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少し前は厄神までの加古川市内は日中でも毎時2本だったですがあのウィルスの影響からか一部時間帯に区間列車が廃止されたんですよね・・・そして震災時は加古川・谷川間で快速列車も運転されたようです。
地元の路線をピックアップしてくださりありがとうございます❗家のすぐそばを通っているので親近感が違います😊
顔が原型に近く、スピードも出す播但線の103系のが個人的には好きです。
最初、加古川線が混雑していたのは衛生管理者試験受験のための人が多かったからだと思います。神野駅に衛生管理者試験の受験会場である近畿安全衛生技術センターがあるんですよね。
関東だと内房線の五井駅が衛生管理者試験の受験会場の最寄駅ですね
ポリテクセンターやね(地元民)
第一種衛生管理者の試験を受けに行きました。
撮影の為に1時間後の列車を待つ決断が出来るのが素晴らしいです。
阪神淡路大震災の時は加古川ー谷川の直通臨時列車(主に西脇市ー谷川延長運転)は走ってました、この関係で北近畿は全列車谷川に停車しました。また網干から221と113を東側に送り込むために臨時の回送列車を運転しましたが非電化のためDD51かDE10牽引でトンネル対策でパンタグラフを外して運転されました。
網干から京阪地区へ回送する電車を通したのは播但線のほうでしたが、途中の生野トンネルの断面が特に狭くてパンタグラフを畳んだだけではだめで、取り外さなければなりませんでした。
JR西日本103系は更新されまくっていて、車体の外装・内装は色々変わっているけど、音は昔のまんまなのが良いですね。
分かる、その気持ち。
屋根も天井の装置も貫通扉も全然違うのに同じ車両とは思えないですね
低窓・グロヴェン・非冷房こそ真の103系!関西本線沿線に暮らしてますがあの爆音が聞けなくなって久しい…
駅の交換設備の線路が長いのは、阪神淡路大震災で山陽本線が寸断された時に、迂回路線として、貨物列車が乗り入れたりしたので、山陽本線のと山陰本線の連絡線と災害時のバックアップ路線として活用する為の設備です。
10:20 三木鉄道ミキ300-103は、ひたちなか海浜鉄道湊線で活躍中ですね。
他にも樽見鉄道や北条鉄道に行ったミキ300形もあり、3社ですべて現役。
今では大学生に育った娘が、0歳児の時滝野町(現:加東市)に住んでいたので、何もかも懐かしいです。取材ありがとうございます。
加古川駅は、高架化される前は片面ホーム1面と島式ホーム2面の駅(国鉄型ホームに加古川線のホームと廃止された高砂線のホームが1面)でした。この頃は、上りの快速(各駅停車)が、中線である2番線に停車して新快速が、3番線に停車していました。加古川線は、廃止された鍛冶屋線(こちら側が、西脇市の中心部)から福知山線の方へ延伸する計画だったのですが、経営難で実現する前に別の会社に譲渡されました。その会社が、西脇市駅(元野村駅)から分岐させて加古川沿いに谷川駅まで開通させました。鍛冶屋線の方に、西脇駅が有ったのですが鍛冶屋線が廃線となったので野村駅を改名して西脇市駅としました。加古川線が、谷川駅で福知山線と接続した時に、私設鉄道が国鉄の福知山線と接続する事になったので別ホームでの接続となったので直接福知山線へ入れるような配線(国有化後に、線路を繋いだ可能性が有ります。)になっていないのだと思います。北条鉄道には、東北で運行していた「キハ40」を購入して運行しているのですが、乗車はされましたか???内部は、東北で運行したままだそうです。
阪神大震災の折は山陽本線の迂回路として使用されたんですよね
尼崎から福知山線経由で谷川、谷川から加古川線経由で加古川というルートで走りました。その際「非電化のままでは非効率」ってなって電化(播但線の寺前以南姫路までの区間も)されたようです。
@@まるかつ鉄道直通があったのは播但線で、加古川線は谷川~西脇市間の増発と、特急「北近畿」の谷川臨時停車でした。
@@MT-rx9ls 加古川線は、谷川駅の分岐器が車両送り込み用の非常用しか無かったので、直通運転が不可能だったんですよね。
自分の地元が加古川なので、こうやって取り上げてもらえるのが嬉しいです😃
19:20昇柱禁止とは、柱の強度の問題で、昇って作業してはいけませんよという意味だと思います。
103の緑と黒のツートンがかっこいい。緑の色の選択が本当に素晴らしい。25km/hour区間の映像もすごく面白かったです。過去の映像のインサートも素晴らしかったですね。細かい時間のかかる編集ご苦労様です。
いつも楽しく動画 拝見しております。 加古川線の映像、初めて観ました。 加古川には少し縁があってどんな路線なのか前から気になって ました。 今回初めて映像見て、正直感動してます。 こんなマイナーな路線を取りあげてくださって ありがとうございました!
ディーゼル時代は最大6両編成でした。懐かしい。昔は野村駅だったのが西脇に変わっている。時代ですね。
加古川線の電化が阪神大震災が起きた際の迂回路の確保という訳を知り、私も勉強になりました。103系の甲高いモーターの音も懐かしみました。各駅の詳しい紹介もひろきさんらしくてマルですよ。ひろきさんも、健康管理に注意され良いお年をお迎え下さい。2023.12.31
125系の電車は 223系電車の中間車の車体を利用しています。ちなみに223系電車と連結と制御も可能らしいです。まあ~制御系は223系基準とのことです。(中の人曰く)
そうなんですか。だから、お顔が似ているしパンタグラフも新しいのですね。
お邪魔します。223系中間車車体の中扉を塞いで2扉にしているのがカワイイですよね😅ちなみに223系は一部の中間車の車端部を比較的簡単な工事で先頭車化できるように準備されていると聞いたことがあります。恐らく、外板を所定の位置でカットして剥がし骨格のボルトを緩めれば車端部の構体を分離できて、ここへ別に作った運転席構体を接続し、制御関係の配線をすれば〜なんじゃないかと。先頭車化する際には、お顔が125系のデザインになるのかな?と😅
😢😢
207系ともです
@@博行-o8gそのうち岡山行ったら125系顔の223系見れる様になりそう
阪神大震災の後、神戸線が復旧するまで神鉄・福知山線を経由する迂回ルートとして大活躍してたよ。4両(3両だったか?)に鮨詰めで走ってた。
近郊区間大回りになくてはならない路線であります。立花→尼崎大回りにたまに乗ります。気候のいい頃に、谷川駅でボーゼンと待つのは最高です。
27:52 カナソ・ハイニノ国とは、鍛冶屋線の駅名カ 鍛冶屋、ナ 中村町、ソ 曽我井ハ 羽安、イ 市原、ニ 西脇、ノ 野村(西脇市駅の旧名)で、間の「・」はこの間を通る自治体の境目(多可郡中町(現多可町)と西脇市)でした。鍛冶屋線の沿線には廃止当時走っていた気動車が保存されています。
加古川線は加古川市寄りよりも谷川寄りの方が駅の入り口(駅舎ではなく“入り口”)が新しく、久下村駅近郊では巨大工場(兵庫パルプ工業)の他に川向こうに巨大宗教施設(円応教本部)が鎮座してて、見処一杯の末端区間ですね。この路線は電化を記念して十数年前迄西脇市出身美術家横尾忠則氏デザインのサイケデリックなラッピング電車が四種類程走ってましたが、もう塗装が戻されてしまって残念です…個人的には33:03~の日本のへそを説明する地図の現在地が、愛媛県辺りになってるのが面白ポイントですw
三木鉄道のミキ300形はひたちなか海浜鉄道で現在も活躍中です。
乗客多いのに1両編成って鬼畜過ぎる。せめて2両編成にしてあげて欲しい。阪和線でも6両→4両編成にして激混みになってる時間帯もありますね。
朝の通勤時間は2両編成ですよ。
昨日谷川発加古川行きに乗車しました車両は125系単行でした最初から座席がうまり進むにつれて乗客が増えて通勤電車並みの混雑 北条鉄道利用のため粟生で下車しましたが降りるのが大変でした
谷川からだと時間がシビアだからな〜粟生行くのに偶に使うけど都心部の路線なのに妙なスリルがあって面白い。
加古川線に和歌山線などに導入している227系1000番台を103系の置き換え用に導入してほしいですね。
西脇超えたら....ほんと秘境なんよなあw昔々のディ-ゼル時代は西脇1両切り離しで谷川直通何本もありましたねえ本数少ないから案外混んでた思い出ありますねw同じ秘境を想像して和歌山線乗って裏切られた記憶もwww
昔の谷川発の列車は加古川に行くのは早朝の1本だけで基本は野村でスイッチバックして鍛冶屋線の西脇駅行きでしたよ
@@ワイルドメーン 子供が小さい時に鉄道好きだったので福知山経由で山陰の実家行くのに確か加古川8~10時位のに乗って行ったんだけどなあ???記憶違いかな?
@@ワイルドメーン知ったか乙
非電化時代は加古川橋梁をよく歩いて渡っていたな😊
加古川駅を出てすぐ、カーブの途中から国鉄時代に廃止された国鉄高砂線が分岐していました。高砂線の途中、野口駅跡から山陽電車の別府駅近くを通り、土山駅まで別府鉄道という軽便鉄道が走っていましたよ。
別府鉄道は1067ミリで軽便鉄道ではないよ。
軽便ではないですね学生の頃に車道と並走区間で自転車で勝負して勝てる位の速度でしたがwww
ご指摘ありがとうございます。どうやら初期の頃は軽便鉄道だった(?)らしいですね。@@keijimatsuura4232
どうやら初期の頃は軽便鉄道(?)として野口線が開業したらしいです。昔の動画を見ているとたしかに結構ゆっくり走ってるっていう印象ですね~@@puhero670
車両が土山付近の遺跡後に展示されています
ひろきさんが、たにかわってちゃんと読んでくれて嬉しいです!ちなみに推察通り加古川のイントネーションは、か↘︎こがわ、じゃなくて、か→こがわですね。んで途中にもありましたが、もともと加古川線は鍛冶屋線直通がメインで、谷川方面はほぼ別路線でした。阪神大震災でたまたま電化されたものの、西脇市〜谷川間は兵庫県民にとって一番未知の秘境路線と思いますよ。
新型の車両は小浜線でつかわれている車両です。一度18使って周遊してみようかなー。楽しそうですね。
一両の気動車は結構ありますが一両の電車はかなり珍しいですよね
路面電車だったらよくある。旧型電車には一両で走れる電車はある。最近の電車は2両に分けて機器を積むので1両で走れない電車は多い。1両の電車はできるが高速運転は無理と思う。
阪神大震災が無かったら、加古川線は今でも非電化だったと思う。加古川線が電化されたと聞いた時はかなり驚いた。
加古川北線は廃止になってただろうな阪神淡路大震災の際には、加古川線は迂回路になってなかったので和田山経由で播但線が迂回路となっていたので大変不便だったので加古川北線を電化して迂回路にすれば和田山経由の半分くらいの時間で済むから加古川線が電化されたという経緯です。ただ今のJR西日本は加古川線の電車を上手く扱えてないは正直言って勿体無いと思います。谷川駅での加古川線と福知山線の接続が悪いので加古川北線の利用者が絶望的なのはそのせいです。篠山口まで乗り入れさせて丹波路快速と接続させれば乗客が増えると思うのだが
@@ワイルドメーン 震災時は加古川線も迂回路として使用はされましたが、本数は少なく西脇市駅で乗り換えが必要で不便過ぎたため播但線も迂回路として使用されたと聞きます。支線であった三木線と鍛冶屋線は廃線され北条線は第三セクターに転換されました。震災が無ければ、少なくとも西脇市より北側は廃線されていた可能性が高かったと思います。
粟生駅で合流している神戸電鉄粟生線と北条鉄道にも機会があれば。播但線も寺前駅から先は本数が少ないですね。
秋に「日本へそ公園」に行きました(車ですが)メタセコイア並木の紅葉が見れるんですよねぇあと「鍛冶屋駅跡」も数年前に行きました。記念館に成っていて、車両も一両展示されていました。廃線跡はサイクリングロードに成っているようです。
ひろきさんこんばんは。加古川線取り上げていただいてありがとうございます。僕は以前、加古川線に乗って通勤していました。その時、125系3両連結した編成に乗って通勤した事がありましたよ。😮
ボリュームたっぷりなローカル線のご紹介動画、非常に楽しませていただきました!途中駅の粟生駅から北条鉄道に一度だけ乗ったことがあるのですが、神戸電鉄と加古川線との接続駅とは思えないほど辺りすっかすかで途方に暮れたのを思い出しました。次の動画も楽しみにしております!
加古川線、今年乗ったときは加古川から数駅先の厄神ですら過疎っていて、西脇市より北とか廃駅じゃないのかっていうくらいマジで人誰もいなかった
少なくても全線2両編成になって欲しいですね。ゆっくりしたローカル線は景色がいいです。
厄神駅は加古川少年院に行くときによく使いしました。駅前の寂れた感じが印象的でした。
え!?ひろきさんが谷川来てたの!?嬉し過ぎる笑
私が中学のとき国鉄気動車オンリーで😅谷川発は1〜2両で加古川まで行く間、途中の各支線から客を乗せた車両を🚃繋げ、加古川駅に着く時には6〜7両編成化してました🎉因みに加古川からの下り列車はソノ逆で車両ごとに行き先が異なり、頻繁に駅放送は乗車車両への注意喚起をしていました😂気動車ならではの増結、切り離しダイヤ♦️でしたネ〜❤ ありがとうございました🙌
125系のベースとなる223系のAシートは逆に125系の中扉塞ぐ方式で2ドアになりました。
ここと和田岬線は、関西圏で乗る機会が少ない路線の双璧ですね。
待ってた😂
13:24 一応自転車等で行けば付近に神鉄市場駅があるので乗り換えられます(乗り換え案内は勿論されていません)。まぁ粟生駅で乗り換えろやって話ですけど。
大回りでもこれ乗れるから楽しいねんな
あぁ…加古川線全区間踏破したかったなぁ……😢
12:55の道路は東播磨南北道の橋脚ですね。(県道名では加古川小野線です。)地域高規格道路なので、厳密には高速道路ではないですが、完成すればかなり便利な道路です…加古川渡る前の踏み切りなんかで朝夕のラッシュ時は大渋滞起こしてますから…ともあれ、地元なので取り上げて頂いて嬉しいですね!昔は加古川で渡瀬船が上流からの物の輸送を担っていたので、それを代替するように当時の私鉄が敷設したと聞いてます。だから貨物を行き違いさせることもあったのかもですね〜
加古川線、私が乗った時はまだ電化していませんでした。播但線とか、小浜線とかもそういうのはあります。
冒頭で触れている通り、加古川線は大阪近郊区間の範囲。なので大回り乗車ができます。大阪~尼崎~谷川~加古川~立花(神戸線→福知山線→加古川線→神戸線)のルートで乗りました。ただ加古川線はICカードが使えない区間が一部あるため、ICカードを使った大回りは禁止されていて、このルートで大回り乗車をする際は必ず「紙の切符」を使ってくださいとのことです。
逆に、播但線大回りはIC必須です。
首都圏近郊区間みたいにICカードが使えるようになったから近郊区間になる訳じゃないんですね
@@ヘリリバース紙はダメなんですか?
@boogiepink7892 IC乗車券の特例が絡みます。基本山陰本線が近郊区間じゃ無いのですが、IC特例で最短経路(IC不可区間を含む)で算定されます。ですから姫路-米子だと播但·山陰経由と姫新·伯備経由と山陽·伯備を比較します。
@@下谷建起 なるほど。おもしろいですね。ありがとうございます。
鍛冶屋線があった頃は、西脇止まりの列車が多かった。野村(現・西脇市)~谷川間が本数少なくて、この間の有人駅で入場券集めるのに苦労したなあ。
加古川線 関西地区の大回り乗車で乗るには良い路線ですね!
紙の切符に限る。
電化される前、仕事で社町迄行った事を思い出しました。加古川駅、高架化しているんですね!
かつて大阪環状線は車体更新をしたオレンジ色の103系が主力でした。中間車を先頭車片運転台車化に改造して、電動車+電動車(MG付き)になっている103系や伯備線・山陰本線で走っている115系と言った国鉄型車両が未だに現役というのはすごいことですね。境線はとっとりライナーで高速化対応後のキハ126系+キハ121系気動車も乗り入れてはきますが、主力はバス用エアコン搭載窓枠サッシ改造シート張替えされたキハ40形です。同様のキハ47形も山陰本線ではまだまだ多いです。
我が地元加古川へようこそ😊
まさかの加古川線!関西在住のローカル線好きとしては嬉しい限りです。ありがとうございます😊粟生はローマ字にすると1番短い駅だそうです。北条鉄道に譲渡されたキハ40は五能線を思わせる内装が残っておりテンション上がりました。また機会あれば取り上げていただけると嬉しいです😊
調べたら、昭和61年の大みそかに、三木鉄道・北条鉄道・鍛冶屋線乗って、新幹線の個室(100系)乗って東京に戻るをやっていた。
103系に乗りたくて奈良線とか乗ったなぁ!ツーハンドルって痺れる
2:3018きっぷや最小運賃で大回り乗車をする際は、駅係員に申し出が必要です。和歌山駅の和歌山線にも中間改札がありますね^^関西私鉄では生駒駅など
祖父母の故郷が加古川線沿線の街。加古川⇔鍛冶屋は🚂。野村(現,西脇市)⇔谷川はキハ04系(ガソリンカー)の昔🚞😂
18:38 近本とトータス松本の母校が近い!
加古川線は西脇市の中心部を通ってなく、その役割は廃止された鍛冶屋線が担っていた。鍛冶屋線があった頃は加古川からの車両は鍛冶屋方面へ直通しており、西脇市(当時は野村)~谷川が支線のような扱い。特に鍛冶屋線の西脇駅の利用が多かったと聞く。鍛冶屋線を一律で廃止するのではなく、一区間西脇市~西脇だけでも残しておいたほうが加古川線の収支が良かったんじゃないかなと思う。
加古川線の電車線は「カテナリー線」なので発展性がある。この線の前の電化には越後線や和歌山線などで「直接吊架方式」だったのだが逆Y線の追加でも速度が85㎞/hに制限されるのでこの線区での採用は忌避されたようだ。京都から紀勢本線への旧「しらはま号」経路の試験走行で芳しい結果が出せずにくろしお号は梅田貨物線を通って京都に伸びることとなったのである。
18:50〜ダイヤル式の機器は行先方向幕を変える機器で、ダイヤルを合わせて黒い起動ボタンを押すと変わります。本当は番号ごとに行先が決まっていて、シールに記載があるんですが、面倒くさいのでよく使う行先を落書きしたんでしょうね(笑)
これを毎日使って通勤してます
起点駅と終点駅の温度差がヤバい路線加古川線・播但線・姫新線・芸備線・草津線
わが生まれ故郷を走る加古川線加古川駅は混みますねえ、でも先に行けばいくほど・・・なんですよね!!
厄神から出てた三木鉄道の車両の内の1両が今樽見鉄道にいるのよねん💤
谷川から西脇市も電化になってたんですね、非電化とばかり思ってました。
基本的には沿線の産業が振るわなくなって寂れたけど、本気で谷川から西脇市までをテコ入れしたら利用は戻る。加古川から篠山口までは加古川沿いなので歴史的には街道ですし。厄神より先が不便なのは補助金の関係。利用が少ないのは鶏と卵の関係かなぁと。
元中間車の先頭改造車両です。まだ原形のMT55が残っててよかった😂
東京から加古川線への出張取材、お疲れさまでございます!かつてキハ40・47が主体(その前はロングシートのキハ35)の気動車路線でした。加古川線は、関東なら八高線、相模線って感じです。沿線在住者曰く〜気動車時代の方が"着席定員"が多くて(クロスシート)良かった〜阪神・淡路大震災での電車の迂回ルート(電車迂回回送ならDE10で牽引可能)としての電化らしいですが、この惨状ならわざわざ電化したのは"無駄な経費"と言わざるを得ませんね。
震災の時は全国からディーゼル車が来て、編成車両5・6両でホームから出るくらいだった
神戸の震災の時、いち早く復旧し、これを使って福岡に戻りました。バイパス先としていつまでも残してください。
キハ40時代は改札無かったですね。ラストランの時に準備してました。
国鉄時代の地方交通線廃止問題は線路の戸籍による悲喜劇こもごもですね。野村(現西脇市)以北が鍛冶屋線か加古川線かで運命がわかれました。鍛冶屋線の方が乗客多かったと聞きます。
やっぱ加古川線やと思ったわwww
基本谷川~西脇市間は125系西脇市~加古川線は103系って分けれられてます
電化されている路線が平日たったの8往復の運行という超閑散路線でビックリしました!😮とっても面白かったです。ありがとうございました😊♪【追記】昔、加古川線には加古川〜西脇間に快速が1日一往復運行されていたみたいですよ。
山口県の小野田線の支線の本山線が電化で確か3往復ってのもありますよ。
103系懐かしいです
一度、大回り乗車をした時、加古川駅で中間改札機があった事で焦りました。駅員に切符を入れても大丈夫か聞きましたが、谷川経由は大回り乗車の範囲外だと言われました。しかし知らないで乗ったのなら通って良いけど、もうやらないでねと言われ、通してくれました。その時は谷川から加古川まで125系の1両編成で、洒落にならないくらい混みました。西脇市に着くまでに立ち客も相当いましたが、西脇市から更に乗って来て、通勤ラッシュ以上の混雑で、座席と座席の間が広い所にも人が立ちました。 てっきり西脇市で増結すると思ってましたが、1両のままです。座っているのにしんどかったです。駅員さんに言われなくても二度とやりたくないです。
西の社員を信用してはいけません、基本的に自社の路線図も切符もルールも適当にしか把握してません。面倒くさい事は規則ではなくて、マイ ルールを押し付けてきます。
30:21 鳥との接触瞬間撮影映像になってしまうんじゃ?とドキドキしました
加古川線を取り上げる動画は中々珍しいな沿線には野球の強い社高校や駅伝の強い西脇工業高校などスポーツの強い高校がありますね
沿線と言っても、社町駅から社高校まで、徒歩で1時間半はかかりますよ。
ボイラー2級受験先はここ。
書き忘れましたが高砂線旅客営業廃止が昭和59年12月1日で確か九州の宮原線と妻線も同時に廃止されたような気がします。特定地方交通線では無いのに播但線姫路~飾磨港(昭和61年11月1日廃止)と福知山線塚口~尼崎港(旅客営業昭和56年4月1日廃止、貨物営業は高砂線貨物営業や高砂工場や別府鉄道共に昭和59年2月1日廃止)はついでに廃止された感がありますね。
加古川線も元非電化路線1日8本しかない理由なら125系1両だけの運用は致し方がないかなあおそらくは沿線の利用客がだいぶ少なくなっているのでは
人が住んでるの加古川の反対側のR175側だからなぁR175側は路線バスが全滅したからなぁ
あと、谷川駅で福知山線の電車と接続していないのも原因だと思うせっかく電化したのだから線路を改良して篠山口駅まで乗り入れて丹波路快速と接続出来れば利用者も増えたと思うのだが
西脇から路線バスで三宮に行けますからねぇ
ワイの地元最寄り路線キター。これから視聴される皆さん、「大都市近郊路線なのにぇ…」と思う存分ツッコミまくって下さいww
西脇市は元「野村」、一駅先が「西脇」でした。ここまでは廃止の基準ではありませんでしたが、廃線されてしまいました。
実家が沿線沿いで、定期的に加古川線に乗っていますが85kmも出る区間があるとかオドロキです。最高60kmだと思っていましたw
加古川線の発音は普通なのに、加古川の発音はひっくり返ってますねー。
それがめっちゃ気になった
川は西が「かわ」と濁らない事が多く、東が「がわ」と濁る事が多い谷も西が「たに」東が「や」と読むのが多いのとおなじやね(´・ω・`)
「原」も本州までは「わら」、「はら」や「ばら」、九州は「はる」や「ばる」です。
@@OHAGIRLFANなお西日本にも柏原(大阪)「かしわら」、大河原「おおかわら」逆に東日本でも新所原「しんじょはら」籠原「かごはら」など例外あります。
加古川線というと自分の産みの母親の本籍地が西脇市という事で、昔就職する時は戸籍謄本が必要で初めて見る本当の母親の本籍地。父親に相談して行ってこいということで、大阪駅から丹波路快速に乗って福知山まで。福知山からワンマン電車で谷川駅でこの加古川線の時刻表を見た時卒倒しそうになりながら、父親に電話をかけて「行くのは無理。電車の本数が少な過ぎる」とギブアップ宣言笑ひろきさん俺の代わりに母親の地元の原風景を見せてくれてありがとう。
ひろきさんの動画投稿待ってました!おはようございます(*^o^*)
加古川線では日中125系は1両が多いので103系来るのを祈っています。学生の下校時刻に125系1両の時は地獄です。古い103系ですが同じ兵庫県の播但線の103系は今でも最高速度100キロで走ります。
小浜線かなと思ったら違ったw
昭和時代SL貨物が走っていので神野で単線行き違いが有った。
黒田庄はトータス松本さんの故郷。
自分の生誕地でもある
25キロ制限は災害で土砂流入した後に通常速度を出すのに必要な補強をしていない区間に適用されてますね。赤字路線で補修費を支出するに値しないってことです
少し前は厄神までの加古川市内は日中でも毎時2本だったですがあのウィルスの影響からか一部時間帯に区間列車が廃止されたんですよね・・・
そして震災時は加古川・谷川間で快速列車も運転されたようです。
地元の路線をピックアップしてくださりありがとうございます❗
家のすぐそばを通っているので親近感が違います😊
顔が原型に近く、スピードも出す播但線の103系のが個人的には好きです。
最初、加古川線が混雑していたのは衛生管理者試験受験のための人が多かったからだと思います。
神野駅に衛生管理者試験の受験会場である近畿安全衛生技術センターがあるんですよね。
関東だと内房線の五井駅が衛生管理者試験の受験会場の最寄駅ですね
ポリテクセンターやね(地元民)
第一種衛生管理者の試験を受けに行きました。
撮影の為に1時間後の列車を待つ決断が出来るのが素晴らしいです。
阪神淡路大震災の時は加古川ー谷川の直通臨時列車(主に西脇市ー谷川延長運転)は走ってました、この関係で北近畿は全列車谷川に停車しました。また網干から221と113を東側に送り込むために臨時の回送列車を運転しましたが非電化のためDD51かDE10牽引でトンネル対策でパンタグラフを外して運転されました。
網干から京阪地区へ回送する電車を通したのは播但線のほうでしたが、途中の生野トンネルの断面が特に狭くてパンタグラフを畳んだだけではだめで、取り外さなければなりませんでした。
JR西日本103系は更新されまくっていて、車体の外装・内装は色々変わっているけど、音は昔のまんまなのが良いですね。
分かる、その気持ち。
屋根も天井の装置も貫通扉も全然違うのに同じ車両とは思えないですね
低窓・グロヴェン・非冷房こそ
真の103系!
関西本線沿線に暮らしてますが
あの爆音が聞けなくなって久しい…
駅の交換設備の線路が長いのは、阪神淡路大震災で山陽本線が寸断された時に、迂回路線として、貨物列車が乗り入れたりしたので、山陽本線のと山陰本線の連絡線と災害時のバックアップ路線として活用する為の設備です。
10:20 三木鉄道ミキ300-103は、ひたちなか海浜鉄道湊線で活躍中ですね。
他にも樽見鉄道や北条鉄道に行ったミキ300形もあり、3社ですべて現役。
今では大学生に育った娘が、0歳児の時滝野町(現:加東市)に住んでいたので、何もかも懐かしいです。取材ありがとうございます。
加古川駅は、高架化される前は片面ホーム1面と島式ホーム2面の駅(国鉄型ホームに加古川線のホームと廃止された高砂線のホームが1面)でした。
この頃は、上りの快速(各駅停車)が、中線である2番線に停車して新快速が、3番線に停車していました。
加古川線は、廃止された鍛冶屋線(こちら側が、西脇市の中心部)から福知山線の方へ延伸する計画だったのですが、経営難で実現する前に別の会社に譲渡されました。
その会社が、西脇市駅(元野村駅)から分岐させて加古川沿いに谷川駅まで開通させました。
鍛冶屋線の方に、西脇駅が有ったのですが鍛冶屋線が廃線となったので野村駅を改名して西脇市駅としました。
加古川線が、谷川駅で福知山線と接続した時に、私設鉄道が国鉄の福知山線と接続する事になったので別ホームでの接続となったので直接福知山線へ入れるような配線(国有化後に、線路を繋いだ可能性が有ります。)になっていないのだと思います。
北条鉄道には、東北で運行していた「キハ40」を購入して運行しているのですが、乗車はされましたか???
内部は、東北で運行したままだそうです。
阪神大震災の折は山陽本線の迂回路として使用されたんですよね
尼崎から福知山線経由で谷川、谷川から加古川線経由で加古川というルートで走りました。その際「非電化のままでは非効率」ってなって電化(播但線の寺前以南姫路までの区間も)されたようです。
@@まるかつ鉄道
直通があったのは播但線で、加古川線は谷川~西脇市間の増発と、特急「北近畿」の谷川臨時停車でした。
@@MT-rx9ls 加古川線は、谷川駅の分岐器が車両送り込み用の非常用しか無かったので、直通運転が不可能だったんですよね。
自分の地元が加古川なので、こうやって取り上げてもらえるのが嬉しいです😃
19:20昇柱禁止とは、柱の強度の問題で、昇って作業してはいけませんよという意味だと思います。
103の緑と黒のツートンがかっこいい。緑の色の選択が本当に素晴らしい。
25km/hour区間の映像もすごく面白かったです。
過去の映像のインサートも素晴らしかったですね。細かい時間のかかる編集ご苦労様です。
いつも楽しく動画 拝見しております。 加古川線の映像、初めて観ました。 加古川には少し縁があってどんな路線なのか前から気になって ました。 今回初めて映像見て、正直感動してます。 こんなマイナーな路線を取りあげてくださって ありがとうございました!
ディーゼル時代は最大6両編成でした。懐かしい。昔は野村駅だったのが西脇に変わっている。時代ですね。
加古川線の電化が阪神大震災が起きた際の迂回路の確保という訳を知り、私も勉強になりました。103系の甲高いモーターの音も懐かしみました。各駅の詳しい紹介もひろきさんらしくてマルですよ。ひろきさんも、健康管理に注意され良いお年をお迎え下さい。2023.12.31
125系の電車は 223系電車の中間車の車体を利用しています。ちなみに223系電車と連結と制御も可能らしいです。まあ~制御系は223系基準とのことです。(中の人曰く)
そうなんですか。だから、お顔が似ているしパンタグラフも新しいのですね。
お邪魔します。
223系中間車車体の中扉を塞いで2扉にしているのがカワイイですよね😅
ちなみに223系は一部の中間車の車端部を比較的簡単な工事で先頭車化できるように準備されていると聞いたことがあります。
恐らく、外板を所定の位置でカットして剥がし骨格のボルトを緩めれば車端部の構体を分離できて、ここへ別に作った運転席構体を接続し、制御関係の配線をすれば〜なんじゃないかと。
先頭車化する際には、お顔が125系のデザインになるのかな?と😅
😢😢
207系ともです
@@博行-o8gそのうち岡山行ったら125系顔の223系見れる様になりそう
阪神大震災の後、神戸線が復旧するまで神鉄・福知山線を経由する迂回ルートとして大活躍してたよ。4両(3両だったか?)に鮨詰めで走ってた。
近郊区間大回りになくてはならない路線であります。立花→尼崎大回りにたまに乗ります。気候のいい頃に、谷川駅でボーゼンと待つのは最高です。
27:52 カナソ・ハイニノ国とは、鍛冶屋線の駅名
カ 鍛冶屋、ナ 中村町、ソ 曽我井
ハ 羽安、イ 市原、ニ 西脇、ノ 野村(西脇市駅の旧名)で、
間の「・」はこの間を通る自治体の境目(多可郡中町(現多可町)と西脇市)でした。
鍛冶屋線の沿線には廃止当時走っていた気動車が保存されています。
加古川線は加古川市寄りよりも谷川寄りの方が駅の入り口(駅舎ではなく“入り口”)が新しく、久下村駅近郊では巨大工場(兵庫パルプ工業)の他に川向こうに巨大宗教施設(円応教本部)が鎮座してて、見処一杯の末端区間ですね。
この路線は電化を記念して十数年前迄西脇市出身美術家横尾忠則氏デザインのサイケデリックなラッピング電車が四種類程走ってましたが、もう塗装が戻されてしまって残念です…
個人的には33:03~の日本のへそを説明する地図の現在地が、愛媛県辺りになってるのが面白ポイントですw
三木鉄道のミキ300形はひたちなか海浜鉄道で現在も活躍中です。
乗客多いのに1両編成って鬼畜過ぎる。せめて2両編成にしてあげて欲しい。阪和線でも6両→4両編成にして激混みになってる時間帯もありますね。
朝の通勤時間は2両編成ですよ。
昨日谷川発加古川行きに乗車しました車両は125系単行でした
最初から座席がうまり進むにつれて乗客が増えて通勤電車並みの混雑 北条鉄道利用のため粟生で下車しましたが降りるのが大変でした
谷川からだと時間がシビアだからな〜
粟生行くのに偶に使うけど都心部の路線なのに妙なスリルがあって面白い。
加古川線に和歌山線などに導入している227系1000番台を103系の置き換え用に導入してほしいですね。
西脇超えたら....ほんと秘境なんよなあw
昔々のディ-ゼル時代は西脇1両切り離しで谷川直通何本もありましたねえ
本数少ないから案外混んでた思い出ありますねw
同じ秘境を想像して和歌山線乗って裏切られた記憶もwww
昔の谷川発の列車は加古川に行くのは早朝の1本だけで
基本は野村でスイッチバックして鍛冶屋線の西脇駅行きでしたよ
@@ワイルドメーン 子供が小さい時に鉄道好きだったので福知山経由で山陰の実家行くのに確か加古川8~10時位のに乗って行ったんだけどなあ???記憶違いかな?
@@ワイルドメーン知ったか乙
非電化時代は加古川橋梁をよく歩いて渡っていたな😊
加古川駅を出てすぐ、カーブの途中から国鉄時代に廃止された国鉄高砂線が分岐していました。
高砂線の途中、野口駅跡から山陽電車の別府駅近くを通り、土山駅まで別府鉄道という軽便鉄道が走っていましたよ。
別府鉄道は1067ミリで軽便鉄道ではないよ。
軽便ではないですね
学生の頃に車道と並走区間で自転車で勝負して勝てる位の速度でしたがwww
ご指摘ありがとうございます。どうやら初期の頃は軽便鉄道だった(?)らしいですね。@@keijimatsuura4232
どうやら初期の頃は軽便鉄道(?)として野口線が開業したらしいです。昔の動画を見ているとたしかに結構ゆっくり走ってるっていう印象ですね~@@puhero670
車両が土山付近の遺跡後に展示されています
ひろきさんが、たにかわってちゃんと読んでくれて嬉しいです!
ちなみに推察通り加古川のイントネーションは、
か↘︎こがわ、じゃなくて、か→こがわですね。
んで途中にもありましたが、もともと加古川線は鍛冶屋線直通がメインで、谷川方面はほぼ別路線でした。
阪神大震災でたまたま電化されたものの、西脇市〜谷川間は兵庫県民にとって一番未知の秘境路線と思いますよ。
新型の車両は小浜線でつかわれている車両です。一度18使って周遊してみようかなー。楽しそうですね。
一両の気動車は結構ありますが一両の電車はかなり珍しいですよね
路面電車だったらよくある。旧型電車には一両で走れる電車はある。最近の電車は2両に分けて機器を積むので1両で走れない電車は多い。1両の電車はできるが高速運転は無理と思う。
阪神大震災が無かったら、加古川線は今でも非電化だったと思う。
加古川線が電化されたと聞いた時はかなり驚いた。
加古川北線は廃止になってただろうな
阪神淡路大震災の際には、加古川線は迂回路になってなかったので
和田山経由で播但線が迂回路となっていたので大変不便だったので
加古川北線を電化して迂回路にすれば和田山経由の半分くらいの時間で済むから
加古川線が電化されたという経緯です。
ただ今のJR西日本は加古川線の電車を上手く扱えてないは正直言って勿体無いと思います。
谷川駅での加古川線と福知山線の接続が悪いので加古川北線の利用者が絶望的なのはそのせいです。
篠山口まで乗り入れさせて丹波路快速と接続させれば乗客が増えると思うのだが
@@ワイルドメーン
震災時は加古川線も迂回路として使用はされましたが、本数は少なく西脇市駅で乗り換えが必要で不便過ぎたため
播但線も迂回路として使用されたと聞きます。
支線であった三木線と鍛冶屋線は廃線され北条線は第三セクターに転換されました。
震災が無ければ、少なくとも西脇市より北側は廃線されていた可能性が高かったと思います。
粟生駅で合流している神戸電鉄粟生線と北条鉄道にも機会があれば。
播但線も寺前駅から先は本数が少ないですね。
秋に「日本へそ公園」に行きました(車ですが)
メタセコイア並木の紅葉が見れるんですよねぇ
あと「鍛冶屋駅跡」も数年前に行きました。
記念館に成っていて、車両も一両展示されていました。
廃線跡はサイクリングロードに成っているようです。
ひろきさん
こんばんは。
加古川線取り上げていただいてありがとうございます。
僕は以前、加古川線に乗って通勤していました。その時、125系3両連結した編成に乗って通勤した事がありましたよ。😮
ボリュームたっぷりなローカル線のご紹介動画、非常に楽しませていただきました!
途中駅の粟生駅から北条鉄道に一度だけ乗ったことがあるのですが、神戸電鉄と加古川線との接続駅とは思えないほど辺りすっかすかで途方に暮れたのを思い出しました。次の動画も楽しみにしております!
加古川線、今年乗ったときは加古川から数駅先の厄神ですら過疎っていて、西脇市より北とか廃駅じゃないのかっていうくらいマジで人誰もいなかった
少なくても全線2両編成になって欲しいですね。ゆっくりしたローカル線は景色がいいです。
厄神駅は加古川少年院に行くときによく使いしました。駅前の寂れた感じが印象的でした。
え!?ひろきさんが谷川来てたの!?嬉し過ぎる笑
私が中学のとき国鉄気動車オンリーで😅谷川発は1〜2両で加古川まで行く間、途中の各支線から客を乗せた車両を🚃繋げ、加古川駅に着く時には6〜7両編成化してました🎉因みに加古川からの下り列車はソノ逆で車両ごとに行き先が異なり、頻繁に駅放送は乗車車両への注意喚起をしていました😂気動車ならではの増結、切り離しダイヤ♦️でしたネ〜❤ ありがとうございました🙌
125系のベースとなる223系のAシートは逆に125系の中扉塞ぐ方式で2ドアになりました。
ここと和田岬線は、関西圏で乗る機会が少ない路線の双璧ですね。
待ってた😂
13:24 一応自転車等で行けば付近に神鉄市場駅があるので乗り換えられます(乗り換え案内は勿論されていません)。まぁ粟生駅で乗り換えろやって話ですけど。
大回りでもこれ乗れるから楽しいねんな
あぁ…加古川線全区間踏破したかったなぁ……😢
12:55の道路は東播磨南北道の橋脚ですね。
(県道名では加古川小野線です。)
地域高規格道路なので、厳密には高速道路ではないですが、完成すればかなり便利な道路です…
加古川渡る前の踏み切りなんかで朝夕のラッシュ時は大渋滞起こしてますから…
ともあれ、地元なので取り上げて頂いて嬉しいですね!
昔は加古川で渡瀬船が上流からの物の輸送を担っていたので、それを代替するように当時の私鉄が敷設したと聞いてます。
だから貨物を行き違いさせることもあったのかもですね〜
加古川線、私が乗った時はまだ電化していませんでした。播但線とか、小浜線とかもそういうのはあります。
冒頭で触れている通り、加古川線は大阪近郊区間の範囲。なので大回り乗車ができます。
大阪~尼崎~谷川~加古川~立花(神戸線→福知山線→加古川線→神戸線)のルートで乗りました。
ただ加古川線はICカードが使えない区間が一部あるため、ICカードを使った大回りは禁止されていて、このルートで大回り乗車をする際は必ず「紙の切符」を使ってくださいとのことです。
逆に、播但線大回りはIC必須です。
首都圏近郊区間みたいにICカードが使えるようになったから近郊区間になる訳じゃないんですね
@@ヘリリバース紙はダメなんですか?
@boogiepink7892 IC乗車券の特例が絡みます。基本山陰本線が近郊区間じゃ無いのですが、IC特例で最短経路(IC不可区間を含む)で算定されます。ですから姫路-米子だと播但·山陰経由と姫新·伯備経由と山陽·伯備を比較します。
@@下谷建起 なるほど。おもしろいですね。ありがとうございます。
鍛冶屋線があった頃は、西脇止まりの列車が多かった。野村(現・西脇市)~谷川間が本数少なくて、この間の有人駅で入場券集めるのに苦労したなあ。
加古川線 関西地区の大回り乗車で乗るには良い路線ですね!
紙の切符に限る。
電化される前、仕事で社町迄行った事を思い出しました。加古川駅、高架化しているんですね!
かつて大阪環状線は車体更新をしたオレンジ色の103系が主力でした。
中間車を先頭車片運転台車化に改造して、電動車+電動車(MG付き)になっている103系や伯備線・山陰本線で走っている115系と言った国鉄型車両が未だに現役というのはすごいことですね。
境線はとっとりライナーで高速化対応後のキハ126系+キハ121系気動車も乗り入れてはきますが、主力はバス用エアコン搭載窓枠サッシ改造シート張替えされたキハ40形です。同様のキハ47形も山陰本線ではまだまだ多いです。
我が地元加古川へようこそ😊
まさかの加古川線!
関西在住のローカル線好きとしては嬉しい限りです。
ありがとうございます😊
粟生はローマ字にすると1番短い駅だそうです。
北条鉄道に譲渡されたキハ40は五能線を思わせる内装が残っておりテンション上がりました。
また機会あれば取り上げていただけると嬉しいです😊
調べたら、昭和61年の大みそかに、三木鉄道・北条鉄道・鍛冶屋線乗って、新幹線の個室(100系)乗って東京に戻るをやっていた。
103系に乗りたくて奈良線とか乗ったなぁ!
ツーハンドルって痺れる
2:30
18きっぷや最小運賃で大回り乗車をする際は、駅係員に申し出が必要です。和歌山駅の和歌山線にも中間改札がありますね^^
関西私鉄では生駒駅など
祖父母の故郷が加古川線沿線の街。加古川⇔鍛冶屋は🚂。野村(現,西脇市)⇔谷川はキハ04系(ガソリンカー)の昔🚞😂
18:38 近本とトータス松本の母校が近い!
加古川線は西脇市の中心部を通ってなく、その役割は廃止された鍛冶屋線が担っていた。鍛冶屋線があった頃は加古川からの車両は鍛冶屋方面へ直通しており、西脇市(当時は野村)~谷川が支線のような扱い。特に鍛冶屋線の西脇駅の利用が多かったと聞く。
鍛冶屋線を一律で廃止するのではなく、一区間西脇市~西脇だけでも残しておいたほうが加古川線の収支が良かったんじゃないかなと思う。
加古川線の電車線は「カテナリー線」なので発展性がある。この線の前の電化には越後線や和歌山線などで「直接吊架方式」だったのだが逆Y線の追加でも速度が85㎞/hに制限されるのでこの線区での採用は忌避されたようだ。京都から紀勢本線への旧「しらはま号」経路の試験走行で芳しい結果が出せずにくろしお号は梅田貨物線を通って京都に伸びることとなったのである。
18:50〜
ダイヤル式の機器は行先方向幕を変える機器で、ダイヤルを合わせて黒い起動ボタンを押すと変わります。
本当は番号ごとに行先が決まっていて、シールに記載があるんですが、面倒くさいのでよく使う行先を落書きしたんでしょうね(笑)
これを毎日使って通勤してます
起点駅と終点駅の温度差がヤバい路線
加古川線・播但線・姫新線・芸備線・草津線
わが生まれ故郷を走る加古川線加古川駅は混みますねえ、でも先に行けばいくほど・・・なんですよね!!
厄神から出てた三木鉄道の車両の内の1両が今樽見鉄道にいるのよねん💤
谷川から西脇市も電化になってたんですね、非電化とばかり思ってました。
基本的には沿線の産業が振るわなくなって寂れたけど、本気で谷川から西脇市までをテコ入れしたら利用は戻る。加古川から篠山口までは加古川沿いなので歴史的には街道ですし。厄神より先が不便なのは補助金の関係。利用が少ないのは鶏と卵の関係かなぁと。
元中間車の先頭改造車両です。
まだ原形のMT55が残っててよかった😂
東京から加古川線への出張取材、お疲れさまでございます!
かつてキハ40・47が主体(その前はロングシートのキハ35)の気動車路線でした。
加古川線は、関東なら八高線、相模線って感じです。
沿線在住者曰く
〜気動車時代の方が"着席定員"が多くて(クロスシート)良かった〜
阪神・淡路大震災での電車の迂回ルート(電車迂回回送ならDE10で牽引可能)としての電化らしいですが、この惨状ならわざわざ電化したのは"無駄な経費"と言わざるを得ませんね。
震災の時は全国からディーゼル車が来て、編成車両5・6両でホームから出るくらいだった
神戸の震災の時、いち早く復旧し、これを使って福岡に戻りました。バイパス先としていつまでも残してください。
キハ40時代は改札無かったですね。ラストランの時に準備してました。
国鉄時代の地方交通線廃止問題は線路の戸籍による悲喜劇こもごもですね。野村(現西脇市)以北が鍛冶屋線か加古川線かで運命がわかれました。鍛冶屋線の方が乗客多かったと聞きます。
やっぱ加古川線やと思ったわwww
基本谷川~西脇市間は125系
西脇市~加古川線は103系って分けれられてます
電化されている路線が平日たったの8往復の運行という超閑散路線でビックリしました!😮とっても面白かったです。ありがとうございました😊♪
【追記】昔、加古川線には加古川〜西脇間に快速が1日一往復運行されていたみたいですよ。
山口県の小野田線の支線の本山線が電化で確か3往復ってのもありますよ。
103系懐かしいです
一度、大回り乗車をした時、加古川駅で中間改札機があった事で焦りました。駅員に切符を入れても大丈夫か聞きましたが、谷川経由は大回り乗車の範囲外だと言われました。しかし知らないで乗ったのなら通って良いけど、もうやらないでねと言われ、通してくれました。その時は谷川から加古川まで125系の1両編成で、洒落にならないくらい混みました。西脇市に着くまでに立ち客も相当いましたが、西脇市から更に乗って来て、通勤ラッシュ以上の混雑で、座席と座席の間が広い所にも人が立ちました。 てっきり西脇市で増結すると思ってましたが、1両のままです。座っているのにしんどかったです。駅員さんに言われなくても二度とやりたくないです。
西の社員を信用してはいけません、基本的に自社の路線図も切符もルールも適当にしか把握してません。面倒くさい事は規則ではなくて、マイ ルールを押し付けてきます。
30:21 鳥との接触瞬間撮影映像になってしまうんじゃ?とドキドキしました
加古川線を取り上げる動画は中々珍しいな
沿線には野球の強い社高校や駅伝の強い西脇工業高校などスポーツの強い高校がありますね
沿線と言っても、社町駅から社高校まで、徒歩で1時間半はかかりますよ。
ボイラー2級受験先はここ。
書き忘れましたが高砂線旅客営業廃止が昭和59年12月1日で確か九州の宮原線と妻線も同時に廃止されたような気がします。特定地方交通線では無いのに播但線姫路~飾磨港(昭和61年11月1日廃止)と福知山線塚口~尼崎港(旅客営業昭和56年4月1日廃止、貨物営業は高砂線貨物営業や高砂工場や別府鉄道共に昭和59年2月1日廃止)はついでに廃止された感がありますね。
加古川線も元非電化路線
1日8本しかない理由なら125系1両だけの運用は致し方がないかなあ
おそらくは沿線の利用客がだいぶ少なくなっているのでは
人が住んでるの加古川の反対側のR175側だからなぁ
R175側は路線バスが全滅したからなぁ
あと、谷川駅で福知山線の電車と接続していないのも原因だと思う
せっかく電化したのだから線路を改良して篠山口駅まで乗り入れて
丹波路快速と接続出来れば利用者も増えたと思うのだが
西脇から路線バスで三宮に行けますからねぇ
ワイの地元最寄り路線キター。
これから視聴される皆さん、「大都市近郊路線なのにぇ…」と思う存分ツッコミまくって下さいww
西脇市は元「野村」、一駅先が「西脇」でした。ここまでは廃止の基準ではありませんでしたが、廃線されてしまいました。
実家が沿線沿いで、定期的に加古川線に乗っていますが85kmも出る区間があるとかオドロキです。最高60kmだと思っていましたw
加古川線の発音は普通なのに、加古川の発音はひっくり返ってますねー。
それがめっちゃ気になった
川は西が「かわ」と濁らない事が多く、東が「
がわ」と濁る事が多い
谷も西が「たに」東が「や」と読むのが多いのとおなじやね(´・ω・`)
「原」も本州までは「わら」、「はら」や「ばら」、九州は「はる」や「ばる」です。
@@OHAGIRLFAN
なお西日本にも柏原(大阪)「かしわら」、大河原「おおかわら」
逆に東日本でも
新所原「しんじょはら」
籠原「かごはら」など例外あります。
加古川線というと自分の産みの母親の本籍地が西脇市という事で、昔就職する時は戸籍謄本が必要で初めて見る本当の母親の本籍地。父親に相談して行ってこいということで、大阪駅から丹波路快速に乗って福知山まで。福知山からワンマン電車で谷川駅でこの加古川線の時刻表を見た時卒倒しそうになりながら、父親に電話をかけて「行くのは無理。電車の本数が少な過ぎる」とギブアップ宣言笑
ひろきさん俺の代わりに母親の地元の原風景を見せてくれてありがとう。
ひろきさんの動画投稿待ってました!おはようございます(*^o^*)
加古川線では日中125系は1両が多いので103系来るのを祈っています。
学生の下校時刻に125系1両の時は地獄です。
古い103系ですが同じ兵庫県の播但線の103系は今でも最高速度100キロで走ります。
小浜線かなと思ったら違ったw
昭和時代SL貨物が走っていので神野で単線行き違いが有った。
黒田庄はトータス松本さんの故郷。
自分の生誕地でもある
25キロ制限は災害で土砂流入した後に通常速度を出すのに必要な補強をしていない区間に適用されてますね。
赤字路線で補修費を支出するに値しないってことです