【作曲家の生涯】ラインの黄金初演にまつわる大騒動とトリープシェンの楽園生活~リストの娘として生まれ、ワーグナーの妻として生きた女 第12話

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  • Опубликовано: 6 сен 2024

Комментарии • 11

  • @MickCorgi
    @MickCorgi 7 месяцев назад +5

    ヴィスコンティのルートヴィッヒを見たのは10代の頃でしたが、指輪をめぐるワーグナーとの確執は初めて知りました。ここまでの動画製作に頭が下がります。有難うございました。😊

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  7 месяцев назад +1

      今回はコージマの日記にいろいろ生々しいやり取りがあって、それを元に動画にしたててみました。
      ルートヴィヒはメンヘラですよね😅

  • @erikasono565
    @erikasono565 7 месяцев назад +4

    谷崎潤一郎が、『細雪』の作中では流産したことになっている最後の妻との子供を、実は堕胎させていたという解説を聞いて驚いていたところにこの話。
    谷崎は、「子供が生まれてきみが子供のことに一生懸命になってしまったら、僕の女神としてのきみの像が崩れる」とかなんとか言って、奥様はさんざん悩んだ挙句、谷崎の文学芸術のために子供と自分を犠牲にすることを選んだのだとか。
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    私にも、最初の奥様とまだ結婚中にアヴァンチュールを仕掛けてきて、私がにべもなく振ると、一回り以上も年下の教え子と関係を持ってできちゃった婚をした挙句、その若い奥様が次々に子供を妊娠出産し、子育てに追われるとその日常生活に幻滅し、また私にアヴァンチュールを仕掛けてきた輩がいます。
    曰く、「結婚生活というのは、夫婦で困難を乗り越えていくもの。きみにはそういう日常ではないものを求めたいんだ。きれいに着飾って、美味しい料理をを一週間分作って持ってきてくれたりとかさぁ」とのことで、当然、料理を食べた後はセックスを期待しているわけですよ。
    で、「料理を作ってくれる分、僕の負担で旅行に連れて行くからいいだろう?」と。
    何というか、自分のことしか考えていないご都合主義の極み。相手の生活に責任を持つという発想が皆無。美味しい料理やセックスを求めているくせに、その対価を払う気すらない。
    ここまで酷いのも稀なのでしょうが、これに比べれば、奥様を自分の文学芸術の女神にしておくために子供を堕胎させても、きちんと結婚して相手の生活を保障している分、谷崎の方が遥かに立派だな、と。
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    この種の男性の非現実に憧れる願望、川端康成の『雪国』などもそうですが、実は古今東西、あまり変わっていないような気がします。
    源氏物語で、夕霧は親友柏木から妻のことを託され、大恋愛の末に反対を押し切って得たばかりの幼馴染の雲井雁をおいて、柏木の遺した妻、女二宮こと、落葉宮のところに通う。
    ミンネザングでも、世間的に許された関係である夫婦の愛は皮肉的にしか語られず、関係を持ってはいけない高貴な女性への恋慕や、刹那の関係でしかない低い身分の女性との性関係ばかりが歌われる。
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    ヴァーグナー作品でも結局そうですよね。
    夫婦の幸福な結婚、子供が生まれて幸せな家庭を築く話は皆無。《トリスタンとイゾルデ》、《タンホイザー》、《ローエングリン》、《さまよえるオランダ人》などなど、性愛の堕落や、女性の純愛の犠牲などで、関係が壊れる話ばかり。
    コージマは、谷崎の最後の妻同様、ヴァーグナーの芸術のために耐えたのかもしれませんが、ヴァーグナーの方も、谷崎のように堕胎を要求しなかっただけましだった。
    堕胎や妊娠中絶は、婚前交渉、婚外交渉同様、キリスト教、特にカトリックでは厳しく禁止されていますから、カトリック王国のバイエルンでは、さすがにそこまではできなかったということでしょう。
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    但し、ヴァーグナーとルートヴィッヒ2世の確執と言いますが、結婚して妻が生んだ子供と幸せな家庭を築くのではなく、非現実の夢を追ったという意味では、むしろルートヴィッヒ2世の方が酷い。
    ヴァーグナーも、ルートヴィッヒ2世と仲が良かった皇妃エリーザベートも、取り敢えず子供は大切にしているというのに。
    結局、似た者同士だったから、あれだけの芸術を遺せたということなのかもしれませんね。
    私に言い寄ってくる男たちなんて、「彼の我儘を聴いて私が犠牲になっても、後世に残るような芸術なんてうまれない。それなら私の研究を優先し、研究に協力してくれる人以外の結婚なんて考えない方がいい」と思わせてしまう時点で、ヴァーグナーのような不倫をする資格すらないということかな?
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    大体、コージマについてのあなたの解説を聞いていても、改めて、仮に不倫するにしても、女性の側は意外に愛の官能に溺れてはいないということを痛感させられるわけですよ。
    だから、性愛を求める男の側が、「きみだってしたいんだろう?」という態度をとればとるほど、女性の側は白けると私は思うのです。
    女性が求めているのは、いつの時代も、自分と、この関係で生まれてくるかもしれない子供の将来の安泰。
    それ以外の動機がもしあるとすれば、学問芸術の素養の高い女性ほど、その道に優れた男性には惹かれるところはあるのだと思います。
    だから、知的な会話もできず、生活の保障をするでもなく、ただただセックスをちらつかされても女性は靡かない。
    私のように、古今東西の文学芸術でそういう男女関係の種々相をいやというほど見てきた者ほど、先の先まで見えてしまうしね。

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  7 месяцев назад +2

      谷崎の話は衝撃です…。
      ワーグナーは後継者は欲しかったようですね。だからトリープシェンで生まれた子供が男の子だったことは心から喜んでいたようです。
      いただいたコメントを読んでいて、コージマの日記にあった言葉を思い出しました。
      性欲がなくなってしまえばいいのにと時々思う、夫婦の営みをするごとに何かが死んでいく気がする、というようなことを書いていました。
      私はコージマはファザコンを拗らせてワーグナーの表面的な包容力に絡め取られてしまったのではないかと想像しています。
      ミンナにしても、マティルデにしても、あれほどの美人を次々に落としてしまうくらいだから、恋愛中のワーグナーは相手の女性が欲しい言葉を見事に嗅ぎ分けてたくさん浴びせることができる人だったのかも。

    • @erikasono565
      @erikasono565 7 месяцев назад +3

      @@クラシック音楽奇譚
      『細雪』の解説をしていらした方、元大学教授として日本文学を教えていらして、谷崎潤一郎記念館でもガイドを務めているとのこと。
      当然、谷崎の妻とも知己があるわけですが、谷崎の妻は、堕胎した子供のことを話すたびに、涙を流していた、というのです。
      -
      女性の本能は、男との性交よりは、子供に対する母性愛の方が遥かに強い。
      そのことを理解できない男は、結局妻に対する思いやりもないと私は思うのです。
      性欲というものは、相手に対する思いやりではなく、自分の欲求発散に過ぎませんから。
      -
      エロスよりもアガペーを重視するのは、キリスト教の教えの本質でもある。
      キリスト教圏の欧米人は、仮に反発したとしても、アガペーを重んじる考えがあるということそのものは認識している。
      けれども日本人の男には、そうした考えを最初から理解していない人も多くて。
      キリスト教教育で育てられた私には、西洋文化に対するカルチャーショックなどより、そういう日本人の感性に対する違和感の方がはるかに強い。
      エロスよりアガペーを感じさせる人でなければ結婚して一緒に暮らすことはできないという思いは変わりません。
      *****
      父親的な包容力を求めたという意味では、マーラーの妻、アルマも同じ。
      マーラーは若い妻、アルマが処女であることに悩み、「いっそのこと、きみが寡婦だったらよかったのに」とまで言ったらしい。
      それまで処女であることを何かしら清らかで尊いものと感じていたアルマは酷く傷ついた、と日記に記しています。
      どこの本で読んだのか忘れましたが、「マーラーは、多くの男たちが抱いている願望、つまり経験のある女を求めていたにすぎない」というコメントが当時の私には衝撃的でした。
      男というものは、一方では処女を征服することに喜びを感じるくせに、他方、ベッドの上では女は娼婦であることを求めるのか、と。
      -
      アルマはその後、マーラーとの性のわだかまりを乗り越え、「昨日私たちはもう少しで一つになるところまで行った」「私達は遂に合体した。歓喜の中の歓喜!」と日記に記しています。
      取り敢えず、アルマにとって性交がトラウマにならなくてよかった。
      ただその後アルマは、逆に若い恋人を作ってマーラーを悩ませるのですけれどもね。
      それはそうですよ。女性にとって性交が悦びになってしまったら、夫以外の男性をも求める淫乱に走るのは目に見えている。
      -
      その女性の気持ちを、夫だけに向けるための仕掛けがキリスト教、特にカトリックにはある。
      カトリックの結婚式では、「私の體を神の宮となし、聖霊を受け入れるようにあなたを受け入れます」と唱えるのです。
      女性がそういう崇高な気持ちで、自らの肉体を神の宮として、神に生贄を捧げるように夫を受け入れる。
      これが、夫に対する尊敬や献身、貞節を失わずに男女の交わりに悦びを見出すほとんど唯一の方法だと思うのです。
      カトリック教会は、そのことを何百年もかけて研究し尽くして今に至っている。
      但し、女性をそういう気持ちにさせるためには、まず男性が女性をマドンナ崇拝のように大切にし、慈愛と包容力で包み、尚且つ現実の生活の基盤を与えて安心して満ち足りた気持ちにしてやらなければならない。
      ここには、男性が他の女性を愛さずに貞節を誓うということも含まれます。
      そのことを理解せず、女性から最も美しく神聖な自己犠牲的な愛を引き出すことができていない愚かな男が多すぎます。
      -
      一時は修道院に入ることも真剣に考えていたというナポレオン3世妃ウージェニーも、浮気なナポレオン3世に対し、皇妃にならなければベッドは共にしないと宣言。
      でも、初夜の後、「なんて汚らわしい。男の頭の中は、ああいう汚い肉欲で一杯なのね」と言ったらしいから、ナポレオン3世がどういうやり方をしたかは想像に難くない。
      しかもウージェニーが妊娠すると、ナポレオン3世は再び浮気に走る。
      政治そっちのけのナポレオン3世に代わってウージェニーが執政となると、世間からは女だてらに、と非難されるしね。
      -
      セックスのことしか頭にないバカな男と、正式な結婚と貞節、そしてきちんと仕事をこなすことを重んじる妻。
      ルイ15世とポンパドゥール夫人、エカチェリーナ2世などもそうですね。
      全く溜息ものです。

  • @user-rl4xm8zj6z
    @user-rl4xm8zj6z 3 месяца назад +2

    😭😳❤️

  • @user-gg2dg5bd5c
    @user-gg2dg5bd5c 7 месяцев назад +2

    かのニーチェがワーグナーと親しくしていた時期があったとは驚きました🙀
    才能あっても若僧のニーチェを、大作曲家ワーグナーは良いように使っていたわけですね。仕方ないかもしれませんが、ニーチェ、お気の毒😅

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  7 месяцев назад +1

      ワーグナーの人を見る目は超一流ですね。
      一流の人の周りには一流の人が集まる、ということなのだと思いますが、それにしても数十年に1人の天才が周りにわんさかです。

  • @thomashamela612
    @thomashamela612 3 месяца назад +1

    🌸🌸🌸🌹🌹🌹

  • @seisukeota273
    @seisukeota273 3 месяца назад +1

    国王とWagnerの意見の相違の場面でラインの黄金の天国から地の底へWotanが降る場面の音楽を選んだのは誰ですか?誰か知りませんが、すばらしい選曲です。

    • @クラシック音楽奇譚
      @クラシック音楽奇譚  3 месяца назад +1

      選曲は私です。ワーグナー作品はそれほど詳しくない上にどれも長大なので選定は苦労しました