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碓氷峠廃止前のあさまには、夕方下りの便で長野まで特急で、確か妙高高原まで快速か普通列車として運転するものがありましたね。これはまさに乗り得列車です。185系普通列車は高崎~軽井沢間を碓氷峠廃止前まで毎日1往復運用がありました。
某二階建て「客乗せ過ぎて登れなかったンゴ…」
面白い列車の存在を教えてくれてありがとう。
最後は、高崎⇄軽井沢間の185系普通が残ったその際は、グリーン車が通路扱いで乗車券のみで乗れたのが思い出にある。
面白いけど全然迷列車ではないようなむしろ柔軟な運用で利便性を高めた名脇役列車って感じがする
碓氷峠は廃止前に往復したなぁ。平成9年9月9日。999の日切符使いました。
令和9年9月9日も切符発売してくれないかな?
長野から上りの185系は乗ったことがあります。最初にこの時間に乗った時は10系客車でした。
並行する吾妻線は2007年くらいまで朝に万座・鹿沢口→渋川まで快速、渋川から特急草津2号がありましたね。
ありました(沿線住民)当初、通過駅だった金島に停車させるために金島駅の上りホームを延伸させたのですが(下りホームは既に7両対応済み)数年後115系の普通列車に変わってしまい宝の持ち腐れ・・・
高崎〜軽井沢の185系運用が今回の名残、というわけだったのか。
碓氷峠区間廃止直前は上り長野発の始発が長野所属の489系で快速として運転されており、軽井沢で高崎行きの185系に接続していましたね。長野~軽井沢はグリーン車は通路扱いで着席出来なかったけど、軽井沢~高崎はグリーン車も普通車扱いで運転…私も軽井沢~横川をグリーン車のシートに座りました。
長野始発の489系快速は記憶に無いですが、軽井沢からの185系は乗った記憶があります。大阪からの急行ちくまが5時過ぎに長野着でしたから、それから信越線の始発に乗り継げたからです。ちなみに急行ちくまは、松本で新宿からの夜行急行アルプス白馬行きと接続を取り、お互い乗り換えることで長野→白馬や新宿→長野と行くこともできました。
その両列車、横軽撮影旅行で乗りました。
特に朝に関しては朝ラッシュ時高崎線内の線路容量の問題もありそうですね
1:04急行能登にB寝台だと(見るとこ違う)
オッサンだから乗ったよ(長岡経由時代の10系)!
当時のおじ様方からしてみたら喫煙出来たうえにグリーン料金も取られなかったんだから最高だったろうね
1992年に乗りました。上りは篠ノ井で急行「ちくま」から接続。グリーン車も普通車扱い…だと聞いたけど当時禁煙車じゃなかったので普通車の禁煙車に乗車。右側の窓から朝日が見えるとは思わなかった。確かに冬だと角度的に可能ですね。群馬県内に入ってから結構混み出しました。下りは動画説明の通り、93年の改正で存在意義が薄れましたね。それまで2本の夜行急行「能登」(上野21時頃/14系客車)「妙高」(上野23時台/あさまと共通の189系)が運転されてたけど能登を489系電車化・上野発を改正前妙高の時刻まで繰下げ。妙高は消滅したけど、その分の編成で特急あさまを増発・最終の上野発時刻が改正前能登とほぼ同じ時刻になった…というかたち。
別のコメントにもあるけど上り早朝の長野発快速とこの185系で美味しい乗り鉄朝食を味わえたのが懐かしい。489系快速はグリーン車が付いていても事実上通路扱いだったが軽井沢からの普通高崎行きはグリーン車も解放されていたから上野→能登 長野→快速 軽井沢→普通 高崎 を利用してわざわざ碓氷峠撮影してました。冬場はシュプール信越で上田折り返しにて長野県からの快速が捕まえられてなおかつシュプール号には時刻表には掲載されないマルス収容単体急行券があったため激安なグリーン車を使ってました。(話が脱線しご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます💧)
それって快速信州リレーではないかっ!!✋☺️🚃まさに群馬県西毛(安中市)地域及び長野県東信(小諸市・佐久)地域のための列車やから、乗車券のみで乗れる神快速とみてよい。北陸(長野)新幹線がデビューし一気に便利になるも、碓氷峠を失いぽっかり穴が空いた感が否めまい。忘れてはいけないのが碓氷峠の終焉劇で廃線直前に人気ロックバンドグループ・X JAPANの解散報道もあったなぁ~
上り信州リレー号は碓氷峠最末期の時は名前が消えただけの軽井沢始発の高崎行きだったが実は長野からホームライナーの送り込みも兼ねた489系が長野発一番列車に入り、篠ノ井で大阪からの定期急行ちくまに接続、軽井沢止まりだが接続列車はかつて信州リレー号と言われていた185系高崎行きで朝7時位で横川に着けた。関西・中京地区の撮り鉄で碓氷峠旧丸山信号所を目指す人間にとってはこれが最速ルートになります。()マルヨ組は除くが新宿から急行アルプスに乗った松本で乗り換えも可大垣夜行では上野始発の高崎線では8時位でまだ高崎線じゃなかったかな?上野と高崎で時間取られた記憶が。ちなみに横川駅から碓氷峠旧丸山変電所まで撮影機材フル装備で競歩大会30分なお、軽井沢行きはグリーン車解放は記憶になく、小諸辺りで睡魔とのザ・ガマンが待ち受けてます。
0:08 大部分?@東京23区だから乗る機会なかった…
シュープール信州号もお得でした。車両は特急車両で全車両指定席で、都区内主要駅から長野駅まで、運賃料金合算しても普通運賃より安い片道2800円でした。当時の普通運賃は2810円です。並走する急行妙高号と車両が同じで目的地もほぼ同じで値段が大幅に違いました。
ええ.....185系が今のしなの鉄道区間通ったことがあったの?!?!?!?!?(知らんかった)
快速なのは特急にしても高崎駅では、乗り継ぎ割引が適用されないというのがあると思います。
当時は東京駅以外は適用だったが😉
信州リレーなんて甘い甘い。知人の東京出張の帰宅は飲み会がないときは最終あさまでしたが、あるときは能登!でしたw大宮駅周辺で飲んでたので、埼玉県内への帰宅者よりも遅くまで帰れる、という寸法でした。なお、金曜日の夜は大宮からの乗車が不可能となり、長野県以遠に行く人間には特別措置があったのは公然の秘密です。別の日ですが、私も特別措置の恩恵受けましたのでw
自分の頃は妙高だったかな。能登混むのよねえ。
碓氷峠廃止前のあさまには、夕方下りの便で長野まで特急で、確か妙高高原まで快速か普通列車として運転するものがありましたね。
これはまさに乗り得列車です。
185系普通列車は高崎~軽井沢間を碓氷峠廃止前まで毎日1往復運用がありました。
某二階建て「客乗せ過ぎて登れなかったンゴ…」
面白い列車の存在を教えてくれてありがとう。
最後は、高崎⇄軽井沢間の185系普通が残った
その際は、グリーン車が通路扱いで乗車券のみで乗れたのが思い出にある。
面白いけど全然迷列車ではないような
むしろ柔軟な運用で利便性を高めた名脇役列車って感じがする
碓氷峠は廃止前に往復したなぁ。
平成9年9月9日。999の日切符使いました。
令和9年9月9日も切符発売してくれないかな?
長野から上りの185系は乗ったことがあります。最初にこの時間に乗った時は10系客車でした。
並行する吾妻線は2007年くらいまで朝に万座・鹿沢口→渋川まで快速、渋川から特急草津2号がありましたね。
ありました(沿線住民)
当初、通過駅だった金島に停車させるために
金島駅の上りホームを延伸させたのですが
(下りホームは既に7両対応済み)
数年後115系の普通列車に変わってしまい
宝の持ち腐れ・・・
高崎〜軽井沢の185系運用が今回の名残、というわけだったのか。
碓氷峠区間廃止直前は上り長野発の始発が長野所属の489系で快速として運転されており、軽井沢で高崎行きの185系に接続していましたね。長野~軽井沢はグリーン車は通路扱いで着席出来なかったけど、軽井沢~高崎はグリーン車も普通車扱いで運転…私も軽井沢~横川をグリーン車のシートに座りました。
長野始発の489系快速は記憶に無いですが、軽井沢からの185系は乗った記憶があります。
大阪からの急行ちくまが5時過ぎに長野着でしたから、それから信越線の始発に乗り継げたからです。
ちなみに急行ちくまは、松本で新宿からの夜行急行アルプス白馬行きと接続を取り、
お互い乗り換えることで長野→白馬や新宿→長野と行くこともできました。
その両列車、横軽撮影旅行で乗りました。
特に朝に関しては朝ラッシュ時高崎線内の線路容量の問題もありそうですね
1:04急行能登にB寝台だと(見るとこ違う)
オッサンだから乗ったよ(長岡経由時代の10系)!
当時のおじ様方からしてみたら喫煙出来たうえに
グリーン料金も取られなかったんだから最高だったろうね
1992年に乗りました。上りは篠ノ井で急行「ちくま」から接続。グリーン車も普通車扱い…だと
聞いたけど当時禁煙車じゃなかったので普通車の禁煙車に乗車。右側の窓から朝日が見えるとは
思わなかった。確かに冬だと角度的に可能ですね。群馬県内に入ってから結構混み出しました。
下りは動画説明の通り、93年の改正で存在意義が薄れましたね。それまで2本の夜行急行「能登」
(上野21時頃/14系客車)「妙高」(上野23時台/あさまと共通の189系)が運転されてたけど
能登を489系電車化・上野発を改正前妙高の時刻まで繰下げ。妙高は消滅したけど、その分の編成で
特急あさまを増発・最終の上野発時刻が改正前能登とほぼ同じ時刻になった…というかたち。
別のコメントにもあるけど上り早朝の長野発快速とこの185系で美味しい乗り鉄朝食を味わえたのが懐かしい。489系快速はグリーン車が付いていても事実上通路扱いだったが軽井沢からの普通高崎行きはグリーン車も解放されていたから上野→能登 長野→快速 軽井沢→普通 高崎 を利用してわざわざ碓氷峠撮影してました。冬場はシュプール信越で上田折り返しにて長野県からの快速が捕まえられてなおかつシュプール号には時刻表には掲載されないマルス収容単体急行券があったため激安なグリーン車を使ってました。(話が脱線しご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます💧)
それって快速信州リレーではないかっ!!✋☺️🚃
まさに群馬県西毛(安中市)地域及び長野県東信(小諸市・佐久)地域のための列車やから、乗車券のみで乗れる神快速とみてよい。
北陸(長野)新幹線がデビューし一気に便利になるも、碓氷峠を失いぽっかり穴が空いた感が否めまい。
忘れてはいけないのが碓氷峠の終焉劇で廃線直前に人気ロックバンドグループ・X JAPANの解散報道もあったなぁ~
上り信州リレー号は碓氷峠最末期の時は名前が消えただけの軽井沢始発の高崎行きだったが実は長野からホームライナーの送り込みも兼ねた489系が長野発一番列車に入り、篠ノ井で大阪からの定期急行ちくまに接続、軽井沢止まりだが接続列車はかつて信州リレー号と言われていた185系高崎行きで朝7時位で横川に着けた。
関西・中京地区の撮り鉄で碓氷峠旧丸山信号所を目指す人間にとってはこれが最速ルートになります。()マルヨ組は除くが新宿から急行アルプスに乗った松本で乗り換えも可
大垣夜行では上野始発の高崎線では8時位でまだ高崎線じゃなかったかな?上野と高崎で時間取られた記憶が。
ちなみに横川駅から碓氷峠旧丸山変電所まで撮影機材フル装備で競歩大会30分
なお、軽井沢行きはグリーン車解放は記憶になく、小諸辺りで睡魔とのザ・ガマンが待ち受けてます。
0:08 大部分?
@東京23区だから乗る機会なかった…
シュープール信州号もお得でした。車両は特急
車両で全車両指定席で、都区内主要駅から長野
駅まで、運賃料金合算しても普通運賃より安い
片道2800円でした。当時の普通運賃は2810円
です。
並走する急行妙高号と車両が同じで目的地もほ
ぼ同じで値段が大幅に違いました。
ええ.....185系が今のしなの鉄道区間通ったことがあったの?!?!?!?!?(知らんかった)
快速なのは特急にしても高崎駅では、乗り継ぎ割引が適用されないというのがあると思います。
当時は東京駅以外は適用だったが😉
信州リレーなんて甘い甘い。知人の東京出張の帰宅は飲み会がないときは最終あさまでしたが、あるときは能登!でしたw大宮駅周辺で飲んでたので、埼玉県内への帰宅者よりも遅くまで帰れる、という寸法でした。
なお、金曜日の夜は大宮からの乗車が不可能となり、長野県以遠に行く人間には特別措置があったのは公然の秘密です。別の日ですが、私も特別措置の恩恵受けましたのでw
自分の頃は妙高だったかな。能登混むのよねえ。