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40~50年位前の津軽の農家の主たちは秋の農作業が終わり冬出稼ぎに行く人が多かった。自分の父親もそうでした。厳しい冬の間、母親と祖父母が家を守って居ました。雪が解けて春になり、東京の珍しいお菓子を土産に父親が無事に帰って来た日は本当に嬉しかった思い出が蘇ります。61歳になる生粋の津軽人です。
時代背景・地域性などが分かり、より一層感動が深まりました。貴重な情報提供、誠にありがとう御座いました。
昭和30年代生まれのガキんちょwwwこっちは明治生まれじゃ。ガハハハッハ
昔の津軽の歌の背景が地域性がわかりありがとうございます。九州では気候的に冬の農閑期がなく昔から2期作や2毛作で年中作物を作っていたので、また違った田舎の風景がありました。
この歌が大好きです!説明でありがとうございます!中国のペキン人です。津軽へ遊びにいきたいね。
北国はもう寒いですか? 雪は水になり、人にとって大切なものですが、寒すぎると苦しい。自然に人は勝てない。出稼ぎ、大変です。移民されませんか?冬の間は雪のない地方へ。 福岡市の住民より。
この歌はこの人でなくては!と思う歌手が何人かいます。あくまでも私の中でですが。吉幾三さんもそのお一人です。他の方に曲を提供されていますが、ご本人を超える仕上がりはないと感じます。吉さんの声や佇まいからなのでしょう。沁みます。
昭和50年代に弘前から父親が何度か出稼ぎののち、昭和57年に家族で関東に上京。その時6才。上京しても貧しさは変わらず風呂無しのアパート住まい。帰省の時は寝台ではなく座席車の急行津軽。それでも大鰐を過ぎて岩木山が見えてくると故郷に帰ってきたなと子供なりに思ってました。
今から40年以上前、上野発青森行きの急行 津軽は、年末年始になると出稼ぎの方の帰省で満員だったのを思い出します。床に新聞紙しいて寝てる方もいた。新幹線や飛行機ではなく一番安い急行の自由席で、秋田や青森に帰るんです。
今の人達には分からないだろうけど、北東北で昭和を生きた人には涙無しでは聴く事も歌う事も出来ない名曲です…。 恐らく、その時代を生きた殆どの人がこの歌詞と同じだったと思います……。 私は岩手でしたが、同じ様に子供の頃、父は出稼ぎに行っていました。 聴くたびに涙が溢れてきます………。
父が令和2年1月7日に息を引き取りました。この曲をきいて涙が止まりません。うちの親父も冬の始まりの12月に出稼ぎに出て雪が解ける春まで帰って来ませんで。その間が長くて長くて、カレンダーばかり見ていた記憶があります。本当に、この詩の様に土産いっぱいぶらさげて帰って来ました。
ナイスゥ↑
お父さま、長い間お疲れさまでございました。
本当に東北又北陸でも出稼ぎが冬の間は当たり前の様でした。この歌詞聞いていると親は苦労をしたかと思うと涙が出てきます。74歳
So sad, I am the same even I can’t understand the words.
津軽地方ほど情緒にあふれた大いなる田舎は他にないかも知れないお岩木山、リンゴの花、ストーブ列車、出稼ぎどれも絵になるよね津軽平野そんな津軽を代表するようなこの歌そして地元出身の吉さんその朴訥とした歌い方の吉さんは、まさしく津軽の、おどう、そのものですねこの歌を聴くとなにか心があったかくなるんですありがとうございました。👍👍👍
東北 山形人ですが、この手の唄を歌わせたら、世界史上でも、このお方しかいないでしょ!
私が小1の頃 真冬の大工は仕事が少ない そんな親父が一冬居なかった事を思い出した 出稼ぎに行ってたんだね 子供心に寂しかった思い出 1年後がんで去った ありがとうお父さん・・・
良い歌は何度聞いても良い。雪国家族のどうしようもない辛さを、特に一番が全てを語りつくしている。この歌の主人公はきっと小6だろうな。父親に甘えたい、でもそろそろ恥ずかしい、できれば出稼ぎなど行かずに傍に居て欲しい、「馴れたや親父」というくだりは親父への思いやりの表れであり本当は逆で馴れてなどいないのだ。それが真実だと思う。そんな心境を伺いしることができる。見事なドラマになっている。吉幾三の最高作!
ンー、❗️我が父親のことを,歌った曲では,一番泣ける曲だと思う,吉幾三さん特に泣けるねー,やっぱ幾三さんだよ。
父が海外に単身赴任することが多く、この曲に自分を重ねてました。おどう、今日手術で。帰れや、おどう。
作詞作曲と言うのが凄すぎる、他の演歌歌手とは次元が違う
昔は演歌なんて好きではなかったのですが、歳かなぁ心に染みてしかたありません。
生粋の東京人だが、なぜか懐かしさや日本の原風景みたいのを感じて心に沁み入り感動する。
こんなかっこいいうた天才 吉さん すごい!
出稼ぎ30年。首都高速走って辛い時は吉さんの津軽平野を聞いて😢石油、ガス、運んでます!春にはお土産たくさん買って津軽に帰ります。素敵な唄です!
頑張れ
たまに吉さんの歌声が聴きたくなる。歳とともに、涙の量も増えてきたよ。
ほんとそれ、東北からかけ離れた関西に住んでるけど、この歌を聴くともう、涙が止まりません。
東京人ですが34年前息子が五歳の時、子守唄で静かに歌ってました。訳あって別居してた夫をかばう気持ちと『お父さんは仕事が忙しく帰れないんだよ!お土産楽しみにしてようね!』という気持ちを込めてました。地方を知らない私でも心に染みる日本人の歌です。
東北の人の静かな強さと熱さが伝わってくる。
大東亜戦争中、東北から出征してきた兵隊が最も勇敢で頼りになったと聞いたことがある。
私の父は大正8年生まれ、戦争に行きました。会社勤めの父が、私達が、幼き頃は、会社の旅行に行く度に、お土産を買って来てくれた思い浮かぶんです。幼き頃は、バナナでした。(^_^)吉幾三さんの歌には何時も涙して聞いて居ます。私は、東北人で無いですが。吉幾三さんの歌は、大好きです❤
いい歌ですね。よし幾ぞうさんは、ばつぐんうまいですね。
青森市生まれです。設備設計の仕事をしています。83歳です。
東北行ったこと無いけど東北の庶民が寒さや貧困に耐え忍びながら必死で日本の繁栄に貢献してきたのは分かる。彼らは何も言わないけどこの歌を聞けば分かる
津軽人として誇りの方です
鹿児島県でもファンが結構多い吉幾三。体に気を付けて頑張ってください🎉
なんぼうまいんだべわも岩木山、見に行きたくなった❤❤😢
今更ながら、物凄く文学的で心に沁みる歌ですね😢
吉幾三自作自演の最高傑作ではないだろうか。卓球仲間の爺さんが、宴席で飲めない酒をひと口・・・・・・秋田弁でこの歌を歌い出す。誰も彼の歌にはかなわない。
青森県出身です。とはいえ、私は津軽育ちでも出稼ぎが当たり前という時代でもありません。しかしながら吉幾三さんの声、発音にはなんとも言えない郷愁感を覚えるのです。この曲を聴くと、酔っ払うと必ず地元の民謡を歌っていた、元イカ釣り漁船漁師の祖父を思い出します。
青森出身の父親が好きだったこの曲。出棺時に流したかった。流してあげたかった。が、ウロ覚えで曲を間違えました。じょんがら節を流しました。15年経つが、今でも本当に痛恨に思います。父親もあの世で苦笑している事でしょう。
私は、冬が近づくと、必ずくちずさみ歌う、歌です以前は、涙する事なかったけど、五十過ぎれば涙が出て、吉さんの、曲、涙する歌が多いけど!私は、東北の、歌手の、かたで一番👍✊🏻‼️❤️❤️
駄目だこれ、涙が止まらんのは酒のせいだけじゃない!
うちの嫁は江戸子だけど、津軽から嫁に来たと思うようにしている。素朴な顔立ちしていててしっくりくる。
私、一番好きな歌ゎ吉幾三の津軽平野です。カーステレオにゎもちろん入っておりますw。西暦2024年(69歳)に青森県に転勤になってからここ2か月会社と家の往復ですが、なんだか青森の風ゎ寒いネ。冬ゎコワイって思いつつ、遠く離れた故郷の空を思いながら青森県で生活しているオッサンです。山しかないけどラーメンゎ旨すぎるし青森県大好きレベルMAXマンです!
いつ聴いても泣かされる歌… ウチの親父も 出稼ぎにいき 冬が終わる頃には 家に帰ってきた。 懐かしく 聞くたんびに 泣かされる曲です。
そうですね、自分も、同じおもいです
鏡五郎
演歌は、滅多に聴かないのですが!この曲を聞いた時には、「参りました!」吉幾三氏の才能溢れる曲だと感じました。情景が、頭の中に浮かんで来ます!汽車から降りてくる、おどうの姿が!
この歌を聴くと夜行列車の中で家族に会うのを楽しみにしているおじさん達が目に浮かびます。
雪国の厳しさ春を待ちわびる思い家族を思う父の優しさ直接的な表現をしないのに、伝わってきます。
東北に在住しています。この曲は、千昌夫さんの大ヒットの裏側で、吉幾三さん本人の思いと、五所川原近辺の冬期間の厳しさと、昭和の東北人の出稼ぎの悲しさと春への思いがミックスした、本人にしか表現できない名曲だと思います。
幼少期の頃宮城から暖かい県へ父も出稼ぎに行ってました。私は1人っ子母は入院で老婆といつも聞いて胸が熱くなり涙でいっぱいになった記憶があります
凍える冬は大嫌いでした😭またお父さんが居なくなる😖小さな私は胸が潰れそうな思いで泣きじゃくり嫌だ嫌だとだだ言った記憶があります😭ばあちゃんとテレビ観てると この曲が流れまるで私を歌ってると涙が止まりませんでした☃️😂
私は遠く離れた中国地方の者ですがこの歌を千昌夫さんが歌ったのを初めて聴いた時に・これだ、この歌だと思いましたね。この詩で雪深い東北の厳しさを思い日本の故郷を思い出せますね、そしてこの歌は現在でも自分好き勝手に弾き語りをして楽しんでいます、名曲ですね。
東北を想う時 前奏がとても合います私の生まれ育った最上を 涙ながらに思い出します。
痺れ指すな幾三さん、何時聞きいても良いな又明日会おな有り難う。
私は故郷の庄内平野と日本海を思い出します
んだにや
@@長左衛門 どんがら汁が美味しい季節になりましたね。
亡くなったお袋思い出して涙が止まりません。
自分も小さな息子や娘を置いて、本州に出稼ぎに行きいつもこの曲を聴きながら生活の為に頑張って仕事をしていました。今でも、カラオケでこの歌を歌うとあの頃が蘇って感無量になります。
私は会社勤務時代。雪国で3年過ごさせていただきました。雪の降る前は 底冷え感がしましたが降り始めたら 雪国の人々の気持のように 温かさを感じました。稲刈りを終え 勤労感謝の日を境に 雪を迎えられる用意をする。今も変わらない 風物詩だと 推察しております。アップありがとうございました。
吉幾三さんの歌うこの曲が、大好きです。吉さんの歌は、情景が浮かぶんですよね。ただ上手いのではなく、情感がこもっている。他の人が歌っても、この雰囲気は出ないです。
心に響く歌声だなぁ沖縄県民なので見ることのできない情景なのに情景が目に浮かびます
この人は歌手としての才能ももちろんだけど作詞家、作曲家としての才能がほんとすごいと思う。天才だなあと実感する。
演歌が心に染みる歳になりました。
多くの場合、出稼ぎに言っている父親の(故郷へ想い)の歌詞になるけど、この曲は反対に待っている側の歌詞。.もう、それだけで素晴らしいと思います。.
今日徳さんの番組である路線バスで寄り道の旅に吉幾三さんが出演しており、津軽平野に触れていたので聴きに来ました。ものすごくいい曲で感動できました。ありがとうございます♪
吉幾三についてのコメントを見て、うれしくなるね⁉️太宰治も俺の親父も旧金木町。田舎を逆に武器にして、堂々と津軽弁で攻め立てるなんて、痛快だぜ‼️津軽弁は津軽の標準語、昔の日本語、田舎出身の心意気みせたれーてがぁー
東京に来て10年。さえぎるものがなくキレイに岩木山が見えてた実家。思い出すと辛くもないのに涙が出る。これが故郷を思う心なんだろうか。
Asuka Sato
からんころん温泉というところの露天風呂から岩木山がズドーンと見えます。超絶絶景です。里帰りした際には是非!
よ
富士見ても“富士”やと言わんみちのくの・・・。あの、西行法師が富士山に匹敵すると認めた名山ですからねぇ・・・。春夏秋冬、今でも美しいですよ。^^
声質、喉質、実に素晴らしいですね。日本の誇るべき歌い手です。
最近仕事が忙しく心まで疲れてたところに吉幾三さんの津軽平野を聴いてぐっと心に刺さりました千昌夫さんより吉幾三さんの方の津軽平野が味があり心に染み入り私は好きです仕事でしんどいときは津軽平野を口ずさみながら作業してます(笑)吉幾三さんにハマってしまいました演歌はやっぱり日本の歌ですね
昔の歌、演歌は良いですね。その情景が頭に浮かびます。今の若い子の歌は情景も何もない
吉さんは国宝と言っても過言ではない誰も彼のように歌うことはできないでしょう表れています。
紅白にもってこい、涙する人沢山いるはず、古き良き田舎の歌
四国でも仕事がなく父は本州に出稼ぎに行っていました。もう半世紀前です。この歌は心に沁みます。
津軽平野。行ったことがないのに郷愁の思いで涙がこぼれる
昭和23年生れ団塊世代です❤️作詞❤作曲❤唄❤️吉幾三さん代表曲❤️*津軽平野*を視聴していると想わず胸が(ジーンと)熱く刹那く哀しく為ります!!!❤️昭和の懐かしい(30〜40年代頃)東北地方などからの中卒で金の卵と呼ばれた集団就職列車や出稼ぎ労働者などの情景が浮かんで来ます!!!。
とにかく声がいい、哀愁がある。この歌だいすきです。
東北のゆったりした風景が浮かびます。別れたくないが生活のための出稼ぎに行く情景、戻ってきたときの喜びが牧歌的な中でほのぼのと感じられる素晴らしい曲で大好きな曲の一つです。吉幾三さんはすごい歌手であり、詩人であると思います。
親父が死んだ。 あれだけ憎み恨んでいたのに。 いや、今も憎んでる。 この歌を歌うとすこし ずつ氷が融けてきて涙が出る。 わけ分からん。
そうですね。わけわからんですね。親父はなんでも・・お見通し・・だったかも知れませんね。
私も父親に対して複雑な思いで生きています。まだ健在です。感謝している部分もあるし、けどやっぱり恨んだり、一方的に決めつけたり怒鳴ったりしないで子供の気持ちも分かってもらいたかった部分も沢山ありで、38歳になった今でも父親とは上手く話せず緊張感漂います。父は昭和22年生まれで本当に絵に描いたような頑固者で。そんな父も今76歳。昔よりいくらか丸くなったけどそれでも怖くて。けどいずれは亡くなる事を考えるといい加減もっと親子らしく接しないと私は必ず後悔するんだろうなって、これまた複雑な気持ちで毎日過ごしてます。このコメントを読んで、少しまた自分なりに前向きに考えようと思いました。突然すみませんでした。ありがとうございました(_ _)
天才だこの人
まさに
今から三十年以上前に、当時、兵庫県の姫路で道路舗装の会社で働いていました。仕事終わってよく駅裏の屋台に連れて行かれたその中で常連の東北出身のおっさんがおってんけどどんな事情が有るんかわからんけど、長い事故郷に帰って無いらしく、酔うと必ず津軽平野を泣きながら東北訛りで歌ってた、屋台の大将も俺らも思わずもらい泣きしてました。この曲聴くと思い出して未だに涙が出てしまう。
阿闍梨未満 歌わせてあげる周りの方も良い人達だったんですね
災害天災税金大変な世の中だからこそ身にしみる今日この頃です
故郷を思う気持ちいいですね。30年以上前ってのもまたいいなぁ。今じゃ少なそうな話。
文章お上手ですね
南国育ちでとくに思い入れの無い歌なんだけど、リゾートしらかみって列車に乗ってたらこの曲流れてきて涙出てきた。
吉幾三さんの魅力は東北人の魂で歌っていることです。吉さんが住まれている五所川原市と青森市の間が青森県でも特に毎年大雪が積もる場所です。これでもかこれでもかという感じで、車の運転する人も命がけです。私も毎回おそるおそる運転していたのを思い出します。そのような厳しい自然の中で生活している人の気持ちが吉さんの歌を聴いているとじわじわっと伝わってきます。
歌詞、メロ、歌唱全部が完璧。2番の歌詞が特に秀逸。夢も凍れるっていうところにぐっとくるし、どれだけ津軽の冬が厳しいものかが如実に伝わってくる。津軽で冬をこしたこともないし津軽の雪すら見たことないのに。当時子供用のピアノで作曲されたみたいですが、本当の天才ですわ。
吉幾三さんの歌はどれも聴いているうちに自然と涙が出ます。これからも元気に歌い続けて、そして笑わせてください!
礒見栄岳
ほんと、心に染みる名曲ですよね、あぁ~涙が出てきちゃった
いい歌です。情景がよく分かります。何度も聴いています。吉さんの傑作です。
演歌よく分からないのですが、この曲を聴いて泣きました
吉幾三先生は、もっともっと評価されても良い方です。
西東 Milton much is an appmeUf
shizuka yoshida」
Fitness. 健康操
❤❤❤
いや、吉幾三大先生でもいいです! 大がつくほどすごい人ですよね!
21歳の頃14年間トレーラーで青森ー九州をトラック野郎です五所川原アンド板柳にリンゴアンド長芋積みに行たなぁ特に四季がはっきりしてこの曲マッチングですこれ程裏日本を愛している男も居ないだろ❗ニシン焼き定食食べたい😹
私が若い頃札幌で寝食をともにした友達が津軽平野、浪岡町にいました、彼から毎年リンゴを送って頂きました、今は鬼籍に入りましたが外に何人か津軽の人と知り合いになりましたが皆良い人ばかりでした、吉幾三さんの歌・津軽平野は特別の思いで毎日聞いています。𠮷幾三さん頑張って下さい。北海道の住民より
吉さん、故郷思う歌を歌わせたら、右に出る人いません。貴方こそ故郷恋しいを切々と歌える第一人者ですよ。それは現実、痛感してらっしゃるからかもです。だから心に響くのです。
今になる日本を 造り上げた涙する心の中の名曲です 雪深い人はなにか心に······❰
どうしたらこんなすごい歌作れるの!
この歌に憧れて、岡山から車で妻と二人で岩木山にあがり眺めた津軽平野は,壮大な眺めで、歌を聞くたびに思い出します。
故郷を思う心境は、何時までも変わりません‼️70代に入りますが、歌を聞くたび、マダマダこらからと勇気が沸いてきます。来年の春は、故郷に帰ろうかな🏞️🚅🚅
吉さんは歌に津軽の香りをきっちり載せる。まさしく東北でしかできないソウルシンガーだと思う。訛りに故郷の誇りを感じる。
国宝級ではなく現日本の国宝。お笑いも一級で素敵です。
津軽平野と岩木山の雪景色を思い出す。懐かしいな。
この前、岩手の紫波の寿司屋で偶然にウチの方(関東)に出稼ぎに来てた❗って言う夫婦で来てたおじさんに楽しかったって言われて涙が出そうでした。東北の人は強いし優しいね👍ツーリングの途中で八郎潟の稲刈り見たら、津軽平野が自分の中で流れてた❗
東北人の心情の奥底に流れているのは、悲しい歴史。それは貧困に耐え忍んでなお逞しく生きていく東北の人たちの魂の絆。
だいぶ昔の話ですが、昭和56年頃、津軽平野一周し、太宰治の生家があり、吉さんの出身地である金町にも行きました。まだ吉幾三さんが有名になる前です。吉さんの歌は人情・親しみがあり、自分で作詞・作曲された歌ばかり・・・全て大好きです。溢れるように曲が出来てくるんでしょうか?やっぱり故郷津軽に対する思いの強さが自然と出てくるのでしょうネ!!!生意気な事書いてすみません!大河ドラマの徳川家慶素晴らしい演技です。頑張って下さい!!!
沁みるなあ
歳を重ねるとこの歌の歌詞がいい。若い時は何とも思わなかったことだが。すごくいい。
あなたは何故涙脆いのか声がものがっています。ひさしぶりなみだがとまりません。ありがとう。素晴らしい曲が作れる才が!つくれるものではないですね。声に人生あり。
演歌は好きなジャンルではないのですが、吉さんがこの曲を歌うと、まず優しさ、それから、なんというか民謡のルーツを感じます。シンプルさが素晴らしいです。
千昌夫が歌う「津軽平野」も良いけど、吉幾三が歌うのもさらに良いね。曲を制作して自ら歌う吉幾三が津軽出身者だと知っているから余計そう感じるのだろうか。
津軽の風景が目に浮かびます。
お岩木山ヨ 見えたか親父♪のリフレインがグッときます。コミックソングから名演歌まで、こんな才能豊かな人はそうそういない。
mamki1
平成も終わり令和になっても日本人である限り昭和の歌を歌い聴いています。間違いなく昭和の名曲です。
過去に津軽を歌った歌は数あれど津軽平野はナンバーワンだと思う聞くたびにグッときます😢
うちはもう父さんと暮らしてないから、この曲を聞いたら、泣きたい。
さぶちゃんの津軽平野も良いけど、やっぱり吉幾三のが一番だなぁ・・。哀愁と親を愛しく思う気持ちと。年とともに日本の歌の素晴らしさに気づき始めた。
ihspas ss
日本の最高のソウル歌手です、
私は30年以上前に日本に住んでいました。 私はまだそれを逃す。 この美しい音楽は、青森県の私の時を思い出させます。
吉さんの曲大好きです。以前、テレビの番組でおっしゃってみえました。「まだ、売れない時 誰も曲を作ってくれないから自分で作るしかなかった」っと それが 今日の人の心を感動させる素晴らしい曲につながつているんでしょうネ
吉幾三さん、青森県北津軽郡金木町出身。デビュー楽曲。オラ、東京サいくだ!?、で。上京。現在までに、3O曲を、ヒット中の演歌歌手です。私生活では、3人のお嬢さんの父親でもある。私が、知っている歌の中でも、特に、津軽平野、これが、カラオケのおハコ歌のーつで、も、あります。吉幾三さんは、作詞家でもありますね。余り、お酒を、飲まないで身体を、大切にして下さいね。埼玉県熊谷市佐谷田。
わたしは南部の人間だけど、吉さんの歌には津軽の景色が浮かんできます。
40~50年位前の津軽の農家の主たちは秋の農作業が終わり冬出稼ぎに行く人が多かった。自分の父親もそうでした。厳しい冬の間、母親と祖父母が家を守って居ました。雪が解けて春になり、東京の珍しいお菓子を土産に父親が無事に帰って来た日は本当に嬉しかった思い出が蘇ります。61歳になる生粋の津軽人です。
時代背景・地域性などが分かり、より一層感動が深まりました。貴重な情報提供、誠にありがとう御座いました。
昭和30年代生まれのガキんちょwwwこっちは明治生まれじゃ。ガハハハッハ
昔の津軽の歌の背景が地域性がわかりありがとうございます。九州では気候的に冬の農閑期がなく昔から2期作や2毛作で年中作物を作っていたので、また違った田舎の風景がありました。
この歌が大好きです!説明でありがとうございます!中国のペキン人です。津軽へ遊びにいきたいね。
北国はもう寒いですか? 雪は水になり、人にとって大切なものですが、寒すぎると苦しい。
自然に人は勝てない。
出稼ぎ、大変です。移民されませんか?冬の間は雪のない地方へ。 福岡市の住民より。
この歌はこの人でなくては!と思う歌手が何人かいます。あくまでも私の中でですが。
吉幾三さんもそのお一人です。他の方に曲を提供されていますが、ご本人を超える仕上がりはないと感じます。
吉さんの声や佇まいからなのでしょう。
沁みます。
昭和50年代に弘前から父親が何度か出稼ぎののち、昭和57年に家族で関東に上京。その時6才。上京しても貧しさは変わらず風呂無しのアパート住まい。帰省の時は寝台ではなく座席車の急行津軽。それでも大鰐を過ぎて岩木山が見えてくると故郷に帰ってきたなと子供なりに思ってました。
今から40年以上前、上野発青森行きの急行 津軽は、年末年始になると出稼ぎの方の帰省で満員だったのを思い出します。床に新聞紙しいて寝てる方もいた。新幹線や飛行機ではなく一番安い急行の自由席で、秋田や青森に帰るんです。
今の人達には分からないだろうけど、北東北で昭和を生きた人には涙無しでは聴く事も歌う事も出来ない名曲です…。 恐らく、その時代を生きた殆どの人がこの歌詞と同じだったと思います……。 私は岩手でしたが、同じ様に子供の頃、父は出稼ぎに行っていました。 聴くたびに涙が溢れてきます………。
父が令和2年1月7日に息を引き取りました。この曲をきいて涙が止まりません。うちの親父も冬の始まりの12月に出稼ぎに出て
雪が解ける春まで帰って来ませんで。その間が長くて長くて、カレンダーばかり見ていた記憶があります。本当に、この詩の様に土産いっぱいぶらさげて帰って来ました。
ナイスゥ↑
お父さま、長い間お疲れさまでございました。
本当に東北又北陸でも出稼ぎが冬の間は当たり前の様でした。
この歌詞聞いていると親は苦労をしたかと思うと涙が出てきます。74歳
So sad, I am the same even I can’t understand the words.
津軽地方ほど情緒にあふれた大いなる田舎は他にないかも知れない
お岩木山、リンゴの花、ストーブ列車、出稼ぎどれも絵になるよね
津軽平野
そんな津軽を代表するようなこの歌そして地元出身の吉さん
その朴訥とした歌い方の吉さんは、まさしく津軽の、おどう、そのものですね
この歌を聴くとなにか心があったかくなるんです
ありがとうございました。👍👍👍
東北 山形人ですが、この手の唄を歌わせたら、世界史上でも、このお方しかいないでしょ!
私が小1の頃 真冬の大工は仕事が少ない そんな親父が一冬居なかった事を思い出した 出稼ぎに行ってたんだね 子供心に寂しかった思い出 1年後がんで去った ありがとうお父さん・・・
良い歌は何度聞いても良い。雪国家族のどうしようもない辛さを、特に一番が全てを語りつくしている。この歌の主人公はきっと小6だろうな。父親に甘えたい、でもそろそろ恥ずかしい、できれば出稼ぎなど行かずに傍に居て欲しい、「馴れたや親父」というくだりは親父への思いやりの表れであり本当は逆で馴れてなどいないのだ。それが真実だと思う。そんな心境を伺いしることができる。見事なドラマになっている。吉幾三の最高作!
ンー、❗️我が父親のことを,歌った曲では,一番泣ける曲だと思う,吉幾三さん特に泣けるねー,やっぱ幾三さんだよ。
父が海外に単身赴任することが多く、この曲に自分を重ねてました。おどう、今日手術で。帰れや、おどう。
作詞作曲と言うのが凄すぎる、他の演歌歌手とは次元が違う
昔は演歌なんて好きではなかったのですが、歳かなぁ心に染みてしかたありません。
生粋の東京人だが、なぜか懐かしさや日本の原風景みたいのを感じて心に沁み入り感動する。
こんなかっこいいうた
天才 吉さん すごい!
出稼ぎ30年。首都高速走って辛い時は吉さんの津軽平野を聞いて😢石油、ガス、運んでます!春にはお土産たくさん買って津軽に帰ります。素敵な唄です!
頑張れ
たまに吉さんの歌声が聴きたくなる。歳とともに、涙の量も増えてきたよ。
ほんとそれ、
東北からかけ離れた
関西に住んでるけど、
この歌を聴くと
もう、
涙が止まりません。
東京人ですが34年前息子が五歳の時、子守唄で静かに歌ってました。訳あって別居してた夫をかばう気持ちと『お父さんは仕事が忙しく帰れないんだよ!お土産楽しみにしてようね!』という気持ちを込めてました。
地方を知らない私でも心に染みる日本人の歌です。
東北の人の静かな強さと熱さが伝わってくる。
大東亜戦争中、東北から出征してきた兵隊が最も勇敢で頼りになったと聞いたことがある。
私の父は大正8年生まれ、戦争に行きました。会社勤めの父が、私達が、幼き頃は、会社の旅行に行く度に、お土産を買って来てくれた思い浮かぶんです。幼き頃は、バナナでした。(^_^)吉幾三さんの歌には何時も涙して聞いて居ます。私は、東北人で無いですが。吉幾三さんの歌は、大好きです❤
いい歌ですね。よし幾ぞうさんは、ばつぐんうまいですね。
青森市生まれです。設備設計の仕事をしています。83歳です。
東北行ったこと無いけど東北の庶民が寒さや貧困に耐え忍びながら必死で日本の繁栄に貢献してきたのは分かる。彼らは何も言わないけどこの歌を聞けば分かる
津軽人として誇りの方です
鹿児島県でもファンが結構多い吉幾三。体に気を付けて頑張ってください🎉
なんぼうまいんだべわも岩木山、見に行きたくなった❤❤😢
今更ながら、物凄く文学的で心に沁みる歌ですね😢
吉幾三自作自演の最高傑作ではないだろうか。卓球仲間の爺さんが、宴席で飲めない酒をひと口・・・・・・秋田弁でこの歌を歌い出す。誰も彼の歌にはかなわない。
青森県出身です。
とはいえ、私は津軽育ちでも出稼ぎが当たり前という時代でもありません。
しかしながら吉幾三さんの声、発音にはなんとも言えない郷愁感を覚えるのです。
この曲を聴くと、酔っ払うと必ず地元の民謡を歌っていた、元イカ釣り漁船漁師の祖父を思い出します。
青森出身の父親が好きだったこの曲。出棺時に流したかった。流してあげたかった。が、ウロ覚えで曲を間違えました。じょんがら節を流しました。
15年経つが、今でも本当に痛恨に思います。
父親もあの世で苦笑している事でしょう。
私は、冬が近づくと、必ずくちずさみ歌う、歌です以前は、涙する事なかったけど、五十過ぎれば涙が出て、吉さんの、曲、涙する歌が多いけど!私は、東北の、歌手の、かたで一番👍✊🏻‼️❤️❤️
駄目だこれ、涙が止まらんのは酒のせいだけじゃない!
うちの嫁は江戸子だけど、津軽から嫁に来たと思うようにしている。素朴な顔立ちしていててしっくりくる。
私、一番好きな歌ゎ吉幾三の津軽平野です。カーステレオにゎもちろん入っておりますw。西暦2024年(69歳)に青森県に転勤になってからここ2か月会社と家の往復ですが、なんだか青森の風ゎ寒いネ。冬ゎコワイって思いつつ、遠く離れた故郷の空を思いながら青森県で生活しているオッサンです。山しかないけどラーメンゎ旨すぎるし青森県大好きレベルMAXマンです!
いつ聴いても泣かされる歌… ウチの親父も 出稼ぎにいき 冬が終わる頃には 家に帰ってきた。 懐かしく 聞くたんびに 泣かされる曲です。
そうですね、自分も、同じおもいです
鏡五郎
演歌は、滅多に聴かないのですが!この曲を聞いた時には、「参りました!」吉幾三氏の才能溢れる曲だと感じました。情景が、頭の中に浮かんで来ます!汽車から降りてくる、おどうの姿が!
この歌を聴くと夜行列車の中で家族に会うのを楽しみにしているおじさん達が目に浮かびます。
雪国の厳しさ
春を待ちわびる思い
家族を思う父の優しさ
直接的な表現をしないのに、伝わってきます。
東北に在住しています。この曲は、千昌夫さんの大ヒットの裏側で、吉幾三さん本人の思いと、五所川原近辺の冬期間の厳しさと、昭和の東北人の出稼ぎの悲しさと春への思いがミックスした、本人にしか表現できない名曲だと思います。
幼少期の頃宮城から暖かい県へ父も出稼ぎに行ってました。私は1人っ子母は入院で老婆といつも聞いて胸が熱くなり涙でいっぱいになった記憶があります
凍える冬は大嫌いでした😭またお父さんが居なくなる😖小さな私は胸が潰れそうな思いで泣きじゃくり嫌だ嫌だとだだ言った記憶があります😭ばあちゃんとテレビ観てると この曲が流れまるで私を歌ってると涙が止まりませんでした☃️😂
私は遠く離れた中国地方の者ですがこの歌を千昌夫さんが歌ったのを初めて聴いた時に・これだ、この歌だと思いましたね。
この詩で雪深い東北の厳しさを思い日本の故郷を思い出せますね、そしてこの歌は現在でも自分好き勝手に弾き語りをして楽しんでいます、名曲ですね。
東北を想う時 前奏がとても合います
私の生まれ育った最上を 涙ながらに思い出します。
痺れ指すな幾三さん、
何時聞きいても良いな又明日会おな有り難う。
私は故郷の庄内平野と日本海を思い出します
んだにや
@@長左衛門 どんがら汁が美味しい季節になりましたね。
亡くなったお袋思い出して涙が止まりません。
自分も小さな息子や娘を置いて、本州に出稼ぎに行きいつもこの曲を聴きながら生活の為に頑張って仕事をしていました。今でも、カラオケでこの歌を歌うとあの頃が蘇って感無量になります。
私は会社勤務時代。雪国で3年過ごさせていただきました。雪の降る前は 底冷え感がしましたが
降り始めたら 雪国の人々の気持のように 温かさを感じました。
稲刈りを終え 勤労感謝の日を境に 雪を迎えられる用意をする。
今も変わらない 風物詩だと 推察しております。
アップありがとうございました。
吉幾三さんの歌うこの曲が、大好きです。吉さんの歌は、情景が浮かぶんですよね。ただ上手いのではなく、情感がこもっている。他の人が歌っても、この雰囲気は出ないです。
心に響く歌声だなぁ
沖縄県民なので見ることのできない情景なのに情景が目に浮かびます
この人は歌手としての才能ももちろんだけど作詞家、作曲家としての才能がほんとすごいと思う。
天才だなあと実感する。
演歌が心に染みる歳になりました。
多くの場合、出稼ぎに言っている父親の(故郷へ想い)の歌詞になるけど、
この曲は反対に待っている側の歌詞。.
もう、それだけで素晴らしいと思います。
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今日徳さんの番組である路線バスで寄り道の旅に吉幾三さんが出演しており、津軽平野に触れていたので聴きに来ました。
ものすごくいい曲で感動できました。ありがとうございます♪
吉幾三についてのコメントを見て、うれしくなるね⁉️太宰治も俺の親父も旧金木町。田舎を逆に武器にして、堂々と津軽弁で攻め立てるなんて、痛快だぜ‼️津軽弁は津軽の標準語、昔の日本語、田舎出身の心意気みせたれーてがぁー
東京に来て10年。
さえぎるものがなくキレイに岩木山が見えてた実家。
思い出すと辛くもないのに涙が出る。
これが故郷を思う心なんだろうか。
Asuka Sato
からんころん温泉というところの露天風呂から岩木山がズドーンと見えます。超絶絶景です。里帰りした際には是非!
Asuka Sato
よ
富士見ても“富士”やと言わんみちのくの・・・。
あの、西行法師が富士山に匹敵すると認めた名山ですからねぇ・・・。
春夏秋冬、今でも美しいですよ。^^
声質、喉質、実に素晴らしいですね。
日本の誇るべき歌い手です。
最近仕事が忙しく心まで疲れてたところに吉幾三さんの津軽平野を聴いてぐっと心に刺さりました
千昌夫さんより吉幾三さんの方の津軽平野が味があり心に染み入り私は好きです
仕事でしんどいときは津軽平野を口ずさみながら作業してます(笑)
吉幾三さんにハマってしまいました
演歌はやっぱり日本の歌ですね
昔の歌、演歌は良いですね。その情景が頭に浮かびます。今の若い子の歌は情景も何もない
吉さんは国宝と言っても過言ではない
誰も彼のように歌うことはできないでしょう
表れています。
紅白にもってこい、涙する人沢山いるはず、古き良き田舎の歌
四国でも仕事がなく父は本州に出稼ぎに行っていました。もう半世紀前です。この歌は心に沁みます。
津軽平野。行ったことがないのに郷愁の思いで涙がこぼれる
昭和23年生れ
団塊世代です
❤️作詞
❤作曲
❤唄
❤️吉幾三さん代表曲
❤️*津軽平野*を
視聴していると
想わず胸が
(ジーンと)
熱く
刹那く
哀しく為ります!!!
❤️昭和の懐かしい
(30〜40年代頃)
東北地方などからの
中卒で
金の卵と呼ばれた
集団就職列車や
出稼ぎ労働者などの
情景が
浮かんで来ます!!!。
とにかく声がいい、哀愁がある。この歌だいすきです。
東北のゆったりした風景が浮かびます。別れたくないが生活のための出稼ぎに行く情景、戻ってきたときの喜びが牧歌的な中でほのぼのと感じられる素晴らしい曲で大好きな曲の一つです。吉幾三さんはすごい歌手であり、詩人であると思います。
親父が死んだ。 あれだけ憎み恨んでいたのに。 いや、今も憎んでる。 この歌を歌うとすこし ずつ氷が融けてきて涙が出る。 わけ分からん。
そうですね。わけわからんですね。
親父はなんでも・・お見通し・・だったかも知れませんね。
私も父親に対して複雑な思いで生きています。まだ健在です。
感謝している部分もあるし、
けどやっぱり恨んだり、一方的に決めつけたり怒鳴ったりしないで子供の気持ちも分かってもらいたかった部分も沢山ありで、38歳になった今でも父親とは上手く話せず緊張感漂います。
父は昭和22年生まれで本当に絵に描いたような頑固者で。
そんな父も今76歳。昔よりいくらか丸くなったけどそれでも怖くて。
けどいずれは亡くなる事を考えるといい加減もっと親子らしく接しないと私は必ず後悔するんだろうなって、これまた複雑な気持ちで毎日過ごしてます。
このコメントを読んで、少しまた自分なりに前向きに考えようと思いました。突然すみませんでした。ありがとうございました(_ _)
天才だこの人
まさに
今から三十年以上前に、当時、兵庫県の姫路で
道路舗装の会社で働いていました。
仕事終わってよく駅裏の屋台に連れて行かれた
その中で常連の東北出身のおっさんがおってんけど
どんな事情が有るんかわからんけど、長い事故郷に
帰って無いらしく、酔うと必ず津軽平野を泣きながら
東北訛りで歌ってた、屋台の大将も俺らも思わず
もらい泣きしてました。この曲聴くと思い出して
未だに涙が出てしまう。
阿闍梨未満 歌わせてあげる周りの方も良い人達だったんですね
災害天災税金大変な世の中だからこそ身にしみる今日この頃です
故郷を思う気持ちいいですね。
30年以上前ってのもまたいいなぁ。
今じゃ少なそうな話。
文章お上手ですね
南国育ちでとくに思い入れの無い歌なんだけど、リゾートしらかみって列車に乗ってたらこの曲流れてきて涙出てきた。
吉幾三さんの魅力は東北人の魂で歌っていることです。吉さんが住まれている五所川原市と青森市の間が青森県でも特に毎年大雪が積もる場所です。これでもかこれでもかという感じで、車の運転する人も命がけです。私も毎回おそるおそる運転していたのを思い出します。そのような厳しい自然の中で生活している人の気持ちが吉さんの歌を聴いているとじわじわっと伝わってきます。
歌詞、メロ、歌唱全部が完璧。2番の歌詞が特に秀逸。夢も凍れるっていうところにぐっとくるし、どれだけ津軽の冬が厳しいものかが如実に伝わってくる。津軽で冬をこしたこともないし津軽の雪すら見たことないのに。当時子供用のピアノで作曲されたみたいですが、本当の天才ですわ。
吉幾三さんの歌はどれも聴いているうちに自然と涙が出ます。
これからも元気に歌い続けて、そして笑わせてください!
礒見栄岳
ほんと、心に染みる名曲ですよね、あぁ~涙が出てきちゃった
いい歌です。情景がよく分かります。何度も聴いています。吉さんの傑作です。
演歌よく分からないのですが、この曲を聴いて泣きました
吉幾三先生は、もっともっと評価されても良い方です。
西東 Milton much is an appme
Uf
shizuka yoshida」
Fitness. 健康操
❤❤❤
いや、吉幾三大先生でもいいです! 大がつくほどすごい人ですよね!
21歳の頃14年間トレーラーで青森ー九州をトラック野郎です五所川原アンド板柳にリンゴアンド長芋積みに行たなぁ特に四季がはっきりしてこの曲マッチングですこれ程裏日本を愛している男も居ないだろ❗ニシン焼き定食食べたい😹
私が若い頃札幌で寝食をともにした友達が津軽平野、浪岡町にいました、彼から毎年リンゴを送って頂きました、今は鬼籍に入りましたが外に何人か津軽の人と知り合いになりましたが皆良い人ばかりでした、吉幾三さんの歌・津軽平野は特別の思いで毎日聞いています。𠮷幾三さん頑張って下さい。北海道の住民より
吉さん、故郷思う歌を
歌わせたら、右に出る人いません。貴方こそ故郷恋しい
を切々と歌える第一人者ですよ。それは現実、痛感して
らっしゃるからかもです。
だから心に響くのです。
今になる日本を 造り上げた涙する心の中の名曲です 雪深い人はなにか心に······❰
どうしたらこんなすごい歌作れるの!
この歌に憧れて、岡山から車で妻と二人で岩木山にあがり眺めた津軽平野は,壮大な眺めで、歌を聞くたびに思い出します。
故郷を思う心境は、何時までも変わりません‼️70代に入りますが、歌を聞くたび、マダマダこらからと勇気が沸いてきます。来年の春は、故郷に帰ろうかな🏞️🚅🚅
吉さんは歌に津軽の香りをきっちり載せる。まさしく東北でしかできないソウルシンガーだと思う。
訛りに故郷の誇りを感じる。
国宝級ではなく現日本の国宝。お笑いも一級で素敵です。
津軽平野と岩木山の雪景色を思い出す。懐かしいな。
この前、岩手の紫波の寿司屋で偶然にウチの方(関東)に出稼ぎに来てた❗って言う夫婦で来てたおじさんに楽しかったって言われて涙が出そうでした。東北の人は強いし優しいね👍
ツーリングの途中で八郎潟の稲刈り見たら、津軽平野が自分の中で流れてた❗
東北人の心情の奥底に流れているのは、悲しい歴史。それは貧困に耐え忍んでなお逞しく生きていく東北の人たちの魂の絆。
だいぶ昔の話ですが、昭和56年頃、津軽平野一周し、太宰治の生家があり、吉さんの出身地である金町にも行きました。まだ吉幾三さんが有名になる前です。吉さんの歌は人情・親しみがあり、自分で作詞・作曲された歌ばかり・・・全て大好きです。溢れるように曲が出来てくるんでしょうか?やっぱり故郷津軽に対する思いの強さが自然と出てくるのでしょうネ!!!生意気な事書いてすみません!大河ドラマの徳川家慶素晴らしい演技です。頑張って下さい!!!
沁みるなあ
歳を重ねるとこの歌の歌詞がいい。若い時は何とも思わなかったことだが。すごくいい。
あなたは何故涙脆いのか声がものがっています。ひさしぶりなみだがとまりません。ありがとう。素晴らしい曲が作れる才が!つくれるものではないですね。声に人生あり。
演歌は好きなジャンルではないのですが、吉さんがこの曲を歌うと、まず優しさ、それから、なんというか民謡のルーツを感じます。シンプルさが素晴らしいです。
千昌夫が歌う「津軽平野」も良いけど、吉幾三が歌うのもさらに良いね。
曲を制作して自ら歌う吉幾三が津軽出身者だと知っているから余計そう感じるのだろうか。
津軽の風景が目に浮かびます。
お岩木山ヨ 見えたか親父♪のリフレインがグッときます。コミックソングから名演歌まで、こんな才能豊かな人はそうそういない。
mamki1
平成も終わり令和になっても日本人である限り昭和の歌を歌い聴いています。
間違いなく昭和の名曲です。
過去に津軽を歌った歌は数あれど津軽平野はナンバーワンだと思う聞くたびにグッときます😢
うちはもう父さんと暮らしてないから、この曲を聞いたら、泣きたい。
さぶちゃんの津軽平野も良いけど、やっぱり吉幾三のが一番だなぁ・・。哀愁と親を愛しく思う気持ちと。年とともに日本の歌の素晴らしさに気づき始めた。
ihspas ss
日本の最高のソウル歌手です、
私は30年以上前に日本に住んでいました。 私はまだそれを逃す。 この美しい音楽は、青森県の私の時を思い出させます。
吉さんの曲大好きです。以前、テレビの番組でおっしゃってみえました。「まだ、売れない時 誰も曲を作ってくれないから自分で作るしかなかった」っと それが 今日の人の心を感動させる素晴らしい曲につながつているんでしょうネ
吉幾三さん、青森県北津軽郡金木町出身。デビュー楽曲。オラ、東京サいくだ!?、で。上京。現在までに、3O曲を、ヒット中の演歌歌手です。私生活では、3人のお嬢さんの父親でもある。私が、知っている歌の中でも、特に、津軽平野、これが、カラオケのおハコ歌のーつで、も、あります。吉幾三さんは、作詞家でもありますね。余り、お酒を、飲まないで身体を、大切にして下さいね。埼玉県熊谷市佐谷田。
わたしは南部の人間だけど、吉さんの歌には津軽の景色が浮かんできます。