意外に当時の日本人は気にしなかったのかも。1951年(昭和26年)に始まった手塚治虫の大人気漫画のタイトルも鉄腕アトムですし。アントニオ猪木やカールゴッチが得意技としたジャーマンスープレックスも日本では原爆固めでした。ジャーマンスープレックスはAtomic back hold 通称「原爆攻め」とカールゴッチ(カールクラウザー)初来日(1961年(昭和36年))のときの報道でありました。海外ではAtomic back holdとも呼ばれていましたので日本の記者は「原爆攻め」と名付けました。その後、原爆固めに。猪木の原爆固めは1970年のドリーファンクジュニア戦、それからジャック ブリスコ戦、ストロング小林戦など1970年代では有名な必殺技でした。1990年代から「週刊プロレス」が「原爆被害者に配慮を」という読者の投稿から、「原爆固め」の表記を止めました。
伝説の第1回ワールドリーグ戦!
素晴らしい参加メンバーと素晴らしいファイト!
アップ、本当に有難うございます! 😂
なつかしいですね!
よく父親には蔵前や日大講堂へ連れていかれました
シャープ兄弟に握手してもらった時にグローブみたいな手をしていたのを子供心に大変驚いたのを思い出しました
なんという貴重映像!
馬場、猪木が入門する前の時代の試合が見れるとは感動だ。
力道山って間違いなく強いよな。力が衰えて相撲やめたわけじゃないし、パワーもスピードもある。
〝ロード・ブレアーズ〟といえば、後の『PWF会長』デスよね。現役時代のファイトは初めて拝見しました‼️
역도산 영상 감사합니다
力道山の人間性についてあれこれ言われています。それは事実でしょう。しかし力道山がいなければ日本にプロレスはありません。完全無欠な人間はいないし表があれば裏もあります。又時代背景もあります。プロレスラーとしてプロモーターとしての力道山を私は評価しています。
アトミックに反則負けで、あああああ! からの決勝進出。に、してもジェスオルテガの吹っ飛び方が実に上手い! 力道山を盛り上げる試合巧者のレスラー諸氏。そりゃ日本人は夢中になるって!
力道山がすんなり決勝に行かないのは、
観客をやきもきさせる演出でしょうね。
それな🤼
この頃、渋谷にまだ安藤組があって、とか、梶原一騎・真樹日佐夫兄弟が青春ど真ん中で、とか、大山倍達が未だ格闘技界の眠れる巨人でとか考えると映像に重みを感じるわ~(笑)
これはかなり貴重な映像です。アップありがとう誤差います
こういう映像が見たかったんです。マンモス鈴木と芳ノ里も見たいです。
、、バ
この当時のレフェリーは、ロープブレイク時に〝ホイッスル〟使っていたんですね。面白いデス‼️
역도산은 그당시한국에서도 국민적 영웅이였습니다.~
戦後、街頭テレビでみんな力道山を見て熱狂した。敗戦の恨みを晴らすが如く。彼はスーパーヒーローだった。あの頃は誰もが日本人だと信じて...
それな🇰🇵
44:27 このカウント早すぎるだろ。
本来の二倍速くらいだ
いくら何でもおかしいぞ
阿部四郎も真っ青!
登喜のカウントはおかしいので有名
例え反則でも力道山の気持ち解るなぁル-ルから外れてもそこに彼の熱さを感じる😂
力道山は、昔は、強いといいますが今生きていても技は今が強いね空手チョプが強いと言われたけれど、今は、プロレスは、違いすね
もう結果がプロレス・ファンなら大抵の人が知っているのを、あえてリアルタイムの如く「実況」するアナウンサーと百田光雄さんは偉い。
12:46頃力道山がアトミックの額にチョップ打ってるときのアトミックの右手を見て!ブレイド持ってる手つき。その後自分でダウンして額切ってる。典型的なKayfabe.
平川アナですね。ノア時代の実況が懐かしい。
それな🤼
それな
참으로 감개무량합니다.
프로 레스링이 이렇게 재미 있을 줄이야 !
子供の時、力道山の真似をした。黒いタイツを着て、野球の川上とスターの双璧です。
いい~🍀ですね☀️😃❗
面白いです。クラシックレスリングですね😁
力道山の試合ぶりは、まさに暴走王!
力道山はレスリングが下手。後の猪木や馬場のようなレスリングができないだからボクシングみたいな試合になってる。逆にこうした喧嘩ファイトがお客に受けたともいえる。
ルーテーズ戦は技の攻防で評判よかった(当時の電通調べでは視聴率90%)のですがミスターアトミックのラフファイトが力道山が不在のときに評判よかったので力道山もこの大会ではラフファイトを強調するようになりました。『力道山不在で力道山の留守を守るのは、ホープの豊登、吉村道明、遠藤幸吉、芳の里の面々。そして力道山不在の中で参加したのが怪覆面ミスター・アトミックだった。当時人気の「月光仮面」人気に便乗した形で、アトミックの人気は悪党レスラーにも拘わらず急上昇する。アトミックは覆面の下にビンの口金を忍ばせ頭突きを打ちまくるラフ・ファイターで吉村道明を始め多くの選手が額を割られた。それでも悪の覆面人気は抜群で5月の北海道巡業では室蘭大会、帯広大会で野外に1万人の大観衆を集め、札幌大会2連戦も大盛況だった。正にこれはミスター・アトミック効果と言えた。力道山が帰国し、第一回ワールド・リーグ参加選手が正式に決まったときもまだアトミックのリーグ戦参加は検討中だった。日本でのアトミック人気が続いていたので急遽アトミック参戦となった。』
Great matches
あの当時の日本人は、本当に力道山が強いと思っていた。
実際にも強いでしょ。
戦った相手レスラーも今となっては天国へ旅だったかもな。
NWA 会長だあ!貴重な映像有り難うございました。
PWF会長
「ドーモ、アリガトウゴザイマス!」
このプロレス特有のお互いの間は現在と一切変わってないんだよね。変わったのはプロレス技の数とド派手な演出になったくらいだよね。
Who was the masked man in the first match?
3カウント無茶苦茶早い、力道山を勝たせる為の試合、ブック破り期待してたのに~~
だいたい 反則負けしたヤツが決勝出れる時点でおかしい
これが通るなら武器使って動けないくらい反則すれば決勝でれる
八百長過ぎる
おいおい、無粋なこと言ってはいけない。力道山は主催プロモーター兼スター選手。彼が優勝しなきゃ客が許さないでしょう。レフリー途中でぶっ飛ばされたり、レスラーが裸のままレフリーやったりして、まだ新しい見せ物の時代だということがよくわかる映像。
@@gadonawayne7035 さん、めちゃくちゃと言えばそれまでですが当時(1959年第一回ワールドリーグ)、アトミックが負傷したの事実だったようです。 予選第一戦の力道山-アトミックは力道山が暴走の末反則負け。第二試合のオルテガ-トーレス戦は時間切れの引き分けでした。ここでアトミックが傷が深く決勝には出れないと棄権。オルテガ-トーレスの再試合を持って決勝戦とするという意見が出たようですが、来場していたコミッショナーの大野氏(自民党副総裁)の「力道山にも出場権はある。オルテガ、トーレス、力道山の三人でくじを引いて、二人を決勝進出者とし、優勝決定戦を行なえ。」という鶴の一声で、力道山は命拾いし、抽選の結果トーレスが外れくじを引き3位が決定。当たりくじを引いた力道山とオルテガによって決勝が行なわれました。力道山プロレスはルーテーズ戦以降は不人気でしたがこの第一回ワールドリーグ戦でまた人気復活となっています。当時の観衆はワールドリーグ戦のような試合を受け入れたのでしょう。アトミックは力道山プロレス初めての覆面レスラーでした。テーズのような本格派ばかりではなく、アトミックのようなラフファイターを当時の観客が受けいれ人気が出たのでこれ以降、力道山プロレスにはラフファイターが多くなっていきます。話は違いますが1954年にはニューマン、シュナーベルとのタッグ戦で力道山組が負けて暴動が起きています。『勝利のカップが外人組に手渡されるときには観衆はすでに総立ち。罵声、怒声で場内は沸きかえる。警察に囲まれて退場する外人組には三階席からものが投げつけられる。数人の観客がリングに上がるとともに、千人近い観客が一斉にリングサイドに詰め寄った。 警察官数十名が駆けつけて騒ぎを鎮めようとするが、観客は警察官につっかかる。さらに椅子を踏みつぶして「金返せ」と騒ぎ続ける。管理人が場内の電灯を消して静粛にするように要請し、ようやく9時40分ごろに騒ぎは収まった。』 当時の観衆は外人組が勝利すると暴動が起きるという時代背景もありました。
女子プロレスの極悪レフェリーの阿部四郎さん以上でしたね(笑)
@@東銀座203 12:46 アトミックの右手にカミソリ。うずくまって額を自ら切っている。
アトミックは決勝に出られないストーリー
저런쇼에 어린나이때는 정말 열광했었지
김일 천규덕
그시절이 어언 50년이 훨넘었네
인생사 일장춘몽이구려
昔の覆面レスラーは理由あって素顔を隠しているような事情とか影のようなものを感じさせてその隠された実力とともに不気味さがありましたね。
ブレアスの試合は初めてだわ‼️("⌒∇⌒")
現役時代にはキニスキーと世界タッグ奪取したり、それなりのレスラー。その後ハワイのプロモーターとなり成功したレスラーの一人だと思います。
アトミックってビル.ミラーでしたかね。
ロードプレイアイス会長、若い^_^
Lord Blears and Bulldog Danny Plechas in tag team bout
ドンレオジョナサンにボコボコにされた力道山。
梶原一騎「アトミック大明神なのに
その覆面を剥いじまったのはチトまずかった・・・・・か」
ユセフトルコ「チトどころか!
若ハゲが見えちゃったりしてイメージ・ダウンしてくれたと
TV局やプロモーターに文句言われてたよ
ウチの力道山」
梶原一騎「今後アトミックブームを日本で持続させるためには
若ハゲの素性はタブーね」
日本人だと思ってたら違っていた。真剣勝負だと思ってたら筋書きのあるショーだった。それでも敗戦の悔しさに荒む人々の心に希望の光りを灯した人。
アトミックって梶原一騎さんの
男の星座で出てきたレスラーですな
男の星座では
試合前に極真カラテに負けていたんじゃないかな?
今考えると極真もうさん草
放送時間内に終わらせるというのが、当時のプロレス。レスラーというよりエンターティナー。空手チョップ一発で終わり。
pwfの会長の現役時代がみられるとは貴重!
それな
「ドーモ、アリガトゴザイマス」
ロード・ブレアース
@@紫秩父 それな
力道山はプロレスの原点
時代を感じる。今見たいにまだ全てが発展途上国だったかも知れない。
本当の始まりはG馬場だ力道山訃報後、日本のマットを引き継いだ。そこから色々な技を見れた。
仰る通りです。当時テーズがシカゴでやってる映像がユーチューブに揚がっているが、もっとレスリングしてます。力道山はレスリングができない。だからラファイトとなる。ジュースと呼ばれる流血を好む。その後の日本プロレスの嗜好を決定づけた。
対戦相手、赤覆面のMr.アトミックかな⁉️白黒TVで見たので確かなこと言えないが⁉️
笛とかラウンド制とか斬新
それな🪈
貴重映像!まさか力道山が負けるとは!
しかもパンチ合戦も珍しい!
鶴田はニヤケて
晩年までキレなかった。
力道山の試合を見てなかったんだろうか?🍺
Who was the masked man?
Mr. Atomic , Clyde Steeves
he is called masked preacher in US. Rikidozan as a promoter changed his ringname to an atomic because japan has been bombed by atomic bombs.
スカル・マーフェーとかヘイスタック・カルホーンとかよくみていたなあ。
ただ、中学生の時、学校の先生が「あれはショウなんだよ」と言って、これを聞いてから一気に興味なくなったのを
思い出した。
全身無毛の海坊主スカルマーフィー。お化けカボチャのカルホーン。役者ぞろいでしたね。
こんなにも強いのに呆気なく死んでしまった。皮肉なものね
力道山は酒癖が悪かったから。レスリングが下手で彼を強く見せるのに相手が大変です。
@@seegetsan さん、酒癖は悪くてもちゃんとトレーニングはしてました。
猪木イズムは力道イズムだったんだな。
代理の日本人レフェリーいなかったのかな⁉️
いつの間にレフリーが倒れたんだろう?カットされてるのかな。
セコンドに若き日のジョー樋口がいるが、ジョーさんがこの伝統芸を受けついだ。
こんな映像が残っているなんて。出来たらカラー化もしてくれるともっと嬉しいです。
歩き方がどことなく、F.F.エリックに似ている。
그때는 그랬었구나
Some of those Asian men had thighs like tree trunks . Their lower bodies we solid muscle
his ass like granite .. 🍑
力道山って動くんだな。
写真だけだと思ってた。
한국인❤❤❤❤❤❤
オルテガVS力道山、オルテガどう考えても本気でやって無いだろう!
懐かしい。
カウント早過ぎ。
도대체 경기규칙이 이상해요.
彌勒
遠藤幸吉を初めて見ました、あいた、あいた、が有名だったらしい!引退後も人望がなかったとか?
Why another wrestler is referee? Also, Mr. Atomic while in only country that was nuked!?
日本を挑発したようなリングネームだな。
ミスターアトミックは日本用リングネーム。米国ではmasked preacher (仮面親父)。これじゃ迫力ないから力道山がアトミック(原爆)と変えた。プロモーターとして一流のセンスです。
@@seegetsan 様
ありがとうございます。お詳しいですね。
意外に当時の日本人は気にしなかったのかも。1951年(昭和26年)に始まった手塚治虫の大人気漫画のタイトルも鉄腕アトムですし。アントニオ猪木やカールゴッチが得意技としたジャーマンスープレックスも日本では原爆固めでした。ジャーマンスープレックスはAtomic back hold 通称「原爆攻め」とカールゴッチ(カールクラウザー)初来日(1961年(昭和36年))のときの報道でありました。海外ではAtomic back holdとも呼ばれていましたので日本の記者は「原爆攻め」と名付けました。その後、原爆固めに。猪木の原爆固めは1970年のドリーファンクジュニア戦、それからジャック ブリスコ戦、ストロング小林戦など1970年代では有名な必殺技でした。1990年代から「週刊プロレス」が「原爆被害者に配慮を」という読者の投稿から、「原爆固め」の表記を止めました。
ミスターアトミック この頃42歳ですね。
トレーニングしてなかったのではないでしょうか。
名前と容姿が合致しません。
しかし、悪役レスラーとして日本では人気があったようですね。
このあと、何度も何度も来日しましたよ!
得意技は、凶器頭突きと ネックブリーカードロップ!
アトミックのお陰でワールドリーグが盛り上がったのです。その後何度か来日。迫力のあるネックブリーカドロップの使い手だった。
ミスター高橋なか
カウント1くらいか?(笑)
この試合は1959年。ミスター高橋がレフェリーデビューしたのは1972年です。
810
コイントス😂
SEXY💘 Gentlemen😍💋💖
ㅠ 김일한테 속았다
장영철이가 옳았어
牧歌的。
確かに123早い!笑!
흐흐
아재들의 개그 보는거 같음
손바닥 때리기로
레전드가 되다~~~
진짜 웃긴다
芳の里淳三さんの下駄を見たいんですけど。
カウントが早すぎる
引き分け契約試合で突然裏切り勝利したり、ルーテーズとの契約で力道山はバックドロップ使用禁止契約の試合なのにまたもや裏切りバックドロップ使用。吉本興業が関西初のプロレス開催で力道山側が4で吉本が6の4:6約束で開催したのに突然、力道山は後から俺が6でお前が4だと林正之助に言い放ち、ブチ切れた正之助が力道山に飛び掛って焦った力道山が「お前、根性あるな」と吉本が6になった。流石、力道山!平気で嘘つくのは半島の専門ってとこです。
0831 hashiさんのように思っている事だけでは1954年~1963年の日本の英雄にはならなかったでしょう。吉本興業側が6と言うのも取りすぎの感じもしますね。聖人君子ではないですし、乱暴者で短気なところもありましたがそれなりの貢献はあり、当時の日本に元気を与えたのも事実。
쌩쇼
35:20... 100% MALE !
カウントが早過ぎ。なんだか力道山を優勝させたいのが見え見えですかね。
額をセルフカットしている時に攻撃はダメでしょ
力道山が80、90近い年齢で生きてたら、新日本プロレス、全日本プロレスは旗揚げされて無かったかも知れない。
馬場と猪木にそれぞれ城持たせて、裏で上納金取ったと思いますよ。
力道山には申し訳ないが、早く亡くなったことに日本のプロレス発展に幸いしたことは確かだと思います。
@@seegetsan さん、力道山がいなければそもそも日本でプロレスブームはなかったでしょう。
力道山のプロレスだね。
普通優勝はオルテガだろ(笑)
狂える巨像 オルテガはデカイな!
固いこと言わない。力道山は外国人レスラーに金払ってる雇用主。リキさんはオールマイティ―です。
レフリー九州山の白トレパンと遠藤のブリーフみたいなタイツウケる❗ロードブレアーズも若いときは動きがシャープでブレチェスも日本人の観客の気質を把握して楽しませてますね。豊登のサバ折だもんね。サバ折って可笑しいよね。皆さんも誰かにやってみたら。何やってんの馬鹿みたいなこと、止めなさいって怒られるから。
力道山以下みんなレスリングが下手。外国人レスラーはお客さん盛り上げるために上手く試合運んでると思います。これぞショウースポーツであるプロレスの醍醐味です!
@@seegetsan (笑)
単なるいわゆるプロレス見せ物。
それな
息子の解説が邪魔な事だけははっきりする。本人の自覚がないのが可哀想になるほど
12:54頃アトミックが倒れて自分で額切ってるの分かる。ブレイドだね。その後13:00頃アトミックがレフリーにブレイドを手渡している。これだけネタバレも珍しい。貴重映像。
@@seegetsanそれな🪒
外人の契約には「空手チョップ食らったら痛がるようにする」は付帯条件にあった