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この放送時点で戦後42年。この間の産業発展は本当に爆発的だったんだね。この放送から今年で36年。時代の変化は早くなったように思っていたけど、この時代と今はあまり変わらないような気がする。
こんなん有ったんですね。素晴らしい資料です。
やはり、ミスターKとフェアレディZは外せませんねw
この特集番組はリアルタイムで見ました。私の家族は全員自動車が好きで両親は特に早い時期から自動車を所有して乗った人だったので当時の世相がどうだったとか色々な話をしながら見たのを覚えています。
エンジンにお湯をかけるっていうよりキャブレターとエンジンにつながるマニホールドにお湯かけてるんです。そうするとクランキング時にガソリンの気化が促進されてエンジンがかかりやすくなるんです。今昭和の550㏄キャブ車所有してますが、キャブレター付近にラジエーター水を導く管がありエンジンが温まると自動的?にキャブを温めて気化しやすくなってます。ただ当時のエンジンオイルは今ほどよくなかったので気温が低いと始動はなかなか難しかったでしょう。
懐かしいですね、世界の自動車業界の重鎮の方々のインタビューが貴重で特に日産とフォードに関して明暗のドキュメンタリーが見応えありました。動画アップありがとうございます。
我が家のダットサン113もガスコンロでお湯を沸かせて使っていました。クランク棒や押し掛けも見てきました。昔の車は女性には扱えない代物でした。
なんか凄い時代ですね…プッシュスタートが当たり前の今じゃ信じられない
当時100万円以上のダットサン持ってたという事はお医者さんとかですか?
シン電子立国の相田ディレクターの番組はどれも面白いなあ。クラフトワークの音楽使うのもセンスいいw
ムスタングの試作1号車、すげーカッコ良い。リトラクタブルライトが手動なのは、まあ試作車だからね。あんなのが安く売られたら敵わんと思った片山氏、さすがの慧眼。
ギア部品を手にしつつ企業秘密ですと話していたのは、若かりし頃の水野さん(日産GTRの生みの親)のようだね。
🚗(ブルーバード)ダットサン510は良い車で、高速道路で本格的に走れた車でした。
これハルバースタムが原案なんですね。ちょうど覇者の驕りが積んであるので参考資料としてとってもありがたい。
第4章もupして下さい!お願いします
よくこのシリーズが残ったましたね!とても懐かしいです。4本とも拝見しましたが…要所要所で流れてるBGMがゲームの音楽で聴いた事ある様な覚えが…
第四章が見られなくなってしまいました。再アップロードをお願いできないでしょうか?
プロジェクトXと比べると、物凄くマトモな番組のように感じます(笑)多くの関係者の動く、しゃべる姿を拝見できるのが、物凄くありがたい…。三本和彦氏の番組が必ず関係者を招いて、インタビューとご経歴の紹介をきっちり行っていましたが、あれも第一級の史料ですね…。
当時、1~4までビデオ録画してました😄
日産が外資になろうとは…( ̄▽ ̄;)
ダットサン510はアメリカ市場のBMW1600を意識してたんですね。前後サスペンション形式も両車はそっくりですし、それでいてBMWの3500ドルに対して510は2000ドル。売れない要素がないですね。
510のセミトレーリング式リアサスはプリンスで製作した初代ローレルの物であったが、ブルーバードの開発陣に渡せと言われて先行発売された技術ですね。シーケンシャルウインカーもプリンスのローレル(発売時は日産ローレル)から510に移植したもの。初代GT-RのS20エンジンもプリンスのR380のディチューン版。「技術の日産(プリンスと読む)」
@@yuu2chan さん初代C30ローレルはダットサン510ブルーバードの上位車種の開発コード「マル中」(○の中に「中」)、設計統括は510と同じ太田昇氏、シーケンシャルウィンカーを含むエクステリアデザインは澁谷邦男氏です。お名前や車両型式などで検索してみてください。スケジュール的にC30の開発は510より順調に進捗し、日産の追浜工場で生産予定でしたが、プリンスのグロリアがセドリックに統合されプリンスの村山工場のラインが空いたぶんを振り向け、エンジンもL18からプリンスのG18に変更されることになりました。二代目C130からプリンス系の荻窪事業所で開発されました。C130からケンメリの姉妹車となって、例えばステアリングは初代C30のラック&ピニオンからR30までのスカイラインと同様のボールナット式(桜井眞一郎氏のこだわり…)になりました。四独については日産は510のストラット&セミトレ(ベンツ、BMWなどが先行、プジョーがほぼ同時)だけでなくS30Zの四輪ストラット(ロータスのチャップマン・ストラット)も北米輸出含め年間数十万台レベルでしたが、プリンスのドディオン式は古い給油シャシーの時代に始まって1962年のS40グロリアが最後で、当時プリンス全体でも年間4万台程度、1963年のS50スカイラインからは無給油のリーフリジッド式となり、A30タテグロも踏襲、御料車のプリンス・ロイヤルも給油機能を残しつつリーフリジッド式に改められていますから、日産の四独とは無関係です。伸縮ジョイントも、プリンスの岡本和理氏が指摘されているS40のメインの問題箇所の構成要素が510やC30にそのまま採用されたとも思われず(搭載車の生産時期、生産規模、輸出実績などが違いすぎます…)、510やC30の開発過程で何らかの改良がなされていると考えるのが自然でしょう。GC10スカイラインGT系の四独を設計された伊藤修令氏も、桜井氏が鶴見から510の設計図を持ってきて、部品共用化の方針を示されたというお話をされていました。エンジンについても、1981年に日産U20の腰下にS20と同様のバルブ挟み角60度のヘッドのFJ20型、1987年にプリンスGRXの設計をされた方によるVEJ30型が登場していますが、いずれもグループCではほとんど活躍できず、引き継いだ日産VRH35Zが数々の困難を乗り越え1992年のデイトナ24時間で総合優勝。設計された林義正氏は1962年に日産に入社であり、ダットサン・フェアレディ2000のU20型の佐々木健一氏は1960年入社ですから、S20やGRXが華々しく活躍した時代から既に「技術の日産」は健在でした。VRH35Zを搭載した日産R91CPの車体設計はR35GT-Rの水野和敏氏、1972年入社で荻窪配属でもない日産系です。車体製作は元プリンスの日産宇宙航空事業部ですから、R91CPにより、プリンス(立川、中島)の職人が組み立てた純国産戦闘機による米本土凱旋が実現!!(結果としてルマンよりよかったのかも?…笑)R35GT-Rをゼロから図面を引くところから開発したのは水野和敏氏や高橋孝治氏ですが、やや理想的すぎた商品性を修正し、PGC10やBNR32からの歴史あるアイコンとして世界的にアピールし、少数生産ながら数千万円で飛ぶように売れるクルマにして、GT-RやZが存続する現実的な道を確保したと思われるのが、1984年の入社直後に桜井眞一郎氏の門下生となってMID4の開発に参加したという、実質プリンス系とも言える田村宏志氏です。
これでドイツ車は日本車より1ランク上のハイブランド路線に逃げざるを得なくなった部分があったんですねコスト競争では1ドル360円の日本車には絶対敵わないので。あと数年後にポルシェもフェアレディー240Zに値段で全く敵わず排気量をどんどん上げてプレミアムカー路線に追いやられていきますね
各所に相田節が効いてますねホント。( ;´∀`)コレが面白いですよw
ムスタングは高級車:暴力団がしばしば使っていました。
1ドル360円時代ですからねベーシックグレードならあちらでは中産階級の家の女子大生のお姉ちゃんが乗ってる車なんですけどね
性能を上げるとの世界戦略も考えてとうじあらゆるレースに参加して結果を出した。
VHS三倍録画だけど全話録画して持ってるんだけど原作があるのと音楽の著作権で必ず消されるんだよねしばらくぶりに通して見たくなりました
「元」町工場なので元町工場ですね。
宮家愈さんが テレビに出てたなんて驚いた この人も日産の天皇と言われた人だったけど 塩路に追い出された益哲、宮家、塩路・・・日産の天皇でしたね経営側は 川又、久米は 出てたけど なんで石原が出てないのか?? 四回が見れなくなったので出てたのかもしれないが・・・・
第四話に出てます オイルショックで苦労した逸話を語ってます
第4章の動画ありませんか?
なんだかんだ言っても所詮クルマはデザインが命。
日本のテレビのこういう取材はトヨタは受けないんだよねこの後BBCの取材は受けたのにw
昔のNHKは構成がいいね。今の番組は内容が薄っぺらい
これはハルバースタムの著作が下敷きになっているから当時の関係者のインタビューをそのまま使うのは相田洋ディレクターの好みその後原案も相田洋自身が手掛けて電子立国という傑作につながるこの世代の製作者がいなくなって取材が浅くなりドキュメンタリーが薄味でつまらなくなった
それでもこのメーカーの製品はよく錆るけどな
お湯使えばいい!
この放送時点で戦後42年。この間の産業発展は本当に爆発的だったんだね。
この放送から今年で36年。時代の変化は早くなったように思っていたけど、この時代と今はあまり変わらないような気がする。
こんなん有ったんですね。素晴らしい資料です。
やはり、ミスターKとフェアレディZは外せませんねw
この特集番組はリアルタイムで見ました。
私の家族は全員自動車が好きで
両親は特に早い時期から自動車を所有して
乗った人だったので当時の世相がどうだった
とか色々な話をしながら見たのを覚えています。
エンジンにお湯をかけるっていうよりキャブレターとエンジンにつながるマニホールドにお湯かけてるんです。
そうするとクランキング時にガソリンの気化が促進されてエンジンがかかりやすくなるんです。
今昭和の550㏄キャブ車所有してますが、キャブレター付近にラジエーター水を導く管があり
エンジンが温まると自動的?にキャブを温めて気化しやすくなってます。
ただ当時のエンジンオイルは今ほどよくなかったので気温が低いと始動はなかなか難しかったでしょう。
懐かしいですね、世界の自動車業界の重鎮の方々のインタビューが貴重で特に日産とフォードに関して明暗のドキュメンタリーが見応えありました。動画アップありがとうございます。
我が家のダットサン113もガスコンロでお湯を沸かせて使っていました。クランク棒や押し掛けも見てきました。昔の車は女性には扱えない代物でした。
なんか凄い時代ですね…プッシュスタートが当たり前の今じゃ信じられない
当時100万円以上のダットサン持ってたという事はお医者さんとかですか?
シン電子立国の相田ディレクターの番組はどれも面白いなあ。クラフトワークの音楽使うのもセンスいいw
ムスタングの試作1号車、すげーカッコ良い。リトラクタブルライトが手動なのは、まあ試作車だからね。あんなのが安く売られたら敵わんと思った片山氏、さすがの慧眼。
ギア部品を手にしつつ企業秘密ですと話していたのは、若かりし頃の水野さん(日産GTRの生みの親)のようだね。
🚗(ブルーバード)ダットサン510は良い車で、高速道路で本格的に走れた車でした。
これハルバースタムが原案なんですね。ちょうど覇者の驕りが積んであるので参考資料としてとってもありがたい。
第4章もupして下さい!お願いします
よくこのシリーズが残ったましたね!とても懐かしいです。
4本とも拝見しましたが…要所要所で流れてるBGMがゲームの音楽で聴いた事ある様な覚えが…
第四章が見られなくなってしまいました。再アップロードをお願いできないでしょうか?
プロジェクトXと比べると、物凄くマトモな番組のように感じます(笑)
多くの関係者の動く、しゃべる姿を拝見できるのが、物凄くありがたい…。三本和彦氏の番組が必ず関係者を招いて、インタビューとご経歴の紹介をきっちり行っていましたが、あれも第一級の史料ですね…。
当時、1~4までビデオ録画してました😄
日産が外資になろうとは…( ̄▽ ̄;)
ダットサン510はアメリカ市場のBMW1600を意識してたんですね。
前後サスペンション形式も両車はそっくりですし、それでいてBMWの3500ドルに対して510は2000ドル。
売れない要素がないですね。
510のセミトレーリング式リアサスはプリンスで製作した初代ローレルの物であったが、ブルーバードの開発陣に渡せと言われて先行発売された技術ですね。
シーケンシャルウインカーもプリンスのローレル(発売時は日産ローレル)から510に移植したもの。
初代GT-RのS20エンジンもプリンスのR380のディチューン版。「技術の日産(プリンスと読む)」
@@yuu2chan さん
初代C30ローレルはダットサン510ブルーバードの上位車種の開発コード「マル中」(○の中に「中」)、設計統括は510と同じ太田昇氏、シーケンシャルウィンカーを含むエクステリアデザインは澁谷邦男氏です。お名前や車両型式などで検索してみてください。
スケジュール的にC30の開発は510より順調に進捗し、日産の追浜工場で生産予定でしたが、プリンスのグロリアがセドリックに統合されプリンスの村山工場のラインが空いたぶんを振り向け、エンジンもL18からプリンスのG18に変更されることになりました。
二代目C130からプリンス系の荻窪事業所で開発されました。C130からケンメリの姉妹車となって、例えばステアリングは初代C30のラック&ピニオンからR30までのスカイラインと同様のボールナット式(桜井眞一郎氏のこだわり…)になりました。
四独については日産は510のストラット&セミトレ(ベンツ、BMWなどが先行、プジョーがほぼ同時)だけでなくS30Zの四輪ストラット(ロータスのチャップマン・ストラット)も北米輸出含め年間数十万台レベルでしたが、プリンスのドディオン式は古い給油シャシーの時代に始まって1962年のS40グロリアが最後で、当時プリンス全体でも年間4万台程度、1963年のS50スカイラインからは無給油のリーフリジッド式となり、A30タテグロも踏襲、御料車のプリンス・ロイヤルも給油機能を残しつつリーフリジッド式に改められていますから、日産の四独とは無関係です。伸縮ジョイントも、プリンスの岡本和理氏が指摘されているS40のメインの問題箇所の構成要素が510やC30にそのまま採用されたとも思われず(搭載車の生産時期、生産規模、輸出実績などが違いすぎます…)、510やC30の開発過程で何らかの改良がなされていると考えるのが自然でしょう。GC10スカイラインGT系の四独を設計された伊藤修令氏も、桜井氏が鶴見から510の設計図を持ってきて、部品共用化の方針を示されたというお話をされていました。
エンジンについても、1981年に日産U20の腰下にS20と同様のバルブ挟み角60度のヘッドのFJ20型、1987年にプリンスGRXの設計をされた方によるVEJ30型が登場していますが、いずれもグループCではほとんど活躍できず、引き継いだ日産VRH35Zが数々の困難を乗り越え1992年のデイトナ24時間で総合優勝。設計された林義正氏は1962年に日産に入社であり、ダットサン・フェアレディ2000のU20型の佐々木健一氏は1960年入社ですから、S20やGRXが華々しく活躍した時代から既に「技術の日産」は健在でした。
VRH35Zを搭載した日産R91CPの車体設計はR35GT-Rの水野和敏氏、1972年入社で荻窪配属でもない日産系です。車体製作は元プリンスの日産宇宙航空事業部ですから、R91CPにより、プリンス(立川、中島)の職人が組み立てた純国産戦闘機による米本土凱旋が実現!!(結果としてルマンよりよかったのかも?…笑)
R35GT-Rをゼロから図面を引くところから開発したのは水野和敏氏や高橋孝治氏ですが、やや理想的すぎた商品性を修正し、PGC10やBNR32からの歴史あるアイコンとして世界的にアピールし、少数生産ながら数千万円で飛ぶように売れるクルマにして、GT-RやZが存続する現実的な道を確保したと思われるのが、1984年の入社直後に桜井眞一郎氏の門下生となってMID4の開発に参加したという、実質プリンス系とも言える田村宏志氏です。
これでドイツ車は日本車より1ランク上のハイブランド路線に逃げざるを得なくなった部分があったんですね
コスト競争では1ドル360円の日本車には絶対敵わないので。
あと数年後にポルシェもフェアレディー240Zに値段で全く敵わず排気量をどんどん上げてプレミアムカー路線に追いやられていきますね
各所に相田節が効いてますねホント。
( ;´∀`)コレが面白いですよw
ムスタングは高級車:暴力団がしばしば使っていました。
1ドル360円時代ですからね
ベーシックグレードならあちらでは中産階級の家の女子大生のお姉ちゃんが乗ってる車なんですけどね
性能を上げるとの世界戦略も考えてとうじあらゆるレースに参加して結果を出した。
VHS三倍録画だけど全話録画して持ってるんだけど
原作があるのと音楽の著作権で必ず消されるんだよね
しばらくぶりに通して見たくなりました
「元」町工場なので元町工場ですね。
宮家愈さんが テレビに出てたなんて驚いた この人も日産の天皇と言われた人だったけど 塩路に追い出された
益哲、宮家、塩路・・・日産の天皇でしたね
経営側は 川又、久米は 出てたけど なんで石原が出てないのか?? 四回が見れなくなったので出てたのかもしれないが・・・・
第四話に出てます オイルショックで苦労した逸話を語ってます
第4章の動画ありませんか?
なんだかんだ言っても所詮クルマはデザインが命。
日本のテレビのこういう取材はトヨタは受けないんだよね
この後BBCの取材は受けたのにw
昔のNHKは構成がいいね。今の番組は内容が薄っぺらい
これはハルバースタムの著作が下敷きになっているから
当時の関係者のインタビューをそのまま使うのは
相田洋ディレクターの好み
その後原案も相田洋自身が手掛けて電子立国という
傑作につながる
この世代の製作者がいなくなって取材が浅くなり
ドキュメンタリーが薄味でつまらなくなった
それでもこのメーカーの製品はよく錆るけどな
お湯使えばいい!