【日本の城】大和国多聞山城(多聞城) 令和6年(2024) 初夏

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  • Опубликовано: 18 дек 2024

Комментарии •

  • @原田浩太郎-e3w
    @原田浩太郎-e3w 6 месяцев назад +1

    松永久秀も1次資料の研究が進んで、それまでイメージされていた 「梟雄」とは随分違う実像が出てきましたね。
    出っ歯の肖像画が発見されたり、 信貴山城での「爆死」が同時代資料に見当たらず、昭和以降に出来た説らしいことが明らかになったり、足利義輝を殺した永禄の変を主導したのは息子の松永久通で、久秀は当日大和国内にいて、事後報告を受けただけだったらしいことなど、久秀の「悪行」として名高い逸話のほとんどが再検証されています。
    島左近の墓は、奈良にもあったんですね。京都の立本寺の「島左近友之」名義の墓が有名ですが、九州熊本の西岸寺にも、島左近こと泰岩和尚の墓が残されています。

    • @tetu7930
      @tetu7930  6 месяцев назад +1

      「出っ歯?」と思い、Wikipediaの松永久秀の肖像画を拡大したら、確かに出っ歯でしたw
      信貴山城の「爆死」は信長に貴重な火薬取られたくなかったから使い切っただけとかかもしれないですね。火薬はドンパチしてたかもしれないですけど、普通に切腹したとか。
      永禄の変は松永久通が主導となっているんですね。私の一次資料である『信長の野望 覇王伝武将ファイル』には「久秀が将軍義輝を暗殺」と書いてありましたので、歴史の研究も進化しているんですね。
      学生時代を京都で過ごしたんですが、立本寺の「島左近友之」の墓は知りませんでした。対馬とか陸前高田とか、全国にお墓があるみたいです。熊本の西岸寺にもあるんですね。情報ありがとうございます!

    • @原田浩太郎-e3w
      @原田浩太郎-e3w 6 месяцев назад +1

      島左近についての追伸です。私が先日コメントした京都の立本寺の塔頭・教法院にある「島左近友之」の墓が発掘されて、ほぼ1体分の成人男性の遺骨が出土したと、今日のYahooニュースに出ていました。この人骨が左近本人のものかどうかは、これからの調査によるそうです。ちなみにソースは読売新聞でした。