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斉藤さんは、凄い選手なんだけど、素朴な人柄が良いんだよねぇ。
斎藤投手は凄い投手でしたが、引退後もその穏やかで決して威張らない人柄が素晴らしいです。
サユユせささしし
ゎさんさをさわさ
僕も斎藤選手には同じように素晴らしい結果と人柄だと思います☺️現役時も大好きでした❗ですが、良い人過ぎてジャイアンツの投手の為になってるのかはちょっと微妙な感じのような、、、😅ベンチにいてくれる安心感は凄いあるんですが、、、💧
巨人に対し舌鋒鋭かった野村克也氏も「斎藤の腰の低い態度を見習えとヤクルトの選手達にミーティングで伝えた事がある」と自著で語っていました。
私もそ思います。斎藤投手をリリーフした桑田投手が打ち込まれ連敗中の斎藤投手に勝ち星が無くなった時に、桑田投手が詫びを入れに行った時に、ドンマイドンマイて慰めを言った。本当に心の優しい人です。
この3人が活躍してた頃一番野球見てました。中でも斎藤投手が好きで、試合見てても打たれる気が全くしないような投球でした。確か何年か連続で開幕完封勝利を挙げてて、まさにエースですね。
私も世代としては藤田監督時代の巨人です。斎藤選手が連続20勝してる時がドンピシャだったので彼がエースです。
斎藤槇原桑田と川口大野北別府の巨人広島戦は1点取った方が勝ちという緊迫したカードで好きでした。
斉藤が先発の時は負けないわ、、、って余裕こいて観ていた子供の頃を思い出す。
斎藤さんは本当に綺麗なフォームでした。キレ味のあるスライダーやカーブ、重いストレート。最高の投手。怪我に悩まされた晩年は残念でした。
ストレートはキレだけでは無く、わたしも重そうな印象ありました。当たってもバットのほうが弾かれるようなですね。まさにメジャー級。
斎藤投手の才能もだけど、藤田監督と中尾捕手の配慮も素晴らしい
89年の最初のうちは藤田監督も苦手な広島戦は避けるようにしていたけど、後半には広島戦にも先発し、接戦を演じる投手になっていました。(あちらは川口・大野という左の二枚看板を必ず、巨人戦に充ててきていた。当時のこのカードは接戦で、延長になることも珍しくなく、延長戦にも先発投手がそのまま投げていた。そのため、大野投手などは防御率が0点台なんてこともあった。)
@@tsuka5116 あの時の巨人広島戦は毎回投手戦だった印象があります。投手戦って普通は退屈ですがこの時の巨人広島戦はピリピリしていて非常に見ごたえがありました。実にハイレベルな投手戦でした。
斉藤が登板する日は、1点しかリードしていなくても負ける気がしなかった。それくらい凄かった。
捕手村田も一番の本格派は斎藤雅樹って言ってた。配球に困った時、槙原ならスライダー、桑田ならカーブ。でも斉藤は真ん中高めにストレート投げさせれば大体空振り取れたって…
現役時代に巨人軍のエースとしてプレッシャーの中で戦ってきた藤田さんだから、投手の気持ちが分かるのでしょうね。もう一度、あの時のような常勝巨人に戻って欲しいものです。
改めて藤田さん、本当にありがとう。最高の監督でした。
斎藤投手の凄かったところは巨人が3点しか取れなかったら相手には2点しか与えない、巨人が2点しか取れなかったら相手には1点しか与えないと、最小得失点差ゲームをものにする力があったところだと思います
「君は気が弱いのではなく気が優しいんだ~」素晴らしい言葉だな
89年以降の斎藤投手は、ピンチにも強くなったよね。得点圏になってもしっかり抑えてくれていた印象が強い。個人的に史上最高投手です。
かつて江川さんとの二枚看板であったエースの一人、西本聖投手を放出してまで、斎藤投手再生への一手を打った藤田監督。その信頼とこだわりと熱意は素晴らしい結果を生みましたね。さすが名将です。
よくご存知で!!🧐
翌年の、斎藤さんと西本さんの最多勝争いは痺れました❗
中日から中尾孝義さんの加入も大きかったですね斎藤を開花させた捕手ですから
@@onhon8484 忘れられないね。落ち目だった西本がもともと根性マンだったけど燃えるきっかけになった。巨人戦全勝で20勝して最多勝だもんね。小林を思い出したわw
スタミナ、コントロール、ストレートのキレ、変化球のキレ、ピッチャーとしての守備力、9番打者としてのバッティング、もう完璧な存在だった。今のプロ野球はみんな真っ直ぐが速いけど、みんな100球、週一登板だから、斉藤の領域に入ってこられるピッチャーはいないかもね。
19時、テレビで巨人戦を見て斎藤が先発してたら、今日は勝ったなと思ってしまうほど安定感抜群の人でした^^
ほんと安定感抜群でしたね。テレビをつけて1点取られてたらこれでこの試合勝ったな。って安心できました「Mr.1失点完投」ほんとすごい投手でした。
甲子園球場では阪神ファンが先発斎藤と発表された時点で、帰ったという話もある。
懐かしいな…この頃の巨人軍は格好よかった
安心してすぐにテレビ消してました
藤田巨人好きだったなちゃんと育成で伸ばした人でしたね
斎藤とカープの大野、川口の投げ合いはスゴかった。
藤田監督やっぱすげー人だよな〜。
斎藤さんが投げるとよく点も入るし好プレーも多かった。野手と心が通じ合ってるような感じ。
桑田さんのファンですがやっぱり平成の大エースは斎藤雅樹さん一択‼️この人でも入れない名球会に大した存在を見出していません。
落合さんが言うまでもなく桑田と斎藤を並べたらそりゃセのファンなら斎藤だって言うよ当時の空気を知る人たちなら先発・斎藤の絶望感は群を抜いてる
昔Numberで野村さんが斎藤を研究してた話があって、スコアラーから斎藤の弱点は満塁に弱い、なんと5割も打たれてるというデータをもらったそうなただ全盛期の斎藤は2年間で満塁になったのがたった2回しかなかった様で「そりゃ人間だから調子が悪いときもあるわな」という笑い話になったそうな
「おお!満塁に弱いのか!」「よし満塁にしよう!」「・・・」「どうやって?」
斎藤の全盛期は凄くて、簡単に勝っていたような印象さえ有りました、斎藤選手懐かしいです
中尾は西武でもチームを救ったし、本当に有能だった
5-4の大洋戦テレビで見ていたなあ200勝はできなかったけど96敗、防御率2.77は飛びぬけて凄いあの時代ど真ん中の自分にはいつまでも巨人のエースは斎藤雅樹一択だ11連続完投勝利は時代が変わってしまったこともあるが永遠に語り継がれる神話になった
斉藤が投げる時の安心感は、半端なかった
11連続完投勝利の最後のバッターて栗山だった記憶がある
ミスター完投どころかミスター完封と呼ばれたこともあったしね。180勝のうち40勝が完封とかすごいと思う。
とてもいい話ありがとうございます。気が弱いのでなくて、優しいのだ、これは名言です。
監督、キャッチャーの言葉選び一つで理解がかわる。理解が変わればパフォーマンスも変わる。いい指導者に巡り合えたのが成功の原因だったね。
桑田はエースで斎藤は大エースってところか。タイトル分けあうために、シーズン最終戦にガルベスに勝利権利を譲らされたり、延長戦で、そのまま続投させられたり酷使のため選手生命削られたりと本来なら200は確実に勝たなければいけない投手だった。
私も斎藤だと思います。彼が投げる時は安心感が違いましたからね。人柄も好きでした🤗
当時、敵方の野村監督が「斎藤はいったい何年エースを続けているんだ」と言っていたのが印象に残っています。斎藤投手には優し気な人柄が顔にも態度にも現れていますね。心技体揃ったまさに平成の大エースです。
確か斎藤投手が引退したのはノムさんが阪神の監督だった頃。その時ノムさんは「斎藤はズルい、阪神だったらまだまだ第一線でやれたのに」とボヤいてました。
其のノムさん最高の投手は?の質問にダルビッシュか桑田と答えてるんだよ。勿論ノムさんは江川投手はすれ違いだから其れも踏まえてだがね。落合氏も対戦時は桑田がエースだと発言してるしこの記事動画でも最強のエースと書いてるが斉藤投手はエースかになったのは90年で左好打者の広島登板回避をへてから広島戦も投げる様になってからね。それ以降をまとめてジャイアンの最強エースと言う成績実績う話しなんだけどね【桑田がエースでは無かったは大嘘で当時のシーズンを見てなかった奴】だよだから【 広島の選手は桑田は別格(高橋慶彦当時選手談)や(前田選手の桑田投手とかの良い投手を打つ時は無論気合が入った)】と述べるのさ両方広島の打者選手がね
高校三年生の時ドラフト1位指名の聞いたことのない選手。でも生年月日を見ると自分と全く一緒。それからは、ずっと気になっていた。自分も高校卒業して就職したので斎藤投手の活躍を糧に頑張ろうって励みにしてた。彼が引退した時に急に歳を意識するようになったなぁ。寂しい話しですみません。
かかたたかかああねね
その絶対的エースの斎藤から逆転サヨナラスリーランを放った中日時代の落合は未だに語り継がれる伝説の試合。あんなすごい幕切れは当時見たことがなかった。翌朝になっても余韻が残って頭がボーっとしていたのを覚えている。
ノーヒットノーラン寸前だったのに結末は負け投手とか地獄に落とす落合の一撃が忘れられないね。あの頃はTVは巨人戦しか映らなかったから当時の日本全国プロ野球ファンなら皆覚えているんじゃない?
選手を信頼し、信念をもって育てる。 もちろんその選手の素材を見極めた上でのことだろうけど、やはり藤田さんは凄い監督だったと思う。 原が持ちえないのがその部分かな・・・。
原監督は選手時代は好きではありませんでした。監督になって相応の成績を残されたのは評価しますが、今ひとつ足りないです。足りないのが、それですかね。
斉藤の調子のいい日は本当に凄かった。バッターは為す術無し。全然当たらない。気付けば試合が終わっている、相手が気の毒に思える位だった。
感動を誘うような解説ではないのに涙が出てきました😢斎藤ホントかっこよかったなぁ。投げたら完投で絶対勝ってたもんな。それと藤田監督との出会いがあってのこととは知らなかったです
元ジャイアンツの斎藤雅樹さんはサイドスローのエース投手というのが最高に格好良かった。本格派ピッチャーで抜群のコントロールと完投する強靭的なスタミナを武器に打者をバッタバッタと抑えていく姿は最高に痺れましたね。
p
当時よく巨人の試合を観ていたが、客観的に捉えて、どう観たって斎藤がエースで異論ないと思う。桑田は20勝したことはないし、開幕投手だって斎藤の方が多いだろうし…桑田よりも安定感があった。
この方が凄いのは、調子がそんなに良くないとされる時でも何とか抑えてしまう点😄 そこがエースと言われる所以か、
ただのサイドスローでは無く、スピードもあり制球力も抜群。
斎藤投手が出ててきたらも今日の試合は負け確定!って絶望したよ、シャレになんなかったよ
でも広島三本柱と巨人三本柱のカードは緊張感があって楽しかった。
200勝してないのが不思議がなくらいの大投手
確かに不思議ですね❗。でも本当は球団事情が有って現役を辞めたそうです。辞めなければ200勝はしていたと思っています。
ちょっと遅咲きだったからね
辞める前の3年間は5勝・3勝・2勝だから別に事情ってわけでもないでしょ。現代野球で200勝するのは工藤や山本昌のように40過ぎてもバリバリでないと無理だし。
@@jodasow 斎藤のファンです。後年度重なる故障で勝ち星が積めなかっただけではなく、斎藤の優しさが仇となった事が当時の報知に書かれていました。怪我で2軍で調整、もう大丈夫だろうと当時2軍監督がそろそろ1軍に戻れと打診しますが、自分が1軍に上がると変わりに後輩が2軍に落されるからと、何度も1軍に上がるのを拒否したんだそうです。それでも戻ったのは又大きなきっかけがあったのですが、長々と書く事ではないので。巨人フロントは斎藤が200勝できるまで現役を続けさせる用意はあったんですよ。本人が引退を申し出て現役にピリオドを打った形です。
藤田監督はホント名将でしたね。個人的には、歴代の巨人監督でNo.1だと思っています。
私もそう思います。藤田監督は歴代の中で飛びぬけたNO.1監督です
金かけれる球団じゃなかったらどうなんだろうね?
90年代、野球を見始めた頃には既に巨人の揺るがないエースだった。先発斎藤なら、まず勝てないなと諦めていたほど。そんな斎藤に、過去のこんな苦労や弱い部分があったことが、少し信じがたい。藤田監督や中尾捕手との出会いも大きかったのだろう。人に歴史あり、偉大なサイドスローの歴史に触れることができて感謝です。
当時、斎藤と広島の大野が先発した試合はまさに一点勝負!みたいな緊迫感あったなぁ。
斉藤がいた頃のプロ野球はよく見てました。巨人ファンとかではないですが、強い巨人を倒すのが楽しみでした。今の菅野とかが本当のエースに思えないのは斉藤や桑田などをリアルタイムで観ていたからかも知れません。
菅野を見ても、当時の斉藤、桑田、槙原さんには及ばないですね。
やや、数年前の菅野は当時の三本柱にも劣らぬ凄味がありましたよ。斎藤も実際凄かったのは数年間ですし、投手の旬とは短いものだなと。その旬の間にどれだけインパクトを与えられるか、でしょうね。斎藤の11連続完投勝利と、マー君の24連勝はもはやアンタッチャブルレコードでしょうからね。菅野も確か13連勝?はしていますが。
@@あきよし-h3p 菅野の記録は開幕から負けなしの連勝記録ですね。でもその記録はすでに落ち目になってからの復活のシーズンであって本当にすごかったのはその数年前ですね。その頃の菅野なら斎藤には負けるけど槇原桑田よりも安定感あったと思うよ。
菅野は全盛期に廻りにずいぶん脚引っ張られましたから。一カ月間自責点0&勝ち星0とか、澤村劇場とか。
ちょうど野球を見始めた時が3本柱時代。斎藤がマウンドに上がってる時、今日は巨人が勝つ日なんだー、って思って見てた。桑田はムラがありすぎて、三振取りまくる日もあれば、バカスカ打たれる日もあり、今日はどっちだろうとハラハラしながら見てた!
藤田さんが監督の時、江川も斎藤も生き生きと活躍できた。偶然ではないと思う
斉藤投手は本当に素晴らしい投手でした。江川さんの後のエース。そして斉藤さんの後は上原さん。
対外国人打者に滅茶苦茶強かったんだよなあ長打を打つ怖い打者に対してアドバンテージがあったから、さらにスーパーエース感が増していた
斎藤雅樹は野球をやるきっかけと憧れ。小学生の自分はサイドで投げてました。外の出し入れカッコ良かった。
ここまで共感出来る大エースはいないな、と。
斎藤の11試合連続完投勝利をストップさせたのはヤクルトではなく、12試合目の前日の夜 強引に飲みに誘った 槇原 という話が好き。
うむ、槇原はそれを狙ってただろうねぇ。それに乗った、斎藤も斎藤だろうけどね。😅
@@義人鈴木-u4l 槇原曰く、斎藤は試合の3日前には体調を整えるそうなので敢えて前日の夜に誘ったそうです(笑)
ひどい話しやな本当に足引っ張って普通じゃあ、ないな…
その話知ってます🤣真面目に槇原さんを恨んでいるみたい🤣
確かその試合の日の天気予報は雨の予想だったから、槇原さんと飲みに行ったそうですが当日その日は快晴だったそうです。二日酔いの状態でいったので打ち込まれたそうです😅
「芸術」はノムさんの語彙の中で最上級の評価。自分の「分析」ではまったく理解ができない領域にある良さ、の意味。
11連勝でも凄いのに,11試合連続完投勝利.現代野球ではもはや,あり得ない数字.
分業制だからエースしか完投させてもらえないってのもあるよね
今のプロ野球じや、11試合連続完投勝利なんて夢の中の世界の出来事だね
過去にもありえないんだけどね。 しかも、翌年に8連続完投勝利(4位タイ記録)してるし。
11連続完投勝利(うち5完封)かな?
桑田槙原を擁しているのにさらに斎藤を育てる余裕と先見性はすごいよなあ
斉藤投手は、調子がいいときは、サイドスロ-でしたがストレートの高めで三振をグイグイ取っていく投球をしていました。また、調子が良くないときは、投球術を駆使して、打たせてとるピッチングをしていました。調子が良くないときも、ゲームをぐずさない投球をする頼れる投手でした!(安定感がありました。)
斉藤さん、もっと評価されていい選手です。200勝して欲しかったですね。斉藤さんの潜在能力を呼び起こした藤田監督も凄いですね。自身が投手だった経験からもあったのでしょうが。また、巨人にコーチとして戻って欲しいです。
今見たいにピッチャー分業制だったら200勝は達成できてましたね😃
巨人の歴代監督で1番好きなのは藤田監督。その藤田監督の眼力と忍耐により辛抱強く育てあげ斎藤はエースへの階段を駆け上がりましたね😅桑田や槙原も素晴らしい投手でしたが、やはり斎藤の安定感が一歩抜けてました😄
采配ではNo. 1
@@中井三義 自分もそう思います
@@Y-2-m9t さんへ斎藤さんや槇原さんをストッパーに起用したのは石橋を叩いて渡れのリレーでしたね☀️
@@中井三義 確かにですね😅その豪華リレーは無敵に近かったですよね(笑)
@@Y-2-m9t さんへそれを真似たのが三本柱リレーかな?
同じようなサイドスロー投手でも王監督の時は斎藤は不調で鹿取を絶対的に信頼して重用して、逆に藤田監督の時は斎藤は覚醒したけど鹿取は藤田さんと反りが合わずに結果西武に移籍して復活というのが面白かったな。
王監督の鹿取起用は過多すぎると当時、感じていた。連投に次ぐ連投だった。
藤田監督すばらしすぎる
少し遅咲きだったからあの負け数ですが、ちょっと運が良かったら、200勝行ってました。桑田真澄さんは、スーパーピッチングコンピュータですから。タイプが違います。槙原寛己さんも、眼の問題がなければ、また違ったタイプで、すごい投手でした。まあ、この三人は、藤田元司監督が育てていますから。
仰る通りだと思います。阪神ファンとしてはとにかく勝てなかったという印象が強いです。負けない投手でしたね。
まさに暗黒時代でしたもんね。斎藤槇原桑田の3本柱に負けるのは当たり前だったし宮本香田あたりにも完投負けしていたからね。キーオ猪俣中西では勝てなかった印象。
素晴らしい内容でした☺️
松井秀喜氏も調子の悪い時でも試合を壊さない安定感、信頼感があったと当時の3本柱の中でもナンバー1だったとコメントしてた。
斎藤と藤田監督、野茂、イチローと仰木監督、松井と長嶋監督、偉大な選手には相性の良い監督がいる
斎藤の全盛期はすごかった。ミスター完投。 今はすっかり分業になって5,6回投げたらOKの時代になったが、先発は完投を目指してほしいものだ。
昔の動画見ると斎藤も凄いんだが鹿取も凄いんだよなあキレキレの球であれは打つの大変
懐かしい!鹿取さんも良い投手でした!
でも 鹿取さんはドラフト外 江川事件で巨人がドラフトボイコット でもよく鹿取が残っていた それが不思議だった覚えがある。
様々な超名選手が監督を歴任していた巨人だけど、ポイントポイントを押さえていたのはことごとく藤田監督なんだよね。
藤田監督は生え抜きを育てる、ということをしっかりしてましたね!第二次長嶋からおかしくなりました!いまの低迷の元凶は長嶋です!
@@SLim貯金額が間もなく1億の さん…と背後のナベツネ。
@@ていくノーぷりずな と原。
@@SLim貯金額が間もなく1億の とはいえ、第二次の長嶋監督は高橋由伸、松井秀喜などの大物打者を育成した実績は有りますからね・・・育成と全試合勝つ事を両立させようとすると、FAなどで選手取る必要が出てくるとは思いますね。
ジャイアンツの歴史上最高の名将は、藤田監督だと思うよ
育てる監督、勝てる監督はいるけど、両方できたのは藤田監督だけですよね。
異論なし。緒方川相駒田原助っ人篠塚岡崎チューさん桑田というオーダーが大好きだった。他にも魅力的な選手挙げていくとキリない。
その通り。長嶋監督なんて長い期間監督を勤めたけど、人気とカリスマ性だけは飛び抜けてたけど、成績は対してすごくない。
アンチ巨人だけど藤田監督がジャイアンツ監督一番と言うのはわかる気がします。
V9の川上さんは別格として次が藤田さんだと思います。
NHK野球中継?での実況なし森&藤田の解説のみは本当に秀逸な企画だった・・
私はタイガースファンですが…この動画見て思い出しました。気弱の斎藤からエースへの変化をリアルタイムで見てましたね…。「なんでこんなに変わったんだろう」と子供心に思ってましたが。
完投勝利した後の勝利者インタビューは疲労がほとんど感じられずもう一試合投げれるんじゃね?って感じられるくらいに淡々と爽やかな笑顔で答えてましたね
こんな大エースでさえ『メンタル』で苦戦した時期があったんですね。 当時僕はまだ小学生だったので順風満帆に活躍されていたと思ってました。 幼い私でさえ『名将藤田監督』覚えています😊 連日連夜地上波で野球中継あった頃が懐かしいです😌💓
中尾捕手とバッテリーを組めたのが覚醒した大きな要因なんだよなぁ。
球威というのをテレビ画面越しに伝わる程、凄い投球をしていましたね
ど真ん中のスライダーなのに右バッターが腰を引いて見逃し三振する姿が多かったよね。
それよりもど真ん中のストレート!
斉藤はつねに安定していた。斉藤が投げて3点以上取られた記憶がほとんどない…
広島の川口とよくぶつかってましたね。斎藤が完封して1-0の試合が多々あった記憶があります。
@@cocoacookie2023 あの頃のカープ戦は「斎藤・槇原・桑田」VS「北別府・大野・川口」だったね。常にどちらかが1-0で勝ってたような印象。
わかる…。鉄人のように体力がありとにかく敵チームファンからしたらムカつく存在でした。
斎藤選手、桑田選手、槙原選手はみんなそれぞれ良かったよね。懐かしいな。
中日から中尾氏がトレードで来てくれたのも大きいのではと思っていた
江川さんが引退してその穴を誰が埋めるのか?藤田さんが2回目の監督を引き受ける前から「斎藤しかおらんやろ」と決めてたんだと思う。
折れない心、その背中をバックの選手と応援してくれるファンに見せれるからこそエースなんだよね
コメントとは関係ないけど、清原は昨年東京ドームで高橋由伸と一緒に野球解説を行ったり、沖縄キャンプを視察して石川や鵜飼の打撃を指導するなど順調に球界に復帰しているみたいですが、今後彼が球界に指導者として復帰することの是非はどのように思いますか?個人的には更正しているなら元阪神の江夏のように野球を通して社会復帰することは良いことだと思います。
20勝して完全にエースになってからも、ちょっと打たれると泣きそうな顔になりながらエグい球で後続抑えてたイメージw
阪神ファンですが、90年代前半当時斎藤から勝った記憶が有りません。それどころか点を取った所も思い出せません。
もう何度も聞いてます
この斎藤がナゴヤ球場で快投してノーヒットノーラン寸前までいったのを落合がサヨナラホームランで粉砕したのは未だに印象に残っている。あの年の斎藤は手が付けられないほど凄いピッチングを見せてて、この日も中日打線は手も足も出なかった。まさかあそこから逆転サヨナラホームランが出るなんて中日ファンながら驚きを通り越したわ。
藤田監督は投手出身で かつ、 斎藤に対して 何か良い感じで解る事があったのだろうな監督1期も2期も 斎藤にとっては、この人が 自分のプロ野球選手としての恩人で良き師なのだろうな
幼少期ながらも「この人、ちょっと他の人と違うな」と感じていたのが藤田監督ネットのおかげでこの人の隠れ人外エピソードが少しずつ広まっている感じがする当時私は最強の捕手を中日の中尾だと思っていましたそれを獲得しようとするだけでもすごいなと思っていました
サイドスローで化けてきた名投手です
腕や肩が抜けるんじゃないかと言うくらい、腕が振れてて勢いのあるストレートが好きだった⚾
カープ戦なんか斎藤というだけで諦めムードあった。主砲の江藤はホームランはおろか、ヒットすらまともに打ってた記憶がないほどの天敵でした。
知らなかった。中日中尾⇔巨人西本のトレードは、斎藤を再生させるために藤田監督が望んだことだったんだね。中尾は中村武にポジションを奪われそうな時だったし外野の控えじゃもったいない。藤田監督は西本を出してまで中尾を欲しがったのは、それほど斎藤を再生させたかった。一方西本も巨人時代には成しえなかった20勝を中日で達成した。芸術的なトレードだったと思う。
大昔の話ですが、セガの業務用ゲームでボールをこねることでで球種やコースを決められる筐体のゲームがあって、それでサイドスローの斎藤を選ぶとほぼ全打者三振の完全試合を達成することができました。まだ斎藤投手が覚醒前の段階でしたが、それで名前は知っていたので覚醒後の活躍がうれしかったですね。
斎藤の覚醒が3〜4年早ければ200勝投手になっていたと思う。
えっ、当時の桑田さんを巨人のエースと思っている人なんていないでしょう。誰がどう考えても当時の巨人のエースは斎藤雅樹さんですよ。
桑田さんが甲子園で投げてる記憶もあるけど、清原さんが体も大きいし圧倒的に天賦の才に恵まれてる印象で、桑田さんは体が小さい分、技術的に追及して120パーセント出すイメージを持ってた。コメントも可愛げがないし、イチローさんと似たタイプかも。イチローさんはケガをしなかったけど、桑田さんは無理に捕球に行ってケガした。もしかしたらイチローさんは桑田さんを密かに見習ってたのかもしれない。斎藤さんは大柄なのに優しい顔でサイドスローで、ぱっと見、迫力が無いので玄人受けするのかもしれない。
長嶋監督はクワダがエース言うてたよ
@@user-ky1dg9dp6y 王さんが早稲田と喧嘩してまで無理やりとってきたからしょうがない。
桑田は高校生の頃からスターだったからね。華があったし。
当時、斎藤が先発の日は安心して観ていられた。
トレード要員だが江川が引退してしまったから残し西本を中日に渡して迄覚醒させようとしたそもそものチーム内評価が沢村賞級じゃないか。
自分の当時の巨人のエースは桑田、斎藤、槙原の3本柱だと思うとにかくこの3人は凄かったし、あまりプロ野球に興味がなかったけれど巨人戦は夢中になって見てた思いがあるまあこの3本柱の時代が終わったとたん興味が無くなりましたけどね笑
ファミスタで斎藤出されるときはすげー嫌だった
サイドスローのエースっていうのがまたいいんだよなぁ
斎藤さんが現役の当時は、まだ今のように分業もされてなくて完投が当たり前で、かつマシンの発達から投低打高で一番キツイ時代だったと思います!そんな中で最多勝を5回、連続20勝、11連続完投勝利、通算40完封などを成し遂げました。一番凄いと思ったのが、通算勝率歴代3位です!2位はあの神様仏様稲尾様です。唯一200勝という、金田正一個人が独断と主観で設けた規定に達していないだけです。その会には負けと勝ちがほぼ同じような人も沢山居て、中には負け数が勝利数を上回ってる人もいます!悪いけど斎藤さんの実績の前では霞んでしまう人も多いです!落合さんは実績が全てです!あの実績を見たら斎藤さんしかあり得ないと思います!とにかく斎藤さんと田淵さんだけは別格だと思います!
中日ファンだが斎藤が先発だとほぼ負け覚悟。今中の時のみいい勝負だった!
中日:中尾と巨人:西本のトレードは良いトレードだったね。中尾は後輩の中村武が伸びてきて、外野の控えじゃもったいなかったし、西本は中日に移ってから初の20勝を記録した。中尾が巨人で強気のリードで貢献したとは知っていたけど、斉藤雅樹を大成させることになったとは、中日ファンとしては痛し痒しだね。やはり藤田元司監督は野球を選手をよく知っている名監督だったね。
@@吉田透-z7f 瞬間最大風速では今中はものすごい投手でした。細くて早くて異次元でした。しかし、斎藤は紛れもなく私が見てきた中では最強の投手でした。最近で言うと菅野を軽く超えてました。2点取られたら終了でしたね!
斉藤さんは、凄い選手なんだけど、素朴な人柄が良いんだよねぇ。
斎藤投手は凄い投手でしたが、引退後もその穏やかで決して威張らない人柄が素晴らしいです。
サユユせささしし
ゎさんさをさわさ
僕も斎藤選手には同じように素晴らしい結果と人柄だと思います☺️現役時も大好きでした❗
ですが、良い人過ぎてジャイアンツの投手の為になってるのかはちょっと微妙な感じのような、、、😅ベンチにいてくれる安心感は凄いあるんですが、、、💧
巨人に対し舌鋒鋭かった野村克也氏も「斎藤の腰の低い態度を見習えとヤクルトの選手達にミーティングで伝えた事がある」と自著で語っていました。
私もそ思います。
斎藤投手をリリーフした桑田投手が打ち込まれ連敗中の斎藤投手に
勝ち星が無くなった時に、桑田投手が詫びを入れに行った時に、ドンマイドンマイて慰めを言った。
本当に心の優しい人です。
この3人が活躍してた頃一番野球見てました。
中でも斎藤投手が好きで、試合見てても打たれる気が全くしないような投球でした。
確か何年か連続で開幕完封勝利を挙げてて、まさにエースですね。
私も世代としては藤田監督時代の巨人です。
斎藤選手が連続20勝してる時がドンピシャだったので彼がエースです。
斎藤槇原桑田と川口大野北別府の巨人広島戦は1点取った方が勝ちという緊迫したカードで好きでした。
斉藤が先発の時は負けないわ、、、って余裕こいて観ていた子供の頃を思い出す。
斎藤さんは本当に綺麗なフォームでした。キレ味のあるスライダーやカーブ、重いストレート。最高の投手。怪我に悩まされた晩年は残念でした。
ストレートはキレだけでは無く、わたしも重そうな印象ありました。当たってもバットのほうが弾かれるようなですね。まさにメジャー級。
斎藤投手の才能もだけど、藤田監督と中尾捕手の配慮も素晴らしい
89年の最初のうちは藤田監督も苦手な広島戦は避けるようにしていたけど、
後半には広島戦にも先発し、接戦を演じる投手になっていました。
(あちらは川口・大野という左の二枚看板を必ず、巨人戦に充ててきていた。
当時のこのカードは接戦で、延長になることも珍しくなく、延長戦にも
先発投手がそのまま投げていた。そのため、大野投手などは防御率が0点台なんてこともあった。)
@@tsuka5116
あの時の巨人広島戦は毎回投手戦だった印象があります。
投手戦って普通は退屈ですがこの時の巨人広島戦はピリピリしていて非常に見ごたえがありました。
実にハイレベルな投手戦でした。
斉藤が登板する日は、1点しかリードしていなくても負ける気がしなかった。それくらい凄かった。
捕手村田も一番の本格派は斎藤雅樹って言ってた。
配球に困った時、槙原ならスライダー、桑田ならカーブ。でも斉藤は真ん中高めにストレート投げさせれば大体空振り取れたって…
現役時代に巨人軍のエースとしてプレッシャーの中で戦ってきた藤田さんだから、投手の気持ちが分かるのでしょうね。
もう一度、あの時のような常勝巨人に戻って欲しいものです。
改めて藤田さん、本当にありがとう。最高の監督でした。
斎藤投手の凄かったところは巨人が3点しか取れなかったら相手には2点しか与えない、巨人が2点しか取れなかったら相手には1点しか与えないと、最小得失点差ゲームをものにする力があったところだと思います
「君は気が弱いのではなく気が優しいんだ~」
素晴らしい言葉だな
89年以降の斎藤投手は、ピンチにも強くなったよね。得点圏になってもしっかり抑えてくれていた印象が強い。個人的に史上最高投手です。
かつて江川さんとの二枚看板であったエースの一人、西本聖投手を放出してまで、斎藤投手再生への一手を打った藤田監督。
その信頼とこだわりと熱意は素晴らしい結果を生みましたね。さすが名将です。
よくご存知で!!🧐
翌年の、斎藤さんと西本さんの最多勝争いは痺れました❗
中日から中尾孝義さんの加入も大きかったですね
斎藤を開花させた捕手ですから
@@onhon8484 忘れられないね。落ち目だった西本がもともと根性マンだったけど燃えるきっかけになった。巨人戦全勝で20勝して最多勝だもんね。小林を思い出したわw
スタミナ、コントロール、ストレートのキレ、変化球のキレ、ピッチャーとしての守備力、9番打者としてのバッティング、もう完璧な存在だった。
今のプロ野球はみんな真っ直ぐが速いけど、みんな100球、週一登板だから、斉藤の領域に入ってこられるピッチャーはいないかもね。
19時、テレビで巨人戦を見て斎藤が先発してたら、今日は勝ったなと思ってしまうほど安定感抜群の人でした^^
ほんと安定感抜群でしたね。
テレビをつけて1点取られてたらこれでこの試合勝ったな。って安心できました「Mr.1失点完投」ほんとすごい投手でした。
甲子園球場では阪神ファンが先発斎藤と発表された時点で、帰ったという話もある。
懐かしいな…この頃の巨人軍は格好よかった
安心してすぐにテレビ消してました
藤田巨人好きだったな
ちゃんと育成で伸ばした人でしたね
斎藤とカープの大野、川口の投げ合いはスゴかった。
藤田監督やっぱすげー人だよな〜。
斎藤さんが投げるとよく点も入るし好プレーも多かった。野手と心が通じ合ってるような感じ。
桑田さんのファンですがやっぱり平成の大エースは斎藤雅樹さん一択‼️
この人でも入れない名球会に大した存在を見出していません。
落合さんが言うまでもなく桑田と斎藤を並べたらそりゃセのファンなら斎藤だって言うよ
当時の空気を知る人たちなら先発・斎藤の絶望感は群を抜いてる
昔Numberで野村さんが斎藤を研究してた話があって、スコアラーから斎藤の弱点は満塁に弱い、なんと5割も打たれてるというデータをもらったそうな
ただ全盛期の斎藤は2年間で満塁になったのがたった2回しかなかった様で「そりゃ人間だから調子が悪いときもあるわな」という笑い話になったそうな
「おお!満塁に弱いのか!」「よし満塁にしよう!」「・・・」「どうやって?」
斎藤の全盛期は凄くて、簡単に勝っていたような印象さえ有りました、斎藤選手懐かしいです
中尾は西武でもチームを救ったし、本当に有能だった
5-4の大洋戦テレビで見ていたなあ
200勝はできなかったけど96敗、防御率2.77は飛びぬけて凄い
あの時代ど真ん中の自分にはいつまでも巨人のエースは斎藤雅樹一択だ
11連続完投勝利は時代が変わってしまったこともあるが永遠に語り継がれる神話になった
斉藤が投げる時の安心感は、半端なかった
11連続完投勝利の最後のバッターて栗山だった記憶がある
ミスター完投どころか
ミスター完封と呼ばれたこともあったしね。
180勝のうち40勝が完封とかすごいと思う。
とてもいい話ありがとうございます。気が弱いのでなくて、優しいのだ、これは名言です。
監督、キャッチャーの言葉選び一つで理解がかわる。理解が変わればパフォーマンスも変わる。いい指導者に巡り合えたのが成功の原因だったね。
桑田はエースで斎藤は大エースってところか。
タイトル分けあうために、シーズン最終戦にガルベスに勝利権利を譲らされたり、延長戦で、そのまま続投させられたり酷使のため選手生命削られたりと
本来なら200は確実に勝たなければいけない投手だった。
私も斎藤だと思います。
彼が投げる時は安心感が違いましたからね。
人柄も好きでした🤗
当時、敵方の野村監督が「斎藤はいったい何年エースを続けているんだ」と言っていたのが印象に残っています。斎藤投手には優し気な人柄が顔にも態度にも現れていますね。心技体揃ったまさに平成の大エースです。
確か斎藤投手が引退したのはノムさんが阪神の監督だった頃。
その時ノムさんは「斎藤はズルい、阪神だったらまだまだ第一線でやれたのに」とボヤいてました。
其のノムさん最高の投手は?の質問にダルビッシュか桑田と答えてるんだよ。
勿論ノムさんは江川投手はすれ違いだから其れも踏まえてだがね。
落合氏も対戦時は桑田がエースだと発言してるし
この記事動画でも最強のエースと書いてるが斉藤投手はエースかになったのは90年で左好打者の広島登板回避をへてから広島戦も投げる様になってからね。それ以降をまとめてジャイアンの最強エースと言う成績実績う話しなんだけどね
【桑田がエースでは無かったは大嘘で当時のシーズンを見てなかった奴】だよ
だから【 広島の選手は桑田は別格(高橋慶彦当時選手談)や(前田選手の桑田投手とかの良い投手を打つ時は無論気合が入った)】と述べるのさ
両方広島の打者選手がね
高校三年生の時ドラフト1位指名の聞いたことのない選手。でも生年月日を見ると自分と全く一緒。それからは、ずっと気になっていた。自分も高校卒業して就職したので斎藤投手の活躍を糧に頑張ろうって励みにしてた。彼が引退した時に急に歳を意識するようになったなぁ。寂しい話しですみません。
かかたたかかああねね
その絶対的エースの斎藤から逆転サヨナラスリーランを放った中日時代の落合は未だに語り継がれる伝説の試合。あんなすごい幕切れは当時見たことがなかった。翌朝になっても余韻が残って頭がボーっとしていたのを覚えている。
ノーヒットノーラン寸前だったのに結末は負け投手とか地獄に落とす落合の一撃が忘れられないね。
あの頃はTVは巨人戦しか映らなかったから当時の日本全国プロ野球ファンなら皆覚えているんじゃない?
選手を信頼し、信念をもって育てる。 もちろんその選手の素材を見極めた上でのことだろうけど、やはり藤田さんは凄い監督だったと思う。 原が持ちえないのがその部分かな・・・。
原監督は選手時代は好きではありませんでした。監督になって相応の成績を残されたのは評価しますが、今ひとつ足りないです。足りないのが、それですかね。
斉藤の調子のいい日は本当に凄かった。
バッターは為す術無し。全然当たらない。
気付けば試合が終わっている、相手が気の毒に思える位だった。
感動を誘うような解説ではないのに涙が出てきました😢斎藤ホントかっこよかったなぁ。投げたら完投で絶対勝ってたもんな。それと藤田監督との出会いがあってのこととは知らなかったです
元ジャイアンツの斎藤雅樹さんはサイドスローのエース投手というのが最高に格好良かった。
本格派ピッチャーで抜群のコントロールと完投する強靭的なスタミナを武器に打者をバッタバッタと抑えていく姿は最高に痺れましたね。
p
当時よく巨人の試合を観ていたが、客観的に捉えて、どう観たって斎藤がエースで異論ないと思う。桑田は20勝したことはないし、開幕投手だって斎藤の方が多いだろうし…桑田よりも安定感があった。
この方が凄いのは、調子がそんなに良くないとされる時でも何とか抑えてしまう点😄 そこがエースと言われる所以か、
ただのサイドスローでは無く、スピードもあり制球力も抜群。
斎藤投手が出ててきたらも今日の試合は負け確定!って絶望したよ、シャレになんなかったよ
でも広島三本柱と巨人三本柱のカードは緊張感があって楽しかった。
200勝してないのが不思議がなくらいの大投手
確かに不思議ですね❗。でも本当は球団事情が有って現役を辞めたそうです。辞めなければ200勝はしていたと思っています。
ちょっと遅咲きだったからね
辞める前の3年間は5勝・3勝・2勝だから別に事情ってわけでもないでしょ。
現代野球で200勝するのは工藤や山本昌のように40過ぎてもバリバリでないと無理だし。
@@jodasow 斎藤のファンです。
後年度重なる故障で勝ち星が積めなかっただけではなく、斎藤の優しさが仇となった事が当時の報知に書かれていました。
怪我で2軍で調整、もう大丈夫だろうと当時2軍監督がそろそろ1軍に戻れと打診しますが、自分が1軍に上がると変わりに後輩が2軍に落されるからと、何度も1軍に上がるのを拒否したんだそうです。
それでも戻ったのは又大きなきっかけがあったのですが、長々と書く事ではないので。
巨人フロントは斎藤が200勝できるまで現役を続けさせる用意はあったんですよ。
本人が引退を申し出て現役にピリオドを打った形です。
藤田監督はホント名将でしたね。
個人的には、歴代の巨人監督でNo.1だと思っています。
私もそう思います。藤田監督は歴代の中で飛びぬけたNO.1監督です
金かけれる球団じゃなかったらどうなんだろうね?
90年代、野球を見始めた頃には既に巨人の揺るがないエースだった。先発斎藤なら、まず勝てないなと諦めていたほど。
そんな斎藤に、過去のこんな苦労や弱い部分があったことが、少し信じがたい。
藤田監督や中尾捕手との出会いも大きかったのだろう。人に歴史あり、偉大なサイドスローの歴史に触れることができて感謝です。
当時、斎藤と広島の大野が先発した試合はまさに一点勝負!みたいな緊迫感あったなぁ。
斉藤がいた頃のプロ野球はよく見てました。
巨人ファンとかではないですが、強い巨人を倒すのが楽しみでした。
今の菅野とかが本当のエースに思えないのは斉藤や桑田などをリアルタイムで観ていたからかも知れません。
菅野を見ても、当時の斉藤、桑田、槙原さんには及ばないですね。
やや、数年前の菅野は当時の三本柱にも劣らぬ凄味がありましたよ。斎藤も実際凄かったのは数年間ですし、投手の旬とは短いものだなと。その旬の間にどれだけインパクトを与えられるか、でしょうね。斎藤の11連続完投勝利と、マー君の24連勝はもはやアンタッチャブルレコードでしょうからね。菅野も確か13連勝?はしていますが。
@@あきよし-h3p 菅野の記録は開幕から負けなしの連勝記録ですね。でもその記録はすでに落ち目に
なってからの復活のシーズンであって本当にすごかったのはその数年前ですね。
その頃の菅野なら斎藤には負けるけど槇原桑田よりも安定感あったと思うよ。
菅野は全盛期に廻りにずいぶん脚引っ張られましたから。
一カ月間自責点0&勝ち星0とか、澤村劇場とか。
ちょうど野球を見始めた時が3本柱時代。斎藤がマウンドに上がってる時、今日は巨人が勝つ日なんだー、って思って見てた。
桑田はムラがありすぎて、三振取りまくる日もあれば、バカスカ打たれる日もあり、今日はどっちだろうとハラハラしながら見てた!
藤田さんが監督の時、江川も斎藤も生き生きと活躍できた。偶然ではないと思う
斉藤投手は本当に素晴らしい投手でした。
江川さんの後のエース。そして斉藤さんの後は上原さん。
対外国人打者に滅茶苦茶強かったんだよなあ
長打を打つ怖い打者に対してアドバンテージがあったから、さらにスーパーエース感が増していた
斎藤雅樹は野球をやるきっかけと憧れ。
小学生の自分はサイドで投げてました。外の出し入れカッコ良かった。
ここまで共感出来る大エースはいないな、と。
斎藤の11試合連続完投勝利をストップさせたのはヤクルトではなく、12試合目の前日の夜 強引に飲みに誘った 槇原 という話が好き。
うむ、槇原はそれを狙ってただろうねぇ。それに乗った、斎藤も斎藤だろうけどね。😅
@@義人鈴木-u4l
槇原曰く、斎藤は試合の3日前には体調を整えるそうなので敢えて前日の夜に誘ったそうです(笑)
ひどい話しやな
本当に足引っ張って
普通じゃあ、ないな…
その話知ってます🤣真面目に槇原さんを恨んでいるみたい🤣
確かその試合の日の天気予報は雨の予想だったから、槇原さんと飲みに行ったそうですが当日その日は快晴だったそうです。二日酔いの状態でいったので打ち込まれたそうです😅
「芸術」はノムさんの語彙の中で最上級の評価。
自分の「分析」ではまったく理解ができない領域にある良さ、の意味。
11連勝でも凄いのに,11試合連続完投勝利.現代野球ではもはや,あり得ない数字.
分業制だからエースしか完投させてもらえないってのもあるよね
今のプロ野球じや、11試合連続完投勝利なんて夢の中の世界の出来事だね
過去にもありえないんだけどね。 しかも、翌年に8連続完投勝利(4位タイ記録)してるし。
11連続完投勝利(うち5完封)かな?
桑田槙原を擁しているのにさらに斎藤を育てる余裕と先見性はすごいよなあ
斉藤投手は、調子がいいときは、サイドスロ-でしたがストレートの高めで三振をグイグイ取っていく投球をしていました。また、調子が良くないときは、投球術を駆使して、打たせてとるピッチングをしていました。調子が良くないときも、ゲームをぐずさない投球をする頼れる投手でした!(安定感がありました。)
斉藤さん、もっと評価されていい選手です。200勝して欲しかったですね。斉藤さんの潜在能力を呼び起こした藤田監督も凄いですね。自身が投手だった経験からもあったのでしょうが。また、巨人にコーチとして戻って欲しいです。
今見たいにピッチャー分業制だったら200勝は達成できてましたね😃
巨人の歴代監督で1番好きなのは藤田監督。その藤田監督の眼力と忍耐により辛抱強く育てあげ斎藤はエースへの階段を駆け上がりましたね😅
桑田や槙原も素晴らしい投手でしたが、やはり斎藤の安定感が一歩抜けてました😄
采配ではNo. 1
@@中井三義 自分もそう思います
@@Y-2-m9t さんへ斎藤さんや槇原さんをストッパーに起用したのは石橋を叩いて渡れのリレーでしたね☀️
@@中井三義 確かにですね😅その豪華リレーは無敵に近かったですよね(笑)
@@Y-2-m9t さんへそれを真似たのが三本柱リレーかな?
同じようなサイドスロー投手でも王監督の時は斎藤は不調で鹿取を絶対的に信頼して重用して、逆に藤田監督の時は斎藤は覚醒したけど鹿取は藤田さんと反りが合わずに結果西武に移籍して復活というのが面白かったな。
王監督の鹿取起用は過多すぎると当時、感じていた。
連投に次ぐ連投だった。
藤田監督すばらしすぎる
少し遅咲きだったからあの負け数ですが、ちょっと運が良かったら、200勝行ってました。
桑田真澄さんは、スーパーピッチングコンピュータですから。タイプが違います。
槙原寛己さんも、眼の問題がなければ、また違ったタイプで、すごい投手でした。
まあ、この三人は、藤田元司監督が育てていますから。
仰る通りだと思います。阪神ファンとしてはとにかく勝てなかったという印象が強いです。負けない投手でしたね。
まさに暗黒時代でしたもんね。斎藤槇原桑田の3本柱に負けるのは当たり前だったし
宮本香田あたりにも完投負けしていたからね。キーオ猪俣中西では勝てなかった印象。
素晴らしい内容でした☺️
松井秀喜氏も
調子の悪い時でも試合を壊さない
安定感、信頼感があったと
当時の3本柱の中でも
ナンバー1だったとコメントしてた。
斎藤と藤田監督、野茂、イチローと仰木監督、松井と長嶋監督、偉大な選手には相性の良い監督がいる
斎藤の全盛期はすごかった。ミスター完投。 今はすっかり分業になって5,6回投げたらOKの時代になったが、先発は完投を目指してほしいものだ。
昔の動画見ると斎藤も凄いんだが鹿取も凄いんだよなあ
キレキレの球であれは打つの大変
懐かしい!鹿取さんも良い投手でした!
でも 鹿取さんはドラフト外 江川事件で巨人がドラフトボイコット でもよく鹿取が残っていた それが不思議だった覚えがある。
様々な超名選手が監督を歴任していた巨人だけど、ポイントポイントを押さえていたのはことごとく藤田監督なんだよね。
藤田監督は生え抜きを育てる、ということをしっかりしてましたね!第二次長嶋からおかしくなりました!いまの低迷の元凶は長嶋です!
@@SLim貯金額が間もなく1億の さん
…と背後のナベツネ。
@@ていくノーぷりずな
と原。
@@SLim貯金額が間もなく1億の
とはいえ、第二次の長嶋監督は高橋由伸、松井秀喜などの大物打者を育成した実績は有りますからね・・・
育成と全試合勝つ事を両立させようとすると、FAなどで選手取る必要が出てくるとは思いますね。
ジャイアンツの歴史上最高の名将は、藤田監督だと思うよ
育てる監督、勝てる監督はいるけど、両方できたのは藤田監督だけですよね。
異論なし。
緒方川相駒田原助っ人篠塚岡崎チューさん桑田というオーダーが大好きだった。
他にも魅力的な選手挙げていくとキリない。
その通り。長嶋監督なんて
長い期間監督を勤めたけど、人気とカリスマ性だけは飛び抜けてたけど、成績は対してすごくない。
アンチ巨人だけど藤田監督がジャイアンツ監督一番と言うのはわかる気がします。
V9の川上さんは別格として
次が藤田さんだと思います。
NHK野球中継?での
実況なし
森&藤田の解説のみ
は本当に秀逸な企画だった・・
私はタイガースファンですが…
この動画見て思い出しました。気弱の斎藤からエースへの変化をリアルタイムで見てましたね…。「なんでこんなに変わったんだろう」と子供心に思ってましたが。
完投勝利した後の勝利者インタビューは疲労がほとんど感じられず
もう一試合投げれるんじゃね?って感じられるくらいに淡々と爽やかな笑顔で答えてましたね
こんな大エースでさえ『メンタル』で苦戦した時期があったんですね。 当時僕はまだ小学生だったので順風満帆に活躍されていたと思ってました。 幼い私でさえ『名将藤田監督』覚えています😊 連日連夜地上波で野球中継あった頃が懐かしいです😌💓
中尾捕手とバッテリーを組めたのが覚醒した大きな要因なんだよなぁ。
球威というのをテレビ画面越しに伝わる程、凄い投球をしていましたね
ど真ん中のスライダーなのに右バッターが腰を引いて見逃し三振する姿が多かったよね。
それよりもど真ん中のストレート!
斉藤はつねに安定していた。
斉藤が投げて3点以上取られた記憶がほとんどない…
広島の川口とよくぶつかってましたね。斎藤が完封して1-0の試合が多々あった記憶があります。
@@cocoacookie2023 あの頃のカープ戦は「斎藤・槇原・桑田」VS「北別府・大野・川口」
だったね。常にどちらかが1-0で勝ってたような印象。
わかる…。鉄人のように体力がありとにかく敵チームファンからしたらムカつく存在でした。
斎藤選手、桑田選手、槙原選手はみんなそれぞれ良かったよね。懐かしいな。
中日から中尾氏がトレードで来てくれたのも大きいのではと思っていた
江川さんが引退してその穴を誰が埋めるのか?藤田さんが2回目の監督を引き受ける前から「斎藤しかおらんやろ」と決めてたんだと思う。
折れない心、その背中をバックの選手と応援してくれるファンに見せれるからこそエースなんだよね
コメントとは関係ないけど、清原は昨年東京ドームで高橋由伸と一緒に野球解説を行ったり、沖縄キャンプを視察して石川や鵜飼の打撃を指導するなど順調に球界に復帰しているみたいですが、今後彼が球界に指導者として復帰することの是非はどのように思いますか?個人的には更正しているなら元阪神の江夏のように野球を通して社会復帰することは良いことだと思います。
20勝して完全にエースになってからも、ちょっと打たれると泣きそうな顔になりながらエグい球で後続抑えてたイメージw
阪神ファンですが、90年代前半当時斎藤から勝った記憶が有りません。
それどころか点を取った所も思い出せません。
もう何度も聞いてます
この斎藤がナゴヤ球場で快投してノーヒットノーラン寸前までいったのを落合がサヨナラホームランで粉砕したのは未だに印象に残っている。あの年の斎藤は手が付けられないほど凄いピッチングを見せてて、この日も中日打線は手も足も出なかった。まさかあそこから逆転サヨナラホームランが出るなんて中日ファンながら驚きを通り越したわ。
藤田監督は投手出身で かつ、 斎藤に対して 何か良い感じで解る事があったのだろうな
監督1期も2期も 斎藤にとっては、この人が 自分のプロ野球選手としての恩人で良き師なのだろうな
幼少期ながらも「この人、ちょっと他の人と違うな」と感じていたのが藤田監督
ネットのおかげでこの人の隠れ人外エピソードが少しずつ広まっている感じがする
当時私は最強の捕手を中日の中尾だと思っていました
それを獲得しようとするだけでもすごいなと思っていました
サイドスローで化けてきた名投手です
腕や肩が抜けるんじゃないかと言うくらい、腕が振れてて勢いのあるストレートが好きだった⚾
カープ戦なんか斎藤というだけで諦めムードあった。主砲の江藤はホームランはおろか、ヒットすらまともに打ってた記憶がないほどの天敵でした。
知らなかった。中日中尾⇔巨人西本のトレードは、斎藤を再生させるために藤田監督が望んだことだったんだね。
中尾は中村武にポジションを奪われそうな時だったし外野の控えじゃもったいない。藤田監督は西本を出してまで中尾を欲しがったのは、それほど斎藤を再生させたかった。一方西本も巨人時代には成しえなかった20勝を中日で達成した。芸術的なトレードだったと思う。
大昔の話ですが、セガの業務用ゲームでボールをこねることでで球種やコースを決められる筐体のゲームがあって、それでサイドスローの斎藤を選ぶとほぼ全打者三振の完全試合を達成することができました。
まだ斎藤投手が覚醒前の段階でしたが、それで名前は知っていたので覚醒後の活躍がうれしかったですね。
斎藤の覚醒が3〜4年早ければ
200勝投手になっていたと思う。
えっ、当時の桑田さんを巨人のエースと思っている人なんていないでしょう。
誰がどう考えても当時の巨人のエースは斎藤雅樹さんですよ。
桑田さんが甲子園で投げてる記憶もあるけど、清原さんが体も大きいし圧倒的に天賦の才に恵まれてる印象で、
桑田さんは体が小さい分、技術的に追及して120パーセント出すイメージを持ってた。
コメントも可愛げがないし、イチローさんと似たタイプかも。
イチローさんはケガをしなかったけど、桑田さんは無理に捕球に行ってケガした。
もしかしたらイチローさんは桑田さんを密かに見習ってたのかもしれない。
斎藤さんは大柄なのに優しい顔でサイドスローで、ぱっと見、迫力が無いので玄人受けするのかもしれない。
長嶋監督はクワダがエース言うてたよ
@@user-ky1dg9dp6y 王さんが早稲田と喧嘩してまで無理やりとってきたからしょうがない。
桑田は高校生の頃からスターだったからね。華があったし。
当時、斎藤が先発の日は安心して観ていられた。
トレード要員だが江川が引退してしまったから残し
西本を中日に渡して迄覚醒させようとした
そもそものチーム内評価が沢村賞級じゃないか。
自分の当時の巨人のエースは桑田、斎藤、槙原の3本柱だと思う
とにかくこの3人は凄かったし、あまりプロ野球に興味がなかったけれど巨人戦は夢中になって見てた思いがある
まあこの3本柱の時代が終わったとたん興味が無くなりましたけどね笑
ファミスタで斎藤出されるときはすげー嫌だった
サイドスローのエースっていうのがまたいいんだよなぁ
斎藤さんが現役の当時は、まだ今のように分業もされてなくて完投が当たり前で、かつマシンの発達から投低打高で一番キツイ時代だったと思います!そんな中で最多勝を5回、連続20勝、11連続完投勝利、通算40完封などを成し遂げました。一番凄いと思ったのが、通算勝率歴代3位です!2位はあの神様仏様稲尾様です。唯一200勝という、金田正一個人が独断と主観で設けた規定に達していないだけです。その会には負けと勝ちがほぼ同じような人も沢山居て、中には負け数が勝利数を上回ってる人もいます!悪いけど斎藤さんの実績の前では霞んでしまう人も多いです!
落合さんは実績が全てです!あの実績を見たら斎藤さんしかあり得ないと思います!
とにかく斎藤さんと田淵さんだけは別格だと思います!
中日ファンだが斎藤が先発だとほぼ負け覚悟。今中の時のみいい勝負だった!
中日:中尾と巨人:西本のトレードは良いトレードだったね。中尾は後輩の中村武が伸びてきて、外野の控えじゃもったいなかったし、西本は中日に移ってから初の20勝を記録した。中尾が巨人で強気のリードで貢献したとは知っていたけど、斉藤雅樹を大成させることになったとは、中日ファンとしては痛し痒しだね。やはり藤田元司監督は野球を選手をよく知っている名監督だったね。
@@吉田透-z7f 瞬間最大風速では今中はものすごい投手でした。細くて早くて異次元でした。しかし、斎藤は紛れもなく私が見てきた中では最強の投手でした。最近で言うと菅野を軽く超えてました。2点取られたら終了でしたね!