【季重なり②】よくある質問「何個まで許される?」にお答えします

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 16 янв 2025

Комментарии • 187

  • @lightning_wombat
    @lightning_wombat 4 года назад +50

    打水や萩より落ちし子かまきり
    打水がしっかり詠嘆されている以上、夏の句であると解釈しました。萩、かまきりは確かに秋の季語ではありますが、角川合本俳句歳時記(第五版)には「子かまきり」が「蟷螂生る(仲)」の傍題として掲載されています。萩に関してもこの句の場合、萩の持つ秋らしい季節感が薄く、あくまでも子かまきりが萩から落ちたという実景だけを描いているように感じられました。
    暑い夏に打水をしたところ、萩から生まれたてのかまきりが落ちるのを見た。周りは夏真っ盛りだが、間違いなく秋は近づいてきていることをこの小さな出来事から感じる。間も無くこの萩も美しく、蟷螂も愛おしく感じられる秋がやってくるのだろう。
    このように解釈しました。

    • @河本かおり
      @河本かおり 4 года назад +2

      子かまきりの季語を知らず上記のように鑑賞したのですが、Yさんのコメントを読んで納得しました。教えていただきたいのですが、私は小さなかまきりが1匹落ちたと鑑賞したのでですが、子かまきりということであれば、蟷螂生るに準じて複数の生まれたばかりのかまきりが落ちた景と鑑賞した方が良いのでしょうか?

    • @lightning_wombat
      @lightning_wombat 4 года назад +3

      河本かおり ご返信ありがとうございます!組長も動画で仰っていたように、鑑賞に正解は無いと思います。が、個人的には打水の音に反応して子かまきりがワシャーっと落ちてくる景色の方がインパクトありますし、このうち何匹が秋までに大きくなれるんだろうというちょっとした寂しさも感じられるかな?とも感じました!

    • @河本かおり
      @河本かおり 4 года назад

      がろーどY さん、返信ありがとうございます。俳句の鑑賞って奥が深いですね!俳句楽しい!!

  • @河本かおり
    @河本かおり 4 года назад +19

    打水をするくらい残暑厳しい頃です。萩はまだ盛りではなく、水を打つと小さな蟷螂が落ちます。こんな暑いのに落ちた蟷螂を見て秋は確かに訪れたことに気付くのです。主季語は蟷螂と解釈します。かまきりを見たことにより萩は蕾をつけ、習慣としてしていた打水はそろそろしなくていいのだと感じる。下五まで読み下し上五にフィードバックする。

  • @crab_kanikani
    @crab_kanikani 4 года назад +25

    打水や萩より落ちし子かまきり
    私は子かまきりをメインにした秋の句だと感じました
    残暑が遅れてきたような暑い日に子かまきりがポロッと出てきて「もう秋は来ているぞ」と教えてくれているのかなぁなどと想像しています
    ただのかまきりではなく「子かまきり」と言うのも、なんとなく秋の「始まり」を示唆しているような気がします
    しかしこの解釈だと萩をただの背景にしてしまうのが勿体無くて悩ましいです

  • @kiyokazu5826
    @kiyokazu5826 4 года назад +18

    秋の句で子かまきりの項目に入れるのがいいのでは、暑いので打ち水をしていたら萩から落ちた子かまきりを見てもう秋なんだなあと感じたという句だと僕はこの句をとらえました。

  • @藤田ゆきまち
    @藤田ゆきまち 4 года назад +10

    打水は暑いからこそするものだとお思います。「や」は調子合わせではなくとても暑い時の夏の出来事だよと作者は言いたい。だからこそ打水やと強調しているのだと思いました。萩も子かまきりもまだ出番ではない。秋の気配を感じるというよりも夏に少し早く紛れ込んできてしまった秋の季語達ではないかと捉えました。小さいかまきりが萩より落ちる=まだ秋の出番ではないほど暑い夏である。そんな感じにとらえました。ゆきまち

    • @藤田ゆきまち
      @藤田ゆきまち 4 года назад

      追記、だってよっぽど暑くないと打水しませんよ!水もったいないし(笑)

  • @ぶっちも
    @ぶっちも 4 года назад +17

    私は「子かまきり」です。打水は人間の行為であり 季節を問わず行う事ができます。そして この句のきっかけになります。
    萩は場所でしょうか。子かまきりはこの季節しかいない生物であり動きがあるので 強い印象が残るからです。
    実際に自分がこの句の場面に居たとしたら 間違いなく 「あっ、かまきりの赤ちゃんだ~」と胸が弾むでしょう。

  • @黒子-s2w
    @黒子-s2w 4 года назад +17

    打水や萩より落ちし子かまきり
    単純な私は、夏!「打水」に収録。
    中七「萩より落ちし」で「し」は過去の助動詞だから、切字「や」の後の焦点は「子かまきり」にある。「かまきり」は秋の季語ですが、「子」なので、成虫(?)と区別されるほどの大きさかと。「蟷螂生る」は夏の季語だから、生まれたてなら、夏?
    では「子かまきり」は生まれたてなのか?
    萩より落ちたのは、「や」でカットが切れているので、「打水」のせいでない可能性の方が高いかと。ではなぜ落ちたのか?蟷螂の経験値とか力とかが足らないからかなぁ。と言うことで、結構ちびっこ蟷螂。
    暑さを払うために、勢いよく打水をする。何か気配を感じたか、目の端にとらえたか、自分でもわからないけど、ふと見ると、子かまきりが萩の下にいる。君こっから落ちたの?もしやビックリさせちゃった?でもこれで涼しくなるから、ゴメン、許して🙏 という感じ。

  • @あきおばちゃん
    @あきおばちゃん 4 года назад +2

    皆さんの解釈がどれもなるほどと思わせるもので俳句の面白さが自分の中で更に増しました。他の人と話すことでより俳句の意味を深めることができ、それがこんなにもワクワクすることだなんて、俳句を知れてよかったなと思いました。
    このご時世にSNSなどを通じて、文学を楽しめることができて、言葉ってすごいなとしみじみ思いました。

  • @高澤友恵
    @高澤友恵 4 года назад +10

    みなさんのコメントで、かまきりが多かったんですが、私は打ち水だと思いました。
    詠嘆しているところで、打ち水している最中にこんなことあったよ的に受け取ってしまいました。

  • @きりん-e1t
    @きりん-e1t 4 года назад +4

    季重なりの句に対するいつきさんの考え方に、感動してます!いつきさんは、俳句だいすき!そして俳句を作るひとたちが大好きなんですね💓
    私、毎日ユーチューブで色んないつきさんを見せて頂いています。最近、あいうえお俳句にはまっています!ありがとうございます!

  • @TonyBriSun
    @TonyBriSun 4 года назад +5

    主役級の役者がたくさん出てるドラマでも成り立つ事があるから
    季重なりってそういう事かな、って思いました
    素十の句はきっちり季節を分けようとする人(「夏なんだから○○しなきゃ」みたいな事を言う人)への一種の皮肉なのかな、って思いました

  • @打楽器一家
    @打楽器一家 4 года назад +3

    組長、正人さん、こんばんは!
    季重なりシリーズ第二弾ありがとうございます!鑑賞は楽しいです☆
    打ち水や萩より落ちし子かまきり
    打楽器一家は、みんな夏の句で意見が一致しました。
    打楽器→打ち水や、と切れ字を使って詠嘆しているから。かまきりの句にしたいのであれば、「子かまきり」ではなく「かまきりや」としたのではないかと思う。
    子かまきりは、春に羽化したかまきりが少し成長した夏のかまきりだと思う。
    管楽器→素十さんの時代は、いくら秋暑しでも、打ち水するほど暑くなかったと思う。打ち水という行為が主役と思う。
    マレット→萩の花期は、7〜9月ですので夏に打ち水しながら見たものと思う。
    打ち水という季語が、萩やかまきりという次の季節の主役となる動植物に、この夏を乗り切るための涼を与えて生かしている、そんな俳句ではないかという結論に至りました。

  • @tancematrix
    @tancematrix 4 года назад +3

    「くもの絲」の句で夏井先生が仰ったように、作者素十の姿勢は「いずれかの季語に焦点を当てよう」というよりも眼前の風景を忠実に描こうとしたものではないかと感じます。
    つまり「夏」の季語として「打水」、「秋」の季語として「子かまきり」を選ぶというよりは、実景に(あるいは描こうとした脳内の映像に)打水、子かまきりが存在したから描いたというふうだと思います。
    描かれた季節が晩夏~初秋の頃であるという点においては特に解釈は割れないと思います。それが晩夏であるか初秋であるかということを決定するのは、歳時記の編纂というような実務的な問題に直面しない限りそんなに重要なこととは思えません。
    一方で、この句が「打水」の句か「子かまきり」の句か(夏の句か秋の句かではなくて)ということになれば、迷わず「子かまきり」の句だと思います。「打水」は「萩より落ちし子かまきり」のみずみずしさや潤いを引き立てているように感じるからです。かまきりの子というのはちょっと透き通っていたりしてみずみずしいものですので。一方で、「萩より落ちし子かまきり」が「打水」の感じを引き立てているようには思えません。(例えば「五月雨や大河を前に家二軒」では「大河を前に家二軒」が「五月雨」の感じを効果的に引き出していて、句の主役が家二軒や大河ではなくて五月雨であるというような印象を受けます)
    他の方の指摘にあるように、「子かまきり」を「蟷螂生る」の傍題として考えるか「蟷螂」の傍題として考えるかということは問題の一つだと思います。 僕の解釈としてはこの句は「子かまきり」の句だと思うので、分類としてはそのいずれか妥当な方の季に入れれば良いと思います。
    なお、季節の決定が重要でないと(畏れ多くも)申し上げたのはこの句に限ったことであって、常にそう考えているわけではありません。例えば「蟇なくや」の句だと、両先生の解釈にあったように「行春」の思いが強く込められた句だというふうに受け止めるので、実際に句が詠まれたのが晩春であれ初夏であれ「春」の句だと考えます。

  • @高橋寅次
    @高橋寅次 4 года назад +5

    打水や萩より落ちし子かまきり
    (高野素十)
    私は主たる季語は「打水」だと思います。
    まずはそれぞれの季語の季節を整理。
    「打水」は夏、「萩」は秋、「子かまきり」は「蟷螂生る」の傍題で夏。
    ただの「蟷螂」だと秋。
    「萩」は秋ですが歳時記には初秋とあります。
    萩の中にはその時の気候により立秋の前に咲くものもあるでしょう。
    だから、主たる季語は「打水」。と、簡単に話は終わりませんでした。
    上と同じような考え方でいけば、立秋後も暑ければ「打水」をするでしょうから。
    私が主たる季語が「打水」とした決め手は切れ字「や」です。
    私も打水をすることがあり、ついでにプランターにも水をかけたりします。
    素十もついでに早咲きの「萩」に水をかけてあげたのかなと思いました。
    そうしたら「子かまきり」にも水がかかってしまった。
    「落ちし」の「し」は過去の助動詞なので、
    卵からうじゃうじゃと垂れているところではなく、既に地面に落ち切った「子かまきり」。
    やっと地上に降り立ったまだまだひ弱な「子かまきり」。
    知らなかったとはいえ、そんな「子かまきり」にひどいことをしてしまった。
    ただ単純に地面に打水をしていればよかったのに、俺は…。
    私は下五「子かまきり」まで来て、再び「打水」を意識します。
    それは上五「や」による印象が強かったからだと思います。
    なので「打水」を主たる季語と考えました。
    晩夏の一コマです。

  • @弥日
    @弥日 4 года назад +11

    打ち水やで強調はされているが詠嘆よりも調子を整えるためのやだとおもいます。
    やはり子かまきりが主たる季語。
    萩が背景にあり打ち水は子かまきりが落ちた呼び水的なものかと。

  • @yasukotakasu1165
    @yasukotakasu1165 4 года назад +2

    夏季語:打ち水に一票です。
    そして高澤友恵さんのコメントに賛同します。私も「打ち水や」=「打ち水をしていたらこんな光景を目にしたよ」と言っている句に感じました。なので、子かまきりが落ちた理由に打ち水は関係ない様に思います。
    当初「萩」は季節を表す訳ではなく場所として植物であれば何でも良かったから季語ではない。「子かまきり」は「かまきり」の一つ手前の季節だから夏。程度にしか解釈できませんでしたが、皆さんのコメントを拝見して、「萩とかまきり」を使う事で今(夏)の句の中に次の季節を現せる(秋を見せる)事が出来るのだと気付きました。そう考えて再度この句を見ると、打ち水している「今」の先に、花をつけた萩と成長したかまきりが見えるのです。私にも。
    凄〜い!皆さんに拍手です👏。
    毎回コメント欄でも楽しませて頂いています。ありがとうございます。
    1日考えて、また新たな気付きが!
    この萩に花が咲き、かまきりが成長した頃には、もう打ち水をしなくても良い季節なのだなぁ、と先の季節に思いを馳せるとまた「打ち水」へ回帰するのではないかと。
    やはり「打ち水」が一番強い季語であると感じます。

  • @loadkanaloa
    @loadkanaloa 4 года назад +13

    『何個まで許されるとかそういう質問のエリアではないのです季重なりというのは』
    夏井先生の怒る気持ちが強く伝わってきました。確かに自分が目の前に見たものを描写して季重なりになっているという説明になるほどと思いました。

  • @田村風-h2k
    @田村風-h2k 4 года назад +1

    夏井先生、正人さん、スタッフの皆さん
    いつも大変興味深く見させて頂いています。
    さて、夏井先生のオーラが恐ろしすぎて質問に質問で返すようで申し訳ないのですが
    ⒈私は、萩かなと最初思いました。
    今年のように残暑が厳しいとつい最近までエアコンを付けたり室外機のまわりの植物に水をやるついでに室外機の前にも水をまきます。エアコンの冷えがよくなり電気代もせつやくできるからです。勿論ベランダや庭もすこしは、爽やかになるので、
    これって現代版打ち水ですよね。
    2.今年のように長雨長梅雨の後の高温で湿度が高いと変な時期に虫なども発生したり、生き残っていたりもします。
    3.確か季語の効果的な使い方として
    中七にもってくるやり方もあるんでは、なかったでしたっけ(きゃー間違ってたらごめんなさい)
    私は、散歩しながら花の写真等を撮るのが好きなのですが、萩なんて今年のような気候だといつ咲いたらいいの?的な感じでしおしおとした花をずーっとつけています。
    結論として季語は、萩、としたいと思います。
    後、ちょうど季重なりで悩んでいた句があったので、やったー‼️と思ったのですが、なんか結局あんた!わかってないやん!と夏井先生に恫喝されそうですが
    嚔と冬、嚔と秋、などは、一緒に一句に入れてもまずくは、ないですよね。嚔が映像を持っている季語として考えてよいのかと思いまして。
    できれば夏井先生のご意見を伺いたいです。こわいよー😭
    こんな、回答と質問をしておりますが
    先日プレバトで女性の方が俳人としての芽🌱がでてるかも的な事をおっしゃてたと思いますが私もものごっつう
    言われたいです✨

  • @hi9uch1
    @hi9uch1 4 года назад +10

    季節は夏。子かまきりは、蟷螂生まるの傍題と解釈しました。萩は主役ではないです。素十だから見たままに萩を出しましたが、他の俳人なら枝とか葉とか、ぼやかしそうな気がします。主役は打ち水と子かまきり。

  • @ノア911
    @ノア911 4 года назад +3

    焦点を一つの季語に絞る、という原則もこの句の前では消えてしまうのかも知れませんね
    どれがメインの季語なのか決定するというよりも、もはや「くもと百合」「打水と萩と子かまきり」というグルーピングされた1つの新しい季語として捉えた方が私の中ではスッキリします。
    複数の季語が調和して一つの映像を作り上げるって素敵ですね

  • @直-x2c
    @直-x2c 4 года назад +4

    こんばんは。楽しい宿題です♪
    打水や萩より落ちし子かまきり
    まず3つの季語を調べてみました。歳時記は、愛蔵版カラー新日本大歳時記(講談社)です。(3年前、ボーナスでAmazonの古本を購入しましたが、新品同然で私のお宝です)
    打水→三夏、人事
    萩→初秋、植物
    子かまきり→仲夏、動物・蟷螂生るの傍題
    掲句は打水の項にのみありました。
    また、角川俳句大歳時記(電子手帳)では、萩は同じく初秋の季語ですが、夏から初秋にかけて紅紫色の小さな蝶のような花を開き、秋の半ば頃に散りこぼれる。とあります。
    私の印象は打水=夏が主役です。
    高野素十さんが徹底した写生をする方であれば、「勢いに任せて水を撒いたら、子蟷螂が落ちて来たよ。こんなところに蟷螂がいたのか!」と、いう感じ。もし、玄関先で水を撒いていて鉢植えに瓢虫がいたら「鬼灯よりてんとむし」になっていたかもしれません。あくまでも打水の楽しさ、清々しさを描き、そこに早めに咲き出した萩が風情を添えている。
    と、書いたところで、子かまきりだから面白いのかなぁ🤔瓢虫なら飛んで行ってしまうけど、子かまきりの落ちてあたふたする姿を詠みたかったのかなぁ。でも打水をしなければ子かまきりも落ちないし、、、と堂々巡りになって来ました💦
    組長、正人さんの見解を早く知りたい❗️よろしくお願いします。

  • @samosamo777
    @samosamo777 4 года назад +3

    打ち水が主役だと思います。まず子かまきりは萩に水がかかったので落ちた或いは直接水がかかったので落ちたように見えます、だから両方すこし濡れている。
    中七について、「萩から」だと萩から落ちたカマキリに焦点が移りますが「萩より」にした事により「この萩」より落ちたカマキリ みたいな感じになり萩とカマキリは一つの絵に共存しているように感じます。
    最終的には水が打たれて濡れた石畳か何かの上に 鉢植えの萩と子かまきりがいる。その萩とカマキリの淡い色合いが石畳に打たれた水のヒンヤリ感を更に優美なものにしている。そう感じました、だから打ち水だと思います。

  • @ぽむのぶみん
    @ぽむのぶみん 4 года назад +1

    こんばんわ。素人なのに脱落したくない一心で、考えを巡らし今日になってしまいました。
    黒子さんの、夏「打水」に収録に、一票です。
    萩より落ちたのは「や」でカットが切れているので「打水」のせいではない可能性が高いかと。
    なるほど、なるほど。打水のせいなら「に」で、説明になり組長に怒られるやつですかね。
    黒子さんの、暑さを払うために~からの鑑賞のまとめに感動しました。
    小さな虫への慈愛に満ちた眼差し!
    こんな風に、鑑賞ができる様になりたい、いえ、人になりたいです。
    組長の、
    文学を語ると言うのは、沢山の多様な解釈を交わし合うのが、一番面白いところ。
    この言葉にも、深く頷きました。
    あー、楽しい❗️

    • @黒子-s2w
      @黒子-s2w 4 года назад

      ぽぶのぶみんさん❗私の鑑賞を読むだけでなく、誉めていただき、嬉しいことこの上ないです😆
      有難うございます😆💕✨

  • @河本かおり
    @河本かおり 4 года назад +3

    打水や萩より落ちし子かまきり
    今まで皆さんのコメントを読んで感じた最大の疑問は素十はなぜ萩としたのかということと、「や」の強調の効果である。打水の句として子かまり(夏)ならば萩とせず他の植物でもいいし、季語でない語にすれば夏の句として破綻はなかったろう。実景としてそのままを描写したとの考え方もあるが、あえて秋の季語である萩としたのには訳があるはず。子かまきりはやがて成長し秋の季語となり繁ったはぎはやがて花をつける準備をしている。一方、「や」と強調せず他の助詞を使えば下五の子かまきりが主役として際立ったであろ。萩と子かまきりの成長を促すのは水すなわち打水なのである。そして凉を呼ぶ打水は秋への期待も込められている。
    ここに打水を「や」で強調したことに納得した。盛夏の打水の句であると結論した。

    • @yunfat29
      @yunfat29 4 года назад +1

      素晴らしい!

  • @あまぶー
    @あまぶー 4 года назад +5

    「打ち水や」と強調されてるので悩ましいですが、「萩」は秋の七草にも入ってる秋の代表のような花なので秋の句だと思います。「打ち水」は夏以外でもできるし。
    「こぼれ萩」という傍題もあるように「萩」というとこぼれやすい花。それを「萩がこぼれる」と詠むとあまりにも当たり前なので「子かまきり」を小道具として使ったのかと。ただ「子かまきり」と下五に置かれると主季語が「子かまきり」のようでもあるのですが「子かまきり」を詠みたいのなら「萩」でなくてもいい気がします。
    「打ち水」は透明、「子かまきり」は茶のもいるが薄い青緑。それが白い「萩」にとなるとしっとり秋らしい映像となるように思えるのです。水の光と先にこぼれている白い萩の上に落ちた子かまきりの青緑色がポツンときれいな映像となるかと。
    ここは、「萩」がなくてはならないものであると思います。

  • @Lady_Bella
    @Lady_Bella 4 года назад +1

    打水や萩より落ちし子かまきり
    とってもとっても難しいですが、打水が主たる季語かなと解釈しました
    季節は、残暑、晩夏。
    まだ大人になってない子どものかまきりがコロッと落ちた感じで、夏の終わり秋の始まりあたりな。
    まだまだ暑い夏の終わりに打水をしていて、ふと視線に子かまきりが入った。って感じに解釈しました。
    皆さんのコメント読むと、萩が主たる季語の解釈も、子かまきりが主たる季語の解釈もどれも心に響くし、しみじみするし、面白いです!
    俳句は教わるだけじゃなく、みんなで議論することの面白さが分かりました(^^)

  • @ひばり-u4n
    @ひばり-u4n 4 года назад +3

    季重なりと言っても、いろいろ
    あるのですね。季重なりの俳句は、私には難しいです。私は、手堅く一句につき季語は、一つとしていこうと思います。
    ありがとうこざいました。

  • @plumdogge5421
    @plumdogge5421 4 года назад +3

    私は毎年正月の雑煮に、芹を入れます。祖母から受け継がれてきた雑煮なんです。が、年末に芹がなかなか見つからないこともあり、そんな様子を描きたくて、次の一句を詠みました。
    せり求め右往左往の年の暮れ
    季重なりなのは解っているのですが、「せり」を書かないと詠みたい情景は伝わらないと思い、詠みました。
    この俳句の季語はあくまで「年の暮れ」。年の暮れはそうでなくても皆さんあわただしく過ごされているのですが、芹入り雑煮を食べたいために、更に右往左往しているということが、どうしても詠みたかったのです。
    今回の動画を拝見して、私が詠んだ季重なりの俳句をコメントに入れさせていただきました。
    私の意見は、本当に詠みたい俳句の情景を伝えるために、他の季語と承認されている言葉を使わないと伝わらないと思われる場合は、むしろその言葉を使うべきだということです。
    くもの糸の句は、百合を眺めていて、くもの糸がよぎったと詠みました。季語はくもの糸で、百合を眺めていたピントがくもの糸にピントが移ったように思います。最後に焦点が当たるのが作者の思いの強さだと感じました。
    打ち水の句は、打ち水をしていたらその水が萩にかかり、か、或いは打ち水の柄杓か桶かが萩に当たって、その弾みで、子カマキリが落ちてきた。その様子が印象強かったので詠んだのかなと思います。次に打ち水をするときには、萩に隠れている子カマキリが落ちないように優しく打ち水しようとか、作者と子カマキリの関係性を感じたので、季語は子カマキリだと思います。

  • @tomo-nw5nn
    @tomo-nw5nn 4 года назад +9

    季語は萩で秋だと思います。暑いと思って打ち水して、ふと見たら秋の花が咲いていた、そしてまだ小さいカマキリまで出てきた、あ〜、もう秋なんだな、という句だと思いました。

  • @foreveranima4140
    @foreveranima4140 4 года назад +2

    高野素十さんは当然、季語3つであることをわかって作られたと思いますので、そこがポイントかと。
    私は超が3つくらいの初心者で「季語俳句」という講座に通い始めたばかり。そこでさまざまな季語やその使い方を学ぶにつれ、目からウロコがボロボロ剥がれ落ちました。同時に、17音という縛りのなか、季語でもさらに縛るという俳句のかたちに対し、「だからおもしろいんだ!」と思う反面、ほんとはもっと自由であってよいのではないかな~という気持ちも正直なところ。
    萩は9月も花盛りだしカマキリは真夏も見かけるし、温暖化の著しい昨今はお彼岸近くまで打ち水したいし。実感としてはこの3つが混在することに、何の違和感もありません。季節の微妙な移り変わりをよんだともとれるけれど、それよりも、季語3つもぶっこんで「こんなのどうよ!?」ってやった高野素十さんの遊び心、もしくは反骨精神、って感じがします。私は高野素十という俳人、大好きになりました(^^)!
    余談ですが、医師として厳しい世界に生きながら俳人であり続けたことにも惹かれます。同じく医師であり詩人でもあったWilliam Carlos Williams は私の大好きな米国詩人ですが、この人のイマジズムの詩も、なんだかとっても俳句っぽいのですよ~。

  • @lab.8998
    @lab.8998 4 года назад +6

    打ち水の句における上五の効果は、視線を下へ向けさせることにあって、焦点は子かまきりに当たっていると思う。「萩より落ちし」が説明的ということにはなってしまうけれど。

  • @michiashikaga2576
    @michiashikaga2576 4 года назад +4

    やっぱりかまきりが主役だと思います。打ち水は動機づけ=きっかけで、萩より落ちしは子かまきりの説明(修飾部分)だから。だけど歳時記に載せるときは動物の項にも打ち水の項にも入れていいと思います。

  • @瑞木-f1c
    @瑞木-f1c 4 года назад +12

    打水や萩より落ちし子かまきり
    「や」で強調していますし、「打水」の句だと思います。
    素十さんが、打水の様子を写生しようとしたら、そこに萩と子かまきりが存在したので、そのまま読んだということではないでしょうか。秋の季語である「萩」は花が咲いている時期の萩ですが、この句に読まれている「萩」は花が咲く前の夏の萩ではないでしょうか。そのほうが、夏に生まれる「子かまきり」と同時に存在することが自然だと思います。

  • @くろいいしゃ
    @くろいいしゃ 4 года назад

    十七音しかないのに、その中にこれだけ季語を入れて美しい句が成り立つのが不思議でも面白くも美しくもあり。
    打水や 萩より落ちし 子かまきり
    ちょうど今のような、残暑厳しく、かつ自然の中では秋の営みが行われている折なのでしょう。
    季節の移り変わりを読んだ句として、欲張りに全てを季語ととりたいと考えました。
    人は夏を感じている、しかし自然は一足先に進んでいる、その差異のようなものが読み込まれているのではないかと感じます。

  • @山内洋子-m6f
    @山内洋子-m6f 4 года назад

    おはようございます😃先生の句会ライブはとても解りやすくて勉強になります。季重なりも、よく解りやすくていいです。

  • @kamo-chan6457
    @kamo-chan6457 4 года назад +4

    宿題の句。打ち水で夏でしょうか。直感的には蟷螂に一票入れたいところですが、蟷螂の羽化は5月頃ですから小さい蟷螂がウロウロしているのは夏。しかもひらがなでかまきりと表記しているので、幼さが強調されているかと。
    夏暑くて打ち水をした。秋の象徴である萩はまだ花もつけていなし、蟷螂もまだ小さい。けれど、打ち水をしながら、やがて来る秋の象徴を見つめる姿にはやく涼しい秋になってほしい願いのようなものを感じます。

  • @マルちゃん-i4f
    @マルちゃん-i4f 4 года назад +1

    季重なりは、非常にややこしさうですね!

  • @泉明美-y3x
    @泉明美-y3x 4 года назад +1

    夏井先生 正人先生いつも楽しい話しを有り難う御座います。
    今回の季重なりシリーズ母と一緒に見て色々リベートをして 蜘蛛の句をあけの女が解釈し 打ち水の句をあさ女が解釈したのを送りたいと思います。
    蜘蛛の糸ひとすぢよぎる百合の前の句は 正人先生が話してくれた様に 蜘蛛の糸が百合の前に垂れている…と思っていましたが 夏井先生の話しを聞いていたらあっ!
    そっかぁ~と垂れているのではなく 斜めにすーっとあるところにキラリ❇と光って見えた…と聞いていてほーっと頷いてしまいました。私自身の解釈じゃないみたいですが…(笑)解釈によって背景や情景が変わるし そっかぁ そっかぁ と思う事が多いけど そこが俳句ののめり込んでいく所なのかもしれませんね😅💦 あけの女
    打ち水や萩より落ちし子かまきりの句は 子かまきりが季語になるのではないか… 打ち水をする行為は夏だけではないが  打ち水をした水が萩に掛かり萩に居たカマキリにも掛かってしまい落ちてしまったのではないか…とカマキリが落ちてしまったことを読みたかったと解釈しました。あさ女
    今までのユーチューブを何度も繰り返して見て母と二人で楽しんでいます。俳句ライブもまたやって下さいね💕 あけの女

  • @reikotakahara5957
    @reikotakahara5957 4 года назад +2

    打ち水や萩より落ちし子かまきり
    暑い日の朝(なんとなく朝)、庭に打ち水をしたら萩から小さなかまきりがポロッと落ちた。打ち水の水滴に驚いたのかもしれません。そんな情景が浮かびました。
    私には「子かまきり」が一番印象に残ります。夏の句と解釈しました。

  • @frederica2013
    @frederica2013 4 года назад +4

    打ち水やと詠嘆の表現がありますので、「打ち水」夏の句と解釈いたしました。萩(花は咲いていない)も子かまきりも晩夏には存在しますでしょう。素十はおそらく見たままをそのまま句にしたのではないかと考えます。素直な感動がそこにあるように思います。ただ、私のような未熟者が同じような句を読んだとしても、ただ叱られるだけなのでしょう。風景の何を切り取るか、どんな言葉を使うか、その見極めの難しさについて考えさせられました。

  • @rikimitumusha9210
    @rikimitumusha9210 4 года назад +1

    私は小かまきりが主だと思います。かまきりに小さいという字を加え、打ち水によって落とされてしまったちょっぴりかわいそうな、また少しこっけいさも感じられる句だと思います。

  • @霜村和子
    @霜村和子 4 года назад +1

    今晩わ!
    本当に難しい課題ですね。気軽に俳句を詠みたくなって、見たものを感じたまま、まとめている段階には、せめて季語が重ならないように、注意するものの、なまいきな理屈や解釈等、つけられません。
    365季語手帳は、季語が毎日指定されていて、季語に対して丸々甘えていました。でも、5年経過して季重なりを結果的にしていることはあります。
    自分が初歩の学びたい段階なので、組長と正人先生の意訳を聴いて、なるほど~!と思う程度です。未だ未だですね。
    有難うございました。
    「キクラゲ」でした。

  • @chizurosen
    @chizurosen 4 года назад +5

    素十は蜘蛛の糸を見せたくて、百合の花という背景を置いたと思うので、主役は蜘蛛。季語は蜘蛛に一票!

  • @かわしょー-i7v
    @かわしょー-i7v 4 года назад +1

    打水や萩より落ちし子かまきり
    自分はかまきりの句に入れたいと思いました。映像を想像した時に、子かまきりが一番余韻として残る感じがしたのが理由です。
    『打水や』と詠嘆している所で夏の俳句としたいのもあります。ただ、『萩』と『かまきり』の2つの秋の季語がある事を考えると、夏真っ盛りの暑さというより、残暑の暑さ…初秋のものかなと思いました。よって、夏の季語である『打水』の句としては当てはまらないのかなと思いました。
    『萩より落ちし』は、『子かまきり』の動きを強調する為の背景かなと思いました。視線として、『子かまきり』の動きに目がいって、そこに秋を感じた…という解釈になりました。
    とはいえ、正解は本当にないですね…そこが面白いんですよね!

  • @koiyoshiko3030
    @koiyoshiko3030 4 года назад

    小かまきりが一瞬目に入り、すごく可愛いのでと思いましたが、打ち水をしたので萩の花に止まっていた、小かまきりが下に落ちた、
    打ち水によって、この背景がみられて、面白く感じました。皆主役かなあと感じて来ました。

  • @user-jq4ib1xt7n
    @user-jq4ib1xt7n 4 года назад +1

    初めまして🙇‍♀️ 季語は「打水」だと思いました!中七、下五は単に写生であり、打水をして涼を感じていたら、小さく柔らかな生き物たちが既にしっかりと季節を生き始めており、移りゆく自然の摂理に感動した。そんなことを詠ったのではないかと感じました。季語は命だと師から教えられて育ちました!笑 その意味でも季重なりは難しく、時代と共に環境が変わるので、写生句は作るのも解釈するのもとても難しいです。だから面白いとも言えるのでしょうが…。大変勉強になりました!ありがとうございました!

  • @atsu-e6i
    @atsu-e6i 4 года назад +4

    夏井いつき先生、家藤正人先生、こんばんわ。
    季重なりの数は個人の自由ですが、季重なりにならない様に気を付けます🙀
    特に…プレバトのスタジオで騒然とした句では
    「四季まで詰め込むとは…」
    と、見てた私も驚きました(爆)
    季語は原則一語‼️
    それでは、お休みなさい😺

  • @ichishino145
    @ichishino145 4 года назад +2

    子かまきりは夏の季語です。萩は咲いていないとも考えられます。季語+や なので打水が主役かと。
    水打つて石涼しさや瓜をもむ 杉田久女
    これもトリプルですねー。私の歳時記では打水に載っています。
    「俳句」9月号の「現代俳句時評」で、前回の季重りシリーズが取り上げられてましたが、お読みになりましたか?

  • @もふもふまゆりん
    @もふもふまゆりん 4 года назад +2

    打水や萩より落ちし子かまきり
    季語は「打水」で夏の句です。
    最初この句を再生したとき、この句の主役は子かまきりだと思いました。打水はどの季節でもできることだし萩も一年中生えています。
    ですが子かまきりは夏5月~8月にしか見られません。かまきりといっても子かまきりなので季節は「夏」。
    切れ字の「や」は強調ではなく映像の切り替えで使われているのだと解釈しました。
    ですが、 俳句は自分のことを書くのがセオリーです。そうなると作者が打水をしたからこそ萩から落ちる子かまきりを見ることができたのだと思い、また子かまきりは自ら降りたのではなく不意に落ちてしまっていることをふまえ、切れ字「や」は打水の強調であると判断しました。
    よってこの句は季語「打水」となり夏の句です。
    そうすると例句③は作者が百合の前でよぎったひとすじの蜘蛛の糸を見たとなり季語は「蜘蛛の糸」で夏の句だと思います。

  • @radoschjoy
    @radoschjoy 4 года назад +5

    蜘蛛が高いところから下りるときに糸を出して、下りたら糸を切ってどこかに行ってしまって糸だけがぶら下がっている。その糸が微風にゆられて百合の前を通り過ぎる。
    ということかと思っていました。糸がよぎるんだから糸が動いていて、百合は背景だと。

  • @もちだるみ
    @もちだるみ 4 года назад +3

    季節は秋だと思います。
    暦の上では秋だと言うのに一向に暑さが薄れず打ち水をする。というもどかしいギャップを表していて、これは夏の暑さではなく、秋の訪れを待ち望む心を引き立たせるものだと思います。

    • @もちだるみ
      @もちだるみ 4 года назад

      古今和歌集でもよくある手法かなと。
      梅が枝に 来ゐるうぐひす 春かけて 鳴けどもいまだ 雪は降りつつ   
      これも、暦の上で春は来たのに雪はまだ降っている。という春と冬の狭間にあって、穏やかな春らしい気候と梅の咲くのを楽しみにしている心を表す春の歌でしょう。

  • @natsunofujiwara6324
    @natsunofujiwara6324 4 года назад +2

    前回の季重なりの回を再視聴したら蟇の句から抜けられなくなりました😅
    「今はまだ春なのに蟇が鳴いている。春の風情はどこ」が確か第一印象。
    視聴してからは「蟇が鳴いている。(何らかの理由があって)春を感じる前に過ぎてしまった」になったと思うのですが、もうどちらだったかわからなくなりました。
    打ち水の句はやはり打ち水が主たる季語に思えます。
    「蟷螂生る」が5月半ばで夏、プレバトで植物が季語になるのは花と実で木や棘は季語にならない、と学びました。
    この萩にまだ花はなく季語として成立しない、ただし作者には毎年咲く萩の花が見えていたかもしれません。だから読み手にも結構なインパクトを与えるのかと。
    作者は暑いと感じ、「そうだ打ち水しよう」という意思を持ってこの行為をしているので「打ち水」の質量が大きいと思うのです。
    洒落神戸さんの見解を伺いたいなぁ。

  • @上田由記美
    @上田由記美 4 года назад +2

    打ち水に驚いて、子かまきりが萩の枝からぽとりと落ちてきた。
    というのがこの句に描かれている情景だと思います。
    先ず上五「打ち水や」で切れ字を使ってその瞬間の映像を切り取ります。そしてまだ花の咲いていない萩の枝から、驚いた子かまきりがぽとりと落ちる。萩の枝に水がかかった訳では無いのに、この世に生まれ出たばかりの子かまきりは、音に驚く。萩の若葉に隠れていた子かまきり。ギョロ目の子かまきりが、こちらを振り返った。ごめんよ、驚かせて。
    ということで、季語は「子かまきり」で夏。今年の夏、孵化したばかりの子かまきりを見たのは、5/28であった。その時期はまだ萩の花は咲いていない。

  • @藤巻学-m2k
    @藤巻学-m2k 4 года назад

    ありがとうございます。歳時記を購入したので、この動画と合わせて勉強致します。

  • @mayasaro
    @mayasaro 4 года назад +2

    この句の景を思い浮かべたときに私が一番深い印象を受けるのは萩です。
    また、打ち水はある意味いつでもできる、カマキリも結構長い時期見かける、それに比べて萩の咲いている時期はそんなに長くはない。
    「季節感」が一番強い萩の句と言ってもよいのではないかと思います。

  • @kikkorosandayo
    @kikkorosandayo 4 года назад +9

    打水や萩より落ちし子かまきり
    萩かなと思いました。打水中にふと気づいた萩と子かまきりに、もう秋は来ていたんだなと思う、のなら、主役は萩だろうなと。

  • @kgt2008zzz
    @kgt2008zzz 4 года назад +2

    情景の上での主役は「子かまきり」。
    形式の上での主役は「打ち水」と思います。なにしろ「や」で詠嘆しています。主役にしたくなければ別の表現もあったと思います。
    私の解釈としては「や」があるので夏、晩夏の句と思います。かまきりではなく「子かまきり」となっていることから、次の季節の到来を感じていると読みたいです。
    萩は背景として脇役を演じているかな、と。
    ただ、コメントでは、もちだるみ
    さんによる秋説は面白いと思いました。

  • @benikuzutobe
    @benikuzutobe 4 года назад +2

    打水や萩より落ちし子かまきり 高野素十
    不等号を用いれば、「子かまきり(仲夏)」>「打水(三夏)」>「萩(初秋)」 という風に感じました。即ち「子かまきり(「蟷螂生る」の傍題・仲夏)」を主季語とした句だと思います。私の脳内に浮かんだ勝手な映像を記述しますと、『暑くなってきている夏の早朝、家の庭で打水をしている。庭の一角には萩が植えられているがまだ花をつけず青々と茂っている。しかし少し萎れている様にも見える。打水の水をこの萩にも掛けた時、水と一緒に何か動く物が地面に落ちたのではっとして見れば、萩の葉に隠れていた孵化して間もない数匹の小さな子かまきり達であった。』というものです。
    ・もうすでに暑い夏の朝。
    ・萩は青々だが少し萎れ気味。花はまだ無い。
    ・子かまきりは孵化したばかりで小さく複数匹。
    ・子かまきりが落ちたのは打水の水を浴びた為。
    ・作者の心がはっと動いたのは子かまきり達が水と一緒に落ちてきたのを見た瞬間。
    ・上五「打水や」の「や」は映像カットを強く切る為。そしてこの切れで「打水の水で子かまきりが落ちた」という因果関係を顕示はしない効果も。
    上記の6点、勝手に解釈いたしました。

  • @miyabinary
    @miyabinary 4 года назад +1

    いつも楽しく拝見してます。俳句は素人ですが、「よぎる」に違和感を覚えました。垂れてるのか横に張ってるのかではなく、飛んできたのでは?蜘蛛は巣を張る際に、まず最初の一本を風を利用して飛ばし、どこかに付着した時から網張をスタートします。「よぎる」のイメージは動きを感じるので、まさにその最初の一本がゆらゆら揺れながら横切った映像を想像しました。

  • @fr3304
    @fr3304 4 года назад +8

    打水や萩より落ちし子かまきり
    打水の句か、かまきりの句かで迷いますね。
    映像として見て最終的に残るのはかまきりなんだけど、打水がはっきり詠嘆されているし…
    失礼ながら季重なり問題がここまで難しいとは思いもしませんでした。勉強になります。

    • @fr3304
      @fr3304 4 года назад

      「打水」が主たる季語だと断定してしまえば、夏の句になってしまうな。句の雰囲気でいえば絶対に「秋」なのに。
      考えれば考えるほどハマっちゃいますね…

  • @桃々-f6j
    @桃々-f6j 4 года назад +1

    打水が季語だと思います
    秋の空の頃に、打ち水したい気持ちになるかしら‥ 暑い夏を過ぎて、あんなに朝夕一生懸命だった水やりも、ともすれば忘れそうになります。暑い夏の水やりの頃、薄緑の細い細いカマキリが花壇にいました。
                   月青草青

  • @村上無有
    @村上無有 4 года назад +1

    「打水や」と大きく詠嘆しているので主役は「打水」だと思います。この萩にはまだ花が咲いていない葉だけの萩かと想像します。打水のしぶきによって子かまきりが転げ落ちていく動きがかわいらしいですね。
    「くもの絲」は私が編集者なら「蜘蛛」に入れます。素十は風景を素直に写生していますね。やはり「百合」の「前」。この「前」が百合を遠景にしていて、百合の存在が薄まっているように感じます。組長のおっしゃった通り、ひとすじ「よぎる」ことで蜘蛛の絲のきらめきに心動かされたのではないか、と思います。
    あくまでも個人的感想です笑

  • @hanabira6462
    @hanabira6462 4 года назад

    私も、子カマキリを愛しく見ている感じを強く受けます。がろーどYさんのコメントを読んでみて、私なりに考えてみました。暑いから打ち水をするわけなのですが、萩ということばで秋の気配を感じさせられます。さらに子カマキリで、暑い中にも、次に来る季節の到来を感じる繊細さが感じられる句だなあと思います。季節としては、夏の終わりかなあと思いました。いいなあ俳句って! 私も夏井いつき組に入ります。

  • @michiashikaga2576
    @michiashikaga2576 4 года назад +4

    蜘蛛の糸の句は、やっぱり「の前」 という言葉によって主役(主語)は蜘蛛の糸です。「百合の前」という表現で、急に脚光を浴びた「百合」ですが主語にはなれません.ただし、蜘蛛の糸と百合の花が重なって見える映像を想像するなら、必ずしも百合か蜘蛛かどちらか一つを選ぶ必要があるのか、選ばなくてもいい映像が成立してるんだと思います。

  • @clowazzzz
    @clowazzzz 4 года назад

    打水と萩の組み合わせでは残暑の晩夏か初秋を感じるけれど、子かまきりが落ちる所でふっと涼しさを感じたような気がするので秋の句かなぁと思います。

  • @An-On_Ym
    @An-On_Ym Год назад

    作ってみるのも面白いなー、と俳句作りに興味持ち始めた者です。季重なりも知らなかった初心者ですので、とても勉強になりました。有難うございました。
    「くもの絲」では細い絲がクローズアップされていて描写も長いので、主役かなと。そして百合は添え物のように感じられました。添え物が優雅だと絲もさらに映えますね。背景が雑草だったら全然違ってきそうです。
    私にはどうしても「子かまきり」にフォーカスがいってしまいます。打ち水が効果音で萩が背景で雅を添えて役者は子かまきりちゃん。目はつい動く物を追うものだそうで、思い浮かべるだけでも心の目が動く物の方を見てしまう感じがします。

  • @diphone23803
    @diphone23803 4 года назад +5

    打ち水や では行為そのものとまだ暑いということを表現し
    萩より では他の草木ではなく目に付くようになってきた「萩」を表現
    子かまきり では大人かまきりではなくあえて子かまきりにすることで「萩」もまたまだまだ未熟な蕾であると表現したかったと解釈
    「萩」が主役・・・だといいなぁ。

  • @Green-ks4ck
    @Green-ks4ck 6 месяцев назад

    家族でチマヂマ俳句やってます。兄から季重なりの質問が出て、改めてまた動画観ました。
    初めて観た時はちんぷんかんぷんだったのですが、「打ち水や」ですから打ち水。打ち水の勢いの強さにコカマキリが落ちてしまいました。そんな打ち水と、まだ青い萩コカマキリの緑そこに空を切る水の爽やかな映像が浮かびました。

  • @青い月-p9i
    @青い月-p9i 4 года назад +1

    夏の句と解釈しました。
    映像としては、子かまきりの印象が強いので、最初はかまきり→秋の句、打ち水は残暑を表していると思いました。
    しかし、何度か読んでいると、子かまきりの「子」のもつ若々しいイメージには、生命力の溢れる夏の季節の方が似合うように感じました。また、「打ち水や」でいったん映像が切り替わるところも、夏の場面であることを強調しているように思いました。
    よって、私の中では、暑い夏の日に打ち水をしている。(おそらく花が咲く前の)萩に目をやると、まだ育っていない小さなかまきりが落ちた。と鑑賞しました。

  • @mitomo8123
    @mitomo8123 4 года назад +3

    コメント書くまでは、最後に子かまきりに作者の目が行っているので、子かまきりで秋と思っていたのですが、皆さんのコメを読むうちに、すべての事は打ち水の結果、という意味で
    打ち水で夏の句という解釈に変わりました。勉強になりました。組長の声にエコーがかかった時は巨大化したのかと思いました(笑)

    • @Naoto_Z72ll9
      @Naoto_Z72ll9 4 года назад

      私も全く同じことを考えました。小かまきりで着地しているので小かまきりが主役かなと思いきや、しかしながら打水と言うきっかけありきの描写なので打水の句になるのかなとも…
      萩が入っているのがまたややこしいことなのですが、これは初秋の季語ですし前後の上五と下五の繋がりありきで敢えて「夏萩」とする必要はないのかと作者は考えたのかも?
      結果を主体として読むか、きっかけを主体として読むか。人事を主体とするか映像を主体とするか。
      私はいまだに結論が見出せずにいます 笑

  • @村上旦-s7q
    @村上旦-s7q 4 года назад +1

    私は切れ字で強調しているところから打ち水が主たる季語で夏の句だと感じました。萩には葉や花といった萩自体を表現する描写がないことからそこまで萩のもつ秋の季節感を感じませんでした。小かまきりについてはまだ羽も生えていないような小さなかまきりは秋より夏の方が多く見かける印象があります。逆に秋のかまきりはもう育ちきり1人で強く自立しているようなイメージがあります。打ち水により落ちるようなイメージにはそぐわないと思いました。
     また、この句の解釈としては打ち水の水が跳ねて萩に当たり小かまきりが落ちたということかと思います。矢印で表すと「打ち水⇨萩⇨小かまきり」だと思います。打ち水以外の季語の萩、小かまきりにも打ち水の影響を強く感じ、最後小かまきりと落とした時に最初の打ち水やにイメージが戻ってくることからやはり主たる季語は打ち水ではないかと感じました。

  • @user-qzostera_moon3
    @user-qzostera_moon3 4 года назад +2

    打水や萩より落ちし子かまきり
    「打水」と「子かまきり」二つで夏の季語の句だと思いました。
    「蟷螂」は秋の季語ですが、「蟷螂生」という夏の季語があります。
    「萩」の葉に隠れていた「子かまきり」を「打水や」で、マジシャンの赤い布のようにカットの転換を行い、萩より遥かに小さい「子かまきり」に焦点を当てていると思いました。
    余談ですが、6月にランチの盆の縁に突然かまきりの子が現れ驚いた記憶があります。2cmぐらいの小さな子でした。写真を撮らなかったのが悔やまれます。

  • @トワイライト-q3b
    @トワイライト-q3b 4 года назад

    小さい頃に捕まえて虫籠に入れたまま存在を忘れたカマキリが子供を産んで部屋中がたくさんの小さなカマキリで大変なことになったことを思い出しました。
    僕のこれまでの人生では“カマキリ”がこの句で使われている季語の中でもっとも身近で印象深い存在です。
    ですから僕はカマキリを中心に捉えながらこの句を詠みました。
    人それぞれに人生の中で関係が深い物事は違いますし、上といえば下という右といえば左というように人により解釈や考え方は千差万別で、“誰か”がこれはこうだ!と決めてしまうことはとても野暮な気がします。
    むしろその句に触れた方たちがたくさんその句について考えたり議論したりすることでますますその句が生き生きと輝く気がします。
    一人一人が違うことも俳句の世界では全て尊く、たくさんの人の心に触れることでまた自分自身の価値観も広く成長させてくれるように感じますので、僕の季重なりの句に対する解釈は「季語が複数あるなら全部季語でもいいじゃない?」ですw
    歳時記などに掲載するときには掲載するスペースの都合でその句に使用されている季語をそれぞれのパターンごとに載せるのが難しいことは分かっているのですが、それができれば1番納得できるような気がします^_^
    無駄にコメントが長くなり申し訳ありません。
    動画の最後にこちらに手を振っている先生の手の振り方がいつもかわいいと思っておりますw

  • @roomyk7195
    @roomyk7195 4 года назад

    残暑厳しいとも秋暑しともいえる季節の変わり目を夏と秋の季語の混在でうまく表したともいえるのかと思います。感動のメインは子かまきりにあるような気がします。まだ暑くて打水をしていたら、まだあまり咲いてない萩が揺れて、そのためか子かまきりが落ちていた、自分の行動によって起きた(子かまきりにとっては大事件かもしれないが)小さい事件におかしみ(俳味?)と可愛さを感じているが、萩の存在によって秋の到来も予感している、というような。

  • @user-jigenn
    @user-jigenn 4 года назад +2

    私が編者なら打水の句に入れます。
    ポイントは子かまきりで、秋のかまきりは成虫になっているので、子かまきりとは言わない。
    かまきりは4月後半から6月ぐらいにうかする孵化し8月後半には成虫になっているのが一般的です。
    打水やと強調してるのと、子かまきりと書いてあるので、やはり夏の句。

  • @チームすその智秋
    @チームすその智秋 2 года назад

    俳句のことを何も知らないすそのはこう考えました🤔
    蜘蛛はそこにはいなくて糸だけが残された状態だから、そこに存在している百合が主役
    打水をかけられたのも萩から落ちたのも子かまきりだから、子かまきりが主役

  • @keiiti333333
    @keiiti333333 4 года назад +1

    普通に考えたら切れ字「や」で強調している打水が主たる季語なのかと思いますが・・・
    そういう理由ではなく別の理由で打水が主たる季語だと考えると、打水をしたことに始まって子かまきりが落ちたというある種の因果関係を感じる句ではあります。
    この句のささやかな時間の流れの始まりが打水によってという風に解釈すればやはり打水が主たる季語なんだろうと思いました。

  • @森弘行-i3x
    @森弘行-i3x 4 года назад +7

    打水がメインの季語だと思いました。「や」で切れており、かまきりが主になるなら「打水に」となるのではないでしょうか。

  • @rankokinone9677
    @rankokinone9677 4 года назад

    庭に白萩があるのですが、とっても綺麗です。それに水滴が光るとなおのこと!
    打水や水やりが勢い余って、萩に小さなカマキリがいるところに命中して落としたことがあります。
    難しいところですが、やはり「打水」でしょうか。
    蜘蛛の絲、正人さんが「縦」と仰ったので驚きました。私の中では横だったので(笑)by柝の音

  • @松川きよみ-j9w
    @松川きよみ-j9w 4 года назад

    定年退職後、資格を取り介護の仕事をしています❗コロナで、20年続けた合唱団、趣味のトールペイント、大好きな旅行、映画、カラオケ、孫や友人と会うのも全て自粛して来ました。なつき先生のユーチューブを知り、俳句作りに一歩踏み出せました。

  • @けーゆー-p8z
    @けーゆー-p8z 4 года назад

    夏井先生はファジーと表現しましたが、あえて2つの季語を用いることで、夏から秋にかけての微妙な季節を、よりリアルに明確に浮き彫りにしたんだと思います。そもそも、秋とか夏とか、人間が勝手に名前をつけて決めただけで、大自然にはそんなの関係ありませんもんね。そこを人間の言葉で表現するのだから、なんとも面白いです。なのでスジュウ?さんにとっては、夏の句か秋の句か、歳時記や読み手に悩ませるのは、してやったり!といった感じなのかもしれません。

  • @tt2851
    @tt2851 4 года назад +2

    打水のイメージはぼんやりして見えます
    萩もぼんやりとしてます
    子かまきりが落ちることで一気にイメージが浮かんできた感じに思えました
    となると子かまきりは何故落ちたのか・・・打水をしたからだ!となったのでもし自分が歳時記を編纂するなら打水にすると思います

  • @Rゆめ-h3q
    @Rゆめ-h3q 4 года назад +1

    いつも楽しく拝見しています。先日は私のコメントを拾って頂きありがとうございました。
    ''打ち水や萩より落ちし子かまきり"ですが、打ち水が「や」で詠嘆されているので、打ち水を主役とする考えもあるとは思いますが、「萩」と「子かまきり」と秋の季語が二つも入っているので、季節は秋だと感じました。主役は子かまきりだと思います。落ちてくる描写があるので、作者の意識は子かまきりの方により強く向いているのではないかと思います。

  • @まあぶる-o8i
    @まあぶる-o8i 4 года назад +1

    最初はかまきりで秋かなと思ったのですが、蟷螂の孵化はたしか初夏頃なので、「子」が付いているということは秋ではないのかな、と。萩は花の時期だからこその秋の季語だと思いますが花の気配は特には無い。ので、消去法みたいになってしまいましたが、「打水」の夏の句になると思いました。 
    まだ暑い日がありますし、夏の疲れも出てくる頃です。皆様ご自愛下さいね。

  • @0mitsukazu
    @0mitsukazu 2 года назад

    いつき組長、正人さん、こんばんは。
    高野素十の1つ目の句は季語が蜘蛛(三夏)、百合(仲夏)。
    個人的には「百合の前」が気になりました。
    先生方の様に最初はピントを引いた見方はあるでしょうが、そこに咲いていたのがたまたま百合で、もし違う物だったらそれを下五に入れて、上五中七は変えずに詠んだかもしれない(「蜘蛛の糸」は動かせないが、「百合の前」は動かせる)という推測できるのが1点と、蜘蛛の糸の透明と百合の花の色を比べて百合を主役にしたいなら百合に色を添える等して、もっと前に押し出してくると思えたのがもう1点です。
    高野素十の2句目、「打水や萩より落ちし子かまきり」の句について、私は「打水」が主役の季語で季節は夏だと思います。
    句中の季語は
    打水:三夏
    萩:初秋
    子かまきり(蟷螂生まる):仲夏
    萩は子かまきり達が落ちる前に居た場所として「萩より落ちし」と使われているので、季違いですが季語としての力は弱まっているかと思います。子かまきりと一緒に使われてる辺り、花が咲く前の状態の萩でしょう。
    子かまきりは、直前に過去の助動詞「き」の連体形「し」があるので、子かまきり達が落ち切ってからある程度の時間が経っていますので、子かまきりを主役の季語にしたかったなら落ちた後の子かまきり達の何等かの描写がある筈ですし、三夏の打水と仲夏の子蟷螂で(同じ季節の)季重なりですので、子かまきりの鮮度を上げるか落とさないかして、打水より目立つ様に詠むかなと思いました。
    又、打水という行為が無ければ子かまきり達は萩から落ちていなかったかもしれません。
    更に、「萩」(とある物(子かまきり)が落ちる前に存在していた場所)と「子かまきり」(落ちた物)はたまたま季語であるもので他の単語に置き換えたり動かす事ができても(例えば、打水や竿より落ちし赤パンツ 等の様にすれば季語は1つになる)、「打水」は他の動作の単語に置き換えが利かない、動かす事ができない季語であると考えました。
    そして、わざわざ打水を「や」で強調してるという事は、「子かまきり」より「打水」をハッキリ目立たせたい何等からの意図や理由(暑さを何とかしたかった等)が作者にあったのではないかと考える方が自然かと思いました。
    打水が主役の季語で夏と考えた理由は以上です。

  • @谷口喜佳
    @谷口喜佳 4 года назад +1

    「運動会」を兼題として、亡き母の思い出を詠んだのが「一人くう母のいなりや運動会」共稼ぎで忙しい母は運動会には来れませんでしたが、せめてもと、私の好きないなりずしを早起きをして作ってくれました。一人教室でそのいなりずしを食べて思ったのは、母の私に対する思いやりでした。しかし、これって季重なりですよね?私としては「運動会が」が季語だと思ってますが。

  • @hozi3hozi3
    @hozi3hozi3 4 года назад +2

    いつも真面目に楽しく見せていただいています!\(*ˊᗜˋ*)/
    打ち水や の句ですが
    私は
    萩を中心の季語と考えます。
    残暑厳しい日差しに、打ち水涼しく軒下に涼を求める時に、まだまだ生まれたばかりの、秋を先どった子カマキリに気づいた、その背後に萩が秋の訪れを告げてくれていた……。と。細くか弱いけれどはっきりと秋を掴んでうごめいているカマキリに、萩が微笑んでいるうな涼しげな秋の香りを感じます。
    中学校の国語教師です。子どもたちに風景を思い描く想像力が、激減している気がいたします。全て経験値。たくさんの自然と五感の刺激が必要だと痛感します。身近な出来事を噛み締められる余裕を持ちたいです。
    これからも夏井先生の配信を楽しみにしております!

  • @ますだユウイチ
    @ますだユウイチ 4 года назад

    私は今回の問いに関しては、かまきりが印象に残りました。
    深く意味を考えずに率直にそう感じました。

  • @Tanukitty2011
    @Tanukitty2011 4 года назад

    打水や萩より落ちし子かまきり
    私は初秋の句と解釈しました。歳時記に入れるなら「萩」と「子かまきり」ですかね。
    暦の上では秋になったけれど残暑が厳しいある日の午後、涼を取るべく打水をしたところ、赤紫色の萩の花が目に入ってきて秋の気配を感じる。そして地面に落とされた小さなかまきりを見て、秋は確実に訪れているのだなと思う。
    体感温度は夏っぽくても、「萩」と「子かまきり」が視覚的に秋の訪れを実感させてくれるという感じでしょうか。素人の解釈ですが。
    夏井先生、楽しい宿題をありがとうございます。

  • @satoko_asatsuki
    @satoko_asatsuki 4 года назад

    打水や萩より落ちし子かまきり
    私は「萩」を季語とした秋の句だと思いました。
    涼を得るために庭先に撒いた打水は萩を潤し、潤った萩の枝からは蟷螂の卵が孵化して、子かまきりがポロリと枝から落ちる。
    その枝には、萩の花も咲き始めているのでしょう。
    秋とは名ばかりの夏めいた陽気の中でも、萩はちゃんと「秋」を育てていたのだ、と感じました。

  • @wind141414
    @wind141414 4 года назад

    蜘蛛が開けた空間に網の巣を掛けるとき糸を風に流したり自分で糸を引っ張って歩いて渡ったりするので、その一本の糸がよぎったのだ、とするとやはり初夏あたりでしょうか。
    水が当たって萩から落ちた子かまきりを見て自然界はもう秋になろうとしているのに打ち水をしている自分が季節外れに思えて思わず苦笑しちゃったという感じがします。

  • @chizurosen
    @chizurosen 4 года назад +1

    打水や! 萩に水を打ったら、子かまきりが落ちた、自分が打った水でこんな事件が起こってしまった!という打水の感動だと思う。季語は打水に一票!

  • @yuhamada3456
    @yuhamada3456 4 года назад

    生まれる季語があるならば、
    季語でなくなる語もあるのでしょうか?
    マスクは、現在冬の季語だと思いますが、コロナの時代になって、季節感が薄まっている気がするのですが…
    はじめましての「投稿」なのに、
    へそ曲がりな質問で、すみません(≧∇≦)

  • @nanapo7iro
    @nanapo7iro 4 года назад

    素人ながら打ち水は秋の残暑をイメージしました。まだ暑さは続いてるのに季節は秋になっているといった映像ではないでしょうか。

  • @土屋とし美-h7d
    @土屋とし美-h7d 4 года назад

    超初心者です。
    私は夏の句だと思います。
    俳句の勉強をしていて基本の 季語や+中七+下五(名詞止)とすると、「打水」が季語かと思います。
    子かまきりは生まれたてのかまきりで夏の季語かと。
    そうすると萩はまだ花の咲かない若芽の柔らかいしなだれた萩。
    そんな萩の中から、打水に流されて、萩の小枝に似た子かまきりが出てきた。
    もうかまきりが生まれる時期なんだなぁという句かなと思います。
    打水の強さと、子かまきり&萩の枝のしなやかさとの対比もあるのかな。
      俳号 どくだみ茶

  • @kazcov7048
    @kazcov7048 4 года назад

    打水や萩より落ちし子かまきり
    「打水」という「大きな動き」を持つ季語が主に思い、夏の句と考えました。
    「落ちる子かまきり」も動きはあるのですが、「子」なので、秋の前と考えます。萩は花は咲いてなくとも夏にもそこに植わっています。

  • @akihira9465
    @akihira9465 4 года назад +1

    打ち水や萩より落ちし子かまきり
    季語 
     ①打ち水は夏の季語。
     ②萩は秋の季語だが、この句では前後の脈絡から夏萩を思い浮かべる。
     ③子かまきりは、夏の季語。かまきりなら秋。子かまきりは5月ころ生まれて出てくる。
    解釈 
     ①打ち水を「や」で強調して絵を切っている。
     ②の萩の解釈は、①の強調と、③の季語が夏であることを考えて、夏萩を選んだ。絵的には、
     かまきりが落ちるような弾力があり、まだ葉が上向きの萩。花は少なく、枝垂れない萩。
     ③の子かまきりは、打ち水で撥ねて落ちるような、まだ力の弱い幼いかまきり。なので夏。
     ①の打ち水が、②の萩と③の子かまきりにかかって1枚の絵ができていると思う。
      
     打ち水をしたら、萩から落ちてしまった小さなかまきり。この句は打ち水、夏の句。
    薄慮失礼。青鬼灯

  • @岬ぷるうと
    @岬ぷるうと 4 года назад +1

    宿題をやっていなかったのを今頃気づいて、季重なり3を見るのを我慢して、今更ですが書き込みます。
    主役は『打ち水』だと思います。打ち水をしているので、まだ暑い時期です。この句のかまきりは、秋の季語になれるほどの成長を遂げていません。子かまきりで、しかも簡単に落っこちてしまっている。このかまきりが落ちやすかったのも、萩がまだ若いんじゃないかと思います。花が咲いて三角の種ができ始めているような萩だったら、かまきりは落ちたりしないでしょう。
    だからこれは、『打ち水』が主役。これから花が咲く萩と、成長途中のかまきり。生命感のある青々とした世界にきらきらと水をまく。この先の成長を楽しみに待つようなそんな期待の眼差しも感じます。

  • @藤なつき
    @藤なつき 4 года назад

    打水や萩より落ちし子かまきり
    「子かまきり」の句と考えました。
    理由としては、最後に残る季節感が何か、そしてその季節感は何によって感じられるのかということを考えた結果、「子かまきり」から「秋の訪れ」を感じたのではないかと解釈したからです。
    上五「打水や」の切れ字「や」については、強調をするはたらきよりも、「ああ、打水をしているなあ」という詠嘆と、視点(映像)の切り替えを示すためのものと思いました。またこの上五からは打水の行為を見たことによる残暑への気づきも感じられました。
    「萩」については「萩より」となっていることで、萩の植物というよりも萩の葉の上から、という場所を示すものとしての位置づけになっていると考えました。しかし、同時にこの「萩」が読み手に秋を想起させているとも思います。上五の打水からの中七萩で、夏から秋への季節の移り変わりを一句の中で読み手に感じさせていると考えました。
    そして、下五で「子かまきり」を登場させたことで、明確に秋の訪れを示したのではないかと思います。
    語順の効果として、最後に置かれた言葉・内容が強調され印象に残りますから、映像としても季節としても、子かまきりの秋が強いのではないかと思いました。
    以上のことから、「まだまだ夏の暑さは残っているけれど、萩から落ちてきた子かまきりに秋の訪れを感じた」というような感じで、最後に秋を思わせる「子かまきり」の句だと結論づけてみました。
    ですが、季重なりの句は難しいですね。考えれば考えるほど混沌としてまいります。

  • @salome844
    @salome844 4 года назад

    釜山出身の韓国人です。仲間が始めた部会で俳句を始めて間もないので、このチャンネルはとても参考になります。ありがとうございます。😊
    句会では季重なりはよくない雰囲気を感じていましたが、
    季重なりだからこそこんな豊かな句が詠えるのに、そもそも季重なりを意識する必要がある?と素直に思いました。季重なりはしない方がいいという考え方が俳句を窮屈にするのではと......。いかがでしょうか。