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初めて拝見して三国志から縄文弥生と拝見させていただいています!とてもわかりやすくて面白いです😊歴史は好きなのですが全く詳しくないので大人になってからわかりやすくさらに面白く勉強できる事が嬉しいです😊
オススメに出てきて拝見しました。セピアさん、昔見させて頂いてたのですが、いまこのようなことをやられていたんですね!やはり実況などの経験も生きているのかとてもお話うまく、楽しく視聴出来ました!ありがとうございます。また遊びに来ます。
最近読んでいる本とテーマが少し被っていたので、また別の情報も得られて良かったです☺️先史時代を読み解くには当時の大陸の状況も無視できないと改めて痛感したので、中国史も好き嫌いせず、まずは動画拝見します…!
今回も興味深いお話でした貯蓄が貧富の差を産んだけれども、かつての社会主義国家のように、無理やり貧富の差をなくすことだけを国民に押し付けても上手くいかないし、貯蓄備蓄を知った我々にはどうあっても縄文時代のような平和には戻れないのかもしれませんね
ありがとうございます
今回も楽しく 勉強させていただきありがとうございます😊次回 卑弥呼 楽しみです♪
素晴らしい。今後も沢山アップして欲しい。多くの人に薦めたい。
いつも動画見させていただいております、古代の日本はあまり関心がなかったのですがセピアさんの動画で楽しく覚えることができました。次回の動画も楽しみにしています。
『漢書』の倭人の説明ですが、この文章の前の文章も倭人の気質を表しているのではないかとも考えられます。全て書きますと「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫! 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」(一方、東夷は性質が柔順であり、西戎・南蛮・北狄と異なる。故に孔子は、中華では正しい道理が行われていないことを残念に思い、海を渡り九夷に行きたいと望んだ。それは理にかなっている!楽浪郡の先の海の中に倭人がいる。百余国にわかれており、 定期的に贈り物を持ってやって来る国があった、と言われている)孔子が理想国家として箕子朝鮮を定義していましたが、その理想国家のある東夷には気質の優しい人がいたとし、その例として倭人を挙げていたように思うのです。ただ、『漢書』成立時には日本は弥生時代で、貧富の差が出てきて争いが始まったであろう時期に当てはまりますので、孔子が理想としていた正しい道理のある国があったのかどうかは疑問ですが……
セピアさんピクミンの時から博識だな~と思ってたけどガチで博識だしこのチャンネル面白い!!
弥生時代の一気に見たのですが、私が習っていたものとずいぶん違いを感じるのは年齢のせいですよね…。次回の卑弥呼編が楽しみだったり…ちょいとした仮説が出てくるか出てこないのかとワクワクしております。
素晴らしい水田稲耕作。日本人の基礎中の基礎食料。有難う倭族。
弥生時代に海を渡ってきた人々が戦争を長らくやってきた人々だったから、という説を最近聞いて納得した。
元々農耕農作の上でのリーダーがのちの…と初めて知り、うわぁと驚きました。なるほど!そして人が争うきっかけもなるほどなぁと。そこから身分の違いやお墓が〜私は長崎出身で今は大阪に住んでますが人が荒々しく感じるのもそういったことが由来だったりして?と考えるとちょっと面白い半面東北のほうは皆気質は穏やかなんだろうか?とうらやましくなったり笑お友達が福岡に住んでいるので糸島のこと聞いたことがあります(島とあるけど島じゃないよって。福岡の市内の人たちがちょっと日帰り旅行みたいな感じで行くのに人気な所だそう)なので「へー!」とそれも楽しかったです😆続きはとうとう卑弥呼😊楽しみです
いつも面白い動画をありがとうございます。今回の動画を拝見しながらふと思ったのですが、日本で神道が広まったのって、縄文時代には豊かな自然の恩恵をうけていたこと、稲作が伝わってから人々をまとめるために虚構を必要としていたことを考えると、確かに起こるべくして起こった宗教観だな感じられました。また、西洋発祥の宗教における神の数が神道の八百万の神と比べて少ないのは土地や気候による豊かさの違いが大きかっただろうかと疑問が深まりました。今回もすごく知的好奇心を掻き立てられる回でした!ありがとうございます!
見ました!
とてもいいコンテンツ。よくわかりました。
デニソワ人やネアンタール人は捕獲しやすい食料になった時代に遡る
結局は人口の問題なんですよね。中国大陸や朝鮮半島で大きな政治的・軍事的な出来事があると大量の難民が九州北部や西日本に押し寄せてくることになる。豊かな森や良い狩場は既に先住民のテリトリーになっているので、必然的に後から来る住民は残された土地で開墾していくことになる。その結果、稲作や農業の発展に繋がっていく。ただ、農業も生産能力に限界はありますから、若く屈強な男達は村を出て新たな土地を開墾しに村を出ることになる。移動には危険や困難(当時は危険な野生動物だらけ)を伴うので、出産が必要や女性や老人は残り、女系リーダーが育つ事になる。若くて働き盛りの男達は魅力的なので、別の村で歓迎され婚姻。村同士の同盟のようなものが育っていくと。
米の取り合いで戦争が始まった。という学者がいますが、戦争の跡は殆ど南九州ですよね。離れると少しずつ減少します。環濠集落も九州が多い。米が問題だったら場所は関係ないはず。外来者からの防衛と考えた方が自然だと思います。
確か、分かっている限り、縄文時代から稲作が弥生以前あったことが、縄文時代後期の宮崎県の上ノ原遺跡や、縄文前期の岡山県の彦崎貝塚でプラントオパールの化石が見つかった事で否定されているはずですが…。弥生時代前には、日本では稲作が既にスタンダードです。
石器時代に人類が大陸から浸みわたってきて以降、連綿と続く流れを自然に無理のない説を選択し伝えていると思います。国家が確立し思惑が入り乱れる時代の解説がどうなるのか不安と期待が半々です。
別に小人数でも稲作できるよw いまでも道端で小さな田んぼがあったりするし、天皇陛下も小田で稲作してるしw効率が悪いだけで・・だから今でも(矢口高雄のころまでは確かに)山村部では「結」という相互助成労働力による農作業をやってた。小規模農家が労働力を融通しあって効率化を図っていた。
考古学の範囲何だ😮😮😮
古代文字は???
水田は畑に比べて人出を必要とするからな。水平にしないと水田って出来ないし
やおいじだいにW1万円があつのか?はじむてしりました。
参考になる事がたくさんありました。でも、「言葉はあったんだと思います」ではなく、「言葉はありました」と言った方が正確ではと思います。磨製石器を作る技術、黒曜石を運ぶ技術、土器を作る技術、漆を使い装飾する技術、遠洋まで魚を取りに行く技術、通常の竪穴住居で定住するだけでなく掘っ建て柱や大型竪穴住居を作る技術と祭祀を行い死者を埋葬する高い精神性、栗の木を栽培する技術。何をとっても高度な縄文文明がありました。「文字がないと歴史がない」は日本の場合は当てはまらないと思います。平和で高度な文明が一万年以上も続いた世界でも稀な日本文明。言葉がないと生まれない。訓読みの和語がそれです。
水でケンカになるよね。我田引水
ちょっと諸説ある話まで、まるで決まってるかのように話しているのが残念。そもそも人間はそんなに単純じゃない。いろんな思慮、思惑がある。食べ物の取り合いばかりじゃなく宗教や女性関係や家族の有り方なども争いの火種となる。例えば村は人口が力なので「産めよ増やせよ」という社会。当然、次男、三男たち家を継げない者は領土を増やすために広がるしかなく、他の村と衝突することになる。そんな事情もあるのに「向こうの村に食べ物あるらしいぞ、戦争して奪おう。」なんて単純な話では、まるで弥生人が動物みたいだ。食糧の安定による人口増加、土地の取り合いなどは争いの重要なポイントだと思う。さらに敵対する村の男女が恋仲となり、駆け落ちしたことを親や親族が激怒して…なんてドラマだって充分考えられる(笑)
言っとくが中国では、キングダムやってた時代だぞ。渡来人から学んだら千人規模の軍団になれるぞ。
凄いな~公平に言って様に話してるけど、随分偏ってるね~俺が偏ってるから???憲法9条のも見たけど、偏ってるな~て感じたよどっちに偏ってるかは、それぞれの主観に任せると書いておこう~
人間なんてうまれないほうがよかったのかも
初めて拝見して三国志から縄文弥生と拝見させていただいています!とてもわかりやすくて面白いです😊歴史は好きなのですが全く詳しくないので大人になってからわかりやすくさらに面白く勉強できる事が嬉しいです😊
オススメに出てきて拝見しました。セピアさん、昔見させて頂いてたのですが、いまこのようなことをやられていたんですね!やはり実況などの経験も生きているのかとてもお話うまく、楽しく視聴出来ました!ありがとうございます。また遊びに来ます。
最近読んでいる本とテーマが少し被っていたので、また別の情報も得られて良かったです☺️先史時代を読み解くには当時の大陸の状況も無視できないと改めて痛感したので、中国史も好き嫌いせず、まずは動画拝見します…!
今回も興味深いお話でした
貯蓄が貧富の差を産んだけれども、かつての社会主義国家のように、無理やり貧富の差をなくすことだけを国民に押し付けても上手くいかないし、貯蓄備蓄を知った我々にはどうあっても縄文時代のような平和には戻れないのかもしれませんね
ありがとうございます
今回も楽しく 勉強させていただき
ありがとうございます😊
次回 卑弥呼 楽しみです♪
素晴らしい。今後も沢山アップして欲しい。多くの人に薦めたい。
いつも動画見させていただいております、古代の日本はあまり関心がなかったのですがセピアさんの動画で楽しく覚えることができました。
次回の動画も楽しみにしています。
『漢書』の倭人の説明ですが、この文章の前の文章も倭人の気質を表しているのではないかとも考えられます。
全て書きますと
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫! 樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」
(一方、東夷は性質が柔順であり、西戎・南蛮・北狄と異なる。故に孔子は、中華では正しい道理が行われていないことを残念に思い、海を渡り九夷に行きたいと望んだ。それは理にかなっている!楽浪郡の先の海の中に倭人がいる。百余国にわかれており、 定期的に贈り物を持ってやって来る国があった、と言われている)
孔子が理想国家として箕子朝鮮を定義していましたが、その理想国家のある東夷には気質の優しい人がいたとし、その例として倭人を挙げていたように思うのです。
ただ、『漢書』成立時には日本は弥生時代で、貧富の差が出てきて争いが始まったであろう時期に当てはまりますので、孔子が理想としていた正しい道理のある国があったのかどうかは疑問ですが……
セピアさんピクミンの時から博識だな~と思ってたけど
ガチで博識だしこのチャンネル面白い!!
弥生時代の一気に見たのですが、私が習っていたものとずいぶん違いを感じるのは年齢のせいですよね…。
次回の卑弥呼編が楽しみだったり…
ちょいとした仮説が出てくるか出てこないのかとワクワクしております。
素晴らしい水田稲耕作。日本人の基礎中の基礎食料。有難う倭族。
弥生時代に海を渡ってきた人々が戦争を長らくやってきた人々だったから、という説を最近聞いて納得した。
元々農耕農作の上でのリーダーがのちの…と初めて知り、うわぁと驚きました。なるほど!そして人が争うきっかけもなるほどなぁと。そこから身分の違いやお墓が〜
私は長崎出身で今は大阪に住んでますが人が荒々しく感じるのもそういったことが由来だったりして?と考えるとちょっと面白い半面東北のほうは皆気質は穏やかなんだろうか?とうらやましくなったり笑
お友達が福岡に住んでいるので糸島のこと聞いたことがあります(島とあるけど島じゃないよって。福岡の市内の人たちがちょっと日帰り旅行みたいな感じで行くのに人気な所だそう)なので「へー!」とそれも楽しかったです😆
続きはとうとう卑弥呼😊楽しみです
いつも面白い動画をありがとうございます。
今回の動画を拝見しながらふと思ったのですが、日本で神道が広まったのって、縄文時代には豊かな自然の恩恵をうけていたこと、稲作が伝わってから人々をまとめるために虚構を必要としていたことを考えると、確かに起こるべくして起こった宗教観だな感じられました。
また、西洋発祥の宗教における神の数が神道の八百万の神と比べて少ないのは土地や気候による豊かさの違いが大きかっただろうかと疑問が深まりました。
今回もすごく知的好奇心を掻き立てられる回でした!ありがとうございます!
見ました!
とてもいいコンテンツ。よくわかりました。
デニソワ人やネアンタール人は捕獲しやすい食料になった時代に遡る
結局は人口の問題なんですよね。中国大陸や朝鮮半島で大きな政治的・軍事的な出来事があると大量の難民が九州北部や西日本に押し寄せてくることになる。
豊かな森や良い狩場は既に先住民のテリトリーになっているので、必然的に後から来る住民は残された土地で開墾していくことになる。その結果、稲作や農業の発展に繋がっていく。
ただ、農業も生産能力に限界はありますから、若く屈強な男達は村を出て新たな土地を開墾しに村を出ることになる。移動には危険や困難(当時は危険な野生動物だらけ)を伴うので、出産が必要や女性や老人は残り、女系リーダーが育つ事になる。若くて働き盛りの男達は魅力的なので、別の村で歓迎され婚姻。村同士の同盟のようなものが育っていくと。
米の取り合いで戦争が始まった。という学者がいますが、戦争の跡は殆ど南九州ですよね。離れると少しずつ減少します。環濠集落も九州が多い。米が問題だったら場所は関係ないはず。外来者からの防衛と考えた方が自然だと思います。
確か、分かっている限り、縄文時代から稲作が弥生以前あったことが、縄文時代後期の宮崎県の上ノ原遺跡や、縄文前期の岡山県の彦崎貝塚でプラントオパールの化石が見つかった事で否定されているはずですが…。
弥生時代前には、日本では稲作が既にスタンダードです。
石器時代に人類が大陸から浸みわたってきて以降、連綿と続く流れを自然に無理のない説を選択し伝えていると思います。
国家が確立し思惑が入り乱れる時代の解説がどうなるのか不安と期待が半々です。
別に小人数でも稲作できるよw いまでも道端で小さな田んぼがあったりするし、天皇陛下も小田で稲作してるしw
効率が悪いだけで・・だから今でも(矢口高雄のころまでは確かに)山村部では「結」という相互助成労働力による農作業をやってた。小規模農家が労働力を融通しあって効率化を図っていた。
考古学の範囲何だ😮😮😮
古代文字は???
水田は畑に比べて人出を必要とするからな。
水平にしないと水田って出来ないし
やおいじだいにW1万円があつのか?はじむてしりました。
参考になる事がたくさんありました。
でも、「言葉はあったんだと思います」ではなく、「言葉はありました」と言った方が正確ではと思います。磨製石器を作る技術、黒曜石を運ぶ技術、土器を作る技術、漆を使い装飾する技術、遠洋まで魚を取りに行く技術、通常の竪穴住居で定住するだけでなく掘っ建て柱や大型竪穴住居を作る技術と祭祀を行い死者を埋葬する高い精神性、栗の木を栽培する技術。何をとっても高度な縄文文明がありました。「文字がないと歴史がない」は日本の場合は当てはまらないと思います。平和で高度な文明が一万年以上も続いた世界でも稀な日本文明。言葉がないと生まれない。訓読みの和語がそれです。
水でケンカになるよね。我田引水
ちょっと諸説ある話まで、まるで決まってるかのように話しているのが残念。
そもそも人間はそんなに単純じゃない。いろんな思慮、思惑がある。食べ物の取り合いばかりじゃなく宗教や女性関係や家族の有り方なども争いの火種となる。
例えば村は人口が力なので「産めよ増やせよ」という社会。当然、次男、三男たち家を継げない者は領土を増やすために広がるしかなく、他の村と衝突することになる。
そんな事情もあるのに「向こうの村に食べ物あるらしいぞ、戦争して奪おう。」なんて単純な話では、まるで弥生人が動物みたいだ。
食糧の安定による人口増加、土地の取り合いなどは争いの重要なポイントだと思う。
さらに敵対する村の男女が恋仲となり、駆け落ちしたことを親や親族が激怒して…なんてドラマだって充分考えられる(笑)
言っとくが中国では、キングダムやってた時代だぞ。渡来人から学んだら千人規模の軍団になれるぞ。
凄いな~公平に言って様に話してるけど、随分偏ってるね~
俺が偏ってるから???
憲法9条のも見たけど、偏ってるな~て感じたよ
どっちに偏ってるかは、それぞれの主観に任せると書いておこう~
人間なんてうまれないほうがよかったのかも