キハ58系急行『はしだて』

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 1991(平成3)年3月5日、敦賀にて撮影。福井発(福井~敦賀間普通列車)天橋立行急行『はしだて』の発車シーンです。
    #国鉄型車両

Комментарии • 10

  • @Sora-gy2qr
    @Sora-gy2qr Год назад +1

    特急はしだての前身かと思いきや今とはまた違うルートで運行されてたんですね。
    国鉄の多様な形式で採用されたこのデザインかっこいいですよね!

    • @rhscm989
      @rhscm989 Год назад +1

      本をただせば急行「大社」の福井~天橋立間編成がそのルーツで、1982年11月15日に初代「はしだて」として再起し、前身の「大社」時代に上り列車では通過していた上中・若狭本郷の2駅(下り列車では停車していた)にも停車するようになって、ここに2駅ともすべての急行が停車するようになりました。したがって現在の名称は2代目であるため、1992年3月13日限りで一度廃止された名称を1996年3月16日の園部~綾部間電化の際に登場した電車特急に与えることで4年ぶりに復活させています。

    • @Sora-gy2qr
      @Sora-gy2qr Год назад

      説明ありがとうございます。
      そういった経緯があったのですね!

  • @user-vv4hs3qh3n
    @user-vv4hs3qh3n Год назад +1

    天橋立が終着駅なのは同じだが現在の特急はしだてとは違う日本海に沿うルートであったんですね。

  • @T04DG12
    @T04DG12 Год назад +1

    このはしだては、結構貴重なものでしょう。

    • @rhscm989
      @rhscm989 Год назад

      1986年11月改正では復路(下り列車)がそれまでの福井行きから敦賀止まりに見直されました。
      さらに1992年3月改正以降は小浜以西が普通列車に格下げされ、小浜以東では既存の普通932Dとスジを結合して3連化(敦賀発の上りは小浜で分割して前1両のみがそのままワンマン列車となって天橋立まで直通、折り返して下り敦賀行きは1両で先に西舞鶴入りした後、後部に福フチ所属のキハ28・58形2連をドッキングして敦賀へ再び戻る)され、最終的にこれが1996年3月改正で東舞鶴止まりに見直されるまで続きました。

  • @user-bq9xp9ws5o
    @user-bq9xp9ws5o Год назад

    白煙がすご~い!

  • @otori527
    @otori527 Год назад +2

    今の特急はしだてとはイメージが全然違う。これは知らなかったです。

    • @8mm576
      @8mm576  Год назад +1

      はしだての愛称で走っていたのは1982~1992の間だけで(それ以前は急行『大社』)1992には廃止されてしまったので、なじみがないのも仕方ありませんよね。

    • @rhscm989
      @rhscm989 Год назад

      @@8mm576
      名称変更当初は東舞鶴を急行「わかさ」1号として朝一番に出発し一路福井へと向かい、折り返し急行「大社」改め初代「はしだて」として天橋立まで1往復した後、最終的にその日の夕方に急行「わかさ」4号として21時過ぎに再び東舞鶴へ戻ってくるのが基本でした。これが金ツル車ではなく急行「丹後」「丹波」と共通運用で福フチ車だったら様々な運用が色々見られて面白みがあったかも(要するに京都発東舞鶴行き最終普通列車の次の運用(またの名を東舞鶴での夜間滞泊明けの運用)を急行「わかさ」1号とする)。そう思っていられるのは僕だけでしょうか?