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幼い頃、大好きだった青いふかふかのシートに乗っていた頃を思い出します…
コメントありがとうございます。後に8000形も全て更新されて青いシートは見納めとなってしまいましたね。
何故かは分からないけどこの顔を見た時に『謙虚』という言葉が浮かんだ急行でバリバリ活躍してるトップランナーなのに、顔はどことなくその威張り感を出さずに地味にやっておりますという風味を出してるように思えたけど間違いなく一時代を築いた名車。
コメントありがとうございます。謙虚…とっても分かりやすい表現ですね。最後まで各停から優等運用までをこなして、通勤通学輸送を全うしたと思います。
長い間、本当にありがとうございました😭
やっぱり5000は急行使用が一番かっこよいです
改めて見ると、やっぱりこれが小田急って感じます!末期の頃、運用とか無知でしたけど撮影行く度に来ないか来ないかって待っていました。
コメントありがとうございます。当時は今のように容易に運用情報を入手できなかったですからね。その分、待っていて来た時の喜びはあったのではないでしょうか。懐かしいです。
5200形の他形式とは違う独特のドアチャイム好きだった人おらん?
幼い頃の記憶の中でもこの車両を新宿駅で見かけた記憶だけは鮮明に覚えています貴重な映像ありがとうございます!
コメントありがとうございます。自分もNSE車などがそのような記憶なので、同じように感じて見て頂けると幸いです!
大学時代はお世話になりました。大野での2400形との分割併合、相模っ原以遠の100km/h超え運転、アルストム台車の乗り心地、深めの座布団奥行き、嗚呼、どれをとっても懐かしい‼️
コメントありがとうございます。独特の乗り味、今では中々味わえないですよね。昔は当たり前だった相模大野での分割併合も、今ではどこでも行われなくなってしまい残念ですね。
5000形は名車。今でもあの青いシートを思い出す。
幼稚園の年長の時にサヨナラ運行のポスター見て見に行ったわ
幼少時に大好きだった車両。思い出に浸りました。撮影アングル、音全てに並々ならぬこだわり(美学)を感じる良い動画。
身に余るコメントをありがとうございます。もっと動画に拘っていたらもっと良い画が撮れていたのに…と後悔しておりますが、我ながら思い入れのあった車両でした。
3000と5000の組み合わせは衝動がやばかった。でも5000側の放送スイッチ「後車、一斉」を一緒に押しておくと自動放送流れている時ランプがついてわかりやすかったの懐かしいわ。
通学で利用しており、2200形、2400形、2600形、4000形が走るなか5000形が来ると何故か嬉しかったことを覚えています。ありがとう5000形。
コメントありがとうございます。当時だと、貴重な冷房車でもありますからね。自分も通学で利用する際は、あえて新宿方に並び来るのを期待しておりました。
はじめまして、多分、同世代の方?ですね😅まったく同感でした。帰宅時の新宿駅、わざわざ何本かやり過ごしてでも、5000形が来るのを待ったものでした。また、夏場の非冷房2200形は、帰宅時は今思うと地獄でしたね(笑)
2400形の1両だけ冷房車ってのも有りましたよね😆@@mercy-nm1uu
@@aibonist そうでしたね。冷房試験車?で、2400形小田原寄りの先頭車1両のみ冷房がついてました。
@@aibonist 冷房試作車、クハ2478号でしょうか。冷房の箱を5つ乗せた車両で、16m級だった故に夏場は冷房が効きすぎて寒かったと聞いてます。
こう考えると3000型も古くなりましたね
コメントありがとうございます。1次車に関しては落成からまもなく23年ですからね。長く製造されていただけあって古さを感じられませんね。
小田急5000形の歴史が途切れることはないと思う。なぜなら多くのファンたちがこのように名車を語りついでいるからだ。10年前のあの頃小田急第一代5000形が走っていたあの線路を想い受け継いだ第二代5000形が走り続けている。小田急5000形よ永遠に。
初代は御殿場乗入のディーゼルカーで、関鉄への譲渡後の1988年までに全廃となりました。その後2代目、3代目と代わり、これらは電車ですが、後者は最新のステンレス製で有ると思います。
今近鉄京都線沿線に住んでますが、8600系と小田急の旧5000形は音がそっくりです。見た目もなんとなく似てる気がします。以前乗ってましたが、やはり親近感が沸きますよ小田急。
コメントありがとうございます。個人的に近鉄は奥が深すぎてあまり興味を示さないようにしています(沼が深すぎる気がするので笑)。ちょっと気になって調べて聞いてみましたが確かに中速域からは似ていますね!乗ってみたくなりました。近鉄も特急車に力を入れていたり、親近感は沸きますよね。教えていただきありがとうございます。
2010年から地元の小田急を使い始めた自分(本厚木以西住み)はギリギリ乗ったことありますね3000形と併結した10両の急行新宿行きだった覚えがある...5000形はかつて貴重な冷房車だったけど、この時期(営団千代田線にも入る4000形が新しかった2010年)には5000形以外でも冷房付きが当たり前になってきた…
小田急と言えばこれやわ、やぱり
晩年、新松田~箱根湯本のシャトルランしてたとは知りませんでした
コメントありがとうございます。月1くらいは入っていたんじゃないかなと記憶しております。私は好んで良く撮影しに出掛けておりました。
少し短くなり、新宿方で後輩たちに従えられることになったが、箱根登山線を最後まで踏みしめることになった5255f、5256f、5258fは晩年何を思っただろうか…
コメントありがとうございます。短縮されたことにより、晩年まで箱根登山線へ入線できたことは嬉しい限りでしょうね。
6連全廃までは4000型で4連と一緒に置き換えれるけど4連新造しないでどうやって残った6本置き換えたの?
コメントありがとうございます。厳密な置き換え対象は調べないと分かりませんが、3000形中間4両増備車(現在の3090番台編成)がそれに当たっていたかと思います。
5000形=初代5000形を真っ先に思い浮かびます。
コメントありがとうございます。私もそのような認識なので“旧5000形”という表記を避けました。
5555だけ撮ってた。ライトは片目なのはよくわからん
いつも良い動画UPをありがとうございます。5000形(小田急的に、ガタと呼称したいです。)の懐かしい姿を見てると、これこそ小田急の車両と、いろいろと思い出します。発車時のライト点灯の時に、対向列車に配慮して減光(副灯と直列で両方点灯)で、その後主灯のみの減光解除状態になる場面を見て、分かる人には分かる懐かしポイントで嬉しくなりました。
いつもご覧いただきありがとうございます。着目点が流石ですね!「そうそう!こうだったよね〜」みたいに見ていただけると、とても嬉しいです。
引退から、既に12年経つのですね。5000形登場時の印象は、外観はまるっきり、2600形で、変わりばえしないその姿にちょっとがっかりしたものでした。登場の翌年、高校に入学し、動画にもある最寄り駅から電車通学が始まり、真新しい5000形に乗る機会も増え、新車の匂いには高揚感を覚えた記憶があります。また、最初からエアコン付き車両であり、車内の快適さは言うまでもなく、夏場は5000形に当たると小躍りして喜びました。登場時の2段窓は、それまでの小田急車同様、走行時にカタカタと音を立て、気になるところでしたが、1枚窓になってからは静粛性も向上しましたね。登場時のインパクトという点では、5000形の3年後に登場した9000形にはかないませんが、いわゆる小田急顔の車両で、まだまだ、非冷房の2400形などが活躍していた時代にあっては、高校〜大学の7年間の小田急通学時、5000形、9000形にタイミングよく乗ることが通学時帰宅時の楽しみでもありました。この動画を視ながら当時のこと色々思い出しました。貴重な動画ありがとうございます。
映像はN5000系の物語をまとめたものですが?ちなみに初代はJR東海への乗入用に製造されたディーゼルカー、2代目は幅広車体の白い通勤車両で有ると思います。
5555の映像が確認できなかったのが残念。なお、新5000形には5555がない。
コメントありがとうございます。5555号車側は中々縁がなく、この動画の期間内には撮影できませんでした。(6両時代には撮っていたはずです。)新5000形でも是非5555号車が復活して欲しかったですね。
確か、下り側先頭車が5455。モーター車が少ないのが原因のようです。
今とは違う個性的で、子供のころから社会人に成るまで人生を共に利用した車両なので思い入れはたくさんあります。列車種別が、急行、準急、各駅停車の3種類しかなかった時代には、主力であった。
幼い頃、大好きだった青いふかふかのシートに乗っていた頃を思い出します…
コメントありがとうございます。
後に8000形も全て更新されて青いシートは見納めとなってしまいましたね。
何故かは分からないけどこの顔を見た時に『謙虚』という言葉が浮かんだ
急行でバリバリ活躍してるトップランナーなのに、
顔はどことなくその威張り感を出さずに地味にやっておりますという風味を出してるように思えた
けど間違いなく一時代を築いた名車。
コメントありがとうございます。
謙虚…とっても分かりやすい表現ですね。最後まで各停から優等運用までをこなして、通勤通学輸送を全うしたと思います。
長い間、本当にありがとうございました😭
やっぱり5000は急行使用が一番かっこよいです
改めて見ると、やっぱりこれが小田急って感じます!
末期の頃、運用とか無知でしたけど撮影行く度に来ないか来ないかって待っていました。
コメントありがとうございます。
当時は今のように容易に運用情報を入手できなかったですからね。
その分、待っていて来た時の喜びはあったのではないでしょうか。懐かしいです。
5200形の他形式とは違う独特のドアチャイム好きだった人おらん?
幼い頃の記憶の中でもこの車両を新宿駅で見かけた記憶だけは鮮明に覚えています
貴重な映像ありがとうございます!
コメントありがとうございます。
自分もNSE車などがそのような記憶なので、同じように感じて見て頂けると幸いです!
大学時代はお世話になりました。大野での2400形との分割併合、相模っ原以遠の100km/h超え運転、アルストム台車の乗り心地、深めの座布団奥行き、嗚呼、どれをとっても懐かしい‼️
コメントありがとうございます。
独特の乗り味、今では中々味わえないですよね。昔は当たり前だった相模大野での分割併合も、今ではどこでも行われなくなってしまい残念ですね。
5000形は名車。今でもあの青いシートを思い出す。
幼稚園の年長の時にサヨナラ運行のポスター見て見に行ったわ
幼少時に大好きだった車両。思い出に浸りました。
撮影アングル、音全てに並々ならぬこだわり(美学)を感じる良い動画。
身に余るコメントをありがとうございます。
もっと動画に拘っていたらもっと良い画が撮れていたのに…と後悔しておりますが、我ながら思い入れのあった車両でした。
3000と5000の組み合わせは衝動がやばかった。
でも5000側の放送スイッチ「後車、一斉」を一緒に押しておくと自動放送流れている時ランプがついてわかりやすかったの懐かしいわ。
通学で利用しており、2200形、2400形、2600形、4000形が走るなか5000形が来ると何故か嬉しかったことを覚えています。
ありがとう5000形。
コメントありがとうございます。
当時だと、貴重な冷房車でもありますからね。
自分も通学で利用する際は、あえて新宿方に並び来るのを期待しておりました。
はじめまして、多分、同世代の方?ですね😅
まったく同感でした。
帰宅時の新宿駅、わざわざ何本かやり過ごしてでも、5000形が来るのを待ったものでした。
また、夏場の非冷房2200形は、帰宅時は今思うと地獄でしたね(笑)
2400形の1両だけ冷房車ってのも有りましたよね😆@@mercy-nm1uu
@@aibonist そうでしたね。
冷房試験車?で、2400形小田原寄りの先頭車1両のみ冷房がついてました。
@@aibonist 冷房試作車、クハ2478号でしょうか。
冷房の箱を5つ乗せた車両で、16m級だった故に夏場は冷房が効きすぎて寒かったと聞いてます。
こう考えると3000型も古くなりましたね
コメントありがとうございます。
1次車に関しては落成からまもなく23年ですからね。長く製造されていただけあって古さを感じられませんね。
小田急5000形の歴史が途切れることはないと思う。
なぜなら多くのファンたちがこのように名車を語りついでいるからだ。
10年前のあの頃小田急第一代5000形が走っていたあの線路を想い受け継いだ第二代5000形が走り続けている。
小田急5000形よ永遠に。
初代は御殿場乗入のディーゼルカーで、関鉄への譲渡後の1988年までに全廃となりました。
その後2代目、3代目と代わり、これらは電車ですが、後者は最新のステンレス製で有ると思います。
今近鉄京都線沿線に住んでますが、8600系と小田急の旧5000形は音がそっくりです。見た目もなんとなく似てる気がします。以前乗ってましたが、やはり親近感が沸きますよ小田急。
コメントありがとうございます。
個人的に近鉄は奥が深すぎてあまり興味を示さないようにしています(沼が深すぎる気がするので笑)。
ちょっと気になって調べて聞いてみましたが確かに中速域からは似ていますね!乗ってみたくなりました。近鉄も特急車に力を入れていたり、親近感は沸きますよね。
教えていただきありがとうございます。
2010年から地元の小田急を使い始めた自分(本厚木以西住み)はギリギリ乗ったことありますね
3000形と併結した10両の急行新宿行きだった覚えがある...
5000形はかつて貴重な冷房車だったけど、この時期(営団千代田線にも入る4000形が新しかった2010年)には5000形以外でも冷房付きが当たり前になってきた…
小田急と言えばこれやわ、やぱり
晩年、新松田~箱根湯本のシャトルランしてたとは知りませんでした
コメントありがとうございます。
月1くらいは入っていたんじゃないかなと記憶しております。私は好んで良く撮影しに出掛けておりました。
少し短くなり、新宿方で後輩たちに従えられることになったが、箱根登山線を最後まで踏みしめることになった5255f、5256f、5258fは晩年何を思っただろうか…
コメントありがとうございます。
短縮されたことにより、晩年まで箱根登山線へ入線できたことは嬉しい限りでしょうね。
6連全廃までは4000型で4連と一緒に置き換えれるけど4連新造しないでどうやって残った6本置き換えたの?
コメントありがとうございます。
厳密な置き換え対象は調べないと分かりませんが、3000形中間4両増備車(現在の3090番台編成)がそれに当たっていたかと思います。
5000形=初代5000形を真っ先に思い浮かびます。
コメントありがとうございます。
私もそのような認識なので“旧5000形”という表記を避けました。
5555だけ撮ってた。ライトは片目なのはよくわからん
いつも良い動画UPをありがとうございます。5000形(小田急的に、ガタと呼称したいです。)の懐かしい姿を見てると、これこそ小田急の車両と、いろいろと思い出します。発車時のライト点灯の時に、対向列車に配慮して減光(副灯と直列で両方点灯)で、その後主灯のみの減光解除状態になる場面を見て、分かる人には分かる懐かしポイントで嬉しくなりました。
いつもご覧いただきありがとうございます。
着目点が流石ですね!「そうそう!こうだったよね〜」みたいに見ていただけると、とても嬉しいです。
引退から、既に12年経つのですね。
5000形登場時の印象は、外観はまるっきり、2600形で、変わりばえしないその姿にちょっとがっかりしたものでした。
登場の翌年、高校に入学し、動画にもある最寄り駅から電車通学が始まり、真新しい5000形に乗る機会も増え、新車の匂いには高揚感を覚えた記憶があります。
また、最初からエアコン付き車両であり、車内の快適さは言うまでもなく、夏場は5000形に当たると小躍りして喜びました。
登場時の2段窓は、それまでの小田急車同様、走行時にカタカタと音を立て、気になるところでしたが、1枚窓になってからは静粛性も向上しましたね。
登場時のインパクトという点では、5000形の3年後に登場した9000形にはかないませんが、いわゆる小田急顔の車両で、まだまだ、非冷房の2400形などが活躍していた時代にあっては、高校〜大学の7年間の小田急通学時、5000形、9000形にタイミングよく乗ることが通学時帰宅時の楽しみでもありました。
この動画を視ながら当時のこと色々思い出しました。
貴重な動画ありがとうございます。
映像はN5000系の物語をまとめたものですが?
ちなみに初代はJR東海への乗入用に製造されたディーゼルカー、2代目は幅広車体の白い通勤車両で有ると思います。
5555の映像が確認できなかったのが残念。なお、新5000形には5555がない。
コメントありがとうございます。
5555号車側は中々縁がなく、この動画の期間内には撮影できませんでした。(6両時代には撮っていたはずです。)
新5000形でも是非5555号車が復活して欲しかったですね。
確か、下り側先頭車が5455。モーター車が少ないのが原因のようです。
今とは違う個性的で、子供のころから社会人に成るまで人生を共に利用した車両なので思い入れはたくさんあります。
列車種別が、急行、準急、各駅停車の3種類しかなかった時代には、主力であった。