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亡くなった祖父が運転手してました。車両を見たのはこれが初めてです。貴重な写真ありがとうございます❗️
毎日大高前まで利用してた青春時代、今映像で拝見するとオンボロでしたね。良き思い出🫡
いや~素晴らしい動画のUP有難う御座いました。私が小学4年生の時の写真です。私も母親と最後の電車に乗車して黒羽から大田原迄行きました。もう、涙目で動画見てしまいました。ホント懐かしい思いでいっぱいになりました。子供ながらに大田原の蛇尾橋に掛かる鉄橋と直後のトンネル通過が嬉しくてワクワクしてました。今は大田原辺りから元の線路跡はポッポ通りと言う遊歩道になってるみたいですね!所々昔の線路の構造物は残ってますね。鉄橋の橋台とか黒羽の金堀川なんかにありますね。
幼少から現在まで地元住みです!昔を思い出すとなんか胸が熱くなります田舎でしたが田舎なりに活気が有りましたね、行きつけの飲食店で雑誌を読むのがルーティンでしたが田舎なりに楽しめております❤
素晴らしい記録です。後半、大田原駅に黒羽駅とテロップが入っています。
御視聴ありがとうございます。テロップ誤記の件、ご指摘ありがとうございます。5:18~5:25(誤)黒羽駅 →(正)大田原駅訂正いたします。
鉄道ファンとして参考になりました。今はなき鉄道の貴重な写真のスライドショーの動画アップありがとうございました。
むかし、お爺ちゃんとたくさん乗りました。懐かしい写真ありがとうございます。
自分の親父が鉄道時代は駅職員として、バス時代は運行管理員として東野で働いていました。
50年以上昔に、自転車仲間だった先輩の西那須の実家に伺う際、この列車に輪行を担いで乗りました。ディーゼルに乗ったのも初めてで、前面が丸くフワフワした乗り心地だったと思います。記憶違いかもしれないのですが、車輪が真ん中に一基しか無かった様な?違う場所だったかな?大変に懐かしく、昔に帰ってしまいました。
生まれも現在も黒羽在住です。青年期には仕事で他県に数年間居りましたが・・・。確か、廃線の時は小学校高学年でしたかねぇ。親子で利用させていただきました。懐かしい・・・。貴重な動画、ありがとうございます。
この写真撮った場所が今どうなってるか比較してみるのもおもしろいですね(^^)
旧小川町から大田原市(大田原神社下のトンネル)に向かう途中、何度も廃線跡の路地を見かけます。那珂川 清流鉄道保存会に東野鉄道の車両は保存されてい無いのでしょうか?
動画中に出て来る箱型三軸のディーゼル機関車(DC20 2)の兄弟機DC20 1だけは、廃止後に当時の西武所沢工場に引き取られました。ここで箱型の車体をL字型に大改造して、工場内の入れ替え用として使われるも1980年代終りには処分され、東野の最後の車両は無くなってしまいました。
貴重な画像見せて貰いました。親が黒羽出なので話では聞いてましたが見たのは初めて。自分が生まれた時には既に廃線でしたので。昔の人は今でも黒羽駅だった所を駅って言うけどね。知らない人は❓❓❓❓❓🤭ありがとうございました🙇
東野鉄道、今は後継の東野交通も関東自動車になってしまい名前はありません。
バス自体に東野バスの名残りは残ってますバス自体古いから数年以内に新車のEVバスに置き換わりそう
自分は生まれてないときですがもしないけど復活とかしたら乗ってみたい気持ちはあります
特に地方の私鉄では、こんな感じのディーゼルカーが、昭和40年代頃までは、日本各地で走っていた。前面の湾曲した気動車は、流線形と言われ、当時は、速いというイメージがあったという。東野鉄道(とうやてつどう)のディーゼル機関車であるDC20は、C形(3軸機)の機関車で、箱形車体というのは、D形(4軸機)で凸型ばかりの私鉄向けディーゼル機関車が多かった中にあっては、異彩を放っていた。箱形車体は降雪、寒冷地での寒さ対策であったようだ。そういえばかつての暖房車にも、外観が似ている。塗色は薄いグレーで、片側の側面にはラジエターグリル、反対側には機関搬出入口があった。新潟鉄工所のDMH17 (150PS)機関と、機械式変速機を組み合わせ、ロッドによって駆動するもので、日本では、非常に希少で貴重な機関車である。同じくロッド駆動式であった信越線碓氷峠のアプト式機関車であるED42にも、その外観が似ている。東野鉄道 は、東北線の西那須野駅から大田原を経て黒羽に到る線だった。平成17(2005)年に黒磯市、西那須野町、塩原町の合併でできた那須塩原市誕生前までは、大田原市は栃木北部では中心的な街であった。だから、本来ならば、この線を存続させる必要があったかもしれない。少なくとも、西那須野⇔大田原間(約4~5km)は残す必要があったとも思われる。電化して、上野まで直通列車が出ていてもおかしくなかった。しかし現在では、西那須野駅 ⇔大田原駅間の区間も一緒に廃止され、この区間は、大田原市と西那須野町によって昭和60(1985)年に「ぽっぽ通り」という名がつけられて、自転車歩行者専用道路となって今も残っている。地元などの一部には、この区間等の復活の話しもある。
黒羽駅の横にある大谷石作りの立派な倉庫は今でも残ってますね。二棟ある倉庫の間にある木造倉庫はその後改築されたようで今では大谷石作りの倉庫が三棟並んでます。
大谷石倉庫、もう無いんですよ。
亡くなった祖父が運転手してました。車両を見たのはこれが初めてです。
貴重な写真ありがとうございます❗️
毎日大高前まで利用してた青春時代、今映像で拝見するとオンボロでしたね。良き思い出🫡
いや~素晴らしい動画のUP有難う御座いました。私が小学4年生の時の写真です。私も母親と最後の電車に乗車して黒羽から大田原迄行きました。もう、涙目で動画見てしまいました。ホント懐かしい思いでいっぱいになりました。子供ながらに大田原の蛇尾橋に掛かる鉄橋と直後のトンネル通過が嬉しくてワクワクしてました。今は大田原辺りから元の線路跡はポッポ通りと言う遊歩道になってるみたいですね!所々昔の線路の構造物は残ってますね。鉄橋の橋台とか黒羽の金堀川なんかにありますね。
幼少から現在まで地元住みです!昔を思い出すとなんか胸が熱くなります田舎でしたが田舎なりに活気が有りましたね、行きつけの飲食店で雑誌を読むのがルーティンでしたが田舎なりに楽しめております❤
素晴らしい記録です。後半、大田原駅に黒羽駅とテロップが入っています。
御視聴ありがとうございます。
テロップ誤記の件、ご指摘ありがとうございます。
5:18~5:25(誤)黒羽駅 →(正)大田原駅
訂正いたします。
鉄道ファンとして参考になりました。今はなき鉄道の貴重な写真のスライドショーの動画アップありがとうございました。
むかし、お爺ちゃんとたくさん乗りました。懐かしい写真ありがとうございます。
自分の親父が鉄道時代は駅職員として、バス時代は運行管理員として東野で働いていました。
50年以上昔に、自転車仲間だった先輩の西那須の実家に伺う際、この列車に輪行を担いで乗りました。ディーゼルに乗ったのも初めてで、前面が丸くフワフワした乗り心地だったと思います。記憶違いかもしれないのですが、車輪が真ん中に一基しか無かった様な?違う場所だったかな?
大変に懐かしく、昔に帰ってしまいました。
生まれも現在も黒羽在住です。
青年期には仕事で他県に数年間居りましたが・・・。
確か、廃線の時は小学校高学年でしたかねぇ。
親子で利用させていただきました。
懐かしい・・・。
貴重な動画、ありがとうございます。
この写真撮った場所が今どうなってるか比較してみるのもおもしろいですね(^^)
旧小川町から大田原市(大田原神社下のトンネル)に向かう途中、何度も廃線跡の路地を見かけます。
那珂川 清流鉄道保存会に東野鉄道の車両は保存されてい無いのでしょうか?
動画中に出て来る箱型三軸のディーゼル機関車(DC20 2)の兄弟機DC20 1だけは、廃止後に当時の西武所沢工場に引き取られました。
ここで箱型の車体をL字型に大改造して、工場内の入れ替え用として使われるも1980年代終りには処分され、東野の最後の車両は無くなってしまいました。
貴重な画像見せて貰いました。親が黒羽出なので話では聞いてましたが見たのは初めて。自分が生まれた時には既に廃線でしたので。
昔の人は今でも黒羽駅だった所を駅って言うけどね。知らない人は❓❓❓❓❓🤭
ありがとうございました🙇
東野鉄道、今は後継の東野交通も関東自動車になってしまい名前はありません。
バス自体に東野バスの名残りは残ってます
バス自体古いから数年以内に新車のEVバスに置き換わりそう
自分は生まれてないときですが
もしないけど復活とかしたら乗ってみたい気持ちはあります
特に地方の私鉄では、こんな感じのディーゼルカーが、昭和40年代頃までは、日本各地で走っていた。前面の湾曲した気動車は、流線形と言われ、当時は、速いというイメージがあったという。
東野鉄道(とうやてつどう)のディーゼル機関車であるDC20は、C形(3軸機)の機関車で、箱形車体というのは、D形(4軸機)で凸型ばかりの私鉄向けディーゼル機関車が多かった中にあっては、異彩を放っていた。箱形車体は降雪、寒冷地での寒さ対策であったようだ。そういえばかつての暖房車にも、外観が似ている。
塗色は薄いグレーで、片側の側面にはラジエターグリル、反対側には機関搬出入口があった。新潟鉄工所のDMH17 (150PS)機関と、機械式変速機を組み合わせ、ロッドによって駆動するもので、日本では、非常に希少で貴重な機関車である。
同じくロッド駆動式であった信越線碓氷峠のアプト式機関車であるED42にも、その外観が似ている。
東野鉄道 は、東北線の西那須野駅から大田原を経て黒羽に到る線だった。
平成17(2005)年に黒磯市、西那須野町、塩原町の合併でできた那須塩原市誕生前までは、大田原市は栃木北部では中心的な街であった。
だから、本来ならば、この線を存続させる必要があったかもしれない。
少なくとも、西那須野⇔大田原間(約4~5km)は残す必要があったとも思われる。
電化して、上野まで直通列車が出ていてもおかしくなかった。
しかし現在では、西那須野駅 ⇔大田原駅間の区間も一緒に廃止され、この区間は、大田原市と西那須野町によって昭和60(1985)年に「ぽっぽ通り」という名がつけられて、自転車歩行者専用道路となって今も残っている。
地元などの一部には、この区間等の復活の話しもある。
黒羽駅の横にある大谷石作りの立派な倉庫は今でも残ってますね。二棟ある倉庫の間にある木造倉庫はその後改築されたようで
今では大谷石作りの倉庫が三棟並んでます。
大谷石倉庫、
もう無いんですよ。