【幸野健一×カレン・ロバート】 新時代サッカー育成対談!「元Jリーガー経営者はなぜグラウンドを作るのか?」[アイリスオーヤマU 11プレミアリーグpresents]
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- Опубликовано: 7 фев 2025
- 2021/2/27 (土) 20:00
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アイリスオーヤマU-11プレミアリーグpresents
[幸野健一×カレン・ロバート]
新時代サッカー育成対談「元Jリーガー経営者はなぜグラウンドを作るのか?」
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日本では、民間のクラブチームがサッカー専用グラウンドを保有しているケースは珍しい。しかし、サッカーが盛んなヨーロッパでは、むしろサッカークラブがグラウンドとクラブハウスを持っているのは当たり前のことだ。
それは、「ソフト」と「ハード」のどちらを優先しているかという考え方の違いにある。
日本ではまず、トップチームを立ち上げ、選手を集めて強化し、カテゴリーを上げることでクラブの拡大を目指す。その過程でサテライト、ユース、ジュニアユース、スクールなど、アカデミー事業へと展開するが、往々にして壁にぶつかってしまう。
トップチームの成績が伴わなければスポンサーを獲得できず、人気や認知も上がらず、選手も定着していかないのだ。
だが、本来クラブづくりとは、真逆の順番で進めるべきではないのか。
グラウンドがあり、良い環境を整えることで選手が集まり、良い指導者を呼んで強化ができる。クラブに基盤があることで、アカデミー事業をはじめ、スポンサーに頼らない利益の循環を生み出すことができるのだ。
強いクラブをつくるなら、ソフトよりもハードに投資すべき──。
そんなメッセージを打ち出すのが、「アイリスオーヤマU-11プレミアリーグ」の実行委員長・幸野健一氏であり、自身は2013年に自前の人工芝フルピッチのサッカー場を持つFC市川GUNNERS(旧:アーセナル サッカースクール市川)を設立し、ハードを軸にした育成を続けてきている。
それと同じようにハードの重要性を打ち出すのが、元U-22日本代表・カレン・ロバート氏である。
カレン氏は現役時代の2014年からクラブ経営に乗り出し、現在の房総ローヴァーズ木更津FCのオーナー兼選手としてクラブを発展させながら、2020年には、念願の人工芝のサッカー場「ローヴァーズドリームフィールド」をオープンした。
両クラブ経営者の共通点は、手始めにグラウンドをつくったこと。そしてこれこそが、育成に不可欠だと考えていること。海外のスタンダードを日本で実現する2人が、新時代の育成をリードする育成論を繰り広げる!
【日時】
2021年2月27日(土)20時〜21時30分
【内容】
・新時代サッカー育成対談!「元Jリーガー経営者はなぜグラウンドを作るのか?」
・質疑応答
※内容は事前に変更となる場合があります
【ファシリテーター】
北健一郎(サッカーライター/ホワイトボードスポーツ編集長)
【出演者プロフィール】
● 幸野健一(こうの・けんいち)
プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント
1961年9月25日、東京都生まれ。
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パッション 新世界を生き抜く子どもの育て方
amzn.to/2YNy3jn
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中央大学卒。サッカー・コンサルタント。7歳よりサッカーを始め、17歳のときに単身イングランドへ渡りプレミアリーグのチームの下部組織等でプレー。 以後、指導者として日本のサッカーが世界に追いつくために、世界43カ国の育成機関やスタジアムを回り、世界中に多くのサッカー関係者の人脈をもつ。現役プレーヤーとしても、50年にわたり年間50試合、通算2500試合以上プレーし続けている。育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかるサッカーコンサルタントとしても活動し、2015年に日本最大の私設リーグ「プレミアリーグU-11」を創設。現在は33都道府県で開催し、400チーム、7000人の小学校5年生選手が年間を通し てプレー。自身は実行委員長として、日本中にリーグ戦文化が根付く活動をライフワークとしている。また、2013年に自前の人工芝フルピッチのサッカー場を持つFC市川GUNNERSを設立し、代表
● カレン・ロバート
元U-22サッカー日本代表/ROVERS FC代表
1985年6月7日、茨城県生まれ。
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イギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、茨城で生まれ育つ。5歳でサッカーを始め、小学6年生の時にプレーした柏レイソルの下部組織では、全国少年大会で優勝を経験。市立船橋高校時代は3年連続で高校選手権に出場し、2003年には高校生としては異例の天皇杯3回戦に進出。ベスト8を懸けた4回戦では横浜F・マリノスを追い込み話題を集めた。2004年にジュビロ磐田に加入すると、2005年に13得点を挙げてJリーグ新人王を獲得。2010年7月にロアッソ熊本に移籍し、同年12月にオランダのVVVフェンロへの移籍で海外へ渡ると、その後、タイ、韓国、インド、イングランドでもプレー。2004年から2007年までは各年代の日本代表でもプレーした。2019年3月に現役引退する前から、2014年にローヴァーズ株式会社を設立。2015年に当時、千葉県社会人リーグ2部のROVERS FC(現:房総ローヴァーズ木更津FC)のオーナーに就任し、2020年10月にはフルピッチサイズを誇る人工芝のサッカー場「ローヴァーズドリームフィールド」をオープン。今夏には、宿泊型総合スポーツ交流施設としてグランドオープンを予定している。