Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
はじめまして、現状の路線跡の位置関係が分かりやすく、興味深く拝見いたしました。なかでも平成6年10月の十勝三股の真っ二つに切断された転車台などは非常に貴重な記録に感じ、公開に感謝いたします。ほかの方のサイトによると同年9月8日に撤去工事が行われているようです。(”94年9月8日 十勝三股”で検索すると見つかります)実は自分は同年9月6日に同地を訪れて駅舎や転車台が残っている状態を見ており、まさかあれが最後の姿であったかと衝撃を受けました。
こんにちは。あたたかいコメントをありがとうございます(^^) 士幌線は国鉄時代に全線廃止された路線ですが、音更駅あたりまでだけでも残されていれば、現在の札沼線のように電化されて通勤通学路線としての需要があったかもしれません。地元では線路跡の保存活動にも熱心で、国鉄士幌線の遺構をあちこちで保存してくれています。昨年の訪問時、タウシュベツ橋梁は水没直後で残念でしたが、またチャレンジしたいと思います。途中幌加温泉にも立ち寄ってみると、一番奥の鹿の谷旅館だけが日帰り温泉として今も営業されていました。終点の十勝三股駅は入口さえわからず苦労しましたが、昔の記憶と映像で何とか当時の駅の様子をお伝えすることができました(*^^)v 教えて頂いたサイトもぜひ拝見してみたいと思います。
お返事ありがとうございます。タウシュベツは昨冬数年ぶりにかなり厚い氷に阻まれたそうで、いよいよ本当に崩壊直前のようです。ぜひ早めに行かれることをお勧めします。
前編に続き後編も拝見させて頂きました。士幌線の乗車経験は昭和56年です。遥々、大阪から特急白鳥(13時間乗車)に乗り青森、青函連絡船で函館、そこからも列車を乗り継ぎ帯広へ😅目的駅は十勝三股駅、とあるイベント参加とニペソツ山登山が目的でした。イベント参加者はキャンプ泊で、後の登山用品も有り大荷物、しかも大人数。当時の士幌線って1日乗降客数は5人とかのレベル。キハ40、2両編成クンもビックリしたと思います。列車に乗り込んだ乗客は通路いっぱいになる程の人数!しかも先述の様に大荷物。次は糠平駅と言う所まで来て動画で閉鎖されていたトンネルまで来ましたが、キハ40君も頑張るんですが、重くてついにトンネル内で力尽き止まってしまったwww何度か気動車のディーゼルエンジンは勇猛果敢な唸りを響かせるも……動きませんwwwそれでも何度かチャレンジして静々と(訂正)ノロノロと動き出し糠平駅到着。まさに青息吐息、きっとトルコンオイルはオーバーヒート寸前と予想します。乗車当時、糠平駅〜十勝三股駅はバス代行運転となっていて、事実上の廃線状態。代行バスはマイクロバス!人数的に乗り切れるはず無いのですが、そこの記憶が有りません。臨時に往復運転したのか?帯広駅で多人数乗車は分かっていたはずなので、臨時に増便したのかは不明です(汗)まあ、あのトンネルが映っていたのがホントに感動です。他の方が上げた士幌線の映像にはトンネル映って居なかった。😅ただ心残りなのは代行バスだったのでタウシュベツ川橋梁は渡っていないんですよ!当時、まだ鉄分少なめだったので、後から知って残念無念です。この旅には色んな出来事が有り士幌線から少し話はそれますが、2つ大きなトラブルが有りました。15人ほどのグループでしたが大学の私達4人で高校生10人ほどを引率していたんですが、大川山系のニペソツ山登山の下山中高校生の1人がバテてダウン。ニペソツ山は標高2000m程ですが比較的高緯度地域なので通常の300m級の山と同等の注意が必要何ですよ。ダウンした子はどうも水分不足で脱水症状による熱射病症状で体温は38℃程で日陰で休ませ、自衛隊の方が運んでくれた水で身体を冷し事なきを得ました。自衛隊員凄い、急坂をものともせず水入り20L鉄缶を運んで来られた。感動!惚れる❤www帰路の旅程もトラブルが、糠平温泉で1泊、帯広でも十勝川温泉に漬かり帯広駅のホテルで1泊。札幌に向けて特急に乗車!ところが台風崩れの低気圧で大雨が降り滝川駅に停車、数時間後に運休してしまいます。当時の北海道の降雨記録更新と成り道内では氾濫発生、畜牛も多く溺死したと聞きます。滝川駅から臨時のバスで札幌へ移動。途中道路が冠水して乗用車は動けず、バスは何とか札幌へ……札幌到着は夜中過ぎ1時ごろ。夕食食べてないので、とりあえずススキの寿司屋へ行き15人分の巻き寿司を購入……その後3日ほど道内の鉄道は運休で、まあその間も色々有った旅でした。余談の方が長くなってしまいました(汗)でも士幌線と言えば私の中で、これらの話がセット何ですよ、お許しくださいませ。これらを思い出させてくれた動画と主様に感謝いたします。ありがとう御座いました。
全編に引き続き、拝見させて頂きました。私も動画撮影の為に、十勝三股や、タウシュベツ展望台を訪れました。糠平駅よりも奥は、今でも遺構がちゃんと残されていて嬉しく感じました。
貴重な映像ですね、ガイドのナレーションがツアー旅行に来ているみたいです!またサービスカーで!!
コメントありがとうございます(^^) レンタカー車内からの前面映像は、ビデオカメラではなくコンデジで撮影したのですが、ビデオカメラの4K映像と比べHD映像はやはり少し画質が落ちますね。それでも昔の8ミリビデオく比べると比較にならないくらい鮮明ですが (^ム^)
前編動画を見つけて辿り着きました。平成6年の映像は自分も車でよく周っていた時代なので懐かしいです。真っ二つにバーナーで切断された転車台のガーターが痛々しいですが、逆に解体直後の様子の映像動画は唯一ではないでしょうか。(残置の解体品はすぐ撤収されたでしょうから)自分は十勝三股駅舎の解体前年と、その2年後に訪れていますが、解体撤去時の話は三股山荘のお母さんから聞いて強烈に記憶に残っています。撤去直前に敷地一面の草刈りをしたときに、眠っていたSLの転車台と機関庫や構内ヤードの線路が見事に現れ、昭和53年の旅客営業休止当時にタイムスリップしたかの光景が蘇って感動したと話されていました。なぜ保存しなかったのかは、当時の町の方針で荒廃が進むことによる人的被害や危険未然防止が第一。保存するにもお金がかかるので一気に解体撤去&更地化したらしいとのこと。「もったいないことしたもんだよ」と悔しそうに話されていたのが印象的です。転車台の発掘を広く公にすると、いろんな方面から「残せ!」話が持ち上がることで長引き、年度内の予算消化が図れないなどのお役所的な事情もあったのでは?と思われます。しかも、その更地化した駅構内跡地は、周遊木道や東屋を有する超きれいな公園に整備されたものの、駅舎もない無人地帯へわざわざ訪れる人も少なく、数年もしないうちにボロボロに荒廃し再び原野に還ってしまい、莫大なお金をかけて何をしてるんだ?という残念な気持ちになりました。(過剰な公園緑地化については、お金の出どころが違うので[国?]、不必要に豪華になったような話も聞きました)その後、タウシュベツ橋梁が北海道を代表する「集客力のある観光地」に大化けしたことを考えると、十勝三股駅一帯は今なら「北海道遺産」級の貴重な遺構が残されていたため、お金をかけてでも保存しておけばよかったのに!と思うのは私だけではないと思います。ちなみに当時、私も同じようにバラストが残った道床敷を車で走り「十勝三股発帯広行」列車の気分を味わったのを思い出しました。
確かにあれだけの敷地があれば駐車場にも困らないだろうし、駅構内には3点セットの木造機関庫、給水塔、手押しの転車台も残っていました。まさしくジオラマの世界そのもの。隣の幌加駅はホームや線路も保存されています。近くには秘境幌加温泉もあり、この間を9600形などのSLを走らせることができれば、大井川鉄道のようなテーマパークになる可能性もあったかもしれません。層雲峡方面に抜ける三国峠が通年通行可能になってからは、交通量も増えていることでしょうから。
十勝三股駅跡木道屋根場所でマウンテンバイク野営装備で宿泊した事ありますよ、ワイルド感有る場所で良い思いでです。
情報ありがとうございます。渇水期のタウシュベツ橋梁と、宗谷本線を走る最後のキハ40、石北本線の新特急色キハ183を撮影できる旅を計画しています (*´▽`*)
上士幌町へ越してきて2年目。まだまだ知らない士幌線。来年こそは終点まで行きたいと思います😊これからもどうがアップしてください。 根室本線厚床〜標津間がみたいです😅
実際に😳自分で乗車した時の映像があるのが😳凄い
私が訪れたのは昭和末期代行バスでした雪深い日で当時の様子を伺い知ることはできませんでした駅前にあった商店の方とお話しすることができて福岡大学の学生だと知るとヒグマに襲われた福岡大学生の話をしてくれましたもう30年以上前の話です懐かしいです
はじめまして、現状の路線跡の位置関係が分かりやすく、興味深く拝見いたしました。
なかでも平成6年10月の十勝三股の真っ二つに切断された転車台などは非常に貴重な記録に感じ、公開に感謝いたします。
ほかの方のサイトによると同年9月8日に撤去工事が行われているようです。(”94年9月8日 十勝三股”で検索すると見つかります)
実は自分は同年9月6日に同地を訪れて駅舎や転車台が残っている状態を見ており、まさかあれが最後の姿であったかと衝撃を受けました。
こんにちは。あたたかいコメントをありがとうございます(^^) 士幌線は国鉄時代に全線廃止された路線ですが、音更駅あたりまでだけでも残されていれば、現在の札沼線のように電化されて通勤通学路線としての需要があったかもしれません。地元では線路跡の保存活動にも熱心で、国鉄士幌線の遺構をあちこちで保存してくれています。昨年の訪問時、タウシュベツ橋梁は水没直後で残念でしたが、またチャレンジしたいと思います。途中幌加温泉にも立ち寄ってみると、一番奥の鹿の谷旅館だけが日帰り温泉として今も営業されていました。終点の十勝三股駅は入口さえわからず苦労しましたが、昔の記憶と映像で何とか当時の駅の様子をお伝えすることができました(*^^)v 教えて頂いたサイトもぜひ拝見してみたいと思います。
お返事ありがとうございます。
タウシュベツは昨冬数年ぶりにかなり厚い氷に阻まれたそうで、いよいよ本当に崩壊直前のようです。
ぜひ早めに行かれることをお勧めします。
前編に続き後編も拝見させて頂きました。
士幌線の乗車経験は昭和56年です。
遥々、大阪から特急白鳥(13時間乗車)に乗り青森、青函連絡船で函館、そこからも列車を乗り継ぎ帯広へ😅
目的駅は十勝三股駅、とあるイベント参加とニペソツ山登山が目的でした。
イベント参加者はキャンプ泊で、後の登山用品も有り大荷物、しかも大人数。
当時の士幌線って1日乗降客数は5人とかのレベル。
キハ40、2両編成クンもビックリしたと思います。
列車に乗り込んだ乗客は通路いっぱいになる程の人数!
しかも先述の様に大荷物。
次は糠平駅と言う所まで来て動画で閉鎖されていたトンネルまで来ましたが、キハ40君も頑張るんですが、重くてついにトンネル内で力尽き止まってしまったwww
何度か気動車のディーゼルエンジンは勇猛果敢な唸りを響かせるも……
動きませんwww
それでも何度かチャレンジして静々と(訂正)ノロノロと動き出し糠平駅到着。まさに青息吐息、きっとトルコンオイルはオーバーヒート寸前と予想します。
乗車当時、糠平駅〜十勝三股駅はバス代行運転となっていて、事実上の廃線状態。
代行バスはマイクロバス!
人数的に乗り切れるはず無いのですが、そこの記憶が有りません。
臨時に往復運転したのか?帯広駅で多人数乗車は分かっていたはずなので、臨時に増便したのかは不明です(汗)
まあ、あのトンネルが映っていたのがホントに感動です。
他の方が上げた士幌線の映像にはトンネル映って居なかった。😅
ただ心残りなのは代行バスだったのでタウシュベツ川橋梁は渡っていないんですよ!
当時、まだ鉄分少なめだったので、後から知って残念無念です。
この旅には色んな出来事が有り士幌線から少し話はそれますが、2つ大きなトラブルが有りました。
15人ほどのグループでしたが大学の私達4人で高校生10人ほどを引率していたんですが、大川山系のニペソツ山登山の下山中高校生の1人がバテてダウン。
ニペソツ山は標高2000m程ですが比較的高緯度地域なので通常の300m級の山と同等の注意が必要何ですよ。ダウンした子はどうも水分不足で脱水症状による熱射病症状で体温は38℃程で日陰で休ませ、自衛隊の方が運んでくれた水で身体を冷し事なきを得ました。
自衛隊員凄い、急坂をものともせず水入り20L鉄缶を運んで来られた。
感動!惚れる❤www
帰路の旅程もトラブルが、
糠平温泉で1泊、帯広でも十勝川温泉に漬かり帯広駅のホテルで1泊。
札幌に向けて特急に乗車!
ところが台風崩れの低気圧で大雨が降り滝川駅に停車、数時間後に運休してしまいます。当時の北海道の降雨記録更新と成り道内では氾濫発生、畜牛も多く溺死したと聞きます。滝川駅から臨時のバスで札幌へ移動。途中道路が冠水して乗用車は動けず、バスは何とか札幌へ……
札幌到着は夜中過ぎ1時ごろ。夕食食べてないので、とりあえずススキの寿司屋へ行き15人分の巻き寿司を購入……
その後3日ほど道内の鉄道は運休で、まあその間も色々有った旅でした。
余談の方が長くなってしまいました(汗)
でも士幌線と言えば私の中で、これらの話がセット何ですよ、お許しくださいませ。
これらを思い出させてくれた動画と主様に感謝いたします。
ありがとう御座いました。
全編に引き続き、拝見させて頂きました。私も動画撮影の為に、十勝三股や、タウシュベツ展望台を訪れました。糠平駅よりも奥は、今でも遺構がちゃんと残されていて嬉しく感じました。
貴重な映像ですね、ガイドのナレーションがツアー旅行に来ているみたいです!またサービスカーで!!
コメントありがとうございます(^^) レンタカー車内からの前面映像は、ビデオカメラではなくコンデジで撮影したのですが、ビデオカメラの4K映像と比べHD映像はやはり少し画質が落ちますね。それでも昔の8ミリビデオく比べると比較にならないくらい鮮明ですが (^ム^)
前編動画を見つけて辿り着きました。平成6年の映像は自分も車でよく周っていた時代なので懐かしいです。
真っ二つにバーナーで切断された転車台のガーターが痛々しいですが、逆に解体直後の様子の映像動画は唯一ではないでしょうか。(残置の解体品はすぐ撤収されたでしょうから)
自分は十勝三股駅舎の解体前年と、その2年後に訪れていますが、解体撤去時の話は三股山荘のお母さんから聞いて強烈に記憶に残っています。撤去直前に敷地一面の草刈りをしたときに、眠っていたSLの転車台と機関庫や構内ヤードの線路が見事に現れ、昭和53年の旅客営業休止当時にタイムスリップしたかの光景が蘇って感動したと話されていました。
なぜ保存しなかったのかは、当時の町の方針で荒廃が進むことによる人的被害や危険未然防止が第一。保存するにもお金がかかるので一気に解体撤去&更地化したらしいとのこと。「もったいないことしたもんだよ」と悔しそうに話されていたのが印象的です。転車台の発掘を広く公にすると、いろんな方面から「残せ!」話が持ち上がることで長引き、年度内の予算消化が図れないなどのお役所的な事情もあったのでは?と思われます。
しかも、その更地化した駅構内跡地は、周遊木道や東屋を有する超きれいな公園に整備されたものの、駅舎もない無人地帯へわざわざ訪れる人も少なく、数年もしないうちにボロボロに荒廃し再び原野に還ってしまい、莫大なお金をかけて何をしてるんだ?という残念な気持ちになりました。(過剰な公園緑地化については、お金の出どころが違うので[国?]、不必要に豪華になったような話も聞きました)
その後、タウシュベツ橋梁が北海道を代表する「集客力のある観光地」に大化けしたことを考えると、十勝三股駅一帯は今なら「北海道遺産」級の貴重な遺構が残されていたため、お金をかけてでも保存しておけばよかったのに!と思うのは私だけではないと思います。
ちなみに当時、私も同じようにバラストが残った道床敷を車で走り「十勝三股発帯広行」列車の気分を味わったのを思い出しました。
確かにあれだけの敷地があれば駐車場にも困らないだろうし、駅構内には3点セットの木造機関庫、給水塔、手押しの転車台も残っていました。まさしくジオラマの世界そのもの。隣の幌加駅はホームや線路も保存されています。近くには秘境幌加温泉もあり、この間を9600形などのSLを走らせることができれば、大井川鉄道のようなテーマパークになる可能性もあったかもしれません。層雲峡方面に抜ける三国峠が通年通行可能になってからは、交通量も増えていることでしょうから。
十勝三股駅跡木道屋根場所でマウンテンバイク野営装備で宿泊した事ありますよ、ワイルド感有る場所で良い思いでです。
情報ありがとうございます。渇水期のタウシュベツ橋梁と、宗谷本線を走る最後のキハ40、石北本線の新特急色キハ183を撮影できる旅を計画しています (*´▽`*)
上士幌町へ越してきて2年目。まだまだ知らない士幌線。来年こそは終点まで行きたいと思います😊
これからもどうがアップしてください。 根室本線厚床〜標津間がみたいです😅
実際に😳自分で乗車した時の映像があるのが😳凄い
私が訪れたのは昭和末期
代行バスでした
雪深い日で当時の様子を伺い知ることはできませんでした
駅前にあった商店の方とお話しすることができて福岡大学の学生だと知るとヒグマに襲われた福岡大学生の話をしてくれました
もう30年以上前の話です
懐かしいです