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こいつらは1M1Tの2両編成に改造されてから真価を発揮をするなんてだれも想像できなかった。
「鉄板焼き電車」という嬉しくない渾名を貰ってしまったけど「転生したら105系だった件」のお陰で長生きしたという面白い車両
それにしても70s初頭から電機子チョッパ制御、空気バネ台車、アルミ車を開発、導入してきた営団はすごいよなぁあ
103系の中でも地下直時代の酷使で状態悪い筈なのに西へ渡って40nよりも長く生き延びた1000番台は103系で一番運がいい形式だと思う
将来は全ての食器やトロフィーなどに生まれ変わってきますよ。
ここかかへくかへはかは
和歌山と広島はけっこう長生きしたんじゃないですか。😃💡
こいつは 寧ろ快速に移ってからの方が本領を発揮したと思う。8M2Tなら起動加速の良さは勿論 高速域でも伸びが良くて 実際運転された方のお話では 3ノッチでも100km/h迄苦もなく加速したそうです。私も何度か乗りましたが モーター音から判断して明らかに100km/h以上出していた事もありました。
@detteu’s drive-たまに鉄道- さん6M4T化されたのは 後に冷房改造された頃からで 転用された直後から3年位(84年〜87年)は8M2Tで走っていました。最初に転用された編成は 動画の5:52に出ている編成で両端クハのみ0番台に差し替えてありそのクハは ブザー回路を1000番台対応とした目印として 車番の下に白線が引かれていました。(まっすぐでない手描きのような適当な引き方でした。)前照灯がブタの鼻🐽なのでお気付きと思いますが 上り側は首都圏では唯一の非冷房103系マイチェン形だったクハ103−188で それまでは中間に挟まれていましたが 配属されて10数年経って この時晴れて先頭に出る事が出来ました。(後に京葉線に転属)他には全車1000番台で 青緑1号に塗り替えた物 緩行線カラーのまま「常磐(快速線)」のステッカーを正面と各扉上に貼った物 中には転用直前に準備的に両先頭車のみ青緑1号に塗り替えていつも通り緩行線運用に就いたら営団から「紛らわしい!明日から乗り入れちゃダメ!」とクレームが付いた編成もありました。6M4T化されても加速が良かったのはバーニア制御もそうですが 聞くところによればモーターの限流値も標準車より上げてあったそうですね。(それも配線をダメにした原因)何れにしても 快速で1000番台が来たら「おっ!速いのが来たな。」とワクワクしたのも懐かしい思い出です。ブレーキエアの排出音も標準車の「フコ〜」ではなく独特の「ピシュゥ〜」と言う音でした。長文失礼致しました🙇
営団地下鉄の入線時の『焦げ臭いにおい』が好き。
東急田園都市線8500系の方が凄かったです。😃💡
2020年代現在、それを平気で行っているのが大阪メトロ堺筋線へ乗り入れる阪急3300系と5300系。夏場には抵抗器の排熱で床敷物を焦がしながら走っているし、早急に1300系に置き換えないとメトロさんもさすがにブチギレそう…
そろそろそいつら置き換えないと寿命やばそう
隠れ鉄っちゃんの噂がある吉村知事がしっかりとチェックしてそう・・・・・
阪急電鉄5300系もやばそう。
ちなみに2021年現在、抵抗制御の車両が地下鉄に乗り入れる事例はここが唯一という
3300系も5300系も堺筋線の乗り入れが少なくなった感がありますが。
国鉄時代、営団6000系のドアは窓も小さく、爆弾ドアと呼ばれ怖かったので、小さかった小生は103系1000番台が来るまで親に待ってもらったことがあります。営団車に比べて窓が縦に大きく、戸袋窓があって車内が明るく、6000系に比べてドアも大人しく開閉していたのも印象に残っています
1000番代が来るまでやり過ごした?なんと私も同じ事を子供ながらにやっていました!6000の展望は悪くつまらなかったですね。
6000系はドアの窓が高くて外が見えないのが嫌で、103系の方が好きだった幼い頃の思い出。
私も少年時代同じでした。当時、営団6000系のドアは窓も小さく、爆弾ドアと呼ばれ怖かったのも理由です。反面、103系1000番台のドアは窓も縦に大きく、優しげに開閉していました
あっ、私もそれが理由で、6000系よりも103系1000番台が好きでした。JNRマークが誇らしかったなぁ。
なんで東西線直通の103·301系は千代田線直通103系よりも置き換えが遅れたのかと思ったらそう言う理由なのか。
1204編成が最後まで原形なのが良かったです。1203編成も幌が付いていて独特でしたけどね。😃💡
末期の103系・301系の東西線直通車は、5両1ユニットとして、別形式同士混用していて、なおかつ5両の両端運転台と片側運転台が混在していて、非常に面白かった。本でしか知らない憧れの旧型国電混結運用負けずとも劣らないバラエティを楽しめた。
自然通風は東西線みたいな開削工法トンネルだとまだましだったんだけどね。千代田線は単線シールド工法使ってたからね。熱が逃げづらいからね。東西線民だったので1000番台が来るとATC機材のせいでかぶり付きが出来なくてへこんだのは子供の頃の思い出
晩年はインバータークーラー付いたからよかったけど、昔は非冷房で走ってたと思うとゾっとする。JNRマーク付きの扇風機が温風をかき混ぜるだけだという...
6000系のデザインは今でも全然通用するものだと思う。
そら21世紀でも通用する電車として開発されたからな
今画像で見ても古さを感じない素晴らしいデザインですよねえ
(勿論良い意味で)古くて新しいデザインですよね
現在のプラグドアの貫通扉より、優れたデザインですよね開けるだげて、非常ハシゴが設置できてしまうんだから今のは、いろいろと置いてあるから、非常用なのに開けるまでに時間が掛かる
ようやく103系1000番台が俎上に上がりましたね。ただただ熱かった車輛でした。車内の床・乗り降りする際のホームと車両の間から立ち上ってくる熱気。尋常じゃありませんでした。更に編成数が多かったのか、これに当たる確率が高い。営団6000系が来るとホッとしたものです。
福岡では2015年までこれが地下鉄に乗り入れていたという事実熱風をまき散らすから電車を見なくてもホームに止まっているのが103系だと気付けた
確かに。103系1500番台は、福岡市地下鉄で火花を吹き、市交通局の激怒を買い、インバータ制御車の305系に全て置き換えられた。
@@user-bf6lc9hb6o さらに福岡市営地下鉄はワンマンだったのに、103系は対応していないために車掌を乗せる必要があり、ワンマン運転出来る車出せ言われて305系を入れざるを得なかった。
16000系は地下鉄車両なのに4M6Tだから凄いよなぁ.....
そのくせ小田急線にぶち込まれて急行とかやるしマジで良い奴すぎる
4次車(17編成~37編成)はモーターが静か過ぎて通り越しています。😃💡
しかも毎日新宿から50km離れた伊勢原まで入っているのがスゴい!
6000系の機器類のパワーと違い16000系のパワーが高いですからね。203系、207系(東)、E233系のモータの数が6000系と同じですし。
一瞬全て103-1200になったと思ったら301も灰色8号で塗ってしまった…あのクリアラッカー仕上げの銀ギラ銀が良かったのに無粋だったなぁ。
103系の塗装を塗り直さずそのまま他所で使う酷鉄、武蔵野線でも昔はいろんな色がごちゃまぜになってる編成見かけた見かけたなぁ・・・。
青22号や青緑1号の先頭車が「東所沢」や「府中本町」の幕を出してましたね。常磐快速線でもそんな状況だった事がありましたよ。84年 「太陽にほえろ!」でもそれをネタにした話がありました。
山口県の山陽線を103系と105系が爆走していた頃を思い出す。103系1000のDNAを引き継いだ九州の103系1500。やはり福岡地下鉄内は五月蝿かったしガクガク走行だったし故障が多かった。福岡市交通局もJR九州にクレームが多かったのも頷ける。21世紀初頭には303系を投入したが3編成に留まった。そして平成末期に新型車305系を投入して103系を地下鉄乗り入れから追い出し筑前前原以西の3両編成で余生を過ごしている。
まあ千代田線と違って東西線で301系や103系が長生きできたのは地下鉄側の車両も同程度の抵抗制御の5000系を使い続けてたからなんだよね。ちなみに5000系のアルミ車が7両編成3本で終わった理由も国鉄が財政難でアルミ車体の301系を作るのを辞めて103系にシフトしたので営団側もじゃあうちもわざわざ金かけてアルミ車体で作っても仕方ないよねって事でセミステンレス構造に戻されたって感じなんだよね。ちなみに地下鉄直通の103系は九州でも頻繁に壊れて福岡市も相当迷惑してたらしく車両故障が起きると車両故障(JR車)により運転を見合わせてます。と名指しで案内するほどだったらしいからね
103系のトンネルや地下区間は真横の人の声すら怒鳴らないと会話が成り立たなかったくらい五月蠅かったけど、今みたいに静かで会話が響いて知らない誰かに聴かれるよりはマシだったのかもしれないよね。
そういや昔の地下鉄は冷房が無い上に抵抗近くの出口で降りると熱風にさらされたなあ。
ダイヤ改正で常磐緩行線の日中の万年12分間隔ダイヤが10分間隔ダイヤに改正されることが松戸市の市報にも取り上げたられた。(この時は既に武蔵野線・東武野田線が日中は10分間隔ダイヤだったし、新京成も10分間隔だった。)これ、平成20年代の話。
平成11年ごろまで北松戸に在住、都心に通勤通学していたので12分間隔には苦い思い出あります。そのかわり日中、電車がこないはずの時間に103系1000番台が試運転で現れたりするのを見れました
国鉄車を避けていた人もかなり多くいたらしい。私も約40年前、東西線を使って通学していたが国鉄車はなるべく避けていたなぁ。
まさか西に追いやられてから、令和まで走るとは思いもしなかったよな。
真夏はパンタグラフの付いた車両を避けて乗っていましたw懐かしいですね。100km/h位になるとポルターガイスト現象のような絶叫マシンみたいな揺れ方をしてましたねw103系は「101系のデチューン版」らいしのですが、何故か大量発生していたような記憶があります。
真夏日に西日暮里駅(地下ホーム)に到着する非冷房の熱風電車、体力消耗は凄かった事を思い出す🥵🥵🥵
1:45自然通風式になったのは騒音と言うよりはトンネル内の温度上昇を嫌った営団が拒否したってのが主だと思うけどな。私鉄のクーラーの付いた車両もトンネル内の温度が上昇するから地下鉄線内はクーラーを切らされていたし
103系1500番台とか地下鉄線内で床下機器からリアルに火を噴いて地下鉄側から出禁を食らってしまいました。現在はRJ誌にて「日本一車窓が美しい国電区間」と評された風光明媚な地上線で長閑な余生を送っています。
余談ですが303系もJR九州のパンタグラフ取り付けミスで地下鉄線赤坂駅で火を吹いた。
1000番台も福岡へ転用が検討されていたらしい。
JR西での感覚のせいか20世紀末近くに千葉都民になったころは103系1000番台とか来ても通勤電車だしこういうものだと思ってました…なお常磐線E231は2002/2/9に取手駅で車両展示会、3/3にデビュー。そのあと103系が東から消え去りゆくのがものすごく早かったですねぇ…(203、207、209も今となっては懐かしい)
うぽつです。もし千代田線が複線トンネルだったら、203系は生まれなくて、もしかすると209系1000番台が多数派になっていたと言った未来があったかもしれませんね(笑)ところで、東西線のE231系800番台も、あと数年すればE235系地下鉄仕様がやってきて・・・なんて妄想したこともあったりしますw
おとといオレンジ帯も定着した209系1000番台を見ました。あれは1000番台を名乗るため、出来た当時はもっと増えるだろうと考えていたのも懐かしい。千代田線に国鉄が、急きょ301系1000番台を作って走らせていたら・・なんて妄想も楽しいです
ラッシュアワーに此の電車が綾瀬駅着くと駅員さんがバタバタと窓開けしていた懐かしい思い出😅
「迷惑乗り入れ」の文言は鉄博の常磐線展でも紹介されていた…
自分は小学生だったけど、今の通勤時間帯と昔の通勤時間帯では色々な面で違いがあるからねぇ。混雑率250%を超えない様に隠蔽する事もあったんかなぁ・・・?山手線・中央線・総武線を筆頭に、私鉄・地下鉄とも乗車率が凄かったもの・・・。「押しずし」を更に詰めた折詰状態だったから、発進時も停車時も「G」が掛るだけで人の動きは無いんだよ。バックやカバンは頭の上に・・・が当たり前だったし、ハンカチ手持ち・マスク替わりで他者からの臭い予防なんかしてた人が多かった。自分はお茶の水まで月に一回病院通ってたから知ってるんだけど、あの混雑で高加減速するんだから、想定を遥かに超えてたんじゃないのかなぁ・・・って思う。ブレーキ音をけたたましく鳴らして入って来る電車って、最近少ないもんね。東武のレジンの焼けた臭いは咽る位だったし。埼京線が開通する迄は、103系で80KM/h以上出すのって、武蔵野線と常磐線と東西線の快速位だったもんねぇ。
少年時代、北松戸に在住、103系1000番台に乗れたときは営団車よりドア窓が大きく、嬉しかった。松戸→金町で急勾配をのぼりつつ快速やひたちを、僅かながら追いぬくときの爆音はすごかったです
松戸金町間の大カーブをハングオンかまして攻める快速線と緩行線の103系バトルは胸熱でした。
103系1000番台が現役だった頃は、抵抗制御特有の爆音が凄まじい上、制御装置からの熱、更に当時は非冷房だったため、車内はとても暑かったことだっただろう…。特に夏場は地獄だったとか。やはり抵抗制御のみを持つ103系には地下鉄運用は不向きということか。それでも、晩年は広島や山口などに転属して活躍し続けたのは、ある意味凄い車両かも…
地下鉄線内の爆音走行は良かった❗️トンネル内でも車掌台側の窓は遮光幕が降りていないのでメーターとかも見えたし営団に比べるとマニア向けの様な感じでしょうか🤔
実際に乗って通学した人間の感想としては、6000は椅子の座り心地がヘンで嫌でしたね。長距離乗るなら(通学時間が約1時間弱)103系でした。夏場は確かに暑かったですが、それは窓の小さい6000でも同じこと。103は先頭車にさえ座っていればトンネルの風が意外に涼しかったんですよ。それより貫通扉のない冬場の6000は、すいていると室内を強風が吹き抜けて寒くて困りました。
そうなんですよ!6000系の利点ばかり並べる人が多いが5,6号車にしか貫通扉が無く冬寒く、強風が吹き抜ける。ドア窓が小さく高い位置の為景色が見えない。運転台は壁で見れず右側の小窓から前方を見ようにも非常階段があり全面展望が見れない6000系は大嫌いな子供だった!1000番代がくるまで何本も見送ったものです。
当時の官僚やサラリーマンはさぞ嫌がっただろうなぁ…
相変わらずまとめがうまい
8m2tから放出される熱風は凄かったです。ホームで歩くことを我慢しても最前・最後部に乗りましたw
実は小田急9000系の方がもっと電力を喰うのだが界磁チョッパ制御で回生制動付きだった事と日中は相互乗り入れが無く代々木上原止まりだった事からある程度緩和されています。小田急との相互乗り入れが本格化したのは9000系が1000系に置き換えられてからです。ちなみに福岡市営地下鉄との相互乗り入れでも同じしくじりを犯してます。
阪急も3300系は床の敷き物が焦げています夏場は必ず付随車に乗らないと悲劇ですが冬は床暖房完備で快適!
昔、クルマのボンネットで目玉焼きを作るネタがあったけど、このモハ車の床に生卵置いたらしっかりと目玉焼きできた…かも?
通学に常磐線緩行使ってました。タシカニ床材、茶色っぽく焦げてるのを何度も見た気がします…
103系の中で爆音列車で火花を吹かす地下鉄直通用1000番台と1200番台。
小田急民としては6000は馴染み深いですね〜。量産先行車の6001Fや二段窓の6008F、量産1号の6002Fなんかがかなり最近まで残ってたので来るたびに楽しみでしたね。しかし6000はジャカルタに行ってるのになんで06はあっさり廃車したのか・・・
6000系は乗り入れ当初 小田急ユーザーから「監獄電車」と呼ばれていたそうですね。
1000番台前面が大好きです。😃☀️
幼児の頃、千代田線の6000系は、嫌いだったんだ。車中は混雑しているから、座れなくて立つことに成るのだけど、6000系の扉の窓が小さく、設置場所が位置が高いので、幼児には、外の景色が見られないんだ。それが理由で、立ちでも、扉の窓から、外の景色が見える国鉄系の103系が、来ると嬉しかったのを覚える。この灰色に緑の線が入った103系は、懐かしいです。
懐かしいなぁ…焦げ臭いのあったよ😀ブレーキの擦れた匂いかと思ってた。これが電車の匂いとフツーに思ってたなぁ🚃💨
6000系、2010年代まででしょ?多分通勤で使ってたかも…。毎日小田急線直通で千代田線乗り入れで通勤してるけど、今まで気にしたことなかったなぁ。直通の準急は朝が早いので、いつも代々木上原で乗り換えるけど帰りは直通。今度じっくり見てみよう、車両。
床が焦げるってすごいね。
確かにアップダウンの激しすぎる千代田線はTOUGHな路線その割に16000は4M6T
16000系は永久磁石同期電動機を使ってるせいで1C1M(1インバータ1モータ)になってしまうと聞いたことがあります。 普通ならMM'ユニットで1C8Mくらいが普通なので、そのせいもありそうですね。(ただただE231準拠ってのがありそうですが)
おー北小金に住んでいた私には懐かしい動画でした。
安物買いの銭失いの典型例1000番台が関西やミツに移籍して1200がマトに移ったりと変遷が多いんだよな
小田急9000型と言えば、地上発電制動と地下回生制動の二種類のブレーキを積んだせいで保守がダルいってのがオチと予測する。(おぼろ気な記憶より)
うわぁ、、、なんか分かんないけど保守はだるそうなのは分かる回生1本でいけなかったんですかね?
@@user-ht1ez9ss4y 確か、列車間隔が広いところ(地上線)だと発電した電気を使う電車が居なくて制動力が足りないみたいせいのだったような気がします。 発電制動は電気を抵抗器で熱に替えるので電気が使われない問題は解決しますが、熱出す分103系と近しくなるので営団が嫌ったのだった気がします。(ネタバレになったらごめんなさい)
首都圏の103系は平成に入ってから、秋田の土崎工場で積極的に更新改造が進められました。201系同様の明るい車内になり1000番台にも及んだのですが、床の高熱は後年まで続いたようでベージュの床材が焦げてる写真も見ました。A-A基準の難燃化とはいったいなんだったんだろう…。
その後、京葉線開業で約5kmの長大トンネル、、、しかも最急33‰の上り片勾配あり、を強制通風式のノーマル103系が爆走していたという迷も。結局、ブロワの騒音を無視して最初からノーマルモハを使っても、それはそれで良かったのかも…。少なくとも床は焦げなかった。今となっては、爆音をトンネル内に反響させ爆走した103系が懐かしい。
地下鉄風鉄板焼き…おいしそう
手軽に焼き土下座ができそう
数十年前の人はこんな電車で通勤していたのか…すごいな…w
それどころか1986年度の混雑率1位は常磐線快速(松戸→北千住間)の、なんと271%で北千住から地下鉄に乗り換えていくわけで、営団6000系や203系のドア小窓が生まれたわけだから、そこに爆熱抵抗制御で冷房なしの真夏や梅雨の時期とかもう地獄。
103系は基本的に武蔵野線や大阪環状線、福岡市営地下鉄直通等が中心ですが味のある物だと思います。
同じ8M2Tだったのに電気代の問題が起きなかったガイコツ9000系と違って色々しくじった車両だなぁ…。まぁ9000系は9000系で相当な変態車両なんだけど…。地下鉄乗り入れなのに6+4両で貫通幌をつけなくて通り抜け出来ない仕様だし、改造前は側面幕が種別のみ仕様のところに無理矢理 準 急本厚木ー綾瀬って二段で入れてたりそして千代田線はあの絶対にかぶりつきはさせないぞ宣言の巨大壁顔だし、昔の千代田線って変態車両しかいねぇ…。
でも、俺、103系1000代の千代田線直通色って大好きなんですよね。
西武から有楽町線乗ると扉の開閉がめちゃくちゃ乱暴な感じでちょっと怖かったの懐かしい笑
冬はいいけど、夏とかこいつが来たら嫌だな…窓を開けたら熱風、駅で待っててもその熱風をぶっかけられるで地獄やないか
1000番台は地下鉄直通には向いてなかったけど、常磐線快速と言う地上向けの路線で活躍出来て幸運な車両だったかも知れない
結局、常磐線って面白い
此の電車乗ると友達と車内でお喋り出来ない程五月蝿かった
千代田線乗り入れ運用終了後地上での快速で死に物狂いで爆音をたてて走行していたのが懐かしい。
昔から思ってましたけどなんで鉄道会社ごとに違う車両発注してたんでしょうね。同じモデルを大量生産すれば安上がりでかつこういう問題も起きなかったでしょうに
千代田線に抵抗制御、しかも騒音対策のためだけに制御装置の冷却にブロアーを用いず自然通風を採用したのが致命的だったか…これで、6000系の実績・電機子チョッパ設計の努力を水の泡にしてしまった感が強く、まさしく「本当に迷惑でしかない」乗り入れ…。
ノッチオフしてLBが「スコンッ!」と鳴ると同時にトンネル内が青白く光りました。それだけ大電流が流れていたんですね。
実質ゲロ電じゃないかたまげたなぁ…
ゲロ電は草すこ
千代田線の最高速度がトンネル区間で区間によって速度80キロ近く出していました。
地下鉄東西線乗り入れ103系車両で床が触れないくらい熱くなっていて、電車を降りてすぐ駅員さんに報告した事があります。
手で触ってまで確かめた…と…
常磐快速線でも明らかに無理した走りでしたねぇ。うるさかったなあ。
適していようがいまいが、国鉄には通勤者は103系しかなかったんだよねぇ・・・かなり後にも、福岡市営地下鉄乗り入れ用にも、またしても103系投入・・・
元祖電子レンジ
営団時代から省エネ車が古くからあった
昭和の終わりに常磐緩行線で毎日通学してましたけど、乗ったのは数回でしたねぇ。もう、30年以上前になりますけど、たしかに夏でなくとも床が熱かったのは良く覚えているのです (^^;
103系1000番代は 10両編成で、その "連絡器" の全ては「密着連結器」でした。
まぁ、戦後初の国鉄新型電車101系(旧90系)の【劣化廉価車輌】である103系と最新鋭な6000系じゃあねぇ😅営団からは【乗り入れ禁止】のお達しを下されてしまうのも当然😁
そもそも千代田線は様々な要素が重なり合って単線シールド工法を余儀なくされた訳だけど、今では全車両冷房完備は当たり前、しかし開業当初より約10年間は全車両とも非冷房で103系1000番台に当たってしまったら抵抗器から出る熱の逃げ場がないし今でいう熱中症患者が続出しても可笑しくなかった。
東西線の301系や103系1200番台営団5000系都営三田線6000系とか鉄板焼き系なのに
事情は違いますが設計思想が合わずモーターが焼き切れるんじゃ?と言われた京阪神緩行の103系のお話もお枚出します福岡地下鉄唐津線直通運転も1000系と103系の格差を感じます
千代田線には営団5000系も走っていて、103系1000番台だけ特別な物ではなかった。松戸の動労〇〇がヤバイヤバイ危険だと騒ぎすぎ。東西線を走ったほぼ同じ仕様の103系1200番台は騒いでいない。東西線も100㎞で走らされたり、隅田川の下をくぐったり神楽坂の前後に単線シールドや急勾配があって過酷。
まさに「安物買いの銭失い」
小さい頃は6000系、5000系よりも103系推しでわざわざ来るまで待って乗ってました。子供の身長だと外が見えんのですよ6000系だと、カラーリングも好きでしたね、グレーのボディーにグリーンのライン、国鉄マーク!今でも一推しかもしれません( ◠‿◠ )
103系の車両、千代田線、常磐線直通、東西線、中央・総武線各駅停車直通、昔、乗車した🚇🚉❗❗
目玉焼が作れる
結局、尺束の地下鉄直通は問題が多かったのか
てかそもそもJRの地下鉄直通ってメリットあんのかな、、、って思っちゃう都心部に駅たくさん持ってるし
@@user-ht1ez9ss4y 常磐線の都心部が致命的な混雑になったので、線路を増やしたいわけですが、地上に線路を敷くスペースなどどこにも残っていないので、代わりに地下、というノリで地下鉄に直通したわけです。
亜 き市
eg
103で8M2Tは変電所キラーだろw
今の時代なら103系1000番台ならエネルギー喰い。
やけたトタン屋根の猫
「原木中山」行きって・・・中津行き級の一番がっかりなやつじゃん。
走る電○機?
こいつらは1M1Tの2両編成に改造されてから真価を発揮をするなんてだれも想像できなかった。
「鉄板焼き電車」という嬉しくない
渾名を貰ってしまったけど「転生
したら105系だった件」のお陰で
長生きしたという面白い車両
それにしても70s初頭から電機子チョッパ制御、空気バネ台車、アルミ車を開発、導入してきた営団はすごいよなぁあ
103系の中でも地下直時代の酷使で状態悪い筈なのに西へ渡って40nよりも長く生き延びた1000番台は103系で一番運がいい形式だと思う
将来は全ての食器やトロフィーなどに生まれ変わってきますよ。
ここかかへくかへはかは
ここかかへくかへはかは
和歌山と広島はけっこう長生きしたんじゃないですか。😃💡
こいつは 寧ろ快速に移ってからの方が本領を発揮したと思う。
8M2Tなら起動加速の良さは勿論 高速域でも伸びが良くて 実際運転された方のお話では 3ノッチでも100km/h迄苦もなく加速したそうです。
私も何度か乗りましたが モーター音から判断して明らかに100km/h以上出していた事もありました。
@detteu’s drive-たまに鉄道- さん
6M4T化されたのは 後に冷房改造された頃からで 転用された直後から3年位(84年〜87年)は8M2Tで走っていました。
最初に転用された編成は 動画の5:52に出ている編成で
両端クハのみ0番台に差し替えてあり
そのクハは ブザー回路を1000番台対応とした目印として 車番の下に白線が引かれていました。(まっすぐでない手描きのような適当な引き方でした。)
前照灯がブタの鼻🐽なのでお気付きと思いますが 上り側は首都圏では唯一の非冷房103系マイチェン形だったクハ103−188で それまでは中間に挟まれていましたが 配属されて10数年経って この時晴れて
先頭に出る事が出来ました。(後に京葉線に転属)
他には全車1000番台で 青緑1号に塗り替えた物
緩行線カラーのまま「常磐(快速線)」のステッカーを正面と各扉上に貼った物
中には転用直前に準備的に両先頭車のみ青緑1号に塗り替えていつも通り緩行線運用に就いたら
営団から「紛らわしい!明日から乗り入れちゃダメ!」とクレームが付いた編成もありました。
6M4T化されても加速が良かったのはバーニア制御もそうですが 聞くところによればモーターの限流値も標準車より上げてあったそうですね。(それも配線をダメにした原因)
何れにしても 快速で1000番台が来たら「おっ!速いのが来たな。」とワクワクしたのも懐かしい思い出です。
ブレーキエアの排出音も標準車の「フコ〜」ではなく独特の「ピシュゥ〜」と言う音でした。
長文失礼致しました🙇
営団地下鉄の
入線時の
『焦げ臭いにおい』
が好き。
東急田園都市線8500系の方が凄かったです。😃💡
2020年代現在、それを平気で行っているのが大阪メトロ堺筋線へ乗り入れる阪急3300系と5300系。
夏場には抵抗器の排熱で床敷物を焦がしながら走っているし、早急に1300系に置き換えないとメトロさんもさすがにブチギレそう…
そろそろそいつら置き換えないと寿命やばそう
隠れ鉄っちゃんの噂がある吉村知事がしっかりとチェックしてそう・・・・・
阪急電鉄5300系もやばそう。
ちなみに2021年現在、抵抗制御の車両が地下鉄に乗り入れる事例はここが唯一という
3300系も5300系も堺筋線の乗り入れが少なくなった感がありますが。
国鉄時代、営団6000系のドアは窓も小さく、爆弾ドアと呼ばれ怖かったので、小さかった小生は103系1000番台が来るまで親に待ってもらったことがあります。
営団車に比べて窓が縦に大きく、戸袋窓があって車内が明るく、6000系に比べてドアも大人しく開閉していたのも印象に残っています
1000番代が来るまでやり過ごした?なんと私も同じ事を子供ながらにやっていました!6000の展望は悪くつまらなかったですね。
6000系はドアの窓が高くて外が見えないのが嫌で、103系の方が好きだった幼い頃の思い出。
私も少年時代同じでした。
当時、営団6000系のドアは窓も小さく、爆弾ドアと呼ばれ怖かったのも理由です。反面、103系1000番台のドアは窓も縦に大きく、優しげに開閉していました
あっ、私もそれが理由で、6000系よりも103系1000番台が好きでした。JNRマークが誇らしかったなぁ。
なんで東西線直通の103·301系は千代田線直通103系よりも置き換えが遅れたのかと思ったらそう言う理由なのか。
1204編成が最後まで原形なのが良かったです。1203編成も幌が付いていて独特でしたけどね。😃💡
末期の103系・301系の東西線直通車は、5両1ユニットとして、別形式同士混用していて、なおかつ5両の両端運転台と片側運転台が混在していて、非常に面白かった。
本でしか知らない憧れの旧型国電混結運用負けずとも劣らないバラエティを楽しめた。
将来は全ての食器やトロフィーなどに生まれ変わってきますよ。
自然通風は東西線みたいな開削工法トンネルだとまだましだったんだけどね。千代田線は単線シールド工法使ってたからね。熱が逃げづらいからね。
東西線民だったので1000番台が来るとATC機材のせいでかぶり付きが出来なくてへこんだのは子供の頃の思い出
晩年はインバータークーラー付いたからよかったけど、昔は非冷房で走ってたと思うとゾっとする。JNRマーク付きの扇風機が温風をかき混ぜるだけだという...
6000系のデザインは今でも全然通用するものだと思う。
そら21世紀でも通用する電車として開発されたからな
今画像で見ても古さを感じない素晴らしいデザインですよねえ
(勿論良い意味で)古くて新しい
デザインですよね
現在のプラグドアの貫通扉より、優れたデザインですよね
開けるだげて、非常ハシゴが設置できてしまうんだから
今のは、いろいろと置いてあるから、非常用なのに開けるまでに時間が掛かる
ようやく103系1000番台が俎上に上がりましたね。
ただただ熱かった車輛でした。車内の床・乗り降りする際のホームと車両の間から立ち上ってくる熱気。尋常じゃありませんでした。
更に編成数が多かったのか、これに当たる確率が高い。営団6000系が来るとホッとしたものです。
福岡では2015年までこれが地下鉄に乗り入れていたという事実
熱風をまき散らすから電車を見なくてもホームに止まっているのが103系だと気付けた
確かに。103系1500番台は、福岡市地下鉄で火花を吹き、市交通局の激怒を買い、インバータ制御車の305系に全て置き換えられた。
@@user-bf6lc9hb6o さらに福岡市営地下鉄はワンマンだったのに、103系は対応していないために車掌を乗せる必要があり、ワンマン運転出来る車出せ言われて305系を入れざるを得なかった。
16000系は地下鉄車両なのに4M6Tだから凄いよなぁ.....
そのくせ小田急線にぶち込まれて急行とかやるしマジで良い奴すぎる
4次車(17編成~37編成)はモーターが静か過ぎて通り越しています。😃💡
しかも毎日新宿から50km離れた伊勢原まで入っているのがスゴい!
6000系の機器類のパワーと違い
16000系のパワーが
高いですからね。
203系、207系(東)、
E233系のモータの数が
6000系と同じですし。
一瞬全て103-1200になったと思ったら301も灰色8号で塗ってしまった…あのクリアラッカー仕上げの銀ギラ銀が良かったのに無粋だったなぁ。
103系の塗装を塗り直さずそのまま他所で使う酷鉄、武蔵野線でも昔はいろんな色がごちゃまぜになってる編成見かけた見かけたなぁ・・・。
青22号や青緑1号の先頭車が「東所沢」や「府中本町」の幕を出してましたね。
常磐快速線でもそんな状況だった事がありましたよ。
84年 「太陽にほえろ!」でもそれをネタにした話がありました。
山口県の山陽線を103系と105系が爆走していた頃を思い出す。
103系1000のDNAを引き継いだ九州の103系1500。やはり福岡地下鉄内は五月蝿かったしガクガク走行だったし故障が多かった。福岡市交通局もJR九州にクレームが多かったのも頷ける。21世紀初頭には303系を投入したが3編成に留まった。そして平成末期に新型車305系を投入して103系を地下鉄乗り入れから追い出し筑前前原以西の3両編成で余生を過ごしている。
まあ千代田線と違って東西線で301系や103系が長生きできたのは地下鉄側の車両も同程度の抵抗制御の5000系を使い続けてたからなんだよね。
ちなみに5000系のアルミ車が7両編成3本で終わった理由も国鉄が財政難でアルミ車体の301系を作るのを辞めて103系にシフトしたので営団側もじゃあうちもわざわざ金かけてアルミ車体で作っても仕方ないよねって事でセミステンレス構造に戻されたって感じなんだよね。
ちなみに地下鉄直通の103系は九州でも頻繁に壊れて福岡市も相当迷惑してたらしく車両故障が起きると車両故障(JR車)により運転を見合わせてます。と名指しで案内するほどだったらしいからね
103系のトンネルや地下区間は真横の人の声すら怒鳴らないと会話が成り立たなかったくらい五月蠅かったけど、
今みたいに静かで会話が響いて知らない誰かに聴かれるよりはマシだったのかもしれないよね。
そういや昔の地下鉄は冷房が無い上に抵抗近くの出口で降りると熱風にさらされたなあ。
ダイヤ改正で常磐緩行線の日中の万年12分間隔ダイヤが10分間隔ダイヤに改正されることが
松戸市の市報にも取り上げたられた。
(この時は既に武蔵野線・東武野田線が日中は10分間隔ダイヤだったし、新京成も10分間隔だった。)
これ、平成20年代の話。
平成11年ごろまで北松戸に在住、都心に通勤通学していたので12分間隔には苦い思い出あります。そのかわり日中、電車がこないはずの時間に103系1000番台が試運転で現れたりするのを見れました
国鉄車を避けていた人もかなり多くいたらしい。私も約40年前、東西線を使って通学していたが国鉄車はなるべく避けていたなぁ。
まさか西に追いやられてから、令和まで走るとは思いもしなかったよな。
真夏はパンタグラフの付いた車両を避けて乗っていましたw
懐かしいですね。
100km/h位になるとポルターガイスト現象のような絶叫マシンみたいな揺れ方をしてましたねw
103系は「101系のデチューン版」らいしのですが、何故か大量発生していたような記憶があります。
真夏日に西日暮里駅(地下ホーム)に到着する非冷房の熱風電車、体力消耗は凄かった事を思い出す🥵🥵🥵
1:45自然通風式になったのは騒音と言うよりはトンネル内の温度上昇を嫌った営団が拒否したってのが主だと思うけどな。私鉄のクーラーの付いた車両もトンネル内の温度が上昇するから地下鉄線内はクーラーを切らされていたし
103系1500番台とか地下鉄線内で床下機器からリアルに火を噴いて地下鉄側から出禁を食らってしまいました。
現在はRJ誌にて「日本一車窓が美しい国電区間」と評された風光明媚な地上線で長閑な余生を送っています。
余談ですが303系もJR九州のパンタグラフ取り付けミスで地下鉄線赤坂駅で火を吹いた。
1000番台も福岡へ転用が検討されていたらしい。
JR西での感覚のせいか20世紀末近くに千葉都民になったころは103系1000番台とか来ても通勤電車だしこういうものだと思ってました…
なお常磐線E231は2002/2/9に取手駅で車両展示会、3/3にデビュー。そのあと103系が東から消え去りゆくのがものすごく早かったですねぇ…
(203、207、209も今となっては懐かしい)
うぽつです。
もし千代田線が複線トンネルだったら、203系は生まれなくて、もしかすると209系1000番台が多数派になっていたと言った未来があったかもしれませんね(笑)
ところで、東西線のE231系800番台も、あと数年すればE235系地下鉄仕様がやってきて・・・なんて妄想したこともあったりしますw
おとといオレンジ帯も定着した209系1000番台を見ました。あれは1000番台を名乗るため、出来た当時はもっと増えるだろうと考えていたのも懐かしい。
千代田線に国鉄が、急きょ301系1000番台を作って走らせていたら・・なんて妄想も楽しいです
ラッシュアワーに此の電車が綾瀬駅着くと駅員さんがバタバタと窓開けしていた懐かしい思い出😅
「迷惑乗り入れ」の文言は鉄博の常磐線展でも紹介されていた…
自分は小学生だったけど、今の通勤時間帯と昔の通勤時間帯では色々な面で違いがあるからねぇ。
混雑率250%を超えない様に隠蔽する事もあったんかなぁ・・・?
山手線・中央線・総武線を筆頭に、私鉄・地下鉄とも乗車率が凄かったもの・・・。
「押しずし」を更に詰めた折詰状態だったから、発進時も停車時も「G」が掛るだけで人の動きは無いんだよ。
バックやカバンは頭の上に・・・が当たり前だったし、ハンカチ手持ち・マスク替わりで他者からの臭い予防なんか
してた人が多かった。自分はお茶の水まで月に一回病院通ってたから知ってるんだけど、あの混雑で高加減速するんだから、
想定を遥かに超えてたんじゃないのかなぁ・・・って思う。ブレーキ音をけたたましく鳴らして入って来る電車って、最近少ないもんね。東武のレジンの焼けた臭いは咽る位だったし。埼京線が開通する迄は、103系で80KM/h以上出すのって、武蔵野線と常磐線と東西線の快速位だったもんねぇ。
少年時代、北松戸に在住、103系1000番台に乗れたときは営団車よりドア窓が大きく、嬉しかった。松戸→金町で急勾配をのぼりつつ快速やひたちを、僅かながら追いぬくときの爆音はすごかったです
松戸金町間の大カーブをハングオンかまして攻める快速線と緩行線の103系バトルは胸熱でした。
103系1000番台が現役だった頃は、抵抗制御特有の爆音が凄まじい上、制御装置からの熱、更に当時は非冷房だったため、車内はとても暑かったことだっただろう…。特に夏場は地獄だったとか。やはり抵抗制御のみを持つ103系には地下鉄運用は不向きということか。それでも、晩年は広島や山口などに転属して活躍し続けたのは、ある意味凄い車両かも…
地下鉄線内の爆音走行は良かった❗️
トンネル内でも車掌台側の窓は遮光幕が降りていないのでメーターとかも見えたし営団に比べるとマニア向けの様な感じでしょうか🤔
実際に乗って通学した人間の感想としては、6000は椅子の座り心地がヘンで嫌でしたね。長距離乗るなら(通学時間が約1時間弱)103系でした。夏場は確かに暑かったですが、それは窓の小さい6000でも同じこと。103は先頭車にさえ座っていればトンネルの風が意外に涼しかったんですよ。それより貫通扉のない冬場の6000は、すいていると室内を強風が吹き抜けて寒くて困りました。
そうなんですよ!
6000系の利点ばかり並べる人が多いが5,6号車にしか貫通扉が無く冬寒く、強風が吹き抜ける。ドア窓が小さく高い位置の為景色が見えない。運転台は壁で見れず右側の小窓から前方を見ようにも非常階段があり全面展望が見れない6000系は大嫌いな子供だった!1000番代がくるまで何本も見送ったものです。
当時の官僚やサラリーマンはさぞ嫌がっただろうなぁ…
相変わらずまとめがうまい
8m2tから放出される熱風は凄かったです。ホームで歩くことを我慢しても最前・最後部に乗りましたw
実は小田急9000系の方がもっと電力を喰うのだが
界磁チョッパ制御で回生制動付きだった事と日中は相互乗り入れが無く代々木上原止まりだった事からある程度緩和されています。
小田急との相互乗り入れが本格化したのは9000系が1000系に置き換えられてからです。
ちなみに福岡市営地下鉄との相互乗り入れでも同じしくじりを犯してます。
阪急も3300系は床の敷き物が焦げています
夏場は必ず付随車に乗らないと悲劇ですが
冬は床暖房完備で快適!
昔、クルマのボンネットで目玉焼きを作るネタがあったけど、このモハ車の床に生卵置いたらしっかりと目玉焼きできた…かも?
通学に常磐線緩行使ってました。
タシカニ床材、茶色っぽく焦げてるのを何度も見た気がします…
103系の中で爆音列車で火花を吹かす地下鉄直通用1000番台と1200番台。
小田急民としては6000は馴染み深いですね〜。
量産先行車の6001Fや二段窓の6008F、量産1号の6002Fなんかがかなり最近まで残ってたので来るたびに楽しみでしたね。
しかし6000はジャカルタに行ってるのになんで06はあっさり廃車したのか・・・
6000系は乗り入れ当初 小田急ユーザーから
「監獄電車」と呼ばれていたそうですね。
1000番台前面が大好きです。😃☀️
幼児の頃、千代田線の6000系は、嫌いだったんだ。車中は混雑しているから、座れなくて立つことに成るのだけど、6000系の扉の窓が小さく、設置場所が位置が高いので、幼児には、外の景色が見られないんだ。
それが理由で、立ちでも、扉の窓から、外の景色が見える国鉄系の103系が、来ると嬉しかったのを覚える。
この灰色に緑の線が入った103系は、懐かしいです。
懐かしいなぁ…焦げ臭いのあったよ😀
ブレーキの擦れた匂いかと思ってた。
これが電車の匂いとフツーに思ってたなぁ🚃💨
6000系、2010年代まででしょ?多分通勤で使ってたかも…。
毎日小田急線直通で千代田線乗り入れで通勤してるけど、今まで気にしたことなかったなぁ。直通の準急は朝が早いので、いつも代々木上原で乗り換えるけど帰りは直通。
今度じっくり見てみよう、車両。
床が焦げるってすごいね。
確かにアップダウンの激しすぎる千代田線はTOUGHな路線
その割に16000は4M6T
16000系は永久磁石同期電動機を使ってるせいで1C1M(1インバータ1モータ)になってしまうと聞いたことがあります。
普通ならMM'ユニットで1C8Mくらいが普通なので、そのせいもありそうですね。(ただただE231準拠ってのがありそうですが)
おー
北小金に住んでいた私には懐かしい動画でした。
安物買いの銭失いの典型例
1000番台が関西やミツに移籍して
1200がマトに移ったりと変遷が多いんだよな
小田急9000型と言えば、地上発電制動と地下回生制動の二種類のブレーキを積んだせいで保守がダルいってのがオチと予測する。(おぼろ気な記憶より)
うわぁ、、、なんか分かんないけど保守はだるそうなのは分かる
回生1本でいけなかったんですかね?
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確か、列車間隔が広いところ(地上線)だと発電した電気を使う電車が居なくて制動力が足りないみたいせいのだったような気がします。
発電制動は電気を抵抗器で熱に替えるので電気が使われない問題は解決しますが、熱出す分103系と近しくなるので営団が嫌ったのだった気がします。(ネタバレになったらごめんなさい)
首都圏の103系は平成に入ってから、秋田の土崎工場で積極的に更新改造が進められました。
201系同様の明るい車内になり1000番台にも及んだのですが、床の高熱は後年まで続いたようでベージュの床材が焦げてる写真も見ました。
A-A基準の難燃化とはいったいなんだったんだろう…。
その後、京葉線開業で約5kmの長大トンネル、、、しかも最急33‰の上り片勾配あり、を強制通風式のノーマル103系が爆走していたという迷も。
結局、ブロワの騒音を無視して最初からノーマルモハを使っても、それはそれで良かったのかも…。少なくとも床は焦げなかった。
今となっては、爆音をトンネル内に反響させ爆走した103系が懐かしい。
地下鉄風鉄板焼き…おいしそう
手軽に焼き土下座ができそう
数十年前の人はこんな電車で通勤していたのか…
すごいな…w
それどころか1986年度の混雑率1位は常磐線快速(松戸→北千住間)の、なんと271%で北千住から地下鉄に乗り換えていくわけで、営団6000系や203系のドア小窓が生まれたわけだから、そこに爆熱抵抗制御で冷房なしの真夏や梅雨の時期とかもう地獄。
103系は基本的に武蔵野線や大阪環状線、福岡市営地下鉄直通等が中心ですが味のある物だと思います。
同じ8M2Tだったのに電気代の問題が起きなかったガイコツ9000系と違って色々しくじった車両だなぁ…。
まぁ9000系は9000系で相当な変態車両なんだけど…。
地下鉄乗り入れなのに6+4両で貫通幌をつけなくて通り抜け出来ない仕様だし、改造前は側面幕が種別のみ仕様のところに無理矢理
準 急
本厚木ー綾瀬
って二段で入れてたり
そして千代田線はあの絶対にかぶりつきはさせないぞ宣言の巨大壁顔だし、昔の千代田線って変態車両しかいねぇ…。
将来は全ての食器やトロフィーなどに生まれ変わってきますよ。
でも、俺、103系1000代の千代田線直通色って大好きなんですよね。
西武から有楽町線乗ると扉の開閉がめちゃくちゃ乱暴な感じでちょっと怖かったの懐かしい笑
冬はいいけど、夏とかこいつが来たら嫌だな…
窓を開けたら熱風、駅で待っててもその熱風をぶっかけられるで地獄やないか
1000番台は地下鉄直通には向いてなかったけど、常磐線快速と言う地上向けの路線で活躍出来て幸運な車両だったかも知れない
結局、常磐線って面白い
此の電車乗ると友達と車内でお喋り出来ない程五月蝿かった
千代田線乗り入れ運用終了後地上での快速で死に物狂いで爆音をたてて走行していたのが懐かしい。
昔から思ってましたけどなんで鉄道会社ごとに違う車両発注してたんでしょうね。同じモデルを大量生産すれば安上がりでかつこういう問題も起きなかったでしょうに
千代田線に抵抗制御、しかも騒音対策のためだけに制御装置の冷却にブロアーを用いず自然通風を採用したのが致命的だったか…これで、6000系の実績・電機子チョッパ設計の努力を水の泡にしてしまった感が強く、まさしく「本当に迷惑でしかない」乗り入れ…。
ノッチオフしてLBが「スコンッ!」と鳴ると同時にトンネル内が青白く光りました。
それだけ大電流が流れていたんですね。
実質ゲロ電じゃないかたまげたなぁ…
ゲロ電は草すこ
千代田線の最高速度が
トンネル区間で
区間によって
速度80キロ近く
出していました。
地下鉄東西線乗り入れ103系車両で床が触れないくらい熱くなっていて、電車を降りてすぐ駅員さんに報告した事があります。
手で触ってまで確かめた…と…
常磐快速線でも明らかに無理した走りでしたねぇ。うるさかったなあ。
適していようがいまいが、国鉄には通勤者は103系しかなかったんだよねぇ・・・
かなり後にも、福岡市営地下鉄乗り入れ用にも、またしても103系投入・・・
元祖電子レンジ
営団時代から省エネ車が古くからあった
昭和の終わりに常磐緩行線で毎日通学してましたけど、乗ったのは数回でしたねぇ。もう、30年以上前になりますけど、たしかに夏でなくとも床が熱かったのは良く覚えているのです (^^;
103系1000番代は 10両編成で、その "連絡器" の全ては「密着連結器」でした。
まぁ、戦後初の国鉄新型電車101系(旧90系)の【劣化廉価車輌】である103系と最新鋭な6000系じゃあねぇ😅
営団からは【乗り入れ禁止】のお達しを下されてしまうのも当然😁
そもそも千代田線は様々な要素が重なり合って単線シールド工法を余儀なくされた訳だけど、今では全車両冷房完備は当たり前、しかし開業当初より約10年間は全車両とも非冷房で103系1000番台に当たってしまったら抵抗器から出る熱の逃げ場がないし今でいう熱中症患者が続出しても可笑しくなかった。
東西線の301系や103系1200番台
営団5000系
都営三田線6000系とか
鉄板焼き系なのに
事情は違いますが設計思想が合わずモーターが焼き切れるんじゃ?と言われた京阪神緩行の103系のお話もお枚出します
福岡地下鉄唐津線直通運転も1000系と103系の格差を感じます
千代田線には営団5000系も走っていて、103系1000番台だけ特別な物ではなかった。
松戸の動労〇〇がヤバイヤバイ危険だと騒ぎすぎ。東西線を走ったほぼ同じ仕様の103系1200番台は騒いでいない。
東西線も100㎞で走らされたり、隅田川の下をくぐったり神楽坂の前後に単線シールドや急勾配があって過酷。
まさに「安物買いの銭失い」
小さい頃は6000系、5000系よりも103系推しでわざわざ来るまで待って乗ってました。
子供の身長だと外が見えんのですよ6000系だと、カラーリングも好きでしたね、グレーのボディーにグリーンのライン、国鉄マーク!今でも一推しかもしれません( ◠‿◠ )
103系の車両、千代田線、常磐線直通、東西線、中央・総武線各駅停車直通、昔、乗車した🚇🚉❗❗
目玉焼が作れる
結局、尺束の地下鉄直通は問題が多かったのか
てかそもそもJRの地下鉄直通ってメリットあんのかな、、、って思っちゃう
都心部に駅たくさん持ってるし
@@user-ht1ez9ss4y 常磐線の都心部が致命的な混雑になったので、線路を増やしたいわけですが、地上に線路を敷くスペースなどどこにも残っていないので、代わりに地下、というノリで地下鉄に直通したわけです。
亜 き市
eg
103で8M2Tは変電所キラーだろw
今の時代なら103系1000番台ならエネルギー喰い。
やけたトタン屋根の猫
「原木中山」行きって・・・中津行き級の一番がっかりなやつじゃん。
走る電○機?