ヒロシマ 85歳の被爆者が蒔いた「平和の種」 いま、アメリカで芽吹き始める
HTML-код
- Опубликовано: 15 окт 2024
- #平和 #被爆者 #講演会 #核兵器 #原爆 #アメリカ
先月、85歳の被爆者が広島からアメリカのアイダホ州へ渡り、自身の被爆体験を伝えました。ウクライナ情勢を受け、核の脅威が現実味を帯びる中被爆者の言葉はアメリカでどう受け止められたのでしょうか?
*************************************
テレビ新広島がオススメするニュース、スポーツ、地域情報の最新情報をお届けするチャンネルです。チャンネル登録宜しくお願いします。
※掲載されております情報は、取材当時のものですのでご了承ください。
#広島ニュース #テレビ新広島 #TSS #ライク #プライムオンライン
#ニュース #広島県 #HIROSHIMA
★広島のニュースはこちらでチェック
www.tss-tv.co....
★テレビ新広島のホームページはこちら
www.tss-tv.co.jp/
★公式RUclipsチャンネル「ここからっ!TSS」
/ @tss3367
★TSSオンデマンド(エンタメ系)
/ @tss4826
★カープ全力応援チャンネル
/ @tss9018
★TSSアーカイブプロジェクト
www.tss-tv.co....
当時女学生で呉の海軍工廠で学徒動員された祖母も、先々月亡くなりました。
祖母は戦後女先生として小学校の先生になり、戦後の貧富の差で、弁当も持って来られないような子達の中で、教育の道で子ども達と戦後の広島を生きました。
実家は農家だったけど、戦中、段々畑を作った山の影から、よくB29が出て来て、大人も子どもも容赦なく無差別に玩具のように狙われて撃たれるから、と山道に作られた防空壕の中に入って爆撃に耐えた、と話してた。
キノコ雲を見たのは、呉に向かうためにいた川の渡し場の所、山の向こう側に雲が上がり、何が起きたのか分からず、近くの民家に避難したら、黒い雨が降ってきたと。
後に生まれた子である父は、祖母が近所の人と、新型爆弾について話してるのを聞いたそうです。
祖父達は戦争が終わって何とか日本の地に戻って来て、広島の黒こげになった町の惨状に、家は、妻子は…、と呟いて仲間が卒倒し、それからは廃人になって狂ってしまったようになったそうで、戦後、全ての物が戦後に無くなって、軍人の家に生まれた子達も、もうそれから消息を絶った家族の行方も分からず、骨一つ帰らない、朕は朕は、としか聞こえない玉音放送のラジオの声に、現実に適応出来ないのも多く出たと言ってた。
何故、広島、長崎に原爆が投下をされたのか?林千勝氏の動画が良いと思います。公開された当時の極秘資料等を通じて解説をしてくれています。