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同じ浄土真宗とは言っても、東西で違いがある様に、同じ御東でも地域によって若干の違いは有るのですね。とても参考になりました。ありがとう御座いました😊。
奈瑞菜様ご視聴、コメント、ありがとうございます。地域によっての違いは、ある意味あって然るべきことです。地域によって方言と呼ばれる言語があるように、地域よってイントネーションが違うように、言葉に、声に出せば、違ってまいります。そしてその違いを、否定する必要は微塵もありません。なぜなら、どれだけ否定しても、あるものはあるのです。故に…お東のスローガンがあるのです。『ばらばらで…いっしょ』南無阿弥陀仏合掌高科修
南無阿弥陀仏
潤照夫様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿弥陀合掌高科修
ほぼ一年前の動画なんですね。正信偈、念仏・和讃三首引き、回向。三首引きは中々なかったので、ありがたく思います。
かもの小道様ご視聴、コメントありがとうございます。「ありがたく思います。」とのお言葉をいただき、嬉しく思っております。朝、夕のお勤めに、「正信偈」の練習に、どうぞ、ご活用ください。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様いつもありがとうございます。気が付けばいつの間にか「大河ドラマ」の様なオープニング。このクオリティの高さはBeryGoodです。私達の勤行の基本「同朋奉讃」と共に「草四句目下」も拝見できて有難いです。同朋会館での夕事勤行の際に、皆さんと称えた現世利益和讃「南無阿弥陀仏をとなうれば・・・」も私の背中を押してくれるようで大好きな和讃です。これからも勤行、経典シリーズをよろしくお願い致します。南無阿弥陀仏合掌
しろくま様ご視聴、コメントありがとうございました。・阿弥陀経・嘆仏偈・願生偈この三つは、予定しております。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科様、正信偈の動画を配信してくださりありがとうございます。金沢では門徒の方も、この“節・調子”で唱和されるのが日常なんでしょうね。配信で読まれていた“節や調子”で祖父母は読んでいた記憶がありますが、地域性もあるのかもしれませんが、私の周囲では、ご坊さんでもこの“節・調子”で読まれることはないように思います。私の手元にあるお寺から頂いた正信偈の本、“節や調子”が異なるので、読みやすくなっている《簡易版?》なのでしょうか。《簡易版》に慣れてしまっている私には、声を出して読むには時間がかかりそうなので、今はひたすら【聴く】ことを繰り返しております。直接教わる時間の余裕がありませんので、動画を師に練習していきます。南無阿弥陀仏 合掌
奥村智明様ご視聴、コメントありがとうございます。奥村智明様の仰る「簡易版」……正信偈に節が無いのであれば、それは『真読(しんどく)』と呼ばれる読み方です。同じく和讃に節が無い読み方は『お早引き』形式による和讃の読み方と言えます。正信偈・和讃の唱和は、地域により異なります。その地域地域で違っていて良いと思います。方言と同じです。それが地域性なのですから。ただ …正式な読み方を知っていて、読めることも門徒として大切なことでもあります。ここ金沢(石川県)では、お通夜はもちろん、あらゆるお寺に関する行事で、必ず正信偈を動画のように唱和します。その接する機会の多さ故に、小さい子供ほど、耳から覚え、唱和いたします。ご精進下さりますことを、切に願っております。南無阿彌陀仏合掌高科修
高科様いつも丁寧に返信してくださりありがとうございます。私の住むエリアでは“正式”な読み方で唱和する機会はほとんどありませんが、配信して頂いた動画を聴いて精進したいと思います。
大谷派の正信偈(草四句目下)、初めて、ちゃんと聞かせて頂きました。リクエストされる理由が、よく分かりました。「この節回し、一朝一夕では覚えられへんわ」私は高田派。その正信偈は節のない棒読みです。文類偈(少しだけ節がついてる)が主だった私は、勤行CDで正信偈を始めましたが、1週間で十分でした。興味があって、お尋ねします。大谷派には9種類の唱え方があると知りました。作詞:親鸞聖人、作曲:蓮如上人、とのこと。蓮如さんは何故に9種類も作曲され、現在、どの様に使い分けられているのでしょうか?唱え方に、場面に応じた格式があるのですか?(ちなみに高田は、正信偈も文類偈も1種類)■ チーム高科の皆様今までに無い、かっこいいオープニング、撮影担当者様の構図と照明、カメラワーク、編集担当者様のスロー再生と文字同期の編集作業、4名(?)での唱和音声を、クリアで的確な録音、この最終形態へ決めるまでに重ねた議論の数々、幻想的でステキな「力作動画」に感動でした! 鈴木@新潟 51歳P.S.今日は、亡き兄の祥月命日。三重の風習通り、市内高田派の住職に、盆参りをお願いしてました。夕方なので、正信偈ではなく文類偈を唱和でした。.
BEAM202様正信偈の唱え方についてのお尋ねにお答え致します。先ず、作詞親鸞、作曲蓮如の正信偈でありますが…その原型は親鸞御自身が示しておられます。圏発と呼ばれる、漢字の四声(平声・上声・去声・入声)を示して四声の清濁緩急を図示しておる国宝本が現存しております。これは、親鸞聖人御自身が念仏に添えて諷誦(それとなくわかるように読む)しておられたことを示しております。その後…本願寺第3代宗主覚如上人が、天台の流儀によって節をつけて諷誦していたと伝えられております。第7代宗主の存如上人(蓮如の父)は、正信偈と和讃を共にし、教化と勤行に用いて、蓮如上人の基礎を作りました。蓮如上人(第8代宗主)の時代になり、はじめて正信偈を朝夕の勤行とし、文明5年(1473)3月、三帳和讃に正信偈を加え4帳として開版。これが本宗における聖典開版の初めであり、今日の正信偈読誦の基礎となったのです。第9代宗主実如上人の頃には、墨譜・舌々 の別が生じ、江戸初期には、句切・句下・墨譜真・墨譜草・繰引'中拍子・舌々真・舌々行・舌々草の10種類を数えるに至っています。現在の当派の9種の正信偈は、この9種類をほぼ受け継いだものとなっております。作詞親鸞作曲蓮如ではありますが、その作曲に至っては、やはり真宗の宗…多くの屍の上に立ってのことであります。浄土真宗が教団として歴史を重ねるにつれ、法要自体にどうしても、軽重が生じて参ります。例えば親鸞聖人のご命日の勤行を最大格の重い格としてAのお勤めを執り行ったならば、他の場合はAより格を落としたお勤めでなければ、Aの意味が無くなります。平と特別を分けるという意味合いにより、当派では、9種の正信偈が生れたと御理解頂ければよろしいかと存じます。次に正信偈9種類の用い方につきましては、以下の通りであります。正信偈舌々 平の晨朝・初夜・後夜勤行等の軽い格の時に勤まる念仏讃淘二中読 葬場勤行の添勤め・晨朝等、中程度の格の時に勤まる念仏讃淘三~五三真読 寺院方の葬場勤行の添勤め・報恩講等の行事中の晨朝等の重い格の時に勤まる念仏讃淘五~十二中拍子 命日の晨朝等で使用するが、比較的軽めの格の時に臨機応変に勤まる念仏讃淘三~五草四句目下 現在は同朋唱和の形式が主流になっていて、軽重問わず勤まることができる元来は比較的軽めのお勤めの時に勤まる念仏讃淘三~十二行四句目下 命日の逮夜・日中などの通常より比較的重い時に勤まる念仏讃淘五三真四句目下 祥月命日や報恩講などの法要、重い格の時に勤まる 一般寺院での最大格のお勤めになる念仏讃淘五~八(別院以上・十)句切 別院以上の寺院で報恩講で勤まる重い格の時に勤まる念仏讃淘十~(本山・十二)句淘 本山の報恩講でのみ勤まる最大格の重い格の時に勤まる念仏讃淘十二以上、遅くなりましたが、お尋ねの返信となります。よろしくお願い申し上げます。南無阿彌陀仏合掌高科修
詳細な解説をありがとうございます。非常に興味深く読まさせて頂きました。格を意識した結果の、長い歴史なのですね。仏教美術と同じ様に、奥が深いなぁ、と。多くの僧侶・門徒によって伝承された...何百年も。楽譜や録音が無い時代ですから、時代により変化・発展もあったのでしょう。その、重い、思いに、南無阿弥陀仏です。せっかく受け継がれた正信偈であるのに、私の理解は、まだまだ高くありません。少しずつ、内容の理解度をあげて、深く味わって、唱えたいと思います。 鈴木@新潟 52歳.
高科ご住職様 ご無沙汰しております。『正信偈』の動画 待ってました‼️今回の動画の始まり方すごく かっこいいです‼️めちゃくちゃ 素敵です👏私が今までに聞いた正信偈とは 違い とても 迫力があり 心に染みる 正信偈でした。皆さんの息もピッタリで とても有難く 拝聴させて頂きました。ありがとうございました。最近の金沢……異常な暑さが続いていると お聞きしております。高科ご住職様、スタッフの皆様。まだまだ 猛暑日が続きそうですが お身体には 十分 お気をつけください。
さくら🌸様お久しぶりのコメントありがとうございます。猛暑が続いておりますが、如何お過ごしでしたでしょうか……体調などお変わり無いようなら幸いです。正信偈、お褒め頂き、スタッフ一同大変恐縮致しております。ありがとうございます。また、スタッフ一同の体調などご心配頂き痛み入ります。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございます。スタッフ一同、ますます精進致してまいります。南無阿彌陀仏合掌高科修
いつも正信偈を聞いております。いつも思う事は、読み方に何種類かの読み方がありますね。正信偈は。初めて聞く場合は赤本を見て、確認がちょっと大変です。
Yoshi Kawai様ご視聴、コメントありがとうございます。・舌々(ぜぜ)・中読・真読・中拍子・草四句目下・行四句目下・真四句目下・句切・句淘正信偈には、上記の九通りの読み方が、真宗お大谷派には存在しております。その法要の『重さ』に合わせて、下に行くほど重い法要で読む読み方であります。南無阿弥陀仏合掌高科修
@@buddhism_japan なら、本願寺派他の真宗派も違う読み方があるんですね。本願寺派と大谷派の読み方のテンポは違うし。
正信偈ありがとうございます。凡聖逆ほう~の部分が好きです。袈裟が違うのはなぜですか
etu omo様ご視聴、コメントありがとうございました。阿弥陀如来像が安置されておる場所を『内陣』と申します。内陣に向かい座る場所を『外陣』と申します。内陣は…『大きな深い願い』を、目で見える姿で表現をして、手を合わせる対象としておる場所であります。それを浄土真宗では『浄土』と呼んでおります。大きな深い願い=仏、その仏の世界を表しております。故に…その内陣に座る僧侶の僧衣は、色のついた法衣であり、そのお荘厳の一部を担います。対して外陣は、『大きな深い願い』に相対している、向かい合っている、お参りをしている、自身の姿を映している等々、大きな深い願いの中で生きている『私』の姿です。故に…黒衣・墨袈裟=開山親鸞聖人が着用された質素な黒色の僧衣を身につけることにより、南無阿彌陀仏に出会いただただ合掌を致すしかなかった親鸞聖人のその思い立ち返る意味。での法衣であります。ご認知頂きたく存じます。南無阿弥陀仏合掌高科修
ありがとうございます、いつも拝聴しています。今回の動画は、とても助かります。☺️実は、念仏、和讃の節が取りにくく、困っております。文字の右側に付いている記号の読み方も教えて頂けないでしょうか。🙇
五十嵐修様ご視聴、コメントありがとうございました。お念仏と御和讃の節と調子を淘(ユリ)といいます。淘は経文の横にある節譜(セップ)という十六種の棒線や折線によって発声方法が示され、二、三、五三、八、十、十二は、その本数をあらわします。和讃の読み方を動画で配信することは出来ます。しかしながら、五十嵐修様が、その配信した和讃の読み方を、正しく呼んでいるのか、または間違っているのかの判断が、私には、はかり知ることが出来ません。本来、経文を、または正信偈を通読したいという方には、膝と膝を突き合わせた対面での口伝が浄土真宗大谷派の常であります。まずは、この動画を聞きながら、経本を目で追い、耳からその節を覚えて頂くのが最善であります。そして、本当に通読したいと切望なさるのなら、どうぞご遠慮なく、お手次のご僧侶、またはお知り合いのご僧侶に習いにいかれるの良いと思います。それが一番の近道であり、最善です。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科修様ご丁寧にどうもありがとうございます。やはり対面の口伝で習わねばならぬ程に難しいのですね。節譜が本数だと分かりましたので、この動画で経本に示されたユリをしっかり聞き分け覚えながら、練習するようにします。また、寺院によっては声明の講習会が行われるところもあるように聞くので、機会があれば受けてみようと思います。縁のあるお寺様で、法事などのとき経本が参列者に配られます。住職は「皆さんもご一緒に唱和してください」とおっしゃるだけで、称え始められます。自宅で親などの発声から正信偈を聞く機会も無く育った世代の者は、唱和できず、ただ聞くだけで、大切な念仏も声となっては出てこないのです。ただ法事の作法をしているとしか見えない住職に教わろうとは思いません。五十嵐修
五十嵐修様もう一度、五十嵐修様ご自身のコメントを、五十嵐修様ご自身でお読みください。・縁のあるお寺様で、法事などのとき経本が参列者に配られます。・住職は「皆さんもご一緒に唱和してください」とおっしゃるだけで、称え始められます。・自宅で親などの発声から正信偈を聞く機会も無く育った世代の者は、唱和できず、ただ聞くだけで、大切な念仏も声となっては出てこないのです。・ただ法事の作法をしているとしか見えない住職に教わろうとは思いません。どうでしょうか……お気づきになられましたでしょうか…そう…五十嵐修様ご自身は何にもしておりません。もっというならば、本気で唱和したいとおもったなら、なぜ、縁のあるお寺の住職に教えて欲しいいと言わなかったのか。五十嵐修様ご自身は何も行動していないのに、すべてを周りのせいにした言い訳になっております。言い訳だけならまだしも、一緒に唱和を仰る住職を…共に唱和して法事を執り行おうという気持ちのある住職を…「ただ法事の作法をしているとしか見えない住職」としか見えなくなっておられます。「ただ法事の作法をしているとしか見えない」のは、ある意味、住職ではなく、そう見えている貴方自身であります。もしかしたら、正信偈を通読したいのも、貴方自身の、みんなと唱和できないのは恥ずかしいという見栄があるのではないですか?心の奥底に…もしあるとするなら、それは唱和する心ではありません。門徒が住職を育てるという言葉も、浄土真宗にはございます。まずは、お寺とのお付き合い、住職とのお付き合いを見つめ直し、ご自身を問うてみてください。正信偈は、親鸞聖人が南無阿彌陀仏に出会った感激を綴らずにはおられなかった偈であります。その通読は、正信偈の…親鸞聖人の心根を追体験することであります。正信偈を唱和できるようになっても、今の五十嵐修様ご自身の考え方やふるまいは、浄土真宗から遠く離れております。南無阿弥陀仏合掌高科修
高科修様どうもありがとうございます。なるほどと気付かせていただきました。五十嵐修
同じ浄土真宗とは言っても、東西で違いがある様に、同じ御東でも地域によって若干の違いは有るのですね。とても参考になりました。ありがとう御座いました😊。
奈瑞菜様
ご視聴、コメント、ありがとうございます。
地域によっての違いは、ある意味あって然るべきことです。
地域によって方言と呼ばれる言語があるように、
地域よってイントネーションが違うように、
言葉に、声に出せば、違ってまいります。
そしてその違いを、否定する必要は微塵もありません。
なぜなら、どれだけ否定しても、あるものはあるのです。
故に…お東のスローガンがあるのです。
『ばらばらで…いっしょ』
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
南無阿弥陀仏
潤照夫様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿弥陀
合掌
高科修
ほぼ一年前の動画なんですね。
正信偈、念仏・和讃三首引き、回向。三首引きは中々なかったので、ありがたく思います。
かもの小道様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「ありがたく思います。」とのお言葉をいただき、嬉しく思っております。
朝、夕のお勤めに、「正信偈」の練習に、どうぞ、ご活用ください。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様
いつもありがとうございます。
気が付けばいつの間にか「大河ドラマ」の様なオープニング。
このクオリティの高さはBeryGoodです。
私達の勤行の基本「同朋奉讃」と共に「草四句目下」も拝見できて有難いです。
同朋会館での夕事勤行の際に、皆さんと称えた現世利益和讃「南無阿弥陀仏をとなうれば・・・」
も私の背中を押してくれるようで大好きな和讃です。
これからも勤行、経典シリーズをよろしくお願い致します。
南無阿弥陀仏
合掌
しろくま様
ご視聴、コメントありがとうございました。
・阿弥陀経
・嘆仏偈
・願生偈
この三つは、予定しております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様、正信偈の動画を配信してくださりありがとうございます。
金沢では門徒の方も、この“節・調子”で唱和されるのが日常なんでしょうね。
配信で読まれていた“節や調子”で祖父母は読んでいた記憶がありますが、
地域性もあるのかもしれませんが、私の周囲では、ご坊さんでもこの“節・調子”で読まれることはないように思います。
私の手元にあるお寺から頂いた正信偈の本、“節や調子”が異なるので、読みやすくなっている《簡易版?》なのでしょうか。
《簡易版》に慣れてしまっている私には、声を出して読むには時間がかかりそうなので、今はひたすら【聴く】ことを繰り返しております。
直接教わる時間の余裕がありませんので、動画を師に練習していきます。
南無阿弥陀仏
合掌
奥村智明様
ご視聴、コメントありがとうございます。
奥村智明様の仰る「簡易版」……
正信偈に節が無いのであれば、それは『真読(しんどく)』と呼ばれる読み方です。
同じく和讃に節が無い読み方は『お早引き』形式による和讃の読み方と言えます。
正信偈・和讃の唱和は、地域により異なります。
その地域地域で違っていて良いと思います。
方言と同じです。それが地域性なのですから。
ただ …
正式な読み方を知っていて、読めることも門徒として大切なことでもあります。
ここ金沢(石川県)では、お通夜はもちろん、あらゆるお寺に関する行事で、必ず正信偈を動画のように唱和します。
その接する機会の多さ故に、小さい子供ほど、耳から覚え、唱和いたします。
ご精進下さりますことを、切に願っております。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
高科様
いつも丁寧に返信してくださりありがとうございます。
私の住むエリアでは“正式”な読み方で唱和する機会はほとんどありませんが、配信して頂いた動画を聴いて精進したいと思います。
大谷派の正信偈(草四句目下)、
初めて、ちゃんと聞かせて頂きました。
リクエストされる理由が、よく分かりました。
「この節回し、一朝一夕では覚えられへんわ」
私は高田派。その正信偈は節のない棒読みです。
文類偈(少しだけ節がついてる)が主だった私は、
勤行CDで正信偈を始めましたが、1週間で十分でした。
興味があって、お尋ねします。
大谷派には9種類の唱え方があると知りました。
作詞:親鸞聖人、作曲:蓮如上人、とのこと。
蓮如さんは何故に9種類も作曲され、現在、
どの様に使い分けられているのでしょうか?
唱え方に、場面に応じた格式があるのですか?
(ちなみに高田は、正信偈も文類偈も1種類)
■ チーム高科の皆様
今までに無い、かっこいいオープニング、
撮影担当者様の構図と照明、カメラワーク、
編集担当者様のスロー再生と文字同期の編集作業、
4名(?)での唱和音声を、クリアで的確な録音、
この最終形態へ決めるまでに重ねた議論の数々、
幻想的でステキな「力作動画」に感動でした!
鈴木@新潟 51歳
P.S.
今日は、亡き兄の祥月命日。三重の風習通り、
市内高田派の住職に、盆参りをお願いしてました。
夕方なので、正信偈ではなく文類偈を唱和でした。
.
BEAM202様
正信偈の唱え方についてのお尋ねにお答え致します。
先ず、作詞親鸞、作曲蓮如の正信偈でありますが…
その原型は親鸞御自身が示しておられます。
圏発と呼ばれる、漢字の四声(平声・上声・去声・入声)を示して四声の清濁緩急を図示しておる国宝本が現存しております。
これは、親鸞聖人御自身が念仏に添えて諷誦(それとなくわかるように読む)しておられたことを示しております。
その後…本願寺第3代宗主覚如上人が、天台の流儀によって節をつけて諷誦していたと伝えられております。
第7代宗主の存如上人(蓮如の父)は、正信偈と和讃を共にし、教化と勤行に用いて、蓮如上人の基礎を作りました。
蓮如上人(第8代宗主)の時代になり、はじめて正信偈を朝夕の勤行とし、文明5年(1473)3月、三帳和讃に正信偈を加え4帳として開版。
これが本宗における聖典開版の初めであり、今日の正信偈読誦の基礎となったのです。
第9代宗主実如上人の頃には、墨譜・舌々 の別が生じ、江戸初期には、句切・句下・墨譜真・墨譜草・繰引'中拍子・舌々真・舌々行・舌々草の10種類を数えるに至っています。
現在の当派の9種の正信偈は、この9種類をほぼ受け継いだものとなっております。
作詞親鸞作曲蓮如ではありますが、その作曲に至っては、やはり真宗の宗…多くの屍の上に立ってのことであります。
浄土真宗が教団として歴史を重ねるにつれ、法要自体にどうしても、軽重が生じて参ります。
例えば親鸞聖人のご命日の勤行を最大格の重い格としてAのお勤めを執り行ったならば、他の場合はAより格を落としたお勤めでなければ、Aの意味が無くなります。
平と特別を分けるという意味合いにより、当派では、9種の正信偈が生れたと御理解頂ければよろしいかと存じます。
次に正信偈9種類の用い方につきましては、以下の通りであります。
正信偈
舌々 平の晨朝・初夜・後夜勤行等の軽い格の時に勤まる
念仏讃淘二
中読 葬場勤行の添勤め・晨朝等、中程度の格の時に勤まる
念仏讃淘三~五三
真読 寺院方の葬場勤行の添勤め・報恩講等の行事中の晨朝等の重い格の時に勤まる
念仏讃淘五~十二
中拍子 命日の晨朝等で使用するが、比較的軽めの格の時に臨機応変に勤まる
念仏讃淘三~五
草四句目下 現在は同朋唱和の形式が主流になっていて、軽重問わず勤まることができる
元来は比較的軽めのお勤めの時に勤まる
念仏讃淘三~十二
行四句目下 命日の逮夜・日中などの通常より比較的重い時に勤まる
念仏讃淘五三
真四句目下 祥月命日や報恩講などの法要、重い格の時に勤まる
一般寺院での最大格のお勤めになる
念仏讃淘五~八(別院以上・十)
句切 別院以上の寺院で報恩講で勤まる重い格の時に勤まる
念仏讃淘十~(本山・十二)
句淘 本山の報恩講でのみ勤まる最大格の重い格の時に勤まる
念仏讃淘十二
以上、遅くなりましたが、お尋ねの返信となります。
よろしくお願い申し上げます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
詳細な解説をありがとうございます。
非常に興味深く読まさせて頂きました。
格を意識した結果の、長い歴史なのですね。
仏教美術と同じ様に、奥が深いなぁ、と。
多くの僧侶・門徒によって伝承された...
何百年も。楽譜や録音が無い時代ですから、
時代により変化・発展もあったのでしょう。
その、重い、思いに、南無阿弥陀仏です。
せっかく受け継がれた正信偈であるのに、
私の理解は、まだまだ高くありません。
少しずつ、内容の理解度をあげて、
深く味わって、唱えたいと思います。
鈴木@新潟 52歳
.
高科ご住職様 ご無沙汰しております。
『正信偈』の動画 待ってました‼️
今回の動画の始まり方
すごく かっこいいです‼️
めちゃくちゃ 素敵です👏
私が今までに聞いた正信偈とは 違い とても 迫力があり 心に染みる 正信偈でした。
皆さんの息もピッタリで とても有難く 拝聴させて頂きました。
ありがとうございました。
最近の金沢……
異常な暑さが続いていると お聞きしております。
高科ご住職様、スタッフの皆様。
まだまだ 猛暑日が続きそうですが お身体には 十分 お気をつけください。
さくら🌸様
お久しぶりのコメントありがとうございます。
猛暑が続いておりますが、如何お過ごしでしたでしょうか……
体調などお変わり無いようなら幸いです。
正信偈、お褒め頂き、スタッフ一同大変恐縮致しております。
ありがとうございます。
また、スタッフ一同の体調などご心配頂き痛み入ります。
重ねてお礼申し上げます。
ありがとうございます。
スタッフ一同、ますます精進致してまいります。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
いつも正信偈を聞いております。いつも思う事は、読み方に何種類かの読み方がありますね。
正信偈は。初めて聞く場合は赤本を見て、確認がちょっと大変です。
Yoshi Kawai様
ご視聴、コメントありがとうございます。
・舌々(ぜぜ)
・中読
・真読
・中拍子
・草四句目下
・行四句目下
・真四句目下
・句切
・句淘
正信偈には、上記の九通りの読み方が、真宗お大谷派には存在しております。
その法要の『重さ』に合わせて、下に行くほど重い法要で読む読み方であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan
なら、本願寺派他の真宗派も違う読み方があるんですね。
本願寺派と大谷派の読み方のテンポは違うし。
正信偈ありがとうございます。
凡聖逆ほう~の部分が好きです。
袈裟が違うのはなぜですか
etu omo様
ご視聴、コメントありがとうございました。
阿弥陀如来像が安置されておる場所を『内陣』と申します。
内陣に向かい座る場所を『外陣』と申します。
内陣は…
『大きな深い願い』を、目で見える姿で表現をして、手を合わせる対象としておる場所であります。
それを浄土真宗では『浄土』と呼んでおります。
大きな深い願い=仏、
その仏の世界を表しております。
故に…その内陣に座る僧侶の僧衣は、色のついた法衣であり、そのお荘厳の一部を担います。
対して外陣は、『大きな深い願い』に相対している、向かい合っている、お参りをしている、自身の姿を映している等々、大きな深い願いの中で生きている『私』の姿です。
故に…
黒衣・墨袈裟=開山親鸞聖人が着用された質素な黒色の僧衣を身につけることにより、南無阿彌陀仏に出会いただただ合掌を致すしかなかった親鸞聖人のその思い立ち返る意味。
での法衣であります。
ご認知頂きたく存じます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
ありがとうございます、いつも拝聴しています。今回の動画は、とても助かります。☺️実は、念仏、和讃の節が取りにくく、困っております。文字の右側に付いている記号の読み方も教えて頂けないでしょうか。🙇
五十嵐修様
ご視聴、コメントありがとうございました。
お念仏と御和讃の節と調子を淘(ユリ)といいます。
淘は経文の横にある節譜(セップ)という十六種の棒線や折線によって発声方法が示され、二、三、五三、八、十、十二は、その本数をあらわします。
和讃の読み方を動画で配信することは出来ます。
しかしながら、五十嵐修様が、その配信した和讃の読み方を、正しく呼んでいるのか、または間違っているのかの判断が、私には、はかり知ることが出来ません。
本来、経文を、または正信偈を通読したいという方には、膝と膝を突き合わせた対面での口伝が浄土真宗大谷派の常であります。
まずは、この動画を聞きながら、経本を目で追い、耳からその節を覚えて頂くのが最善であります。
そして、本当に通読したいと切望なさるのなら、どうぞご遠慮なく、お手次のご僧侶、またはお知り合いのご僧侶に習いにいかれるの良いと思います。
それが一番の近道であり、最善です。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科修様
ご丁寧にどうもありがとうございます。
やはり対面の口伝で習わねばならぬ程に難しいのですね。
節譜が本数だと分かりましたので、この動画で経本に示されたユリをしっかり聞き分け覚えながら、練習するようにします。
また、寺院によっては声明の講習会が行われるところもあるように聞くので、機会があれば受けてみようと思います。
縁のあるお寺様で、法事などのとき経本が参列者に配られます。住職は「皆さんもご一緒に唱和してください」とおっしゃるだけで、称え始められます。
自宅で親などの発声から正信偈を聞く機会も無く育った世代の者は、唱和できず、ただ聞くだけで、大切な念仏も声となっては出てこないのです。
ただ法事の作法をしているとしか見えない住職に教わろうとは思いません。五十嵐修
五十嵐修様
もう一度、五十嵐修様ご自身のコメントを、五十嵐修様ご自身でお読みください。
・縁のあるお寺様で、法事などのとき経本が参列者に配られます。
・住職は「皆さんもご一緒に唱和してください」とおっしゃるだけで、称え始められます。
・自宅で親などの発声から正信偈を聞く機会も無く育った世代の者は、唱和できず、ただ聞くだけで、大切な念仏も声となっては出てこないのです。
・ただ法事の作法をしているとしか見えない住職に教わろうとは思いません。
どうでしょうか……
お気づきになられましたでしょうか…
そう…五十嵐修様ご自身は何にもしておりません。
もっというならば、本気で唱和したいとおもったなら、なぜ、縁のあるお寺の住職に教えて欲しいいと言わなかったのか。
五十嵐修様ご自身は何も行動していないのに、すべてを周りのせいにした言い訳になっております。
言い訳だけならまだしも、一緒に唱和を仰る住職を…
共に唱和して法事を執り行おうという気持ちのある住職を…
「ただ法事の作法をしているとしか見えない住職」としか見えなくなっておられます。
「ただ法事の作法をしているとしか見えない」のは、ある意味、住職ではなく、そう見えている貴方自身であります。
もしかしたら、正信偈を通読したいのも、貴方自身の、みんなと唱和できないのは恥ずかしいという見栄があるのではないですか?
心の奥底に…
もしあるとするなら、それは唱和する心ではありません。
門徒が住職を育てるという言葉も、浄土真宗にはございます。
まずは、お寺とのお付き合い、住職とのお付き合いを見つめ直し、ご自身を問うてみてください。
正信偈は、親鸞聖人が南無阿彌陀仏に出会った感激を綴らずにはおられなかった偈であります。
その通読は、正信偈の…
親鸞聖人の心根を追体験することであります。
正信偈を唱和できるようになっても、今の五十嵐修様ご自身の考え方やふるまいは、浄土真宗から遠く離れております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科修様
どうもありがとうございます。
なるほどと気付かせていただきました。
五十嵐修