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大河の畠山重忠イコール中川大志君の壮絶な殴り合いに見ていて涙💧止まらず、口惜しくも運命を受け入れ最期まで武士の意地を見せた中川重忠😌最高❗良かった👍素敵な俳優さんになられて今後の御活躍を応援しています🌹
中川大志さんが好演だったなー。菅田将暉さんの義経も大泉洋さんも凄かった!
最高の畠山重忠でしたね!義経頼朝と同じく、今後十数年は畠山重忠といえば中川大志となってしまいそうです。
重忠は元々の所領を守ろうとし、御家人北条氏に抗ったのであって謀反ではない僅かな手勢だけで戦の意思なく鎌倉入りしようとした重忠を大軍で攻め滅ぼしたのも事実やはり畠山重忠は悲劇の武将に変わりはないですね
重忠には神仏を敬う非常に信心深いところがあり、頼朝に命ざれて奈良東大寺の復興に大仏殿に安置する四天王像のうち増長天像の造立に関わっていたり、京都で法然上人と会ったり、東大寺大仏殿の盛大な儀式に参列したりしています。神仏を恐れ敬う点では頼朝と重忠には共通点があり、また、少年期を京都で過ごした重忠には礼儀作法や武芸・音曲の才に至るまで京文化が染みついていた点も頼朝に気に入られる部分でありました。それほどに信心深い重忠でしたので、頼朝に源氏を支えると誓った以上、頼朝が亡くなったからと言ってその誓いを破る気にはなれなかったと思います。頼朝を裏切るくらいなら戦って死花を咲かそうと考えるのが自然。それほどまでに頼朝を自分より格上の存在と認めていたのだと思います。重忠の常に神仏を敬う心と共に物事を判断しようとする性格が、最終的に頼朝にも信頼され、また、現実の混乱の世では北条と対立せざるを得なかったと思われます。神仏を敬う信念と魂の永遠を信じる心が有ればこそ選んだ道かと思われます。
畠山家はこの後北条の娘と足利の息子で「源姓畠山」として家名は残りますね。後ご本家は奥州で衰微、高家となり明治になって足利に姓を変えられたようですね、分家の方の守護大名畠山さんは応仁の乱の一因としても大暴れされてますが今も一族が東京にお住いと伺っております。白金の「畠山記念館」、そして 荏原製作所 を創業された方のご一族です。
真実は分からない誰にも。でも、確実にドラマの影響で人気者になったとおもうのですよ。最期の演技素晴らしかったです!
実態がどうであれ、多少は美化されたとしても、あのドラマの演技は最高でしたね!今後は畠山重忠の話を聞くたびに中川大志に変換されること間違いなしです。
まさに、今日の大河の放送でしたので、興味をもって視聴しました👍🥰 畠山重忠は、北条氏と対立する関係にされてしまいましたが、後々までも、勇猛果敢の武士として語り継がれたのですね👍🥰 戦いの場所は、正に母の住んでいた所と近く、近辺を、電車で通っていたので、何となく思い入れが強いです。 畠山氏のことは、ドラマで始めて知り、北条氏を、中心とした執権制度の確立まで、多くの武士が、命を落としたことも始めて知りました。
二俣川のあたりに住まわれていたのですね。事情は様々なれど、数百年にわたって武士の鑑と評される人物はそうそういないので、いくら美化されたといっても素晴らしい人物だったと思いますね。
歴史って教科書とかの通説を学んだあとにいろんな諸説に触れて、いろんな考察をするのが楽しいよね
あーだこーだ考えるの本当に楽しいです笑
今”鎌倉殿”を見てから、この動画を続けて見ました。確かにドラマでは、イケメンの容姿も相まって、畠山重忠が悲劇のヒーローとして描かれていました。でも、この動画で言われているように、北条義時の武蔵を所有したいとの野望、父時政を排除し自分が取って代わりたいという願望が強ければ強いほど、重忠の正当性、理不尽な討伐を強調する必要があったでしょうね。だからこそ、吾妻鏡でも敵であるにも関わらず、それが過剰に記され、彼の武士としての素晴らしさを描いたのでしょうね。実際の重忠は、無骨で自分の考えを変えない、空気を読めない人だった可能性も十分あり得ます。歴史は、勝者の都合の良いように、改ざんされるものです。やはり、ドラマと史実は別物だと改めて実感します。
だいぶプロパガンダに利用されててそれを含め可哀そうな人物だなと
何かストーンと腑に落ちる感じがしますね。18日の大河はやはり、吾妻鏡の内容に引っ張られた感があります。ただ、まさか小四郎と次郎の殴り合いが始まるとは思いませんでした。これが、中川大志くんが話してた「今まで描かれたことのない畠山重忠の乱になる」の答えだったんですね💦
吾妻鏡のイメージになるのはしょうがないですし、むしろ吾妻鏡に則した人物像にすべきとも思いますが、昨日のシーンはそんなことが頭から飛ぶくらい衝撃的でしたね…笑
ある時期から頼朝は北条よりも畠山重忠を特別に信頼するようになり、頼朝は自分が亡き後も源氏の世が盤石になるように我が子らの後を頼むと重忠を枕もとに呼んで頼んだという話もあります。なので頼朝が亡くなった後も畠山家として常に源氏を立てていたようです。重忠の息子の重保が平賀朝雅と口論になったのも主君への忠義ゆへの口論。また、牧の方の息子の政範と重忠の息子の重保が年齢が近く、何かと重保が人気があり、牧の方が重保を疎ましく思っていたという説もあります。時政にとっても重忠は京でも人気があり桓武平氏の血を引く立ち振る舞いや作法が田舎侍と違う存在感があり、それに対するやっかみもあり重忠を疎ましく思っていたようです。 もともと頼朝に忠義を誓い威厳のある重忠なので、北条が源氏から北条の世にしようとしているのを感じ、北条のやりたい放題には目をつぶれない気持ちはあったであろうとは思いますが、わずか134騎しか従えていないなか謀反の気持ちなどは無かったと思います。
改行して見づらい
源氏への忠義=代理の北条氏への忠義とはならないので衝突は必至となってしまいますよね。兵の少なさもそうですし、周辺の武士を自派に取り込んだりもしていないので、あえて何もせず自分の正義を貫いたという感じなんですかね。
実際の彼はどうだったんでしょうね… 確かに、この動画の考察には納得がいきます。改めて、この時代は怖いなと思いました。それでも、重忠の壮絶な戦いぶりはすごいなと思いました……
畠山氏が滅亡してしまったのでもとの重忠像を掴む手がかりがほとんどないですが、それゆえに今日まで語り継がれる英雄になっているので難しいところですね…
畠山重忠の話しありがとうございます。本当に謀反を企んでいたと自分は、思え無いです何か切ないですよね。その後畠山重忠の息子や娘や重忠の妻もどうなったか想像つきませんね。畠山重忠本当に悲劇のヒーローですね🤔😁👍
重忠の息子や妻については、室町時代に続いた源姓畠山氏だけでなく、島津氏の元へ逃げた一族などについて紹介した動画を製作中ですので、そちらで詳しく紹介させていただきます!
全てアホのチクり魔の平賀朝雅がわるい。
この一連の動画を拝見すると、結局全て、義時と政子と絢壺の掌に上で歴史が動いたような気がするします。
あの2人のタッグはバケモノすぎますね
いつも楽しく拝見しております!畠山重忠さん、真実はどんな方だったのでしょうね。歴史の真実をのぞける機会があれば、ぜひみてみたい気もします♪
応援ありがとうございます!今回の動画では多少批判的に紹介してしまいましたが、鎌倉武士の鑑といわれた重忠が実際はどんな人物だったのかとても気になります。
へぇ~ほぅ~ふぅ~ん😧🤔😀。そう言う考察も有りですね🎵歴史って、当時の感覚や事情、背景、人々の思惑があるのですね。今の感覚や考えで判断してはいけないなぁってつくづく思いました。それにしても中川大志君は凄い俳優さん。今までドラマやCMで見ていた中川大志君は、そんなに良い俳優さんとは思っていなかったので、見直しました。これからの「畠山重忠」のビジュアルのイメージは中川大志君になってしまいました。
徳川を豊臣家の家老と思って共に逆賊石田を倒した筈なのにいつの間にかその家老が主家を倒す事を目の当たりにした福島さんのような感じを受けました。いずれにせよ鎌倉の周辺、関東一帯を一門や息のかかった者で固めようとするのは時政で無くとも権力者としては自然だと思いますし、畠山にとって父祖伝来の土地を脅かす状況になる事は避けられなかったでしょう。
確かに、福島正則と重ねる視点は面白いですね。関ヶ原、比企能員の変でともに勝者の立ち位置につきながらも、己の信じる道を進むといったところでしょうか。正則が大坂の陣で豊臣方に馳せ参じていたら全く重なりますね。
畠山論から離れますが、日本史、更に武士に限定して言えば、実の父を追放する背徳を実行したのは、北条義時と武田信玄のみでしょうか…この2人両人とも演じられたのは、松平健さんのみ。
斎藤道三も。
大友宗麟もと思いましたが、あれは家臣がやったことでしたね。意外といないものですね。
私も大友宗麟も脳裏に浮かびましたが、仰せの通り、本人の意思より周りの家臣が直接手を下したと思い、外しました。そう言えば、大河ではありませんが、NHKで昔、放映された大友宗麟を描いたドラマで、宗麟を演じられたのも、やはりマツケンでしたね。秀吉は片岡鶴ちゃんでした。@@rekishock
義時には畠山重忠を美化する必要があったのでしょう。
個人的には、武蔵国の統治事情とか考えると北条時政にそこまで出来るかなぁ?と疑問には思いますね。吾妻鏡ってなんだかんだ時政良いように書いてあるし。あと、頼朝が重忠信用してないなら先陣に選ばないし、上司だった河越氏みたくさっさと潰してたように思います
多分、奥さんを北条から貰っていた事と味方が1人でも欲しいから頼朝は気を使っていたんだと思います、時政のみならず、三浦にとっても滅ぼしたかった相手だった事も大きいでしょう
先陣については、最初の鎌倉入りの時は信用してというより、頼朝に楯突いた人物でも重用するぞというアピールだったようです。(これにより平家方の武将が次々に参陣する)北条時政が当時どこまで武蔵国に権限を有していたかが分からないですし、おっしゃる通り吾妻鏡も時政を優遇して書いているのでこの辺は分からないですね…
畠山討伐に正当な手続きを踏んだはずの時政に対し、当時としてはタブーの父に対する反逆を、政子の権威があったとは言え成功させた義時。このクーデター成功に至る経緯には、御家人たちの畠山に対する同情もあったのではないでしょうか。それは、後世に言われるような畠山が正しかったはずというものではなく、わけがわからないうちに自分たちが鎌倉政権に絶対服従を強いられ、いつの間にか北条がどんどん強くなっていくことに対する、時代についていけない御家人たちの、戸惑いのようなものであったとしても。
おっしゃる通り、御家人たちの同情はかなりあったかと思います。その内容も、どっちが正しいではなく戸惑いの要素が強いものだったでしょうね…義時がその感情をうまく利用したというところでしょうか。
畠山重忠との殴りあい…予想外でした。その印象が強すぎて、その日に伊賀の方との子後の政村が生まれたのがとんでしまいました。ω政村くんはいづこへ…観ている人が混乱するのと非常に良いシーンの余韻で大河では描かれなかったでしょうね。
政村は泰時とすれ違った時のつわりの仕草で暗示ってだけですかねえ2度も同じ演出するのはくどいですし…
強情で、厄介な存在だから、孤立して滅んだ・・歴史の真実は知ると成る程と思う一方で、白けて虚しくなり、興味が薄くなっていく。
清廉潔白な魅力のある人であったのは本当だろう。しかし、秩父氏の棟梁でありながら一族をまとめあげられず裏切り者ばかりだし、丹党、児玉党の味方もなかった。多分、最後には武蔵でも浮いてしまっていたんだろうな。北条の政治力にとても敵わなかったのだろう。
そうですね!北条の政治力が上手すぎましたね。
実に納得した
主観がはいりすぎてる気がするなぁ
コメントありがとうございます!もし可能であれば、どのあたりの部分で特に違和感を感じたか教えていただけないでしょうか…?
北条得宗家が人気ないのはこういう所だよね単純に坂東武者畠山家の財産が欲しかっただけ土豪出身のサムライ擬き私の先祖は畠山重忠と共に討ち死にしました
ダントツイケメンの重忠が居なくなってしまうのは、ちょっとテンションが下がりますね。😢ほとんど無実なのに、ひどいから、恨まれて、怨霊になってしまうのでは!?類
(・o・)ホホウ。ヤッパリ。
そういえば永井路子さんは景時を主役の『黒雪賦』では頼朝は本心では重忠一族を邪魔に思っていた事が描かれていました
黒雪賦は読んだことがありませんでした。コメントありがとうございます!重忠も、頼朝挙兵直後は散々平家方として戦った挙げ句、頼朝が大勢力と急に旗色を変えた人物ですから、景時を主役にする場合は逆に悪く描かれることもありそうですね。
@@rekishock 戦の時には有能ですが世が治まって来ると爆弾になりかねない奴というのが景時の彼への印象でした…… 頼朝は「謀反の噂は武士の誇りだ」発言を気を使って許しましたが、頭痛の種だった可能性はなきにしもあらずかも……ついでに三浦一族にはやはり史実では憎まれていたようですね
なるほど~、説得力ある考察ですね。時の為政者の意図的な事実の歪曲が、伝承として語り継がれ膨張していく、、、ありますよねぇ。。畠山重忠は修身の教科書にまで!。。ふ~っ、ま、いずれにせよ、だから歴史は面白い!ですよね^^
歴史に忠実に描くと大河ドラマは成立しないですね…
怨霊となって血祟られるのが怖くて、おべっかを使った?
鎮魂の意味もだいぶ込められていると思います!時政義時の対立は関係なしに、畠山を策略をもって潰したのは変わりありませんから。
時政、義時、同じくらい悪じゃないか?自分で討って置いて間違いでしたって?…
大河ドラマのような歴史の表舞台に出てこないやり取りがあればまだいいですが、表面だけ見たら相当な悪ですよね
畠山重忠はすごく難しい人物で、奥州討伐で成果を上げたり、足利宗家として管領家に入ったり、格そのものは高かったので、北条時政討伐の根拠に使えるほどほ影響力を持っていたと思われます。このあたり、奥様の存在感が強いので、実際は、一義的に優劣決まらない政治背景があったのかもしれません。
わしゃあ、畠山重忠といえば、モロボシ・ダンの森次晃嗣じゃ。ウルトラセブンじゃぞ。
実朝はウルトラマンタロウですし特撮ファンにも嬉しい配役でしたね。
光源氏の諸星もいいですよね🍀
『草燃える』、三浦義村の藤岡弘(この頃は「、」なし)は仮面ライダー1号、弟・三浦胤義はシルバー假面でした。
誰が何言おうと正解で不正解歴史なんてそんなモン良く答案用紙に⭕❌付けれるな⋯って昔から思ってたま、あれは事の真偽ぢゃ無く教えた事覚えたかどーかだけどねそー考えると教育ってなぁ薄っぺらいな
おっしゃる通り、歴史に正解はなく考えることが大事です。本動画も一つの考え方を示しているだけですし…自分が尊敬している中世研究者の本郷和人先生も同じようなことを著書で言っていました。
自分がガキの頃から、畠山重忠の異様な過大評価を不思議に思っていたので、それを指摘できる人がいるだけでもうれしく思います。実際、景時の方が有能なのに・・・吾妻鑑という北条に都合の良いメディアは今の時代と変わりませんね。
大河の畠山重忠イコール中川大志君の壮絶な殴り合いに見ていて涙💧止まらず、口惜しくも運命を受け入れ最期まで武士の意地を見せた中川重忠😌最高❗良かった👍素敵な俳優さんになられて今後の御活躍を応援しています🌹
中川大志さんが好演だったなー。
菅田将暉さんの義経も大泉洋さんも凄かった!
最高の畠山重忠でしたね!
義経頼朝と同じく、今後十数年は畠山重忠といえば中川大志となってしまいそうです。
重忠は元々の所領を守ろうとし、御家人北条氏に抗ったのであって謀反ではない
僅かな手勢だけで戦の意思なく鎌倉入りしようとした重忠を大軍で攻め滅ぼしたのも事実
やはり畠山重忠は悲劇の武将に変わりはないですね
重忠には神仏を敬う非常に信心深いところがあり、頼朝に命ざれて奈良東大寺の復興に大仏殿に安置する四天王像のうち増長天像の造立に関わっていたり、京都で法然上人と会ったり、東大寺大仏殿の盛大な儀式に参列したりしています。
神仏を恐れ敬う点では頼朝と重忠には共通点があり、また、少年期を京都で過ごした重忠には礼儀作法や武芸・音曲の才に至るまで京文化が染みついていた点も頼朝に気に入られる部分でありました。
それほどに信心深い重忠でしたので、頼朝に源氏を支えると誓った以上、頼朝が亡くなったからと言ってその誓いを破る気にはなれなかったと思います。頼朝を裏切るくらいなら戦って死花を咲かそうと考えるのが自然。それほどまでに頼朝を自分より格上の存在と認めていたのだと思います。
重忠の常に神仏を敬う心と共に物事を判断しようとする性格が、最終的に頼朝にも信頼され、また、現実の混乱の世では北条と対立せざるを得なかったと思われます。神仏を敬う信念と魂の永遠を信じる心が有ればこそ選んだ道かと思われます。
畠山家はこの後北条の娘と足利の息子で「源姓畠山」として家名は残りますね。後ご本家は奥州で衰微、高家となり明治になって足利に姓を変えられたようですね、分家の方の守護大名畠山さんは応仁の乱の一因としても大暴れされてますが今も一族が東京にお住いと伺っております。白金の「畠山記念館」、そして 荏原製作所 を創業された方のご一族です。
真実は分からない誰にも。
でも、確実にドラマの影響で人気者になったとおもうのですよ。
最期の演技素晴らしかったです!
実態がどうであれ、多少は美化されたとしても、あのドラマの演技は最高でしたね!
今後は畠山重忠の話を聞くたびに中川大志に変換されること間違いなしです。
まさに、今日の大河の放送でしたので、興味をもって視聴しました👍🥰
畠山重忠は、北条氏と対立する関係にされてしまいましたが、後々までも、勇猛果敢の武士として語り継がれたのですね👍🥰
戦いの場所は、正に母の住んでいた所と近く、近辺を、電車で通っていたので、何となく思い入れが強いです。
畠山氏のことは、ドラマで
始めて知り、北条氏を、中心とした執権制度の確立まで、多くの武士が、命を落としたことも始めて知りました。
二俣川のあたりに住まわれていたのですね。
事情は様々なれど、数百年にわたって武士の鑑と評される人物はそうそういないので、いくら美化されたといっても素晴らしい人物だったと思いますね。
歴史って教科書とかの通説を学んだあとにいろんな諸説に触れて、いろんな考察をするのが楽しいよね
あーだこーだ考えるの本当に楽しいです笑
今”鎌倉殿”を見てから、この動画を続けて見ました。確かにドラマでは、イケメンの容姿も相まって、畠山重忠が悲劇のヒーローとして描かれていました。でも、この動画で言われているように、北条義時の武蔵を所有したいとの野望、父時政を排除し自分が取って代わりたいという願望が強ければ強いほど、重忠の正当性、理不尽な討伐を強調する必要があったでしょうね。だからこそ、吾妻鏡でも敵であるにも関わらず、それが過剰に記され、彼の武士としての素晴らしさを描いたのでしょうね。実際の重忠は、無骨で自分の考えを変えない、空気を読めない人だった可能性も十分あり得ます。歴史は、勝者の都合の良いように、改ざんされるものです。やはり、ドラマと史実は別物だと改めて実感します。
だいぶプロパガンダに利用されててそれを含め可哀そうな人物だなと
何かストーンと腑に落ちる感じがしますね。18日の大河はやはり、吾妻鏡の内容に引っ張られた感があります。ただ、まさか小四郎と次郎の殴り合いが始まるとは思いませんでした。これが、中川大志くんが話してた「今まで描かれたことのない畠山重忠の乱になる」の答えだったんですね💦
吾妻鏡のイメージになるのはしょうがないですし、むしろ吾妻鏡に則した人物像にすべきとも思いますが、昨日のシーンはそんなことが頭から飛ぶくらい衝撃的でしたね…笑
ある時期から頼朝は北条よりも畠山重忠を特別に信頼するようになり、頼朝は自分が亡き後も源氏の世が盤石になるように我が子らの後を頼むと重忠を枕もとに呼んで頼んだという話もあります。
なので頼朝が亡くなった後も畠山家として常に源氏を立てていたようです。
重忠の息子の重保が平賀朝雅と口論になったのも主君への忠義ゆへの口論。
また、牧の方の息子の政範と重忠の息子の重保が年齢が近く、何かと重保が人気があり、牧の方が重保を疎ましく思っていたという説もあります。
時政にとっても重忠は京でも人気があり桓武平氏の血を引く立ち振る舞いや作法が田舎侍と違う存在感があり、それに対するやっかみもあり重忠を疎ましく思っていたようです。
もともと頼朝に忠義を誓い威厳のある重忠なので、北条が源氏から北条の世にしようとしているのを感じ、北条のやりたい放題には目をつぶれない気持ちはあったであろうとは思いますが、
わずか134騎しか従えていないなか謀反の気持ちなどは無かったと思います。
改行して
見づらい
源氏への忠義=代理の北条氏への忠義とはならないので衝突は必至となってしまいますよね。
兵の少なさもそうですし、周辺の武士を自派に取り込んだりもしていないので、あえて何もせず自分の正義を貫いたという感じなんですかね。
実際の彼はどうだったんでしょうね…
確かに、この動画の考察には納得がいきます。
改めて、この時代は怖いなと思いました。それでも、重忠の壮絶な戦いぶりはすごいなと思いました……
畠山氏が滅亡してしまったのでもとの重忠像を掴む手がかりがほとんどないですが、それゆえに今日まで語り継がれる英雄になっているので難しいところですね…
畠山重忠の話しありがとうございます。本当に謀反を企んでいたと自分は、思え無いです何か切ないですよね。その後畠山重忠の息子や娘や重忠の妻もどうなったか想像つきませんね。畠山重忠本当に悲劇のヒーローですね🤔😁👍
重忠の息子や妻については、室町時代に続いた源姓畠山氏だけでなく、島津氏の元へ逃げた一族などについて紹介した動画を製作中ですので、そちらで詳しく紹介させていただきます!
全てアホのチクり魔の平賀朝雅がわるい。
この一連の動画を拝見すると、結局全て、義時と政子と絢壺の掌に上で歴史が動いたような気がするします。
あの2人のタッグはバケモノすぎますね
いつも楽しく拝見しております!
畠山重忠さん、真実はどんな方だったのでしょうね。歴史の真実をのぞける機会があれば、ぜひみてみたい気もします♪
応援ありがとうございます!
今回の動画では多少批判的に紹介してしまいましたが、鎌倉武士の鑑といわれた重忠が実際はどんな人物だったのかとても気になります。
へぇ~ほぅ~ふぅ~ん😧🤔😀。
そう言う考察も有りですね🎵
歴史って、当時の感覚や事情、背景、人々の思惑があるのですね。
今の感覚や考えで判断してはいけないなぁってつくづく思いました。
それにしても中川大志君は凄い俳優さん。
今までドラマやCMで見ていた中川大志君は、そんなに良い俳優さんとは思っていなかったので、見直しました。
これからの「畠山重忠」のビジュアルのイメージは中川大志君になってしまいました。
徳川を豊臣家の家老と思って共に逆賊石田を倒した筈なのにいつの間にかその家老が主家を倒す事を目の当たりにした福島さんのような感じを受けました。いずれにせよ鎌倉の周辺、関東一帯を一門や息のかかった者で固めようとするのは時政で無くとも権力者としては自然だと思いますし、畠山にとって父祖伝来の土地を脅かす状況になる事は避けられなかったでしょう。
確かに、福島正則と重ねる視点は面白いですね。
関ヶ原、比企能員の変でともに勝者の立ち位置につきながらも、己の信じる道を進むといったところでしょうか。
正則が大坂の陣で豊臣方に馳せ参じていたら全く重なりますね。
畠山論から離れますが、日本史、更に武士に限定して言えば、実の父を追放する背徳を実行したのは、北条義時と武田信玄のみでしょうか…
この2人両人とも演じられたのは、松平健さんのみ。
斎藤道三も。
大友宗麟もと思いましたが、あれは家臣がやったことでしたね。
意外といないものですね。
私も大友宗麟も脳裏に浮かびましたが、仰せの通り、本人の意思より周りの家臣が直接手を下したと思い、外しました。
そう言えば、大河ではありませんが、NHKで昔、放映された大友宗麟を描いたドラマで、宗麟を演じられたのも、やはりマツケンでしたね。
秀吉は片岡鶴ちゃんでした。@@rekishock
義時には畠山重忠を美化する必要があったのでしょう。
個人的には、武蔵国の統治事情とか考えると北条時政にそこまで出来るかなぁ?と疑問には思いますね。吾妻鏡ってなんだかんだ時政良いように書いてあるし。
あと、頼朝が重忠信用してないなら先陣に選ばないし、上司だった河越氏みたくさっさと潰してたように思います
多分、奥さんを北条から貰っていた事と味方が1人でも欲しいから頼朝は気を使っていたんだと思います、時政のみならず、三浦にとっても滅ぼしたかった相手だった事も大きいでしょう
先陣については、最初の鎌倉入りの時は信用してというより、頼朝に楯突いた人物でも重用するぞというアピールだったようです。(これにより平家方の武将が次々に参陣する)
北条時政が当時どこまで武蔵国に権限を有していたかが分からないですし、おっしゃる通り吾妻鏡も時政を優遇して書いているのでこの辺は分からないですね…
畠山討伐に正当な手続きを踏んだはずの時政に対し、当時としてはタブーの父に対する反逆を、政子の権威があったとは言え成功させた義時。このクーデター成功に至る経緯には、御家人たちの畠山に対する同情もあったのではないでしょうか。
それは、後世に言われるような畠山が正しかったはずというものではなく、わけがわからないうちに自分たちが鎌倉政権に絶対服従を強いられ、いつの間にか北条がどんどん強くなっていくことに対する、時代についていけない御家人たちの、戸惑いのようなものであったとしても。
おっしゃる通り、御家人たちの同情はかなりあったかと思います。
その内容も、どっちが正しいではなく戸惑いの要素が強いものだったでしょうね…
義時がその感情をうまく利用したというところでしょうか。
畠山重忠との殴りあい…予想外でした。
その印象が強すぎて、その日に伊賀の方との子後の政村が生まれたのがとんでしまいました。ω
政村くんはいづこへ…
観ている人が混乱するのと非常に良いシーンの余韻で大河では描かれなかったでしょうね。
政村は泰時とすれ違った時のつわりの仕草で暗示ってだけですかねえ
2度も同じ演出するのはくどいですし…
強情で、厄介な存在だから、孤立して滅んだ・・歴史の真実は知ると成る程と思う一方で、白けて虚しくなり、興味が薄くなっていく。
清廉潔白な魅力のある人であったのは本当だろう。しかし、秩父氏の棟梁でありながら一族をまとめあげられず裏切り者ばかりだし、丹党、児玉党の味方もなかった。多分、最後には武蔵でも浮いてしまっていたんだろうな。北条の政治力にとても敵わなかったのだろう。
そうですね!
北条の政治力が上手すぎましたね。
実に納得した
主観がはいりすぎてる気がするなぁ
コメントありがとうございます!
もし可能であれば、どのあたりの部分で特に違和感を感じたか教えていただけないでしょうか…?
北条得宗家が人気ないのはこういう所だよね
単純に坂東武者畠山家の財産が欲しかっただけ
土豪出身のサムライ擬き
私の先祖は畠山重忠と共に討ち死にしました
ダントツイケメンの重忠が居なくなってしまうのは、ちょっとテンションが下がりますね。😢ほとんど無実なのに、ひどいから、恨まれて、怨霊になってしまうのでは!?類
(・o・)ホホウ。ヤッパリ。
そういえば永井路子さんは景時を主役の『黒雪賦』では頼朝は本心では重忠一族を邪魔に思っていた事が描かれていました
黒雪賦は読んだことがありませんでした。コメントありがとうございます!
重忠も、頼朝挙兵直後は散々平家方として戦った挙げ句、頼朝が大勢力と急に旗色を変えた人物ですから、景時を主役にする場合は逆に悪く描かれることもありそうですね。
@@rekishock 戦の時には有能ですが世が治まって来ると爆弾になりかねない奴というのが景時の彼への印象でした…… 頼朝は「謀反の噂は武士の誇りだ」発言を気を使って許しましたが、頭痛の種だった可能性はなきにしもあらずかも……ついでに三浦一族にはやはり史実では憎まれていたようですね
なるほど~、説得力ある考察ですね。時の為政者の意図的な事実の歪曲が、伝承として語り継がれ膨張していく、、、ありますよねぇ。。畠山重忠は修身の教科書にまで!。。ふ~っ、ま、いずれにせよ、だから歴史は面白い!ですよね^^
歴史に忠実に描くと大河ドラマは成立しないですね…
怨霊となって血祟られるのが怖くて、おべっかを使った?
鎮魂の意味もだいぶ込められていると思います!
時政義時の対立は関係なしに、畠山を策略をもって潰したのは変わりありませんから。
時政、義時、同じくらい悪じゃないか?自分で討って置いて間違いでしたって?…
大河ドラマのような歴史の表舞台に出てこないやり取りがあればまだいいですが、表面だけ見たら相当な悪ですよね
畠山重忠はすごく難しい人物で、奥州討伐で成果を上げたり、足利宗家として管領家に入ったり、格そのものは高かったので、北条時政討伐の根拠に使えるほどほ影響力を持っていたと思われます。このあたり、奥様の存在感が強いので、実際は、一義的に優劣決まらない政治背景があったのかもしれません。
わしゃあ、畠山重忠といえば、モロボシ・ダンの森次晃嗣じゃ。ウルトラセブンじゃぞ。
実朝はウルトラマンタロウですし特撮ファンにも嬉しい配役でしたね。
光源氏の諸星もいいですよね🍀
『草燃える』、三浦義村の藤岡弘(この頃は「、」なし)は仮面ライダー1号、弟・三浦胤義はシルバー假面でした。
誰が何言おうと正解で不正解
歴史なんてそんなモン
良く答案用紙に⭕❌付けれるな⋯って昔から思ってた
ま、あれは事の真偽ぢゃ無く教えた事覚えたかどーかだけどね
そー考えると教育ってなぁ薄っぺらいな
おっしゃる通り、歴史に正解はなく考えることが大事です。
本動画も一つの考え方を示しているだけですし…
自分が尊敬している中世研究者の本郷和人先生も同じようなことを著書で言っていました。
自分がガキの頃から、畠山重忠の異様な過大評価を不思議に思っていたので、それを指摘できる人がいるだけでもうれしく思います。実際、景時の方が有能なのに・・・吾妻鑑という北条に都合の良いメディアは今の時代と変わりませんね。
大河の畠山重忠イコール中川大志君の壮絶な殴り合いに見ていて涙💧止まらず、口惜しくも運命を受け入れ最期まで武士の意地を見せた中川重忠😌最高❗良かった👍素敵な俳優さんになられて今後の御活躍を応援しています🌹