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高橋さんは本当に思いやりがあって優しい方です。高橋さんがいて本当に良かった。
要するに、高橋さんは天才でも奇才でもなく、仏様だったって事。
細野・坂本という強烈な個性に挟まれて相対的に目立たなかっただけで幸宏さんも性格悪いですよ。幸宏さんは会社社長の息子でボンボンなので庶民を完全に見下していました。インタビュー等をよくよく聞けば言葉の端々にそれが現れています。御本人は自覚していなかったようですが、それが却ってタチが悪い。
北野武さんが語る「うなぎの乱」もありました「戦場のメリークリスマス」で共演した時、坂本さんが本番中にうなぎ弁当が配られました帰ってきた坂本さんは部屋に残るうなぎの香りに立腹し、リハを拒否 そこは日本から遠く離れた島国でしたからなんとか一人分のうなぎ弁当を用意し、怒りは治まったということですが、北野さんは「何が教授だよ!わがままなだけじゃねぇか!」とラジオでコメントしていました
確かうなぎ弁当を泣きながら食べて、たけしはそれをみて坂本龍一はいいとこのお坊ちゃんだと思ってたけど、意外と普通だったんだな、と思ったとのちに言っていました。
そのエピソードは「男はつらいよ」で、とらやの店奥でお土産で頂いたメロンを皆で分けてほうばっていたところに寅次郎が帰ってきて、自分の分がない事に拗ねまくるシーンがダブりました。本当に大人げなくて恥ずかしいんだけど、演技だからね。それを地で行くとは恐れ入りました。
ラジオ番組で、レコーディングの時は中華料理店の肉野菜炒めと炒飯を毎日食べていると言っていたし、咽頭癌を患った時はスマホの待受画面をカツカレーにして、治ったらこれを食べるんだと自分に言い聞かせていたらしい。美意識が高い割に食うものが庶民なので笑った。
親や生まれ育ちで性格が形成されるから、きっと闇を抱えているんでしょうね。もしかしたら矢野顕子さんと結婚したのは、その部分を和らげてくれる何かを矢野さんが持っていたからなのかも。矢野さん苦労したんじゃないかな。。坂本龍一さんは、何らかのパーソナリティー障害があったんだと思います。
@@虎田ぱこら醜男だから、かえって美意識が高い?
女性関係も派手だったようで、日本は勿論、世界各地に認知、非認知あわせ何人も自分の子供がいる、とTV番組で自ら語っておられました。
動画よりコメント欄のほうが面白いです
左翼ってこういう性格の人多いよね。
リアルタイムなファンなら知っている話ですな
私の彼が昔、坂本氏が30代初め~半ば位の頃、坂本龍一氏と一緒に仕事してたことが有るのですが、彼から聞いてた話では、イメージと違ってオシャレとか服装とか全然関心が無くて無頓着な人。そう言う外見みたい事はどぉでも良かった人で、細かい事に神経を使わない人、と言っていました。その分音楽とかには熱心だったんだと思いますけど、私も彼と同様の印象を坂本氏に持っていたので、凄く腑に落ちた気がしてました。後で知った話だと、坂本氏のお父さんも大変厳しい頑固おやじそのものと言う感じの人で、亡くなる直前まで喧嘩別れで決別してしまってた事が悔やまれたとか。三島由紀夫のデビュー作の編集も担当した敏腕編集者で、その血を受け継いでる所も有ったのかもとは思いますし、一概に感情に任せた理不尽な乱暴者と言う訳では無い様にも思いますが…
※死後判明ではないです
生前から有名な話でしたよね。左巻きで平和がどうとか言いながら回りの人に平気で暴力を振るうとんでもない人だと言われていました。芸術家あるある、ではありますが。
その手綱を操ってたのがアッコじゃなくター坊ってのが凄いなアッコより付き合い長いのは伊達じゃない最後の放送もター坊が代読してたもんな、いいこと悪いことひっくるめての付き合いだったんだろうター坊なら言うことビシッと言いそうだし
細野さんと教授が仲が悪かったのではなく、教授がひとりで天才の細野さんに対抗心メキメキだっただけ。細野さんは、別に教授を嫌ってなかったよ
そもそも学生運動で暴力革命運動をしていた。一般人とは根本的に違う。
三島由紀夫さんが腹切りの安田講堂事件から後だったのでは? 機動隊と衝突事件、YMOは一世代以降の大学生です。🌹😎
教授やYMO好きならみんな知っているエピソード
音楽家は少なからずエキセントリックだからね。YMOは細野さんのおかげでしょう。
平和がどうたらいういう輩の実態が暴力の嵐
まぁその点、戦争肯定派の吾輩なんざぁ穏やかそのもの。
神の御名において…と、カトリックは戦争をしますからね。😵😖😅😅😅
見た目が穏やかそうに見えるだけやね。
細野さんは天才プロデューサーでYMOを作った人。そこに集められた人が坂本龍一さんで、天才作曲家。YMOのアルバムはアルバムごとにカラーのあるサウンドに仕上がっていて、それは細野さんによる統制が取れていたからに他なりません。型にはめられるのを嫌う教授は場面場面で細野さんと衝突したと思います。そんな天才同士のせめぎ合いが何枚もの傑作を作り出す不思議な磁場を作り出したと思います。教授のすべての活動の中で、やはり細野さんの制御下にあった時代の作品が一番良かったと個人的には思うので、YMOの作品や「細野ストレス」から生み出されたであろう当時の尖ったソロ作品群は、すべてこの3人による不思議な磁場によるものだと思います。
>すべてこの3人による不思議な磁場によるものだと思います。当時の雑誌に載ってた教授の言葉ですが、このグループは3人でなく、もう一人YMOというメンバーがいて、それが命令してみんなでアルバムを作ってるような気がする。という話をしてました。そのYMOというのが不思議な磁場なのでしょうか。
@@aikobros さんそうかも知れません。ユキヒロさんのソロアルバムに教授は参加していますが、そこでも思う存分仕事をしていて、それでもやはり一聴してYMOとの関係性が分かるサウンドになっていますので、やはりそこでも地場から逃れることはできなかったと思います。
その通りです細野さんが天才
井上ひさしとか広瀬隆とかこの人とか、平和を叫ぶ人ってなんでこうも暴力魔なんだろうね
教授の作る音楽は本当に素晴らしくて今でも時々聴きますが、気性の荒さはかなり以前から有名でした。紹介したエピソードの他にも色々聞いたことがあります。「戦メリ」の撮影時に後から合流したスタッフが差し入れた鰻を教授だけが食べられず、鰻好きの教授はそれを知ると皆の前でブチギレて「俺は鰻が食いてえんだ!!」と怒鳴り散らしたあと突然号泣し、側にいた共演者のたけしさんがドン引き。後に「あれが世界のサカモトなんて呼ばれてるんだもんなぁ」と呆れながら話していました。あと東京芸大時代に学生結婚していますが、いわゆるできちゃった婚でした。しかし気にくわない事があると何かにつけて奥様に当たり散らしたり要するにDVが原因で早々に離婚。その後矢野顕子さんと結婚するも教授は当時マネージャーの女性とも男女の仲になり、結局矢野さんとも離婚。元々矢野さんの連れ子だった風太さんとも折り合いが悪かったらしく、そんな色々があったりして教授と矢野さんとの仲も長い間宜しくなかったようです。あと「学食でひとりで食べている人を見ると不愉快」という発言も炎上しましたね。
叔母の旦那が教授に近い性格で、叔母が用事があって朝食を先に食べたり、掃除の仕方が気に入らなかったり、いただき物が自分の嫌いなもの(生魚等)だったりしたら1日中口を利かなかったりしていました。
古舘伊知郎が司会の番組に出た時に女癖の悪さを古舘に指摘され「畳の上ではタヒねませんよ」と言われた坂本が「覚悟してま〜す」と軽く答えたのをよく覚えている。晩年の坂本は何年にも渡る闘病の末、最期を迎える数日前にはあまりの苦しさに「もう逝かせてくれ」と叫んだと聞く。古舘が言った通りになった。
シールズと共闘してた時に、こんな薄っぺらい人間だったんだと呆れたことがあるが、やっぱりクズやったんだ
近年「若い時の自分を殴ってやりたい」って言ってた。やっぱりまだ殴るんだ笑
才能無くても良い人がいいな
毛沢東の詩を使ったりその左翼的傾向も人としても好きじゃ無い。若い娘と浮気したり奥さんも大変苦労しただろう。とはいえソロのレコード結構聴いたなあ。
教授の人間性の話はともかく、YMO解散の一番の原因は「細野が飽きた」でしかないだろw「バンドを作ってはやめる」のが趣味な人だから
それはあるね。で、突然復活するティンパン。
政治家になってたらヒトラーかスターリンやね、毛沢東かな? いや、ヒトラーはコックや秘書には優しいオジサンだったな・・・
知らなかったが想像通り。音楽性と人間性は関係ない。高橋さんは何回か荷物届けたとき出くわしたが感じ良い方だった。
若い頃、とある飲食店の店頭にある食品サンプルが美しくない事に憤りを感じ、気付いたらショーケースのガラスをぶち破って、手を怪我していたというエピソードを記憶しています。
音楽フリークの間で坂本氏が起こした事件で有名なのが「武満徹殴打事件」です。学生運動家だった高2の坂本少年は「武満徹の音楽は政府に媚びた体制側の音楽家で最低だ」と思っていて、武満徹氏のコンサートに行って出待ちし、帰りの武満徹氏を殴ったということがあります。40代になって、武満徹氏と再会する機会があって、武満氏から真っ先に「あの時殴ったの君だよね?」と言われ、苦笑いで「すみませんでした」と一言謝っただけです。
ロンドン在住時代に聞いた噂。女好きが昂じてか、タイで女性の死体を買ったとか。そういう倒錯あるらしいですね。
ギタージャーナルとかに 載っていた記事と大差が無いかな 矢野顕子とだって略奪だし 女癖が悪いのも 音楽雑誌のネタで 当時から周知の事実だし
えっ矢野誠から奪ったの?離婚した後じゃなく?それもあってアッコちゃん、芸名は鈴木に戻さず矢野のままだったのかな…
ジャージを着てきた友人と絶縁したのは、ジャージを着てきてはいけない場所でジャージを着てきたからだとインタビューで仰っていたと思いますが、、、、
生前から性格の悪さを隠そうともしてなかったよね YMOは若い頃よく聞いたけど大嫌いな人間の1人です
2回目のワールドツアー直前、ツアーにいきたくないと突然言い出したため慌てた大蔵博氏が彼の自宅まで行き一晩かけて説得したというエピソードもあります。また、気に食わないとそこらへんのものがものすごい勢いで飛んでいく(投げる)というのも大貫妙子さんがいってましたね。運転手事件とか焼肉事件は、やった行いは確かに×ですが、当時音楽理論が確かで演奏もできてアレンジもできる人は音楽業界であってもそうそういないため周囲の関係者がちやほやして頼ってくるため「自分はすごいんだ」と天狗になっていたっていうのはあるかと思います。
闇ってほどでもない、殆んどは知られてる話。
まぁ、芸術家とかクリエイターによくあるキャラだよね。本人がかかわるビジネスの規模が大きいから、表に出さなかったんだろう。それは、古今東西、今も昔も変わらない。YMOは、天才3人の集まりだったから、グループというよりユニットで、細野晴臣が、プロデューサー的な役割だったんだよね。 なんだかんだ言いながら、メンバー全員が、他のメンバーを認めてたから、何回もリユニオンしたんだし。
坂本美雨がデビューした頃、ラジオで父娘共演した時に、美雨がルナシーのSUGIZOに恋心を持っている事に対して「ミュージシャンはロクなのが居ないからやめとけ」みたいな事言ってた。だから自覚していたんだと思う。
確か家庭を2つ持っていて曜日で帰る家が決まってたんですよね。
改めて3人がバンドとして活動していたのが奇跡。「奇才、天才、一般常識人」
一般常識人? 音楽的才能もあり、 思いやりや優しさを兼ね備えた、バランス感覚の良い神のような天才です。
@@月光の調べそうそう、ゆきひろさんのYMOじゃないドラミングを聴けばより解りますが、ドラムも天才です…
平和論者と思っていたのだけど。。。実は将軍様だったんか?
だから、矢野さんはエホバの証人になってしまったとも言えるし。美雨さんみたいなしっかり者の娘が育ったとも。
スマホや「コンピューター」がない時代ってなんだ。
この男とYOSHIKIは何故そんなにリスペクトされてるのか不思議wたいして歴史的に何か残しました?YMOはライディーンしか有名曲ないし、坂本の曲でもないしw
別に死後の判明じゃないけど。
昭和の大人を思い出しました。
とても興味深い動画でした😌
最高潮=さいたかしお?😂 AIに喋らせてもいいけど、ちゃんと人間がチェックぐらいして欲しい。2:00弱のところから、内容そっちのけで気になり出したら止まんなくちゃった。
坂本龍一の作る曲は矢野誠の曲にそっくりだと誰かが言ってました。😮
そうなの?そうなんだ…
神のごとく大ファンでしたけど、この話を聞くと「横山やすし」やんけ!☆坂本やすし:怒るで!しかし!
一才能、特に芸術系の才能に秀でた人って、発達障がいや、それに近い精神状態である場合が多いように思う。坂本氏は今回取り上げられたエピソードからはアスペルガー症候群か自閉症の、程度が低い様な印象です。
どこが教授だよ!笑
教授がそこまで気性の荒い人だと思いませんでした。周りの人間もヨイショし過ぎていた事もあるように思います。合掌。
アーティストでなかったら、ただの残念な人だね
女関係もイカれてるんですが、それがないですね。
なるほど‥‥。どおりで何かいけ好かないなと長年思ってきたけどやっぱりね。自分は正直あまり好きな人間ではないのでチームにこんなのがいたらぶつかりますね。
外苑再開発反対とか居なくなっていく世代に多いけど、若者にとってはこれからの100年が大切なんだよね
外苑にはオフィスビルより樹木でしょう。新しい物をおっ建てて仕事したと言うのは昭和の考えですな。本当に100年後を考えるなら、これまでの建造物やインフラのメンテナンスにシフトすべきでは?全国の橋の老朽化は平成の頃から問題視されてきたけど、その後どうなったんだろう。今後人が減るし、業務のオンライン化でオフィス需要も減って余っているってのに十年も前からのオフィスビル計画なんぞ時代遅れじゃん。ってか、え、これって石原前都知事の頃に計画されたこと??そもそもあの美しい銀杏並木を切るって重大な事を十年も隠してきたことが許せんね。都民のバカどもはどうせ反対するんだから知らせる必要ないって、いかにも故人が口にしそう。あの人、銀行も作って潰して…。因みにラグビー場と野球場のリニューアルは賛成だ。並木を大切に保全して手間のかかる工事をすれば、オフィスビル分位のロスが出て、会計的にとんとんじゃない?資材も高騰してんだしさ。
イモ欽トリオのサブリミナルがやばい!
ありがとうございました。
挫折なく人生が進んで「頂点」に立ってしまい、本当の意味で「他者」の存在を理解できず、どこか自分が世界の中心で自分のルールを世界が守るべきだ……というのが大人になっても残ってしまってたんでしょうね。芸術家には有り勝ちなのかも。
クズ伝説言い出したら、ミックジャガーもエリッククラプトンもジョンレノンも山ほどある。だからどうしたの動画。
極左のイメージしか無い。
小山田圭吾のあの同級生に対する虐待に比べたら全然マシ。
坂本龍一が悪いやつだということを知った松田優作氏が、ブラックレインで音楽を作った坂本龍一に初めて会った席で、「オラァ!坂本!」って焼を入れられて、松田優作があまりにもデカくて坂本龍一がビビった。という話はテレビで聞いたけど・・・村上龍が苦笑いしていた(笑)・・
教授は厳しかった父親への反発心から、自分より優れた者や権力者に対して攻撃的になる傾向があり、天才である細野さんに対しても、尊大で逆らえなかった父親のイメージと重ねて反発していた。そして彼は自分より劣る者や逆らえない立場にある者へ感情をぶつける傾向もあり、音楽家としては優れていたが人としては『?』な部分の多い人物であったと推測される。
大橋巨泉もですが戦後のアメリカンマルキスト思想(グローバリズム)がこの人達を狂わせたと思う。
最後の焼き肉弁当事件は、どういう行動をとれば正解だろうか?1,弁当屋が休みでしたと言って、預かった金を教授に返す。2,弁当屋を叩き起こして焼き肉弁当を作らせる。3,別の店の焼き肉弁当を買って帰り、味が違っても本物ですと言い張る。(弁当屋の皆さんと口裏を合わせる)4,スーパーで肉を購入して自分で最高の焼き肉弁当を作って渡す。そして、こんな不味い焼き肉弁当を食えるか!と言われたら、教授をぶん殴って付き人を辞める。以上、どれが正解でしょうか?😂
アッコさんから今井美樹への乗り換えからとか女性関係も自由人
坂本さんは誰しもが多かれ少なかれ抱えているストレスや不満を曝け出しても、周囲に見捨てられない幸せな人だったと思う。高橋さんは恐らくミュージシャンでなくても普通に他人に好かれる人だと思う。2人の癖の強い人を上手くコントロール出来たのだから凡人とは言わないが普通にいい人だったと思う。
幸宏さんはもともと病弱だったのに本当に大変だったと思います。
坂本さんから見ると高橋さんの方が作曲センスや才能があって妬ましかったそうですよ。坂本さんは「教授」と綽名されるくらい音楽理論を駆使して作曲するのですが、高橋さんの鼻歌混じりに鍵盤を爪弾いたりドラムを叩きながら感性で作曲してしまう才能がとても羨ましいと言っていたそうです。
@@gale_straits2695 そう言うのを天才型と言うのでしょうね。とすれば、坂本さんは秀才型?こんなこと書くとコアなファンから怒られるかな?w
全然凡人なんかじゃないわ
@@Voyager1962昔、ソリトンside-Bという高野寛さんの番組に幸宏さんが出演された時、「ビートルズで言うなら、細野さんはジョンで、教授は目立ちたがり屋だからポール、僕はリンゴ……太鼓持ちだから(笑)」とオチをつけて語ってました。幸宏さんからは細野さんが天才なんでしょうね。敬愛度合いが半端ないですから。そんなユーモア溢れるトークのできる幸宏さんが好きです。
“戦場のメリークリスマス”のロケ先では、買春に励んでいたそうだ。もともと暴力革命志向の人間が、なにが”非戦”だろう。お笑いぐさだよ。表現を生業にしている人間の評価は、その作品だけを観て評価すべきだとも思う。
YMOの実際ってのは加藤和彦がプロデュースしていてやらされてる感のある天才キャラに嵌め込まれてイライラしていたのかも。
ジャニーズの問題もやっと出たし、もう何でも真実を周知のものにして、こんなインチキだらけの下らない世の中を終わりにしましょう😃そうするだけで、自然と色々良くなるはずです。むしろ、それをせずにどんなにあれこれこねくり回したところで、絶対に世の中は悪くしかならない😣
YMOは江口寿史さんが大ファンでしたね。いつもマンガに出てた教授と呼ぶほどファンじゃないけど好みの曲が多いです千のナイフの為にLP買った思い出幸宏さんの曲は教授が多い気がする
まさに天災だな。
高橋幸宏さんは名曲ライディーンの作曲もやられていて、仲介役だけではないと思いますよ。若き頃の坂本龍一さんのナイフのような性格は、なんとなく察しがついてましたねw今だと確実に炎上でしょう。
なんとなく察しとは、お顔や立ち居振る舞いからピンとくるのでしようか? 第六感というのかすごいことです。私は、晩年の教育番組を拝見して温厚な方と思いました。『戦場のクリスマス』では、ビリビリした感じで、とても個人としては近づきたくない雰囲気でしたが、「演技かな、戦場の異常性を表現してるのかな」と単純に思っていました。
才能はあるが偏屈な奴
個人的には、やっぱりな~という感じですが。。。奥さんに対しては、浮気の件では、ごめんなさい、だそうです。(最も、その奥さんは生まれた子供に「うんこ」ってつけようとしてたそうで、龍一さんが「美雨」さんにしたそうな。)でも、坂本さんの作品は大好きです!
坂本龍一さんははっきり言って好きなタイプではありません(あくまでTV等の言動を聞く限りですが)が、反撃不可能な亡くなった人を「闇の顔に絶句」とか「性格が~」と会ったこともない人を下げるような事を言う人はもっと好きじゃないですねえ。
矢野顕子さんが著書の中で不機嫌な時にレコードを割っていたと明かしていますので、DV気質だったのはウソではないかも・・・。
はっはっはっはっは。まぁ、まず坂本龍一氏は昭和のお金持ち系のボンボン息子ミュージシャンの典型のひとりだからね。ていうかYMOの3人ともそうでしょう。坂本氏の父親は昭和の著名な編集者:坂本一亀氏だし、高橋幸宏氏も別荘があるようなご家庭の息子だったらしいし。亡くなった加藤和彦とか、後藤次利とか井上鑑とか松任谷正考とか、あのへんの昭和の日本のポップミュージックを支えた音楽家はみんなお金持ちのご子息ばっかり。加藤和彦なんて、実家の住所が六本木一丁目だからなぁ💦昭和の時代は、東京でお金持ちのボンボンでバンドや楽器を趣味にしてれば、すぐにメジャーデビューできるような時代環境だったんでしょ。坂本氏も東京芸大作曲科の出身だけど、芸大作曲科なんて、芸大の教授にピアノレッスンしてもらって、高額な月謝や謝礼とか払って推薦してもらうという、いったいいくらお金かかるんだよ、っていうまさにボンボンのご子息じゃないと入れない世界だからな。まぁYMOに関しては、「細野はポップスに飽き、坂本はポップスに目覚め、高橋は延々とポップスをやっていた」っていう批評が的を射ているだろうね。バンドマンだった細野は芸大出の坂本氏や当時の「ニューウエイヴ」の潮流に触発されて、アバンギャルドなことをやりたがっていたし、坂本はアイドルや歌謡曲の作曲もてがけて、アカデミックな芸大的な現代音楽をポップミュージックの世界へ応用しようとしていた。そこらへんが、「真逆の流れ」になっていて、対立というか、違うスタイルのミュージシャンの確執、みたいな面はあったと思う。だから間に入った高橋が、YMOの曲でボーカルがあるときは、高橋が歌を歌っていた。まぁ、坂本氏は、忌野清志郎と共演した「いけないルージュマジック」のMVを見てもわかると思うけど、若い頃はたいしたイケメンだったので、そりゃあ女にもものすごくモテただろうし、お笑い番組の「おれたちひょうきん族」にも出たりしてたな。まさに「イケメンの人気タレント」だったわけですよ。知り合いの知り合いの知り合い、ぐらいの人から聞いた話によると、酔っぱらうと飲み屋のカウンターの上に上がって全裸で踊ったりとか、やりたい放題何でもする、まさに「バブル時代のモテ・お金持ち・イケメン芸能人気取り」だったらしい。矢野顕子との結婚も、お互いに連れ子を連れての再婚同士だったんでしょ。当時の六本木にあった、ミュージシャン御用達のチャイニーズバー「東風」で常連のミュージシャンと飲んだくれていたらしい。で、映画「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」の俳優としての出演と、ソロアルバムを出し続けることの難しさへの挫折から、表舞台からは引っ込んで、映画音楽の作曲者に転向していった。まぁ現代音楽畑出身で、世界を席巻したYMOのメンバーであった経歴からして、前衛的な、ポップとも前衛音楽ともとれるようなソロアルバムを出し続けて成功し続けるのは、誰が考えたって無理があるからね。じっさい、アルバム「未来派野郎」とか、微妙な出来だった。その後は、映画音楽家として活動しつつ、自分の畑である現代音楽、前衛音楽のライブを地味にやりつつ、何か環境問題とかにもコメントを出す、環境活動家的な、社会的にカッコイイポジションを押さえつつ、老人になっていった感じだよね。まぁ、俺に言わせれば、おまえみたいな軽っちいバブル遊び人が偉そうに環境問題に口出すなよ、って感じはあったけどね。坂本氏の作り出す音楽は、譜面のわかる人ならわかると思うけど、「ドミナントを避ける」っていう暗めの音で、それでもポップさを出す、という、たしかに日本の音楽では革新さを出したエポックメイキングな作曲家ではあったと思う。「戦場のメリークリスマス」で共演した北野武が、坂本氏の死に「戦友をひとり無くした」ってコメントしたのは共感できるね。まさに、昭和から平成にかけてのバブル時代を駆け抜けた、かっこいいチャラチャラ有名人だけど実力もある、っていう、華やかなタレント文化人の典型であっただろうと思われる存在だからね。
今だったらびっくりですね
芸術と思った事無いんだが・・
音楽家なんて大体クズだと思ってる、人間性と作品は分けたほうがいいんじゃない?
だから何?そんなの込々で坂本龍一は人の三倍の充実した人生でしたよ。戦メリでギクシャクした共演を果たした裕也さんと同じ種族。音楽の才能は桁違いだけど。ついに
他人のフンドシで相撲を取り続けた男 ボウイ、ゾウ、ジョビン・・・ 音楽的にも見るべきもの、聴き継がれる曲などひとつもない なぜ人気があったのか理解できない
アーティストに人柄なんて求めないからなあ。生み出す作品が美しければいいです。千のナイフのライナーノーツ読んでも、自分は堅気の世界じゃやってけない人だって自覚してたようだし。未来派野郎までは必死で聞いてましたよ
ごくろうさんです。坂本龍一の天才性は本物...といいたい人は多いでしょうが、彼は音楽パクリの天才でした。音楽関係のどなたか、補充コメントお願いします(笑)
シェルタリング・スカイ=ジョー・サンプル
戦メリとファミマはどっちがどっち?
いい気になってたんだよ。別にファンじゃなかったからどーでもいーわ
坂本龍一氏の精神を歪ませた根本的な原因は3つあります。1. 左利きから右利きへの強制当時は圧倒的に右利き社会で、左利きを強制させようとしたことで、坂本氏が社会に反抗心を持つようになりました。2. 父 坂本一亀 氏からの暴力父 一亀氏も厳しい人だったらしく、息子の龍一氏に平気で暴力をふるっていました。しかも、龍一氏は一人っ子ということもあって、助けを求める兄弟がいませんでした。3. 父 一亀氏 の作家へのダメ出し父 一亀氏は三島由紀夫氏を見出し、作家デビューさせ、三島氏の編集担当をしていたのは有名な話です。三島氏を自宅に呼び出し、食事の場で三島氏へダメ出しを行っていたのを、少年時代の龍一氏は見て育ちました。恫喝は当たり前という感覚になったそうです。
なんで、いも金トリオの写真がまぎれとんねん
偉大な芸術家にはよくある話。本人のアクの強さや私生活の問題行動と作品とのギャップ云々。でもそんなの一般人だって長い年月生きてりゃ色んな迷惑かけたり後から恥ずかしくなる様な行動をしてた時期があって当然じゃないかな。優れたアーティストだって同じ人間。言い方ひとつ、伝え方ひとつで印象のすり込みに大きな違いが出るのを分かった上であえてこういう伝え方をしてるんだろうな…って、聞いてて不毛な気分になってしまいました。
焼肉弁当事件爆笑(*´▽`*)
過去に本人達から語られたエピソードをまとめた動画だね、闇の顔でもなんでもない。
むしろ何十年も(仲良く)続くグループの方が稀。アルフィーなどは大変珍しい例。教授に限らずミュージシャンなんて個性が強く自己中な人が多い。元々の性格なのか人気者故のストレスなのか当時はそーいう人が多かった。時代的に親が子をたたくなんてのは普通だった。私も子供の頃は親にも先生にもよく殴られた。現代のコンプライアンスだと乱暴でヒステリックということになるだろうけど…
昔は学校で失敗をすると先生が生徒の頭を叩くことがありましたね。私の場合は中学生の頃、理科の実験で薬品の量を間違えて失敗した時に、先生がスリッパを脱いで、スリッパの裏(地面の側の汚い方)で頭を叩かれました。その際「これはトイレ用のスリッパだぞ」と余計なセリフをわざと言ってから叩かれました。あの時代の先生達は凶暴な人も多かったので、生徒から嫌われている先生は、生徒側から反撃されてイタズラされたり悪口を言いふらされる先生もいましたよ。😂
「ジャージ事件」・・・でも、坂本龍一も高橋幸宏に出会う前はすごい格好してたんだよ!ヨレヨレの格好で、サンダル履いていて、初めて高橋幸宏に会った時に「何じゃこいつは!こんなやつは音楽やったらいかん!」って言っていたんだけど、その後、坂本龍一が幸宏に「ファッション勉強したいんだけど教えてくれ!」って言って洋服屋さんに連れて行かれて、プリティーウーマンみたいにいっぱい服を買って勉強したんだよ。だからファーストアルバム「千のナイフ」でファッションスタイリスト「高橋幸宏」って書かれていたんだよ。だけど、最初の頃の坂本龍一のファッションはダサかったよ!それに坂本龍一も気がついて、雑誌ポパイで有名な(名前忘れちゃった)スタイリストをつけて、ファッションセンスが上がったように見せかけていたんだよ!
ファンならほとんど知ってるエピソードでした。
教授はなぜボウイ(おそらく「RISKY」はボウイを想定していた気がする最終的にイギーとなったが)やマドンナ(マドンナの「RAIN」のMVに出演)と共演しなかったのでしょう? デビシルの1stもほとんど参加しコーディネータも行なっていたのにプロデュース作ではないですね まあデビはクリムゾン加入も断るほどの頑固者ではありますが
”最高潮”を”さいたかしお”と読んでしまう。棒読み君でもこんな読み間違えしないと思うが?
左翼の人殺しだった坂本くんは必死に擁護してくれる人がいてうらやましいw
お亡くなりになった坂本龍一さんを批判するつもりは無いのですが、世界の坂本、偉大な音楽家だからといって、うやむやに許されるべきでは無いと思います。
ジャニーは批判するが何故坂本は批判しないのか?
@@333bigdrive7 これはもしかして私への返信ですか?
@@fumiyukikawano ごめん君にではありません。主にマスコミに対しての思いです。
普通3年でも一緒にバンドを続けるのは至難の技だ。ましてそれを超えて不仲の状況で続けられるのはプロ意識とかを超越した音楽の可能性だけを頼りにした真の音楽家だと思う…
誰でもヤッちゃいたいほどムカつく先輩や上司と仕事してるよ?音楽の可能性を頼りにとはどういう意味ですか?
ジャージも嫌いだが、メガネ👓をかけてる奴はスカン!…by 老眼鏡装着者😅😅😅
高橋さんは本当に思いやりがあって優しい方です。高橋さんがいて本当に良かった。
要するに、高橋さんは天才でも奇才でもなく、仏様だったって事。
細野・坂本という強烈な個性に挟まれて相対的に目立たなかっただけで幸宏さんも性格悪いですよ。幸宏さんは会社社長の息子でボンボンなので庶民を完全に見下していました。
インタビュー等をよくよく聞けば言葉の端々にそれが現れています。御本人は自覚していなかったようですが、それが却ってタチが悪い。
北野武さんが語る「うなぎの乱」もありました
「戦場のメリークリスマス」で共演した時、坂本さんが本番中にうなぎ弁当が配られました
帰ってきた坂本さんは部屋に残るうなぎの香りに立腹し、リハを拒否 そこは日本から遠く離れた島国でしたから
なんとか一人分のうなぎ弁当を用意し、怒りは治まったということですが、北野さんは「何が教授だよ!わがままなだけじゃねぇか!」とラジオでコメントしていました
確かうなぎ弁当を泣きながら食べて、たけしはそれをみて坂本龍一はいいとこのお坊ちゃんだと思ってたけど、意外と普通だったんだな、と思ったとのちに言っていました。
そのエピソードは「男はつらいよ」で、とらやの店奥でお土産で頂いたメロンを皆で分けてほうばっていたところに寅次郎が帰ってきて、自分の分がない事に拗ねまくるシーンがダブりました。
本当に大人げなくて恥ずかしいんだけど、演技だからね。それを地で行くとは恐れ入りました。
ラジオ番組で、レコーディングの時は中華料理店の肉野菜炒めと炒飯を毎日食べていると言っていたし、咽頭癌を患った時はスマホの待受画面をカツカレーにして、治ったらこれを食べるんだと自分に言い聞かせていたらしい。
美意識が高い割に食うものが庶民なので笑った。
親や生まれ育ちで性格が形成されるから、きっと闇を抱えているんでしょうね。もしかしたら矢野顕子さんと結婚したのは、その部分を和らげてくれる何かを矢野さんが持っていたからなのかも。矢野さん苦労したんじゃないかな。。坂本龍一さんは、何らかのパーソナリティー障害があったんだと思います。
@@虎田ぱこら醜男だから、かえって美意識が高い?
女性関係も派手だったようで、日本は勿論、世界各地に認知、非認知あわせ何人も自分の子供がいる、とTV番組で自ら語っておられました。
動画よりコメント欄のほうが面白いです
左翼ってこういう性格の人多いよね。
リアルタイムなファンなら知っている話ですな
私の彼が昔、坂本氏が30代初め~半ば位の頃、坂本龍一氏と一緒に仕事してたことが有るのですが、彼から聞いてた話では、イメージと違ってオシャレとか服装とか全然関心が無くて無頓着な人。そう言う外見みたい事はどぉでも良かった人で、細かい事に神経を使わない人、と言っていました。その分音楽とかには熱心だったんだと思いますけど、私も彼と同様の印象を坂本氏に持っていたので、凄く腑に落ちた気がしてました。後で知った話だと、坂本氏のお父さんも大変厳しい頑固おやじそのものと言う感じの人で、亡くなる直前まで喧嘩別れで決別してしまってた事が悔やまれたとか。三島由紀夫のデビュー作の編集も担当した敏腕編集者で、その血を受け継いでる所も有ったのかもとは思いますし、一概に感情に任せた理不尽な乱暴者と言う訳では無い様にも思いますが…
※死後判明ではないです
生前から有名な話でしたよね。左巻きで平和がどうとか言いながら回りの人に平気で暴力を振るうとんでもない人だと言われていました。
芸術家あるある、ではありますが。
その手綱を操ってたのがアッコじゃなくター坊ってのが凄いな
アッコより付き合い長いのは伊達じゃない
最後の放送もター坊が代読してたもんな、いいこと悪いことひっくるめての付き合いだったんだろう
ター坊なら言うことビシッと言いそうだし
細野さんと教授が仲が悪かったのではなく、
教授がひとりで天才の細野さんに対抗心メキメキだっただけ。
細野さんは、別に教授を嫌ってなかったよ
そもそも学生運動で暴力革命運動をしていた。一般人とは根本的に違う。
三島由紀夫さんが腹切りの安田講堂事件から後だったのでは? 機動隊と衝突事件、YMOは一世代以降の大学生です。🌹😎
教授やYMO好きならみんな知っているエピソード
音楽家は少なからずエキセントリックだからね。
YMOは細野さんのおかげでしょう。
平和がどうたらいういう輩の実態が暴力の嵐
まぁその点、戦争肯定派の吾輩なんざぁ穏やかそのもの。
神の御名において…
と、カトリックは戦争をしますからね。
😵😖😅😅😅
見た目が穏やかそうに見えるだけやね。
細野さんは天才プロデューサーでYMOを作った人。そこに集められた人が坂本龍一さんで、天才作曲家。YMOのアルバムはアルバムごとにカラーのあるサウンドに仕上がっていて、それは細野さんによる統制が取れていたからに他なりません。型にはめられるのを嫌う教授は場面場面で細野さんと衝突したと思います。そんな天才同士のせめぎ合いが何枚もの傑作を作り出す不思議な磁場を作り出したと思います。教授のすべての活動の中で、やはり細野さんの制御下にあった時代の作品が一番良かったと個人的には思うので、YMOの作品や「細野ストレス」から生み出されたであろう当時の尖ったソロ作品群は、すべてこの3人による不思議な磁場によるものだと思います。
>すべてこの3人による不思議な磁場によるものだと思います。
当時の雑誌に載ってた教授の言葉ですが、このグループは3人でなく、もう一人YMOというメンバーがいて、それが命令してみんなでアルバムを作ってるような気がする。という話をしてました。そのYMOというのが不思議な磁場なのでしょうか。
@@aikobros さん
そうかも知れません。ユキヒロさんのソロアルバムに教授は参加していますが、そこでも思う存分仕事をしていて、それでもやはり一聴してYMOとの関係性が分かるサウンドになっていますので、やはりそこでも地場から逃れることはできなかったと思います。
その通りです細野さんが天才
井上ひさしとか広瀬隆とかこの人とか、平和を叫ぶ人ってなんでこうも暴力魔なんだろうね
教授の作る音楽は本当に素晴らしくて今でも時々聴きますが、気性の荒さはかなり以前から有名でした。紹介したエピソードの他にも色々聞いたことがあります。
「戦メリ」の撮影時に後から合流したスタッフが差し入れた鰻を教授だけが食べられず、鰻好きの教授はそれを知ると皆の前でブチギレて「俺は鰻が食いてえんだ!!」と怒鳴り散らしたあと突然号泣し、側にいた共演者のたけしさんがドン引き。後に「あれが世界のサカモトなんて呼ばれてるんだもんなぁ」と呆れながら話していました。あと東京芸大時代に学生結婚していますが、いわゆるできちゃった婚でした。しかし気にくわない事があると何かにつけて奥様に当たり散らしたり要するにDVが原因で早々に離婚。その後矢野顕子さんと結婚するも教授は当時マネージャーの女性とも男女の仲になり、結局矢野さんとも離婚。元々矢野さんの連れ子だった風太さんとも折り合いが悪かったらしく、そんな色々があったりして教授と矢野さんとの仲も長い間宜しくなかったようです。あと「学食でひとりで食べている人を見ると不愉快」という発言も炎上しましたね。
叔母の旦那が教授に近い性格で、叔母が用事があって朝食を先に食べたり、掃除の仕方が気に入らなかったり、いただき物が自分の嫌いなもの(生魚等)だったりしたら1日中口を利かなかったりしていました。
古舘伊知郎が司会の番組に出た時に女癖の悪さを古舘に指摘され「畳の上ではタヒねませんよ」と言われた坂本が「覚悟してま〜す」と軽く答えたのをよく覚えている。
晩年の坂本は何年にも渡る闘病の末、最期を迎える数日前にはあまりの苦しさに「もう逝かせてくれ」と叫んだと聞く。
古舘が言った通りになった。
シールズと共闘してた時に、こんな薄っぺらい人間だったんだと呆れたことがあるが、やっぱりクズやったんだ
近年「若い時の自分を殴ってやりたい」って言ってた。やっぱりまだ殴るんだ笑
才能無くても良い人がいいな
毛沢東の詩を使ったりその左翼的傾向も人としても好きじゃ無い。若い娘と浮気したり奥さんも大変苦労しただろう。とはいえソロのレコード結構聴いたなあ。
教授の人間性の話はともかく、YMO解散の一番の原因は「細野が飽きた」でしかないだろw
「バンドを作ってはやめる」のが趣味な人だから
それはあるね。で、突然復活するティンパン。
政治家になってたらヒトラーかスターリンやね、毛沢東かな? いや、ヒトラーはコックや秘書には優しいオジサンだったな・・・
知らなかったが想像通り。音楽性と人間性は関係ない。
高橋さんは何回か荷物届けたとき出くわしたが感じ良い方だった。
若い頃、とある飲食店の店頭にある食品サンプルが美しくない事に憤りを感じ、気付いたらショーケースのガラスをぶち破って、手を怪我していたというエピソードを記憶しています。
音楽フリークの間で坂本氏が起こした事件で有名なのが「武満徹殴打事件」です。
学生運動家だった高2の坂本少年は「武満徹の音楽は政府に媚びた体制側の音楽家で最低だ」と思っていて、武満徹氏のコンサートに行って出待ちし、帰りの武満徹氏を殴ったということがあります。40代になって、武満徹氏と再会する機会があって、武満氏から真っ先に「あの時殴ったの君だよね?」と言われ、苦笑いで「すみませんでした」と一言謝っただけです。
ロンドン在住時代に聞いた噂。女好きが昂じてか、タイで女性の死体を買ったとか。そういう倒錯あるらしいですね。
ギタージャーナルとかに 載っていた記事と大差が無いかな 矢野顕子とだって略奪だし 女癖が悪いのも 音楽雑誌のネタで 当時から周知の事実だし
えっ矢野誠から奪ったの?
離婚した後じゃなく?
それもあってアッコちゃん、芸名は鈴木に戻さず矢野のままだったのかな…
ジャージを着てきた友人と絶縁したのは、ジャージを着てきてはいけない場所でジャージを着てきたからだとインタビューで仰っていたと思いますが、、、、
生前から性格の悪さを隠そうともしてなかったよね YMOは若い頃よく聞いたけど大嫌いな人間の1人です
2回目のワールドツアー直前、ツアーにいきたくないと突然言い出したため慌てた大蔵博氏が彼の自宅まで行き一晩かけて説得したというエピソードもあります。
また、気に食わないとそこらへんのものがものすごい勢いで飛んでいく(投げる)というのも大貫妙子さんがいってましたね。
運転手事件とか焼肉事件は、やった行いは確かに×ですが、当時音楽理論が確かで演奏もできてアレンジもできる人は音楽業界であってもそうそういないため周囲の関係者がちやほやして頼ってくるため「自分はすごいんだ」と天狗になっていたっていうのはあるかと思います。
闇ってほどでもない、殆んどは知られてる話。
まぁ、芸術家とかクリエイターによくあるキャラだよね。
本人がかかわるビジネスの規模が大きいから、表に出さなかったんだろう。
それは、古今東西、今も昔も変わらない。
YMOは、天才3人の集まりだったから、グループというよりユニットで、細野晴臣が、プロデューサー的な役割だったんだよね。 なんだかんだ言いながら、メンバー全員が、他のメンバーを認めてたから、何回もリユニオンしたんだし。
坂本美雨がデビューした頃、ラジオで父娘共演した時に、美雨がルナシーのSUGIZOに恋心を持っている事に対して「ミュージシャンはロクなのが居ないからやめとけ」みたいな事言ってた。だから自覚していたんだと思う。
確か家庭を2つ持っていて
曜日で帰る家が決まってた
んですよね。
改めて3人がバンドとして活動していたのが奇跡。「奇才、天才、一般常識人」
一般常識人? 音楽的才能もあり、 思いやりや優しさを兼ね備えた、バランス感覚の良い神のような天才です。
@@月光の調べ
そうそう、ゆきひろさんのYMOじゃないドラミングを聴けばより解りますが、ドラムも天才です…
平和論者と思っていたのだけど。。。実は将軍様だったんか?
だから、矢野さんはエホバの証人になってしまったとも言えるし。美雨さんみたいなしっかり者の娘が育ったとも。
スマホや「コンピューター」がない時代ってなんだ。
この男とYOSHIKIは何故そんなにリスペクトされてるのか不思議w
たいして歴史的に何か残しました?
YMOはライディーンしか有名曲ないし、坂本の曲でもないしw
別に死後の判明じゃないけど。
昭和の大人を思い出しました。
とても興味深い動画でした😌
最高潮=さいたかしお?😂
AIに喋らせてもいいけど、ちゃんと人間がチェックぐらいして欲しい。
2:00弱のところから、内容そっちのけで気になり出したら止まんなくちゃった。
坂本龍一の作る曲は矢野誠の曲にそっくりだと誰かが言ってました。😮
そうなの?そうなんだ…
神のごとく大ファンでしたけど、この話を聞くと「横山やすし」やんけ!
☆坂本やすし:怒るで!しかし!
一才能、特に芸術系の才能に秀でた人って、発達障がいや、それに近い精神状態である場合が多いように思う。坂本氏は今回取り上げられたエピソードからはアスペルガー症候群か自閉症の、程度が低い様な印象です。
どこが教授だよ!笑
教授がそこまで気性の荒い人だと思いませんでした。周りの人間もヨイショし過ぎていた事もあるように思います。合掌。
アーティストでなかったら、ただの残念な人だね
女関係もイカれてるんですが、それがないですね。
なるほど‥‥。どおりで何かいけ好かないなと長年思ってきたけどやっぱりね。
自分は正直あまり好きな人間ではないのでチームにこんなのがいたらぶつかりますね。
外苑再開発反対とか居なくなっていく世代に多いけど、若者にとってはこれからの100年が大切なんだよね
外苑にはオフィスビルより樹木でしょう。新しい物をおっ建てて仕事したと言うのは昭和の考えですな。
本当に100年後を考えるなら、これまでの建造物やインフラのメンテナンスにシフトすべきでは?全国の橋の老朽化は平成の頃から問題視されてきたけど、その後どうなったんだろう。今後人が減るし、業務のオンライン化でオフィス需要も減って余っているってのに十年も前からのオフィスビル計画なんぞ時代遅れじゃん。ってか、え、これって石原前都知事の頃に計画されたこと??
そもそもあの美しい銀杏並木を切るって重大な事を十年も隠してきたことが許せんね。都民のバカどもはどうせ反対するんだから知らせる必要ないって、いかにも故人が口にしそう。あの人、銀行も作って潰して…。
因みにラグビー場と野球場のリニューアルは賛成だ。並木を大切に保全して手間のかかる工事をすれば、オフィスビル分位のロスが出て、会計的にとんとんじゃない?資材も高騰してんだしさ。
イモ欽トリオのサブリミナルがやばい!
ありがとうございました。
挫折なく人生が進んで「頂点」に立ってしまい、本当の意味で「他者」の存在を理解できず、どこか自分が世界の中心で自分のルールを世界が守るべきだ……というのが大人になっても残ってしまってたんでしょうね。芸術家には有り勝ちなのかも。
クズ伝説言い出したら、ミックジャガーもエリッククラプトンもジョンレノンも山ほどある。だからどうしたの動画。
極左のイメージしか無い。
小山田圭吾のあの同級生に対する虐待に比べたら全然マシ。
坂本龍一が悪いやつだということを知った松田優作氏が、ブラックレインで音楽を作った坂本龍一に初めて会った席で、「オラァ!坂本!」って焼を入れられて、松田優作があまりにもデカくて坂本龍一がビビった。という話はテレビで聞いたけど・・・村上龍が苦笑いしていた(笑)・・
教授は厳しかった父親への反発心から、自分より優れた者や権力者に対して攻撃的になる傾向があり、天才である細野さんに対しても、尊大で逆らえなかった父親のイメージと重ねて反発していた。
そして彼は自分より劣る者や逆らえない立場にある者へ感情をぶつける傾向もあり、音楽家としては優れていたが人としては『?』な部分の多い人物であったと推測される。
大橋巨泉もですが戦後のアメリカンマルキスト思想(グローバリズム)がこの人達を狂わせたと思う。
最後の焼き肉弁当事件は、どういう行動をとれば正解だろうか?
1,弁当屋が休みでしたと言って、預かった金を教授に返す。
2,弁当屋を叩き起こして焼き肉弁当を作らせる。
3,別の店の焼き肉弁当を買って帰り、味が違っても本物ですと言い張る。(弁当屋の皆さんと口裏を合わせる)
4,スーパーで肉を購入して自分で最高の焼き肉弁当を作って渡す。そして、こんな不味い焼き肉弁当を食えるか!と言われたら、教授をぶん殴って付き人を辞める。
以上、どれが正解でしょうか?
😂
アッコさんから今井美樹への乗り換えからとか女性関係も自由人
坂本さんは誰しもが多かれ少なかれ抱えているストレスや不満を曝け出しても、周囲に見捨てられない幸せな人だったと思う。
高橋さんは恐らくミュージシャンでなくても普通に他人に好かれる人だと思う。2人の癖の強い人を上手くコントロール出来たのだから凡人とは言わないが普通にいい人だったと思う。
幸宏さんはもともと病弱だったのに本当に大変だったと思います。
坂本さんから見ると高橋さんの方が作曲センスや才能があって妬ましかったそうですよ。坂本さんは「教授」と綽名されるくらい音楽理論を駆使して作曲するのですが、高橋さんの鼻歌混じりに鍵盤を爪弾いたりドラムを叩きながら感性で作曲してしまう才能がとても羨ましいと言っていたそうです。
@@gale_straits2695
そう言うのを天才型と言うのでしょうね。とすれば、坂本さんは秀才型?こんなこと書くとコアなファンから怒られるかな?w
全然凡人なんかじゃないわ
@@Voyager1962
昔、ソリトンside-Bという高野寛さんの番組に幸宏さんが出演された時、
「ビートルズで言うなら、細野さんはジョンで、教授は目立ちたがり屋だからポール、僕はリンゴ……太鼓持ちだから(笑)」
とオチをつけて語ってました。
幸宏さんからは細野さんが天才なんでしょうね。
敬愛度合いが半端ないですから。
そんなユーモア溢れるトークのできる幸宏さんが好きです。
“戦場のメリークリスマス”のロケ先では、買春に励んでいたそうだ。もともと暴力革命志向の人間が、なにが”非戦”だろう。お笑いぐさだよ。表現を生業にしている人間の評価は、その作品だけを観て評価すべきだとも思う。
YMOの実際ってのは加藤和彦がプロデュースしていて
やらされてる感のある天才キャラに嵌め込まれてイライラしていたのかも。
ジャニーズの問題もやっと出たし、もう何でも真実を周知のものにして、こんなインチキだらけの下らない世の中を終わりにしましょう😃
そうするだけで、自然と色々良くなるはずです。
むしろ、それをせずにどんなにあれこれこねくり回したところで、絶対に世の中は悪くしかならない😣
YMOは江口寿史さんが大ファンでしたね。いつもマンガに出てた
教授と呼ぶほどファンじゃないけど好みの曲が多いです千のナイフの為にLP買った思い出
幸宏さんの曲は教授が多い気がする
まさに天災だな。
高橋幸宏さんは名曲ライディーンの作曲もやられていて、仲介役だけではないと思いますよ。
若き頃の坂本龍一さんのナイフのような性格は、なんとなく察しがついてましたねw
今だと確実に炎上でしょう。
なんとなく察しとは、お顔や立ち居振る舞いからピンとくるのでしようか? 第六感というのかすごいことです。私は、晩年の教育番組を拝見して温厚な方と思いました。『戦場のクリスマス』では、ビリビリした感じで、とても個人としては近づきたくない雰囲気でしたが、「演技かな、戦場の異常性を表現してるのかな」と単純に思っていました。
才能はあるが偏屈な奴
個人的には、やっぱりな~という感じですが。。。奥さんに対しては、浮気の件では、ごめんなさい、だそうです。(最も、その奥さんは生まれた子供に「うんこ」ってつけようとしてたそうで、龍一さんが「美雨」さんにしたそうな。)でも、坂本さんの作品は大好きです!
坂本龍一さんははっきり言って好きなタイプではありません(あくまでTV等の言動を聞く限りですが)が、反撃不可能な亡くなった人を「闇の顔に絶句」とか「性格が~」と
会ったこともない人を下げるような事を言う人はもっと好きじゃないですねえ。
矢野顕子さんが著書の中で不機嫌な時にレコードを割っていたと明かしていますので、DV気質だったのはウソではないかも・・・。
はっはっはっはっは。
まぁ、まず坂本龍一氏は昭和のお金持ち系のボンボン息子ミュージシャンの典型のひとりだからね。
ていうかYMOの3人ともそうでしょう。坂本氏の父親は昭和の著名な編集者:坂本一亀氏だし、高橋幸宏氏も別荘があるようなご家庭の息子だったらしいし。亡くなった加藤和彦とか、後藤次利とか井上鑑とか松任谷正考とか、あのへんの昭和の日本のポップミュージックを支えた音楽家はみんなお金持ちのご子息ばっかり。加藤和彦なんて、実家の住所が六本木一丁目だからなぁ💦
昭和の時代は、東京でお金持ちのボンボンでバンドや楽器を趣味にしてれば、すぐにメジャーデビューできるような時代環境だったんでしょ。坂本氏も東京芸大作曲科の出身だけど、芸大作曲科なんて、芸大の教授にピアノレッスンしてもらって、高額な月謝や謝礼とか払って推薦してもらうという、いったいいくらお金かかるんだよ、っていうまさにボンボンのご子息じゃないと入れない世界だからな。
まぁYMOに関しては、「細野はポップスに飽き、坂本はポップスに目覚め、高橋は延々とポップスをやっていた」っていう批評が的を射ているだろうね。バンドマンだった細野は芸大出の坂本氏や当時の「ニューウエイヴ」の潮流に触発されて、アバンギャルドなことをやりたがっていたし、坂本はアイドルや歌謡曲の作曲もてがけて、アカデミックな芸大的な現代音楽をポップミュージックの世界へ応用しようとしていた。そこらへんが、「真逆の流れ」になっていて、対立というか、違うスタイルのミュージシャンの確執、みたいな面はあったと思う。だから間に入った高橋が、YMOの曲でボーカルがあるときは、高橋が歌を歌っていた。
まぁ、坂本氏は、忌野清志郎と共演した「いけないルージュマジック」のMVを見てもわかると思うけど、若い頃はたいしたイケメンだったので、そりゃあ女にもものすごくモテただろうし、お笑い番組の「おれたちひょうきん族」にも出たりしてたな。まさに「イケメンの人気タレント」だったわけですよ。
知り合いの知り合いの知り合い、ぐらいの人から聞いた話によると、酔っぱらうと飲み屋のカウンターの上に上がって全裸で踊ったりとか、やりたい放題何でもする、まさに「バブル時代のモテ・お金持ち・イケメン芸能人気取り」だったらしい。矢野顕子との結婚も、お互いに連れ子を連れての再婚同士だったんでしょ。当時の六本木にあった、ミュージシャン御用達のチャイニーズバー「東風」で常連のミュージシャンと飲んだくれていたらしい。
で、映画「戦場のメリークリスマス」や「ラストエンペラー」の俳優としての出演と、ソロアルバムを出し続けることの難しさへの挫折から、表舞台からは引っ込んで、映画音楽の作曲者に転向していった。まぁ現代音楽畑出身で、世界を席巻したYMOのメンバーであった経歴からして、前衛的な、ポップとも前衛音楽ともとれるようなソロアルバムを出し続けて成功し続けるのは、誰が考えたって無理があるからね。じっさい、アルバム「未来派野郎」とか、微妙な出来だった。
その後は、映画音楽家として活動しつつ、自分の畑である現代音楽、前衛音楽のライブを地味にやりつつ、何か環境問題とかにもコメントを出す、環境活動家的な、社会的にカッコイイポジションを押さえつつ、老人になっていった感じだよね。
まぁ、俺に言わせれば、おまえみたいな軽っちいバブル遊び人が偉そうに環境問題に口出すなよ、って感じはあったけどね。
坂本氏の作り出す音楽は、譜面のわかる人ならわかると思うけど、「ドミナントを避ける」っていう暗めの音で、それでもポップさを出す、という、たしかに日本の音楽では革新さを出したエポックメイキングな作曲家ではあったと思う。
「戦場のメリークリスマス」で共演した北野武が、坂本氏の死に「戦友をひとり無くした」ってコメントしたのは共感できるね。まさに、昭和から平成にかけてのバブル時代を駆け抜けた、かっこいいチャラチャラ有名人だけど実力もある、っていう、華やかなタレント文化人の典型であっただろうと思われる存在だからね。
今だったらびっくりですね
芸術と思った事無いんだが・・
音楽家なんて大体クズだと思ってる、人間性と作品は分けたほうがいいんじゃない?
だから何?
そんなの込々で坂本龍一は
人の三倍の充実した
人生でしたよ。
戦メリでギクシャクした共演を果たした裕也さんと同じ種族。音楽の才能は桁違いだけど。
ついに
他人のフンドシで相撲を取り続けた男 ボウイ、ゾウ、ジョビン・・・ 音楽的にも見るべきもの、聴き継がれる曲などひとつもない なぜ人気があったのか理解できない
アーティストに人柄なんて求めないからなあ。生み出す作品が美しければいいです。千のナイフのライナーノーツ読んでも、自分は堅気の世界じゃやってけない人だって自覚して
たようだし。
未来派野郎までは必死で聞いてましたよ
ごくろうさんです。坂本龍一の天才性は本物...といいたい人は多いでしょうが、彼は音楽パクリの天才でした。音楽関係のどなたか、補充コメントお願いします(笑)
シェルタリング・スカイ=ジョー・サンプル
戦メリとファミマはどっちがどっち?
いい気になってたんだよ。
別にファンじゃなかったからどーでもいーわ
坂本龍一氏の精神を歪ませた根本的な原因は3つあります。
1. 左利きから右利きへの強制
当時は圧倒的に右利き社会で、左利きを強制させようとしたことで、坂本氏が社会に反抗心を持つようになりました。
2. 父 坂本一亀 氏からの暴力
父 一亀氏も厳しい人だったらしく、息子の龍一氏に平気で暴力をふるっていました。しかも、龍一氏は一人っ子ということもあって、助けを求める兄弟がいませんでした。
3. 父 一亀氏 の作家へのダメ出し
父 一亀氏は三島由紀夫氏を見出し、作家デビューさせ、三島氏の編集担当をしていたのは有名な話です。三島氏を自宅に呼び出し、食事の場で三島氏へダメ出しを行っていたのを、少年時代の龍一氏は見て育ちました。恫喝は当たり前という感覚になったそうです。
なんで、いも金トリオの写真がまぎれとんねん
偉大な芸術家にはよくある話。本人のアクの強さや私生活の問題行動と作品とのギャップ云々。でもそんなの一般人だって長い年月生きてりゃ色んな迷惑かけたり後から恥ずかしくなる様な行動をしてた時期があって当然じゃないかな。優れたアーティストだって同じ人間。言い方ひとつ、伝え方ひとつで印象のすり込みに大きな違いが出るのを分かった上であえてこういう伝え方をしてるんだろうな…って、聞いてて不毛な気分になってしまいました。
焼肉弁当事件爆笑(*´▽`*)
過去に本人達から語られたエピソードをまとめた動画だね、闇の顔でもなんでもない。
むしろ何十年も(仲良く)続くグループの方が稀。アルフィーなどは大変珍しい例。教授に限らずミュージシャンなんて個性が強く自己中な人が多い。元々の性格なのか人気者故のストレスなのか当時はそーいう人が多かった。時代的に親が子をたたくなんてのは普通だった。私も子供の頃は親にも先生にもよく殴られた。現代のコンプライアンスだと乱暴でヒステリックということになるだろうけど…
昔は学校で失敗をすると先生が生徒の頭を叩くことがありましたね。私の場合は中学生の頃、理科の実験で薬品の量を間違えて失敗した時に、先生がスリッパを脱いで、スリッパの裏(地面の側の汚い方)で頭を叩かれました。その際「これはトイレ用のスリッパだぞ」と余計なセリフをわざと言ってから叩かれました。あの時代の先生達は凶暴な人も多かったので、生徒から嫌われている先生は、生徒側から反撃されてイタズラされたり悪口を言いふらされる先生もいましたよ。
😂
「ジャージ事件」・・・でも、坂本龍一も高橋幸宏に出会う前はすごい格好してたんだよ!ヨレヨレの格好で、サンダル履いていて、初めて高橋幸宏に会った時に「何じゃこいつは!こんなやつは音楽やったらいかん!」って言っていたんだけど、その後、坂本龍一が幸宏に「ファッション勉強したいんだけど教えてくれ!」って言って洋服屋さんに連れて行かれて、プリティーウーマンみたいにいっぱい服を買って勉強したんだよ。だからファーストアルバム「千のナイフ」でファッションスタイリスト「高橋幸宏」って書かれていたんだよ。だけど、最初の頃の坂本龍一のファッションはダサかったよ!それに坂本龍一も気がついて、雑誌ポパイで有名な(名前忘れちゃった)スタイリストをつけて、ファッションセンスが上がったように見せかけていたんだよ!
ファンならほとんど知ってるエピソードでした。
教授はなぜボウイ(おそらく「RISKY」はボウイを想定していた気がする最終的にイギーとなったが)やマドンナ(マドンナの「RAIN」のMVに出演)と共演しなかったのでしょう? デビシルの1stもほとんど参加しコーディネータも行なっていたのにプロデュース作ではないですね まあデビはクリムゾン加入も断るほどの頑固者ではありますが
”最高潮”を”さいたかしお”と読んでしまう。棒読み君でもこんな読み間違えしないと思うが?
左翼の人殺しだった坂本くんは必死に擁護してくれる人がいてうらやましいw
お亡くなりになった坂本龍一さんを批判するつもりは無いのですが、世界の坂本、偉大な音楽家だからといって、うやむやに許されるべきでは無いと思います。
ジャニーは批判するが何故坂本は批判しないのか?
@@333bigdrive7 これはもしかして私への返信ですか?
@@fumiyukikawano
ごめん君にではありません。
主にマスコミに対しての思いです。
普通3年でも一緒にバンドを続けるのは至難の技だ。ましてそれを超えて不仲の状況で続けられるのはプロ意識とかを超越した音楽の可能性だけを頼りにした真の音楽家だと思う…
誰でもヤッちゃいたいほどムカつく先輩や上司と仕事してるよ?
音楽の可能性を頼りにとはどういう意味ですか?
ジャージも嫌いだが、メガネ👓をかけてる奴はスカン!…
by 老眼鏡装着者
😅😅😅