【総集編一時間】100日の持久戦 大陸戦線初の玉砕 拉孟の戦い 日本軍1,300人VS中国軍20,000人【日中戦争】【ゆっくり解説】【記録 世界大戦】
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- Опубликовано: 1 окт 2024
- 拉孟の戦い
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割と編集ミスが少なくて我ながら驚いた
日本軍が関与した戦い
中国▼
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目次
#記録世界大戦
長編の戦史お疲れ様でした。とても興味深く、先人達の偉大さを学ぶ思いです。これからも応援します。
蒋介石総統が日本軍の奮闘に感銘を受け全軍に布告したことは
これまた戦史に残る「知る人ぞ知る」でございます。
蒋介石の逆感状ですなぁ、全軍拉孟騰越の日本軍を、範とせよ!ですなぁ
陸軍特情班が、電文の内容を、ビルマ方面軍指揮官、高級士官に報告したら
目を閉じて、だったそうです😢
@@本田晴生-w6w さんへ
仰る通りです、
この時の国民党軍はインドに於いて
米式装備と訓練を施した最精鋭の部隊、
本来、国民党軍は軍規が乱れ指揮統制など
無いに等しい軍隊、
その最たる例が、上海から南京へ敗走後
惹起された「南京攻防戦」
形勢不利と見るや国民党軍トップが
将兵を置いて真っ先に逃亡した、
後に上海の国民党書記長が共同通信上海
支局長と対談しております、
国民党軍の軍規低下、占領地域での蛮行を
嘆いております。
今回の国民党軍は例外中の例外でしょう。
57:54 史料出典を中心として局地戦のありようを淡々と仔細にまとめて、途中のうp主の主観は極力排した構成なんだけど、
現地軍集団の将官が連隊長大佐を射殺する命令を出すとか、「ほんとに近代軍隊かよ」って入れたくなるわ
ソ連もやっていてナチスもまあまあそういうの野戦憲兵やSSやらがやってるけども、戦争だから脅さないといけない事態もでてくる。仕方ない。
こんな素晴らしい解説動画を作成してくれたうp主様に感謝です。
「拉孟の戦い」で、戦死した多くの日本軍将兵も、自分たちの奮戦敢闘を知って貰えて喜んでいると思います。自分たちがどう戦ったのか、そして、どう死んでいったのか__知ってもらいたいでしょうから。
サイパンや硫黄島などの島嶼戦での玉砕と違い、中国戦線での玉砕は、知名度がとても低いです。むしろ大陸では、日本軍の善戦のイメージしかなかったので、これ程苛烈な陣地防衛戦があったのは意外でした。
崑崙関の戦いも激烈だよ。
長崎県民です。
戦死した祖父が拉孟の戦いに分隊長として参加していたと聞いていましたが、詳しい状況は知りませんでした。日本から遠く離れた地で祖父がどのような思いで戦っていたのか知る由も有りませんが、今の戦争のない日本に生きている事に改めて感謝しないといけませんね。解説ありがとうございます。
軍歴証明書を請求してみたら?如何ですか?昨年亡くなった親父の海軍特別年少兵の軍歴証明書は、厚生労働省から送ってくれました、親父の兄貴の軍歴証明書は、秋田県庁から、火災により
多数の軍歴証明が消失してしまいましたが、陸軍伍長本田凖二様の軍歴証明書を送ります、で第二航空通信団第二十二航空通信隊で、中部ルソン島クラク西方にて、昭和二十年五月ニ十五日に戦死、と送ってくれました😢
良い動画を作っていただいてありがとうございます。
私の伯父も拉孟で玉砕したのですが、インパール作戦が大きくて文献を見てもこの戦いの詳細・意義がイメージできず、この動画を見て初めて戦いの流れが分かりました。
唯一の男手を失った我が家が立ち直るまでに大変な時間が必要になった原点なのでうp主様に感謝いたします。
この戦いの記録は「菊と竜」という相良氏の作品に感動的に詳述されていたと思う。
なんで日本軍は敵対国に陸大なんか作ってわざわざ敵を鍛える様な事をしたんでしょうか
広西軍閥にも砲兵将校が指導して崑崙関の戦いではあまりの正確な砲撃に嬉しさ半分悲しさ半分だったとか。まあまさか戦争やるなんてなぁ…支那って国がたくさんあるし民族もたくさんいるからひとつの中国人なんて考えはないんだよ。
それを考える為には、明治期以来の脱亜入欧思想ととアジア主義・大陸思想を考えないとならない。
どうしても脱亜入欧の近代化と同時に、西欧に侵食されるアジアへの危機感と義侠心・同胞的な連帯感が明治期以来の日本では働いていたのさ。
どうしても戦後教育だとこのアジア主義は日本の大陸侵略の理論武装と考えるように仕向けるが、実際はアジアの連帯は割りと本気で考えていた人が当時にも居たわけでして。
加えて中国を「反共」の砦としたかった訳で、その為には辛亥革命後の後押しで軍の近代化に協力する為に軍官学校設立に尽力した訳でね。
なぜ今の時代にらもう陣地のエピソードなんだ?訳分からん
@@ケンイチ-g6k中国人か?どの時代なら良いんだ?知らない人が、いるから主は作って知ってもらいたいんだろ?文句があるならコメントせず大陸帰れ。
インパール作戦を実施しなければビルマを確保し続け、中国への補給を妨害し続ける事が出来たのかも、しれませんね。
ジリ貧でしたよ。
大陸打通作戦に対抗する為に、ビルマ前面兵力が割かれていたイギリス軍の実情は日本軍の百式司偵での戦略偵察で日本軍は承知していた訳で、
その機会にインパールまで侵攻しイギリス領インドの動揺を誘い、イギリスの対日戦を脱落させる意図は、戦略的には充分理に適う話でありました。
ただ実際は兵站の見通しの甘さや海軍による背信的とまでの非協力姿勢、それにイギリス側の驚異的な空輸作戦による兵力移動、更にはコヒマでのイギリス軍の驚異的な粘り強さによる日本軍の連絡線構築の失敗など、
自分はインパール作戦は「是非もなし」としか言えませんね。
動画作ってくださりありがとうございます。
味方の司令官を銃殺するなど本当に蒋介石は冷血な奴だったんですねえ
9:43出てくる名前が悉く無能で草
来た来た
従軍慰安婦が銃とり戦い戦死、片脚、片腕、の兵士も戦った、岡山出身の金光中佐だったと思う、間違えてるかも、ここで戦った将兵、従軍慰安婦の御冥福を安らかにお眠り下さい、敬礼