【漫画】前田利家の生涯~利家の死が歴史を動かした~【日本史マンガ動画】
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- Опубликовано: 12 сен 2024
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※諸説ある中のいくつかを採用して物語にしています。ひとつの説として楽しんでいただけると嬉しいです。
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利家ってこの時代の『もし長生きしてたらと思わせる人物』で豊臣秀長と並んで豊臣政権にとっては超重要人物だったよな
秀長か利家が長生きだったら徳川幕府は無かった可能性すらある
加賀百万石は伊達ではないので大老でも筆頭格であったと言えます
彼があと5年でも生きていたら、秀頼の次期豊臣政権が安定するまでに家康も好き勝手は出来ずパワーバランスは保てていたまま…つまり江戸幕府は無かったと言えるかもしれませんね
@@user-th5ns5sz8j
加藤清正や福島正則などは利家を兄貴分として慕っていたから
石田三成等との内紛はしばらく無かったはず
若い頃は歌舞伎者だったが本能寺の変や賤ヶ岳の戦いで辛い経験をして晩年では武勇も政治力も器も持ち合わせ、多くの者から敬われ慕われる豊臣家を支える大きな柱となった利家の成長ぶりは見ていて熱いものを感じる。
わかります。一番綺麗な年の取り方、老い方ですよね。
×歌舞伎者 ○傾奇者ですね。細かくて申し訳ありません。
利家では無いですけど、前田藩が建立した金沢市にある忍者寺を見ると前田は大変な位置にいて大変だなあと思いました。
前田利家の話なのに、柴田勝家の好感度が上がる
勝家、正に親父殿だよね!お市も戦国の世の姫の人生に厭気がさしたのでは無くて勝家の武骨さ、誠実さ、優しさに惹かれて共に自害したのだと思いたい😢
@user-pn5pq8yw2w 様
同感
鬼柴田と言われているが、魚津城攻めの時に、兼続公も柴田の事を情に厚いと聞いているから、開城すれば皆殺しには、しないでしょう。と景勝公に進言してますからね。人間身のある侍だったんでしょうね。
動画ありがとうございます。
秀吉の死後、家康にとって目のたんこぶだったのは前田利家だったんですよね。秀吉の死後、豊臣恩顧の大名らは対立していましたけど、彼らをうまくまとめられたのは利家だけだったわけですから。
加齢と共にストライクゾーンが微増してくの好き
まつ →11歳 利家21歳 翌年、妊娠
聚福院→13歳 利家30歳
隆興院→14歳 利家36歳
金張院→12歳 利家38歳
明混院→13歳 利家50歳
逞正院→15歳 利家56歳
やっぱ、ロリか😅
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まつ →11歳 利家21歳 翌年、妊娠知っていたけど‥
それ以外にも‥‥
戦国時代では13歳ぐらいまでがぎりぎりのラインでそのくらいで結婚してたらしいからでも‥
流石に まつは早すぎると思っていた‥
満年齢じゃない計算だとしても早すぎますね‥
前田利家と言えば『利家とまつ』で唐沢寿明さんがやってましたね、利家がやらかした時に織田信長役の反町隆史さんとまつ役の松嶋菜々子さんとのやり取りが有名になりましたね
そのドラマで思い出深いのは‥b
利長は帰参を許してもらおうと桶狭間の前哨戦でとったきた首を献上したが‥
信長のこの戦いは国の存亡の戦である今川義元の首以外は無用との薫陶中のことでありタイミングが悪かった‥
今川義元の首を上げた後は首取り分どりは解禁されたのでその場でのことなら大いに褒められていただろうにとそのシーンを今でも思い出します。
滝川一益はその時に取った首が多すぎて持って歩くことができずに竹にくくりつけて引きずって運んだがそれでも重すぎて動けなくなったという逸話がある。
そのシーンもあったように思う懐かしいですね‥
石川県民のヒーロー利家公!! > <
石川県金沢市では、利家公とまつ様を主役にした「百万石まつり」が毎年開催されています。
出禁の利家が戦さ場で暴れ回ってるの好き
ヤンキーみたいな感じだけど、妻は愛しているのがめちゃくちゃギャップがあっていいわ
利家、光秀、忠興の戦国夫婦ネタは鉄板。
利家はケチと知られおり、沢山金銀を貯めていました。信長の家臣でライバルだった佐々成政が「末森城」を攻めた時、出陣を渋る利家に、松は金銀が入った皮袋を出し「あなたが好きな金銀に槍を突かせてはいかがですか」となじり、発破をかけたといいます。
松は、幼い時に母の妹が嫁いだ利家の父利昌の元で養育され、利家とは、いとこ同士だったのでした。
奥さん同士がとても仲が良く
堀を挟んで向かいに住んでいた頃はどちらかの家でずっとお喋りする間柄だったそう
いいなあ💚
晩年も時折会ってたみたいですね
@@BEKU02歳を取ってから一緒に温泉に行った話は聞いたことがある。
ヤンキーに知恵者のサルにかかれ柴田
この濃いキャラが揃ってる頃の織田軍がやっぱりおもろいです
そして何度もやらかしては信長様を怒らせる利家が命知らずすぎるだろ
利家→拾阿弥殺害
勝家→稲生の戦いで信長に敵対
秀吉→手取川の戦い直前に命令違反
みんなそれぞれ信長を怒らせているのもまた面白いw
若い頃は暴れん坊で有名で町や村を歩けば民衆が家に隠れて人通りが無くなるくらいの世間の鼻つまみ者(家老談)。
『花の慶次』では慶次に振り回され、まつには心の中で「小さい男」と呆れられたりと散々な書かれようだが、利家もまた傾奇者だった。だからこそ慶次に在りし日の自分を見ている気がして複雑な胸中だったかもしれない。
4:27
ここで秀吉が勝家をおやじ様って呼んでるの、後々のことを思うとなんか複雑ですね。
利家と仲が良かったなら、勝家もなんやかんやで秀吉にも世話を焼いていたのではと考えてしまいます。
利家が不始末をして処刑されそうな時に勝家とかがかばってくれたのは、もちろん利家が気に入られていたのもあるかもしれないけど、拾阿弥が信長のお気に入りなのをいい事に調子に乗ってて嫌われてたから…って理由もあるのかもしれないw
皆、「又左、よくぞやってくれたな!」という思いがあったのでしょうね。
しかし、斬るのはやりすぎ。ボコ殴りぐらいにしておけば良かったものを・・・。
前田利家があと10年長生きしていれば豊臣家が徳川家康に滅ぼされることはなかったと思います。豊臣家にとっては不幸でした。豊臣秀長も同様でしょう。
10:31 度々出てくる政宗の「よっ」が可愛い笑笑
いつもわかりやすく面白い動画を見て勉強になっています。
いつもお疲れ様です。
次は前田利家の息子 前田利長の生涯のやつが見たいです。
ダメかもしれないですが勉強になるので各都道府県の武将のやつが見てみたいです。
お願いします。
すいません間違えました
次というのは前田家でということです。
1回過ちを犯したとはいえ、そのから復帰して成り上がっているのはマジで凄い
何だかんだで部下のやらかしに寛容なノブさん。
利家は若い頃こそ勢いに任せて行動してたけど、その経験からか世渡りが上手いと思う。実際、利家が長生きしてれば、関ヶ原も起こさせなかっただろうに…まじで惜しい人物だよなー
利家が家康並みに長生きした世界線を見てみたかった。三成より上手く豊臣家をまとめて、豊臣家を存続させられた可能性もあったのでは?
戦国最後は本当に長生きレースですね
若い頃は槍の又左と呼ばれるくらいな勇猛果敢な猛将だったけど晩年は五大老のナンバー2で家康すらビビらす沈着冷静になるギャップ差がオモロイ。
本届きました。宗教は、難しい。🌀本当に利家が長生きしたら歴史は変わってましたね。(笑)
我が故郷である加賀藩の英雄ですよ。
武功はもちろんのこと常識の壁をぶち壊していくポジティブさ即決即断の判断力、
おまつ殿にも槍の叉佐の名に恥じぬ働き見せつけて加賀百万石の礎を共同作業で作ったいったんだなぁって加賀藩藩士の祖先として敬愛の念しか感じませんよ。
織田信長を一番慕っていたのは利家殿なのかもしれないな
利家とまつ は唐沢さん反町さん竹之内さんが格好良かったなぁ
柴田前田佐々の北陸軍は良いですね😄
実際前田利家が抑止力としていたからこそ家康は大きく動くことが出来なかった。最後に一花咲かせていれば、、、
もし前田利家公と豊臣秀長公が生きていたら家康公は天下取れなかったかも知れませんね🙇あるいは利家公の奥方の松様が利長公の尻をひっぱたき尚且つ前田慶次郎にも徳川家康公と対決していたらどうなっていたのか気になりますけどね🙇もちろん松様も関ヶ原の戦いに参戦した状態ですけど。亡き夫利家公の意地を徳川家康公に見せつけていたらどうなっていたのか。
@@田中徳和-n9q 利家公は豊臣家臣団において唯一の政務派の石田三成達と武闘派の加藤清正達をまとめられる存在だったので豊臣政権におけるNo.2だったことは誰の目から見ても明らかでしたよね。松様の判断はあれはあれで正しいものだったと思います。利長も秀吉の晩年には家督を譲られていましたがどうしても利家公のイメージが強すぎた為に先代ほどの強さが足りなかったように思います。
そもそも秀吉によって家康は秀次・秀頼の政治代行人と合法的に認められた存在だからなぁ 家康自体が秀吉の「義弟」だから豊臣一門と婚姻することにメリットの方がデカい
しかも婚姻問題も秀頼成人まで待てとか言われてもそれまでに無嗣断絶するリスク大きい(清正とかそれこそ後継の忠広産まれるの関ケ原後だし)+養子どこから持ってくるの&秀頼成人後に結婚して子供産まれたら養子の扱いどうすんの問題抱えたくないだろうし、現実問題大名らは基本早う縁組したかったのもあるでしょうしね
利家と揉めた後中止になった婚姻は皆無だし前田家自体豊臣系列の婚姻してないから政権内でどこまで発言力持てたかは保証できない…
秀長が居なくなって秀吉の暴走が始まって利家も逝った事で家康に逆らえる人間が居なくなったって所か。。。。
秀吉と秀長の関係は尊氏と直義の関係に近いもののように思うのだが‥
秀吉は天下を取った後でおそらく今まで天下を取った人物がごとく家臣の粛清を考えていたと思う。
大名たちの間に秀長いてそれをさせなかったからそれができなかった‥
できなかったかったから身内を改易にすることから始め自身の領地を増やすことしかできなかった‥
表向きの理由があるにしろ秀長や秀次の家は取り潰されている‥
朝鮮で領地をある程度とることができたなら当然家康に朝鮮の領地を与えて国替えをして国内の領土は取り上げたでしょう。
暴走と見えることには裏の事情があると思いますよ。
@@mikionakata7921 成り上がり者で秀長以外に信頼のおける身内がおらず、後事を託せる譜代の家臣もいない秀吉が真から忠誠を誓っているわけではない家臣の粛清なんぞやったらそれこそ反乱の口実を家康たち有力大名に与えるだけなのに、そんな事にも気づかず家臣の粛清を企んでいたとしたらやはり暴走としかいいようがない。
秀次は勝手に自害した説ありますね、秀頼2歳で秀吉が後20年近く生きるのは不可能なので繋ぎの関白は絶対必要なので殺す事は秀吉も基本したくなかった筈。
実際後継者が居なくなって家康に五大老筆頭として政治を任さないといけない状況に。
ぶっちゃけ徳川が天下取れたのは家康が利家より長生きしたから
ぶっちゃけすぎですね(笑)
関ヶ原の戦いは家康が上杉征伐に行く途中で大坂城が石田三成に占拠され秀頼をおさえられたことにより起こります。
利家がいる前で大坂城の毛利と石田三成を討つといえば秀頼に対して謀反と曲解されかねないことでした。
徳川軍本体とは合流前のことで手持ちの兵は少なくなおさらです。
謀反の疑いで誅殺することすら利家にはできたかもしれない‥その場合には福島正紀や加藤清正に何がいえたでしょうか恭順していたと思います。
おそらく利家は全軍を率いて徳川軍本体と戦をしたでしょう。
勝って大坂城に帰った場合には石田三成や毛利に大坂城を占拠する大義名分は失われ撤退せざるを得ないでしょう。
朝廷はどのようにこの前田利家を見るでしょうか?
征夷大将軍に任じて武家を統率する人物に足りえるとみるかもしれない‥
私は誰が天下を取ってもおかしくない時代とは戦国時代のことではなかったかと思います。
むしろ正史で徳川家康をこの機にぶっ殺してしまおうと思う武将が一人もいなかったというのが不思議でならない‥
いやいや、家康が天下を獲れたのは朝鮮出兵で多くの大名に犠牲を強いたせいで豊臣政権自体愛想を尽かされていた事が一番の原因でしょう。朝鮮出兵がなければ家康より先に秀吉や利家が死んでも関ヶ原の戦いは起こりえなかったのです。
関白になった後も秀吉呼びのがすげー
でも利家が生きていたら生きていたで家康が動き出すのが遅れるだけポイ
家康より長生きしてたバージョンは見てみたい
「利家とまつ」でも、そんな感じだったね。「秀吉」「又左衛門」と呼び合ってました。
戦国大名を比較したとき、個々の戦闘力ではトップクラスで金勘定もトップクラス
イメージとは違うしそう思わせる世渡り能力はトップだと思う。
その辺は息子も上手い事やってるし
前田利家のじゅうあみ事件何となく好き❤️前田利家の刀も好き😊
戦国無双で利家の性格好き過ぎてずっと使ってる
子孫の前田利貴陸軍大尉の話は素晴らしいですよ
漫画の影響だろうけど
前田利家>>>>>前田慶次
だからな
秀吉は大名達に意見を聞くときはまず利家に尋ねた後に家康に尋ねるという形を取ったので、周囲もNo2と思っていたし、幼少時の秀頼も「大坂の爺(利家)」は慕っていたが「江戸の爺(家康)」は嫌っていたそうですね。
秀吉「あとを託せるのはお主しかおらんのじゃ。信頼できるものが他におらん」
利家「あほー!おまえが秀次事件で豊臣政権の次世代中心メンバーをゴッソリ殺すからだー!」
ある意味、朝鮮出兵よりはるかに激痛だった、秀次事件・・・
12歳の奥さんと子作りですか…
oh…
しかも母方の従妹という間柄でも有ったんですよね。
まあ血族婚はこの頃は武士や農民問わず良く有った話ですけどね。
67歳で13歳を愛人にした狸親父はもっと猛者
このへん(幼少期のお松)は花の慶次の回想にもありましたね…
利家は人望があったから家康へのストッパーとして機能した
それと比べて三成の人望のなさよ
森部の戦いで「首とり足立」って猛将を討ち取ったんだよな。
利家も秀吉臨終の半年後くらいに逝ったからな。
他に誰も頼ることができなかった豊臣家。
利長では年齢や経験的に利家には劣るし。
羽柴秀長と前田利家が長生きしていたら家康の出番は無かったでしょう。
漫画、花の慶次では何故か酷い役どころになっていましたが。
そりゃ、主人公である慶次と対立する役どころですから。慶次のかぶきぶりをより格好良く見せる為に、対立する利家とその手下である四井主馬にはとことん引き立て役になってもらおうと言う作者と編集者の意図が見え見えです。もっとも、原案である『一夢庵風流記』でも慶次郎に騙されて水風呂に入れられみっともない悲鳴を上げる場面、慶次郎が秀吉と対面する場面で貧乏ゆすりを繰り返して同席した武将に「うるさい」と罵られたりする場面が描かれ、原作と違い慶次郎と和解した場面でもその直前には慶次郎に家康の暗殺を依頼して慶次郎に散々にこき下ろされ、作者に「土地にしがみついていなければ安心できない百姓」と侮辱されているのですが。
13:48 今日の格言 現代訳ありがとうございます😊
慶次の方が一見傾奇者のイメージだけど
利家の方が傾奇者だったw
利家信長の前で拾阿弥斬るとかヤバすぎwww
0:37利家&信長・・・なに、このパリピ感・・・?
まあ家を守るのが一番大事だよね。
前田利家が後20年生きていたら、豊臣家は安泰だったし、家康も幕府は開けなかった筈だ。
関ヶ原の戦いとはその発端は家康が大坂城から出て上杉征伐に出たすきに石田三成がそれを乗っ取り引き返すことから始まる‥
周りには家康の本体は合流前なのでおらず自前の兵はわずかだった‥
利長には家康と事を構えるだけの貫禄はなかったため帰順したが‥利家はどうだっただろうか?
利家を前にして家康に全面的に福島正則・加藤清正は与力すると言えただろうか?
もし存命ならば利家は大坂城の留守居役となっていたかも知れづその状態で石田三成は大坂城を占拠に向かうことができただろうか?
関ヶ原の戦いの前提すら前田利家が生きていたら成り立ちませんね‥
家康は250万石(関ヶ原以降は400万石)で、秀吉より上だった
秀吉亡き後は、やはり第一人者の家康が天下を取っていたと思う
@@mmzero7732私の論説はロマンの域を出ないかもしれませんね‥
それでも考えてしまうんですよ‥
上杉征伐途上の家康は本能寺の信長のような状態で徳川本軍人と合流前で兵を多くは持っていなかった。
もしここで謀反の疑いをかけるものあらばと‥
それが家康よりちょっと長生きした前田利家だったらと‥
もし利家が関ヶ原の戦いまで
生きてたら、西軍の統率が
取れて勝ってた可能性が
高いから何とも惜しい…
生きてる間は関ケ原というか豊臣家分裂は目に見えては起こらないし、
そもそも西軍に付くとは限らないと思います。
利家は、柴田勝家を裏切ってますからね。そもそも、織田の宿老の家臣ですからね。大名になれたのも、豊臣ありきですから。前田家は、大政奉還も徳川を裏切ってますからね。ソロバン大名と言われるのも良くわかります。
遺言状では信長の名前が何度も登場し自身を織田家臣と記していますね。
ちなみに秀吉の名前は一度も登場しません。
ここでは描かれていないけど、利家ってばカネにうるさい性格とも伝わっているけど、
やっぱり周りが支えてくれたとはいえ浪人中はボンビーでそれが堪えたんかなぁ?
前田利家は最早唐沢寿明さんのイメージ
弟秀長、利家、この二人が長生きしてればねー。特に利家が長寿だったら歴史は変わってたかな?
戦国パンクの魁も晩年は算盤と五大老の要だもんな
佐々成政、蒲生氏郷とかもやって欲しいです!
佐佐は讒言を信じて愛妾とその一族を惨殺したバカヤローで黒百合の花に呪われて、淀殿と北政所の争いに巻き込まれ、破滅したって伝説が印象的で蒲生クンは名古屋山三郎チャンの美貌に美少女と勘違いして嫁候補にしたってエピソードが微笑ましい😄
花の慶次があんまり好きじゃない理由は利家の描き方なんだよなぁ
原作小説「一夢庵風流記」からして利家は「元来が荒子の百姓」「蚤の金玉のような男」とさも器の小さな男であるかのように描かれてましたからね。少年漫画化したら主人公の格好良さをより読者に分かりやすく描くため原作よりも更に小物に貶められてしまったと言う訳です。
信長、上司 (というか自分) に対してよく気を利かせてくれる人間を、性根の良しあし問わず素直に気に入っちゃう傾向あるからなぁ。信長存命中の秀吉は、媚び上手だったとはいえ、そういう「人間関係の軋み」にも敏感だったからこそ、利家の様な強情ものとも上手に付き合えたのだろう。
織田家は何と言うか皆キャラ濃いな
前田利家と言えば、パチンコの前田慶次で必ず水風呂に入れられるリーチがありますね
長身、美青年、戦場での武功、長槍の名手、愛馬松風、傾奇者。
利家のプロフィールをパクった花の慶次。
利家は幼少期に犬千代と呼ばれるくらいに大胆な性格だったらしく、若い頃は苦労も絶えなかったようですね。
信長と一緒にギャルい若年期送るの好き
慶次が前田家を継いだ世界線も見てみたかったなー!
前田利家ときたら、やっぱり利家一番の家臣村井長頼をお願いします🙇♀️
新書太閤記での逸話は感動!
でも一番の家臣でも一番石高が高いわけでは無いのは伊達政宗の一番の家臣の片倉小十郎と一緒。しかも重臣筆頭の加賀八家には一番最後に加わった。
@@yh6146 利家の両輪ですから!奥村さんと村井っちは
古河公方の足利晴氏の解説お願いします
大体の武将(いや女性も)の物語に本能寺の変って関わりあるなw
面白いけど再生回数が少ないな。。。。
この傾奇者が後に三国一の算盤名人になるとは誰が思っただろうか。
晩年は家康よりも加藤や福島等武断派を抑え込む様に動いていたみたいですね。
豊臣家の重臣達は家康を失脚させようとした動きを見せていましたが、利家はそれに関して消極的だったみたいです。
「利家とまつ」でも、「秀吉」「又左衛門」と呼び合ってた。
まつに手をつけた年齢はスルーなのか····今なら完全にロリコンだろう。
現代の物差しで考えたらそうですが。
当時は初潮を迎えていたかどうかでしたからねェ(;^_^A
いや当時の感覚でも「ちょっと早すぎない?」と言われてたそうですよ
秀吉の奥さん、ねね様が13くらいで何も言われてない、むしろ適齢期ですからね
尾張の人材どうなってんねんw
すごい生き方をしたひとだな。。。
五大老という中で秀吉と付き合いが長かったのが利家だけだったというのが豊臣家の悲劇でもある。他のメンバーって当時の有力大名の寄せ集めだもの。そりゃ自分のエゴを優先するよな、秀吉に明確な恩のある奴なんて一人もいないもの
宇喜田秀家、秀吉の猶子がいます。
他の五大老より若く経験値や実績や石高で大きく下回りますが。
唐沢寿明さんの利家もだけど、竹中直人さんの「秀吉」の渡辺徹さんの利家も好きだった。
「「お前がバカじゃぁあ!」」と掴みかかるやり取りとか、同期のライバル兼ダチって感じ。
秀長と利家が無くなったのは豊臣政権にとっては致命的だったんだね。
ヤンキーなんだけど計算が得意。短気なんだけど根は真面目。豊臣政権下では戦場での話を聞こうと訪問客が引っ切り無しだったそうな。
柴田勝家敗北の戦犯なんだけど裏切り者の印象は薄いよね。賤ヶ岳は本当に分からん…。
名古屋市中川区荒子の誇り。
三好長慶の生涯も是非
もしも利家様が生きていたら
家康公vs利家様で
あわよくば利家様が秀頼公を
補佐する政権が誕生してたかもしれませぬ。
それくらい利家様の影響力や信頼は
三成公とは比にならないくらい
だったはず…
前田在死前只有闡述怎麼效忠信長公而沒有提到秀吉喔。
お詳しいですね😄感服してます。
やはり、加賀100万石のお殿様だからなぁ!
隆慶一郎作「一夢庵風流記」とそのマンガ「花の慶次」で悪いイメージがついてしまった可哀想な武将。原作小説では結構骨のある所も見せてたんですが、マンガでは殆どカットされたのが痛かった。なお信長とは衆道(男色)の関係であったのも結構有名。当時の武将の嗜みなんですが、晩年に涙流しながら語ったせいでたまに茶化されるw
漫画では松の命令で骨が利家が亡くなったのを伝えただけだったけど、原作では骨の案内で利家に会いに行った。
どっちが攻めでどっちが受け?
まあ、漫画は慶次を格好良く描く為に必要以上に利家が道化に貶められた感は否めませんね。少年漫画ですからわかりやすさを重視したのでしょう。もっとも、原作小説では漫画と違い慶次郎と和解したとはいえ、その前に慶次郎に対し過去の因縁を帳消しにしてやると恩を着せて家康の暗殺を依頼する老醜を晒し、ぐうの音も出ないほど慶次郎にこき下ろされてしまっていたのですが。
NHK大河ドラマ「利家とまつ」好きでした。
大河ドラマや歴史ファンからは「ホームドラマ」と揶揄されましたが、「小姓と密会した側室を「アンコウ斬り」で処刑した」といわれた佐々成政が「越中国の治水や内政で豊かにした」と再評価されました。
ただ「前田利家が、本願寺一向一揆と戦った時、信者の老若男女に対する残酷な仕打ち」は、コンプライアンス的に無理だったかもしれません。
秀次を殺さないか利家が長生きだったら関ヶ原はなかったかもなぁ。
賤ヶ岳の戦いでの戦線離脱はなんか秀吉との友情とかで美化されがちだけどかなりの好条件で秀吉から買収されてるから中々悪どい…
「いやー、まいったね、こりゃ」ぢゃなくて‼️🤣😆👍✨
秀吉と家が隣同士だったという話は本当なのか。
その方が愉しくない?妻同士も仲良しで献立一緒に考えたり🎵
花の慶次の漫画のせいで、とんでもない風評被害を食らった人物よね
自分も歴史勉強知るまではただのヘタレ爺さんだと思ってたわ
【北陸方面軍団】
柴田勝家
滝川一益
佐々成政
前田利家
佐久間盛政
金森長近
不破光治
幼名が犬千代で、信長とかからも犬ってあだ名つけられたもんで、後世の女体化系だとワンコ系にされがちな人www
本っ当徳川大っ嫌い
越中征伐の時に、越中と飛騨を丹羽長秀の死後に越前と若狭を拝領していれば180万石の大名として家康と対抗できたのに。
確かに前田のとしちゃんが長生きしてたら歴史は変わってたと思うけどただそれが日本の国や社会、庶民にとってプラスになるとは限らないんだよなぁ😅
まつさんは満11歳11ヶ月から32歳の間に2男9女をもうけています
マリア テレジア並みの多産💦
産む機械( ゚д゚)ポカーン
ちなみに利家の4男利常の正室珠姫も24歳で亡くなるまでに3男5女を産んでいる。
桶狭間の合戦での利家は……朝の小競り合いで敵兵一人を討ち取り、残りの二人は今川方が総崩れとなった後での【追い首】だったのです💦
朝の小競り合いは戦局に寄与しなかったし、こんな首では信長は評価してくれません
(;゚д゚)
桶狭間の翌年、5月13日……信長は西美濃に飛騨川(長良川)を越えて侵攻、勝村という場所に陣を張りました
翌日、雨が降ったのですが……アホの斉藤龍興は防衛拠点墨俣から長井甲斐守&日比野清実を大将として森辺方面に軍勢を出してしまいます
チャンス!と見た信長は楡俣(にれまた)の川を渡って襲いかかりました
これが【森辺の合戦】です
で……大将の片割れ日比野清実の家来に
『足立六兵衛』
という男がいました……
この男、別名【首取り足立】と言われて美濃でその名を轟かす荒武者だったのです
(*´∀`)
これを前田利家が討ち取りました!
別に無名の首一つ、合わせて二人討ち取っているのですが……この【首取り足立】を斃した戦功によって勘当を解かれたのです
(・∀・)
その首が評価されなかったのは信長が勝利のために効率を上げることを家来に命令していた最中のことであったことも理由です。
当時は首を持ち帰ることで手柄としてうちとったものの所持品は自分のものにできましたが‥
それでは家来は3人ぐらい討ち取れば身動きできなくなります。
合理主義の信長はそれではいけないと思うのでこの戦が国の存亡である義元以外の首は無用と分どり禁止を言い渡していた時にバツが悪く首を献上したものが表れたということで‥バツの悪さを笑うところであるんです。
義元の首を取った後で首取り分どりを解禁したので滝川一益のようにとった首が多すぎて持ち歩けなくなったので竹にくくりつけて運んだがそれでも動けなくなるほど‥
って逸話があるほどです。
戦国時代には軍艦などほとんどおかずとってきた首がすべて証明する時代です。
盗み首したとかしないとかの諍いさえ起こる時代で首をとった経緯などは考慮のほかなのです。
とった首の価値とその多さだけが手柄となり信長の場合はそれに加えて情報をもたらしたものを高く評価しました。
@@mikionakata7921 さん
(≧∇≦)b
なかなかのコメント、ありがとうございます
織田信長という人の恩賞の基準は一風変わっているところがあり……実際に義元の首を挙げた武士よりも、最初に義元に斬りつけた武士を上位に置き……首より【勇気】を忠誠の証として賞賛するなど、『後々の影響』を考えて恩賞を出しているようです
(*´∀`)
お疲れ様でした。他の方々もお書きになっておりますが、利家(14)にまつ様(10)が嫁いだとされる説を深掘りしなかった辺りはニヤニヤですな。もっとも、後々某国営放送で大河をやった時にその下りを知りつつ視ていた人は、某俳優と比べて視ていたいた訳で十分ニヤケて視てた筈。ゲスい話失礼しました。
「花の慶次」でこき下ろされてるというのはよく聞きますが、実は千利休の息子道安もなぜかこきおろされてます。
しかも道安は原作には登場していない。
@@yh6146 それだと1番の犠牲者は道安ということに!?
そして、花の慶次被害者の会とかもできておかしくなさそうですね。被害者の会会長はもちろん前田利家で、他会員は原作にいないのに勝手に悪役にされた千道安、前田利家の部下というだけで悪役扱いの四井主馬、これまた小悪党扱いの前田玄以、上杉家の敵というだけで一族全てクズ扱いの本間一族。
@@YH-nu7wc 主馬は原作ではひどい目に会っていない。慶次とは遠目で見かけただけで会話したことは無い。まあたくさん部下を殺されたけど
@@yh6146 なんだか、一夢庵風流記=正史三国志で、花の慶次=三国志演義のようなイメージが。
あ、ロリコンの利家さんじゃないっすかー
ロリと言うよりまつさんLoveの様な2男9女も作りましたから
@@user-yamiecat 様
でも、その後の愛妾はティーンエイジャーばっかし💦
長生きしてたらどうなってたやろ
流石の家康も正面きって戦争はしなかったように思うが、、🤔
秀長と利家が長生きしてたら色変わったと思う