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セナは貧しいブラジルを憂いていたから、体力の限界を感じたらさっさと引退して政治家を目指したかもな今頃セナ大統領とかになっていたかもしれん
第三期のホンダF1に参加していたかもですね。後にも先にも93年鈴鹿予選で目の前を歩くセナを見た時の衝撃が忘れられない。今でも会いたいです…
生まれて来た事、それだけで奇跡でありチャンスなんだ。この言葉に支えられて頑張ってます。
リアルタイムでその言葉を聞きました。本当にポジティブな名言だと思います。
この世に生を享(う)けたこと。それこそが奇跡であり、最大のチャンスじゃないか。だったかな。リアルタイムで目にした名言のひとつ。
@@redspeedstar2007 元々は、ポルトガル語か英語で言ったのでしょうが、私が初めて聞いた訳は「生まれて来たこと、それは人生最初の幸運です。そこからすべてが始まるのですから」というものでした。その言葉だけでも十分過ぎるほど感激しましたが、彼の本当の素晴らしさは、ブラジルで困窮している人々に手を差しのべたことです。それは死後も続いています。
セナが生きていたら63歳になるのか。あの日がついこの間のようでも、ずうっと昔のようにも感じる😢
当時からセナファンだった自分には、とても良い内容でした。94年以降の所属チームとかは想像出来ないけど、引退後はFIAの重職や、ブラジル大統領になってたのは想像できますね。
もしくはプロスト同様、自分のチームを作っていたかもしれない…でも、かなりワガママだからチームとしてはうまく成り立たないかも…
セナがミナルディのマシンに乗り、グリッド下位から上位に上がっていく様子を見たかったな。プレッシャーとも無縁で、純粋にマシンを操る事に集中していたかも知れない。
マーティン・ドネリーは、あんなひどい状態だったけど助かったんですね。誰よりもドライバーの安全性を案じたセナが亡くなってしまったのは無情だ。
誰よりもドライバーの安全性を案じたセナ……そのセナが1990鈴鹿では、殺人的な接触をしました現代のF1なら永久追放レベルですよ
up主と同じ意見です。セナが生きていたら、安全対策はすごい勢いで進んでいたのは間違いなさそうです。引退後は、主催者側に入り安全対策を推進して、F1マシンが世界で一番早く走り、世界で一番死亡率の低い車になっているかも、そして各メーカーが一般車両に導入して、車がもっと安全にもっと楽しくなる乗り物になっているはず。
シートベルト、ハンス、ハロ…F1マシンは失敗と発案と反対、そして最後にはそれが普通になることを繰り返して、安全性が高められてきたことがよく分かりますよね。ハロも最初は疑問を持ちましたが今ではすっかり馴染みましたし、何度もドライバーを救ってくれました。
セナが生きていればヒルはセナの時のベルガーやマンセルの時のパトレーゼやシューマッハの時のバリチェロみたいな「最強のNO2」みたいになってチャンピオンにはなれなかったかもしれませんがそれでもそこそこ勝ててはいたでしょうね。
どうですかね……93GPまでがセナのピークだった様な気もしますあっさりヒルにも打ち負かされていたような気もします
あの日放送は今も忘れられない。冒頭に河合ちゃんがボロ泣きで全く話が出来ないほど。ラッツェンバーガーの事故死の後だけに凄く嫌な予感。嘘だろ?嘘だろ?って何度もTVに向かって呟いたけど、現実になってしまった。翌日、青山のショールームへ行き、セナが乗ったマクラーレンに花束を添えた。涙が止まらなかった。今も思い出して泣けちゃった。復帰は無理でも生きていて欲しかったな。5月連休中(休日だったと思う)にも関わらず、ショールームを開けて下さった青山ホンダの皆様にも感謝します。
ボロ泣きしてたのは今宮さんなですよ? 川井ちゃんはまったく泣いてないです
この事故の日は何の予備知識もなくTVを点けたらいきなり「イモラの三宅さん(だったっけ?)セナの容態は…?」と来たので「何だよ、セナまたリタイヤ?容態って担架でも出たの?」(この時は2戦連続してポール→リタイヤ)とか呑気に構えてていざレーススタート→セナがクラッシュして「うっわ、コレ今季は棒に振るかも😱」とか思ってたら砂地に寝かされていつまでも動かず、やがてセナの脇に血溜まりが広がって(恐らく気管切開)ようやく嫌な予感がしたのを思い出す。やがてセナがヘリコプターで搬送されてCM→「皆様に大変残念なお知らせが…😭」その後はそれこそ一睡も出来なかった(こんな事はドーハの悲劇の時以来)。で、翌朝の新聞、普段政治や経済の一番重要な記事が載る場所に「セナ激突死、カーブ曲がりきれず」の見出しがあるのを見て「夢じゃなかったのかよ…😭」って改めて(T皿T)と。
セナが国葬になるくらい偉大な人だったから大統領かチームオーナーでホンダチームを率いていたんじゃないかな?
セナが生きてたら…どれだけ考えたか分からない永遠に自分のヒーローだから
健在だったら、63歳になっていて、実業家として活躍していたと思う。セナのフィジカルならば、40歳までは現役をできただろうし、あと3回くらいチャンピオンになれたかもしれない。ウィリアムズでチャンピオンを取った後、伝統に倣って放出。その後、フェラーリ移籍かマクラーレン復帰の道になっていたように想像する。
セナが生きていたら、何度も鈴鹿GPを観に行っていたかも👌僕の中でF1ドライバーの中でアイルトンセナが断トツのNo.1ドライバーですね👍️
おっさん世代のファンとして誠に嬉しい動画でした、ありがとうございます。
現実を解りきった上で、時には「たられば」に想いを馳せるのも良い事でしょう。最高の酒の肴になりました👍
コメントありがとうございます🙇♂️そう言っていただけて、救われました!ありがとうございます🙇♂️
やはり、セナが亡くなるなんて間違ってます😭本当に、生きてくれていてさえすれば、それだけで良かった…身を持って安全性を訴えてくれた、本当に尊い存在です✨どうか安らかに〜🛐
96年のシューマッハはベネトンでなくフェラーリですよ。
セナのカリスマ性は何年経っても色褪せません。生きていて欲しかった😢
古舘伊知郎の実況は翌年からも続いていたでしょうね。あとは、ここまで日本でのF1人気が急落することもなかったと思います。マシンも、今ほどおかしくはならず、もう少し当時のカッコよさを残していたでしょう。
古舘さんがF1の実況を辞めたのはセナの事故が原因とか言われていますしね。もし続けていたらニューウェイあたりにも古舘流のニックネームが付けられていそうな(笑)😊
@@maakyuunnjapaanerr4352 頭頂部も空力のトレンド!とか?ズラ被ってたら人間ダブルデュフューザーとか
古舘はホンダが撤退を発表する前から「日本でワールドカップが開催されるなら実況したい」とF1撤退をほのめかす発言をしてたよ。長くても95年いっぱいで辞めただろう。
@@maakyuunnjapaanerr4352様、開幕戦のマシン紹介だったか、鈴鹿の前夜祭だったかで、「アドリアン・ニューウェイブ」と言っていましたね90の開幕戦でだったかな?レイトンハウス・マーチ・ジャッドだったかな
セナが亡くなった時はまさかと思ったと同時に彼らしい最期だとも思った。そのぐらい伝説的なレーサーだった。
アランと一緒になって、俺たちの時代は…って言ってるよ(笑)🤣アイルトン・セナ・ダ・シルバのファンですけど、あまりにも神格化し過ぎだと思います。個人的には一番好きなドライバーで一番速いドライバーだと思ってますけど😂
メディアのせい特にフジ
ミナルディ入りしてそこからの縁でチームオーナーなって現アルファタウリで角田くんの師匠&ホンダエンジン 現実だったら激アツだったなぁ
こんな話しをするからあの日を思い出し、涙がまた•••体から力が抜けてしまったのを覚えています。ヘイローは視界が悪そうと思ったけどグロージャンの事故で証明されましたね。
セナが生存していれば、ベルガーやプロストやシューマッハ等と共にドライバー達をまとめて、車両だけでなくサーキットも含めて、様々な安全対策の提案をしただろうね。
1994年のヒルはまだまだのドライバー。そのヒルでも争えた。セナとヒルが挑めばシューマッハのチャンピオン獲得は簡単ではなかったはず。後のシューマッハのフェラーリ移籍もどうなっていたか分からない。セナのフェラーリ移籍が話し合われたのは1990年中で1991年シーズンの契約だったのでは?「もう少しでサインするところだった」とセナは語っていた。
セナの偉業には異論はありませんがセナだけで伝説が作られたわけではありませんからね。紹介にあったプロストはもちろん、ピケやマンセル、ロズベルグ、パトレーゼらの一癖も二癖もあるライバルの存在がありましたからね。
かなり今のF1に憤っていたでしょうね。
セナ、大好きでした。セナが消えてF1との距離をとりました。一番は自分がずっとF1を見てたんだろうなってことですね。放送もあったし。確かにセナがいたらって色々考えますよね。93年に勝てるエンジンを求めてフォードのワークスエンジンを獲得したり、ホンダを鼓舞したり。94年も実は負けてたけど、毎戦ポールは獲ってたしね。そもそもドライバーの差が出なくなるTCSには否定的だったし、それを密かに使ってたとされるベネトンを告発して、結果、デーモンの終盤の追い上げ考えると、94年は意外とチャンピオンで、そうなるとベネトンに翌年にルノーが来たぐらいじゃ、アドバンテージ獲られなかったかな?セナがルノーに圧力かけて。んで、やっぱアランを求めていたように、トラック上でのバトルが減り出してきたF1と若手のためにも、95年も連覇した辺りで引退したかもね。
今セナが生きていたら…考えない事はないです。その度にもういないよ…😭と思います。セナも完璧な人ではないけど、色々活躍しただろうと思います。いつかイモラとモルンビーの丘に花を捧げに行きたい。とにかくセナは永遠に好きなドライバーです。
もしもセナが事故しないで生きていたら今のEV環境に何も言わないと思うでもミナルディチームみたいな食事がすごい美味しいチームには足を運ぶと思う
セナって、シューマッハみたいにマシン開発に積極的に参加するタイプじゃなかったらしいけど、マシンの特性や癖を見抜くのに長けてたって聞いた事があります。新型に一度乗っただけで、そのマシン(エンジン含む)の改善点や特性を瞬時に見抜くらしいです。NSXのプロトタイプに乗った時も、一度乗っただけでボディ剛性の低さを指摘したそうです。それが切っ掛けで、ニュルブルクリンクでテストする事を決定したそうです。そして、完成車をテストしたセナは「ちゃんと仕上がってる」と褒めたらしいです。
もし生きていたら現役最後にフェラーリに乗り、プライベートチームを立ち上げ、復帰するホンダをパワーユニットとして搭載。その前に生ダラカートのセナvs タカ&サダのレース(たぶんセナのプライベートコース)見たかったなぁ🙄
エリックコマスを、助けに行ったのを思いだしますね。他のレーサーたちは、無視して素通りしていく中を。ニスモのイベントで、そのコマスのドライブするCカーを乗せてもらいましたが、パーフェクトな走りでしたね。さすが、F-1ドライバー。
私も94年はチャンピオンは獲れていないと思う。そして95年もベネトンが物凄く速かかったから無理だったかも。でもセナはフェラーリも乗ってみたいとも言っていたので、96年はフェラーリに移籍したかもしれない。その後F1から引退したと思う。引退後はインディへ転向して、ホンダがF1に復活した時、BARの監督になってたかもね。
サンマリノの事故で無事でいられたら、結構逆転チャンピオンも有ったと思います。あの後、モズレー・マジック(FIA会長のシューマッハ虐め)でヒルが追いついたじゃないですか。ヒルでさえそうでしたから、セナだったら逆転も可能だったと思いますよ。 それと、シーズン始めに、セナは給油に苦しんでいましたが、慣れれば彼には合っていたと思います。セナは燃料を減らしマシンを軽くしてスタートでリードをとるスタイルでした。途中でガス欠することもありましたが、レース中の給油が許されるなら、まさに彼らしいペースで走れたことでしょう。
幼い頃からF1見てますがコレが現実だったら95年で一度見るのやめなかったです。(04から再度見出した)11年の地上波で放映してた時までガッツリ見てただろうなー
94年はFW16Bになってチャンピオンだったはず、97年まで勝ったはず。
セナは背中で語るのも行動も素晴らしく安全面には注意してたのに残念でした。ラッツェンバーガーも忘れないでください。
1994年限りで引退していただろうな。1994年の開幕戦と第2戦からしていままでにない違和感を感じた。
ミナルディのセナ見たかった。。。
私も、ミナルディのセナ見たい
97年のヒルみたいな走りしそうですね
第3期ホンダに関わり2001年に現役引退し佐藤琢磨の師匠に成り日本人初優勝に尽力。エヤトンのレースキャリアは5度のワールドチャンピオン通算250戦80勝は達成してたな。
シューマッハがあれだけの実績を残すことは、なかった
互角のマシンでセナvsシューマッハを見たかったなあ。
日本でのF-1衰退の一番の原因は地上波からBS/CSに移行したのが最大の原因と思ってます😅
学校もそうだけど何かあってからじゃおそいんだから起こる前にやらないとセナ...😭帰ってきて😭😭
セナは自身の所属するチームの上昇のためならマスコミにも訴えかけるからウイリアムズとは合わないと思う。シューマッハとハッキネンを見てまだやれると思うか引き際と思うかは謎だけどF1レーサーの安全のために働きかけてくれてたとは思います。もしも夢が見られるならセナvsシューマッハvsアロンソvsライコネンが見たかったです。
アロンソがセナとシューマッハに❌してたら笑う
あの時に34歳、走っていても38歳までには引退しているだろうし、マシンとコースの安全性についてFIAに議論しただろう。彼は安全には口うるさく言う。これが良いところ。彼には握手してもらえたし、素晴らしい速さで鈴鹿のスプーンに飛び込むのも見た。カリスマドライバーであり、鈴鹿の最終ラップで手をファンに降りながら走り抜けたのも現場で見た。それだけにセナなら安全委員会を新たに発足してくれたかも知れない。
もっと早くハイテク禁止を発表してたらこんなことならなくて良かったのに…フェラーリ でセナとベルガーのコンビ見たかったなぁ😢
「最後はパスタとエスプレッソのお礼に無償でミナルディ」って話はロマンがあって好き。トロロッソホンダだったらもっと胸熱だったと思うけどそれは流石に無理かなぁ😆。
現役当時に感じていたけど、セナの老いた姿が想像できなかった。ゲストコメンテーターやったり、インタビューされたりする老いた姿。まったく想像できないと感じてた。そして結局は事故死してしまった。
あくまでも個人的な考えとしていろんな話を総合させると、例のサンマリノGPの事故の前日かその週にセナはフェラーリのモンテゼモーロ社長(当時)に会って「来年にフェラーリに移籍したい」と話していたようなので、多分95年からはフェラーリで現役最後の1年間はセナのお父さんが言う通りにミナルディだったと思います。そして引退後にたまに日本のTV番組に出るのは良いのですが、あまりにとんねるずの番組に出過ぎて定岡正二さんのようなイジられキャラになるセナは見たくないですね(笑)
逆に負け犬ジャージを着させられたセナも見てみたい気もしている。もちろんポルトガル語でセナが分かっていて負け犬ジャージを着てもらいたいです。
ミナルディのセナか。雨が降る度に優勝とか面白い展開があったかも。チームプロストもイイね。オールフレンチじゃなくなるけど。テスト時に余りの遅さに業を煮やした監督プロストがドライブしたら最速タイムを出したという逸話があるからマシンもそれ程悪くなかったのでは?
プロスト好みのマシンだった可能性もあるとは思います
セナが生きていたら、ミハエルもフェラーリじゃ勝てないからベネトンにい続けただろうから、フェラーリの黄金期は永遠になかったかもね。安全対策だけど、セナが言えば言うだけFIAが嫌がって進まず、他の誰かが犠牲になっていたかも。それからやっと改革が進みそうだけど。
セナが今も活躍していると思う
もしセナが生きてたら、95年までウィリアムズに在籍するも、ニューエイのマシンと相性が合わず結局一度もタイトルを取れず96年にフェラーリに移籍。チームメイトはバリチェロで、シューマッハはマクラーレンに移籍しハッキネンとコンビを組むことに。97年悲願のタイトルを獲得し、そのままF1を引退し翌年からインディに移り01年あたりまで参戦。その後インディ500とルマンにスポット参戦を暫く続け11年くらいにドライバー完全引退。その後は気ままにカートをやりながらセナ財団の運営に尽力って感じだと思う。
FW16はレイトンハウス時代のニューエイの悪い部分が出たような車でしたね。空力に敏感過ぎて些細な事で姿勢が乱れると。セナが言うには同じコーナーを同じように走っても毎回挙動が違うと・・・アンダーステアだったりオーバーステアだったりしたそうですね。セナは勝つ事への執念が異常に強くて、そのせいで最後のレースは危険なほどウイングを寝かせてたんですよね。あのウイングがもう少し立っていれば制御不能には陥らなかったかも・・・まぁベネトンがインチキして異様に速かったのを自分の腕だけで取り戻そうとしたんでしょうけど。
イモラでの事故で何とか命を取り留めたとして、今のミハエルみたいな感じで表舞台から姿を消して、誰もどんな生活か分からないみたいな感じにはなってそう。そもそもイモラでの事故が起こらなかったなら、セナの開発力でピーキーなFW16を改良しつつ戦って行ったんだろうけど、ミハエルの台頭には抗えなかったと思うな、95年までウィリアムズに乗り、96年にフェラーリへ、99年頃ミナルディに恩返しして引退って感じかも知れない。
昔、ベネトンにはフォードがエンジンを供給していましたねえ。
100人いたら100人のストーリーがありますよね。私的な想像&妄想考察です!仮に1994年のサンマリノの事故が軽症で3ヶ月後の後半戦に復帰できていたら3勝。1995年は流石にベネトンには歯が立たずチャンピオンは取れずそれでも5勝。1996年、1997年は8勝ずつでドライバーズタイトル二つ上乗せ。有終の美で引退宣言ところが1998年はなんとミナルディでモナコGPだけスポット参戦笑 予選10位からの最終ラップでトップで優勝。引退後はF1の現場からは付かず離れず。母国ブラジルのために政治や福祉に尽力したのではと思います。
98年のミナルディで優勝は96年の完走3台とかそんな世界線?笑けどセナ+モナコならそんな奇跡も有り得そうな気もしてくる😂
モナコは通算10勝計算です笑勝利数、PP数、チャンピオン数などは後世のドライバーに抜かれたでしょうが「モナコ10勝」は永遠の金字塔でしょう。
セナが生きてレースを続けて居たらと当時は、幾度と考えた事ありましたね!ドライバーの走りを見て、セナだったら!とか安全策もセナだったらどうしてたとかって感じでしたね!とんねるずのみなさんのおかげでしたの企画でセナが逆走やルール無視で大爆笑してた頃に感謝ですね!(´▽`)
安全性に関してはセナが存命なら遅れてるような気がしますラッツェンバーガーの事故への対策は火花が散らない高さまで車高を上げて制限したり、ウイングの強度を高めたり、明らかなダメージのあるウイングでのタイムアタックは失格や無効などのレギュレーション変更が主な変更点で、コックピットの保護はマッサの事故が起きるまでは消極的だったかもしれないなと思います
私は本当にガチでマジでアイルトン・セナと同じ利き腕です左利きです。
HALOが早く導入されてそう
もしもセナが生きていたら腐りきった既得権益に嫌気がさしてF1から足を洗い、プロストらかつての戦友をまるごと引き抜いて新たなカテゴリーのレースを構築していたと予想
96年シューマッハはフェラーリですよ。
レースディレクターとして現在活躍していたら最高ですけどね。勿論デレックワーイックの存在は無いw南米とイエローは必要ですよwww
一番あって欲しい未来でした。
ワーウィックの存在は怖かったのかも。チームメイトになるくらいなら乗らないといったくらいだし。
全ては、たられば。残念。冥福を祈ります。貴方を忘れる事は無いでしょう。
自分が生まれる以前に亡くなられてしまった方だけど、本当になぜ亡くなられてしまったんだ!と悲しく思いますし、今ご存命だったらと考えますね。政治家になってるか、あるいは中嶋さんや亜久里さんみたいに自らレーシングチームを立ち上げて監督をやられているか。お会いしてみたかったですね。ただ安全性についてはさらに厳しく議論され、より向上に向けたマシンを作ろうとするのは間違いないでしょうね。
プロスト引退後のセナは明らかにモチベーションが落ちていたから、プロストGP参戦まで現役は続けていなかったんじゃないか95年あたりで引退したんじゃないかと思ってる
セナは生きていたらFIAの運営側に関わろうとしそう
プロストと再会トークでまた椅子ガタガタやってくれそう。あと意外と素朴な着流しもやるようなので紺のジャケットにストライプのシャツ着用、下ベージュのパンツスタイルだろうね。勿論おっさんだけど佇まいはは昔のままとか
セナはレジェンドドライバー、ジャッキースチュアートから「あんな走りしてたら今に死ぬぞ」と警告受けたのに「ウッセェこのジジィ」神は見てたな。
そんな激しい事は言ってません。ただ、ジャッキーの言い方にも問題があり、非常に失礼な言い方(上目線)をしたから“貴方の時代には本当に勝つ気があったドライバーが居なかったからだ”と言い放っただけ。
「いつの話をしてるんだ?今はカーボンモノコックだよ。お前がレースをしてた頃とは時代が違うんだよ!」それに続けて「終わりだ終わり、もうやってられねぇよ。」あたりが妥当な翻訳と思われるセリフを「終わりにしましょう、あなたとは2度と話をしません。」にした(させた?)奴のセンスはスゴい。
みなさんレスありがとう。みなさんセナが好きなんですね。 実は94年に開催されたパシフィックGPの英田サーキット(現岡山国際)の本社に勤務していまして手伝いに行きました。私は外国語は解せないのでスタッフから聞いた話ですが、セナは意外・・でもないのかな・・毒を吐くwクセがあったようで、狭いサーキットなんで「こんな箱庭みたいなところでレースできるかっ!」プンプン。と当たり散らしていたそうです。やはり神は見てるんですよ。
連投すみません。セナのマクラーレン ランボルギーニ見たかったです。
14:25 まっさんわろたけどそういやセナとマッサの絡みもみてみたかったなああ笑、今の所その2人の絡みってセナファンだった幼少期のまっさんがサイン断られて嫌いになってピケ推しに変えた(マッサ談w)しかないからなw
不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナ彼を超えるドライバーは現れないと思う
ビデオの内容とは異なり恐縮ですが、未だに私はセナの事故原因が明らかになってないのが、少し不愉快です。素人の思い付きですが、ステアリングロッドの破損か、フロントウエイングの破損ではと思いますが、未だに彼が死んだのは信じられない感じです。
アーバイン「ギャーーーース‼️」
セナが生きていたら、という想像上での話ですが、シューマッハとはプロストほどの確執は生じなかったと思います。年齢的にはプロストとは逆の立場、ライバル視しながらも、冷静な面も持ち、相手をしたと想像します。それと、ハイテク規制掛かった94年、セナとシューマッハは安全面に関して意見を共有するようになり、関係は改善されつつあった、と伝えられてますね。サンマリノGPの予選でラッツェンバーガーが亡くなった後、セナとシューマッハは非公式な場で会話をし、ドライバー同士で何か組合的な物を作る必要がある、と意見を共有した、と聞いたことあります。*直後のモナコでシューマッハより説明があった、GPDA(グランプリ・ドライバー・アソシエーション)です。レーサー引退後の想像ですが・・・単なるF1やモータースポーツの世界に留まらず、ブラジル大統領に立候補などもあったかもしれませんね。生前、ブラジルの貧困層の子供達にも学業やスポーツの教育を受けられるようにしたい、とコメントしていたと思います。*アイルトン・セナ基金も、その活動の1つでしたよね。
94、95とベネトン&シューマッハにボコボコにされてベネトンかフェラーリに移籍しそうな気がするウイリアムズにセナのサラリーはキツいだろうしウイリアムズ長期所属の可能性は低いんじゃないかな
マクラーレンの後、ウィリアムズで2回チャンピオン(多分96・97年?)、その後ベルガーとフェラーリを1・2年走らせて引退か、フェラーリ2年の後にミナルディを1年くらいで引退かな90年中にセナとフィオリオが交渉→当時FIAT会長のフィサロが横槍→プロストがフィオリオに激怒セナはマクラーレン残留で3度目のチャンピオン、フェラーリならどうなってたかね…?
「ただで乗ります」はウィリアムズより先にミナルディで発言していたというね。
@@八玉子あおパスタのお返しに無償でシートに…🍝ウィリアムズ以上に愛情を感じる気がする🙄
セナがもし生きていだとしたら、ヒルやハッキネンはもう少し長くF1を続けてただろうなぁと。おそらくフェラーリ、マクラーレンあたりには移籍してたかもしれないし、ヒルの扱いでウィリアムズに物申してたりしてたかもしれないですね。プロストGPに移籍していたとしても、おそらく高木虎之介の扱いとかで怒っていたかと思います。個人的に、ラストイヤーは2010年代に戻ってきたロータスでも良かったなぁと(年齢的にも現実的に無理ですが)
生前から財団を作ってブラジル国民に貢献しようとしていたセナだから、ブラジル政財界に大きな影響を及ぼす存在になっていたと思う。若い頃に支援してくれたナシオナル銀行と破格の条件で契約したセナだったらミナルディをドライブしていた可能性もあったかもしれない。ドライバーに対して冷淡なウィリアムスとは早々(1995年終了時)に別れていたかも。移籍先はフェラーリか、あるいはシューマッハが去ったベネトンあたりで。
セナの写真は哀しげな表情が多かったけど、それがセクシーだった
主さんは、ちょっとセナというドライバーを理解できてないと思いますよ。94年ですが、ウィリアムズが抱えていた問題は、リアがピーキーというものですが、一年間直せないようなものではない。現にセナが亡くなってから程なく改善できている。その後は、セナに周回遅れにされるヒルでさえシューマッハーと争えるだけのマシンになっているのです。序盤の予選を見ていると、あの年はほぼ全てのレースでPPは取っていたでしょう。これができるということは、レースの支配権があるということ。ヒルとのコンビで色んなことができるということです。それと、初めてのタイトル争いの相手がセナというのは、追われる者にとってはとてつもないプレッシャーだということ。オーストラリアでヒルがあまり離れないことに焦ったシューマッハーですが、一年中それどころじゃないということです。94年は30ポイント差が付いてしまっていましたが、中立の立場の自分から見れば、面白いシーズンになったと思います。95年についてですが、セナがウィリアムズにいれば間違いなくチャンピオンだったと思いますよ。あの年は、マシンよりもドライバーのミスが多くてウィリアムズが負けていましたから。新人のクルサードと同じぐらいのポイントしか取れないヒルですから、チームのイライラも募り、雰囲気が悪くなって余計にトラブルが増える。セナがいれば、無かったことです。95,96,97のチャンピオンは確実で、その後は分からない。まぁ、ひょっとすると、8回以上タイトルを獲れていたかもしれないですが、相手もシューマッハー。分からないとしか言えないですね。他のドライバーはしばらくは相手じゃなかったでしょうが。
アイルトンセナレーシング ホンダが出来ていたかもしれない。
セナが生きていたらイモラの事故後のレギュレーション変更がされることはないからステップドボトムは行われないエンジンの排気量はしばらく3.5リッターのままコックピットの開口部はドライバーの肩が見えるくらいの低さのままという感じか。94年のチャンピオンはセナで確定と思われてるから、バーニーは興行のためにセナのタイトル獲得をできるだけ遅らせようとする。そのタイトル獲得を遅らせる手段の1つが、ベネトンのTCS疑惑を見て見ぬふりのまま放置。それ以外のあら捜しもしない。実際にシーズン前半はそれを実践した。そんなバーニーにとって、空力に過敏でセナでさえ手こずるFW16は実に都合のいいクルマだったはずだが……
F1引退したあとレースのキャリア最後は日本に来てスーパーGTのNSXに乗ってそうです。
セナが走っていた時がいちばん素晴らしいレースを繰り広げていたセナもセナ以外のドライバーも全身全霊をかけていた。迫力もありスピードもあった。馬力は1500車体は500kgと軽く、エンジン回転数も2万回転もあった。だけどドライバーを守ることが最優先にしなければならないので、レースカーとサーキットも安全にしなければならない。2度と不幸な事故を起こさないためには仕方がない。
96年はフェラーリに移籍しとるぞシューマッハ
フェラーリにセナとシューマッハ揃い踏みはありだったかもしれないと思いますね。そうなれば、マクラーレン・ホンダの再現は必至でんしょうね。
事故はマシンだけの問題じゃなくて進化するマシンにサーキットが対応していない問題もあるからセナが存命していたら中々進んでいない可能性も・・あとウイリアムズの体質は変わらないと思うのでマクラーレン辺りに戻っていると個人的には思っています。F1をドラマチックに演出できる最高のドライバーだったのでああいう形で亡くなったのは非常に残念です
いろいろと思うところもあるんですがやっぱりF-1ドライバーの憧れの(フェラーリ)🏎️🐎に乗って欲しかったです‼️(ToT)(真紅のマシン)に(黄色のヘルメット)で走るシーンを見てみたかったです‼️
セナのリザルトは、チャンピオン4回か5回くらいだったのではないかと思います。セナは当時、いつかはフェラーリに行きたいと言及していました。ウィリアムズは当時、チャンピオンになったドライバーは解雇するという伝統があったので、94年か96年にウィリアムズでチャンプを取った後、フェラーリに移籍したと思います。ですがセナは、シーズンオフのテストに一切参加しないことで有名だったのでマシン開発が進まず、シューマッハのようなフェラーリ黄金時代は来なかったでしょう。結果、シューマッハはフェラーリでなく、ミカハッキネンの後にマクラーレンメルセデスで無双したかもしれません。シューマッハはF1デビュー前、ザウバーメルセデスのCカーに乗っており、メルセデスと深い繋がりがあります。セナは90年代末期に、F1最後のキャリアでミナルディに無償で乗り、ひょっとすれば1回は優勝したかもしれませんね。プロストはチームオーナーとしてはあまり手腕は良くなかったので、仮にセナがプロストチームに入ったとしても、再び揉めて後味悪くなってたと思います。マクラーレンの時も、初めはセナのことをプロストは大歓迎していましたからね。歓迎=円満、とはいかなかったと思います。
プロストは出来た人間ですね。なんだかんだ日本人はプロストが好きなのかもしれない。プレイステーションとブリヂストンがスポンサーになってるね。
アイルトンさんが生きていてくださったら...タンブレロの事故をやり過ごせてもウィリアムズにいたくなかったでしょうね。ウィリアムズ以降どこにいてくださったんでしょうね。フェラーリには教授もいたけど、そのあとミハエル(マイケルと呼べよとうるさかった)もいたから...やっぱり霊夢さんが言うようにアラン教授チームのオファーは受けたかもしれないですね。あり得るかもだとしたら、プロストさんのチームが傾いたあと、やっぱり無限ホンダ〜ミスターホンダのチームならお金はいらないよというかはわからないけど、『オヤジさん』にはアイルトンさんもかわいがってもらったし、オヤジさんもセナさんがかわいかったしだいすきだっただろうから、教授さんとやらかしたときに3位に入った亜久里さんがチームつくったときに、『僕も金を出すから一緒にやろう!マシンセッティングがうまくいかない?なんとかするから!』と佐藤琢磨さんとアイルトンさん、亜久里さんで面白いチームがつづいたかもしれない...ミナルディのパスタが旨いから、走らせてくれ!という話もあながちないとも言えないですよね。ミナルディにもフェラーリエンジンが来てましたしね。やっぱりアイルトン・タカとリアル・セナのバカしあい〜『速く走れるコツ教えるぞ。ハイ!これがブレーキ!これがアクセル!これがハンドルな!』はほんとうにおなかが痛かった!もしかしたら中島さんとアイルトンさんが『サトル、辞める前にもう一度一緒に走ろう!』ってなって中島さんがもう少し現役でいたかもだし...亜久里さんや中島さんのチームなら『ホンダで走れる!』二つ返事で直談判したかも!あとはBAR無限ホンダですよね。でも天敵がいた?からないかな?
キャリアの最後にフェラーリを駆るセナを見たかった赤い跳ね馬にセナのヘルメットがきっと映えて見えた事でしょうフェラーリでミハエルvsセナなんて見応えある対決も見たかった
フェラーリでシューマッハとセナなんて言うのを見てみたかった。。。
日本人はメディアに作られたセナを神格化しすぎ。セナをチームメイトにしない事を契約に盛り込んだプロストを攻めていたけど、自分もワーウィックのチームメイトを拒否したりとしていたから結構人の事と言えないんですよね~あと、セナはノーズ先端でクリッピングポイントを決めていて、MP4/5の先端を上げたテストカーで「クリッピングポイントがわからない」と言っていたので、95年以降のハイノーズに対応できたのかどうか・・・もし生きていてもハイノーズの対応に、苦しんだんじゃないでしょうか?もし、セナが生きていても、やっぱりシューマッハの時代にはなったんじゃないでしょうか?
実は92年の第2期ホンダのF1活動撤退の裏でインディ転向のウワサもあったその話しをセナにしたのはエマーソン・フィッティパルディだったとか……?
そのエマーソンが2010年代後半に、自身の財産で動かせるものをブラジル国外に移し3人目の妻と息子と共にブラジルから脱出した上でブラジルでの事業を計画倒産。ブラジルの裁判所からの出頭命令を無視し続けている姿を見たらどう思っただろうか?
セナは貧しいブラジルを憂いていたから、体力の限界を感じたらさっさと引退して政治家を目指したかもな
今頃セナ大統領とかになっていたかもしれん
第三期のホンダF1に参加していたかもですね。後にも先にも93年鈴鹿予選で目の前を歩くセナを見た時の衝撃が忘れられない。今でも会いたいです…
生まれて来た事、それだけで奇跡でありチャンスなんだ。この言葉に支えられて頑張ってます。
リアルタイムでその言葉を聞きました。本当にポジティブな名言だと思います。
この世に生を享(う)けたこと。
それこそが奇跡であり、最大のチャンスじゃないか。
だったかな。リアルタイムで目にした名言のひとつ。
@@redspeedstar2007 元々は、ポルトガル語か英語で言ったのでしょうが、私が初めて聞いた訳は「生まれて来たこと、それは人生最初の幸運です。そこからすべてが始まるのですから」というものでした。その言葉だけでも十分過ぎるほど感激しましたが、彼の本当の素晴らしさは、ブラジルで困窮している人々に手を差しのべたことです。それは死後も続いています。
セナが生きていたら63歳になるのか。あの日がついこの間のようでも、ずうっと昔のようにも感じる😢
当時からセナファンだった自分には、とても良い内容でした。94年以降の所属チームとかは想像出来ないけど、引退後はFIAの重職や、ブラジル大統領になってたのは想像できますね。
もしくはプロスト同様、自分のチームを作っていたかもしれない…
でも、かなりワガママだからチームとしてはうまく成り立たないかも…
セナがミナルディのマシンに乗り、グリッド下位から上位に上がっていく様子を見たかったな。
プレッシャーとも無縁で、純粋にマシンを操る事に集中していたかも知れない。
マーティン・ドネリーは、あんなひどい状態だったけど助かったんですね。誰よりもドライバーの安全性を案じたセナが亡くなってしまったのは無情だ。
誰よりもドライバーの安全性を案じたセナ……
そのセナが1990鈴鹿では、殺人的な接触をしました
現代のF1なら永久追放レベルですよ
up主と同じ意見です。セナが生きていたら、安全対策はすごい勢いで進んでいたのは間違いなさそうです。
引退後は、主催者側に入り安全対策を推進して、F1マシンが世界で一番早く走り、世界で一番死亡率の低い車になっているかも、そして各メーカーが一般車両に導入して、車がもっと安全にもっと楽しくなる乗り物になっているはず。
シートベルト、ハンス、ハロ…F1マシンは失敗と発案と反対、そして最後にはそれが普通になることを繰り返して、安全性が高められてきたことがよく分かりますよね。
ハロも最初は疑問を持ちましたが今ではすっかり馴染みましたし、何度もドライバーを救ってくれました。
セナが生きていればヒルはセナの時のベルガーやマンセルの時のパトレーゼやシューマッハの時のバリチェロみたいな「最強のNO2」みたいになってチャンピオンにはなれなかったかもしれませんがそれでもそこそこ勝ててはいたでしょうね。
どうですかね……
93GPまでがセナのピークだった様な気もします
あっさりヒルにも打ち負かされていたような気もします
あの日放送は今も忘れられない。冒頭に河合ちゃんがボロ泣きで全く話が出来ないほど。ラッツェンバーガーの事故死の後だけに凄く嫌な予感。嘘だろ?嘘だろ?って何度もTVに向かって呟いたけど、現実になってしまった。翌日、青山のショールームへ行き、セナが乗ったマクラーレンに花束を添えた。涙が止まらなかった。今も思い出して泣けちゃった。復帰は無理でも生きていて欲しかったな。
5月連休中(休日だったと思う)にも関わらず、ショールームを開けて下さった青山ホンダの皆様にも感謝します。
ボロ泣きしてたのは今宮さんなですよ? 川井ちゃんはまったく泣いてないです
この事故の日は何の予備知識もなくTVを点けたらいきなり「イモラの三宅さん(だったっけ?)セナの容態は…?」と来たので「何だよ、セナまたリタイヤ?容態って担架でも出たの?」(この時は2戦連続してポール→リタイヤ)とか呑気に構えてていざレーススタート→セナがクラッシュして「うっわ、コレ今季は棒に振るかも😱」とか思ってたら砂地に寝かされていつまでも動かず、やがてセナの脇に血溜まりが広がって(恐らく気管切開)ようやく嫌な予感がしたのを思い出す。やがてセナがヘリコプターで搬送されてCM→「皆様に大変残念なお知らせが…😭」その後はそれこそ一睡も出来なかった(こんな事はドーハの悲劇の時以来)。で、翌朝の新聞、普段政治や経済の一番重要な記事が載る場所に「セナ激突死、カーブ曲がりきれず」の見出しがあるのを見て「夢じゃなかったのかよ…😭」って改めて(T皿T)と。
セナが国葬になるくらい偉大な人だったから大統領かチームオーナーでホンダチームを率いていたんじゃないかな?
セナが生きてたら…
どれだけ考えたか分からない
永遠に自分のヒーローだから
健在だったら、63歳になっていて、実業家として活躍していたと思う。
セナのフィジカルならば、40歳までは現役をできただろうし、あと3回くらいチャンピオンになれたかもしれない。
ウィリアムズでチャンピオンを取った後、伝統に倣って放出。その後、フェラーリ移籍かマクラーレン復帰の道になっていたように想像する。
セナが生きていたら、何度も鈴鹿GPを観に行っていたかも👌
僕の中でF1ドライバーの中でアイルトンセナが断トツのNo.1ドライバーですね👍️
おっさん世代のファンとして誠に嬉しい動画でした、ありがとうございます。
現実を解りきった上で、時には「たられば」に想いを馳せるのも良い事でしょう。最高の酒の肴になりました👍
コメントありがとうございます🙇♂️
そう言っていただけて、救われました!ありがとうございます🙇♂️
やはり、セナが亡くなるなんて間違ってます😭
本当に、生きてくれていてさえすれば、それだけで良かった…
身を持って安全性を訴えてくれた、本当に尊い存在です✨
どうか安らかに〜🛐
96年のシューマッハはベネトンでなくフェラーリですよ。
セナのカリスマ性は何年経っても色褪せません。
生きていて欲しかった😢
古舘伊知郎の実況は翌年からも続いていたでしょうね。
あとは、ここまで日本でのF1人気が急落することもなかったと思います。
マシンも、今ほどおかしくはならず、もう少し当時のカッコよさを残していたでしょう。
古舘さんがF1の実況を辞めたのはセナの事故が原因とか言われていますしね。もし続けていたらニューウェイあたりにも古舘流のニックネームが付けられていそうな(笑)😊
@@maakyuunnjapaanerr4352 頭頂部も空力のトレンド!とか?ズラ被ってたら人間ダブルデュフューザーとか
古舘はホンダが撤退を発表する前から
「日本でワールドカップが開催されるなら実況したい」と
F1撤退をほのめかす発言をしてたよ。
長くても95年いっぱいで辞めただろう。
@@maakyuunnjapaanerr4352様、開幕戦のマシン紹介だったか、鈴鹿の前夜祭だったかで、「アドリアン・ニューウェイブ」と言っていましたね
90の開幕戦でだったかな?レイトンハウス・マーチ・ジャッドだったかな
セナが亡くなった時はまさかと思ったと同時に彼らしい最期だとも思った。そのぐらい伝説的なレーサーだった。
アランと一緒になって、俺たちの時代は…って言ってるよ(笑)🤣
アイルトン・セナ・ダ・シルバのファンですけど、あまりにも神格化し過ぎだと思います。
個人的には一番好きなドライバーで一番速いドライバーだと思ってますけど😂
メディアのせい特にフジ
ミナルディ入りしてそこからの縁でチームオーナーなって現アルファタウリで角田くんの師匠&ホンダエンジン 現実だったら激アツだったなぁ
こんな話しをするからあの日を思い出し、涙がまた•••体から力が抜けてしまったのを覚えています。
ヘイローは視界が悪そうと思ったけどグロージャンの事故で証明されましたね。
セナが生存していれば、ベルガーやプロストやシューマッハ等と共にドライバー達をまとめて、車両だけでなくサーキットも含めて、様々な安全対策の提案をしただろうね。
1994年のヒルはまだまだのドライバー。そのヒルでも争えた。
セナとヒルが挑めばシューマッハのチャンピオン獲得は簡単ではなかったはず。
後のシューマッハのフェラーリ移籍もどうなっていたか分からない。
セナのフェラーリ移籍が話し合われたのは1990年中で1991年シーズンの契約だったのでは?
「もう少しでサインするところだった」とセナは語っていた。
セナの偉業には異論はありませんがセナだけで伝説が作られたわけではありませんからね。
紹介にあったプロストはもちろん、ピケやマンセル、ロズベルグ、パトレーゼらの一癖も二癖もあるライバルの存在がありましたからね。
かなり今のF1に憤っていたでしょうね。
セナ、大好きでした。
セナが消えてF1との距離をとりました。
一番は自分がずっとF1を見てたんだろうなってことですね。放送もあったし。
確かにセナがいたらって色々考えますよね。
93年に勝てるエンジンを求めてフォードのワークスエンジンを獲得したり、ホンダを鼓舞したり。
94年も実は負けてたけど、毎戦ポールは獲ってたしね。そもそもドライバーの差が出なくなるTCSには否定的だったし、それを密かに使ってたとされるベネトンを告発して、結果、デーモンの終盤の追い上げ考えると、94年は意外とチャンピオンで、そうなるとベネトンに翌年にルノーが来たぐらいじゃ、アドバンテージ獲られなかったかな?
セナがルノーに圧力かけて。んで、やっぱアランを求めていたように、トラック上でのバトルが減り出してきたF1と若手のためにも、95年も連覇した辺りで引退したかもね。
今セナが生きていたら…考えない事はないです。
その度にもういないよ…😭と思います。
セナも完璧な人ではないけど、色々活躍しただろうと思います。
いつかイモラとモルンビーの丘に花を捧げに行きたい。
とにかくセナは永遠に好きなドライバーです。
もしもセナが事故しないで生きていたら今のEV環境に何も言わないと思う
でもミナルディチームみたいな食事がすごい美味しいチームには足を運ぶと思う
セナって、シューマッハみたいにマシン開発に積極的に参加するタイプじゃなかったらしいけど、
マシンの特性や癖を見抜くのに長けてたって聞いた事があります。
新型に一度乗っただけで、そのマシン(エンジン含む)の改善点や特性を瞬時に見抜くらしいです。
NSXのプロトタイプに乗った時も、一度乗っただけでボディ剛性の低さを指摘したそうです。
それが切っ掛けで、ニュルブルクリンクでテストする事を決定したそうです。
そして、完成車をテストしたセナは「ちゃんと仕上がってる」と褒めたらしいです。
もし生きていたら現役最後にフェラーリに乗り、プライベートチームを立ち上げ、復帰するホンダをパワーユニットとして搭載。その前に生ダラカートのセナvs タカ&サダのレース(たぶんセナのプライベートコース)見たかったなぁ🙄
エリックコマスを、助けに行ったのを思いだしますね。
他のレーサーたちは、無視して素通りしていく中を。
ニスモのイベントで、そのコマスのドライブするCカーを乗せてもらいましたが、パーフェクトな走りでしたね。
さすが、F-1ドライバー。
私も94年はチャンピオンは獲れていないと思う。そして95年もベネトンが物凄く速かかったから無理だったかも。でもセナはフェラーリも乗ってみたいとも言っていたので、96年はフェラーリに移籍したかもしれない。その後F1から引退したと思う。
引退後はインディへ転向して、ホンダがF1に復活した時、BARの監督になってたかもね。
サンマリノの事故で無事でいられたら、結構逆転チャンピオンも有ったと思います。あの後、モズレー・マジック(FIA会長のシューマッハ虐め)でヒルが追いついたじゃないですか。ヒルでさえそうでしたから、セナだったら逆転も可能だったと思いますよ。
それと、シーズン始めに、セナは給油に苦しんでいましたが、慣れれば彼には合っていたと思います。セナは燃料を減らしマシンを軽くしてスタートでリードをとるスタイルでした。途中でガス欠することもありましたが、レース中の給油が許されるなら、まさに彼らしいペースで走れたことでしょう。
幼い頃からF1見てますがコレが現実だったら95年で一度見るのやめなかったです。(04から再度見出した)11年の地上波で放映してた時までガッツリ見てただろうなー
94年はFW16Bになってチャンピオンだったはず、97年まで勝ったはず。
セナは背中で語るのも行動も素晴らしく安全面には注意してたのに残念でした。ラッツェンバーガーも忘れないでください。
1994年限りで引退していただろうな。
1994年の開幕戦と第2戦からしていままでにない違和感を感じた。
ミナルディのセナ見たかった。。。
私も、ミナルディのセナ見たい
97年のヒルみたいな走りしそうですね
第3期ホンダに関わり2001年に現役引退し佐藤琢磨の師匠に成り日本人初優勝に尽力。
エヤトンのレースキャリアは5度のワールドチャンピオン通算250戦80勝は達成してたな。
シューマッハがあれだけの実績を残すことは、なかった
互角のマシンでセナvsシューマッハを見たかったなあ。
日本でのF-1衰退の一番の原因は地上波からBS/CSに移行したのが最大の原因と思ってます😅
学校もそうだけど
何かあってからじゃおそいんだから
起こる前にやらないと
セナ...😭帰ってきて😭😭
セナは自身の所属するチームの上昇のためならマスコミにも訴えかけるからウイリアムズとは合わないと思う。シューマッハとハッキネンを見てまだやれると思うか引き際と思うかは謎だけどF1レーサーの安全のために働きかけてくれてたとは思います。
もしも夢が見られるならセナvsシューマッハvsアロンソvsライコネンが見たかったです。
アロンソがセナとシューマッハに❌してたら笑う
あの時に34歳、走っていても38歳までには引退しているだろうし、マシンとコースの安全性についてFIAに議論しただろう。彼は安全には口うるさく言う。これが良いところ。彼には握手してもらえたし、素晴らしい速さで鈴鹿のスプーンに飛び込むのも見た。カリスマドライバーであり、鈴鹿の最終ラップで手をファンに降りながら走り抜けたのも現場で見た。それだけにセナなら安全委員会を新たに発足してくれたかも知れない。
もっと早くハイテク禁止を発表してたらこんなことならなくて良かったのに…フェラーリ でセナとベルガーのコンビ見たかったなぁ😢
「最後はパスタとエスプレッソのお礼に無償でミナルディ」って話はロマンがあって好き。トロロッソホンダだったらもっと胸熱だったと思うけどそれは流石に無理かなぁ😆。
現役当時に感じていたけど、セナの老いた姿が想像できなかった。
ゲストコメンテーターやったり、インタビューされたりする老いた姿。
まったく想像できないと感じてた。
そして結局は事故死してしまった。
あくまでも個人的な考えとしていろんな話を総合させると、例のサンマリノGPの事故の前日かその週にセナはフェラーリのモンテゼモーロ社長(当時)に会って「来年にフェラーリに移籍したい」と話していたようなので、多分95年からはフェラーリで現役最後の1年間はセナのお父さんが言う通りにミナルディだったと思います。そして引退後にたまに日本のTV番組に出るのは良いのですが、あまりにとんねるずの番組に出過ぎて定岡正二さんのようなイジられキャラになるセナは見たくないですね(笑)
逆に負け犬ジャージを着させられたセナも見てみたい気もしている。もちろんポルトガル語でセナが分かっていて負け犬ジャージを着てもらいたいです。
ミナルディのセナか。雨が降る度に優勝とか面白い展開があったかも。チームプロストもイイね。オールフレンチじゃなくなるけど。テスト時に余りの遅さに業を煮やした監督プロストがドライブしたら最速タイムを出したという逸話があるからマシンもそれ程悪くなかったのでは?
プロスト好みのマシンだった可能性もあるとは思います
セナが生きていたら、ミハエルもフェラーリじゃ勝てないからベネトンにい続けただろうから、フェラーリの黄金期は永遠になかったかもね。
安全対策だけど、セナが言えば言うだけFIAが嫌がって進まず、他の誰かが犠牲になっていたかも。それからやっと改革が進みそうだけど。
セナが今も活躍していると思う
もしセナが生きてたら、95年までウィリアムズに在籍するも、ニューエイのマシンと相性が合わず結局一度もタイトルを取れず96年にフェラーリに移籍。チームメイトはバリチェロで、シューマッハはマクラーレンに移籍しハッキネンとコンビを組むことに。
97年悲願のタイトルを獲得し、そのままF1を引退し翌年からインディに移り01年あたりまで参戦。その後インディ500とルマンにスポット参戦を暫く続け11年くらいにドライバー完全引退。
その後は気ままにカートをやりながらセナ財団の運営に尽力って感じだと思う。
FW16はレイトンハウス時代のニューエイの悪い部分が出たような車でしたね。空力に敏感過ぎて些細な事で姿勢が乱れると。
セナが言うには同じコーナーを同じように走っても毎回挙動が違うと・・・アンダーステアだったりオーバーステアだったりしたそうですね。
セナは勝つ事への執念が異常に強くて、そのせいで最後のレースは危険なほどウイングを寝かせてたんですよね。あのウイングがもう少し立っていれば制御不能には陥らなかったかも・・・まぁベネトンがインチキして異様に速かったのを自分の腕だけで取り戻そうとしたんでしょうけど。
イモラでの事故で何とか命を取り留めたとして、今のミハエルみたいな感じで表舞台から姿を消して、誰もどんな生活か分からないみたいな感じにはなってそう。
そもそもイモラでの事故が起こらなかったなら、セナの開発力でピーキーなFW16を改良しつつ戦って行ったんだろうけど、ミハエルの台頭には抗えなかったと思うな、95年までウィリアムズに乗り、96年にフェラーリへ、99年頃ミナルディに恩返しして引退って感じかも知れない。
昔、ベネトンにはフォードがエンジンを供給していましたねえ。
100人いたら100人のストーリーがありますよね。私的な想像&妄想考察です!
仮に1994年のサンマリノの事故が軽症で3ヶ月後の後半戦に復帰できていたら3勝。
1995年は流石にベネトンには歯が立たずチャンピオンは取れずそれでも5勝。
1996年、1997年は8勝ずつでドライバーズタイトル二つ上乗せ。有終の美で引退宣言
ところが1998年はなんとミナルディでモナコGPだけスポット参戦笑 予選10位からの最終ラップでトップで優勝。
引退後はF1の現場からは付かず離れず。母国ブラジルのために政治や福祉に尽力したのではと思います。
98年のミナルディで優勝は96年の完走3台とかそんな世界線?笑
けどセナ+モナコならそんな奇跡も有り得そうな気もしてくる😂
モナコは通算10勝計算です笑
勝利数、PP数、チャンピオン数などは後世のドライバーに抜かれたでしょうが「モナコ10勝」は永遠の金字塔でしょう。
セナが生きてレースを続けて居たらと当時は、幾度と考えた事ありましたね!ドライバーの走りを見て、セナだったら!とか安全策もセナだったらどうしてたとかって感じでしたね!とんねるずのみなさんのおかげでしたの企画でセナが逆走やルール無視で大爆笑してた頃に感謝ですね!(´▽`)
安全性に関してはセナが存命なら遅れてるような気がします
ラッツェンバーガーの事故への対策は火花が散らない高さまで車高を上げて制限したり、ウイングの強度を高めたり、明らかなダメージのあるウイングでのタイムアタックは失格や無効などのレギュレーション変更が主な変更点で、コックピットの保護はマッサの事故が起きるまでは消極的だったかもしれないなと思います
私は本当にガチで
マジで
アイルトン・セナと同じ利き腕です
左利きです。
HALOが早く導入されてそう
もしもセナが生きていたら腐りきった既得権益に嫌気がさしてF1から足を洗い、プロストらかつての戦友をまるごと引き抜いて新たなカテゴリーのレースを構築していたと予想
96年シューマッハはフェラーリですよ。
レースディレクターとして現在活躍していたら最高ですけどね。
勿論デレックワーイックの存在は無いw
南米とイエローは必要ですよwww
一番あって欲しい未来でした。
ワーウィックの存在は怖かったのかも。チームメイトになるくらいなら乗らないといったくらいだし。
全ては、たられば。残念。冥福を祈ります。貴方を忘れる事は無いでしょう。
自分が生まれる以前に亡くなられてしまった方だけど、本当になぜ亡くなられてしまったんだ!と悲しく思いますし、今ご存命だったらと考えますね。
政治家になってるか、あるいは中嶋さんや亜久里さんみたいに自らレーシングチームを立ち上げて監督をやられているか。
お会いしてみたかったですね。
ただ安全性についてはさらに厳しく議論され、より向上に向けたマシンを作ろうとするのは間違いないでしょうね。
プロスト引退後のセナは明らかにモチベーションが落ちていたから、プロストGP参戦まで現役は続けていなかったんじゃないか
95年あたりで引退したんじゃないかと思ってる
セナは生きていたらFIAの運営側に関わろうとしそう
プロストと再会トークでまた椅子ガタガタやってくれそう。あと意外と素朴な着流しもやるようなので紺のジャケットにストライプのシャツ着用、下ベージュのパンツスタイルだろうね。勿論おっさんだけど佇まいはは昔のままとか
セナはレジェンドドライバー、ジャッキースチュアートから「あんな走りしてたら今に死ぬぞ」と警告受けたのに「ウッセェこのジジィ」神は見てたな。
そんな激しい事は言ってません。ただ、ジャッキーの言い方にも問題があり、非常に失礼な言い方(上目線)をしたから“貴方の時代には本当に勝つ気があったドライバーが居なかったからだ”と言い放っただけ。
「いつの話をしてるんだ?今はカーボンモノコックだよ。お前がレースをしてた頃とは時代が違うんだよ!」
それに続けて
「終わりだ終わり、もうやってられねぇよ。」あたりが妥当な翻訳と思われるセリフを
「終わりにしましょう、あなたとは2度と話をしません。」にした(させた?)奴のセンスはスゴい。
みなさんレスありがとう。みなさんセナが好きなんですね。 実は94年に開催されたパシフィックGPの英田サーキット(現岡山国際)の本社に勤務していまして手伝いに行きました。私は外国語は解せないのでスタッフから聞いた話ですが、セナは意外・・でもないのかな・・毒を吐くwクセがあったようで、狭いサーキットなんで「こんな箱庭みたいなところでレースできるかっ!」プンプン。と当たり散らしていたそうです。やはり神は見てるんですよ。
連投すみません。
セナのマクラーレン ランボルギーニ見たかったです。
14:25 まっさんわろた
けどそういやセナとマッサの絡みもみてみたかったなああ笑、今の所その2人の絡みってセナファンだった幼少期のまっさんがサイン断られて嫌いになってピケ推しに変えた(マッサ談w)しかないからなw
不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナ
彼を超えるドライバーは現れないと思う
ビデオの内容とは異なり恐縮ですが、未だに私はセナの事故原因が明らかになってないのが、少し不愉快です。素人の思い付きですが、ステアリングロッドの破損か、フロントウエイングの破損ではと思いますが、未だに彼が死んだのは信じられない感じです。
アーバイン「ギャーーーース‼️」
セナが生きていたら、という想像上での話ですが、シューマッハとはプロストほどの確執は生じなかったと思います。
年齢的にはプロストとは逆の立場、ライバル視しながらも、冷静な面も持ち、相手をしたと想像します。
それと、ハイテク規制掛かった94年、セナとシューマッハは安全面に関して意見を共有するようになり、関係は改善されつつあった、と伝えられてますね。サンマリノGPの予選でラッツェンバーガーが亡くなった後、セナとシューマッハは非公式な場で会話をし、ドライバー同士で何か組合的な物を作る必要がある、と意見を共有した、と聞いたことあります。
*直後のモナコでシューマッハより説明があった、GPDA(グランプリ・ドライバー・アソシエーション)です。
レーサー引退後の想像ですが・・・単なるF1やモータースポーツの世界に留まらず、ブラジル大統領に立候補などもあったかもしれませんね。生前、ブラジルの貧困層の子供達にも学業やスポーツの教育を受けられるようにしたい、とコメントしていたと思います。
*アイルトン・セナ基金も、その活動の1つでしたよね。
94、95とベネトン&シューマッハにボコボコにされて
ベネトンかフェラーリに移籍しそうな気がする
ウイリアムズにセナのサラリーはキツいだろうし
ウイリアムズ長期所属の可能性は低いんじゃないかな
マクラーレンの後、ウィリアムズで2回チャンピオン(多分96・97年?)、
その後ベルガーとフェラーリを1・2年走らせて引退か、フェラーリ2年の後にミナルディを1年くらいで引退かな
90年中にセナとフィオリオが交渉→当時FIAT会長のフィサロが横槍→プロストがフィオリオに激怒
セナはマクラーレン残留で3度目のチャンピオン、フェラーリならどうなってたかね…?
「ただで乗ります」はウィリアムズより先にミナルディで発言していたというね。
@@八玉子あおパスタのお返しに無償でシートに…🍝
ウィリアムズ以上に愛情を感じる気がする🙄
セナがもし生きていだとしたら、ヒルやハッキネンはもう少し長くF1を続けてただろうなぁと。
おそらくフェラーリ、マクラーレンあたりには移籍してたかもしれないし、ヒルの扱いでウィリアムズに物申してたりしてたかもしれないですね。
プロストGPに移籍していたとしても、おそらく高木虎之介の扱いとかで怒っていたかと思います。
個人的に、ラストイヤーは2010年代に戻ってきたロータスでも良かったなぁと(年齢的にも現実的に無理ですが)
生前から財団を作ってブラジル国民に貢献しようとしていたセナだから、
ブラジル政財界に大きな影響を及ぼす存在になっていたと思う。
若い頃に支援してくれたナシオナル銀行と破格の条件で契約したセナだったら
ミナルディをドライブしていた可能性もあったかもしれない。
ドライバーに対して冷淡なウィリアムスとは早々
(1995年終了時)に別れていたかも。移籍先はフェラーリか、
あるいはシューマッハが去ったベネトンあたりで。
セナの写真は哀しげな表情が多かったけど、それがセクシーだった
主さんは、ちょっとセナというドライバーを理解できてないと思いますよ。94年ですが、ウィリアムズが抱えていた問題は、リアがピーキーというものですが、一年間直せないようなものではない。現にセナが亡くなってから程なく改善できている。その後は、セナに周回遅れにされるヒルでさえシューマッハーと争えるだけのマシンになっているのです。
序盤の予選を見ていると、あの年はほぼ全てのレースでPPは取っていたでしょう。これができるということは、レースの支配権があるということ。ヒルとのコンビで色んなことができるということです。それと、初めてのタイトル争いの相手がセナというのは、追われる者にとってはとてつもないプレッシャーだということ。オーストラリアでヒルがあまり離れないことに焦ったシューマッハーですが、一年中それどころじゃないということです。
94年は30ポイント差が付いてしまっていましたが、中立の立場の自分から見れば、面白いシーズンになったと思います。
95年についてですが、セナがウィリアムズにいれば間違いなくチャンピオンだったと思いますよ。あの年は、マシンよりもドライバーのミスが多くてウィリアムズが負けていましたから。
新人のクルサードと同じぐらいのポイントしか取れないヒルですから、チームのイライラも募り、雰囲気が悪くなって余計にトラブルが増える。セナがいれば、無かったことです。
95,96,97のチャンピオンは確実で、その後は分からない。まぁ、ひょっとすると、8回以上タイトルを獲れていたかもしれないですが、相手もシューマッハー。分からないとしか言えないですね。他のドライバーはしばらくは相手じゃなかったでしょうが。
アイルトンセナレーシング ホンダが出来ていたかもしれない。
セナが生きていたらイモラの事故後のレギュレーション変更がされることはないから
ステップドボトムは行われない
エンジンの排気量はしばらく3.5リッターのまま
コックピットの開口部はドライバーの肩が見えるくらいの低さのまま
という感じか。
94年のチャンピオンはセナで確定と思われてるから、バーニーは興行のためにセナのタイトル獲得をできるだけ遅らせようとする。
そのタイトル獲得を遅らせる手段の1つが、ベネトンのTCS疑惑を見て見ぬふりのまま放置。
それ以外のあら捜しもしない。
実際にシーズン前半はそれを実践した。
そんなバーニーにとって、空力に過敏でセナでさえ手こずるFW16は実に都合のいいクルマだったはずだが……
F1引退したあと
レースのキャリア最後は日本に来てスーパーGTのNSXに乗ってそうです。
セナが走っていた時がいちばん素晴らしいレースを繰り広げていた
セナもセナ以外のドライバーも全身全霊をかけていた。迫力もありスピードもあった。馬力は1500
車体は500kgと軽く、エンジン回転数も2万回転もあった。
だけどドライバーを守ることが最優先にしなければならないので、レースカーとサーキットも
安全にしなければならない。2度と不幸な事故を起こさないためには仕方がない。
96年はフェラーリに移籍しとるぞ
シューマッハ
フェラーリにセナとシューマッハ揃い踏みはありだったかもしれないと思いますね。
そうなれば、マクラーレン・ホンダの再現は必至でんしょうね。
事故はマシンだけの問題じゃなくて進化するマシンにサーキットが対応していない問題もあるからセナが存命していたら中々進んでいない可能性も・・
あとウイリアムズの体質は変わらないと思うのでマクラーレン辺りに戻っていると個人的には思っています。
F1をドラマチックに演出できる最高のドライバーだったのでああいう形で亡くなったのは非常に残念です
いろいろと思うところもあるんですがやっぱりF-1ドライバーの憧れの(フェラーリ)🏎️🐎に乗って欲しかったです‼️(ToT)
(真紅のマシン)に(黄色のヘルメット)で走るシーンを見てみたかったです‼️
セナのリザルトは、チャンピオン4回か5回くらいだったのではないかと思います。
セナは当時、いつかはフェラーリに行きたいと言及していました。
ウィリアムズは当時、チャンピオンになったドライバーは解雇するという伝統があったので、94年か96年にウィリアムズでチャンプを取った後、フェラーリに移籍したと思います。
ですがセナは、シーズンオフのテストに一切参加しないことで有名だったのでマシン開発が進まず、シューマッハのようなフェラーリ黄金時代は来なかったでしょう。
結果、シューマッハはフェラーリでなく、ミカハッキネンの後にマクラーレンメルセデスで無双したかもしれません。シューマッハはF1デビュー前、ザウバーメルセデスのCカーに乗っており、メルセデスと深い繋がりがあります。
セナは90年代末期に、F1最後のキャリアでミナルディに無償で乗り、ひょっとすれば1回は優勝したかもしれませんね。
プロストはチームオーナーとしてはあまり手腕は良くなかったので、仮にセナがプロストチームに入ったとしても、再び揉めて後味悪くなってたと思います。
マクラーレンの時も、初めはセナのことをプロストは大歓迎していましたからね。歓迎=円満、とはいかなかったと思います。
プロストは出来た人間ですね。なんだかんだ日本人はプロストが好きなのかもしれない。プレイステーションとブリヂストンがスポンサーになってるね。
アイルトンさんが生きていてくださったら...タンブレロの事故をやり過ごせてもウィリアムズにいたくなかったでしょうね。
ウィリアムズ以降どこにいてくださったんでしょうね。
フェラーリには教授もいたけど、そのあとミハエル(マイケルと呼べよとうるさかった)もいたから...やっぱり霊夢さんが言うようにアラン教授チームのオファーは受けたかもしれないですね。
あり得るかもだとしたら、プロストさんのチームが傾いたあと、やっぱり無限ホンダ〜ミスターホンダのチームならお金はいらないよというかはわからないけど、『オヤジさん』にはアイルトンさんもかわいがってもらったし、オヤジさんもセナさんがかわいかったしだいすきだっただろうから、教授さんとやらかしたときに3位に入った亜久里さんがチームつくったときに、『僕も金を出すから一緒にやろう!マシンセッティングがうまくいかない?なんとかするから!』と佐藤琢磨さんとアイルトンさん、亜久里さんで面白いチームがつづいたかもしれない...
ミナルディのパスタが旨いから、走らせてくれ!という話もあながちないとも言えないですよね。ミナルディにもフェラーリエンジンが来てましたしね。
やっぱりアイルトン・タカとリアル・セナのバカしあい〜『速く走れるコツ教えるぞ。ハイ!これがブレーキ!これがアクセル!これがハンドルな!』はほんとうにおなかが痛かった!もしかしたら中島さんとアイルトンさんが『サトル、辞める前にもう一度一緒に走ろう!』ってなって中島さんがもう少し現役でいたかもだし...亜久里さんや中島さんのチームなら『ホンダで走れる!』二つ返事で直談判したかも!あとはBAR無限ホンダですよね。でも天敵がいた?からないかな?
キャリアの最後にフェラーリを駆るセナを見たかった
赤い跳ね馬にセナのヘルメットがきっと映えて見えた事でしょう
フェラーリでミハエルvsセナなんて見応えある対決も見たかった
フェラーリでシューマッハとセナなんて言うのを見てみたかった。。。
日本人はメディアに作られたセナを神格化しすぎ。
セナをチームメイトにしない事を契約に盛り込んだプロストを攻めていたけど、自分もワーウィックのチームメイトを拒否したりとしていたから結構人の事と言えないんですよね~
あと、セナはノーズ先端でクリッピングポイントを決めていて、MP4/5の先端を上げたテストカーで「クリッピングポイントがわからない」と言っていたので、95年以降のハイノーズに対応できたのかどうか・・・もし生きていてもハイノーズの対応に、苦しんだんじゃないでしょうか?
もし、セナが生きていても、やっぱりシューマッハの時代にはなったんじゃないでしょうか?
実は92年の第2期ホンダのF1活動撤退の裏でインディ転向のウワサもあった
その話しをセナにしたのはエマーソン・フィッティパルディだったとか……?
そのエマーソンが2010年代後半に、自身の財産で動かせるものをブラジル国外に移し
3人目の妻と息子と共にブラジルから脱出した上でブラジルでの事業を計画倒産。
ブラジルの裁判所からの出頭命令を無視し続けている姿を見たらどう思っただろうか?