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松平定信は白河藩での倹約により餓死者を出さなかった点が評価されて老中に抜擢されたが、藩政と幕政では規模の違いも大きく、単に倹約令だけでは財政再建を乗り切れなかったと感じる。食料備蓄や七分積金、都市部からの帰農など有意義な政策も多く、特に都市部への人の流入による治安悪化に対し、長谷川平蔵の意見を入れ職業訓練所とも言うべき人足寄場を作ったことは慧眼だと思う。無宿人を集め教育し、技術をつけさせ職能とする先進的で実践的な施策だ。ここで作った物は風評被害があることを鑑み、幕府に買い上げさせている点も素晴らしい。彼が実質的な鎖国を始めることになった経緯も、おもしろい。ただ彼の政策はあくまで農業中心の策であり、既に商品経済が浸透しているこの時代にはなじまず、大きな成果は生めなかった。緊縮財政は不景気を生じさせ、出版統制や華美の禁止は当時の粋でおしゃれな江戸っ子にはケチ臭く映り、田沼時代への憧憬まで引き起こしてしまったのは皮肉だ。
武士道さんいつもお世話になっておりますありがとうございます🎵かんせいのかいかくしってたんですけどわかりやすくおしえてくださりありがとうございます
そもそも、天保の改革の際に「享保、寛政に倣う」と言ってることから判るとおり当時の認識では成功した改革なんですよね。近代化させれてないから江戸時代の政治家たちは無能なんて極論言うひとがいますが、そもそも江戸時代の政治家達は武家政権の維持を目的としていたのであって近代化はめざしてないんですよね。というか、近代化=民衆が経済・政治的に力をもつなんだからむしろ敵。日本が近代化するには幕府が潰れるのが最低条件なんだから、それを避ける側の幕府にそれを求められてもという話で
地方から東京にどんどん上京して、人口が東京に集まりすぎてしまい、地方に人がいなくなってしまうという問題は現代でも大きな問題です・・・
23:02から不意打ちすぎてワロタ😂
松平定信は田沼意次の真逆をやったのかと思っていたら、そうじゃなかったのは意外でした。田沼意次の政策が再評価されるとともに寛政の改革も再評価されると良いですね。しかし、定信時代、幕府の財力が乏しく、農業奨励貯蓄推進だけではダメで、幕府が産業を起こす工夫ができなかった所が、失敗の元だったと思います。定信の政策は理にかなってはいるけれど、ストイックすぎて、人の心を掴む事ができなかったんでしょうね。将軍は天皇からの預かりっていう考えは、麒麟が来るで、信長も言ってた事ですね。
白河の水の清きに耐えかねて、元の濁りの田沼恋しき庶民の落書とか川柳のセンスは素晴らしい。先人達の知的レベルの高さに感謝です。
徳川吉宗 紀州徳川家三男ー>紀州徳川家当主ー>徳川宗家8代将軍、松平定信 御三卿田安家九男ー>白河松平家当主ー>幕府老中筆頭。地方領主として藩政改革成功ー>幕府で緊縮財政ー>賛否両論
経済政策においつは、ノウハウのある商人等を登用とありましたたが、明治新政府においても、大久利通が、経済には不慣れなため、渋沢栄一を頼ったことがありました明治初期までは、まだまだ、幕府/政府には、経済に精通した人材は、少なかったとうことでしょうか
日本では、未だにノーベル経済学賞授賞者は皆無です😢
やっぱり徳政令カードが…
棄捐令で景気が悪くなったといわれがちだが実際にはむしろ景気アップにつながった政策だったらしいですけどね。天保の無利子年賦返済令の際の当時の勘定奉行の発言に「延享3年から寛政9年までは52ヵ年、寛政9年から今年までは47ヵ年になります。およそ50年に一度、借金を破棄する措置を実施しないと、かえって世上の金銀が流通しない原因となってしまうと存じます」というのがあったりする。現代の銀行みたいな預けた金を流通させるシステムがない時代、金蔵に金をため込まれると、ただでさえ貨幣不足が起こりがちな時代だってのにますます貨幣流通が滞るんだわ。
識字率は高いのに経済は中途半端な不思議な時代…
@@kyokutousega まあ、人口の半分が武士な江戸と違って田舎の地方の場合は明治初期でも女性の識字率は一桁とかで、国全体でみるとやっぱり西洋に負けるので……
松平定信は白河藩での倹約により餓死者を出さなかった点が評価されて老中に抜擢されたが、藩政と幕政では規模の違いも大きく、単に倹約令だけでは財政再建を乗り切れなかったと感じる。食料備蓄や七分積金、都市部からの帰農など有意義な政策も多く、特に都市部への人の流入による治安悪化に対し、長谷川平蔵の意見を入れ職業訓練所とも言うべき人足寄場を作ったことは慧眼だと思う。無宿人を集め教育し、技術をつけさせ職能とする先進的で実践的な施策だ。ここで作った物は風評被害があることを鑑み、幕府に買い上げさせている点も素晴らしい。彼が実質的な鎖国を始めることになった経緯も、おもしろい。ただ彼の政策はあくまで農業中心の策であり、既に商品経済が浸透しているこの時代にはなじまず、大きな成果は生めなかった。緊縮財政は不景気を生じさせ、出版統制や華美の禁止は当時の粋でおしゃれな江戸っ子にはケチ臭く映り、田沼時代への憧憬まで引き起こしてしまったのは皮肉だ。
武士道さんいつもお世話になっておりますありがとうございます🎵かんせいのかいかくしってたんですけどわかりやすくおしえてくださりありがとうございます
そもそも、天保の改革の際に「享保、寛政に倣う」と言ってることから判るとおり当時の認識では成功した改革なんですよね。近代化させれてないから江戸時代の政治家たちは無能なんて極論言うひとがいますが、そもそも江戸時代の政治家達は武家政権の維持を目的としていたのであって近代化はめざしてないんですよね。
というか、近代化=民衆が経済・政治的に力をもつなんだからむしろ敵。
日本が近代化するには幕府が潰れるのが最低条件なんだから、それを避ける側の幕府にそれを求められてもという話で
地方から東京にどんどん上京して、人口が東京に集まりすぎてしまい、地方に人がいなくなってしまう
という問題は現代でも大きな問題です・・・
23:02から不意打ちすぎてワロタ😂
松平定信は田沼意次の真逆をやったのかと思っていたら、そうじゃなかったのは意外でした。田沼意次の政策が再評価されるとともに寛政の改革も再評価されると良いですね。
しかし、定信時代、幕府の財力が乏しく、農業奨励貯蓄推進だけではダメで、幕府が産業を起こす工夫ができなかった所が、失敗の元だったと思います。定信の政策は理にかなってはいるけれど、ストイックすぎて、人の心を掴む事ができなかったんでしょうね。
将軍は天皇からの預かりっていう考えは、麒麟が来るで、信長も言ってた事ですね。
白河の水の清きに耐えかねて、元の濁りの田沼恋しき
庶民の落書とか川柳のセンスは素晴らしい。先人達の知的レベルの高さに感謝です。
徳川吉宗 紀州徳川家三男ー>紀州徳川家当主ー>徳川宗家8代将軍、松平定信 御三卿田安家九男ー>白河松平家当主ー>幕府老中筆頭。地方領主として藩政改革成功ー>幕府で緊縮財政ー>賛否両論
経済政策においつは、ノウハウのある商人等を登用とありましたたが、
明治新政府においても、大久利通が、経済には不慣れなため、渋沢栄一を頼ったことがありました
明治初期までは、まだまだ、幕府/政府には、経済に精通した人材は、少なかったとうことでしょうか
日本では、未だにノーベル経済学賞授賞者は皆無です😢
やっぱり徳政令カードが…
棄捐令で景気が悪くなったといわれがちだが実際にはむしろ景気アップにつながった政策だったらしいですけどね。
天保の無利子年賦返済令の際の当時の勘定奉行の発言に「延享3年から寛政9年までは52ヵ年、寛政9年から今年までは47ヵ年になります。およそ50年に一度、借金を破棄する措置を実施しないと、かえって世上の金銀が流通しない原因となってしまうと存じます」というのがあったりする。
現代の銀行みたいな預けた金を流通させるシステムがない時代、金蔵に金をため込まれると、ただでさえ貨幣不足が起こりがちな時代だってのにますます貨幣流通が滞るんだわ。
識字率は高いのに経済は中途半端な不思議な時代…
@@kyokutousega まあ、人口の半分が武士な江戸と違って田舎の地方の場合は明治初期でも女性の識字率は一桁とかで、国全体でみるとやっぱり西洋に負けるので……