持ちを理解し合うって、聴こえる聴こえない関係なく難しいことですよね。ただ、知りたいとか理解したいという気持ちを持つ事が大きな一歩で、そこから始まるんだなと思います。明日からまた、周りの人たちを理解していく気持ちを忘れずに持って生きていこうと思います。
この映画を観て、子供にはちょっとまだ見せられないのですが(笑)子供にも感想を言った影響か子供も手話に興味を持ったので良い映画を作ってくれたなぁと思いました。当事者にならないと分からないし、想像することしか出来なかったので是非皆さんに観ていただきたいですね😄皆さんと同じところで私もボロ泣きだったのですが最後のエンドロールの字幕で私は涙腺崩壊しました😂
コーダtv登録していて紹介されていたから、コーダ愛の歌を見ました。俳優さんが本当にろうあ者だったのが臨場感を感じられる価値ある映画だと感じました。それと、ろうあ者の視点で娘の歌声が聞こえない場面が、映画の中で音が無くなって、それに一瞬びっくりさせられたけど、音が聞こえない気持ちを意識させられドキリとしました。観客の表情から娘の歌の素晴らしさを知る場面が、自分じゃ知り得ない部分を少し意識させられたのも、視点が違って学びになりました。このRUclips見てなかったら、知らなかった映画ですし、コーダの立場の発信を知っているからこその視点でも見ることが出来ました。私は字幕じゃなく、日本語吹き替えでみたので、字幕の駄目さがわからなかったです。多分、それはコーダじゃ無いと説明出来ない部分なのだと思いました。
素晴らしい。楽譜を購入した後に視聴しています。
私も最初は聾唖者という表現に違和感を感じましたが、今振り返ると、あえて聾唖者と表現していたのかなと思います。聾唖者との表現は、ルビーの家族が自分達が耳が聞こえないことを表現する場面で使用していたと記憶しています。そして、彼らは自分達が耳の聞こえないことについて引け目を感じている様子でした。聾唖者という表現は、ルビーの家族が耳の聞こえないこのについて引け目を感じているというニュアンスを伝えたかったのではないかなと思います。聾唖者と表現されているのがルビーの家族だけではない場合は少し違う考察なので、あくまで私の記憶の範囲内での考察ですが。
私も映画を観ている途中からずっともやもやしていて、字幕が聴者向けの普通の字幕だったのかとても残念でした。字幕は配給会社のお仕事なんですが、映画の内容からも、ろう者の方も観に来られると予想出来たはずなのに字幕を作成する時に配慮が無かったように感じたのが残念でした。
そうなんですよね、、日本の配給会社が勉強が足りなかったとしか言いようがありませんね😑
「守ってあげないといけない可哀想な人達」みたいなステレオタイプな障害者の描き方が凄く苦手なんすけど、それじゃなかったのが良かった。ぼさっと生きてたら知る由もなかった彼らの人生や世の中の「見え方」をあの瞬間に感じさせられた。表記の件は分からない。どんな言葉になってもハンディを持った人々を指し示す言葉は存在し続けるし、多少ニュアンスが変わったところで、「区別」はついてしまうから。僕はシチュエーションによって使い分けるだろう、おそらく字幕作成者だったら今の世の中に浸透してる方の単語をチョイスする。
あなたの唖と健の的確なコメントに共感‼です。
日本語字幕が変えられたのか分からないですが、聾唖者、健常者の部分は自分が見た時は変えられてましたよ!
先週やっと観てきました。CODAと言う言葉に出逢ったのは、大人になってだいぶ経ってからです。五十嵐さんの著作も昨年拝見しました。ルビーに共感できる場面がたくさんあり、やや嗚咽気味でした💦💦💦けれど敷地内同居の祖父母がいた事、また両親のろう学校時代は手話禁止な時代でもあり、置かれていた環境としては投稿者さまに近いかと思います。様々なツールの普及なども関係しますけれど(年代がバレそうですが、比較的幼い頃に家庭用faxが実家に導入されました)お伝えしたい事がなかなかまとまらずごめんなさい🙏今個人的に人生の分岐点にたっております。拒否権も何なら人権もない、そんな生活に元々耐性があったって事か…向き合わなければいけない、けれどそこに生まれたからには防ぎようもなかった事実。両親だけが悪い訳ではないし、様々な時代背景やそもそも日本に強い男尊女卑文化もあります。手話を禁止された時代、言語を獲得する事すらできなければ…いろんな事は想像に難くありません。すみません、一度終わりにします。たくさんのCODA当事者の方がたが発信されている事に感謝します。ありがとうございます😊
『エール!』をプライムビデオで観たことがあります。『コーダあいのうた』の話を聞いたら、そっくりだったから同じものかなと思ったら、フランスの映画のリメイク版が『コーダあいのうた』でした。いい映画は、世界中広がるもんですね。
今回はリメイクなんですよね!ただエールと全く同じなわけではなくて、そこが良かったなあと思いました👌
9:00 頃から話されている、物申したいの部分ですが、アマゾンプライムの方で観たところ、ろう者というような表現になっていました。映画公開時から改めたんでしょうかね。よかったです!感想、とても楽しく見させていただきました。他の動画も見させていただきます😌
Praime Videoで元のフランス映画 エール!があり映画を観ました。エール!も村長のセリフで「聾唖者」と日本語字幕で出していましたよ。
ただの言葉もだけじゃなくて、その言葉がどう使われてきたのかを字幕作る時には調べてほしいなあと思いました、、
職場以外ではほぼ補聴器は着けない、手話に興味はあれど口話しか出来ない、でも補聴器は十分に必要な難聴者です。そんな自分としては、健聴者という言葉は聴者という言葉よりも使いやすいです。聴者⇔ろう者という括りになってしまうと、少なくとも自分は聴者になってしまいます。ただおっしゃるように、健康、健全というイメージを含んでしまう可能性があることは理解出来ます。ざっくり見れば、完聴者、全聴者はほとんどいなくて聴者のほとんどはある意味では難聴者なので聴者という言葉でも良いのかも知れませんが、少ししこりの残る話でした。本題とズレた揚げ足取りみたいな話ですみません😓
動画いつも拝見しております。映画、観に行きました。ウルっときました…私は音楽をしている身でして、父親が、娘の喉に手を置いて、声を手から感じているシーンに、とても感銘を受けました。(ベートーヴェンのこともその時思い出しました。)そして、何か違和感があるなと思っていたのですが、「物申」されていた日本語字幕の部分だったのかと分かり、腑に落ちました。気付かせていただき、ありがとうございます。(場違いなコメントでしたら、申し訳ないです…)
いえいえ!コメントありがとうございます😊映画良かったですよね!!字幕は他にも、歌詞の字幕に「♪」などの記号がなくてセリフと見分けづらいとか、たまに手話が字幕化されてなかったりとか、酷いものでした、、🥲
とても勉強になりました。ありがとうございました。
大変勉強になりました。
今日、映画「CODA」を観ました。事前の情報ゼロで、CODAって何?っていう状態で、映画館で今すぐ観られる映画がCODAだったという理由だけで観ました。結果、衝撃的でした。ユーモアもあり、本質的な問いもあり、もちろん、歌もあり、本当に観て良かったです。聾唖者と健聴者という字幕に違和感を感じながら観ていましたが、コーダtvの説明でスッキリしました。DVD化、もしくは、サブスクで観られるバージョンの時は、「ろう者」「聴者」のような和訳となることを望みます。以下、ネタバレになりますが。あの素晴らしい歌を無音・無声で、結構長い時間流していた、あのシーンは引き込まれました。あの表現方法は、素晴らしいと思いました。また、2回目、観に行こうかな。
こんにちは、お勧め動画でした。コーダを観て感動また最近オーディションの歌が好きすぎて。画像とダブルだと目頭が緩みます。身近にいませんが出くわしたら普通に挨拶ぐらいしようと感じます。元になった映画も観ようと思います。あなたと知れたきっかけです。SNSの良いところ
すごくいい映画なのに、なんか引っかかると思ってたので、お話を聞いてあー!字幕のせいか!となりました。納得です。
字幕はですねー、、他にも歌詞の字幕に「♪」などの記号がなくてセリフなのか一見わかりづらいとか、手話がたまに字幕になっていなかったりとか、ツッコミどころが多かったです🥲あと、歌唱中に無音になるシーン、補聴器してないと「無音になることでろうの両親の立場を擬似的に体験する」っていう演出がわからないと思います。実際父はその演出に気付いてなかったですしほんとに残念でした🙃
封切られて1回。アカデミー賞作品賞を受賞されて1週間限定で映画館に来たので2回目見ました😃Both sides nowという曲の歌詞が、 光と影、勝ちと負け…という対比が深く、考えさせられました。1回目は感動の家族の物語に涙涙でしたが、2回目は、その先の自分が取るべき態度や振る舞いについて考えさせられました。お話をお聞きして更に理解致しました。そして配慮の足りなかった字幕にも、なるほどと!
素晴らしい事を言ってくれた事は良かった。ありがとうございます
いえいえ😊
先日動画配信にてコーダを観ました。知識を深めたくコーダについて検索した際にこの動画を見つけました。配信では字幕は「ろう者」「聴者」となっていました!この動画などの声がきっかけになったのでしょうか。違和感が少しでも減るように替えてくれたのでしょうか。^ ^心に残る映画でした。
世界には、沢山の手話で話す役者をキャスティングした映画がありますね☺️私の記憶で1番古い映画では、モノクロ映画でしたし、演じた役者は聴者でしたが、『ヘレン・ケラー』は幼い私には、衝撃的な映画でした…お話されている字幕の件ですが…字幕数の制限で、言語とは違う表現をいた仕方なくされる事が、多々ありますが…う〜〜〜ん(๑•ૅㅁ•๑)何とか、ならんかったかね…と私も思いました…脚本家や監督、役者達の熱量を感じる分、ホンマに残念な字幕表現でした😭ただ、ヤング・ケアラーで現在、誰にも助けて貰えない人達が、誰かに気付いて貰えるキッカケが少しでも、増えていって理解やサポートを受けれる社会システムとなって欲しいですね…。字幕の件以外は、本当に良い映画🎬🎞でした😌
ヘレンケラーの映画があるんですね!字幕はほんとに残念です😑たしかに今ヤングケアラーっていう言葉が知られてきてますし、その第一人者?の澁谷先生はコーダを元々研究されてた方ですから、この映画を機にコーダも含めて子どもながらに大人を支えてる存在に気づいてほしいですね👌
アマプラで観たら「ろう者」になっていました。訳に違和感を覚える人々の声が届いたのかなと思いました。
私がCODA見に行ったときは、ろう者と聴者という表記でした。この映画とても感動して少しうるうるしました。
実際のコーダの方のお話は大変勉強になりました、ありがとうございました。ろうの方はこの映画(ほかの映画も同様ですが)を観る時はやはり字幕だけで内容を理解する…のでしょうか?素敵な歌声などを、身体で感じ取れる最先端技術があれば良いのですが。
基本的には字幕だけだと思います~!この映画に関して言えば、アメリカ手話がわかる人はそこからも内容を理解できます。補聴器をつけていれば、音が出ているかどうかはわかりますが、それがどんな音なのか聞き分けるのは難しいことだと思います。
拝見いたしました!ご両親の、映画の率直な感想もお伺いしてみたいです。
明日上げます!!ぜひそちらを見てください👌
動画拝見いたしました。サムネイルの手話の意味はI love youでしょうか?指を交差するタイプとしないタイプがあるのでしょうか?
調べてみたところ、この手話は「I really love you」という意味だそうです🤔
ありがとうございます!なかなか調べてもわからなかったので助かりました!これからも動画楽しみにしています
アマプラで吹替版、ガイド付き字幕版で見ました。字幕版より吹替版のほうが良いと思ったのは、字幕の質の問題もあったのですね。私が吹替版のほうが良いと思った典型的なシーンが、サイレントなシーン。字幕は字幕が「うるさくて」そちらに引きずられたのですが、吹替版のほうが、父親の視点にすっと入っていけました
コーダーカルテットのコーダも同じ意味ですか?
今日見て来ました。いろいろ考えさせられる映画だったけど、とっても良かったです。
😍🙌
とても通俗的でいわゆる娯楽映画でその意味では退屈でした。
多少ストーリーに触れているので、それが嫌な方はぜひ映画観た後に見てください🙏
今日2回目見てきて、この動画を見つけました。コンサートのお父さんの視点になるシーンが本当に好きです。自分ではどうにも確かめることができない娘の声に、多くの人が酔いしれているのを自分の目で確信した時のあの表情はもはや演技とは思えませんでした。ルッシ家の4人は演技を見ているというより、ドキュメンタリーを見ているのかと感じるほど自然で、耳が聞こえるかどうかより、俳優として本当に素晴らしい方々なのだと感じました。
初めまして。米国在住です。
日米の違いに触れていらっしゃるのを見て、一言。母役のMarlee Matlinは今回の映画製作が始まった時、夫、息子役を聴者の俳優を起用すると聞いて「ろう者を起用しないのであれば、私は出演しない」と発言したとインタビューで言っていました。彼女自身coda4人のお母さんで、1987年にアカデミー賞主演女優賞を受賞していながらろう者の代表としてハリウッドで戦ってきたゆえに、限りなくcodaの真実の姿を見せたかったと話していました。日本から見ると米国は恵まれている環境のように見える部分もあるかと思いますが、当事者からすると米国もまだまだ、という現実があることをお伝えしたくコメントさせて頂きました。もし機会があれば製作者、俳優のインタビューを見てみてください。
最後になりましたが、映画関係のビデオ閲覧中にこちらにたどり着きました。素敵なチャンネルを作られていますね。これからも貴重な情報発信を続けてください!
こんにちは、レポートありがとうございました。
「ルビーの声が変だ」と学校でからかわれていたのは、発声のことだけでなく、おそらく手話文法に引っ張られてでルビーが英語を喋ったということもあったんでしょうね。
なお、
DVD版では「ママはミスコンで『聴者』に勝ったぞ」って夫婦で盛り上がってました。字幕がすべて「ろう者」「聴者」になってました‼️
きっと指摘があって、販売時に字幕を考え直して改善をしたんですね❤
Both Sides Now♪
それぞれのDISTANCEへの気付きと発見。そして接近。
勇気を出して湖水に飛び込む若者たち・・
字幕も前進してました。
ちょっと嬉しい。
いい映画だったです。
この動画きっかけでこちらのチャンネルに出会えました。私は英語の音声はそのまま理解できるのですが、ASLは全く分からないので、日本語字幕に頼っていました。「聾唖」じゃなくて「ろう」、「健聴者」の「健」は不要、言われて初めて気づきました。ご自身の体験を交えた貴重な解説、ありがとうございます。日本語字幕、直るといいなぁ…
本日鑑賞した者です。
お話しされてる内容(特に最後の字幕の点)は当事者でらっしゃる方だからこそ気づかれたことですね…教えてくださりありがとうございます。
何も引っ掛からなかった私は単に不勉強だったと痛感しますし、細かい単語にニュアンスが差別に繋がることって常に気をつけるべきことだと思います。
共生の社会を目指すなら尚のことですよね。
昨日見に行きました!私はろう者で息子がコーダなのでそれぞれのシーンに経験や今までの事に重なって心にきたり考えされたりしました。また私の家族(父、母、妹、弟)はみんな聴者です。
逆に家族が聴者で一人だけろう者というのを映画作ってほしいなぁ(笑)
息子とのコミュニケーションですが私は手話と発音(発音は自信ないですが育ってきた環境でつい声出してしまいます)で息子は全て手話で返してくれます。
できるだけ通訳は頼まないようにしてますがどうしても間に入ってもらう時があります...。本人は気にしてないみたいですが責任感、やらないと!とは思ってほしくないという気持ちあります...。
でも映画はとっても良かったし観て良かったと思いました!(聾唖、健聴者という言葉には同じく引っかかりましたけど笑)
長くなりましたがコーダtvいつも拝見しております。
コーダ当事者の立場とか気持ちなど参考になりますしこれからも動画楽しみにしています。
ありがとうございます😊
自分だけろうで他の皆は聴者っていうのはろう者にとってはけっこうあるあるですよね。
そういう生活で直面することをろう者の視点から作り込まれた映画があればとてもおもしろそうだなあと思いました🤔
息子さん手話できるの羨ましい、、
生活しててとっさにコーダが通訳するのは仕方ないことだと思いますよ〜
そこで多少の責任感を感じていてても、息子さんを押し潰すほどの大きな責任感でなければ、とりあえずは心配いらないのかなと思います!
CODA今日、2回目見に行きましたよ 泣けますね同じところで涙が止まりませんでした。ルビーの歌の発表会の時に無音になり、お父さんが周りを見渡すところや ルビーの歌声を首に手を当てて歌を感じるところに涙腺崩壊です。アカデミー賞候補ですよね
賞を取るでしょう きっと
僕も2回見に行きましたー😊
お父さん役の俳優も賞にノミネートされましたね!ぜひ取ってほしいです👌
CODAたった今見てきました。
勝手に個人の感想をつらつら書きます!
父のフランクの視点になった瞬間に心が揺さぶられまくりました!私は今までの人生で1度も耳の不自由な方(なんて呼べば良いか…失礼に思ったら申し訳ありません。)に出会ったこともなかったので、このシーンが来るまで「どこまで聴こえているんだろうか。口の動きとかである程度分かるってテレビで聞いたことあるけどなぁー。」なんてことを無意識に思ってました。ところが、フランク視点になった瞬間に、自分がそう思ってたことに気づいて、フランクの立場になって考えらていなかった自分に恐ろしさを覚えました。何も分かっていないのに、分かったつもりになっていたからです。さらに、フランク視点に切り替わった一瞬。「可哀想」なんて気持ちも起こりました。ルビー以外のロッシ家にとっての世界をどうして可哀想なんて思えるのか。耳が聞こえることが良いこと。聞こえないことは弱者で可哀想な存在だと誰が決めたんだと。兄のレオの「卑屈になるな。無力じゃない。」の言葉が刺さります。この映画は感動したけれど、私は泣けませんでした。というより泣いてはいけないという気持ちでした笑
他にもルビーと兄の逞しさもカッコよかったし、父も子供を1人の人間として見る姿勢も勉強になりました。母は少し理解度が低く見える演出が逆にリアルでいいなと思います笑
もう一度見に行こうと思います!
元ろう学校事務員で、日本語対応手話が少しわかります。
とてもいい映画でした。
映画を見ながら、ろう学校にいたときのことをいろいろと思い出しました。
私も字幕を見て、「ろう者と聴者でしょう。」と思っていました。
ろう者の文化を多くの人に知ってもらいたいと、思っていますが、この映画はそのきっかけになってくれる気がします。
DVDでは直されて「ろう者」「聴者」になっていました。
前向きに改善していこうと販売者側で改訂に取り組んだのでしょうね
映画見に行きました。手話を勉強中の聴者です。笑って泣いて久しぶりに感動しました。海外の映画は、ろう者の役は、ろう者が演じますよね 日本だと、聴者の俳優が手話を勉強して演じますよね それが何とも、お国柄なんでしょうか?
映画良かったですよね!
マイノリティの役はそのマイノリティに演じてもらおうという考えがないんだと思います🥲
聴者がろう者を演じることでろう者の活躍の場がなくなるし、誤ったイメージが広まりかねないんですけどね、、
忍足亜希子さんの主演映画
「アイ・ラヴ・ユー、
アイ・ラヴ・フレンズ、
アイ・ラヴ・ピース」と
映画「僕が君の耳になる」は
当事者役は全員、実際の当事者を起用して、映像には最初からバリアフリー日本語字幕付きで上映しています。
それ以外の聴者の脚本、監督が手掛けた手話が出てくる映画は
聴者が手話を覚えてろう者役を演じて、映画の中に初めからバリアフリー日本語字幕付きではない作品が多いですね。
@@codatv1
しょうがいを持ってる人に、そのしょうがいを表に出せって、しょうがいは辛くて悲しい気持ちに決まってるから、そんなかわいそうなことしちゃダメ
って、ジョーシキじゃん!
という勢がまだまだ多いのが日本だし、当事者としても、なるべく触って欲しくない勢が多いし、それなら、触らないのが思いやり
だから、聞こえない人が聞こえないのは当たり前じゃん?
別にどこも悪くないよね?
という域には、まだまだ…
遅れて映画を鑑賞しました。
当事者さんのノートを共有していただいて、また視点が広がりました。
正直映画を観た時は、母が聴こえない子で生まれて欲しかった。と伝えるシーンはで、聴者の私はすごく傷つきました。聴こえる子で生まれてしまってごめんって思うからです。
ですが、ノートを読んで"子ども、家族とわかり合いたい"と思う1人の母としての真っ直ぐで正直な気持ちを、伝えたんだ…と。(すごくチャレンジな演出ですよね)
気持ちを理解し合うって、聴こえる聴こえない関係なく難しいことですよね。
ただ、知りたいとか理解したいという気持ちを持つ事が大きな一歩で、そこから始まるんだなと思います。
明日からまた、周りの人たちを理解していく気持ちを忘れずに持って生きていこうと思います。
この映画を観て、子供にはちょっとまだ見せられないのですが(笑)子供にも感想を言った影響か子供も手話に興味を持ったので良い映画を作ってくれたなぁと思いました。
当事者にならないと分からないし、想像することしか出来なかったので是非皆さんに観ていただきたいですね😄
皆さんと同じところで私もボロ泣きだったのですが最後のエンドロールの字幕で私は涙腺崩壊しました😂
コーダtv登録していて紹介されていたから、コーダ愛の歌を見ました。
俳優さんが本当にろうあ者だったのが臨場感を感じられる価値ある映画だと感じました。
それと、ろうあ者の視点で娘の歌声が聞こえない場面が、映画の中で音が無くなって、それに一瞬びっくりさせられたけど、音が聞こえない気持ちを意識させられドキリとしました。
観客の表情から娘の歌の素晴らしさを知る場面が、自分じゃ知り得ない部分を少し意識させられたのも、視点が違って学びになりました。
このRUclips見てなかったら、知らなかった映画ですし、コーダの立場の発信を知っているからこその視点でも見ることが出来ました。
私は字幕じゃなく、日本語吹き替えでみたので、字幕の駄目さがわからなかったです。
多分、それはコーダじゃ無いと説明出来ない部分なのだと思いました。
素晴らしい。
楽譜を購入した後に視聴しています。
私も最初は聾唖者という表現に違和感を感じましたが、今振り返ると、あえて聾唖者と表現していたのかなと思います。
聾唖者との表現は、ルビーの家族が自分達が耳が聞こえないことを表現する場面で使用していたと記憶しています。そして、彼らは自分達が耳の聞こえないことについて引け目を感じている様子でした。聾唖者という表現は、ルビーの家族が耳の聞こえないこのについて引け目を感じているというニュアンスを伝えたかったのではないかなと思います。
聾唖者と表現されているのがルビーの家族だけではない場合は少し違う考察なので、あくまで私の記憶の範囲内での考察ですが。
私も映画を観ている途中からずっともやもやしていて、字幕が聴者向けの普通の字幕だったのかとても残念でした。
字幕は配給会社のお仕事なんですが、映画の内容からも、ろう者の方も観に来られると予想出来たはずなのに字幕を作成する時に配慮が無かったように感じたのが残念でした。
そうなんですよね、、
日本の配給会社が勉強が足りなかったとしか言いようがありませんね😑
「守ってあげないといけない可哀想な人達」みたいなステレオタイプな障害者の描き方が凄く苦手なんすけど、それじゃなかったのが良かった。ぼさっと生きてたら知る由もなかった彼らの人生や世の中の「見え方」をあの瞬間に感じさせられた。
表記の件は分からない。どんな言葉になってもハンディを持った人々を指し示す言葉は存在し続けるし、多少ニュアンスが変わったところで、「区別」はついてしまうから。僕はシチュエーションによって使い分けるだろう、おそらく字幕作成者だったら今の世の中に浸透してる方の単語をチョイスする。
あなたの唖と健の的確なコメントに共感‼です。
日本語字幕が変えられたのか分からないですが、聾唖者、健常者の部分は自分が見た時は変えられてましたよ!
先週やっと観てきました。CODAと言う言葉に出逢ったのは、大人になってだいぶ経ってからです。五十嵐さんの著作も昨年拝見しました。
ルビーに共感できる場面がたくさんあり、やや嗚咽気味でした💦💦💦
けれど敷地内同居の祖父母がいた事、また両親のろう学校時代は手話禁止な時代でもあり、置かれていた環境としては投稿者さまに近いかと思います。様々なツールの普及なども関係しますけれど(年代がバレそうですが、比較的幼い頃に家庭用faxが実家に導入されました)
お伝えしたい事がなかなかまとまらずごめんなさい🙏今個人的に人生の分岐点にたっております。拒否権も何なら人権もない、そんな生活に元々耐性があったって事か…
向き合わなければいけない、けれどそこに生まれたからには防ぎようもなかった事実。
両親だけが悪い訳ではないし、様々な時代背景やそもそも日本に強い男尊女卑文化もあります。
手話を禁止された時代、言語を獲得する事すらできなければ…いろんな事は想像に難くありません。
すみません、一度終わりにします。たくさんのCODA当事者の方がたが発信されている事に感謝します。ありがとうございます😊
『エール!』をプライムビデオで観たことがあります。
『コーダあいのうた』の話を聞いたら、そっくりだったから同じものかなと思ったら、フランスの映画のリメイク版が『コーダあいのうた』でした。
いい映画は、世界中広がるもんですね。
今回はリメイクなんですよね!
ただエールと全く同じなわけではなくて、そこが良かったなあと思いました👌
9:00 頃から話されている、物申したいの部分ですが、
アマゾンプライムの方で観たところ、ろう者というような表現になっていました。
映画公開時から改めたんでしょうかね。よかったです!
感想、とても楽しく見させていただきました。他の動画も見させていただきます😌
Praime Videoで元のフランス映画
エール!があり映画を観ました。
エール!も
村長のセリフで「聾唖者」と日本語字幕で出していましたよ。
ただの言葉もだけじゃなくて、その言葉がどう使われてきたのかを字幕作る時には調べてほしいなあと思いました、、
職場以外ではほぼ補聴器は着けない、手話に興味はあれど口話しか出来ない、でも補聴器は十分に必要な難聴者です。
そんな自分としては、健聴者という言葉は聴者という言葉よりも使いやすいです。
聴者⇔ろう者という括りになってしまうと、少なくとも自分は聴者になってしまいます。
ただおっしゃるように、健康、健全というイメージを含んでしまう可能性があることは理解出来ます。
ざっくり見れば、完聴者、全聴者はほとんどいなくて聴者のほとんどはある意味では難聴者なので聴者という言葉でも良いのかも知れませんが、少ししこりの残る話でした。
本題とズレた揚げ足取りみたいな話ですみません😓
動画いつも拝見しております。
映画、観に行きました。ウルっときました…
私は音楽をしている身でして、父親が、娘の喉に手を置いて、声を手から感じているシーンに、とても感銘を受けました。(ベートーヴェンのこともその時思い出しました。)
そして、何か違和感があるなと思っていたのですが、「物申」されていた日本語字幕の部分だったのかと分かり、腑に落ちました。気付かせていただき、ありがとうございます。
(場違いなコメントでしたら、申し訳ないです…)
いえいえ!
コメントありがとうございます😊
映画良かったですよね!!
字幕は他にも、歌詞の字幕に「♪」などの記号がなくてセリフと見分けづらいとか、たまに手話が字幕化されてなかったりとか、酷いものでした、、🥲
とても勉強になりました。ありがとうございました。
大変勉強になりました。
今日、映画「CODA」を観ました。事前の情報ゼロで、CODAって何?っていう状態で、映画館で今すぐ観られる映画がCODAだったという理由だけで観ました。
結果、衝撃的でした。
ユーモアもあり、本質的な問いもあり、もちろん、歌もあり、本当に観て良かったです。
聾唖者と健聴者という字幕に違和感を感じながら観ていましたが、コーダtvの説明でスッキリしました。
DVD化、もしくは、サブスクで観られるバージョンの時は、「ろう者」「聴者」のような和訳となることを望みます。
以下、ネタバレになりますが。
あの素晴らしい歌を無音・無声で、結構長い時間流していた、あのシーンは引き込まれました。
あの表現方法は、素晴らしいと思いました。
また、2回目、観に行こうかな。
こんにちは、お勧め動画でした。コーダを観て感動また最近オーディションの歌が好きすぎて。画像とダブルだと目頭が緩みます。身近にいませんが出くわしたら普通に挨拶ぐらいしようと感じます。元になった映画も観ようと思います。あなたと知れたきっかけです。SNSの良いところ
すごくいい映画なのに、なんか引っかかると思ってたので、お話を聞いてあー!字幕のせいか!となりました。納得です。
字幕はですねー、、
他にも歌詞の字幕に「♪」などの記号がなくてセリフなのか一見わかりづらいとか、手話がたまに字幕になっていなかったりとか、ツッコミどころが多かったです🥲
あと、歌唱中に無音になるシーン、補聴器してないと「無音になることでろうの両親の立場を擬似的に体験する」っていう演出がわからないと思います。実際父はその演出に気付いてなかったですし
ほんとに残念でした🙃
封切られて1回。アカデミー賞作品賞を受賞されて1週間限定で映画館に来たので2回目見ました😃Both sides nowという曲の歌詞が、 光と影、勝ちと負け…という対比が深く、考えさせられました。1回目は感動の家族の物語に涙涙でしたが、2回目は、その先の自分が取るべき態度や振る舞いについて考えさせられました。お話をお聞きして更に理解致しました。そして配慮の足りなかった字幕にも、なるほどと!
素晴らしい事を言ってくれた事は良かった。
ありがとうございます
いえいえ😊
先日動画配信にてコーダを観ました。知識を深めたくコーダについて検索した際にこの動画を見つけました。
配信では字幕は「ろう者」「聴者」となっていました!
この動画などの声がきっかけになったのでしょうか。違和感が少しでも減るように替えてくれたのでしょうか。^ ^
心に残る映画でした。
世界には、沢山の手話で話す役者をキャスティングした映画がありますね☺️
私の記憶で1番古い映画では、モノクロ映画でしたし、演じた役者は聴者でしたが、
『ヘレン・ケラー』は幼い私には、衝撃的な映画でした…
お話されている字幕の件ですが…
字幕数の制限で、言語とは違う表現をいた仕方なくされる事が、多々ありますが…う〜〜〜ん(๑•ૅㅁ•๑)
何とか、ならんかったかね…と私も思いました…脚本家や監督、役者達の熱量を感じる分、ホンマに残念な字幕表現でした😭
ただ、ヤング・ケアラーで現在、誰にも助けて貰えない人達が、誰かに気付いて貰えるキッカケが少しでも、増えていって理解やサポートを受けれる社会システムとなって欲しいですね…。
字幕の件以外は、本当に良い映画🎬🎞でした😌
ヘレンケラーの映画があるんですね!
字幕はほんとに残念です😑
たしかに今ヤングケアラーっていう言葉が知られてきてますし、その第一人者?の澁谷先生はコーダを元々研究されてた方ですから、この映画を機にコーダも含めて子どもながらに大人を支えてる存在に気づいてほしいですね👌
アマプラで観たら「ろう者」になっていました。訳に違和感を覚える人々の声が届いたのかなと思いました。
私がCODA見に行ったときは、ろう者と聴者という表記でした。この映画とても感動して少しうるうるしました。
実際のコーダの方のお話は大変勉強になりました、ありがとうございました。ろうの方はこの映画(ほかの映画も同様ですが)を観る時はやはり字幕だけで内容を理解する…のでしょうか?素敵な歌声などを、身体で感じ取れる最先端技術があれば良いのですが。
基本的には字幕だけだと思います~!
この映画に関して言えば、アメリカ手話がわかる人はそこからも内容を理解できます。
補聴器をつけていれば、音が出ているかどうかはわかりますが、それがどんな音なのか聞き分けるのは難しいことだと思います。
拝見いたしました!
ご両親の、映画の率直な感想もお伺いしてみたいです。
明日上げます!!
ぜひそちらを見てください👌
動画拝見いたしました。
サムネイルの手話の意味はI love youでしょうか?
指を交差するタイプとしないタイプがあるのでしょうか?
調べてみたところ、この手話は「I really love you」という意味だそうです🤔
ありがとうございます!
なかなか調べてもわからなかったので助かりました!これからも動画楽しみにしています
アマプラで吹替版、ガイド付き字幕版で見ました。字幕版より吹替版のほうが良いと思ったのは、
字幕の質の問題もあったのですね。
私が吹替版のほうが良いと思った典型的なシーンが、サイレントなシーン。字幕は字幕が「うるさくて」そちらに引きずられたのですが、吹替版のほうが、父親の視点にすっと入っていけました
コーダーカルテットのコーダも同じ意味ですか?
今日見て来ました。
いろいろ考えさせられる映画だったけど、とっても良かったです。
😍🙌
とても通俗的でいわゆる娯楽映画でその意味では退屈でした。