【廃線跡】駅も街も消滅しました。その7 Stations and towns have disappeared.Part 7
HTML-код
- Опубликовано: 16 июн 2023
- 今回は今まで巡った廃線跡で、かつては駅を中心に形成された街(市街地、集落)が消滅、もしくは著しく衰退してしまった場所を駅跡を中心に紹介していきます。
7回目の今回は北海道の渚滑線(1985年廃止)の中渚滑駅跡と滝ノ下駅跡です。現役時代はあまり注目を集めつことが多くなかった渚滑線ですが、廃線後は意外にも見どころは多いです。今回紹介する駅跡は両者ともに農地に飲み込まれていますが、かつてはここに駅があり街がありました。
Both of the station ruins introduced this time are swallowed up by farmland, but there used to be a station and a town here.
動画で使用している過去の航空写真はこちらで閲覧できます。
国土地理院HP:www.gsi.go.jp/top.html
中渚滑駅と滝ノ下駅があった渚滑線(渚滑~北見滝ノ上)の動画は(サブチャンネル)↓
• 【廃線跡】いくつかの駅跡は集落もろとも消滅し...
生産性があった鉄道がなくなっても生産性が残された農地に変わったという事実に、一迅の救いの風を感じました。
原野に還っていないのが救いでしょうか…
農業産業殖産の為の鉄道が別の輸送網にバトンタッチするのだから、
その跡地が農地になるのが自然だが、
なんか寂しいですね。
下渚滑の駅舎は、保存というよりは地元の会社での再利用という感じですね。ただ移設するにも結構な費用がかかったはずで、やはりなにがしかの愛着を感じてのことだったのでしょうか。なんにしても姿が残っているのは嬉しいことです。
ちなみに渚滑川のあたりは、江戸時代に北海道を探索した松浦武四郎がアイヌと深く触れ合って保護や文化の継承を訴えるきっかけになった場所です。幕府は聞き入れてくれませんでしたが。
駅があった証が残っているのは嬉しく思います…
このBGM、落ち着きます…
👍
落ち着いたBGMに寂れた街…なんだか寂しいですね。数ある建物が寂れると悲しくなります。
渚滑線は一度だけ乗った記憶があります、高校生だった頃、同級生が上渚滑に住んでいて遊びに行きました!遠いとこだったんで何度もとは、いきませんでした、名寄線の車両が渚滑で分離して渚滑線になるんでしたよね
👍️
農地の中のホームがあるのは、嬉しいですね。ホームだけでも駅を感じられる不思議さですね
ホームが残っているだけで全然違いますからね…
渚滑線の渚滑小学校の踏切は通ってた途中で遮断機設置された記憶があるなぁ…
学校通う前は無かったんだけど名寄線の渚滑踏切でタヒ亡事故が起き続けて設置されて小学校の通学路と名寄線渚滑踏切の側の踏切にも設置された記憶
小学校横の神社の踏切は確か最後まで警報器と点滅信号だけでしたね。
小学校の教員住宅もまだあるし環境は変わってないように見えますねぇ…
こんばんは。いつも動画拝見しています。北海道に憧れ、中学の頃からいずれ紋別にあった大学か釧路の大学への進学を考えていたので、ご紹介いただいた路線は廃止までにギリギリ乗れました。いつもこの動画で涙を流しています。かつて賑わっていたことを知っていたので、集落が消滅しましたという表示、やはり時の流れには逆らえないのだなと思います。
これが現実なんですよね…
いつも動画ありがとうございます。北海道はぎりぎり乗れている路線が多いので、懐かしさと寂しさの両方を感じつつ拝見しています。でも、やっぱり寂しいな。。。
寂しいですね…
渚滑線の廃線探索は平成19年8月25日に、ロシア・サハリンの研修の帰りに鉄友の車で探索しました。8月20日から24日まではロシア・サハリンにいました。サハリンでは懐かしの樺太・サハリン鉄道に乗り、寝台客車と食堂車を体験しました。行ったのは北サハリンのアレクサンドロフスク・サハリンスキーに行き、再び豊原・ユジノサハリンスクでバスで樺太遺産を見ました、豊原公園では、ソ連時代の遺物の子供鉄道に乗りました。子供鉄道はソ連の軽便鉄道で狭軌750㍉です。その後は班から離れて、一人だけ高校時代からサハリンにお世話になったホームステイに行きました。通訳無しだったので、ロシア語の会話はとても難しかったのでしたが、感動的な体験でした。24日に懐かしの稚泊航路に乗り稚内港で班から離団して、宗谷本線の普通列車で比布駅に着いて、駅隣接のライダーハウスに泊まり、25日に鉄友の車で動画の舞台の渚滑線を探索しました。北見滝ノ上駅は鉄道資料館化しており大正浪漫レトロの香りがしました。濁川駅は駅舎とホームは現役当時のままでした。線路跡地はパークゴルフ場化してました。滝の下駅は昭和50年代に名寄本線中名寄駅にあるような、旭川鉄道管理局タイプの駅舎がありました。線路跡らしき場所に、令和2年5月7日に廃線になった札沼線北海道医療大学・新十津川間で、浦臼・下徳富間にあった、碍子と腕木が付いた、俗に言うハエたたき木造電柱が一本だけありました。上渚滑駅はホーム・駅名板と線路のモニュメントがありました。その後は渚滑駅跡からは名寄本線の探索をしました。名寄本線探索は沼ノ上駅・沙留駅跡・興部駅跡の道の駅、上興部駅、一ノ橋駅跡のバス停、下川駅跡、中名寄駅は中に入れて、非公認の鉄道資料館化してました。再び、比布町のライダーハウスに戻り泊まりました。
今回も見事なオッフでした!
中渚滑は、かつてここにて鉄道が走っていたとは想像もつかない姿になりましたが、北海道にはあるあるの農地転換ですよね。
滝ノ下は、ホームと駅のあった土地一帯を残していることに、地元の皆さんの愛着を感じざるを得ません。素敵な駅跡の形の一つだと思います。
今回もオッフでしたね…
滝ノ下駅跡好きです…
@@hiroring0323 平成19年8月25に滝ノ下駅に行った時もオッフでした。昭和50年代の旭川鉄道管理局タイプの簡易駅舎が残っているだけでも貴重です。
残してるのか残ってる(お金をかけてまで農地にしない)のか微妙ではありますが、鉄道ファンとしてはうれしいです。
@@user-ev8km8py7g そうですね。廃線の大半は農地となり、路盤を壊してまで、線路が敷かれる前に復旧している線区が数多く見られます。例えば深名線は深川駅構内ぐらいしか現役で使ってる程度で駅から函館本線と並走してる僅かな区間しかないです。分岐点から幌加内方面は跡形もなく水田になり鉄路の面影がありません。深川市多度志町内は田んぼのあぜ道になっていて、鉄路の面影が伝わって来ます。私も同じ意見です。詳しくはひろりんさんの取材でも詳しく発表されています。
線路跡も駅舎跡も道路跡もフワッと見えるところに哀愁を感じる。
👍
動画の中で仰るとおり、廃線になった敷地が有効活用されている所が多いのは、見ていて救われます🙂
かつての記憶をなんとか後世に…という努力が多く見られる点も他の路線とは顕著に異なり、もっと評価されるべきかも知れませんね😙
注目を集めることは多くなかった路線ですが、廃線後の状況を見ると地域にとって重要な役割を担っていた路線であったことが分かりますね。
昭和50年代は中名寄のような簡易的な駅舎が多いですが、昭和61年以降になると貨車駅や物置駅となったり、最近ではアクリルカバーの単なる風除けでしかない駅舎とは言えない代物が増えていますね…
そうなんですよね…
ここまで消えてしまうなんて。。。😢
オッフ…
昔の紋別市は、網走市と肩を並べる規模の街だったケド…線路が無くなってからは大学が消え、人口も減り方が激しくだいぶ寂れましたね。
鉄路廃止の見返りに旭川紋別自動車道ができるはずが、未だに基本計画にも上がってませんね。
過去に名寄本線はギリギリ乗れましたが、渚滑線は乗れませんでした。
鴻紋軌道の鴻之舞鉱山は確か反対側の丸瀬布までトンネルがあったとか…
今の状態を見てみたいもんです。
拝見しました。
渚滑線、両駅跡とも見事に農地化してしまいましたね、、
冒頭部分の路線図みると、今は正に鉄道空白域、、さみしい限りです。滝ノ上駅跡のハエ叩きとホームが唯一の生き証人ですね。
茨城鉄道石塚線は、線路跡の道路を進んでも途中でわからなくなってしまう。耕地整理したことで線路跡が消滅したのを後日知った
悲しすぎる自治体の最後ですよね……
我々にはどうしようもないのですが。
ひろりんさんへ
6月17日の18時台に、全編を拝見しました。渚滑線の中渚滑と滝ノ下駅の2箇所の跡を扱われ前者が駅前通りが農地に完全に呑まれ後者が土盛りのプラットフォームと駅前通りの痕跡が遺る事と好対照の現況なのが私の興味を引きました。動画の作られ方も、冒頭で(グーグルマップを活かされ)渚滑線に曽て接続していた路線の変遷を紹介され最後に2箇所で建っていた青い屋根の駅舎・整備された濁川駅・渚滑線所以の品々が収められた北見滝ノ上の駅舎を紹介されメリハリの利いた構成且つ濃い内容だなと感心しました。ひろりんさんも、第9の波と成り得ようコロナウイルスの流行りや健康管理に注意し過ごされますようお祈りします。
いつもありがとうございます😻
北海道で仕事してた時に出張で訪れた先でした 若かりし頃を思い出します ありがとうございます
👍
辛うじて残るホーム跡。やはり切ない。
滝上、故郷です。
駅舎が懐かしい。子供の頃は何とも思わなかったけど。
ゾヌさん滝上が故郷だったんですね!
わたしもびっくり😺 ゾヌさんは渚滑線廃止後のお生まれなんですね。トラ猫さんは夕張だったかな
@@hiroring0323
今は縁者もいないので行く機会が無いですけどね。
@@3poko
さあ~どうなんでしょうね
@@user-di9tv2kf8t
そうでしたか…
裏タイトル「おっふシリーズ7作目」
今回も凄まじすぎる。
オッフシリーズも7回目です…
JRと北海道の各自治体は本当に鉄道を存続させる為の知恵を出さなかったんだなと動画を拝見する度に切なくなります
そうですね…
まさに限界集落を地で行く場所となってしまいましたね…オッフ
ただ、路線規模の割に周辺の保存物や見所も多いことが救われますね…
あまり有名では無いですが、見どころも多いんです…
街も人も消えてしまった…。
消えてしまいました…
いつも楽しく見ています😙北海道は、色んな廃墟や、廃線、隧道など遺構が残ってますね✨
因みに話は飛びますが、2年程前に「岡山県:牛窓水没ペンション村」に行かれてましたが、現在も同じ様に水没してますねーあの海の堤防前に有った建物は「レストラン」だったんです~管理棟は一番正面に有る建物ですね😆
水没ペンション村は次回はドローンで撮影したいですね…
いつも楽しみに視聴しています。おっふ・・に共感しています。
私も廃線の寂しさに何かを感じています。
滝ノ下駅は、駅部だけが古墳のように農地化されなかったことが気になりましたね。
農地として使えなかったのでしょうか。
集落住民の後継者達もどこかに転居してしまったのでしょうね。
👍
今日、JR北海道の廃止駅発表になってましたが、宗谷本線が多かったです。
そうですね…
宗谷本線の北側は沿線人口が…
そうですね、これもJR北海道の厳しい現実ですね。どんどん思い出の駅が失われて行くのも残念ですね。
道路網が整備され、農業自体が労働集約産業から機械化が進み労働力が省力化されれば、
そこに住む世帯も人口も何より鉄道を利用する人自体が減る。
地域実情としては本州の限界集落・廃村とは違うが、鉄道が成立しなくなるのは同じことだわな。
レールは完全消滅しても、かつてあった滝ノ下駅のホームが撤去されず残り続けて、鉄道の記憶を未来へ繋げる…。
👍
今回は駅構内跡や線路跡すら完全に無くなってますね。廃線跡は大概がかつての面影を僅かに残しているのに、今回は農地に変わってしまってる、本当にかつてここに鉄道が走っていたのか?と疑わしくなる。
仮乗降場レベルの駅だと農地に飲まれることもよくありますが、駅前通りのあるレベルの駅でここまで痕跡が無くなるのは…
廃線になってもホームだけでも残っていると安心します。
広島でもずいぶん前に廃止になった宇品線。でも30年ぐらい前は大学病院の敷地内にホームが残っていました。それを見たときはなぜかうれしかったのをおぼえています。
ホームだけでも当時のものが残っていると嬉しくなりますね。
こんにちは🖐️😀
お久でございます😊
北海道から鉄道が消えていく💦😆
淋しいですよね😮
今度は、富良野~新得間が、廃線になると聞いてますが、、、🤔‼️
北海道の鉄道は、どうなるのだろう😮⁉️
メタルキングさん、お久しぶりです!
来春には根室本線の富良野~新得が廃止…
駅もいくつか廃止されるようですね…
今回は自分も良く良く知ってるおっふ…な駅跡ですね滝下駅は渚滑線廃止後集落の消滅していく様を見届けてました
滝ノ下は学校もあったほどの集落でしたが、完全に消滅してしまいましたね…
渚滑線は廃止前に乗れなかった路線の一つです。
せめてもと沿線を走る紋別〜札幌間の都市間バスに乗りましたが、バスの車窓からは鉄道の跡をほとんど確認出来ませんでした。
名寄本線は、旧国鉄の本線と呼ばれる路線で唯一全線廃止されてしまった…
ですね…
なんと・・・北見滝ノ上駅は駅舎も残ってるのですか
そして滝ノ下駅は駅舎こそは解体されたものの、プラットホームがそのまま残ってるんですね
線路跡は農地に還ってもプラットホームが残っているのは極めて珍しいですねぇ!
滝ノ下駅跡は何も残っていないと思いきや、周りが農地に囲まれながらホームが残っていました。
時代の流れとはいえ、地方から駅や街が消えていくのは寂しいものがありますね。
夏草や 兵どもが 夢の跡
これが北海道の過疎地の現実です…
誤記を訂正いたします。
10:37 誤:中渚滑駅跡 正:上渚滑駅跡
跡地が農地になってるなら、まだホッとします。自然に飲み込まれていると何とも言えない気持ちになりますけど。
原野に還っているよりは、全然いいですね…
渚滑線跡、是非行ってみたいですね。
滝ノ下駅跡のホームはいいなぁ。。。
滝ノ下駅跡いいですよね…
こんなのだったかなぁ?乗った筈なんですが…。
ヨンマルの単行だった事だけは覚えてます。
乗られていたんですね。
滝ノ下のホームの残骸は、寂しくもありますが味わいもありますね。
保存というよりは放置といった雰囲気ですが、中渚滑のように農地にしてもいいはずなのに、残しているのはちょっと不思議な感じもします。
滝ノ下の駅跡の部分だけ農地になっていないのは不自然ですよね…
今回もまた何もかも無くなってスッキリしてしまいましたね...
ホームが残っていたのが救いでしょうか。
そうですね…
ここまでスッキリしてしまうと…
渚滑線ではありませんが、大昔の冬に時刻表を見てて…今から出れば夜には戻れるということで、旭川から鈍行に乗って興部まで行き、流氷を見てきました。帰りに吹雪にあいなかなか名寄に行けず、家に付いたのが22時過ぎだったと記憶してます。興部も配線となり今現在どうなっているのか? 動画を作っていただけるかな?と期待しつつ…(笑)
こんばんは〜芝桜にはよくいきましたが反対方向で乗らずに廃線なんたる不覚今思えば残念!
芝桜が有名な滝上公園は、北見滝ノ上駅の近くでしたね。
滝ノ上駅は見に行きたいと思ってます😊
北海道の鉄道は農地を斜めや中途半端に分断してることが多いためか、廃線後に農地化されることが多いみたいですね。
最後のカットに出てきた雄鎮内駅の駅名標ですが、最近Twitterで駅名と地名が異なることを知りました。
地名と駅名が異なることも、しばしば有りますね。
Smutne to opuszczone miejsca po stacjach.
Takich miejsc jest coraz więcej...
@@hiroring0323 Niestety masz rację, w mojej rodzinnej Polsce skąd pochodzę jest tak samo ;-( Dziękuję Ci za film.
Do Audiotone
Część. To gorący dzień tylko z nazwy, ale jak się macie?
(Tym razem tez) Przeczytałem twoj komentarz i współczułem ci.
Mamie wrażenie, że ten film[autor przedstawia ślady linii Shokotsu] sugeruje postęp 'wyludnienia' w Japonii na poziomie mikro i 'przyszlego wyludnienia' na świecie na poziomie makro.
O linii JNR Shokotsu
[Źródio Wikipedia itp.]
5 listopada 1923 r. Otwarto odcinek o długości 34.3km między Shokotsu a Kitami Takinoue.
Liczba stacji=12, tor=1067mm(wąskotorówka), minimalny promień łuku=300m, nachylenie=maksymalnie 10‰(łagodny) .
Kiedyś istniał plan przedłużenia linii do linii Sekihoku, ale został on zniesiony 1 kwietnia 1985 roku z powodu wyludnienia i upadku przemysłu leśnego.
Stacja Nigorikawa=Kolejka leśna kursowała od 1935 do 1959 roku.
・ obecna stytuacja [Kami Shokotsu=utrzymywany jako park pamięci kolejowej. Takinoshita ma peron, a Nigorikawa i Kitami Takinoue maja budynek stacji i peron.] Otóż to.
Modlę się, abyś ty również był ostrożny w zarządzaniu swoim zdrowiem.
sobota, 12 sierpnia 2023 r.
Od Hideki Wada
20年ほど前に紋別市に住んでいたことがありましたが、その頃にはすでに鉄道は廃止。
でもそんなロマンのあるところだったのだなぁと感慨深く拝見しました。
滝ノ下駅の残骸はもちろん物悲しさを伝えてはいますが、とてもステキだとも思いました。
紋別にはロマンがありましたね…
ゴールドラッシュの鴻之舞とかも…
そうそう、鴻之舞も当時から気になっていました!
もし可能ならひろりんさんに探索していただきたいなーと思っていたところでした。
@@kumixfan
鴻之舞も行きたいんですけどね…
@@hiroring0323 鴻之舞鉱山も心霊スポットです。行って探索したいですね。
おぉぉ・・・おっふ・・・
オッフ…
8:18 この電柱は「柱上変圧器台」かも知れません。作業台のような部分に変圧器が置かれ、落下防止や点検の便を図っていたものかと。旧国鉄のローカル駅では、比較的よく見かけるものです。
👍
北見瀧ノ上駅の「さようなら渚滑線」が何とも哀愁を誘いますね
文字通り昭和末期で時が止まったかのようです
しかし、つい先日の42駅の無人駅を廃止検討のニュースが出た後でこの動画を見ると
北海道の22世紀は新幹線以外全部こうなる可能性が出てきましたね
そしてその新幹線も大赤字で札幌延伸が挽回の一手になるかどうかも…
青函トンネルの維持費が莫大なので、新幹線が札幌延伸したところでJR北海道が黒字になることは無いでしょう…
@@hiroring0323 そうですね。北海道新幹線の青函トンネルは、昭和60年3月に今の新幹線が通っている本坑貫通し、昭和62年11月に青函トンネルは完成して、あれから30年以上の年月が経って老朽化が深刻になりました。特殊なトンネルで膨大なので、維持費もまた膨大になっていきます。北海道新幹線が札幌延伸では、JR北海道の黒字化はほぼ無理です。とりあえずは鉄道業では、北海道新幹線と札幌圏を重点において、後は廃線論も加速させるのを予想されます。新型コロナも生き残る限りは、現在の鉄道路線もでも離れていく感じです。例えば新型コロナが地球上から撲滅しれば話しは変わるかもしれません。
motosan7様の内容ですが、確かに北見滝ノ上駅に行った時は、渚滑線時代の資料が置かれて、駅舎の外観、一本だけの線路、駅名板などを見てると、懐かしの昭和50年代後半で時間が止まった感じでした。まるでタイプスリップした感じでした。ご指摘の22世紀には北海道の鉄道は?ですが、この時は私も、どうなってるか分かりませんが、もし人間道でまた北海道人に転生して、再び鉄道活動をしていれば、残っているのは北海道新幹線・函館本線小樽・旭川間・千歳線・室蘭本線沼ノ端・東室蘭間・石勝線・根室本線新得・釧路間は途中の十勝清水、西帯広、柏林台、帯広、札内、幕別、利別、池田、豊頃、浦幌、音別、白糠、大楽毛、新富士の各駅が存在として仮定、札沼線は北海道医療大学までです。これしか、残っていたら、今より寂しいですね。JR北海道の記者会見でも黄色線区の活性化案の話しすらも無いし、盛り上げようという機運もありません。まるで廃線になるように待っている感じです。果たしてJR北海道は22世紀なっても生きてるかも分かりません。22世紀の図書館には、懐かしの20.21世紀の北海道鉄道の本がズラリと置いてる感じです。今の北海道鉄道は本と動画の世界の話しでしか体感出来なくなるかもしれません。
渚滑線。
中越駅(現在は信号場)で石北本線につないでいれば、
札幌、旭川からの短縮路になって、
特急「流氷」が実現した可能性が…
私は静岡県に在住ですけど、地方民鉄として黄色線的に利用率が低くて廃線のピンチにあるのは岳鉄線・伊豆急線伊豆高原以南・大鉄大井川本線家山以北・大鉄井川線と言ったところです。見方によっては、天浜線も少しピンチ気味ではあります(天浜線は静岡県で唯一気動車が走る線区)。
逆に廃線の危機になく好調なのは、伊豆急線伊東~伊豆高原間・伊豆箱根駿豆線・静鉄線・遠鉄線くらいです。沿線人口が割と多く、駿豆線については前にもふれたように公立高校が沿線に複数校も並んでいるところが大きかったりします。
ホームだけでも残っているのはいいですよね。地主様のおかげでしょうか・・・
敢えて残しているんでしょうかね…
@@hiroring0323
私はそう思います。ここに鉄路があった事を忘れないために。
大半が農地に変わってますね。
確かに原野に戻らないだけでも、いいかと思いました。
ですが、オホーツク海側の鉄道は石北本線を除いて皆廃線になったのですね。
来年は根室本線の富良野ー新得間が廃線になるのかと思うと寂しいです。
失礼しました。
釧網本線もありますね
北見滝ノ上駅はあの状態で保存されていることが奇跡に近いですね。
ぜひ、シバザクラの時期に行って駅とシバザクラの公園、それと
シバザクラの展望台になった2階建ての橋の橋台は必見です。
👍
かつてはオホーツク構想と言われましたが、
もうしょこっと、なんとかならなかったのでしょうか。
もうしょこっと…
オッフ…
@@hiroring0323
オッフ
廃止された名寄本線の周りにも随分と路線がありましたね。これが名寄本線含めて全部廃止されたしまったので宗谷本線も寂しいと思ってるんじゃないかな。
ごっそり無くなっちゃいましたね…
あそこも当時人の往来もあったんじゃないかな?
お疲れ様でした!今回の、渚滑線ですが、文字通りの、オッフ〜シリーズです、ことごとく、駅舎跡や、集落が、消滅しました😅オッフ〜🐻
今回もオッフ…🐻
今回の2駅も、見事なおっふ案件でしたね。原野ではなく、農地転用された中渚滑駅は、それだけでもマシなんでしょうね。
JR北海道が発表した42の無人駅廃止が実現してしまったら、もっとこんな状態が多くなるでしょう!
そうですね…
超久々の「おっふ」で飲んでた緑茶、思っくそ鼻から噴いたった!(喜)やっぱひろりん様には絶対に「おっふ!」が1番しっくり来ますねwww
オッフw
線路があったことによって農地が分散されていたので、廃止後に根こそぎ撤去して転換した例でしょうか。これでは、よほど詳しい人でないと廃線跡を辿れませんね。
既にシーズンは終わりましたが、この地域では、東藻琴・遠軽・滝之上の芝桜&上湧別のチューリップが有名ですし、一度は足を運びたいので、その「ついで」に廃線跡を巡れればと思います。とはいうものの、「時間との闘い」になりそうですが。
滝上からさらに延伸して、浮島峠を越えて石北本線につなげる計画はあったのでしょうか。
もしできていたら、札幌から紋別への移動は名寄や遠軽経由より速かったかと思いますが、最終的には高速バスにかなわず廃止だったかと思います。
西興部や上川に繋げる計画があったようですね…
Какова была причина закрытия линии Сёкоцу ( Сёкоцу - Китами Такиноуэ) в 1985 году
Упадок лесной промышленности
К artem_krovs_97-24
Привет. Уже август, а как дела?
Корона вирус и герпангина ( разновидность летний продтуды) в натоящее время распространены в Японии, и я тоже осторожен.
Что ж, участник загрузил сюда видео, в котором рассказывается о следах двух станций на линии Сёкоцу, которой больше не существует (быбшие Японские национальные железные дороги).
Плакат сказал (причина, по которой линия упразднена), чтоэто упадок лесной промышленности.
Я рад сообщить вам, что я подтвердил. что лесная железная дорога когдато ыла разделена на бывшей станции Нигорикава.
(Из Википедии)
Линия Сёкоцу
→Заветшена 5 ноября 1923 г., прекращена 1 апреля 1985 г. Между Сёкоцу и Китами Такиноуэ =34,3км
Количество станции →12
・Есть три места, где есть остатки, такие как здания станций начальная точка и Нигорикава.
Я молюсь, чтобы вы тоже уделяли внимание управлению своим здоровьем и проводили время со смыслом.
Пятница,4 августа 2023 г.
От Хидэки Вада
北海道の何線か忘れましたけど
「四号線」という面白い名前の駅がありました。四号というのは道路名だろうか?
四号線駅は名寄本線湧別支線にありましたね。道路名に因んだものですね。渚滑線にも十六号線と言う仮乗降場がありました。
地域の農林水産業が生き残ってるだけ、まだマシですよ。
他の北海道の廃線跡では、原野に還っている場合がほとんどですからね…
おっふではないけど、コロナ禍落ち着いたから実家に帰りたくなっちゃった(T.T)
私も地元には、しばらく帰っていないですね…
滝ノ下駅跡、あまりに、おっふ。
オッフ…
滝ノ下?滝下じゃないかな?
滝ノ下ですね。
北見滝ノ上駅は滝上町ですが…
駅名はそうなんですね。雄鎮内もそうだけど、地名とは違うのかな。
@@masuburi
駅名と地名が違うようですね。
寂しすぎ
ひろりん最高
ありがとうございます!
分析がそもそも間違いですね。本州、四国、九州は、先に人が長きにわたり住み続けていたところに、後から鉄道が引かれた。残念ですが、北海道は、元から人が誰もいなかったところに(先住民の存在を否定しているわけではないことを了解願います)、鉄道を引いてから、人が集まってきた。集まった原因は、天然資源(鉱物、魚介等)の存在でしょう。よって資源がなくなり、鉄道がなくなれば、人もいなくなる。同じように、次には道路もなくなれば、さらに人がいなくなる。最後は、開拓前の入植前の原野、荒野に帰るだけでしょうね、北海道というところは。政令都市札幌とて例外ではない。冷厳なる事実。