Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
いつもながら分かりやすく説明頂きありがとうございました。コロナ時期は千日前もオリエンタルホテル南くらいゴーストタウン化したり、灰山付近は火災があったりと因果を感じつつ惹かれる街です。
私達の住む大阪は過去の大坂と地続きで 因縁があるのですね
詳しい解説ありがとうございます灰山付近の妙に細くて入り組んだ道路が昔からあるのに驚きました
灰山跡地、現在角に立ち呑み兵吾のある建物の居酒屋に行ったことがありますが店の奥が共有の通路になっていて昔は風俗店として裏から逃げられるようになっていたそうです。そういういわくつきな土地柄だったのかとわかりました。
千日前の江戸時代から残っている古道もいつも歩いてますが独特の雰囲気がありますね。昼間でも妙に静寂で空気が違います。
今日も勉強になりました。ありがとうございました。
穢れのあった土地は令和の現代でも独特な雰囲気を醸してますね細い路地や歪な土地はその名残で地権者が複雑で再開発もままならないのでしょうね今の大阪城ホールやOBP一帯も長らく放置され環状線から見たら独特な雰囲気でしたね大阪は歴史が日本一古いのでまだまだこの様な土地があるんでしょうね
本年最後のアップありがとうございますいつもながらの見応えある深い内容で、いつしか自分が往時の千日前付近を歩いているような錯覚を覚えました今後も楽しみにしております
高さ10メートルといえば3階建てビルの高さくらいですので、かなり巨大な灰山だったんですね。
東京の小塚原、大和田、鈴が森の3大刑場は知っていましたが大阪の千日前刑場は知りませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。
いつもありがとうございますまたまた千日前ですね✨昔住んでたので本当に懐かしいです✨ファミリーボウルがなくなりアパホテルになりましたねよく屋上のプールにも行きました今でも時々歩いております
年末のアップ、嬉しいです〜車も通らないような細い道にこそ歴史があるといことを、このチャンネルで学びました。
動画ありがとうございます。難波千日前の繁華街の中でこのような江戸時代から続く細い道があることはほとんど知らなかったですね。近くには江戸期の刑場や火災のあった千日デパートや寺や墓所もあり、独特の雰囲気のある場所ですがいろいろ再発見することもあり、興味深く視聴させていただきました。
先日、灰山の上の店で忘年会でした(^^)いやあ、千日前、奥深いですね。動画有難うございました!!
凄い調査力ですね。またBGMが何とも雰囲気を出しています。
千日墓所廃止から100年近く経った1972年5月13日、千日デパート火災が発生し120名近い死者を出しました。千日デパートは1932年築の歌舞伎座の居抜きでした。現在のビックカメラの立地(1984年築で当初はプランタンとして開業、2002年からビックカメラ)です。
千日デパートが歌舞伎座だったことをご存知とは凄いです。その正面のアムザ1000はビックカメラが歌舞伎座だった頃は芦辺劇場があった場所です。何故か昔の写真がネットには少なくて。昔を偲べて楽しかったです。鬼籍に入った祖父や父の歩いた道だと思って懐かしい気持ちでコメント拝見しました。
いつもながら素晴らしい映像処理と取材力に敬服します。千日前辺り、特にアパホテル辺りは未だに雰囲気が全く違いますね。やはり昔火葬場だった名残何でしょうか?自分はそういう雰囲気がすぐにわかる体質なのでこの辺りを歩いていると異様な雰囲気がプンプンします。霊感とかでは全くなく町の雰囲気とかで被差別部落とかが何故かすぐにわかります。
千日刑場の周りは難波新地をはじめ五花街や赤裏や髭剃等の岡場所も密集してましたね。今の味園やミス大阪辺りは今でも夜中は独特な雰囲気があります。
動画後半で紹介されている狭い道路は用水路を埋めた跡だと聞いてます。先の大阪大空襲で焼け野原になった後も埋め立てられた水路の所は土台が沈むので、家が建てられずに今も残っています。東側の高津地区に行けば埋め立てられた広い水路があり、よく似た道で袋小路になっいる所があります。
戦後大阪一の商業地の土地の場所取り合戦は日本刀も持ち出され、空襲が怖くて疎開した者が終戦後に戻ったら自分の土地は無くなっていた話をよく聞かされた中で、何故あの小路が残っているのか不思議でした。物の輸送手段が、人→牛馬や小舟→車と移った様に、動画の主様が言われる畦道→水路(馬車が通る為には狭いので用途変更)→土地が軟弱なので占有されずに小路として現在も残ったのかも、、、
あのあたり、いつ行っても昨日まで立ち入り禁止が解除されて通行自由になったっていう感じのムードでしたね。子供のころ家族で映画に行ったとき千日前の賑わいの中で千日デパートの焼け跡を初めて見てショックを受けたのを今でも覚えてます。なんで放置してるのかな?って。大阪には子供のころは息を止めて通行したいようなエリアが何ケ所もあって、大体は歩行者用のトンネルや高架下にたむろする乞食がいるところでしたけど、このあたりもそうだった。あのあたりが千日墓地があったことを知らない子供のころ自転車で通るときに、ダメなところに来てるって考えてましたね。お化け屋敷的なワクワク。京橋の商店街も少し前は蒲生墓地から野江のあたりまでもココと似たようなムードでしたね。刑場跡からの繁華街形成のなごりなのかな?まあ平和なところなんですけど、そう思わない人ばかりで形成してるんでしょうかね。
最近この辺でランチ巡りをしておりまして、いや~奥深いですね。新旧合わさるこの辺ですが、まだ100年程なんですね。今年も楽しませて貰いました😄。来年も楽しみにしております。
人が嫌がることにはビジネスチャンスがあるのを地でいった感じがしました。どういう人物だったか興味深い、最後はやはり悲惨だった😢。香川や岡山に船で運ばれた灰がどうなったかもう確かめる術はないでしょうね😅。
昔、地域にもよりますが獣や人の骨灰は染色の副原料として使われていたこともあったそうです。故に染色業を生業とする人々は賤視される場合もあったそうです。藍の産地だったところは差別はなかったそうですが。
僕は大阪市民ですが大阪は裏に入ると不気味というか変な道多いですね大昔からのモノですかね🤔
NGKの裏側は大阪にしては道路の形が変だなぁと思う箇所が何箇所もあるのはこういった理由だったんですね。
とても詳しく調べられて面白かったです。街中の不自然な細い道に限って昔からある道だとよく分かりました。新しく道を通すなら北海道みたいに直線道路にした方が効率がいいですからね。
春一番が吹けば宗右衛門町の繁華街まで灰が飛んできて気持ち悪いこと、という話を落語か小話で聞いたような。こういう事実があったんですね。
丁寧な撮影と解説で大変わかりやすく感動しました。この辺りは、今でもなんとなく商売がうまくいかないのは何か因縁があるのでしょうかね?
このチャンネルをまとめて教材にすれば、歴史を【物語(国語)】でなく地続きの【社会史】だと…そして、時の【忌み地】も【優良地】になる事を…【変わらない価値】と【変わる価値】がある事を知る事が出来ると思う…
勉強になりましたありがとうございます
尾張藩の御畳奉行、朝日文左衛門も藩の公務で大阪出張の折、灰山見物をしたと鸚鵡籠中記に書き残していますね。
11:42 この動画で一番怖いシーン😮
昔この側にばあちゃんが住んでいて日曜に家族で会いに行ってたけど、私だけこの辺りに来るのがホラー映画級に怖かった。来た日の晩必ずうなされた。沢山の骸骨に追いかけられて、最後は一緒くたに潰された。そんな夢ばかり6歳から12歳までずっとみた。今やっと謎が解けた…😱 大人になったら大丈夫になり今は毎日歩いてます。
灰山よりさらに南側はどのような土地だったのでしょうか。明治以降の地名でいうと河原町2丁目界隈になるようですが、江戸時代の文献が少なくてご教授いただけますと幸いです。
ビッグカメラの近くとかは流石に気持ち悪いけど言われないと分からないね。しかし灰山でも使うというがなかなか度胸あるねえ
なんばと堺筋のあいだの場所江戸時代からのつながりが、ある場所梅田や、新大阪よりも、なんばのほうが格上だったみたいですね
うちの息子も、そこを通った。昨日
73年の千日デパート火災 沢山の方亡くなりましたが、刑場に隣接とは?とってもDEEPな場所!
はじめまして。塩田スガという老婆が2百数十年積もった灰山を買い撤去をされたと思っていたのですが実際は横井勘一さんが実行されたんですね。スッキリしました。
いつもながら分かりやすく説明頂きありがとうございました。コロナ時期は千日前もオリエンタルホテル南くらいゴーストタウン化したり、灰山付近は火災があったりと因果を感じつつ惹かれる街です。
私達の住む大阪は過去の大坂と
地続きで 因縁があるのですね
詳しい解説ありがとうございます
灰山付近の妙に細くて入り組んだ道路が
昔からあるのに驚きました
灰山跡地、現在角に立ち呑み兵吾のある建物の居酒屋に行ったことがありますが店の奥が共有の通路になっていて昔は風俗店として裏から逃げられるようになっていたそうです。そういういわくつきな土地柄だったのかとわかりました。
千日前の江戸時代から残っている古道もいつも歩いてますが独特の雰囲気がありますね。昼間でも妙に静寂で空気が違います。
今日も勉強になりました。
ありがとうございました。
穢れのあった土地は令和の現代でも独特な雰囲気を醸してますね
細い路地や歪な土地はその名残で地権者が複雑で再開発もままならないのでしょうね
今の大阪城ホールやOBP一帯も長らく放置され環状線から見たら独特な雰囲気でしたね
大阪は歴史が日本一古いのでまだまだこの様な土地があるんでしょうね
本年最後のアップありがとうございます
いつもながらの見応えある深い内容で、いつしか自分が往時の千日前付近を歩いているような錯覚を覚えました
今後も楽しみにしております
高さ10メートルといえば3階建てビルの高さくらいですので、かなり巨大な灰山だったんですね。
東京の小塚原、大和田、鈴が森の3大刑場は知っていましたが大阪の千日前刑場は知りませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。
いつもありがとうございます
またまた千日前ですね✨
昔住んでたので本当に懐かしいです✨
ファミリーボウルがなくなりアパホテルになりましたね
よく屋上のプールにも行きました
今でも時々歩いております
年末のアップ、嬉しいです〜
車も通らないような細い道にこそ歴史があるといことを、このチャンネルで学びました。
動画ありがとうございます。
難波千日前の繁華街の中でこのような江戸時代から続く細い道があることはほとんど知らなかったですね。
近くには江戸期の刑場や火災のあった千日デパートや寺や墓所もあり、独特の雰囲気のある場所ですが
いろいろ再発見することもあり、興味深く視聴させていただきました。
先日、灰山の上の店で忘年会でした(^^)いやあ、千日前、奥深いですね。動画有難うございました!!
凄い調査力ですね。またBGMが何とも雰囲気を出しています。
千日墓所廃止から100年近く経った1972年5月13日、千日デパート火災が発生し120名近い死者を出しました。
千日デパートは1932年築の歌舞伎座の居抜きでした。
現在のビックカメラの立地(1984年築で当初はプランタンとして開業、2002年からビックカメラ)です。
千日デパートが歌舞伎座だったことをご存知とは凄いです。その正面のアムザ1000はビックカメラが歌舞伎座だった頃は芦辺劇場があった場所です。何故か昔の写真がネットには少なくて。昔を偲べて楽しかったです。鬼籍に入った祖父や父の歩いた道だと思って懐かしい気持ちでコメント拝見しました。
いつもながら素晴らしい映像処理と取材力に敬服します。
千日前辺り、特にアパホテル辺りは未だに雰囲気が全く違いますね。
やはり昔火葬場だった名残何でしょうか?
自分はそういう雰囲気がすぐにわかる体質なのでこの辺りを歩いていると異様な雰囲気がプンプンします。
霊感とかでは全くなく町の雰囲気とかで被差別部落とかが何故かすぐにわかります。
千日刑場の周りは難波新地をはじめ五花街や赤裏や髭剃等の岡場所も密集してましたね。今の味園やミス大阪辺りは今でも夜中は独特な雰囲気があります。
動画後半で紹介されている狭い道路は用水路を埋めた跡だと聞いてます。
先の大阪大空襲で焼け野原になった後も埋め立てられた水路の所は土台が沈むので、家が建てられずに今も残っています。東側の高津地区に行けば埋め立てられた広い水路があり、よく似た道で袋小路になっいる所があります。
戦後大阪一の商業地の土地の場所取り合戦は日本刀も持ち出され、空襲が怖くて疎開した者が終戦後に戻ったら自分の土地は無くなっていた話をよく聞かされた中で、何故あの小路が残っているのか不思議でした。
物の輸送手段が、人→牛馬や小舟→車と移った様に、動画の主様が言われる畦道→水路(馬車が通る為には狭いので用途変更)→土地が軟弱なので占有されずに小路として現在も残ったのかも、、、
あのあたり、いつ行っても昨日まで立ち入り禁止が解除されて通行自由になったっていう感じのムードでしたね。
子供のころ家族で映画に行ったとき千日前の賑わいの中で千日デパートの焼け跡を初めて見てショックを受けたのを今でも覚えてます。なんで放置してるのかな?って。
大阪には子供のころは息を止めて通行したいようなエリアが何ケ所もあって、大体は歩行者用のトンネルや高架下にたむろする乞食がいるところでしたけど、このあたりもそうだった。
あのあたりが千日墓地があったことを知らない子供のころ自転車で通るときに、ダメなところに来てるって考えてましたね。お化け屋敷的なワクワク。京橋の商店街も少し前は蒲生墓地から野江のあたりまでもココと似たようなムードでしたね。刑場跡からの繁華街形成のなごりなのかな?まあ平和なところなんですけど、そう思わない人ばかりで形成してるんでしょうかね。
最近この辺でランチ巡りをしておりまして、
いや~奥深いですね。
新旧合わさるこの辺ですが、まだ100年程なんですね。
今年も楽しませて貰いました😄。
来年も楽しみにしております。
人が嫌がることにはビジネスチャンスがあるのを地でいった感じがしました。
どういう人物だったか興味深い、最後はやはり悲惨だった😢。
香川や岡山に船で運ばれた灰がどうなったかもう確かめる術はないでしょうね😅。
昔、地域にもよりますが獣や人の骨灰は染色の副原料として使われていたこともあったそうです。故に染色業を生業とする人々は賤視される場合もあったそうです。藍の産地だったところは差別はなかったそうですが。
僕は大阪市民ですが大阪は裏に入ると不気味というか変な道多いですね
大昔からのモノですかね🤔
NGKの裏側は大阪にしては道路の形が変だなぁと思う箇所が何箇所もあるのはこういった理由だったんですね。
とても詳しく調べられて面白かったです。街中の不自然な細い道に限って昔からある道だとよく分かりました。新しく道を通すなら北海道みたいに直線道路にした方が効率がいいですからね。
春一番が吹けば宗右衛門町の繁華街まで灰が飛んできて気持ち悪いこと、という話を落語か小話で聞いたような。こういう事実があったんですね。
丁寧な撮影と解説で大変わかりやすく感動しました。この辺りは、今でもなんとなく商売がうまくいかないのは何か因縁があるのでしょうかね?
このチャンネルをまとめて教材にすれば、歴史を【物語(国語)】でなく地続きの【社会史】だと…
そして、時の【忌み地】も【優良地】になる事を…
【変わらない価値】と
【変わる価値】がある事を知る事が出来ると思う…
勉強になりましたありがとうございます
尾張藩の御畳奉行、朝日文左衛門も藩の公務で大阪出張の折、灰山見物をしたと鸚鵡籠中記に書き残していますね。
11:42 この動画で一番怖いシーン😮
昔この側にばあちゃんが住んでいて日曜に家族で会いに行ってたけど、私だけこの辺りに来るのがホラー映画級に怖かった。来た日の晩必ずうなされた。沢山の骸骨に追いかけられて、最後は一緒くたに潰された。そんな夢ばかり6歳から12歳までずっとみた。今やっと謎が解けた…😱
大人になったら大丈夫になり今は毎日歩いてます。
灰山よりさらに南側はどのような土地だったのでしょうか。明治以降の地名でいうと河原町2丁目界隈になるようですが、江戸時代の文献が少なくてご教授いただけますと幸いです。
ビッグカメラの近くとかは流石に気持ち悪いけど言われないと分からないね。
しかし灰山でも使うというがなかなか度胸あるねえ
なんばと堺筋のあいだの場所
江戸時代からのつながりが、ある場所
梅田や、新大阪よりも、なんばのほうが格上だったみたいですね
うちの息子も、そこを通った。昨日
73年の千日デパート火災 沢山の方亡くなりましたが、刑場に隣接とは?とってもDEEPな場所!
はじめまして。
塩田スガという老婆が2百数十年積もった灰山を買い撤去をされたと思っていたのですが実際は横井勘一さんが実行されたんですね。スッキリしました。