[旅気分]九州山地 川辺川(熊本県)/五家荘とよばれる落人伝説の里
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- Опубликовано: 24 ноя 2024
- Kyushu Mountains, Kawabe River (Kumamoto Prefecture) / Legendary village of fallen people called Gokanosho
1300~1700m級の九州山地の奥深い位置に点在する五家荘は八代市泉町(旧:泉村)の中の旧村であった椎原、仁田尾、樅木、葉木、久連子の5つの集落の総称である。五家荘は九州の秘境と言われている閉ざされた地域であったが、村に伝わる平家伝説を訪ねて観光客も足を踏み入れるようになった。また、西日本外帯山地に分布する山岳集落の最西端でもある。
「肥薩国誌」によると、平安時代に藤原氏によって太宰府に流された菅原道真の子孫・左座家が藤原の追討を避けてこの地に入り、仁田尾・樅木に、また壇ノ浦に破れた平清経の孫3人も逃れ来て緒方姓を名乗り、それぞれ久連子・椎原・葉木に隠れ住んだのが始まりと伝えられている。もちろん、信憑性のない伝説だが、住んでいる人々自ら「何でこのような山奥に先祖が住むようになったのであろうか」と問い続けてきた結果だ。
椎原は五つの集落の中心的な存在で、川辺川の河岸段丘上に形成されている。緒方家はかつての名主の家で平家の子孫と伝えられ、県指定文化財として保存公開されている。緒方家のほかにも寄棟造りの古民家が見られる。久連子は川辺川の支流久連子川谷に開かれた谷底の集落で、古代踊りや県天然記念物の久連子鶏が生息する地である。葉木は川辺川の支流谷内川谷の集落で「せんだん轟滝」という名瀑がある。仁田尾は小原川の上流でまとまった集落を形成せず、数軒が点在する。そして樅木は五家荘の中でも最奥に位置し、川辺川に面する斜面の中腹にある。今では、平家の落人伝説や当時の暮らしぶりを今に伝える資料館「平家の里」という観光施設がある。樅木からさらに谷を上ると椎葉越という九州山地稜線を越す峠となり、椎葉村に至る。
集落町並みWalker
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Database 五家荘
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熊本上益城郡甲佐町生まれです 自分のお袋が五家荘生まれです
自分は73才になりますが 昭和30年頃は交通がない頃で
朝6時甲佐から五家荘まで歩いて行ってました 五家荘に着くのが夕方6時頃であくる日は足が痛くて泣いていました
まだ電気もなかった時代です 今でも忘れた事はありません
特に二本杉と 下屋敷 むかし下屋敷は色々とあったみたい
それ以上お袋は言いませんでしたが
お袋もなくなり
お袋のお母さんは椎葉生まれだそうです
自分も73才になって 強くてたくましいお袋でした 自分もいれて子供5人
お袋有り難う 自分も近いうちにお袋に会える事を楽しみにしております
ご視聴コメントいただきありがとうございます😊昔はバスもなく、甲佐か五木村から歩きだったそうですね。私も最初に訪れた40年前は、人吉から五木村の上荒地までバスで行き、そこから椎原まで歩きました。甲佐からですと12時間かかったんですね。秘境中の秘境だったのですね。
砥用から二本杉まで坂道で苦労しました 母が二本杉に着いたらおにぎり食べる
から頑張って 一緒懸命歩いた時の頃思い出し今でも涙が出ます
二本杉から五家荘までは坂道がないので少しは楽でした
下屋敷まで来たら一安心で 今思うと夏休みの良い思い出です
今は道路も綺麗になって良いですね 3回ぐらい五家荘八重から椎葉まで行った事が
あります
@@walkerwalkaroundjapan😊😊😊
懐かしいね。あの時は人吉からバスに揺られて、それから延々と徒歩だったね。
ご視聴コメントいただきありがとうございます😊なんと相棒登場!ご無沙汰です!懐かしく思いながら歩きました。どうやってチャンネル見つけたのでしょうか?
I know all about this village because of the commentary you provided in the last video! Seriously, it's good to watch this version as well 👍😊
Thank you for your comment 😊 We have updated this version for the first time in a while. Please look forward to new projects!
@@walkerwalkaroundjapan 👍😊
ここはほとんどどん詰まりですね。
甲冑があると言う事は。。。持ってきたのか、戦場からそのまま逃げ伸びたのか・・・・
持ってきたなら誰がどうやって・・・車も馬車もないだろうから、従う者が相当数居たってことですね。
人と人のつながりが強かったと言うか、今の時代の希薄な人間関係では前者はあり得ない気もします。
後者であるなら・・・この地で生活基盤をどうやって築いたのだろう。
妄想の時間ありがとうございます。
ご視聴コメントいただきありがとうございます😊どうして住むようになったのか、隔絶された地域では必ず伝説があるのが面白いです。
ここの8月過ぎのアユは日本1美味い^_^
ご視聴いただきありがとうございます😊8月過ぎが一番美味しいんですね。まるまる太った鮎を想像します!
五家荘って川辺川水系(球磨川水系)なのに、なんで氷川水系の旧泉村に合併したんでしょうね。
地理的には球磨郡に属するべきなのに、八代郡の旧泉村に入ったんだよねぇ。
調べたら泉村新設時に合併してるんですが、その前から五家荘は八代郡に入ってました。
どうやら五家荘は熊本藩の領地で、五木村は相良藩の領地だったみたいですね。
その経緯から、五家荘は八代郡だったみたいです。
ご視聴いただきありがとうございます😊旧泉村の中だけど、互いに行き来するにはめっちゃ大変ですよね。尾根伝いに旧い道があったとすれば、理にかなっていたのか。
日本の山村は本当に消える傾向という気がします。
美しい山の村に人間の痕跡が見えません。
韓国なら観光客がヒーリングのために訪れる場所です。
人口の減少は、これらの結果をもたらしたようです。
韓国の場合は観光客が地方に行く余裕が消えている気がします。韓国経済は崩壊寸前ですよ。コロナも蔓延していて相当苦境に立たされています。
新大統領になっても難しいかもしれません。
ご視聴いただきありがとうございます😊日本は農耕民族で国土の隅々まで開発し、住んでいますが、韓国はどうなのでしょうか?