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先日、大泉に行ってきましたが、キャベツ畑と鉄塔は見つかりましたが、結局、それ以上は場所はわかりませんでした。でも、漫画に革命を起こした聖地の空気を吸って、嬉しかったです。竹宮&萩尾両自伝を読む限り、萩尾先生はあまり自覚が無かったようですが、大泉サロンには特に萩尾目当てで多くの漫画家が訪れ、熱く漫画を語り合っていたそうです。増山さんは、映画・音楽・絵画など広範な知識で竹宮&萩尾両氏にインスピレーションを与え続けました。萩尾先生は素っ気無いですが、大泉サロンが漫画革命のゆりかごになったのは、揺るがない事実だと思います。一介のマンガファンとしては2人の和解を望みますが、竹宮先生から一方的に別れを告げられ、心身に変調をきたすほどのトラウマになってしまった萩尾先生のことを思うと、そっとしておくしかないのかなと思います。
大泉サロンで少女漫画の革命が起こったというのは、事実ですよね。でも、そこには触れられたくない作家さん同士の、葛藤や軋轢があったのですね。私もこの2冊を読んで、昔から知りたかった大泉サロンのことを少しだけ分かったような気がします。
30年近く大泉に住んでいて大泉サロンの話は初めて聞きました…。
あの本をどちらも読むと、竹宮先生の「明」に対して、萩尾先生の「暗」の対比がものすごいですよね。ただ、萩尾先生が物理的にも2倍に近い厚さの本で返答したことに対する後日談というのがきっとあるはずで、そのあたりのことは気になりますね。『大泉サロン』でまとめなくても、それぞれの作家として顕彰できればとりあえずいい気もします。あとは大泉の子、練馬の子に読み継いでもらうことかな(BLアリアリだけど)。
いつも楽しく拝見してます。頑張ってください!
8:27 萩尾先生の中で、今でも「萩尾望都さんvs竹宮惠子さん・増山紀江さん」という明確な対立構図があることだけは伝わって来ますが、大泉という土地を盛り上げようとする人々にもこれだけハッキリと冷たい態度を取るのだから、、、思い出も含めて土地ごと大泉時代を憎んでいる感じだ。事の真相や原因の研究は、(大変失礼な表現で申し訳ないが)当事者たちがお亡くなりならないと進まないだろう。
小学生の時から竹宮惠子先生と萩尾望都先生の両方の漫画を読んできました。どちらの作品も好きです。今回両方の自伝を読みました。竹宮先生今でこそ丸くなりましたが、昔はメチャ尖ってましたからね。萩尾先生は、一般社会でしんどい人間関係の中では暮らせないだろうな。萩尾先生自身がキツイだろうなと思う。昔のテレビ番組でお二方のそれぞれのインタビューがユーチューブでもアップされてるんですが、それ見ると文章だけでは分からなかった人となりが出ています。正に正反対のお二人だなと思いました。
萩尾望都先生は当時どんな体験をなされたかはわかりません が、その意思を尊重されております投稿主へ、いち漫画ファンとして賛辞を送ります。トキワ荘だって美談だけではなかった。 同じなのでしょう。
チャンネル登録、ついに100人突破!いやー、ありがたいです。これからも宜しくお願いします。
事実では無いのに、竹宮氏に盗作と作品を疑われ、傷ついた萩尾先生には大泉は、辛い記憶しか無いでしょう。傷つけた人は忘れても、傷つけられた人の傷が、完全に癒える事は無いでしょう。ましてや、盗作の事実も無かったのに。
今回は、大泉サロンの話を語りましたが、僕が大泉サロンに思い入れがあるもうひとつの理由は、大泉サロンがあったという、1970年~72年というのは、大泉サロンがあったといわれる場所からすぐ近くに、ニコニコストアーというスーパーマーケットがあり、ロードふじみ商店街の中の「もんじゃ焼きお好み焼き わらべ」の前身は、丸幸精肉店という肉屋で、がその丸幸精肉店が、マーケットに支店を出していたんですよ。僕の母がそこで働いていて、僕は当時、小学校が終わると、ニコニコストアーに帰っていったんですよね。あのあたりで買い物するとなると、ニコニコストアーに行く人が多かったはず。となると、おそらくですが、竹宮惠子先生、萩尾望都先生、増山法恵さんらも、ニコニコストアーに、買い物に来ていた可能性は高いと思うのです。僕ももしかしたら、遭遇していたかもしれないんですよね。あのころのこと凄く良く覚えています。あの頃、少女漫画の革命が、あのニコニコストアーのすぐ近くで起こっていたなんて!僕としても感慨深いものがあるんですよ。
和解もしたくないという萩尾さんの意思を尊重して、萩尾さん抜きで、「増山紀江さんと竹宮惠子さん」主体で大泉サロンで町おこしの話を盛り上げるべきですよ。別に大泉サロンは萩尾先生の専売特許ではないのですから。それに、土地に愛着の無いを無理矢理町おこしに参加させると、肝心な所で裏切られてプロジェクトが台無しになるなんてことは世間でザラにありますから。
先日、大泉に行ってきましたが、キャベツ畑と鉄塔は見つかりましたが、結局、それ以上は場所はわかりませんでした。
でも、漫画に革命を起こした聖地の空気を吸って、嬉しかったです。
竹宮&萩尾両自伝を読む限り、萩尾先生はあまり自覚が無かったようですが、大泉サロンには特に萩尾目当てで多くの漫画家が訪れ、熱く漫画を語り合っていたそうです。増山さんは、映画・音楽・絵画など広範な知識で竹宮&萩尾両氏にインスピレーションを与え続けました。萩尾先生は素っ気無いですが、大泉サロンが漫画革命のゆりかごになったのは、揺るがない事実だと思います。
一介のマンガファンとしては2人の和解を望みますが、竹宮先生から一方的に別れを告げられ、心身に変調をきたすほどのトラウマになってしまった萩尾先生のことを思うと、そっとしておくしかないのかなと思います。
大泉サロンで少女漫画の革命が起こったというのは、事実ですよね。
でも、そこには触れられたくない作家さん同士の、葛藤や軋轢があったのですね。
私もこの2冊を読んで、昔から知りたかった大泉サロンのことを少しだけ分かったような気がします。
30年近く大泉に住んでいて大泉サロンの話は初めて聞きました…。
あの本をどちらも読むと、竹宮先生の「明」に対して、萩尾先生の「暗」の対比がものすごいですよね。ただ、萩尾先生が物理的にも2倍に近い厚さの本で返答したことに対する後日談というのがきっとあるはずで、そのあたりのことは気になりますね。『大泉サロン』でまとめなくても、それぞれの作家として顕彰できればとりあえずいい気もします。あとは大泉の子、練馬の子に読み継いでもらうことかな(BLアリアリだけど)。
いつも楽しく拝見してます。頑張ってください!
8:27 萩尾先生の中で、今でも「萩尾望都さんvs竹宮惠子さん・増山紀江さん」という明確な対立構図があることだけは伝わって来ますが、大泉という土地を盛り上げようとする人々にもこれだけハッキリと冷たい態度を取るのだから、、、思い出も含めて土地ごと大泉時代を憎んでいる感じだ。事の真相や原因の研究は、(大変失礼な表現で申し訳ないが)当事者たちがお亡くなりならないと進まないだろう。
小学生の時から竹宮惠子先生と萩尾望都先生の両方の漫画を読んできました。どちらの作品も好きです。今回両方の自伝を読みました。竹宮先生今でこそ丸くなりましたが、昔はメチャ尖ってましたからね。
萩尾先生は、一般社会でしんどい人間関係の中では暮らせないだろうな。萩尾先生自身がキツイだろうなと思う。
昔のテレビ番組でお二方のそれぞれのインタビューがユーチューブでもアップされてるんですが、それ見ると文章だけでは分からなかった人となりが出ています。正に正反対のお二人だなと思いました。
萩尾望都先生は当時どんな体験をなされたかはわかりません が、その意思を尊重されております投稿主へ、いち漫画ファンとして賛辞を送ります。
トキワ荘だって美談だけではなかった。 同じなのでしょう。
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事実では無いのに、竹宮氏に盗作と作品を疑われ、傷ついた萩尾先生には大泉は、辛い記憶しか無いでしょう。
傷つけた人は忘れても、傷つけられた人の傷が、完全に癒える事は無いでしょう。
ましてや、盗作の事実も無かったのに。
今回は、大泉サロンの話を語りましたが、
僕が大泉サロンに思い入れがあるもうひとつの理由は、
大泉サロンがあったという、1970年~72年というのは、
大泉サロンがあったといわれる場所からすぐ近くに、ニコニコストアーというスーパーマーケットがあり、
ロードふじみ商店街の中の「もんじゃ焼きお好み焼き わらべ」の前身は、丸幸精肉店という肉屋で、がその丸幸精肉店が、マーケットに支店を出していたんですよ。
僕の母がそこで働いていて、僕は当時、小学校が終わると、ニコニコストアーに帰っていったんですよね。
あのあたりで買い物するとなると、ニコニコストアーに行く人が多かったはず。
となると、おそらくですが、竹宮惠子先生、萩尾望都先生、増山法恵さんらも、ニコニコストアーに、買い物に来ていた可能性は高いと思うのです。
僕ももしかしたら、遭遇していたかもしれないんですよね。
あのころのこと凄く良く覚えています。
あの頃、少女漫画の革命が、あのニコニコストアーのすぐ近くで起こっていたなんて!
僕としても感慨深いものがあるんですよ。
和解もしたくないという萩尾さんの意思を尊重して、萩尾さん抜きで、
「増山紀江さんと竹宮惠子さん」主体で大泉サロンで町おこしの話を盛り上げるべきですよ。別に大泉サロンは萩尾先生の専売特許ではないのですから。それに、土地に愛着の無いを無理矢理町おこしに参加させると、肝心な所で裏切られてプロジェクトが台無しになるなんてことは世間でザラにありますから。