【浄土真宗本願寺派のキホン】信心とは?
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- Опубликовано: 6 сен 2024
- 浄土真宗でもっとも大切にしている信心。
どう考えたらいいのか?
信じるとはどういうことか?
分かりやすく解説します。
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武田正文
浄土真宗本願寺派高善寺(島根県邑南町)
臨床心理士、公認心理師
イラスト協力 カワモトトモカさん
先日は大変ありがとうございました。
阿弥陀様は最愛の人や私を見守ってくれると信じ どんな辛くとも乗り越え生きて行きたいと思います。
とても分かり易くて有難い!
阿弥陀如来さんから誰もみんなを信じて、救いますよといわれているので、それを信じていれば、「信心」になるわけですね。腑に落ちました。南無阿弥陀仏。
2週間前、突然、母が亡くなりました。
改めて浄土真宗や、お寺の事を知りたいと思い、拝見しております。
分かりやすく温かい情報
いつもありがとうございます😊
「浄土真宗の事を知りたい・・・。」
真宗を名乗ってはいるが、親鸞とは真逆な事を言っている団体も有る。 良く聞いて騙されない様。
合掌南無阿弥陀仏ありがとうございました🙇
相手の支えがあって初めて信じられるんですね。背を向ける人であっても救われる阿弥陀様のお慈悲には、頭が下がります。南無阿弥陀仏。
「信心とは」
これ 口に出す勇気ありません^ ^:
色々な話しを聞けば聞くほど??
となる時あります。
基準は 自分の心で測るのではなく相手に照準を当てるんですね。
阿弥陀さまのお話しになると 一目瞭然ですね。
納得しかありません。
本当 要らないプライド持ったりして、そのプライドさえにも気付かなかったり、近しい人程 視野が狭くなってしまいます…
当たり前は 当たり前ではない事に気付くよう アングル変え、意識をむければいけませんね。
最も重要な 信心、今日の動画を拝聴して ピリオドをつく事ができました☺️
武田副住職さん、心理カウンセラーも兼ねていらっしゃいますので、より興味深く拝聴させて頂く事ができました。
春夏秋冬さんの武田副住職さん、目 似てますね 笑
優しいイメージが良く出ておられます。
旭堂 南雲さんの講談
「法然さまと親鸞さま」
楽しみにしております。
今日も 火種を有難うございます✨
🙏南無阿弥陀仏✨
遅くなりました。合掌🙇♀️🙏
南無阿弥陀仏🙏✨
信心 ありがとうございました。 南無阿弥陀仏
武田様。もかも。信心と言うと、ついつい
私は幼少期間近(幼児が歩いて3~4分)に比較的大きなお宮さんがあり、手を合わせて来ました。
浄土真宗系の信心一如を説いておられるのは分かるのですが、何故、他仏他神を信じることを禁じるの
が飲み込めずにいます。すみません。
南無阿弥陀仏
お話有難うございます。 新人賞、中々難しいですね。
私はうつを長患いしています。
職場の人間関係が原因でした。 中々治らず、医師から、難治化も言われています。 神仏のご加護、分けても、阿弥陀仏さまの念じた瞬間に救いが得られる、との教え。 信じていつつ、実感するのが難しく感じています。
親鸞聖人は、信心獲得について因位のとき獲と言い、果位に至って得と言う、因位と果位合わせて獲得と言う
因位とは叉果位とは何かを知るべし。
信心ないと浄土に行けないわけじゃない。私は一遍上人の熊野権現託宣に感銘してお念仏します。
ありがたいことでございます(^^)
阿弥陀如来様によって、私の口から、南無阿弥陀仏が出ている。だから、ご開山の信心も、私のような不勉強な者の信心も同じ。
信心はひとつ、ということなのでしょうか?
なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。
最近動画が上がっていないですけど体調等大丈夫でしょうか?
ある日、菊谷先生の動画が、突然入りました。私は 神(稲荷)、仏(我が家は、日蓮宗)、更にお不動明王まで、信仰しております。
でも、菊谷先生の動画を観て、信仰心が、根底から、ちょっと・・・?となりました。 この動画は、分かりやすいですが・・・!ありがとうございます(^^)
コメントありがとうございます!
ようこそのお参りです(^^)
お布施ビジネスのトーク
「信心ヲバ、真ノ心ト読メルナリ。 真ノ心ト読ムウエハ、凡夫ノ迷信ニハアラズ。 全ク佛心ナリ。」
大谷派和上さん、名前は存じ上げませんが、その方が詠まれたうたです。
何方かご存知な方がおられましたら、教えて下さいませ。
はっきりとしませんが、確か曽我量深師だっと思います。なにかで読んだ記憶があります。
@@myoseji さん
コメント、有り難う御座います。
私も確か、曽我さんだったと記憶していたけど、遥か古の事で自信が薄れていました。
ご教示、有り難う御座いました。
信心の説明よくわかりませんね。何を如来からたまわるのですか。
どうしても阿弥陀如来を「ひと」のようになってしまい,私も上手く表現できないのですが,きちんとお話しできるように頑張ります!
率直なコメントをありがとうございます!!
ざっくり言うと、『阿弥陀如来から「わたしたちをかならずたすける」という願いをたまわるということ』これが浄土真宗の信心の中身だろうと思います。
そしてその願いの証明のごとく、他者や先人たちがすでに阿弥陀仏を褒め称える「ナムアミダブツ」(阿弥陀仏に帰依します)という称讃の声が聞こえているのだ・・・と以下、念仏とは何かなど詳細へとつながっているようです。
さて、いわゆる世間で流布している信仰心というのは、「私が〇〇を信じる」ということだけれども、浄土真宗の信心というのは、「如来(真実性)がすでに私の存在を認め、そのまま包み込んでいるよ」という事実性をいうのだろうと思います。「私が」「私が」というのとは方向が逆なんですね。(そのあたり動画でお話の通りです)
何か都合のいいことだから、理解できたから「信仰する」というのではなく「信じる気持ちにすら導いていただいるのだ」のごとくの受け止めを「信心をいただく」ということであり、それを「阿弥陀如来から信心をたまわる」とおっしゃっているのでしょう。
根本的な安心は、「何かやればいい」とか「もてばいい」でなく、「本願を信じて念仏すれば仏になる」ということだということが浄土真宗です。
というのですが、それではそれを「信じればいいのか」というと、上記の通り、「信じる」ことそのものに厄介な問題が上記の通りや動画の通りあるということが浄土真宗の特徴だと思います。
私たちの人生には、うまくいかなくても気の持ちようだと言われてかえってへこむことがあります。「気の持ちよう」、「自分を信じる」では済まされない、ときに苦悩の深いわたしどもにも「そのまますくう」と信受することのよろこびをいただくことが「如来からたまわる信心」かと思います。
浄土真宗の要中の要なのでかなり難解なところかと思います。
正確に伝えられたか疑問ですが、念仏し、そして常にすくいは「私から」でなく「仏のほうから」ということを念頭に法を聞いていくということかが大事かと思います。