【小樽名物】「ぱんじゅう」のルーツは?日本遺産とも大きな関係が・・・もんすけ調査隊(今日ドキッ!2023年1月27日放送)

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 依頼者
    「ぱんじゅうって知ってますか?札幌の友達に話しても通じないのですが、小樽だけのお菓子なのでしょうか?」
    小樽名物の「ぱんじゅう」とは一体どんなものなのか?
    まずは小樽駅前で聞き込み調査開始。
    マチの人
    「ぱんじゅうは子どもの頃から。
     当時は何もなかったから美味しかった」
    「どんな食べ物って、おやきみたいなもの」
    「下が平らで丸い菓子。みんな小樽にしかないって言っている」
    小樽で10人に話を聞いたところ、
    全員が知っている小樽市民には馴染み深いお菓子だ。
    マチの人
    「ここを真っ直ぐ行ったら向こう側にあります」
    マチの人が教えてくれたのは、
    小樽駅から徒歩5分の場所にある正福屋。
    1945年創業の老舗「田中のぱんじゅう」の味を継承している店だ。
    さっそく入ってみると・・・
    調査員
    「ありました!これが小樽の『ぱんじゅう』です。まるでタコ焼きみたいになっています」
    こちらが小樽名物の「ぱんじゅう」。カリカリに焼かれた皮。
    たっぷりと餡子が詰まっていて、モッモチの食感には手が止まらない。
    そして、使われる餡にも様々な種類が!
    正福屋 佐藤正一 店主
    「パンが高級食材だった頃に、パンの様に焼いた饅頭ということで、名前が付いたと聞いている」
    たこ焼きより少し大きい窪みのある銅板に生地を流し込む。
    そこに タコならぬ あんこを入れて焼き上げる。
    そして、生地が焼きあがったところで、
    一度、銅板でフタをして、ひっくり返したら、
    おいしいぱんじゅうの出来上がりだ。
    調査員
    「いつ頃からある?」
    正福屋 佐藤正一 店主
    「私も小樽市総合博物館の人に見せてもらってビックリした。大正2年以前の手宮の古い写真が出て来て、ぱんぢうと書かれた写真があってビックリした」
    なんと!1913年以前の写真に
    小さく「ぱんぢう」と描かれた看板が!
    これは、やはり「ぱんじゅう」は小樽だけのものなのか?
    正福屋 佐藤正一 店主
    「小樽に幌内線ができのだが、小樽でぱんじゅうが流行って、鉄道を通して、夕張や月形、三笠などの炭鉱地に広がっていった」
    なんと!ぱんじゅうは、小樽だけのものではなかった!
    1957年の小樽には
    16軒の「ぱんじゅう店」が存在していたのだが、
    三笠や月形などの炭鉱地にも広がっていたというのだ。
    そこで炭鉱の町として有名な夕張に行ってみると・・・
    調査員
    「ありました!夕張にも”ぱんじゅう”屋発見です!」
    確かに夕張にも、ぱんじゅう屋が存在していた!
    70年以上続く小倉屋(おぐらや)の”ぱんじゅう”は、
    小樽よりも生地が厚いのでモチモチ感が強く、
    土台の様な分厚い耳がついている。
    小倉屋ぱんぢゅう店 沼直子 店主
    「炭鉱町には割と”ぱんじゅう”屋があったと聞いている。炭鉱で働く人達は汗をかくので甘いものを好むみたい」
    そんな「ぱんじゅう」と炭鉱地を結び付けたもの、それが・・・
    炭鉄港(たんてつこう)だ!
    空知総合振興局 高井彩衣 主査
    「炭鉄港というのが、令和元(2019)年に日本遺産に認定された空知の石炭、鉄の町の室蘭、小樽の港湾、この3つをつなぐ歴史の流れを炭鉄港と呼んでいる」
    炭鉄港とは、空知の炭鉱、室蘭の鉄鋼、小樽の港湾、
    これらを結ぶ鉄道網が北海道に産業革命を起こしたストーリーのことで
    2019年には日本遺産にも認定されている。
    空知総合振興局 高井彩衣 主査
    「炭鉄港の主役の1つが、そこで働いていた労働者の皆さんなんですけど、日常の中で食べていた物など、それらを”炭鉄港めし”と呼んでいる。例えば「夕張のカレーそば」や「美唄焼き鳥」、室蘭だと「室蘭やきとり」、小樽は「もち菓子」や「ぱんじゅう」が【炭鉄港めし】と呼んでいる」
    つまり、当時、小樽で流行っていた「ぱんじゅう」が、
    炭鉄港の肉体労働者たちに好まれ、
    鉄や石炭と共に鉄道を通して広がっていったのだという。
    しかし、石炭産業の衰退と共に、
    各地のぱんじゅう店も姿を消していったという。
    ぱんじゅうは、どこからやってきたのか?そのルーツを追った!
    「ほっかいどうお菓子グラフィティー」の著者で、
    まち文化研究所の塚田先生に話を聞いた。
    まち文化研究所 塚田敏信 主宰
    「明治34(1901)年に東京の神田で七越屋というところが始まりじゃないかと言われている。七越屋が全国各地に支店を出したという話があり、原点は七越屋になるのかなという判断になる」
    なんと!1901年、東京・神田に創業した七越という菓子店が、
    今の形の”ぱんじゅう”を考案したというのだ。
    その後、七越は全国展開し、
    日本各地にぱんじゅうが広まったと考えられている。
    しかし三重県の伊勢市に本店を移した七越は、2000年に廃業。
    現在、小樽や夕張の他に、
    三重県の伊勢市や栃木県の足利市などでのみ販売されている。
    まち文化研究所 塚田敏信 主宰
    「明治末から大正、昭和初期、ハイカラとかモダンが広まった流れのひとつとして、ぱんじゅうが広まったのかもしれない」
    ※諸説あります
    調査依頼はこちら↓
    lin.ee/pYvxEEm
    www.hbc.co.jp/...
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Комментарии • 13

  • @Bouquetfragrance1
    @Bouquetfragrance1 Год назад +4

    ぱんじゅう 北海道では、小樽と夕張でのみ販売されているお菓子で、それを取り上げたのですね、素晴らしい映像でお見事です、ぱんじゅうはおいしいので、いずれは賞味したいですよ。

  • @fd3s357
    @fd3s357 Месяц назад

    西川が好きだったけど、親父さん年取って偏屈に磨きがかかって買いにくくなった。
    高齢で頑張ってるのは素晴らしいけど昔は気楽に奥でお茶飲んでのんびり出来て良かったな。

  • @F.l.g.my.pastime
    @F.l.g.my.pastime Год назад +4

    札幌在住ですが、夕張に観光に行った時、ぱんじゅうを知りました
    ただ、残念ながらその時お休みでして……雪溶けたらまた行ってきます(´>∀

  • @user-gh9wx1mj8x
    @user-gh9wx1mj8x Год назад +3

    夕張が元祖だと思ってけど違ってたみたいですね

  • @tomohikosatoh8897
    @tomohikosatoh8897 Год назад +1

    作り方がたい焼きみたいwww

  • @suttonrotten204
    @suttonrotten204 9 месяцев назад

    動画にも札幌の文字が見えますが、札幌の狸小路にも店がありました。もうないのかな。「小樽が有名だけど、札幌にもあったのか」と、30年以上前に店の前を通りかかり写真を撮りました。ネガはどこへいったかな。

  • @user-me7ge6pf9o
    @user-me7ge6pf9o Год назад +2

    ぱんじゅう超おいしそう~❤️

  • @nekosencho
    @nekosencho 6 месяцев назад

    ぱんじゅうこわい

  • @se-ya2250
    @se-ya2250 Год назад +1

    潮祭りの時通ってたあの小さな店か!

  • @yoshii871
    @yoshii871 4 месяца назад

    伊勢にもぱんじゅうってあるんだけど、、、、
    wiki見たら 東京で1901年創業のお店が全国に支店出してたけど 伊勢に移転したって出てるわ。

  • @ko-br3dy
    @ko-br3dy 6 месяцев назад

    小樽には正福屋、桑田屋、西川とあるけど、自分は西川一択です

  • @佐藤元美
    @佐藤元美 Год назад

    ぱんじゅう?

  • @user-jz8nm7vq6h
    @user-jz8nm7vq6h Год назад

    ぱんじゅうの中は何入ってる?😮