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何これ?合唱祭で歌ったことがあるけど、いわゆる「名曲」だと思っていた。こんなカッコいい曲だったとはビックリ!しかも50年前。日本のロックはすごかった。歪んだギターのバッキングは最高だわ。
なんでこんな可愛いの😍
美人だからw
潤子さん、若いなぁ~涙が勝手に出てくる
潤子さん 本当に綺麗ですね 顔も声も美しい 惚れちゃいます♪
山本潤子さん、和風美人。こういう素顔美人が好き。雰囲気あるね。化粧厚い人よりずっと魅力があるね
新居潤子さんのはにかんだ笑顔が初々しい!このロックバージョンが個人的には1番好き。
奇跡的に美しいね。
山本さん若い!そして美しい! そして何という美声。癒されます。
潤子さん輝きすぎ。演奏が自由でカッコいい。そして素晴らしい時代。全てが最高。
小学校や中学校の音楽の時間の歌のイメージだったんですが、本家を聴くと自由に生きたい若者たちの熱い心情を歌ったメッセージソングだったんですね。カッコ良すぎます!!!!!
ポンタさんのご冥福をお祈りしまし。潤子さんの歌声と姿は綺麗で素晴らしい。バンドのみんなも売れる、売れないは関係無く、若いエネルギーをぶつけているのが良い。70年代の日本が一番元気だった時代。音楽と時代は本当にリンクするのが分かる映像です。!
私が知らない70年代前半。この頃の日本は輝いていたんでしょうね。このロック調の「翼をください」から伝わってきます。
わお、貴重な映像発見!ドラムは亡きポンタさん!で、山本さんの繊細な声に横からガンガンとブッ込んでくるリードギター、若き日の大村憲司さんですよね?やっぱりこの頃から二人とも凄いテクニックだ!
このバージョンが一番好きです。それにしても山本潤子さん清楚で可愛くていいなぁ。当時の大学お姉さんってこんな感じだった、従姉がこんな感じでした。自分は幼稚園か小学1年くらいだったけど。
御意。この頃の潤子さんは清楚なかんじでしたね。HiFiセットになって、ショートヘア―にしたころから、顔がすこし変わってきたような気がします。苦労があったのかな?
ポンタさん、出だしのドラム最高です。ご冥福をお祈りします。
ドラムの若い男性は後の村上ポンタ秀一秀一氏とは気が付きませんでした。当時は赤い鳥の皆さんも学生みたいですが、ポンタ氏も学生アルバイトで楽団のサポートをしているように見えました。😅
全然気ずかずにメチャクチャ上手いドラマーだな…と思っていたら村上氏とは…まさしく日本のジョン・ボーナムと言った演奏。天才は最初から光っているものだなぁ…と思いました。
大村憲司のギターも良いです。
大村憲司さんと村上ポンタ秀一さんの若き姿が垣間見れる貴重な動画ですね。アップに感謝です♪
この貴重な動画を、歴史から引っ張り出して、アップされたことに感謝します。翼とは、当時の若者にとって、新しい音楽とか、それまでの時代を打ち破る何かなのだったろうと思いました。
山本潤子さんも、平山泰代さんも本当に可愛いです。歌唱力だけじゃないですね。
山本さんの声最高😊
ほんとは こんなに カッコいいんだって事を、やっと気づきました‼️
山本潤子さん美しすぎる…。世代じゃないけど動画をみて美貌と美声に惚れ惚れしちゃいました。
わかります、彼女の美しさって何なんだろう表情とか、たたずまいとか歌声とか全部ですね
私も2周りくらい下なのですが、この動画見て惚れてしまいました。
もう歌手活動からは引退されたようで残念です。キャリアの最後の方、ちょっとお声が無理だったかなって気がします。
それは否定しないけど、ピアノの平山泰代さんもルックスなんてアイドル顔負けだったし、ボーカルに関しても声楽科出身なので、ハスキーな山本潤子さんより綺麗で、聞き取りやすい。彼女も本当はメインで歌いたかったはず。
演奏後のお辞儀がきれいに揃っていて可愛かった😂
『翼をください』が71年のフォークソングだと知ったのは高校を出てからでした。学校で歌わされる曲と言う認識しかなかったので、「大方、何処かの教師が合唱曲として作ったんだろ」くらいにしか思ってなかったんです。バンドバージョンの方が良いですね。当時の学生はこう言う曲を聴きながらゲバ棒担いで機動隊員とぶつかっていたのかなと思うと感慨深いです。
当時の学生さん、今では名誉教授も退官ですね。
この翼をください、が大好きです。演奏しているか方々が輝いています。
これこんなにエキサイティングな曲だったの?!荒めのロックアレンジがロックの発声法じゃない伸びやかな透明感ある声の天使感を際立たせててほんとエモい。この曲もだけど出発の歌とかNHKの歌番組なんかで流れる優等生アレンジと違って原曲むちゃくちゃかっこいい。でボーカルの方めっちゃびじーん!リズムの乗り方とかやわらかくて天使
大村憲司とポンタの存在が大きいかと。でも、元々の赤い鳥のレベルは高かった。1stなんて英のトニーマコウレイが曲を提供してる!
この中でボーカルの人が一番有名人だと思うんだが😅
Hi-Fi Setの山本潤子さんです。
あれっ?Xjapan から、Hyde.The last rockstars 関連、旅立たれていった人たち、を見ていて、何故か、この動画に、たどり着きました。小学校で、歌の時間歌っていた曲のオリジナル、実は、こんなにカッコイイ曲だったんですね。
@@HasegawaNobutame 赤い鳥のヴォーカルさえ知らない人に、ハイファイセットの、とか言っても分かるわけがないよ。
山本潤子さん見た目も歌声も透明感がすごい超かっこいいアレンジで何度もなんどもリピートしています
何が驚きって、若い山本潤子の輝きだな。解散後のハイファイセットの時は厚化粧似合ってなかったし、それ以降は歌のうまい地味なおばさんという感じだった。
1:13 からの「いま富とか名誉ならば」の「名誉」の部分で声掠れるところカッコいい綺麗事というフィルターを通していない、心からの純粋な願いとして受け取れる感動
「いま富とか名誉ならばいらないけど翼が欲しい」はよくカットされていますよね。
このバージョンが一番好きです。
こんな美しく艷やかな声の人がいるのか。
同感!!本当に美しい歌声❗
”ゆきたーいー”のところ、めっちゃたまる3連が凄くかっこいい。これはもうロックというか、黒っぽいセンスすら感じてしまう。
この曲は学校で習い、山本潤子さんと言えば、ハイファイセットから聞き出した僕ですが、この演奏は本当に素晴らしい。泣けちゃいました。
この映像、大好きで、繰り返し拝見しています。貴重な映像のアップ、ありがとうございます。
いやいやいや、最初にこの映像を見た時、ドラムがポン太さんとはわからなかった。やぁ、とても若くエネルギッシュな演奏だ。それにしても、お若い潤子さん、化粧気なくて、黒目がちな眼がとても素敵だ。
歌唱力もあって美人の2人を見つけることができましたね。
山本潤子の声が大好きでソロのCD持っています。ハイ・ファイ・セットも数枚。今でも時々聴いています。とても癒されます。懐かしいメンバーの画像を見せてくれてありがとう。
大村憲司と村上ポンタの二人がいた貴重な映像です。原曲のイメージを全く無視した二人の独創的な演奏それにつられミス連発の平山のピアノ、よく山本のボーカルがこらえてます。実際見た方はこれが赤い鳥かとびっくりしたでしょう。二人は間もなく脱退するのでその後はいつものおとなしい赤い鳥が復活します実に貴重な赤い鳥のワンシーンです。
良いドラムですよね。いきいきしているドラム。これ好きです。
これも、赤い鳥
村上さん、ひょっとしてイアンペイスが好きだったかもディープパープルのBBCコンサート時代のイアンペイスの演奏の仕方に似ている全力投球ドラム、最高です@@ようつべ万歳
そうですね、貴重な映像ですね音源は、拝聴したことがありましたがご両名が、このステージでどの様に演奏されいたかは音源では、わかりませんでしたこのステージを、ライブで観ておけばと、後悔しています。ご両名が目指された、音楽(演奏者としてのご自身の目標)が世界レベルであったと、今となって感じています(当時は、気が付きませんでした)
昭和46年の10月、高校の文化祭の最終日に赤い鳥が来てくれた。私の高校は殆どががり勉で、他には僅かに学生運動にはまった学生、いじけたツッパリ学生など。因みに私は演歌どっぷりの時代遅れ学生だった。会場で次々と歌を唄って、話しかけてくれて最後にこの「翼をください」を聞かせてくれた。そこにいた学生全部感涙ものだった。私も演歌からフォークソングに転換した時だった。前年は赤い五つの風船だったが本当に感動したのはこの時だけだった気がする。因みに翌年はアリスだった。当時金のない県立高校の生徒会は、安価で来てくれるグループを探して呼んでくれたそうだったが、素晴らしい買い物をしてくれたと思う。
県立高校の文化祭で呼ぶなんてすごい。先見の明も。
@@snou494 当時の公立高校が払える金額は知れていたと思います。それでも来てくれた「赤い鳥」彼らの心(魂)を感じました。
山本潤子さん、若い、そして可愛い。
潤子さんは、ジーンズの似合うナチュラルな美人ですね。40年前、こんな女の人に憧れたような気がします。40年後、飾り気のないまさにナチュラルなおばさんになって同じ歌を歌う彼女を見ると深い感慨が湧きます。
母も死んだ姉さんだけだ
これくらい荒削りの方が今の唱歌としての歌われ方よりも当時の反戦歌としてのメッセージを強く感じる。
そう思います。
粗削りっていいよね。人間らしくて、好感が持てる。完成してないと商品化できないなって、愚の骨頂だよ。
この曲に関していえば、荒削りであるこそ、魅力が増しているように思います。翼をくださいはやはりけいおんverですが、この赤い鳥verもいいですよね!それからこの年代の曲は荒削りなものが多いと思いますね。80年代特有の音とか自分は苦手ですので
質の高い「反戦歌」はついに日本には生まれなかったし、また、生まれる必要も必然性もなかった。日本のフォークって60年代反戦大学紛争時代はレベル低くいんだけど、70年代に入っていきなりハイレベルになる。その一翼を担ったのが赤い鳥。山本潤子と大山泰代の二大ヴォーカリストと、村上ポンタ、大村憲司の暴走名演を愉しめる超貴重映像
平山ね。@@國立益美
なんか ツボにはまってしまって 毎晩聴いています ごちゃごちゃ感がいいですね
最高です、、、この、翼をください は、小学校の時、よく、クラス別、合唱コンクールで、練習して、みんなと一緒に、歌いました、、、懐かしいです。
後期の赤い鳥はライブでの演奏面強化の為に手練のサポートプレイヤー達を参加させたのですが、結果的に出てきた音は赤い鳥本来の路線から大きく逸脱し、意味の分からんくらい疾走感溢れるかっこいいフォークロックバンドに変貌しましたね。
前座はなぎら健壱さんだったし、最高でした。フェアウェルコンサートを丸1年させられた鬼の労音。結果、紙風船もハイファイセットも丸1年スタートが遅れてしまった。 ラジオでなぎらさんが暴露してたけど、その頃はもう労音なんて無くなってたので随分なことを語られてました。
アップになればなるほど綺麗だなこの人
背が高くて鼻が高くてねえ、泰代さんはさぞかし…
この大村さんは、ほんと素晴らしい!!あと、ポンタさん あの重鎮の青春だよね! 理屈抜きに、なんか、勇気が出ます!!
これ日本青年館のライブですよね。自分、このステージ見てました。ポンタさんがドラムと聞いてどんな演奏になるのか興味深々でしたがこんなアレンジもあるのかとショックを受け愕然としました。まだちゃんとしたPAがなかった時代。会場で聴いた音はもっと残響が強く音が渦巻いていたと思います。このライブの少し前、渋谷ヤマハ入口のスペースでポプコン最終予選の2組という事でオフコースと赤い鳥が曲を披露していました。オフコースは「悲しみのジェットプレーン」そして赤い鳥はもちろんアコースティックバージョンの「翼をください」。まさにフォークというイメージでしたがまさかこの曲がこんなにポップに変身するなんて想像出来なかった。映像を残してくださった方に感謝。
これが本物の「翼をください」だったんですか。学校の唱歌でしか知らなかったので、こんなにロックだとは思いませんでした
ruclips.net/video/pWgsjRfKHnQ/видео.html
ポンタさんと大村憲司さんが参加してなければまた全然違うアレンジになってたでしょうね。
大根 様、半世紀付き合ってます。初めの頃でも、もっと今の歌に近い歌い方、伴奏の仕方のもあったように思います。これはリードギター、ドラムスが張り切り過ぎで、私には合いません。
これは、かなりアレンジされているから違和感。
オリジナルでは無いね ロック風にアレンジしている 潤子さんと平山さん あと男三人がオリジナルメンバーです。
みんな若くてエネルギッシュなんだけど、潤子さんの美貌がズバ抜けてて思わず見入ってしまった。恐らく”すっぴん”なのではないか?40年前の動画の中の女性に本気で惚れた!
ほんと、そう思う( ; ; )
私が中学の頃、ウチの田舎迄赤い鳥がコンサートに来てくれて、終わった後に宿までお仕掛けて、2人を生で見ました。私はカワイイ娘の方が好きでしたが、生で近くで見た時に背が高いかたが凄く綺麗で別人かと思う位でした。😅その後スグ背が高いかたのファンになりました。😆カワイイと綺麗の違いに気付いた思春期のイイ思い出です‼😂敢えて名前は出しませんが、分かりましたよね~??😅
何度学校で歌ったか…あの時は何も感じなかったが大人になって聞いてみるととんでもない名曲!
何か判る気がします。この歌もそうですが、自分の場合は例えば学校の授業で教師から「さあ今日の授業はこの歌をみんなで歌いましょう!!」と言われて歌ったり、「校内合唱コンクールで私たちのクラスはこの歌を歌う事になりました。みんなで一丸になって頑張りましょう」なんて言われて歌っても心に残らないけど、後年何気なく聞いたら実に心に響く歌もありました。
30年以上も前ですが、ドラムセミナーで教わった事は忘れません。ありがとうございました。
どの楽器もバラバラで自由気ままに演奏しているところが、翼をはためかせ大空を飛んでいるみたいですごくいい!
リードギターがオブリガード入れているのがバラバラに聞こえるのですかね。
でもリードギターがこういう風に弾かせろ!と主張してこのアレンジが出来上がった様に聞こえるけど。この曲には走り過ぎじゃなかかろうか。ドラム、ベースが合わせてのりのりなのが良い。@@kazurainbow5670
@@kazurainbow5670後年のケン&ポンBANDの掛け合いと同じですね!
ポンタさんが亡くなったと知って悲しいです。ドラムDVD繰り返し見て勉強します。ありがとうございました。
このバージョン好き
この翼をくださいの曲が一番大好きです。大村憲司さん、村上ポン太さんが加わると迫力があり、元気がでます。赤い鳥メンバーの一生懸命さが伝わってきます。かっこいいいです。☺
しかし、結局この「音楽性の違い」が、「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」と、大村、村上等のソロ組に分裂することに繋がってるわけだから複雑でもあります。
村上ポンタさんの訃報で、「赤い鳥」検索して来ました。古臭い表現ですが、赤い鳥にさらにパンチを加えたパフォーマンス。いいですね。 赤い鳥のTVKの解散ライブ特番では観客として観ることができましたが、その時はポンタさんじゃなかったのですね。彼らについては、歌の世界観やコーラスワークが解散後にそれぞれ発展したイメージが強かったのですが、改めて音源や映像で接してみるとサウンドやテクニックでも秀でた存在だったと思いなおしました。やはりスーパーグループですね。
小学校で歌った以来社会人になって、プライベートも仕事もうまくいかなくて夕暮れの道をひとり社用車を走らせていた時、ラジオからこの曲が流れてきました懐かしいなと思いながら口ずさんでいたら涙が出てきて気が付いたら路肩に停まって5分くらい泣いてました俺なにやってんだろうな、と、折れてる場合じゃないな、とずっと好きな曲です
綺麗なメロディと山本潤子さんの澄んだ声、の後ろで大村憲司さん、ポンタ秀一さんがガンガン来てる。めちゃカッコいい!その後のスーパープレイヤーのお2人(大村憲司さんは亡くなられてしまいましたが)に交じって平山泰代さんの音使いがまた凄い!こんな自由な演奏今は聞けないね、感動した
潤子さんが、文字通り「最高に輝いて」います。
日本人なら誰でも知ってる名曲!山本潤子さん、とても素敵な歌声で、綺麗ですね。紙風船でデュオになった平山泰代さんの映像を見れて良いですね。♬
名曲!これはもう国歌みたいなもんですな!
小田和正さんや鈴木康博さんが、このグループと対バンでライブやって、落ち込んだのも理解できる気がする。歌も演奏も圧倒的だもの。
本当は財津和夫さんのグループがショックだと思います…
このバージョン何回も見させてもらってます。特に平山泰代さんのピアノ、滅茶滅茶カッコイイ! このメロディーの後ろであれはすごいなぁと感動!
翼をください 娘を亡くし 娘が、大好きだった歌 娘を 思い出します
仲代達矢さんが絶賛し後押しをした赤い鳥が紙ふうせんとハイファイセットに分かれたことは非常に残念でした。竹田の子守唄など日本独特のフォークソングとポピュラーソングの歌える、しかもギターに加えピアノ、ドラム、キーボード、ハーモニカなどを駆使した演奏を同時にしたとてもレベルの高いグループでした。グループサウンズ、フォークソング、ポピュラーソングが登場した当時に生まれた奇跡といってもいいすぎではないグループだと思います。今は赤い鳥に匹敵するグループはみられません。
音楽性の違い、つまりマンハッタン・トランスファーのような、ジャズコーラス志向のハイ・ファイ・セットと、ピーター・ポール・アンド・マリーのようなフォークコーラス志向の紙ふうせんが別れたわけだけど、ハイ・ファイ・セットは「フィーリング」、紙ふうせんは「冬が来る前に」のヒットを出したので結果オーライかと
ポンタ君と接点があったのは彼が兵庫県西宮市今津中学吹奏楽部の時代でした 僕も兵庫だったので今津のコンサートを2度ほど観に行った時は彼はホルンを吹いてました その後パーカッションに移行して世界の三指に入るほどのドラマーになって行きましたね 彼のビートからは摩訶不思議な感覚が伝わってくる素晴らしいリズムでした 説明しなくても皆さんはよく理解出来る筈です 日本を代表する偉大なるドラマーポンタ君にみんなで絶賛してあげましょう 最高でした ありがとう
これが本当の翼をください!
これが本当の翼をください!(大事な事なので2回言いました)
後世に残したい、日本の名曲の一つだ
久しぶりに、元祖フォーク、翼をくださいを聞きました。矢張り名曲は何時までも残りますね。
ポンタさん…ありがとうございました。この動画大好きです!
この一曲は特別に忘れられない私の青春歌謡名曲の一曲ですね、私が中学生の頃、三年生の頃でした音楽担当教師がこの名曲、翼をくださいで太田市全体的に発表会公演で我が太田市の中学生で優勝をかがげたのです。これぞ永久永遠的な我が青春の一曲ですね
女性のボーカルの糸みたいに綺麗で高い声が大好きです‼️
サビ部分でよく響いている高い声は泰代さんです。
やっぱ潤子さん歌上手すぎ!恐ろしく上手い。
本当にこの曲は、あの素晴らしい愛をもう一度と共に、学校の合唱コンクールの常連曲ですよね。日本語の響き、そして変に飾らない歌詞、いいですね。
今もこれ以上の稀代女性ボーカリストの在籍した、赤い鳥を超える実力バンドは出ていない🤷♂️
この曲が世に出たのは50年前^^;当時中学生だったが友達とギターを弾きながら歌っていた。職場の飲み会の二次会のカラオケで歌った事もあったけど、今は会社も退職し部屋で一人でこの曲を聴いている。
荒い演奏を山本さんのヴォーカルが正しい方向に導くステキな映像。
ギターがめちゃくちゃカッコいいこの時代の日本にこんな人いたんだな
大村憲司・・・ご存じないのですか?
Koeith leomori 「お前わ」じゃなくて「お前は」ね音楽を本当に愛してたら、相手が誰であれ「語るな」なんて酷いこと言わないと思うけどなぁちょっと日本人とは感覚が違うのかな
@@TtoOkumura 大村憲司さんの名前を知ってる日本人ってそんなに多いとは思えないですけどね。アメリカ帰りのブルースロックギタリストとして話題になった当時〜鬼籍に入るまで業績はすごいですけど誰もが存在を知っているかと言えば…?な方かと。更にこの時代の映像と演奏で憲司さん?と気づく人は稀。
@@65FreeSoulそう言われるとたしかに大村憲司さんの名前は知っていても参加音源とかはあまり…しかも、このライブ映像では大村さんあまり映ってないし。でも一番映ってない人の音が一番主張してる👍
当時18歳?かな、このアレンジのライブ見ました。大村憲司さんのギターが、カッコ良くて!ポンタさんはドラムソロとかやって!たまりませんでした!お二人で天国でセッションかな?日本のロックジャズ史に永久に名前は残ります!
ポンタさん亡くなったんときいてやってきました。今回の件で、初めてポンタさんが赤い鳥のメンバーだと知りました。安らかにお眠り下さい。
ポンタさんも大村憲司さんも赤い鳥脱退後、日本を代表するスタジオミュージシャンになっていくんだけど、そこでは山のように歌謡曲とかのレコードに参加していく中で、当然プロデューサーや作曲者やアレンジャーのイメージや意図を最大限くみ取って演奏するプロフェッショナルな職人肌になっていったわけで、それに対してこの頃はまだ俺は俺のやりたい演奏をするんじゃ~、赤い鳥をのっとるんじゃ~っていう血気盛んさがあふれているようでいいですね。
学生時代、東京から千葉まで赤い鳥のコンサートに行ったことが懐かしかったです。軽音楽部に所属していて、赤い鳥と同世代に音楽活動ができていたことがなにか誇らしく思ってしまいます。ハッピーエンド、ガロ、ユーミンも同世代で頑張っていましたね。1970年代大きく動いていた時代でした。
この曲を書いたのが、ユーミンとYMOを世に出した村井邦彦。村井さんはあまり名前は知られてないけど日本のミュージックシーンでは最重要人物の一人ですよ。
ギター演奏が、かっこよすぎ😂
山本潤子かわいすぎ
サビで入ってくる男の人の声とスタイル大好き
房次郎さんでしょう。泰代さんの旦那さんで紙風船のパートナー。
声も顔もキレイだなぁ(*^^*)
ドラムがポンタさん、リードギターが大村さんですか。ステージ上には凄いメンバーが揃っていたんですね。この数年後にお二人は中野サンプラザで行なわれた、オフコースの秋ゆく街でコンサートでオフコースの2人のサポートして下さいました。お二人とも鬼籍に入られています。 合掌。
今見ても素晴らしいメンツだな。だから長く続かないのですね。
ステージ上の皆さんの立ち位置がかっこいい!!
とうとう、このメンバーで再結成する事は無くなってしまった。神秘的なバンドでした。僕にとってはBeatles以上に再結成を望むバンドだったのかも知れない。
同感です。学生時代赤い鳥には感銘受けました。
ただ赤い鳥は、自分たちのオリジナルソングを持っていなかった、悪くいえば作詞者や作曲家にとって都合のいいグループになってしまった点が残念なところです…
若造からすると合唱曲の代名詞となりつつある曲だけど、本家はめちゃくちゃ格好いいですね。今は亡きポンタさんがこのバンドで叩いてたんですね。日本の音楽は凄いなあ
合唱曲しか知らないからこんなギターのリフが効いてるとは思いませんでした
本当に素晴らしい歌.悲しいない世は求めるな気分を感じました、
宝だ。まさに宝を味わえてありがとうです。皆さま、若いときから優秀だったのですね。感動
この歌は、私に大きなエネルギーを与えてくれる永遠の名曲です。このバージョンは更にエネルギーがみなぎっていますね!潤子さん、声もお顔もとってもお綺麗です❤😍
若い時ってそれだけで美しい!未熟だとしても、それが良く見える。生バンドらしい演奏が最高!!歌い出し付近のピアノのミスタッチが逆に良く感じてしまう。素晴らしい!!
ピアノのミスタッチは分かりません。耳が良いのですね。
とんでも無くズレてるんですが、潤子さんが無視してキープし続けるのは根性やと思います。ちょい辛そうな顔する辺りです。
本当ですね、歌声が素晴らしすぎてミスに気が付かなかった、、
ミスではなくキースジャレットなのでは。
今だに見てます昔ならではのギターの音の味が滲み出てて感動的でこの時代こそが本当の音楽の時代だと感じさせ昔ならではのロックの音が愛しくあの時代がもぅ1回来て欲しいと思いました。
この時のこの人たちには本当に翼が生えていたんじゃないかと思う。そのくらいには真のロック。
みんなの服装と演奏の仕方、その時代、好き。
山本潤子さん若くて素敵だ。歌声も最高!心ときめくよ。
当時は山本ではなく新井ね。
新井じゃねえよ新居じゃ、新居家は由緒正しい家柄で四国じゃ。
当時は新居潤子さんだったのか。
1:12〜いま富とか名誉ならばいらないけど 翼がほしいのところ本来すごくクサイというか直球すぎるくらいなんだけどすごく真っ直ぐ届いてきて泣けるほどかっこいい。いいなぁ
潤子さんの目が透き通っていて、とても綺麗です。
清楚という言葉がぴったり。
何これ?合唱祭で歌ったことがあるけど、いわゆる「名曲」だと思っていた。こんなカッコいい曲だったとはビックリ!しかも50年前。日本のロックはすごかった。歪んだギターのバッキングは最高だわ。
なんでこんな可愛いの😍
美人だからw
潤子さん、若いなぁ~
涙が勝手に出てくる
潤子さん 本当に綺麗ですね 顔も声も美しい 惚れちゃいます♪
山本潤子さん、和風美人。こういう素顔美人が好き。雰囲気あるね。化粧厚い人よりずっと魅力があるね
新居潤子さんのはにかんだ笑顔が初々しい!このロックバージョンが個人的には1番好き。
奇跡的に美しいね。
山本さん若い!そして美しい! そして何という美声。癒されます。
潤子さん輝きすぎ。演奏が自由でカッコいい。そして素晴らしい時代。全てが最高。
小学校や中学校の音楽の時間の歌のイメージだったんですが、
本家を聴くと自由に生きたい若者たちの熱い心情を歌ったメッセージソングだったんですね。
カッコ良すぎます!!!!!
ポンタさんのご冥福をお祈りしまし。潤子さんの歌声と姿は綺麗で素晴らしい。バンドのみんなも売れる、売れないは関係無く、若いエネルギーをぶつけているのが良い。70年代の日本が一番元気だった時代。音楽と時代は本当にリンクするのが分かる映像です。!
私が知らない70年代前半。この頃の日本は輝いていたんでしょうね。このロック調の「翼をください」から伝わってきます。
わお、貴重な映像発見!ドラムは亡きポンタさん!で、山本さんの繊細な声に横からガンガンとブッ込んでくるリードギター、若き日の大村憲司さんですよね?やっぱりこの頃から二人とも凄いテクニックだ!
このバージョンが一番好きです。それにしても山本潤子さん清楚で可愛くていいなぁ。当時の大学お姉さんってこんな感じだった、従姉がこんな感じでした。自分は幼稚園か小学1年くらいだったけど。
御意。この頃の潤子さんは清楚なかんじでしたね。HiFiセットになって、ショートヘア―にしたころから、顔がすこし変わってきたような気がします。苦労があったのかな?
ポンタさん、出だしのドラム最高です。ご冥福をお祈りします。
ドラムの若い男性は後の村上ポンタ秀一秀一氏とは気が付きませんでした。
当時は赤い鳥の皆さんも学生みたいですが、ポンタ氏も学生アルバイトで楽団のサポートをしているように見えました。😅
全然気ずかずにメチャクチャ上手いドラマーだな…と思っていたら村上氏とは…まさしく日本のジョン・ボーナムと言った演奏。天才は最初から光っているものだなぁ…と思いました。
大村憲司のギターも良いです。
大村憲司さんと村上ポンタ秀一さんの若き姿が垣間見れる貴重な動画ですね。アップに感謝です♪
この貴重な動画を、歴史から引っ張り出して、アップされたことに感謝します。
翼とは、当時の若者にとって、新しい音楽とか、それまでの時代を打ち破る何かなのだったろうと思いました。
山本潤子さんも、平山泰代さんも本当に可愛いです。
歌唱力だけじゃないですね。
山本さんの声最高😊
ほんとは こんなに カッコいいんだって事を、やっと気づきました‼️
山本潤子さん美しすぎる…。世代じゃないけど動画をみて美貌と美声に惚れ惚れしちゃいました。
わかります、彼女の美しさって何なんだろう
表情とか、たたずまいとか歌声とか全部ですね
私も2周りくらい下なのですが、この動画見て惚れてしまいました。
もう歌手活動からは引退されたようで残念です。キャリアの最後の方、ちょっとお声が無理だったかなって気がします。
それは否定しないけど、ピアノの平山泰代さんもルックスなんてアイドル顔負けだったし、ボーカルに関しても声楽科出身なので、ハスキーな山本潤子さんより綺麗で、聞き取りやすい。彼女も本当はメインで歌いたかったはず。
演奏後のお辞儀がきれいに揃っていて可愛かった😂
『翼をください』が71年のフォークソングだと知ったのは高校を出てからでした。学校で歌わされる曲と言う認識しかなかったので、「大方、何処かの教師が合唱曲として作ったんだろ」くらいにしか思ってなかったんです。バンドバージョンの方が良いですね。
当時の学生はこう言う曲を聴きながらゲバ棒担いで機動隊員とぶつかっていたのかなと思うと感慨深いです。
当時の学生さん、今では名誉教授も退官ですね。
この翼をください、が大好きです。演奏しているか方々が輝いています。
これこんなにエキサイティングな曲だったの?!荒めのロックアレンジがロックの発声法じゃない伸びやかな透明感ある声の天使感を際立たせててほんとエモい。この曲もだけど出発の歌とかNHKの歌番組なんかで流れる優等生アレンジと違って原曲むちゃくちゃかっこいい。でボーカルの方めっちゃびじーん!リズムの乗り方とかやわらかくて天使
大村憲司とポンタの存在が大きいかと。でも、元々の赤い鳥のレベルは高かった。1stなんて英のトニーマコウレイが曲を提供してる!
この中でボーカルの人が一番有名人だと思うんだが😅
Hi-Fi Setの山本潤子さんです。
あれっ?
Xjapan から、Hyde.The last rockstars 関連、旅立たれていった人たち、を見ていて、何故か、この動画に、たどり着きました。
小学校で、歌の時間歌っていた曲のオリジナル、実は、こんなにカッコイイ曲だったんですね。
@@HasegawaNobutame
赤い鳥のヴォーカルさえ知らない人に、ハイファイセットの、とか言っても分かるわけがないよ。
山本潤子さん見た目も歌声も透明感がすごい
超かっこいいアレンジで何度もなんどもリピートしています
何が驚きって、若い山本潤子の輝きだな。解散後のハイファイセットの時は厚化粧似合ってなかったし、それ以降は歌のうまい地味なおばさんという感じだった。
1:13 からの
「いま富とか名誉ならば」の「名誉」の部分で声掠れるところカッコいい
綺麗事というフィルターを通していない、心からの純粋な願いとして受け取れる
感動
「いま富とか名誉ならばいらないけど翼が欲しい」はよくカットされていますよね。
このバージョンが一番好きです。
こんな美しく艷やかな声の人がいるのか。
同感!!本当に美しい歌声❗
”ゆきたーいー”のところ、めっちゃたまる3連が凄くかっこいい。これはもうロックというか、黒っぽいセンスすら感じてしまう。
この曲は学校で習い、山本潤子さんと言えば、ハイファイセットから聞き出した僕ですが、この演奏は本当に素晴らしい。泣けちゃいました。
この映像、大好きで、繰り返し拝見しています。貴重な映像のアップ、ありがとうございます。
いやいやいや、最初にこの映像を見た時、ドラムがポン太さんとはわからなかった。やぁ、とても若くエネルギッシュな演奏だ。それにしても、お若い潤子さん、化粧気なくて、黒目がちな眼がとても素敵だ。
歌唱力もあって美人の2人を見つけることができましたね。
山本潤子の声が大好きでソロのCD持っています。ハイ・ファイ・セットも数枚。今でも時々聴いています。とても癒されます。懐かしいメンバーの画像を見せてくれてありがとう。
大村憲司と村上ポンタの二人がいた貴重な映像です。原曲のイメージを全く無視した二人の独創的な演奏それにつられミス連発の平山のピアノ、よく山本のボーカルがこらえてます。実際見た方はこれが赤い鳥かとびっくりしたでしょう。二人は間もなく脱退するのでその後はいつものおとなしい赤い鳥が復活します実に貴重な赤い鳥のワンシーンです。
良いドラムですよね。いきいきしているドラム。これ好きです。
これも、赤い鳥
村上さん、ひょっとしてイアンペイスが好きだったかも
ディープパープルのBBCコンサート時代の
イアンペイスの演奏の仕方に似ている
全力投球ドラム、最高です@@ようつべ万歳
そうですね、貴重な映像ですね
音源は、拝聴したことがありましたが
ご両名が、このステージでどの様に演奏されいたかは
音源では、わかりませんでした
このステージを、ライブで観ておけば
と、後悔しています。
ご両名が目指された、
音楽(演奏者としてのご自身の目標)が
世界レベルであったと、今となって感じています
(当時は、気が付きませんでした)
昭和46年の10月、高校の文化祭の最終日に赤い鳥が来てくれた。私の高校は殆どががり勉で、他には僅かに学生運動にはまった学生、いじけたツッパリ学生など。因みに私は演歌どっぷりの時代遅れ学生だった。会場で次々と歌を唄って、話しかけてくれて最後にこの「翼をください」を聞かせてくれた。そこにいた学生全部感涙ものだった。私も演歌からフォークソングに転換した時だった。前年は赤い五つの風船だったが本当に感動したのはこの時だけだった気がする。因みに翌年はアリスだった。当時金のない県立高校の生徒会は、安価で来てくれるグループを探して呼んでくれたそうだったが、素晴らしい買い物をしてくれたと思う。
県立高校の文化祭で呼ぶなんてすごい。先見の明も。
@@snou494
当時の公立高校が払える金額は知れていたと思います。
それでも来てくれた「赤い鳥」
彼らの心(魂)を感じました。
山本潤子さん、若い、そして可愛い。
潤子さんは、ジーンズの似合うナチュラルな美人ですね。40年前、こんな女の人に憧れたような気がします。40年後、飾り気のないまさにナチュラルなおばさんになって同じ歌を歌う彼女を見ると深い感慨が湧きます。
母も死んだ姉さんだけだ
これくらい荒削りの方が今の唱歌としての歌われ方よりも当時の反戦歌としてのメッセージを強く感じる。
そう思います。
粗削りっていいよね。人間らしくて、好感が持てる。完成してないと商品化できないなって、愚の骨頂だよ。
この曲に関していえば、荒削りであるこそ、魅力が増しているように思います。
翼をくださいはやはりけいおんverですが、この赤い鳥verもいいですよね!
それからこの年代の曲は荒削りなものが多いと思いますね。80年代特有の音とか自分は苦手ですので
質の高い「反戦歌」はついに日本には生まれなかったし、また、生まれる必要も必然性もなかった。日本のフォークって60年代反戦大学紛争時代はレベル低くいんだけど、70年代に入っていきなりハイレベルになる。その一翼を担ったのが赤い鳥。山本潤子と大山泰代の二大ヴォーカリストと、村上ポンタ、大村憲司の暴走名演を愉しめる超貴重映像
平山ね。
@@國立益美
なんか ツボにはまってしまって 毎晩聴いています ごちゃごちゃ感がいいですね
最高です、、、この、翼をください は、小学校の時、よく、クラス別、合唱コンクールで、練習して、みんなと一緒に、歌いました、、、懐かしいです。
後期の赤い鳥はライブでの演奏面強化の為に手練のサポートプレイヤー達を参加させたのですが、結果的に出てきた音は赤い鳥本来の路線から大きく逸脱し、意味の分からんくらい疾走感溢れるかっこいいフォークロックバンドに変貌しましたね。
前座はなぎら健壱さんだったし、最高でした。フェアウェルコンサートを丸1年させられた鬼の労音。結果、紙風船もハイファイセットも丸1年スタートが遅れてしまった。
ラジオでなぎらさんが暴露してたけど、その頃はもう労音なんて無くなってたので随分なことを語られてました。
アップになればなるほど綺麗だなこの人
背が高くて鼻が高くてねえ、泰代さんはさぞかし…
この大村さんは、ほんと素晴らしい!!あと、ポンタさん あの重鎮の青春だよね! 理屈抜きに、なんか、勇気が出ます!!
これ日本青年館のライブですよね。自分、このステージ見てました。ポンタさんがドラムと聞いてどんな演奏になるのか興味深々でしたがこんなアレンジもあるのかとショックを受け愕然としました。まだちゃんとしたPAがなかった時代。会場で聴いた音はもっと残響が強く音が渦巻いていたと思います。このライブの少し前、渋谷ヤマハ入口のスペースでポプコン最終予選の2組という事でオフコースと赤い鳥が曲を披露していました。オフコースは「悲しみのジェットプレーン」そして赤い鳥はもちろんアコースティックバージョンの「翼をください」。まさにフォークというイメージでしたがまさかこの曲がこんなにポップに変身するなんて想像出来なかった。映像を残してくださった方に感謝。
これが本物の「翼をください」だったんですか。学校の唱歌でしか知らなかったので、こんなにロックだとは思いませんでした
ruclips.net/video/pWgsjRfKHnQ/видео.html
ポンタさんと大村憲司さんが参加してなければまた全然違うアレンジになってたでしょうね。
大根 様、半世紀付き合ってます。初めの頃でも、
もっと今の歌に近い歌い方、伴奏の仕方のもあったように思います。これは
リードギター、ドラムスが張り切り過ぎで、私には
合いません。
これは、かなりアレンジされているから違和感。
オリジナルでは無いね ロック風にアレンジしている 潤子さんと平山さん あと男三人がオリジナルメンバーです。
みんな若くてエネルギッシュなんだけど、潤子さんの美貌がズバ抜けてて
思わず見入ってしまった。恐らく”すっぴん”なのではないか?
40年前の動画の中の女性に本気で惚れた!
ほんと、そう思う( ; ; )
私が中学の頃、ウチの田舎迄赤い鳥がコンサートに来てくれて、終わった後に宿までお仕掛けて、2人を生で見ました。
私はカワイイ娘の方が好きでしたが、生で近くで見た時に背が高いかたが凄く綺麗で別人かと思う位でした。😅
その後スグ背が高いかたのファンになりました。😆
カワイイと綺麗の違いに気付いた思春期のイイ思い出です‼😂
敢えて名前は出しませんが、分かりましたよね~??😅
何度学校で歌ったか…あの時は何も感じなかったが大人になって聞いてみるととんでもない名曲!
何か判る気がします。この歌もそうですが、
自分の場合は例えば学校の授業で教師から
「さあ今日の授業はこの歌をみんなで歌い
ましょう!!」と言われて歌ったり、
「校内合唱コンクールで私たちのクラスはこの歌を
歌う事になりました。みんなで一丸になって
頑張りましょう」
なんて言われて歌っても心に残らないけど、後年
何気なく聞いたら実に心に響く歌もありました。
30年以上も前ですが、ドラムセミナーで教わった事は忘れません。ありがとうございました。
どの楽器もバラバラで自由気ままに演奏しているところが、翼をはためかせ大空を飛んでいるみたいですごくいい!
リードギターがオブリガード入れているのがバラバラに聞こえるのですかね。
でもリードギターがこういう風に弾かせろ!と主張してこのアレンジが出来上がった様に聞こえるけど。この曲には走り過ぎじゃなかかろうか。ドラム、ベースが合わせてのりのりなのが良い。@@kazurainbow5670
@@kazurainbow5670後年のケン&ポンBANDの掛け合いと同じですね!
ポンタさんが亡くなったと知って悲しいです。ドラムDVD繰り返し見て勉強します。ありがとうございました。
このバージョン好き
この翼をくださいの曲が一番大好きです。大村憲司さん、村上ポン太さんが加わると迫力があり、元気がでます。赤い鳥メンバーの一生懸命さが伝わってきます。かっこいいいです。☺
しかし、結局この「音楽性の違い」が、「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」と、大村、村上等のソロ組に分裂することに繋がってるわけだから複雑でもあります。
村上ポンタさんの訃報で、「赤い鳥」検索して来ました。古臭い表現ですが、赤い鳥にさらにパンチを加えたパフォーマンス。いいですね。 赤い鳥のTVKの解散ライブ特番では観客として観ることができましたが、その時はポンタさんじゃなかったのですね。彼らについては、歌の世界観やコーラスワークが解散後にそれぞれ発展したイメージが強かったのですが、改めて音源や映像で接してみるとサウンドやテクニックでも秀でた存在だったと思いなおしました。やはりスーパーグループですね。
小学校で歌った以来
社会人になって、プライベートも仕事もうまくいかなくて
夕暮れの道をひとり社用車を走らせていた時、ラジオからこの曲が流れてきました
懐かしいなと思いながら口ずさんでいたら涙が出てきて
気が付いたら路肩に停まって5分くらい泣いてました
俺なにやってんだろうな、と、折れてる場合じゃないな、と
ずっと好きな曲です
綺麗なメロディと山本潤子さんの澄んだ声、の後ろで大村憲司さん、ポンタ秀一さんがガンガン来てる。めちゃカッコいい!
その後のスーパープレイヤーのお2人(大村憲司さんは亡くなられてしまいましたが)に交じって平山泰代さんの音使いがまた凄い!こんな自由な演奏今は聞けないね、感動した
潤子さんが、文字通り「最高に輝いて」います。
日本人なら誰でも知ってる名曲!山本潤子さん、とても素敵な歌声で、綺麗ですね。
紙風船でデュオになった平山泰代さんの映像を見れて良いですね。♬
名曲!これはもう国歌みたいなもんですな!
小田和正さんや鈴木康博さんが、このグループと対バンでライブやって、落ち込んだのも理解できる気がする。
歌も演奏も圧倒的だもの。
本当は財津和夫さんのグループがショックだと思います…
このバージョン何回も見させてもらってます。特に平山泰代さんのピアノ、滅茶滅茶カッコイイ! このメロディーの後ろであれはすごいなぁと感動!
翼をください 娘を亡くし 娘が、大好きだった歌 娘を 思い出します
仲代達矢さんが絶賛し後押しをした赤い鳥が紙ふうせんとハイファイセットに分かれたことは非常に残念でした。竹田の子守唄など日本独特のフォークソングとポピュラーソングの歌える、しかもギターに加えピアノ、ドラム、キーボード、ハーモニカなどを駆使した演奏を同時にしたとてもレベルの高いグループでした。グループサウンズ、フォークソング、ポピュラーソングが登場した当時に生まれた奇跡といってもいいすぎではないグループだと思います。今は赤い鳥に匹敵するグループはみられません。
音楽性の違い、つまりマンハッタン・トランスファーのような、ジャズコーラス志向のハイ・ファイ・セットと、ピーター・ポール・アンド・マリーのようなフォークコーラス志向の紙ふうせんが別れたわけだけど、ハイ・ファイ・セットは「フィーリング」、紙ふうせんは「冬が来る前に」のヒットを出したので結果オーライかと
ポンタ君と接点があったのは彼が兵庫県西宮市今津中学吹奏楽部の時代でした 僕も兵庫だったので今津のコンサートを2度ほど観に行った時は彼はホルンを吹いてました その後パーカッションに移行して世界の三指に入るほどのドラマーになって行きましたね 彼のビートからは摩訶不思議な感覚が伝わってくる素晴らしいリズムでした 説明しなくても皆さんはよく理解出来る筈です 日本を代表する偉大なるドラマーポンタ君にみんなで絶賛してあげましょう 最高でした ありがとう
これが本当の翼をください!
これが本当の翼をください!
(大事な事なので2回言いました)
後世に残したい、日本の名曲の一つだ
久しぶりに、元祖フォーク、翼をくださいを聞きました。
矢張り名曲は何時までも残りますね。
ポンタさん…ありがとうございました。この動画大好きです!
この一曲は特別に忘れられない私の青春歌謡名曲の一曲ですね、
私が中学生の頃、三年生の頃でした音楽担当教師がこの名曲、翼をくださいで太田市全体的に発表会公演で我が太田市の中学生で優勝をかがげたのです。
これぞ永久永遠的な我が青春の一曲ですね
女性のボーカルの糸みたいに綺麗で高い声が大好きです‼️
サビ部分でよく響いている高い声は泰代さんです。
やっぱ潤子さん歌上手すぎ!
恐ろしく上手い。
本当にこの曲は、あの素晴らしい愛をもう一度と共に、学校の合唱コンクールの常連曲ですよね。日本語の響き、そして変に飾らない歌詞、いいですね。
今もこれ以上の稀代女性ボーカリストの在籍した、赤い鳥を超える実力バンドは出ていない🤷♂️
この曲が世に出たのは50年前^^;
当時中学生だったが友達とギターを弾きながら歌っていた。
職場の飲み会の二次会のカラオケで歌った事もあったけど、
今は会社も退職し部屋で一人でこの曲を聴いている。
荒い演奏を山本さんのヴォーカルが正しい方向に導くステキな映像。
ギターがめちゃくちゃカッコいい
この時代の日本にこんな人いたんだな
大村憲司・・・ご存じないのですか?
Koeith leomori
「お前わ」じゃなくて「お前は」ね
音楽を本当に愛してたら、相手が誰であれ「語るな」なんて酷いこと言わないと思うけどなぁ
ちょっと日本人とは感覚が違うのかな
@@TtoOkumura 大村憲司さんの名前を知ってる日本人ってそんなに多いとは思えないですけどね。
アメリカ帰りのブルースロックギタリストとして話題になった当時〜鬼籍に入るまで業績はすごいですけど
誰もが存在を知っているかと言えば…?な方かと。更にこの時代の映像と演奏で憲司さん?と気づく人は稀。
@@65FreeSoulそう言われるとたしかに大村憲司さんの名前は知っていても参加音源とかはあまり…しかも、このライブ映像では大村さんあまり映ってないし。でも一番映ってない人の音が一番主張してる👍
当時18歳?かな、このアレンジのライブ見ました。
大村憲司さんのギターが、カッコ良くて!ポンタさんはドラムソロとかやって!たまりませんでした!
お二人で天国でセッションかな?
日本のロックジャズ史に永久に名前は残ります!
ポンタさん
亡くなったんときいてやってきました。
今回の件で、初めてポンタさんが赤い鳥のメンバーだと知りました。
安らかにお眠り下さい。
ポンタさんも大村憲司さんも赤い鳥脱退後、日本を代表するスタジオミュージシャンになっていくんだけど、そこでは山のように歌謡曲とかのレコードに参加していく中で、当然プロデューサーや作曲者やアレンジャーのイメージや意図を最大限くみ取って演奏するプロフェッショナルな職人肌になっていったわけで、それに対してこの頃はまだ俺は俺のやりたい演奏をするんじゃ~、赤い鳥をのっとるんじゃ~っていう血気盛んさがあふれているようでいいですね。
学生時代、東京から千葉まで赤い鳥のコンサートに行ったことが懐かしかったです。軽音楽部に所属していて、赤い鳥と同世代に音楽活動ができていたことがなにか誇らしく思ってしまいます。ハッピーエンド、ガロ、ユーミンも同世代で頑張っていましたね。1970年代大きく動いていた時代でした。
この曲を書いたのが、ユーミンとYMOを世に出した村井邦彦。村井さんはあまり名前は知られてないけど日本のミュージックシーンでは最重要人物の一人ですよ。
ギター演奏が、かっこよすぎ😂
山本潤子かわいすぎ
サビで入ってくる男の人の声とスタイル大好き
房次郎さんでしょう。泰代さんの旦那さんで紙風船のパートナー。
声も顔もキレイだなぁ(*^^*)
ドラムがポンタさん、リードギターが大村さんですか。
ステージ上には凄いメンバーが揃っていたんですね。
この数年後にお二人は中野サンプラザで行なわれた、オフコースの秋ゆく街でコンサートでオフコースの2人のサポートして下さいました。
お二人とも鬼籍に入られています。 合掌。
今見ても素晴らしいメンツだな。だから長く続かないのですね。
ステージ上の皆さんの立ち位置がかっこいい!!
とうとう、このメンバーで再結成する事は無くなってしまった。
神秘的なバンドでした。僕にとってはBeatles以上に再結成を望む
バンドだったのかも知れない。
同感です。学生時代赤い鳥には感銘受けました。
ただ赤い鳥は、自分たちのオリジナルソングを持っていなかった、悪くいえば作詞者や作曲家にとって都合のいいグループになってしまった点が残念なところです…
若造からすると合唱曲の代名詞となりつつある曲だけど、本家はめちゃくちゃ格好いいですね。今は亡きポンタさんがこのバンドで叩いてたんですね。日本の音楽は凄いなあ
合唱曲しか知らないからこんなギターのリフが効いてるとは思いませんでした
本当に素晴らしい歌.悲しいない世は求めるな気分を感じました、
宝だ。まさに宝を味わえてありがとうです。皆さま、若いときから優秀だったのですね。感動
この歌は、私に大きなエネルギーを与えてくれる永遠の名曲です。このバージョンは更にエネルギーがみなぎっていますね!潤子さん、声もお顔もとってもお綺麗です❤😍
若い時ってそれだけで美しい!未熟だとしても、それが良く見える。生バンドらしい演奏が最高!!歌い出し付近のピアノのミスタッチが逆に良く感じてしまう。素晴らしい!!
ピアノのミスタッチは分かりません。
耳が良いのですね。
とんでも無くズレてるんですが、潤子さんが無視してキープし続けるのは根性やと思います。ちょい辛そうな顔する辺りです。
本当ですね、歌声が素晴らしすぎてミスに気が付かなかった、、
ミスではなくキースジャレットなのでは。
今だに見てます昔ならではのギターの音の味が滲み出てて感動的でこの時代こそが本当の音楽の時代だと感じさせ昔ならではのロックの音が愛しくあの時代がもぅ1回来て欲しいと思いました。
この時のこの人たちには本当に翼が生えていたんじゃないかと思う。
そのくらいには真のロック。
みんなの服装と演奏の仕方、その時代、好き。
山本潤子さん若くて素敵だ。歌声も最高!心ときめくよ。
当時は山本ではなく新井ね。
新井じゃねえよ新居じゃ、新居家は由緒正しい家柄で四国じゃ。
当時は新居潤子さんだったのか。
1:12〜
いま富とか名誉ならばいらないけど 翼がほしい
のところ本来すごくクサイというか直球すぎるくらいなんだけどすごく真っ直ぐ届いてきて泣けるほどかっこいい。いいなぁ
潤子さんの目が透き通っていて、とても綺麗です。
清楚という言葉がぴったり。