伊勢神道研究家が明かす!伊勢神宮と度会氏の秘密

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  • Опубликовано: 20 дек 2024

Комментарии •

  • @mani-x2e6o
    @mani-x2e6o Месяц назад +3

    明治から天照大神に統一したと言うのに、何故、江戸時代に御伊勢参りが盛んだったのかとずっと疑問でしが、外宮に御参りしていたのですね!納得です、腑に落ちました✨

  • @ウメザキユキコ
    @ウメザキユキコ Месяц назад +2

    感謝申し上げます。

  • @タラオフグタ-z1p
    @タラオフグタ-z1p Месяц назад +4

    伊勢参りと柄杓の関係、初めて知りました。めちゃくちゃ勉強になります。

  • @kenichiyamaguchi6761
    @kenichiyamaguchi6761 Месяц назад +7

    伊勢、最大四一名の日巫女が暮らしていた土地ですね、女性長がサルメノミコト(アメノウズメ)
    男性長がサルタヒコ、御告げに従い皆が幸せに暮らしていた土地のようです。
    近年訪れる人々が神聖な気を感じるのはこの地が聖なる力を醸し出しているから。

  • @tokoko-dp4li
    @tokoko-dp4li Месяц назад +6

    実家が遠州なのですが、名字を調べて行くと度会氏系で、遠州には伊勢神宮の神領地(荘園)の御厨だった鎌田神明宮があったり、伊勢神宮へ神衣を納める神事を担ってきた初生衣神社(社家がこの間まで神服部さんだった)があったりして、古くからこの辺りまで伊勢から来た民が広がっていたのだな、と思いました。
    度会氏系図の天波与命が誰なのかなと思って調べたら、服部氏の系図にある加理波夜須多祁比波預命(賀茂県主祖三島溝橛耳神長子)じゃないかと思いました。
    度会氏という名前は、下照姫が味鋤高彦根について歌った「夷振り」を思わせます。味鋤高彦根は神度剣を抜いて喪屋を切り倒した。「夷振り」は夷(エビス)とフルリ人の融合ということかも。味鋤高彦根の歌は、エジプトの「アケト」を思わせます。二つの種族が融合して生まれたのが天村雲命という王子。渡来人と融合していった出雲族が度会氏で、融合できなかった出雲族(出雲タケル)は、天竜川を昇って諏訪に行ったとか。
    ホツマツタヱを読んでいると、渡来人がやってきて、出雲族の聖地、伊勢に一大宗教センターを造ったのが解ります。東に伊勢、西にバチカン。天照がキリストに見えてきます。ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿の「天国」という絵は、天照と瀬織津姫、100人の物部(モノべ)を思わせます。
    常世は伊勢だったという話があります。国之常立神や天之常立神の「常(=底?)」は、フェニキア人を指しているのではないのかな?と思ったりします。
    渥美半島の伊良子岬からフェリーに乗って伊勢に行くと、神島の横を通り、答志島と管島がゲートのようになっていて、地形を利用した海の民の鉄壁の守りを感じました。

    • @_lbics_
      @_lbics_ Месяц назад

      横から失礼致します。
      実家が遠州とは
      現在の静岡県西部に位置する地域を指しているのでしょうか?遠州と度会がどう繋がっているのか?さらに詳しく知りたいです!よろしくお願いします!

    • @tokoko-dp4li
      @tokoko-dp4li Месяц назад +1

      @@_lbics_ 遠州は遠江とも言われていて、琵琶湖に対して、遠い近江(淡海)という意味です。静岡市手前の浜名湖周辺を指します。
      度会氏は、伊勢の衣食住を担っていて、磐田市には伊勢神宮の荘園で、伊勢神宮のための田んぼがありました。
      三ケ日にある初衣生神社のおんぞ祭りでは、全国の織物メーカーさんが参加し、伊勢に奉納する絹織物を持って大田田根子も祀られる濱名惣社神明宮まで歩き、奥三河にも廻っていくそうです。
      大嘗祭で、麁服の三木家は有名になりましたが、絹織物のに繒服は三河の糸ということで、三河といっても遠州も含むようで、今は技術が廃れて、新潟で作られた物を納めているようです。
      浜松から出た車メーカー、トヨタ、ヤマハ、スズキなど、元は織機を作っていました。
      実家の名字が伊勢の地名の一つで、遠州地方の袋井市に多く、あとは、新潟、岩手と多く、田んぼや絹織物を広めた度会氏のようです。平安時代に広まったのか、もっと前なのかは分かりません。濱名惣社神明宮口碑によると垂仁天皇の時代とされていて、あと、古墳も多い。
      静岡のシズは、倭文部のシズ。菟原処女の伝説を見ると、倭文を織る菟原処女と茅渟男の関係が見えてくるかも?
      遠州には物部忌部の痕跡(天白岩倉遺跡や阿波々神社)もあったりして、こちらも同じ時期なのか、別の時代なのか?と悩みます。

    • @hiroshih7525
      @hiroshih7525 Месяц назад +1

      ​@@tokoko-dp4li
      神服部氏は服部氏の一つ、
      その元は秦氏だと聞いたことがあります。
      服部氏は
      伊勢においては伊勢の神宮の1つ
      神服部機殿神社、神麻続機殿神社との関わりもあり、
      服部半蔵と言えば伊勢のある三重の伊賀の出身だと歴史は伝えています。
      服部半蔵が使えた主君徳川家康は葵の御紋。
      葵を神紋とするのは京都山城の一宮 上賀茂神社の賀茂氏。
      賀茂建角身命は味鋤高彦根と同一神とされていて、
      どちらも先祖をたどれば大国主の子孫。
      太田田根子もまた大物主の子孫と伝えられ、
      こちらも大国主の子孫の子孫になります。
      時代を経てなお神話から続くの子孫たちが時代時代の節目に名を連ねるのは
      歴史の偶然か必然か、面白くもあり不思議でなことですね。

  • @kouchannetwork
    @kouchannetwork Месяц назад +1

    伊の国の阿波忌部の足跡が、伊勢、伊良湖、伊豆、伊東