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衝撃だったな〜【ジャイアントスモールパッケージホールド】今でもハッキリ覚えてる
これぞ二律背反の極み😂ですね。広辞苑の例文にしたいくらいの。
ハンセンのラリアットを16文カウンターで返して、動揺したハンセンを丸め込んだんですよね。ハンセン戦の初のフォール勝ちに感動しました。今でもハッキリ記憶に残ってますね!あと、新日本が主戦のペドロモラレスとも、タイトル戦をしていたのは以外でした。
最近流行りの矢鱈と裏事情を暴く系の動画と違って、素直に当時の気分に戻って楽しむ事が出来ました。有難うございます。
PWFベルトのデザインは素晴らしいですね。私にとってプロレス、ボクシング問わずこのベルトがベスト。
ロビンソン、カマタとの三つ巴のタイトル争いは面白かったです。ハーリーレイスがロープ越しにバックドロップで馬場をごぼう抜きにしたが、馬場がロープを蹴ってそのままホールした試合もありました。
馬場VSトーア。カマタTVで見てました。記憶では馬場がカマタの首にロープまいて首締めで反則負け。しかしカマタの顔が青く変色してたようにみえました。当時子供の僕は「あぁ馬場さんって怒らすと怖いんだ」って素直に思ったものでした。
全然畑違いchですが根は熱狂的プロレスファンw いつも楽しみに見ております。これからもがんばりましょう!
ありがとうございました、ロマンありますね😃スナイダーはホントよく分からないし語られていないですよね?馬場と引き分けたのも驚きですが、最強の馬場猪木組からインタタッグをダッシュした3チームのうちの一人でもありますね、スゴいです。キラーカールコックスはザ・スピリットでしたね?当時のゴングが来日前に「覆面レスラー、スピリットは誰だ?」と2ベージ遣っておりました。スピリットのバチカル式のブレーンバスターを見て、ラシクは使い、マードックは当分は使うのを禁じていたとか。ヒールを挟む善玉チャンプ!サンマルチノ→コロフ→モラレス→スタジャック→サンマルチノ。でも最初のサンマルチノは過去最もカッコよかったネイチャーボーイから奪取しているのはニューヨークの罪ですね?そしてサンマルチノはニューヨーク時代に親交を深めた馬場が日本で独立したとき「日本にはお前が乗れる車がないだろう」とキャデラックをプレゼントしたのはホントだったんですかね?いやぁ、ホント素敵なお話をありがとうございました。
お疲れ様です😌💓カマタに敗れた試合観てましたよ。えっ👀⁉️馬場さんの敗けぇ❗んなバカなぁでしたね。カマタが物凄く喜んでいたと思いますね。馬場さん。確か力が抜けたみたいになってましたよね。国際でのインターナショナル選手権にはそんなこんな話が有ったんですね。国際のマット上でインターナショナル選手権はやれないだろって思ってましたね。それをテレビマッチにしてしまった吉原さん。ある意味凄いですよね。
国内戦用とアメリカ遠征用と2本ベルトを製作して、アメリカ遠征用はドリーに預けておいたら、ドリーが勝手にベルト使って防衛戦していたのはウケました。
馬場が自分のベルトと愛した(?)PWFのベルトを後年長州が巻いた時、当時驚いたのと同時に他の各ベルトと上手く使い分けていたのかなぁと思いました🤭
一時期PWFの本部は、馳浩の携帯電話の中と言われてたよねw
ロード・ブレアースさんのタイトル宣言誰も聞いてない事が多くてかわいそうでした
いつも最後に日本語でドウモーアリガトウゴッザイマースって言ってましたね。
私にとって馬場さんの戦歴がPWFヘビー級王座の歴史で、当時猪木さんのスタイルより重みを感じるファクターでした。今でも興奮する動画ありがとうございます。🙂
どこが?
妖怪人間ベムのヤツが入っていて嬉しくなります。
馬場に包まれたら身動きできないよ~。ある意味、最強のフィニッシュホールド。
PWFはロードブレアース会長のタイトル認定宣言が印象深いです😊歴代の会長はロードブレアースの後はスタン・ハンセン~馳浩で、現在はドリー・ファンクJr.ですね。
カマタちゃんを下したビリーのツームストンを初めて見て、この技を知りました。印象深いのはレイスのコーナーからの垂直落下式ダイビングヘッド!説得力がありすぎて、決まった瞬間おわった~と思いました。セントルイスのチェッカードームでリベンジしたが、フィニッシュのランニング~は破壊力ありましたね。レイスが空中で引きずられていたし、観客もため息をついていた。ちなみに、あのベルトってテーズのNWAと力道山のインターとデストロイヤーのWWAと区別がつきませんでした。
ロビンソンがカマタを破ったのは、ワンハンドバックブリーカーだったと記憶してましたが、、、
@@b.f.skinner8627その通りでワンハンドバックブリーカーです
す 垂直落下ですか? レイスはトペアトミコは使わなかったと思いますが
外から失礼します。馬場さんは、PWFのベルトを力道山家から寄贈されたインタナショナルベルトのデザインをベースにされたそうです😊なのでデザインは似ています😀
馬場さんがこだわりで作ったんだな~って感じました。他の2本のベルト(UNヘビー、インターナショナルヘビー)の解説も楽しみにしてます。( ´∀`)
UN選手権、インターナショナル選手権、PWF選手権に3冠統一ヘビー級選手権となる前にそれぞれを就いたのはジャンボ鶴田さんのみでした。
主さん、渋い良い声してますね。編集もうまいですね。
馬場はマスカラスの集客力は認めてもタイトルマッチの相手としてはスルーしてしまいましたが、ノンタイトルでも1度は観たかったのです!ノンタイトルで負けてタイトルマッチで勝てばOKだと思います!
カマタを国際から引き抜くように移籍させた際、カマタは正直に吉原代表に「全日本に行きたいんだ」と相談したところ、人の良い吉原氏は馬場さんに「カマタに良い扱いをお願いします」と連絡したそうです(国際で活躍したカマタが全日本で活躍できないと国際の面目が潰れることもあったでしょうが)。カマタは「こんなプロモーター見たことない」と驚きと感謝の念を抱いたとか。馬場さんはそんな吉原氏の気持ちを汲んでカマタに花を持たせたのではないかと思っています。
だとしたら、ド級の花束ですね
PWFヘビー級選手権争覇戦で全勝ってのが八百長バレバレです! サンマルチノとシュナイダーのドローはまぁそんなところかって良いアングルですネ! ラストのボボ・ブラジルは3ヶ月前に日本プロレスで大木金太郎に負けたばかりですから、ここはシークまたはブルーザーの方がインパクトが強かったと思いました!
おおっ、久しぶりにこのBGM!テンション上がって大好きです。ちなみになんという曲名なのですか?
小学生の頃「力道山ゆかりのベルト」の意味が分かりませんでしたが、40年以上経った今でも正直よく意味が分かりません。
トーアカマタは国際プロからの引抜きで無かったでしたか。当時馬場さんが腰を痛めていたことやロビンソンに直接負けたくない事から間に挟んだというものですかね。
鶴田が三冠統一で初の戴冠!鶴田はPWF単体へ挑戦自体あまりなかったような。三冠統一✨統一へ一時期盛り上がったががその後を考えると3本バラにしていたほうがプロレス的にはよかった。三冠統一だと挑戦者も限られ同じようなカード。3本のベルト統一しないほうがよかった。
世界最高峰と言われたNWA王者が全米レスリングウォーの影響でなかなか来日しなくなった。それでもなんとかフレアー招聘のメドがたっても土壇場でローデスやロニー・ガービンやスティムボートに王座が移り、不誠実な対応をされた。馬場はもうNWA王座を世界最高峰として扱えなくなったと悟り、それに替わるぜったいてきな価値観をもったタイトルが必要になったのも、三冠統一の理由ではないかと。。
記憶が確かなら言い出しっぺは天龍だったような当時の流れからすると3冠統一は避けられなかったと思います
@@daikon404 言われるとうりその時のムードから統一!避けられなかった。結果複数ベルトあったほうがプロレス的に○のように思います。誰かが統一しなければおさまらない情勢でした。
馬場がレイスから奪回した試合の場所が間違ってます。キールオーデトリアムではなくて、同じセントルイスのチェッカードーム(後のジ・アリーナ)です。この日は、フレアーvsブロディのNWA戦を含む強気ラインナップでやく20000人収容のチェッカードームで年1回ぐらいのスーパービッグマッチの日でした。
馬場がハンセンをスモールパッケージホールドでタイトルを奪還した試合が印象に残っています。もう馬場はハンセンには勝てないと思っていたので、意外なフィニッシュホールドにとても驚きました。
倉持さんが泣きながら実況していた気が、、、
あまりにスローモーなスモールパッケージで全く説得力がありませんでした。
ウエスタンラリアートを16文キックで切り返したシーンは、衝撃を受けました!
こういう勝ち方ならハンセンに傷はつかないからそうしたんでしょうね。特にハンセンとブロディには負けるときは豪快な必殺技を食らって負け勝つときは丸め込みやどさくさ紛れのフォール勝ちにして相手に傷をつかないようにしてました。ハンセンとブロディと言えばタッグの時に「ハンセンがラリアットで倒れたところにブロディがニードロップ」で豪快に負けました。
@@SY-rk1sf 当然でしょうね。ハンセンやブロディが峠を越えている馬場より弱いと思われたら、猪木さんに勝てるはずがないということになりますから。馬場が日プロ末期に衰えを見せた時にさっさと負けて引退し、猪木さんに後を任せてプロモーターに専念していれば分裂もその後の混乱も避けることができた、と思っています。そうならなかったのは日テレの意向が最大の理由でしょう。
まさかのKTカマタに、反則負けでPWFを奪われたときはびっくりしました😮
当時はカマタ?,誰やそれって感じでしたね。その後,ロビンソン〜ブッチャーの流れは全日らしい流れで、オールドファンには語り草のストーリーです。
@@hayataka104014さん、ご返信ありがとうございます‼️同感です😀
鶴田の初戴冠は長州、天龍より後だったの今更気がつきました。意外です。カマタが獲った時はまだプロレス見てなかったのですが、当時かなりのインパクト与えてそうですね。レインメイカーショックの数倍ありそうw
プロレス放送が深夜になり更に地方では放送が無くなったころカマタ~ロビンソンの抗争が勃発。人気が落ち込んだ全日が試行錯誤していた時代ですね。
NWA世界にも輝いてますが、馬場さんの腰にはPWFベルトがいちばん似合いますね。ところで、同じタイトルを38度防衛したのは、ボクシング等あらゆる格闘系タイトルの中でも、もしかしたら最高記録ではないかと。知識不足ではありますが、そこまで防衛記録延ばした例を他に耳にしないもので。
ハンセンとの最初の戦いでテレビを見ながらアリスのチャンピオンを奏でながら見てたのを思い出す❗
まさに!よく分かりますww
特筆すべき点はハンセン。新日時代に猪木さんからNWF。全日では馬場さんからPWFと両巨頭から王座を奪っていること。また、馬場さんにスモールパッケージを決められたのと同じく、輪島さんからこの技で三度戴冠しました!
三冠王座となりましたが今でも残っているタイトルですね。そしてPWFことパシフィックレスリングフェデレーションという名称は存続しておりPWF会長はいらっしゃいます。
PWFの挑戦者達の豪華すぎる顔ぶれは圧巻如何に御大のプロモーターとしての(政治)力が凄かったのかを思い知らされるしかしハンセンは二度もスモールパッケージで奪取されてるのか、しかも馬場と天龍って…いや、この2人でも丸め込みでもしなければ奪えないほどハンセンに凄みがあったという事か
馬場より弱いのは婆あだけ
外から失礼します。PWFでは有りませんがハンセンはジャンボ鶴田さんにもスモールパッケージホールドでインターナショナル選手権を奪還されてましたね。
百田家が持っていたインターベルトも2代目王者の力道山がルー・テーズからベルトを借りて複製させた物。後々にテーズが その”オリジナル”インターベルトをUWFインターに貸し出し、高田が”プロレスリング世界ヘビー級王座者”として防衛戦を行いました。
Pwf 、挑戦者スゴいんだけどNWFの方が興味あるかなー。 一応四大タイトルだった時もあるので。全盛期はnwa やwwwf の有名どころをブッキングしながらnwa に加盟せず世界タイトルのままだった、このベルトを手にしたことは新日関係者にとっては一定の喜びがあったでしょう。僕にとっても、結構いい年まで、たいしたものだと思ってましたまっ、後でいろいろ真相がわかるのですが。それでもアメリカのタイトルで謎が多くしかも日本にきたこともあって、今でも関心ある人多いことでしょう。昭和49年ころPwf タッグチャンピオンをニュージーランドかオーストラリアで名乗りたいと言ったレスラーがいたらしいけど、南半球タイトル等を機能させ、pwf のローカルタイトルを複数持つ環太平洋を仕切る大pwf みたいなものが完成すればロマンあってよかったんですけどね。馬場がnwa チャンピオンみたいに太平洋中心に遠征するとかね。いろいろ難しいでしょうけど(笑)、南半球には興味あったみたいですね。あまり最近、馬場に対していいこと言ってないので、ここでひとつ。僕の世代は猪木がカッコいい、強そう、人気抜群っていうものを経験しましたが、今回馬場の特集で、僕が馬場好きだからいうわけでなく、実際試合したら馬場有利の展開になった気がしますね。今思うと。当時は思ってなかったです(笑)昭和57年ころでも馬場猪木が実現したら馬場ハンセンの初対決みたいに、えっ‼️って感じになったのでは。
今回はラジオじゃないんですね。つまり、猪木・テレビ朝日関連だけラジオ版になるんですか?
馬場がレイスからPWFを奪還したのはチェッカードームだったよね
1973年4月のザ・シークと初防衛戦と2度目をプランニングしたのはチョッと容易でしたネ!…一発勝負で良かったのでは?…サンマルチノ、テリー、ブッチャー、デストロイヤー、シュナイダー、ジョナサン、オコーナー、ブラジルを破った功績は認めても良いと思いますね…まぁ八百長なのは当たり前ですが!…どのチャンピオンベルトも最初はそんな経過は同じだと思いますし…その後もエリック、ブルーザー、キニスキー、ドリー、レイス、ブリスコ、モラレス、ロビンソン、マクダニエル等ですから馬場としては日本プロレス時のインターナショナルヘビー級選手権と同等かそれ以上のハクが付いたのでは!
たんなるロードブレアースさんのお家ですよね
実は猪木さん以前にNWF王者でもあったブッチャー
実は馬場さんはNWAベルトよりもPWFベルトを大事にしたんだな。世界の最高権威と言われたNWAベルトを賭けた試合は不思議と鹿児島、佐賀、滋賀県大津、帯広(記憶違いならスミマセン)とかで「なんだか扱いが軽いな~」とも感じた。馬場さん絡む試合で大会場(蔵前、日本武道館、大阪府立体育館等)見たことないしお茶を濁すレベルの扱いだったわな
NWA王者のスケジュールの関係もあったのですが、ブッカ―のドリーが巡業コースを把握してなくて無頓着なのと、全日が、日テレとの包括契約で安く借りられた両国日大講堂が老朽化で借りられなくなってからは、東京ビッグマッチが減りました。77年~81年前半は最強タッグ最終日以外は蔵前も都体育館も武道館もやってませんね。81年後半からちょっと強気に出てきましたけどね。
細かい事ですが、レイスから奪回したのはセントルイスチェッカードームじゃないでしょうか?いずれにしてもレイスのメインテリトリーでピンフォールで奪回したのは馬場の政治力のなせる業ですね。
リターンマッチ延期して上田馬之助と対決していますよね❗🤗
昭和53年当たりからPWF戦に集客力がなくなった感じだ!
「PWFが認定しNWAが認可する.....」ですね。懐かしいです😊
NWAが認可しPWFが認定する❗やな🎵
しかしこのマニアックな動画😂 若い人ポカーンじゃあ(笑)やはり馬場さんがホルダーで、全日エース級外人が挑むことで、それらしいタイトルになってたよね👑 なんかローカルプロレスぽいところがいいよなあ。猪木のiwgpはぶち上げすぎたというか…もっともこちらはいまでも立派な権威だけど。
3冠だが、永田裕志さん何代目かな?ネクストジャンボ鶴田さんに見える永田裕志さん。
サンマルチノがチャンプだった時期のWWWFは、PWFと同じくNWA会員だったため「世界」は外れていた。外れていた時期は、1971年2月8日から1979年3月1日。アメリカでは3大チャンプには間違いなかったけれど、ザックリ言えばNWA傘下のダブルタイトル戦。NWAとのタイトルとのダブルとは些か意味合いが違う。
PWFは全日版のIWGPでしょうか。^o^
NWFですね
@@romanlive 時期としてはNWFですが、NWFはもともとアメリカ四番目のタイトルを猪木さんがパワーズから奪取、買取?したもの。PWFは馬場さんが新たに設立した団体で10人での争奪戦で初代王者になりました。猪木さんがIWGPはじめた際に、ドリーはじめ全日のレスラーは、猪木の為のタイトルとか批判してたけど、馬場さんも過去同じ事してたという。^o^
@@Nao98ya様PWFは強豪10名での争奪戦後に新設したタイトルでしたがIWGPはNWA、WWFにも勝る「統一」世界タイトルを謳ってましたから少々異なりますね。
インターは力道山一代限りのNWA認可 死後はjwp認定と理解していましたが、話しを聞いていると、なんか違う感じですが
後継王座にするはずだったWWA王座をストロンボーが譲渡拒否したからね。
PWF本部はハワイ、ホノルルのロードブレアースさんの自宅w
馬場対ウイリーウイリアムス戦を見たかった。おそらく馬場が16文キックや脳天チョップで完勝したと思う。
晩年にFMWにあがったウイリーですからねw、意外にプロレス流のお付き合いをするかも😂😂😂
カマタは、プロレスをしないから馬場が激怒した感じですね。ブッチャーとは大違い。と思いましたが台本ですかね
ブレアースさんは、日プロ時代に来日されてましたが、馬場さん個人と仲が良かったのでしょうか?どなたが縁を取り持ったのでしょうかね⁉️ロビンソンさんは、ブレアースさんと親戚関係だったこともあっての新日対策だったのでしょう❗️プロレスもボクシングも所謂興業なのでタイトル管理事務所は個人事務所のオフィス。日本人的には、インターがPWFより格上扱いだが、当時のNWAとしては、日本のメンバーである馬場さんのオフィス、全日=PWFなので団体の看板タイトルはPWFになってしまう。
PWFのベルトってどこに発注したんでしょうね?いまやサイドバックルをチェーンで繋いたタイプのベルトは、管理や保存が難しいから新調されなさそうだが、個人的にはこの手のクラシカルなデザインが好きだから、仮に「世界」の権威がなくても欲しいベルトの一つですね。
昔、アントニオ猪木は米国でブーイング。ジャイアント馬場は米国で馬場コールのわけが分かったような気がする。
ハンセンから反則勝利ながらも、長州がPWF王座を初戴冠した試合が印象に残っています
長州は、インタータッグは負けて(谷津が天龍にフォール負け)全日本に返したんだからPWFも反則負けでいいから、試合して返すべきだったよな。
誰かさんとマネージャーが大金払って買ってきたNWFタイトルとは大違い。
大木さんからインター、カブキさんからUNを引っ剥がし「ヲマエの物はヲレの(団体の)物」なジャイアン馬場🤣🤣🤣(←隠れ猪木ファンなK持氏が実況でわざと間違え🤣🤣🤣🤣🤣)
@@maruhiroya417 実力も人気も華ない二流が持ってても宝の持ち腐れだろ🤣🤣🤣
バディロジャースを招聘してほしかったな!
馬場さんは、3回度NWA世界を取りましたが、いずれも短命レンタルストーリーだったのは、ファンにはみえみえ過ぎたアングルでした。
新日本では、NWF戦の時に仰々しく国歌吹奏をやっていた。全日本は、そんな面倒なことはしなかった。純粋なスポーツではないエンタメのプロレスとしては正しい姿勢。新日本の方か偽善的だ。
じゃ、タイトルマッチもやらなきゃいい
@@mmzero7732 タイトルマッチは興行上、必要だろう。世の中には、プロレスをスポーツとして見たい人もいるから。それ程、プロレスは奥深いものと美化しつつ、ビジネスとしても成り立ってきた。
@@献一川崎整合性が無いんじゃないの?って言ってるんだけどエンタメなのに、国歌吹奏は偽善的でも、タイトルマッチはやる、スポーツとして見る人もいるから?w
@@mmzero7732 当時の全日本ファンとしては、タイトルマッチは興行上もありだけど、ブックがあるんだから新日本の国歌吹奏は、やり過ぎということ。国を代表して競うような真剣勝負に見せかける新日本があざとい。
全日本を作ってからは現役を退けば良かったのに
PWFって何?今は誰がチャンピオンなの?
PWFなんて あまりにもインチキタイトルですね(笑)
所詮、全日本の極東ローカルタイトルでは。
ろくに練習せずに衰えた体を晒すのが見るに耐えなかった。インター王座は馬場が権威をつけるのに貢献したが、PWFは全然権威がつくことがなかったのはそのため。NWFがローカルタイトルだったのに猪木さんのおかげで権威が高まったのとは雲泥の差。
練習しないと言えば、かの自宅マンションの地下は何だったんでしょうね、もしかしたらそのマンション自体が嘘だったんでしょうね。
@@maruhiroya417 まあ鶴田をはじめとした全日の選手は基礎体力や受け身の練習はしていたでしょう。しかしそれはショーとしてのプロレスをするためのもので、ガチの技術は何ら練習していなかったことをカブキや田上が証言しています。カブキはヘビー級としては小柄だったためナメられないよう日プロ時代に練習をしていたのがアメリカ遠征で生きたと言っています。
@@フジヤマケンゾー 「怪我人が出たら困る」という屁理屈でガチスパを禁止してたんですよね、代官山仕込みのカブキさんはともかく田上さんに言われてるようじゃ😅あの大仁田でさえ「砧よりも修業で行ってた海外の方がもっと練習出来てた」と言ってたぐらいですし。そう言えば、ゆりさんのチャンネルでフジヤマさんがシンから聞いた話に触れたら「嫉妬交じりの与太話を鵜呑み🤣」とバカにするResがありましたのでシメといてください。
@@フジヤマケンゾー 「ガチ練はケガをするから禁止」ってどんだけチキンなんでしょうね🤣そもそも、砧のアレも道場じゃなく「合宿所」だったそうですからね。馬場全日OBの殆どが「砧よりも修行先のジムの方が本来の練習が出来た」というのは明らかな「練習軽視」の証明ですね。
所詮、八百長だろう。プロレスはショーなのよ。格闘技じゃないのよ
ヤヲは必要悪
八百長!?なんて言葉はもう死語やで。
衝撃だったな〜【ジャイアントスモールパッケージホールド】
今でもハッキリ覚えてる
これぞ二律背反の極み😂ですね。広辞苑の例文にしたいくらいの。
ハンセンのラリアットを16文カウンターで返して、動揺したハンセンを丸め込んだんですよね。ハンセン戦の初のフォール勝ちに感動しました。今でもハッキリ記憶に残ってますね!
あと、新日本が主戦のペドロモラレスとも、タイトル戦をしていたのは以外でした。
最近流行りの矢鱈と裏事情を暴く系の動画と違って、素直に当時の気分に戻って楽しむ事が出来ました。有難うございます。
PWFベルトのデザインは素晴らしいですね。私にとってプロレス、ボクシング問わずこのベルトがベスト。
ロビンソン、カマタとの三つ巴のタイトル争いは面白かったです。
ハーリーレイスがロープ越しにバックドロップで馬場をごぼう抜きにしたが、馬場がロープを蹴ってそのままホールした試合もありました。
馬場VSトーア。カマタTVで見てました。記憶では馬場がカマタの首にロープまいて首締めで反則負け。しかしカマタの顔が青く変色してたようにみえました。当時子供の僕は「あぁ馬場さんって怒らすと怖いんだ」って素直に思ったものでした。
全然畑違いchですが根は熱狂的プロレスファンw いつも楽しみに見ております。これからもがんばりましょう!
ありがとうございました、ロマンありますね😃
スナイダーはホントよく分からないし語られていないですよね?
馬場と引き分けたのも驚きですが、最強の馬場猪木組からインタタッグをダッシュした3チームのうちの一人でもありますね、スゴいです。
キラーカールコックスはザ・スピリットでしたね?当時のゴングが来日前に「覆面レスラー、スピリットは誰だ?」と2ベージ遣っておりました。スピリットのバチカル式のブレーンバスターを見て、ラシクは使い、マードックは当分は使うのを禁じていたとか。
ヒールを挟む善玉チャンプ!サンマルチノ→コロフ→モラレス→スタジャック→サンマルチノ。でも最初のサンマルチノは過去最もカッコよかったネイチャーボーイから奪取しているのはニューヨークの罪ですね?
そしてサンマルチノはニューヨーク時代に親交を深めた馬場が日本で独立したとき
「日本にはお前が乗れる車がないだろう」とキャデラックをプレゼントしたのはホントだったんですかね?
いやぁ、ホント素敵なお話をありがとうございました。
お疲れ様です😌💓カマタに敗れた試合観てましたよ。えっ👀⁉️馬場さんの敗けぇ❗んなバカなぁでしたね。カマタが物凄く喜んでいたと思いますね。馬場さん。確か力が抜けたみたいになってましたよね。国際でのインターナショナル選手権にはそんなこんな話が有ったんですね。国際のマット上でインターナショナル選手権はやれないだろって思ってましたね。それをテレビマッチにしてしまった吉原さん。ある意味凄いですよね。
国内戦用とアメリカ遠征用と2本ベルトを製作して、アメリカ遠征用はドリーに預けておいたら、ドリーが勝手にベルト使って防衛戦していたのはウケました。
馬場が自分のベルトと愛した(?)PWFのベルトを後年長州が巻いた時、当時驚いたのと同時に他の各ベルトと上手く使い分けていたのかなぁと思いました🤭
一時期PWFの本部は、馳浩の携帯電話の中と言われてたよねw
ロード・ブレアースさんのタイトル宣言
誰も聞いてない事が多くてかわいそうでした
いつも最後に日本語でドウモーアリガトウゴッザイマースって言ってましたね。
私にとって馬場さんの戦歴がPWFヘビー級王座の歴史で、当時猪木さんのスタイルより重みを感じるファクターでした。今でも興奮する動画ありがとうございます。🙂
どこが?
妖怪人間ベムのヤツが入っていて嬉しくなります。
馬場に包まれたら身動きできないよ~。
ある意味、最強のフィニッシュホールド。
PWFはロードブレアース会長のタイトル認定宣言が印象深いです😊歴代の会長はロードブレアースの後はスタン・ハンセン~馳浩で、現在はドリー・ファンクJr.ですね。
カマタちゃんを下したビリーのツームストンを初めて見て、この技を知りました。印象深いのはレイスのコーナーからの垂直落下式ダイビングヘッド!説得力がありすぎて、決まった瞬間おわった~と思いました。セントルイスのチェッカードームでリベンジしたが、フィニッシュのランニング~は破壊力ありましたね。レイスが空中で引きずられていたし、観客もため息をついていた。ちなみに、あのベルトってテーズのNWAと力道山のインターとデストロイヤーのWWAと区別がつきませんでした。
ロビンソンがカマタを破ったのは、ワンハンドバックブリーカーだったと記憶してましたが、、、
@@b.f.skinner8627その通りでワンハンドバックブリーカーです
す 垂直落下ですか? レイスはトペアトミコは使わなかったと思いますが
外から失礼します。馬場さんは、PWFのベルトを力道山家から寄贈されたインタナショナルベルトのデザインをベースにされたそうです😊なのでデザインは似ています😀
馬場さんがこだわりで作ったんだな~って感じました。
他の2本のベルト(UNヘビー、インターナショナルヘビー)の解説も
楽しみにしてます。( ´∀`)
UN選手権、インターナショナル選手権、PWF選手権に3冠統一ヘビー級選手権となる前にそれぞれを就いたのはジャンボ鶴田さんのみでした。
主さん、渋い良い声してますね。
編集もうまいですね。
馬場はマスカラスの集客力は認めてもタイトルマッチの相手としてはスルーしてしまいましたが、ノンタイトルでも1度は観たかったのです!ノンタイトルで負けてタイトルマッチで勝てばOKだと思います!
カマタを国際から引き抜くように移籍させた際、カマタは正直に吉原代表に「全日本に行きたいんだ」と相談したところ、人の良い吉原氏は馬場さんに「カマタに良い扱いをお願いします」と連絡したそうです(国際で活躍したカマタが全日本で活躍できないと国際の面目が潰れることもあったでしょうが)。
カマタは「こんなプロモーター見たことない」と驚きと感謝の念を抱いたとか。
馬場さんはそんな吉原氏の気持ちを汲んでカマタに花を持たせたのではないかと思っています。
だとしたら、ド級の花束ですね
PWFヘビー級選手権争覇戦で全勝ってのが八百長バレバレです! サンマルチノとシュナイダーのドローはまぁそんなところかって良いアングルですネ! ラストのボボ・ブラジルは3ヶ月前に日本プロレスで大木金太郎に負けたばかりですから、ここはシークまたはブルーザーの方がインパクトが強かったと思いました!
おおっ、久しぶりにこのBGM!テンション上がって大好きです。ちなみになんという曲名なのですか?
小学生の頃「力道山ゆかりのベルト」の意味が分かりませんでしたが、40年以上経った今でも正直よく意味が分かりません。
トーアカマタは国際プロからの引抜きで無かったでしたか。
当時馬場さんが腰を痛めていたことやロビンソンに直接負けたくない事から間に挟んだというものですかね。
鶴田が三冠統一で初の戴冠!鶴田はPWF単体へ挑戦自体あまりなかったような。三冠統一✨統一へ一時期盛り上がったががその後を考えると3本バラにしていたほうがプロレス的にはよかった。三冠統一だと挑戦者も限られ同じようなカード。3本のベルト統一しないほうがよかった。
世界最高峰と言われたNWA王者が
全米レスリングウォーの影響でなかなか来日しなくなった。
それでもなんとかフレアー招聘のメドがたっても
土壇場でローデスやロニー・ガービンやスティムボートに王座が移り、
不誠実な対応をされた。
馬場はもうNWA王座を世界最高峰として
扱えなくなったと悟り、
それに替わるぜったいてきな価値観をもったタイトルが必要になったのも、
三冠統一の理由ではないかと。。
記憶が確かなら言い出しっぺは天龍だったような
当時の流れからすると3冠統一は避けられなかったと思います
@@daikon404 言われるとうりその時のムードから統一!避けられなかった。結果複数ベルトあったほうがプロレス的に○のように思います。誰かが統一しなければおさまらない情勢でした。
馬場がレイスから奪回した試合の場所が
間違ってます。
キールオーデトリアムではなくて、
同じセントルイスの
チェッカードーム(後のジ・アリーナ)です。
この日は、フレアーvsブロディのNWA戦を含む強気ラインナップで
やく20000人収容のチェッカードームで
年1回ぐらいのスーパービッグマッチの日でした。
馬場がハンセンをスモールパッケージホールドでタイトルを奪還した試合が印象に残っています。
もう馬場はハンセンには勝てないと思っていたので、意外なフィニッシュホールドにとても驚きました。
倉持さんが泣きながら実況していた気が、、、
あまりにスローモーなスモールパッケージで全く説得力がありませんでした。
ウエスタンラリアートを16文キックで切り返したシーンは、衝撃を受けました!
こういう勝ち方ならハンセンに傷はつかないからそうしたんでしょうね。
特にハンセンとブロディには負けるときは豪快な必殺技を食らって負け
勝つときは丸め込みやどさくさ紛れのフォール勝ちにして相手に傷をつかないようにしてました。
ハンセンとブロディと言えばタッグの時に「ハンセンがラリアットで倒れたところにブロディがニードロップ」で豪快に負けました。
@@SY-rk1sf 当然でしょうね。ハンセンやブロディが峠を越えている馬場より弱いと思われたら、猪木さんに勝てるはずがないということになりますから。馬場が日プロ末期に衰えを見せた時にさっさと負けて引退し、猪木さんに後を任せてプロモーターに専念していれば分裂もその後の混乱も避けることができた、と思っています。そうならなかったのは日テレの意向が最大の理由でしょう。
まさかのKTカマタに、反則負けでPWFを奪われたときはびっくりしました😮
当時はカマタ?,誰やそれって感じでしたね。その後,ロビンソン〜ブッチャーの流れは全日らしい流れで、オールドファンには語り草のストーリーです。
@@hayataka104014さん、ご返信ありがとうございます‼️同感です😀
鶴田の初戴冠は長州、天龍より後だったの今更気がつきました。意外です。カマタが獲った時はまだプロレス見てなかったのですが、当時かなりのインパクト与えてそうですね。レインメイカーショックの数倍ありそうw
プロレス放送が深夜になり更に地方では放送が無くなったころカマタ~ロビンソンの抗争が勃発。人気が落ち込んだ全日が試行錯誤していた時代ですね。
NWA世界にも輝いてますが、馬場さんの腰にはPWFベルトがいちばん似合いますね。ところで、同じタイトルを38度防衛したのは、ボクシング等あらゆる格闘系タイトルの中でも、もしかしたら最高記録ではないかと。知識不足ではありますが、そこまで防衛記録延ばした例を他に耳にしないもので。
ハンセンとの最初の戦いでテレビを見ながらアリスのチャンピオンを奏でながら見てたのを思い出す❗
まさに!よく分かりますww
特筆すべき点はハンセン。
新日時代に猪木さんからNWF。
全日では馬場さんからPWFと両巨頭から王座を奪っていること。
また、馬場さんにスモールパッケージを決められたのと同じく、輪島さんからこの技で三度戴冠しました!
三冠王座となりましたが今でも残っているタイトルですね。そしてPWFことパシフィックレスリングフェデレーションという名称は存続しておりPWF会長はいらっしゃいます。
PWFの挑戦者達の豪華すぎる顔ぶれは圧巻
如何に御大のプロモーターとしての(政治)力が凄かったのかを思い知らされる
しかしハンセンは二度もスモールパッケージで奪取されてるのか、しかも馬場と天龍って…いや、この2人でも丸め込みでもしなければ奪えないほどハンセンに凄みがあったという事か
馬場より弱いのは婆あだけ
外から失礼します。PWFでは有りませんがハンセンはジャンボ鶴田さんにもスモールパッケージホールドでインターナショナル選手権を奪還されてましたね。
百田家が持っていたインターベルトも2代目王者の力道山がルー・テーズからベルトを借りて複製させた物。後々にテーズが その”オリジナル”インターベルトをUWFインターに貸し出し、高田が”プロレスリング世界ヘビー級王座者”として防衛戦を行いました。
Pwf 、挑戦者スゴいんだけどNWFの方が興味あるかなー。 一応四大タイトルだった時もあるので。全盛期はnwa やwwwf の有名どころをブッキングしながらnwa に加盟せず世界タイトルのままだった、このベルトを手にしたことは新日関係者にとっては一定の喜びがあったでしょう。僕にとっても、結構いい年まで、たいしたものだと思ってました
まっ、後でいろいろ真相がわかるのですが。
それでもアメリカのタイトルで謎が多くしかも日本にきたこともあって、今でも関心ある人多いことでしょう。
昭和49年ころPwf タッグチャンピオンをニュージーランドかオーストラリアで名乗りたいと言ったレスラーがいたらしいけど、南半球タイトル等を機能させ、pwf のローカルタイトルを複数持つ環太平洋を仕切る大pwf みたいなものが完成すればロマンあってよかったんですけどね。
馬場がnwa チャンピオンみたいに太平洋中心に遠征するとかね。
いろいろ難しいでしょうけど(笑)、南半球には興味あったみたいですね。
あまり最近、馬場に対していいこと言ってないので、ここでひとつ。僕の世代は猪木がカッコいい、強そう、人気抜群っていうものを経験しましたが、今回馬場の特集で、僕が馬場好きだからいうわけでなく、実際試合したら馬場有利の展開になった気がしますね。今思うと。当時は思ってなかったです(笑)昭和57年ころでも馬場猪木が実現したら馬場ハンセンの初対決みたいに、えっ‼️って感じになったのでは。
今回はラジオじゃないんですね。つまり、猪木・テレビ朝日関連だけラジオ版になるんですか?
馬場がレイスからPWFを奪還したのはチェッカードームだったよね
1973年4月のザ・シークと初防衛戦と2度目をプランニングしたのはチョッと容易でしたネ!…一発勝負で良かったのでは?…サンマルチノ、テリー、ブッチャー、デストロイヤー、シュナイダー、ジョナサン、オコーナー、ブラジルを破った功績は認めても良いと思いますね…まぁ八百長なのは当たり前ですが!…どのチャンピオンベルトも最初はそんな経過は同じだと思いますし…その後もエリック、ブルーザー、キニスキー、ドリー、レイス、ブリスコ、モラレス、ロビンソン、マクダニエル等ですから馬場としては日本プロレス時のインターナショナルヘビー級選手権と同等かそれ以上のハクが付いたのでは!
たんなるロードブレアースさんのお家ですよね
実は猪木さん以前にNWF王者でもあったブッチャー
実は馬場さんはNWAベルトよりもPWFベルトを大事にしたんだな。世界の最高権威と言われたNWAベルトを賭けた試合は不思議と鹿児島、佐賀、滋賀県大津、帯広(記憶違いならスミマセン)とかで「なんだか扱いが軽いな~」とも感じた。馬場さん絡む試合で大会場(蔵前、日本武道館、大阪府立体育館等)見たことないしお茶を濁すレベルの扱いだったわな
NWA王者のスケジュールの関係もあったのですが、
ブッカ―のドリーが巡業コースを把握してなくて無頓着なのと、
全日が、日テレとの包括契約で安く借りられた
両国日大講堂が老朽化で借りられなくなってからは、
東京ビッグマッチが減りました。
77年~81年前半は
最強タッグ最終日以外は
蔵前も都体育館も武道館もやってませんね。
81年後半からちょっと強気に出てきましたけどね。
細かい事ですが、レイスから奪回したのはセントルイスチェッカードームじゃないでしょうか?いずれにしてもレイスのメインテリトリーでピンフォールで奪回したのは馬場の政治力のなせる業ですね。
リターンマッチ延期して上田馬之助と対決していますよね❗🤗
昭和53年当たりからPWF戦に集客力がなくなった感じだ!
「PWFが認定しNWAが認可する.....」ですね。
懐かしいです😊
NWAが認可しPWFが認定する❗やな🎵
しかしこのマニアックな動画😂 若い人ポカーンじゃあ(笑)
やはり馬場さんがホルダーで、全日エース級外人が挑むことで、それらしいタイトルになってたよね👑 なんかローカルプロレスぽいところがいいよなあ。猪木のiwgpはぶち上げすぎたというか…もっともこちらはいまでも立派な権威だけど。
3冠だが、永田裕志さん何代目かな?
ネクストジャンボ鶴田さんに見える永田裕志さん。
サンマルチノがチャンプだった時期のWWWFは、PWFと同じくNWA会員だったため「世界」は外れていた。外れていた時期は、1971年2月8日から1979年3月1日。アメリカでは3大チャンプには間違いなかったけれど、ザックリ言えばNWA傘下のダブルタイトル戦。NWAとのタイトルとのダブルとは些か意味合いが違う。
PWFは全日版のIWGPでしょうか。^o^
NWFですね
@@romanlive 時期としてはNWFですが、NWFはもともとアメリカ四番目のタイトルを猪木さんがパワーズから奪取、買取?したもの。
PWFは馬場さんが新たに設立した団体で10人での争奪戦で初代王者になりました。猪木さんがIWGPはじめた際に、ドリーはじめ全日のレスラーは、猪木の為のタイトルとか批判してたけど、馬場さんも過去同じ事してたという。^o^
@@Nao98ya様
PWFは強豪10名での争奪戦後に新設したタイトルでしたが
IWGPはNWA、WWFにも勝る「統一」世界タイトルを謳ってましたから少々異なりますね。
インターは力道山一代限りのNWA認可 死後はjwp認定と理解していましたが、話しを聞いていると、なんか違う感じですが
後継王座にするはずだったWWA王座をストロンボーが譲渡拒否したからね。
PWF本部はハワイ、ホノルルのロードブレアースさんの自宅w
馬場対ウイリーウイリアムス戦を見たかった。おそらく馬場が16文キックや脳天チョップで完勝したと思う。
晩年にFMWにあがったウイリーですからねw、意外にプロレス流のお付き合いをするかも😂😂😂
カマタは、プロレスをしないから馬場が激怒した感じですね。ブッチャーとは大違い。と思いましたが台本ですかね
ブレアースさんは、日プロ時代に来日されてましたが、馬場さん個人と仲が良かったのでしょうか?どなたが縁を取り持ったのでしょうかね⁉️ロビンソンさんは、ブレアースさんと親戚関係だったこともあっての新日対策だったのでしょう❗️プロレスもボクシングも所謂興業なのでタイトル管理事務所は個人事務所のオフィス。日本人的には、インターがPWFより格上扱いだが、当時のNWAとしては、日本のメンバーである馬場さんのオフィス、全日=PWFなので団体の看板タイトルはPWFになってしまう。
PWFのベルトってどこに発注したんでしょうね?いまやサイドバックルをチェーンで繋いたタイプのベルトは、管理や保存が難しいから新調されなさそうだが、個人的にはこの手のクラシカルなデザインが好きだから、仮に「世界」の権威がなくても欲しいベルトの一つですね。
昔、アントニオ猪木は米国でブーイング。ジャイアント馬場は米国で馬場コールのわけが分かったような気がする。
ハンセンから反則勝利ながらも、長州がPWF王座を初戴冠した試合が印象に残っています
長州は、インタータッグは負けて(谷津が天龍にフォール負け)全日本に返したんだから
PWFも反則負けでいいから、試合して返すべきだったよな。
誰かさんとマネージャーが大金払って買ってきたNWFタイトルとは大違い。
大木さんからインター、カブキさんからUNを引っ剥がし「ヲマエの物はヲレの(団体の)物」なジャイアン馬場🤣🤣🤣(←隠れ猪木ファンなK持氏が実況でわざと間違え🤣🤣🤣🤣🤣)
@@maruhiroya417
実力も人気も華ない二流が持ってても宝の持ち腐れだろ🤣🤣🤣
バディロジャースを招聘してほしかったな!
馬場さんは、3回度NWA世界を取りましたが、いずれも短命レンタルストーリーだったのは、ファンにはみえみえ過ぎたアングルでした。
新日本では、NWF戦の時に仰々しく国歌吹奏をやっていた。
全日本は、そんな面倒なことはしなかった。純粋なスポーツではないエンタメのプロレスとしては正しい姿勢。新日本の方か偽善的だ。
じゃ、タイトルマッチもやらなきゃいい
@@mmzero7732
タイトルマッチは興行上、必要だろう。世の中には、プロレスをスポーツとして見たい人もいるから。
それ程、プロレスは奥深いものと美化しつつ、ビジネスとしても成り立ってきた。
@@献一川崎
整合性が無いんじゃないの?
って言ってるんだけど
エンタメなのに、国歌吹奏は偽善的
でも、タイトルマッチはやる、
スポーツとして見る人もいるから?w
@@mmzero7732
当時の全日本ファンとしては、タイトルマッチは興行上もありだけど、ブックがあるんだから新日本の国歌吹奏は、やり過ぎということ。
国を代表して競うような真剣勝負に見せかける新日本があざとい。
全日本を作ってからは現役を退けば良かったのに
PWFって何?今は誰がチャンピオンなの?
PWFなんて あまりにもインチキタイトルですね(笑)
所詮、全日本の極東ローカルタイトルでは。
ろくに練習せずに衰えた体を晒すのが見るに耐えなかった。インター王座は馬場が権威をつけるのに貢献したが、PWFは全然権威がつくことがなかったのはそのため。NWFがローカルタイトルだったのに猪木さんのおかげで権威が高まったのとは雲泥の差。
練習しないと言えば、かの自宅マンションの地下は何だったんでしょうね、もしかしたらそのマンション自体が嘘だったんでしょうね。
@@maruhiroya417 まあ鶴田をはじめとした全日の選手は基礎体力や受け身の練習はしていたでしょう。しかしそれはショーとしてのプロレスをするためのもので、ガチの技術は何ら練習していなかったことをカブキや田上が証言しています。カブキはヘビー級としては小柄だったためナメられないよう日プロ時代に練習をしていたのがアメリカ遠征で生きたと言っています。
@@フジヤマケンゾー
「怪我人が出たら困る」という屁理屈でガチスパを禁止してたんですよね、代官山仕込みのカブキさんはともかく田上さんに言われてるようじゃ😅
あの大仁田でさえ「砧よりも修業で行ってた海外の方がもっと練習出来てた」と言ってたぐらいですし。
そう言えば、ゆりさんのチャンネルでフジヤマさんがシンから聞いた話に触れたら「嫉妬交じりの与太話を鵜呑み🤣」とバカにするResがありましたのでシメといてください。
@@フジヤマケンゾー
「ガチ練はケガをするから禁止」ってどんだけチキンなんでしょうね🤣そもそも、砧のアレも道場じゃなく「合宿所」だったそうですからね。馬場全日OBの殆どが「砧よりも修行先のジムの方が本来の練習が出来た」というのは明らかな「練習軽視」の証明ですね。
所詮、八百長だろう。プロレスはショーなのよ。格闘技じゃないのよ
ヤヲは必要悪
八百長!?なんて言葉はもう死語やで。