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李邈「私はクセが強くて処刑された人物ではないということだな」
有名なのは曹操の鶏肋鶏肋という発言から部隊の退却させようとした彼ですね
楊修かな?
@@山下龍吾 司馬懿が主役のドラマでは。楊脩、司馬懿のライバルですが。気骨のあるとこがあり、処刑シーンは、複雑な心境でした。
以前、禰衡を「妖術を使えない左慈」と評しているのを見て的を射たコメントだと思いました。
要するに、どんなに素晴らしい才能は性格によってそれを扱いにくくなるので[出る杭は打たれる]という事になるのですね。
自分的に癖が強い人物って言ったら、呉の孫策と孫権に仕えた虞翻かなって思います。呂蒙や陸遜からは孫権に「虞翻は優秀だから」と言われて何回か復帰させられたけど、虞翻はそういう事が当たり前だと思ってたのか、特にありがたいと思わず、その度に孫権に不遜な態度を取って、怒りを買っていたとか。しかも、最終的に酒の席での失態で孫権の激怒を買って周囲の弁護で命拾いして間もないときに、張昭と孫権にどストレートの皮肉を喰わせたが為に交州に左遷(虞翻自身は栄転として捉えてたみたいですが)されてしまったと聞きました。ただ、交州に左遷された後は寺で数百人の人たちに学問を教えてて、その中からかなりの数の人が出世して呉に仕えた上、虞翻も交州での生活が気に入ったのか、二度と呉には戻らなかったみたいですが。
虞翻は誰彼構わずド正論の「火の玉ストレート」を食らわせる性格だったそうな。樊城の戦いのあと呉に身柄を移された于禁が孫権の乗る馬の横に並んだところ(賓客として扱われ、孫権が許可してたわけだが)「降将の身で国主に馬首を並べるとは恥知らずめ」と相当きつめに罵声を浴びせて厳格な性格の于禁を半泣きにさせたり、関羽を裏切って呉に寝返った糜芳が、陣営の門を開けずにほったらかしていたところ「守るべき時に門を開き、開けておくべき時に門を閉ざすとは何考えてんの?馬鹿なの死ぬの?」と散々な罵倒ぶり。更には麋芳の軍船が通った際に兵士が「麋芳将軍のお通りである」とか言ったところ「忠義も全うせず任された城も守れず降伏した分際で将軍を名乗るとは何事か」と、これまた火の玉ストレート。もはや精神攻撃である。
やはりこの時代は上の人間に意見することが命がけだもんなこんな風に反抗的な態度をとったら殺される
許攸は?
張裕のヒゲ談義エピソードは髭を蓄えた張裕に対して劉備は「啄県は毛姓ばかりだった。(啄=口の比喩であり、口の周りが毛だらけだと暗に嘲った)」と語った。これは意訳すると「髭MAXワロスwww」みたいな感じ。これに対して張裕はイラっときたのか「上党郡潞県から涿県の県令に栄転した者がのちに官を去って家に帰りました。友人が彼に手紙を出すとき、彼が潞県の県令と啄県の県令をしていたので悩んだ末に宛名を『潞涿県令殿』と記しました(潞=露のことで「露わになる の比喩」啄=口の比喩であり口の周りが露わになっているという意味)」と劉備に話した。これは髭が薄かった劉備に対して「髭なしwwww」といった感じのニュアンスまあ、つい感情的になってしまったのだろうが、こんなことを「根に持つ性格の劉備」に対して言っちゃったもんだから後々になって響いたんでしょう。
孔融もクセ強くて処刑されたような
貶める、、読み方は「おとしめる」です。
全部 権力持つと人が変わる人間ばかりやな
そんなもんよ。
甄夫人シンフジンやろキフジンちゃうで
これはさすがに間違っちゃダメなレベルですよね当代屈指の美女だし、無双シリーズにも登場している
楊修は?
中国の歴史書には、討ち取った敵将の肉で羹(煮込み料理)を作り、その敵将の父親に送ったなんて怖い話がある。あと、敵国の王族の墓を暴いて、埋葬者を屍姦したなんてのもあります。怖いですね。
分かるけど、えっ!?それでって現在では思うだろうね
禰衡かぁ~あっ分かる〜😂
禰衡が黄祖に粛清されたとき、曹操は「変人らしい最期だ」と笑ったそうな・・・
@@フレッチャー-g2q曹操は、それを狙って劉表に送りつけたでしょうね。たらい回しにすれば、いずれ、短絡・短気な者に斬られる。自らの手を穢す必要もない。と。
江頭やレイザーラモンがその時代に居たら即処刑だろうな?
島田紳助何て呂布並に裏切りそう何だよなぁ
初めて知りました。
朱元璋の時代や南北朝時代や五胡十六国時代より癖強くないんよな。。三国時代。。宇宙大将軍を超える人がいないのは草なんよな。
歴史書には三国志と手記されてる観たいですが 歴史的、真実は・・二国志!!
李邈「私はクセが強くて処刑された人物ではないということだな」
有名なのは曹操の鶏肋鶏肋という発言から部隊の退却させようとした彼ですね
楊修かな?
@@山下龍吾 司馬懿が主役のドラマでは。楊脩、司馬懿のライバルですが。気骨のあるとこがあり、処刑シーンは、複雑な心境でした。
以前、禰衡を「妖術を使えない左慈」と評しているのを見て
的を射たコメントだと思いました。
要するに、どんなに素晴らしい才能は性格によってそれを扱いにくくなるので[出る杭は打たれる]という事になるのですね。
自分的に癖が強い人物って言ったら、呉の孫策と孫権に仕えた虞翻かなって思います。
呂蒙や陸遜からは孫権に「虞翻は優秀だから」と言われて何回か復帰させられたけど、虞翻はそういう事が当たり前だと思ってたのか、特にありがたいと思わず、その度に孫権に不遜な態度を取って、怒りを買っていたとか。
しかも、最終的に酒の席での失態で孫権の激怒を買って周囲の弁護で命拾いして間もないときに、張昭と孫権にどストレートの皮肉を喰わせたが為に交州に左遷(虞翻自身は栄転として捉えてたみたいですが)されてしまったと聞きました。
ただ、交州に左遷された後は寺で数百人の人たちに学問を教えてて、その中からかなりの数の人が出世して呉に仕えた上、虞翻も交州での生活が気に入ったのか、二度と呉には戻らなかったみたいですが。
虞翻は誰彼構わずド正論の「火の玉ストレート」を食らわせる性格だったそうな。
樊城の戦いのあと呉に身柄を移された于禁が孫権の乗る馬の横に並んだところ(賓客として扱われ、孫権が許可してたわけだが)
「降将の身で国主に馬首を並べるとは恥知らずめ」と相当きつめに罵声を浴びせて厳格な性格の于禁を半泣きにさせたり、
関羽を裏切って呉に寝返った糜芳が、陣営の門を開けずにほったらかしていたところ
「守るべき時に門を開き、開けておくべき時に門を閉ざすとは何考えてんの?馬鹿なの死ぬの?」と散々な罵倒ぶり。
更には麋芳の軍船が通った際に兵士が「麋芳将軍のお通りである」とか言ったところ
「忠義も全うせず任された城も守れず降伏した分際で将軍を名乗るとは何事か」と、これまた火の玉ストレート。
もはや精神攻撃である。
やはりこの時代は上の人間に意見することが命がけだもんな
こんな風に反抗的な態度をとったら殺される
許攸は?
張裕のヒゲ談義エピソードは
髭を蓄えた張裕に対して劉備は「啄県は毛姓ばかりだった。(啄=口の比喩であり、口の周りが毛だらけだと暗に嘲った)」と語った。
これは意訳すると「髭MAXワロスwww」みたいな感じ。
これに対して張裕はイラっときたのか
「上党郡潞県から涿県の県令に栄転した者がのちに官を去って家に帰りました。友人が彼に手紙を出すとき、彼が潞県の県令と啄県の県令をしていたので悩んだ末に宛名を『潞涿県令殿』と記しました(潞=露のことで「露わになる の比喩」啄=口の比喩であり
口の周りが露わになっているという意味)」と劉備に話した。
これは髭が薄かった劉備に対して「髭なしwwww」といった感じのニュアンス
まあ、つい感情的になってしまったのだろうが、こんなことを「根に持つ性格の劉備」に対して言っちゃったもんだから
後々になって響いたんでしょう。
孔融もクセ強くて処刑されたような
貶める、、読み方は「おとしめる」です。
全部 権力持つと人が変わる人間ばかりやな
そんなもんよ。
甄夫人
シンフジンやろ
キフジンちゃうで
これはさすがに間違っちゃダメなレベルですよね
当代屈指の美女だし、無双シリーズにも登場している
楊修は?
中国の歴史書には、討ち取った敵将の肉で羹(煮込み料理)を作り、その敵将の父親に送ったなんて怖い話がある。あと、敵国の王族の墓を暴いて、埋葬者を屍姦したなんてのもあります。怖いですね。
分かるけど、えっ!?それで
って現在では思うだろうね
禰衡かぁ~あっ分かる〜😂
禰衡が黄祖に粛清されたとき、曹操は「変人らしい最期だ」と笑ったそうな・・・
@@フレッチャー-g2q
曹操は、それを狙って劉表に送りつけたでしょうね。たらい回しにすれば、いずれ、短絡・短気な者に斬られる。自らの手を穢す必要もない。と。
江頭やレイザーラモンがその時代に居たら即処刑だろうな?
島田紳助何て呂布並に裏切りそう何だよなぁ
初めて知りました。
朱元璋の時代や南北朝時代や五胡十六国時代より癖強くないんよな。。三国時代。。
宇宙大将軍を超える人がいないのは草なんよな。
歴史書には三国志と手記されてる
観たいですが
歴史的、真実は・・二国志!!