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当時私は中学一年生で、この日もミスターシービーのダービー勝利を祈ってテレビを観戦していました。
いつ見てもド派手な勝ち方
一番人気のダービーで何とも思い切った戦法だ
やっぱりシービーがこの中では垢抜けて見える
凄い豪快な飛び出し…大外ぶん回したナリブの脚も衝撃的だったけど、このシービーの脚も凄いわ。
やっぱりこの年の4歳馬世代が今でも一番好き。競馬の実況アナもフジテレビの盛山アナ、関西テレビの杉本アナ、東海テレビの吉村アナ、この3人の方の実況も好きだった。一番の推し馬はダービーには出走していなかったですが、この後 夏の函館記念で穴をあけて優勝、セントライト記念3着、京都新聞杯3着(ミスターシービーに先着 シービー4着)を経て菊花賞に挑んだドウカンヤシマが好きでした。弥生賞4着後のスプリングSで発走直前に鼻出血を発症して除外にならなければ、皐月賞に出走はしていただろうし、(3歳時に京成杯3歳Sを1番人気で勝っていて、賞金的には出走可能)結果次第でダービーにも出走していたと思います。結局、スプリングS除外後、残念ダービーと呼ばれたニュージーランドT4歳Sに出走して札幌のタイムス杯(ダート)から函館記念出走のローテーションになりました。結局この馬は古馬になり東の金杯(5歳)、東京新聞杯(6歳)、関西の鹿戸明厩舎 (テンポイントの主戦ジョッキー)に転厩して、初戦の朝日チャレンジC(7歳)、西の金杯(8歳)を勝つことになります。しかも京成杯3歳S以降、引退レースとなった8歳時の12月の愛知杯まで単勝1番人気になったことがない馬でした。
吉村は馬名読みのクセがすごかったよな。中でも印象的なのは「ティーエムオペラオー」ww
@@jpntechnostream505 吉村アナの実況で印象に残っているのがグレード制導入初年度の昭和59年2月のきさらぎ賞(ゴールドウェイ)と昭和59年6月下旬の高松宮杯(キョウエイレア)カツラギエースとスズカコバンの宝塚記念1・2着馬も出走(当日は道悪馬場でスズカコバンが2着、カツラギエース5着、ヤマノシラギク3着・前走宝塚記念)と一番最初に吉村アナの実況を初めて聞いた昭和58年12月のCBC賞(ニホンピロウイナー)の時(2着がニホンピロウイナーの好敵手ハッピープログレス 昭和59年春にスプリンターズS GIII・京王杯SC GII・安田記念GIを三連勝)ですね。特に昭和59年2月のきさらぎ賞(中京)は下旬に騎手引退(調教師に転身)を間近に控えた武邦彦騎手のトウホーカムリ(上位の人気)に注目してました。吉村アナのフレーズトウホーカムリには鞭(むち)が入った武邦 インコースをつくのか外をまわるのか結果はゴールドウェイ(前走 シンザン記念2着)-マルブツサーペン(次走 毎日杯1着)-キタヤマザクラ(前走 シンザン記念1着)-トウホーカムリでした。このレースにはあのハギノカムイオーの半弟のワッカオー(ブービー)も人気になって出走していました。ワッカオーは活躍出来なかったですね。
6年連続重賞制覇は、いずれ破られる可能性は無くはないが、京都金杯がマイルになった今、東西金杯勝ちは二度と出ないと思う。
@@原太-m7u 明けて9歳になった正月の京都競馬場で引退式までさせていただきました。これも6年連続重賞制覇の記録を達成したことが評価された結果だと思っています。7歳の夏の函館記念後に美浦の田中朋次朗厩舎(5歳のミホシンザンも同厩舎)から栗東の鹿戸明厩舎(テンポイントの主戦騎手)に転厩したことも6年連続重賞制覇に繋がったと思っています。
NHKの実況は1コーナーで最後方のとき『これでいいのかミスターシービー』だったのを覚えている。
懐かしい!当時僕は中学生でした!
アップしてくれてありがとう(⌒‐⌒)ノ
東京コースでこんな競馬してよく勝てたな。終わってみたら絶体能力が違ってたということか。
ミスターシービーが今でも日本一強くて賢い馬である
あきらかに違うと思います。ルドルフ、オグリはじめシービーより強く賢いウマはたくさんいます。
@@克年赤木-e8l アスペきつすぎw自覚ないガイジ痛すぎるw
強く賢い馬ならシンザンに1票
ゴルシも賢い
@@克年赤木-e8lCBの動画なんだからこういうこと言う人がいてもいいだろ。いちいち否定とかしてるあたり友達いなさそう
大川さんと、大坪さんが一緒に解説席にいる‼️豪華やん
はい。
東の大川西の大坪
初めて競馬場で観たダービー。3〜4コーナーでシービーが馬群を縫って上がった時の歓声は忘れられない
3:56 此の坂は 父が無念の なみだ坂 今ぞ果たさん 悲願の戴冠!!剛脚炸裂 ミスターシービー 男の勝負↑ ボーイがクライムカイザーに横に付けられたアレ
大川さんの声が懐かしい‼️
これぞ競馬会いわゆるミスターシービーはミスターサラブレッドに違いないお前の名を今も叫ばない日はない!
現地で見たよ!枠連1ー5特券5枚懐かし〜
へえー、桜花賞馬が出てきていたのか。これは盛り上がっただろうなあ。
シャダイソフィアですね。私は今でもダイナカールより強いと思ってます。秋に第1回サファイアステークスを勝ち、本番のエリザベス女王杯でもロンググレイス(ローズS勝ち馬、ダイナカールは4着)と同タイムの2着だったので。2年後の秋(天皇賞・秋と同じ日)のスワンSであの悲劇がなければ。繁殖馬としてきっと名牝になれたと今でも思っています。ミスターシービー世代の牝馬の中で一番好きな馬でした。
当日、第50回ということで昼休みに過去のダービー馬が何頭か出てきたよね。パドック回ってた覚えがあるが、本馬場にも下ろしたのかな。覚えてる人おる?
この本馬場入場曲、印象に残っていましたがもう一度聞けることも無いと思ってました。多分、ダービー専用の曲だったように思います。まあ、どうでも良いお話で。
確か父トウショウボーイと母シービークインは同じレースでデビューしてるんだよね、スゴイ運命やね
グリーングラスも
ロマンですね😢
震える。すごい。
大川慶次郎が「ダービーは実力通りに決まるためにも16頭ぐらいで」と言っていて、当時は賛成だったが、いざ18頭になってテレビ馬が激減して糞スローの年もあったりすると、せめて24頭は欲しいかなと思う。多少の、お祭り感もあって良い。
皐月賞もだがこれまたこんな強引なレースで勝つなんて。もし当時リアルタイムで見ていたら間違いなくこう思っただろう…、『ミスター規格外』
斜行には斜行返し、こんな凄い勝ちっぷり二度とない、これ以後こんなことは失格にされるしなあ。斜行返ししなければ吉永騎手は振り落とされてしまってる、そうなってもJRAは「不運だったねぇ」と一言だけで、何も責任取ってくれないだろうから吉永騎手の行為は正当だけどね。
大川慶次郎の解説が聞けるだけでも有難いです🤔?
フジテレビの中継にも大坪元雄さんが解説してたんやな。
ダンスパートナーのオークスの時のノースサンデーを思わせる右へ左への大斜行!!確かに「ミスターシービー、物凄い競馬をしました」ね(^_^;)
単枠指定で黄色帽がよく目立つ
スタンドに横断幕とか今では見ない光景。この馬にセオリーは通用しなかった
やっぱり昔は今と違って芝の質が悪かったからタイムも遅かったね。
ミスターシービーがいなければ…
メインが9レースで21頭立てか😮
この時代の第3コーナーの大欅は小さいな。
時代を感じます😅
これシービーがいなかったらモンスニーが二冠馬ですよ。
下見所って最近聞かないなあ
第50回東京優駿大競走が行なわれた当時僕は中学1年生で、新体操の山尾朱子選手は小学3年生、其れから田原睦子選手は5歳で西船橋幼稚園に通いました!
アナウンサーが駄目やな。他の馬に失礼。どんだけミスターシービーを買ってんだかしらんが。全部を台無しにしてるミスターシービーは凄い!
実況の下手くそさにビビる
39年前の東京優駿大競走当時僕は中学1年生で、女優の釈由美子さん&麻生久美子さん、元サッカー⚽日本代表女子撫子ジャパンキャプテン澤穂希さんは幼稚園に通いました!
ファンファーレの時はしゃべるな。
シービーの競馬、よく見ると、追い込み、ではない。3コーナーからの捲りで直線先頭、逃げ切り。ある意味逃げ馬。3コーナーからレースが始まるだけ。破天荒に見えて、実は同じようなレース。本当に最後の直線で追い込み、勝ったのは秋天のみ。それだけもうエンジンがかからなくなっていたんだろう。
ミスタービーン!!
ミスターシービーの4コーナーの外斜行は当時のルールなら失格に値する。残念なダービーだった
着順に関係ないから、当時のルールでも問題ないんじゃないですか?
タヤスツヨシの立場が
@@渡辺真也-e4h 当時のルールを知らない奴は黙ってろ
@@chelseagreen3775 リアルタイムで見てたからよく知ってるよ、昔は脚の上がった馬の邪魔しても失格になる理不尽なルールだったよ。こんなんで、失格にしたら暴動が起こるわ。
フラフラじゃん直線、騎手のレベル酷いな
当時私は中学一年生で、この日もミスターシービーのダービー勝利を祈ってテレビを観戦していました。
いつ見てもド派手な勝ち方
一番人気のダービーで何とも思い切った戦法だ
やっぱりシービーがこの中では垢抜けて見える
凄い豪快な飛び出し…大外ぶん回したナリブの脚も衝撃的だったけど、このシービーの脚も凄いわ。
やっぱりこの年の4歳馬世代が今でも一番好き。競馬の実況アナもフジテレビの盛山アナ、関西テレビの杉本アナ、東海テレビの吉村アナ、この3人の方の実況も好きだった。一番の推し馬はダービーには出走していなかったですが、この後 夏の函館記念で穴をあけて優勝、セントライト記念3着、京都新聞杯3着(ミスターシービーに先着
シービー4着)を経て菊花賞に挑んだドウカンヤシマが好きでした。弥生賞4着後のスプリングSで発走直前に鼻出血を発症して除外にならなければ、皐月賞に出走はしていただろうし、(3歳時に京成杯3歳Sを1番人気で勝っていて、賞金的には出走可能)結果次第でダービーにも出走していたと思います。結局、スプリングS除外後、残念ダービーと呼ばれたニュージーランドT4歳Sに出走して札幌のタイムス杯(ダート)から函館記念出走のローテーションになりました。結局この馬は古馬になり東の金杯(5歳)、東京新聞杯(6歳)、関西の鹿戸明厩舎 (テンポイントの主戦ジョッキー)に転厩して、初戦の朝日チャレンジC(7歳)、西の金杯(8歳)を勝つことになります。しかも京成杯3歳S以降、引退レースとなった8歳時の12月の愛知杯まで単勝1番人気になったことがない馬でした。
吉村は馬名読みのクセがすごかったよな。
中でも印象的なのは「ティーエムオペラオー」ww
@@jpntechnostream505
吉村アナの実況で印象に残っているのがグレード制導入初年度の昭和59年2月のきさらぎ賞(ゴールドウェイ)と昭和59年6月下旬の高松宮杯(キョウエイレア)カツラギエースとスズカコバンの宝塚記念1・2着馬も出走(当日は道悪馬場でスズカコバンが2着、カツラギエース5着、ヤマノシラギク3着・前走宝塚記念)と一番最初に吉村アナの実況を初めて聞いた昭和58年12月のCBC賞(ニホンピロウイナー)の時(2着がニホンピロウイナーの好敵手ハッピープログレス 昭和59年春にスプリンターズS GIII・京王杯SC GII・安田記念GIを三連勝)ですね。特に昭和59年2月のきさらぎ賞(中京)は下旬に騎手引退(調教師に転身)を間近に控えた武邦彦騎手のトウホーカムリ(上位の人気)に注目してました。
吉村アナのフレーズ
トウホーカムリには鞭(むち)が入った
武邦 インコースをつくのか
外をまわるのか
結果はゴールドウェイ(前走 シンザン記念2着)-マルブツサーペン(次走 毎日杯1着)-キタヤマザクラ(前走 シンザン記念1着)-トウホーカムリでした。このレースにはあのハギノカムイオーの半弟のワッカオー(ブービー)も人気になって出走していました。ワッカオーは活躍出来なかったですね。
6年連続重賞制覇は、いずれ破られる可能性は無くはないが、京都金杯がマイルになった今、東西金杯勝ちは二度と出ないと思う。
@@原太-m7u 明けて9歳になった正月の京都競馬場で引退式までさせていただきました。これも6年連続重賞制覇の記録を達成したことが評価された結果だと思っています。7歳の夏の函館記念後に美浦の田中朋次朗厩舎(5歳のミホシンザンも同厩舎)から栗東の鹿戸明厩舎(テンポイントの主戦騎手)に転厩したことも6年連続重賞制覇に繋がったと思っています。
NHKの実況は1コーナーで最後方のとき『これでいいのかミスターシービー』だったのを覚えている。
懐かしい!当時僕は中学生でした!
アップしてくれてありがとう(⌒‐⌒)ノ
東京コースでこんな競馬してよく勝てたな。終わってみたら絶体能力が違ってたということか。
ミスターシービーが今でも日本一強くて賢い馬である
あきらかに違うと思います。
ルドルフ、オグリはじめシービーより強く賢いウマはたくさんいます。
@@克年赤木-e8l
アスペきつすぎw
自覚ないガイジ痛すぎるw
強く賢い馬ならシンザンに1票
ゴルシも賢い
@@克年赤木-e8l
CBの動画なんだからこういうこと言う人がいてもいいだろ。いちいち否定とかしてるあたり友達いなさそう
大川さんと、大坪さんが一緒に解説席にいる‼️豪華やん
はい。
東の大川
西の大坪
初めて競馬場で観たダービー。3〜4コーナーでシービーが馬群を縫って上がった時の歓声は忘れられない
3:56 此の坂は 父が無念の なみだ坂 今ぞ果たさん 悲願の戴冠!!剛脚炸裂 ミスターシービー 男の勝負
↑ ボーイがクライムカイザーに横に付けられたアレ
大川さんの声が懐かしい‼️
これぞ競馬会いわゆる
ミスターシービーは
ミスターサラブレッドに違いない
お前の名を今も叫ばない日はない!
現地で見たよ!枠連1ー5特券5枚懐かし〜
へえー、桜花賞馬が出てきていたのか。これは盛り上がっただろうなあ。
シャダイソフィアですね。私は今でもダイナカールより強いと思ってます。秋に第1回サファイアステークスを勝ち、本番のエリザベス女王杯でもロンググレイス(ローズS勝ち馬、ダイナカールは4着)と同タイムの2着だったので。2年後の秋(天皇賞・秋と同じ日)のスワンSであの悲劇がなければ。繁殖馬としてきっと名牝になれたと今でも思っています。ミスターシービー世代の牝馬の中で一番好きな馬でした。
当日、第50回ということで昼休みに過去のダービー馬が何頭か出てきたよね。パドック回ってた覚えがあるが、本馬場にも下ろしたのかな。覚えてる人おる?
この本馬場入場曲、印象に残っていましたがもう一度聞けることも無いと思ってました。多分、ダービー専用の曲だったように思います。まあ、どうでも良いお話で。
確か父トウショウボーイと母シービークインは同じレースでデビューしてるんだよね、スゴイ運命やね
グリーングラスも
ロマンですね😢
震える。
すごい。
大川慶次郎が「ダービーは実力通りに決まるためにも16頭ぐらいで」と言っていて、当時は賛成だったが、いざ18頭になってテレビ馬が激減して糞スローの年もあったりすると、せめて24頭は欲しいかなと思う。多少の、お祭り感もあって良い。
皐月賞もだがこれまたこんな強引なレースで勝つなんて。
もし当時リアルタイムで見ていたら間違いなくこう思っただろう…、
『ミスター規格外』
斜行には斜行返し、こんな凄い勝ちっぷり二度とない、これ以後こんなことは失格にされるしなあ。
斜行返ししなければ吉永騎手は振り落とされてしまってる、そうなってもJRAは「不運だったねぇ」と一言だけで、何も責任取ってくれないだろうから吉永騎手の行為は正当だけどね。
大川慶次郎の解説が聞けるだけでも有難いです🤔?
フジテレビの中継にも大坪元雄さんが解説してたんやな。
ダンスパートナーのオークスの時のノースサンデーを思わせる右へ左への大斜行!!
確かに「ミスターシービー、物凄い競馬をしました」ね(^_^;)
単枠指定で黄色帽がよく目立つ
スタンドに横断幕とか今では見ない光景。この馬にセオリーは通用しなかった
やっぱり昔は今と違って芝の質が悪かったからタイムも遅かったね。
ミスターシービーがいなければ…
メインが9レースで21頭立てか😮
この時代の第3コーナーの大欅は小さいな。
時代を感じます😅
これシービーがいなかったらモンスニーが二冠馬ですよ。
下見所って最近聞かないなあ
第50回東京優駿大競走が行なわれた当時僕は中学1年生で、新体操の山尾朱子選手は小学3年生、其れから田原睦子選手は5歳で西船橋幼稚園に通いました!
アナウンサーが駄目やな。他の馬に失礼。どんだけミスターシービーを買ってんだかしらんが。全部を台無しにしてる
ミスターシービーは凄い!
実況の下手くそさにビビる
39年前の東京優駿大競走当時僕は中学1年生で、女優の釈由美子さん&麻生久美子さん、元サッカー⚽日本代表女子撫子ジャパンキャプテン澤穂希さんは幼稚園に通いました!
ファンファーレの時はしゃべるな。
シービーの競馬、よく見ると、追い込み、ではない。3コーナーからの捲りで直線先頭、逃げ切り。ある意味逃げ馬。3コーナーからレースが始まるだけ。破天荒に見えて、実は同じようなレース。
本当に最後の直線で追い込み、勝ったのは秋天のみ。それだけもうエンジンがかからなくなっていたんだろう。
ミスタービーン!!
ミスターシービーの4コーナーの外斜行は当時のルールなら失格に値する。残念なダービーだった
着順に関係ないから、当時のルールでも問題ないんじゃないですか?
タヤスツヨシの立場が
@@渡辺真也-e4h 当時のルールを知らない奴は黙ってろ
@@chelseagreen3775 リアルタイムで見てたからよく知ってるよ、昔は脚の上がった馬の邪魔しても失格になる理不尽なルールだったよ。こんなんで、失格にしたら暴動が起こるわ。
フラフラじゃん直線、騎手のレベル酷いな