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【訂正】徳川綱吉は4代将軍ではなく、5代将軍でした。ご指摘してくださった方々ありがとうございます。
この時代に漢字を使って筆談でコミュニケーションとれた島民も凄いよなぁ
日本って割と識字率が昔から高いほうなんですよ
鉄砲が高く売り捌けるからと慌てて外国商人は本国に戻り、船にたくさん鉄砲を積んで日本に戻ったら、すでにたくさんの鉄砲が国産化されていて唖然とした話が好き。(諸説あり)
+田中宗隆様鉄砲を開発した当のヨーロッパでは封建社会で騎士階級が幅を利かせており、騎士が特権を失う事を恐れて鉄砲がなかなか普及せず白兵戦至上主義がはびこっていた。こぞって鉄砲を導入した日本の武士とは全く逆だったので商人は日本だったら型落ち(欧州ではマッチロック(火縄)式からフリントロック(燧石)式に進化していた)でもぼったくって売れる!と高を括ったんでしょうね。しかし「これ凄ぇわ!どんどん買ったろ!」じゃなくて「これ凄ぇわ!国産化したろ!」という考え方が凄いです。
それどころか「そんな旧式いらない」と改良までされてたらしい。
@@汚い高音-t6t それを魔改造とよぶ
インド商人が日本の銃を購入トルコ帝国に売りつけた。ただし大砲作りとその運営面では当時世界最高性能のイギリス製どころかスペイン製、トルコ製、はたまた中国製、朝鮮製さえ劣っていた事を忘れてはいけない。
とても良い動画でした,私はポルトガル人のハ―フので,この動画は個人的には興味深い話題。
コメントありがとうございます!とても嬉しいです😊
ナイスパ👍
時尭様も柔軟だけど、筆談でコミニケーション取れた人に学と臨機応変さがなかったらそこで詰んでたかと思うと凄い人。
種子島 時堯はよく鉄砲の意義についてすぐ気づきましたね。高額にもかかわらず即購入、即複製ってすごすぎます。結果、スペインやポルトガルによる植民地化を防いだともいえますしほんと素晴らしいセンスでした。
最初に流れ着いたのが、好奇心旺盛&戦闘民族島津家と接点が有る種子島だったのも大きいと思います。もし対馬の宗氏の所に流れ着いても同じ結末になるだろうか?という考察が興味深かったのを思い出しました。
たしかにwバランス主義が信条ですからね無かったことにしそう
漢字で筆談した島民も、見た事無かった銃を複製した鍛冶職人さんも、優秀だったのですね。😳👍
いつも参考にさせてもらってます。
8:33綱吉公は五代将軍ですよ!四代将軍家綱公を飛ばしていますよ。
1549年の鹿児島で鉄砲が初めて使われたという話を持ち出すあたりこの人のセンスを感じられる
かつて世界一の銃社会だった国が、最も銃に厳しい国の一国になったのって凄いな
時代や情勢に適応した...と言っていいのかな
まあ当時鉄砲持ってるのは庶民じゃなくて軍隊だからな
@@トニートニートニーチョッパーいや庶民も持ってたよ笑。趣味で流行ってた笑だから秀吉、家康も規制した。
ただし法的条件を守ってるエアソフトガンなら年齢をクリアすれば購入出来るので、ある意味で銃規制が緩いと解釈する方もいるみたいです。
秀吉さまの「刀狩り」のおかげじゃ 😅
一年で鉄砲の複製作れるとか日本の鍛冶職人凄すぎwww
西洋の宣教師達は、日本人のモノ作りの技術の高さと熱心なところにとても驚いたとか。
日本刀を鍛え続けた国ですからね。穴の空いた鉄の筒を作るが如きは造作もなかったでしょう。
まあ日本の技術レベルは今でも世界に誇れる位ですしね
鉄砲は作れても肝心の火薬は輸入するしかなかった。火薬の輸入を独占した信長は有利になった。
ネジの構造がわからず、娘を人身御供にしたけどね。
一年で複製した刀鍛冶有能すぎる。
火縄銃の姿形が200年も変わらなかったのは、逆に言えば戦争のない平和な時代が続いてたことの表れだよね。
+拓海 谷兼様その一方で火縄銃は猟銃として太平の世の中で活躍していて、大蛇を鉄砲で仕留めた怪物退治とか竹やぶに鉄砲を撃ったら弾丸が竹に弾かれて一晩中ヒューパチンと音が響いていたという笑い話まで全国各地の民話に鉄砲が登場しています。
そういえば、【まんが日本昔ばなし】で、山に潜む化け猫が鉄砲撃ちの猟師の飼い猫に化けて……猟師が造る鉛玉にじゃれるフリをして玉の数を数えていた………という話が面白かったなぁ😏計30発造った弾丸は全て化け猫にかわされる……が念仏を刻印した予備の玉でやっつける話(*´∀`)
@@古澤修-b1m 維新後すぐといっていい時期に村田銃が国産できたには江戸時代を通じての素地があったんでしょうね
@@鈴木孝也-c1k 30発までは茶釜(鉄鍋だっけ)で防いだけど猟師の命弾の存在を知らなかったので31発目はまともに食らって死んだと何かで読んだ
@@戦力外-y4p そうそう!その一発を使用したら……猟師を辞めなければならない、という掟が😏
日本独自に魔改造して火縄銃を全国の戦乱で足軽まで使用できるの凄いなぁ
鉄砲とともにネジも伝わりました底塞ぎをするため
種子島時尭の先見の明が凄すぎる、まだ10代半ばでこれだけ凄いのだからね。時尭がいなかったら鉄砲がここまで普及しなかっただろう。そう思うと時尭は本当に偉人だと思うね。
ほんとそれ!
鉄砲、弾薬と金は掛かるけど、再編成に時間が掛からないのが鉄砲隊の強味ですね。弓も鉄砲より雨に強い等強味はあるけど、射手を根気よく育てないといけない。だから経済力があって、年中軍事行動したい信長と相性が良かった。
火縄銃次第で勝利を勝ち取り淘汰されていくのはそれ程強力な武器だと分かるだよな
筆談出来た日明両者の知識力がスゲー‼️😮😆👍✨
徳永先生、鉄炮の歴史をご紹介して下さりありがとうございます😊毎週楽しみにしております✨
鉄炮やと鉄砲とは別の武器になるよそっちは散弾銃に近い火縄銃安倍さん銃撃に使われた自作銃の原型
国家が明確な意思を持って取り組めば銃社会は根絶できるという実例ですね。
毎回勉強になります!徳永先生いつもありがとうございます😄次回も楽しみです!
種子島氏の凄さは銃の凄さに気づくだけでなく、それを自力で製造しようって発想に至った点だよなぁ。もちろん、禰占氏(およびバックにいる肝付氏)との抗争に勝ちたいって思いもあったからだろうけど
まさか時尭がこんなに若かったとは…生まれた場所が本土なら戦国大名として名を残したかも…?
織田軍と武田軍が戦った長篠の戦い、一般には武田の騎馬軍団を織田の鉄砲隊が打ち負かしたと言われてますが、最近の研究では双方とも同数程度の鉄砲を用意していたとのこと両者の勝敗を分けたのは、どうやら玉薬(たまぐすり)の量だったんじゃないかと推察されていますね生まれた時から聞かされてきた歴史的定説が新しい証拠でひっくり返されるという経験はものすごく面白い長生きはするものですねぇ
さらにすごいのは、その数年後の沼尻合戦では、北条軍と佐竹連合軍で使っていた鉄砲が2000丁を超えていたとか。
当時の日本製の鉄砲の方が、スペイン製の鉄砲より性能が高かった、という検証をテレビ番組で見た記憶がありますね。戦国時代から、外国のものを改良して高性能にする日本の職人の特徴が現れてたんですね。あと、だいぶ昔の番組で、鉄砲に使うネジの作り方が分からなくて、鉄砲職人がポルトガル人に自分の娘を渡して、それと引き換えにネジを作る技術を教えてもらった、みたいな逸話が放送されてましたね。事実だとしたら、どうかしてるなあ、と現代人の感覚では思ってしまうな。
そういえば、北条氏康の幼少期に北条家で訓練として、使われていたと聞いたことがあります。
銃の伝来のタイミングがちょっとでもズレていたら、また違った歴史が動いてたんだろうなぁ
既に散弾銃やライフルの原型も作られていたから驚き。やはり平和になったことで鉄砲はいらなくなったから進歩は止まった
この鉄砲を上手く使えていた信長は本当に先見の明があったな
それな
鉄砲を使うのに必須な経済力と港を抑えてたからな
信長はむしろ使用は遅い方だったような…
織田信長は鉄砲のみで編成した集団(部隊)を作って組織的に運用する事で効果を上げました部隊長は息子の信孝です(*´∀`)でも信長の専売特許ではありません鈴木孫市に合戦で叩かれて学んだものです (*´∀`)
一度小さい頃の体験で火縄銃の実物を持った事があるけど想像してた以上に長くて驚いた。火縄に点火したりするための火打ち石もその時に試しに使ってみたけどなかなか火花が出なくて大変だったな〜。けど火縄銃のデザインや特別感は好き。長文失礼しました。
鍛冶屋のおっさん、鉄砲完成のため自分の娘をポルトガル人に嫁に差し出したんだよな
おー、来週康政さんですね。ありがとうございます。
豊臣秀吉が出るとなぜかニヤけるw声も好き!
日本戦乱の世の時に鉄砲が伝来するのは運命的だよな
8:24 家綱さん「ワシ、ハブられた!?」
江戸時代には単筒が開発されましたがあまり普及せず、ペリー来航時にリボルバーが伝わるまで形が変わらなかったようですね。
世の中、常に変化し続けて、それに順応しないと生き残れない・・・。ふと、そんな事を感じてしまう動画でした!
NHKの番組か何かだったか忘れたが、鉄砲をコピーするときに最も手こずったのは銃身の底を留めたネジであったようだ。銃規制については、しばしば乱射事件が起こるアメリカを見るにつけ日本の方が賢明と思う。
4代将軍は家綱です!綱吉は5代です!
ご指摘ありがとうございます。コメント大変助かります🙇
AIが進化したとしてもファンは辞めません!
ポルトガルの船が種子島に流されて来なかったら日本に鉄砲が伝来するのが遅く戦国時代も長く続いていたかも知れませんね。鉄砲を使った戦略や戦術を確立した者が生き残って江戸時代が終わっても家が現在に至るまで続いている大名家もありますね。
銃社会化する日本とかいうパワーワード好きw
日本にはネジが無かったから、複製はそのあたりが苦労したみたいですね。
+kaz kumamon様刃が欠けた包丁でかつらむきをしていたらねじ山の切り方を思いついたという話がありますね。(諸説あり)
新潟県出身のアタクシの父親は代々農家でしたが、父親が子供の頃に納屋に火縄銃が2~3丁あったと言ってました。ですが父親の家はちょー貧乏だったので知らぬ間に家族の誰かが売っぱらった様で、いつの間にか納屋から消え去っていたそうです。狩のためなのか何なのか?農民でも鉄砲を所持してたみたいです
ドリフターズ (コントグループではない方 (笑))という漫画で、戦での火縄銃(銃器全般)の有効性がリアルに描かれていますね。織田信長が持ち込んだ火縄銃がその世界の鍛冶職人では再現出来ず、堺やらの鍛冶職人の実力を再評価していたシーンや、ベルリナ市街戦で大量の火縄銃銃を導入して戦ったシーンは印象的でした。何故これに執着するのか、弓矢とどう違うのか、と語り合うシーンとか。
種子島時尭のおかげで鉄砲伝わったよね
初めて見る鉄炮を複製し量産して見せた職人たちの技量と努力は驚くばかりですね。織田信長と鉄炮と言えば長篠の戦いですが、1554年の村木砦攻めの際に輪番射撃(いわゆる三段撃ち)のような事をやった話が信長公記にありますね。鉄炮衆を集中投入し代わる代わる射撃させ曲輪の一点に制圧射撃を行い、その支援の下で将兵が突撃して切り崩したようです。
鉄砲は作れても日本では火薬の原料となる硝石がないので輸入に依存していた。銃が凄いのではなく火薬の威力が凄かったのです。信長が銃を有効に使えたのも堺という港を支配して火薬を独占したからなんです。
威力だけなら一宮随波斎や吉田重氏が引く剛弓が圧倒的に強いが火縄銃ならそこらの農民でも三ヶ月も訓練すれば及第点以上に扱えるようになるのでその利便性の高さが最大の魅力だったと
鉄砲伝来から改良までと戦国史を変えた。
1549年に初めて鉄砲を戦に起用した時も車の免許取り立ての大学生みたいにテンション上がったのかな?
アメリカや南米のような銃社会にならなかったのは江戸幕府の功績だね
これを見ると種子島時尭ってかなりすごい人だな。歴史の教科書に載せてほしい
今で言うとchatGPT以上の衝撃だったんやろな使いこなさないと置いていかれるのは鉄砲と同じ漫画家さんもAIを利用するくらいになれば今後も変わらずやっていけると思うアナログからデジタルツールに進化したみたいに
きっと食べて行けるだって専門家レベルで歴史に詳しいからな
昔、野鍛冶だった父の友だちに鉄砲鍛冶の人がいた。昭和になってからだから猟銃でも作っていたんだろうか?街中に⭕⭕鉄砲店と店を出してたが、仕事が無くて、父の鍛冶屋を手伝っていた。
銃規制が江戸時代の日本に平和をもたらしたメリットの一つだけど、その反面、鉄砲の更新が幕末になるまで止まったと考えると良くも悪くも背に腹は代えられないものだったんだなぁ。
種子島にて初めて購入された鉄砲は当時でも破格の値段で今で言うとおよそ三億円位だったとか。ポルトガル人もここまで高額で買って貰えるとは思わなかったのでは?しかも、後に日本で鉄砲が大量生産されるとは予想出来なかったでしょうね。鉄砲には高度な冶金技術が必要な為、当時の欧州ですら一部の国でしか生産出来なかったのです。
3億凄い!
江戸時代の鉄砲鍛冶は機構の改良より、精度や装飾に走ってましたから。現在の国際的なマッチロック(火縄銃)競技では、日本のタネガシマの精度の良さが、外国人競技者から羨ましがられてるそうで。後、幕末には国友一貫斎の気砲なんて言う、火薬無しで連発出来る、世界水準を超える銃が存在してましたし。
AIは一般のイメージの狸親父家康を模倣することはできるけど事あるごとに悲鳴上げる愛されキャラの家康をクリエイトすることはできないからだいじょぶw
武田の騎馬隊みたいに大量の鉄砲隊に敗北した事例もあれば、島津みたいに戦法によってはそれを打ち破った事例もあるようだし不思議。
大量の火縄銃を使用した戦法は……【側面攻撃】に対して非常に脆いのです『連射』出来ないと対応できない😰だから長篠合戦のような戦いは一度きりでした……
@@鈴木孝也-c1k納得です!詳しくありがとございます!
偶然にも海外の貿易船が遭難し、偶然にも種子島家がそれを購入して製造を命じたこれが無かったなら戦国時代はどのようになっていたのか。
現代にも通じる話で面白かったです!これほど普及したものでも、厳しい規制があると進歩しないというのがよく分かる話ですね。海外がAIを規制する一方日本は規制しない方向性のようですが、AIは日本で進歩するのでしょうか?それによって増える仕事も減る仕事もあるから複雑ですけど…
AIに関しては徳川綱吉がついに現れませんでしたからね…。今の所は想像性の分野で人が勝っていますが、十年後を考えると柔軟な対応を求められそうです。
これで、鎖国しなかったらガチで覇権国になれたかも
戦国大名はiPhoneじゃなくて鉄砲のビッグウェーブに乗ってたんか
銃や武器の規制しないとどうなるかって生きた見本がアメリカという国だからな・・銃規制しなかったら、もしかしたらいじめられた子供が寺子屋で火縄銃をぶっぱなして、いじめっこを撃ち殺す事件が起きていた可能性ある
鉄砲の拡散速度は日本人が鉄砲の存在を知っていたかのような勢いで広まっているんだよなあ異国商人が船の上で鳥射ちしてたのを見たことはあったのかも(売り物じゃなかったし口径の小さい狩猟用だったから記録に残らず)
幸村が活躍した大阪の陣では兵器は何処まで進化していたのでしょうか気になるところです
小型化して連射できるようになった防水加工で雨でも撃てるようになった大型化したものはバズーカ砲みたいになった
大河ドラマ「真田丸」では小型かつ軽量で馬に乗りながら使用出来る『馬上筒』というのが出てきました残念ながら劇中で合戦の勝利に貢献する描写はありませんでしたがおそらく当時最新鋭の銃だったと思われます
堺の鉄砲鍛冶が手作業で大砲を造り、家康はそれを大坂城に打ち込み講和に持ち込んだ そうですよ。
【大鉄砲】が保管されていますよねバズーカみたいです(・・;)
日本ってなんだかんだ言って、最初は世界から遅れるものの、数十年で世界に追いつくから凄い国。江戸時代の鎖国から日露戦争で日本が勝つまで50年程度しかないからね。
綱吉は5代目だよね
多分これからは漫画家がAIを利用し圧倒的な速さでコンテンツを作り出す時代になるでしょう。私はソフトウェア開発者ですが最近は毎日AIにコードを書かせています。実際書かせてこれを直せ、ここを画面の右下に移せなど細かく会話方式で命令できるので楽ですよ。
いくらすべての面で弓を上回っていないとは言え、銃の戦術的メリットは絶大だったということですからね。ただ戦乱が平定された法治国家となると封じられて当然となったのでしょう。まさに諸行無常。ありがとうございました!
やっと榊原康政が
ポルトガル人から買った鉄砲は一丁2億円ぐらいのお金払ったらしいですね。
保有率は流石に検証が必要(オスマンとかも火砲保有凄い)だけど、伝来→戸石崩れ(1550)で村上義清は鉄砲隊組織して武田と交戦してたり伝播速度めちゃくちゃ早いのよね弾丸は寺の鐘とか鐚銭を鋳つぶしたりしたり残弾数気にしないといかんかった 中国・カンボジア・ポルトガル等との交易(九州の硫黄とか火薬調合の材料だから需要高騰で滅茶苦茶バカ売れ)で鉛とか硝石とか買えるとこが強いし、敵大名の硝石流通阻止に宣教師への流言策なんてのもあったり…(大友対毛利 銀で大人買いするから毛利領国への流通差し止めを依頼)
硝石は国産化に成功しとるよ汲み取り便所の肥溜め付近の土から取れるとかなんかで読んだ気がするけど···スマン(`=人=)忘れた(-人-`)ゆるせ鉛が日本で取れへんレアメタルやけど、鉛弾も非人道的いうて廃れたけど。
いまや、銃火器を用いるのが許されているのは、警察と自衛隊と猟師ぐらい。が、やがては猟師という職業が否定され、害獣駆逐は自衛官の仕事のうちとなっていくだろうな。AIにしても、最初は良いとしても、厄介な威力と言うものとして認識されるとまた規制で廃れていくかも…。
確か鉄砲を手に入れた足軽が本殿の額を的に練習する等面白半分にぶっ放したので困った寺社が三好長慶ら大名に頼んで『伽藍に向かって鉄砲を放つべからず』と規制を出させたとか聞いたな
日本に入って来た銃は護身用・騎乗時用のストックレスタイプなんだよなあ自分達で色々改良したけどそれはそのまま使い続けたストック付きのヤツは入って来ても何故か流行らなかったマスケット銃が出来た頃には平和で更に発明禁止法…
最近になって秀吉と江戸幕府の平定、治安維持に向けた努力に震撼している。
ヨーロッパの銃は命中率を度外視した作りに対し、日本製は狙撃にも使えるくらいには精巧な作りをしていたらしいな
規制していなかったら、どんな技術革新でどんな銃になっていたか興味深い。
確かに時代のニーズ合わせるのが生き延びる道は一理ありますね?
2丁購入して一つは保存用。かしこいな。
宇宙ロケットのところ
面白い(笑)たった一年で見たこと無い鉄砲を作ったのは凄い刀鍛冶の技術の高さ😂火縄銃も規制が無ければ異国に遅れをとらなかったのでは。⁉️
実際に江戸時代後期には幕府に隠れて鉄砲の改良を試みた者がいました彼らの造りあげた【撃発銃】は当時のヨーロッパのナポレオン銃より性能が良かったそうですでも………鉄砲の性能が上がるという事は、 【戦い方が激変する】という事です新兵器【火縄銃】の登場で日本の合戦が変わったように、その銃の性能(射程距離)が変わるとヨーロッパの戦い方が完全に変わりました泰平で平和になった日本ではそれにはついていけなかったのです (・・;)
鉄砲鍛冶やその回りの職業の方の多くは花火師などに転職されたそうです。戦争の道具より平和の道具を作る方が彼らもやりがいがあったのかもしれませんね。
それでも他所に売らないと生活が成り立たなかった薩摩藩が世知辛いですね、あと本邦初のネジ概念は偉大です。
鍛冶職人が鉄砲製造のノウハウで、どうしても最後まで解けなかった技術を教えてもらうために、南蛮人に自分の娘を妾に差し出した。という逸話を聞いた事があります。
四代将軍は家綱ですよ綱吉は五代将軍ですよ
普通に鎖国とか規制しなかったら世界的に日本の銃の技術相当進んでそう
秀吉はスペイン統治下のフィリピンを侵略予定でしたからね「朝鮮の次はそっち行くからな」って手紙にスペイン総督はガクブルしてたそうですし。順序が逆だったら世界史が変わっていたかもしれませんね。
徳川綱吉は5代将軍じゃね?
ですよね
徳川家綱が第四将軍ですね。
@@なす-l1p ですよね
コメントありがとうございます。ご指摘の通り5代将軍でした🙇
日本人の読み書きが卓越している事を象徴するエピソード。しかし日本語の読み書きが強すぎるが故に日本人は英語を話せない説がありますね。
徳永先生なら……更新しとけば大丈夫でしょ(?)
大して技術が要らない、整備も簡単ってのは重要だからな。正直、鎖国政策で技術革新が止まってしまったが、平賀源内や田中久重が銃の改良や新型を作っていたらどうなってたのか?てのは、IF話としてかなり興味ある。
18世紀〜19世紀初頭(松平定信の頃)に國友一貫斎と言う人物がオランダより伝わった空気銃の製作に成功しています。
田中久重は当時世界でも最新鋭の大砲アームストロング砲の制作にも携わってるからある意味最新鋭の武器製造には携わっていたんやけどな
漂着先が、種子島でなく、屋久島だったら、鉄砲の別名は、屋久島に、なっていた❓
綱吉人気者ですね🎵。生類あわれみの令が悪法になる過程を知れたら面白いカナ?。🐻🤓
鉄砲伝来させたポルトガルの商人達もビックリだろうな。自分達があまり使用しなかった物が国内で大量に流通する様になったのだから。
動画ありがとうございます。戦国時代の銃社会とは対照的に戦後日本は動画でも触れられたように徹底した銃規制社会ですからね。そこら辺CNNの名物番組アンダーソン・クーパー360°でアメリカの銃社会とこれほど違うのかと論じていましたよ。
【訂正】
徳川綱吉は4代将軍ではなく、5代将軍でした。
ご指摘してくださった方々ありがとうございます。
この時代に漢字を使って筆談でコミュニケーションとれた島民も凄いよなぁ
日本って割と識字率が昔から高いほうなんですよ
鉄砲が高く売り捌けるからと慌てて外国商人は本国に戻り、船にたくさん鉄砲を積んで日本に戻ったら、すでにたくさんの鉄砲が国産化されていて唖然とした話が好き。
(諸説あり)
+田中宗隆様
鉄砲を開発した当のヨーロッパでは封建社会で騎士階級が幅を利かせており、騎士が特権を失う事を恐れて
鉄砲がなかなか普及せず白兵戦至上主義がはびこっていた。こぞって鉄砲を導入した日本の武士とは
全く逆だったので商人は日本だったら型落ち(欧州ではマッチロック(火縄)式からフリントロック(燧石)式に
進化していた)でもぼったくって売れる!と高を括ったんでしょうね。
しかし「これ凄ぇわ!どんどん買ったろ!」じゃなくて「これ凄ぇわ!国産化したろ!」という考え方が凄いです。
それどころか「そんな旧式いらない」と改良までされてたらしい。
@@汚い高音-t6t それを魔改造とよぶ
インド商人が日本の銃を購入トルコ帝国に売りつけた。ただし大砲作りとその運営面では当時世界最高性能のイギリス製どころかスペイン製、トルコ製、はたまた中国製、朝鮮製さえ劣っていた事を忘れてはいけない。
とても良い動画でした,私はポルトガル人のハ―フので,この動画は個人的には興味深い話題。
コメントありがとうございます!とても嬉しいです😊
ナイスパ👍
時尭様も柔軟だけど、筆談でコミニケーション取れた人に学と臨機応変さがなかったらそこで詰んでたかと思うと凄い人。
種子島 時堯はよく鉄砲の意義についてすぐ気づきましたね。
高額にもかかわらず即購入、即複製ってすごすぎます。
結果、スペインやポルトガルによる植民地化を防いだともいえますし
ほんと素晴らしいセンスでした。
最初に流れ着いたのが、好奇心旺盛&戦闘民族島津家と接点が有る種子島だったのも大きいと思います。もし対馬の宗氏の所に流れ着いても同じ結末になるだろうか?という考察が興味深かったのを思い出しました。
たしかにw
バランス主義が信条ですからね
無かったことにしそう
漢字で筆談した島民も、見た事無かった銃を複製した鍛冶職人さんも、優秀だったのですね。😳👍
いつも参考にさせてもらってます。
8:33綱吉公は五代将軍ですよ!
四代将軍家綱公を飛ばしていますよ。
1549年の鹿児島で鉄砲が初めて使われたという話を持ち出すあたりこの人のセンスを感じられる
かつて世界一の銃社会だった国が、最も銃に厳しい国の一国になったのって凄いな
時代や情勢に適応した...と言っていいのかな
まあ当時鉄砲持ってるのは庶民じゃなくて軍隊だからな
@@トニートニートニーチョッパー
いや庶民も持ってたよ笑。趣味で流行ってた笑
だから秀吉、家康も規制した。
ただし法的条件を守ってるエアソフトガンなら年齢をクリアすれば購入出来るので、ある意味で銃規制が緩いと解釈する方もいるみたいです。
秀吉さまの「刀狩り」のおかげじゃ 😅
一年で鉄砲の複製作れるとか日本の鍛冶職人凄すぎwww
西洋の宣教師達は、日本人のモノ作りの技術の高さと熱心なところにとても驚いたとか。
日本刀を鍛え続けた国ですからね。
穴の空いた鉄の筒を作るが如きは造作もなかったでしょう。
まあ日本の技術レベルは今でも世界に誇れる位ですしね
鉄砲は作れても肝心の火薬は輸入するしかなかった。
火薬の輸入を独占した信長は有利になった。
ネジの構造がわからず、娘を人身御供にしたけどね。
一年で複製した刀鍛冶有能すぎる。
火縄銃の姿形が200年も変わらなかったのは、逆に言えば戦争のない平和な時代が続いてたことの表れだよね。
+拓海 谷兼様
その一方で火縄銃は猟銃として太平の世の中で活躍していて、大蛇を鉄砲で仕留めた怪物退治とか
竹やぶに鉄砲を撃ったら弾丸が竹に弾かれて一晩中ヒューパチンと音が響いていたという笑い話まで
全国各地の民話に鉄砲が登場しています。
そういえば、【まんが日本昔ばなし】で、山に潜む化け猫が鉄砲撃ちの猟師の飼い猫に化けて……猟師が造る鉛玉にじゃれるフリをして玉の数を数えていた………という話が面白かったなぁ😏
計30発造った弾丸は全て化け猫にかわされる……
が念仏を刻印した予備の玉でやっつける話(*´∀`)
@@古澤修-b1m
維新後すぐといっていい時期に村田銃が国産できたには
江戸時代を通じての素地があったんでしょうね
@@鈴木孝也-c1k
30発までは茶釜(鉄鍋だっけ)で
防いだけど猟師の命弾の存在を
知らなかったので31発目は
まともに食らって死んだと
何かで読んだ
@@戦力外-y4p
そうそう!その一発を使用したら……猟師を辞めなければならない、という掟が😏
日本独自に魔改造して火縄銃を全国の戦乱で足軽まで使用できるの凄いなぁ
鉄砲とともにネジも伝わりました
底塞ぎをするため
種子島時尭の先見の明が凄すぎる、まだ10代半ばでこれだけ凄いのだからね。
時尭がいなかったら鉄砲がここまで普及しなかっただろう。
そう思うと時尭は本当に偉人だと思うね。
ほんとそれ!
鉄砲、弾薬と金は掛かるけど、再編成に時間が掛からないのが鉄砲隊の強味ですね。
弓も鉄砲より雨に強い等強味はあるけど、射手を根気よく育てないといけない。
だから経済力があって、年中軍事行動したい信長と相性が良かった。
火縄銃次第で勝利を勝ち取り淘汰されていくのはそれ程強力な武器だと分かるだよな
筆談出来た日明両者の知識力がスゲー‼️😮😆👍✨
徳永先生、鉄炮の歴史を
ご紹介して下さりありがとうございます😊
毎週楽しみにしております✨
鉄炮やと鉄砲とは別の武器になるよ
そっちは散弾銃に近い火縄銃
安倍さん銃撃に使われた自作銃の原型
国家が明確な意思を持って取り組めば銃社会は根絶できるという実例ですね。
毎回勉強になります!徳永先生いつもありがとうございます😄次回も楽しみです!
種子島氏の凄さは銃の凄さに気づくだけでなく、それを自力で製造しようって発想に至った点だよなぁ。
もちろん、禰占氏(およびバックにいる肝付氏)との抗争に勝ちたいって思いもあったからだろうけど
まさか時尭がこんなに若かったとは…
生まれた場所が本土なら戦国大名として名を残したかも…?
織田軍と武田軍が戦った長篠の戦い、一般には武田の騎馬軍団を織田の鉄砲隊が打ち負かしたと言われてますが、最近の研究では双方とも同数程度の鉄砲を用意していたとのこと
両者の勝敗を分けたのは、どうやら玉薬(たまぐすり)の量だったんじゃないかと推察されていますね
生まれた時から聞かされてきた歴史的定説が新しい証拠でひっくり返されるという経験はものすごく面白い
長生きはするものですねぇ
さらにすごいのは、その数年後の沼尻合戦では、北条軍と佐竹連合軍で使っていた鉄砲が2000丁を超えていたとか。
当時の日本製の鉄砲の方が、スペイン製の鉄砲より性能が高かった、という検証をテレビ番組で
見た記憶がありますね。戦国時代から、外国のものを改良して高性能にする日本の職人の特徴が
現れてたんですね。
あと、だいぶ昔の番組で、鉄砲に使うネジの作り方が分からなくて、鉄砲職人がポルトガル人に
自分の娘を渡して、それと引き換えにネジを作る技術を教えてもらった、みたいな逸話が
放送されてましたね。事実だとしたら、どうかしてるなあ、と現代人の感覚では思ってしまうな。
そういえば、北条氏康の幼少期に北条家で訓練として、使われていたと聞いたことがあります。
銃の伝来のタイミングがちょっとでもズレていたら、また違った歴史が動いてたんだろうなぁ
既に散弾銃やライフルの原型も作られていたから驚き。やはり平和になったことで鉄砲はいらなくなったから進歩は止まった
この鉄砲を上手く使えていた信長は本当に先見の明があったな
それな
鉄砲を使うのに必須な経済力と港を抑えてたからな
信長はむしろ使用は遅い方だったような…
織田信長は鉄砲のみで編成した集団(部隊)を作って組織的に運用する事で効果を上げました
部隊長は息子の信孝です(*´∀`)
でも信長の専売特許ではありません
鈴木孫市に合戦で叩かれて学んだものです
(*´∀`)
一度小さい頃の体験で火縄銃の実物を持った事があるけど想像してた以上に長くて驚いた。火縄に点火したりするための火打ち石もその時に試しに使ってみたけどなかなか火花が出なくて大変だったな〜。けど火縄銃のデザインや特別感は好き。長文失礼しました。
鍛冶屋のおっさん、鉄砲完成のため自分の娘をポルトガル人に嫁に差し出したんだよな
おー、来週康政さんですね。
ありがとうございます。
豊臣秀吉が出るとなぜかニヤけるw声も好き!
日本戦乱の世の時に鉄砲が伝来するのは運命的だよな
8:24 家綱さん「ワシ、ハブられた!?」
江戸時代には単筒が開発されましたがあまり普及せず、
ペリー来航時にリボルバーが伝わるまで形が変わらなかったようですね。
世の中、常に変化し続けて、それに順応しないと生き残れない・・・。
ふと、そんな事を感じてしまう動画でした!
NHKの番組か何かだったか忘れたが、鉄砲をコピーするときに最も手こずったのは銃身の底を留めたネジであったようだ。銃規制については、しばしば乱射事件が起こるアメリカを見るにつけ日本の方が賢明と思う。
4代将軍は家綱です!綱吉は5代です!
ご指摘ありがとうございます。コメント大変助かります🙇
AIが進化したとしてもファンは辞めません!
ポルトガルの船が種子島に流されて来なかったら日本に鉄砲が伝来するのが遅く戦国時代も長く続いていたかも知れませんね。
鉄砲を使った戦略や戦術を確立した者が生き残って江戸時代が終わっても家が現在に至るまで続いている大名家もありますね。
銃社会化する日本とかいうパワーワード好きw
日本にはネジが無かったから、複製はそのあたりが苦労したみたいですね。
+kaz kumamon様
刃が欠けた包丁でかつらむきをしていたらねじ山の切り方を思いついたという話がありますね。(諸説あり)
新潟県出身のアタクシの父親は代々農家でしたが、父親が子供の頃に納屋に火縄銃が2~3丁あったと言ってました。
ですが父親の家はちょー貧乏だったので知らぬ間に家族の誰かが売っぱらった様で、いつの間にか納屋から消え去っていたそうです。
狩のためなのか何なのか?農民でも鉄砲を所持してたみたいです
ドリフターズ (コントグループではない方 (笑))という漫画で、戦での火縄銃(銃器全般)の有効性がリアルに描かれていますね。
織田信長が持ち込んだ火縄銃がその世界の鍛冶職人では再現出来ず、堺やらの鍛冶職人の実力を再評価していたシーンや、ベルリナ市街戦で大量の火縄銃銃を導入して戦ったシーンは印象的でした。何故これに執着するのか、弓矢とどう違うのか、と語り合うシーンとか。
種子島時尭のおかげで鉄砲伝わったよね
初めて見る鉄炮を複製し量産して見せた職人たちの技量と努力は驚くばかりですね。
織田信長と鉄炮と言えば長篠の戦いですが、1554年の村木砦攻めの際に輪番射撃(いわゆる三段撃ち)のような事をやった話が信長公記にありますね。
鉄炮衆を集中投入し代わる代わる射撃させ曲輪の一点に制圧射撃を行い、その支援の下で将兵が突撃して切り崩したようです。
鉄砲は作れても日本では火薬の原料となる硝石がないので輸入に依存していた。
銃が凄いのではなく火薬の威力が凄かったのです。
信長が銃を有効に使えたのも堺という港を支配して火薬を独占したからなんです。
威力だけなら一宮随波斎や吉田重氏が引く剛弓が圧倒的に強いが
火縄銃ならそこらの農民でも三ヶ月も訓練すれば及第点以上に扱えるようになるので
その利便性の高さが最大の魅力だったと
鉄砲伝来から改良までと戦国史を変えた。
1549年に初めて鉄砲を戦に起用した時も車の免許取り立ての大学生みたいにテンション上がったのかな?
アメリカや南米のような銃社会にならなかったのは江戸幕府の功績だね
これを見ると種子島時尭ってかなりすごい人だな。歴史の教科書に載せてほしい
今で言うとchatGPT以上の衝撃だったんやろな
使いこなさないと置いていかれるのは鉄砲と同じ
漫画家さんもAIを利用するくらいになれば今後も変わらずやっていけると思う
アナログからデジタルツールに進化したみたいに
きっと食べて行けるだって専門家レベルで歴史に詳しいからな
昔、野鍛冶だった父の友だちに鉄砲鍛冶の人がいた。昭和になってからだから猟銃でも作っていたんだろうか?街中に⭕⭕鉄砲店と店を出してたが、仕事が無くて、父の鍛冶屋を手伝っていた。
銃規制が江戸時代の日本に平和をもたらしたメリットの一つだけど、その反面、鉄砲の更新が幕末になるまで止まったと考えると良くも悪くも背に腹は代えられないものだったんだなぁ。
種子島にて初めて購入された鉄砲は当時でも破格の値段で今で言うとおよそ三億円位だったとか。
ポルトガル人もここまで高額で買って貰えるとは思わなかったのでは?
しかも、後に日本で鉄砲が大量生産されるとは予想出来なかったでしょうね。鉄砲には高度な冶金技術が必要な為、当時の欧州ですら一部の国でしか生産出来なかったのです。
3億凄い!
江戸時代の鉄砲鍛冶は機構の改良より、
精度や装飾に走ってましたから。
現在の国際的なマッチロック(火縄銃)競技では、
日本のタネガシマの精度の良さが、
外国人競技者から羨ましがられてるそうで。
後、幕末には国友一貫斎の気砲なんて言う、
火薬無しで連発出来る、
世界水準を超える銃が存在してましたし。
AIは一般のイメージの狸親父家康を模倣することはできるけど
事あるごとに悲鳴上げる愛されキャラの家康をクリエイトすることはできないからだいじょぶw
武田の騎馬隊みたいに大量の鉄砲隊に敗北した事例もあれば、島津みたいに戦法によってはそれを打ち破った事例もあるようだし不思議。
大量の火縄銃を使用した戦法は……
【側面攻撃】に対して非常に脆いのです
『連射』出来ないと対応できない😰
だから長篠合戦のような戦いは一度きりでした……
@@鈴木孝也-c1k納得です!詳しくありがとございます!
偶然にも海外の貿易船が遭難し、偶然にも種子島家がそれを購入して製造を命じた
これが無かったなら戦国時代はどのようになっていたのか。
現代にも通じる話で面白かったです!
これほど普及したものでも、厳しい規制があると進歩しないというのがよく分かる話ですね。
海外がAIを規制する一方日本は規制しない方向性のようですが、AIは日本で進歩するのでしょうか?
それによって増える仕事も減る仕事もあるから複雑ですけど…
AIに関しては徳川綱吉がついに現れませんでしたからね…。
今の所は想像性の分野で人が勝っていますが、十年後を考えると柔軟な対応を求められそうです。
これで、鎖国しなかったらガチで覇権国になれたかも
戦国大名はiPhoneじゃなくて鉄砲のビッグウェーブに乗ってたんか
銃や武器の規制しないとどうなるかって生きた見本がアメリカという国だからな・・銃規制しなかったら、もしかしたらいじめられた子供が寺子屋で火縄銃をぶっぱなして、いじめっこを撃ち殺す事件が起きていた可能性ある
鉄砲の拡散速度は日本人が鉄砲の存在を知っていたかのような勢いで広まっているんだよなあ
異国商人が船の上で鳥射ちしてたのを見たことはあったのかも(売り物じゃなかったし口径の小さい狩猟用だったから記録に残らず)
幸村が活躍した大阪の陣では兵器は何処まで進化していたのでしょうか
気になるところです
小型化して連射できるようになった
防水加工で雨でも撃てるようになった
大型化したものはバズーカ砲みたいになった
大河ドラマ「真田丸」では小型かつ軽量で馬に乗りながら使用出来る『馬上筒』というのが出てきました
残念ながら劇中で合戦の勝利に貢献する描写はありませんでしたがおそらく当時最新鋭の銃だったと思われます
堺の鉄砲鍛冶が手作業で大砲を造り、家康はそれを大坂城に打ち込み講和に持ち込んだ そうですよ。
【大鉄砲】が保管されていますよね
バズーカみたいです(・・;)
日本ってなんだかんだ言って、最初は世界から遅れるものの、数十年で世界に追いつくから凄い国。
江戸時代の鎖国から日露戦争で日本が勝つまで50年程度しかないからね。
綱吉は5代目だよね
多分これからは漫画家がAIを利用し圧倒的な速さでコンテンツを作り出す時代になるでしょう。私はソフトウェア開発者ですが最近は毎日AIにコードを書かせています。実際書かせてこれを直せ、ここを画面の右下に移せなど細かく会話方式で命令できるので楽ですよ。
いくらすべての面で弓を上回っていないとは言え、銃の戦術的メリットは絶大だったということですからね。ただ戦乱が平定された法治国家となると封じられて当然となったのでしょう。まさに諸行無常。ありがとうございました!
やっと榊原康政が
ポルトガル人から買った鉄砲は一丁2億円ぐらいのお金払ったらしいですね。
保有率は流石に検証が必要(オスマンとかも火砲保有凄い)だけど、伝来→戸石崩れ(1550)で村上義清は鉄砲隊組織して武田と交戦してたり伝播速度めちゃくちゃ早いのよね
弾丸は寺の鐘とか鐚銭を鋳つぶしたりしたり残弾数気にしないといかんかった 中国・カンボジア・ポルトガル等との交易(九州の硫黄とか火薬調合の材料だから需要高騰で滅茶苦茶バカ売れ)で鉛とか硝石とか買えるとこが強いし、敵大名の硝石流通阻止に宣教師への流言策なんてのもあったり…(大友対毛利 銀で大人買いするから毛利領国への流通差し止めを依頼)
硝石は国産化に成功しとるよ
汲み取り便所の肥溜め付近の土から取れるとかなんかで読んだ気がするけど···
スマン(`=人=)忘れた(-人-`)ゆるせ
鉛が日本で取れへんレアメタルやけど、鉛弾も非人道的いうて廃れたけど。
いまや、銃火器を用いるのが許されているのは、警察と自衛隊と猟師ぐらい。
が、やがては猟師という職業が否定され、害獣駆逐は自衛官の仕事のうちとなっていくだろうな。
AIにしても、最初は良いとしても、厄介な威力と言うものとして認識されるとまた規制で廃れていくかも…。
確か鉄砲を手に入れた足軽が本殿の額を的に練習する等面白半分にぶっ放したので困った寺社が三好長慶ら大名に頼んで『伽藍に向かって鉄砲を放つべからず』と規制を出させたとか聞いたな
日本に入って来た銃は護身用・騎乗時用のストックレスタイプなんだよなあ
自分達で色々改良したけどそれはそのまま使い続けた
ストック付きのヤツは入って来ても何故か流行らなかった
マスケット銃が出来た頃には平和で更に発明禁止法…
最近になって秀吉と江戸幕府の平定、治安維持に向けた努力に震撼している。
ヨーロッパの銃は命中率を度外視した作りに対し、日本製は狙撃にも使えるくらいには精巧な作りをしていたらしいな
規制していなかったら、どんな技術革新でどんな銃になっていたか興味深い。
確かに時代のニーズ合わせるのが生き延びる道は一理ありますね?
2丁購入して一つは保存用。かしこいな。
宇宙ロケットのところ
面白い(笑)たった一年で見たこと無い鉄砲を作ったのは凄い刀鍛冶の技術の高さ😂火縄銃も規制が無ければ異国に遅れをとらなかったのでは。⁉️
実際に江戸時代後期には幕府に隠れて鉄砲の改良を試みた者がいました
彼らの造りあげた【撃発銃】は当時のヨーロッパのナポレオン銃より性能が良かったそうです
でも………
鉄砲の性能が上がるという事は、
【戦い方が激変する】
という事です
新兵器【火縄銃】の登場で日本の合戦が変わったように、その銃の性能(射程距離)が変わるとヨーロッパの戦い方が完全に変わりました
泰平で平和になった日本ではそれにはついていけなかったのです
(・・;)
鉄砲鍛冶やその回りの職業の方の多くは花火師などに転職されたそうです。戦争の道具より平和の道具を作る方が彼らもやりがいがあったのかもしれませんね。
それでも他所に売らないと生活が成り立たなかった薩摩藩が世知辛いですね、あと本邦初のネジ概念は偉大です。
鍛冶職人が鉄砲製造のノウハウで、どうしても最後まで解けなかった技術を教えてもらうために、南蛮人に自分の娘を妾に差し出した。
という逸話を聞いた事があります。
四代将軍は家綱ですよ
綱吉は五代将軍ですよ
普通に鎖国とか規制しなかったら世界的に日本の銃の技術
相当進んでそう
秀吉はスペイン統治下のフィリピンを侵略予定でしたからね
「朝鮮の次はそっち行くからな」
って手紙にスペイン総督はガクブルしてたそうですし。
順序が逆だったら世界史が変わっていたかもしれませんね。
徳川綱吉は5代将軍じゃね?
ですよね
徳川家綱が第四将軍ですね。
@@なす-l1p ですよね
コメントありがとうございます。ご指摘の通り5代将軍でした🙇
日本人の読み書きが卓越している事を象徴するエピソード。しかし日本語の読み書きが強すぎるが故に日本人は英語を話せない説がありますね。
徳永先生なら……更新しとけば大丈夫でしょ(?)
大して技術が要らない、整備も簡単ってのは重要だからな。
正直、鎖国政策で技術革新が止まってしまったが、平賀源内や
田中久重が銃の改良や新型を作っていたらどうなってたのか?
てのは、IF話としてかなり興味ある。
18世紀〜19世紀初頭(松平定信の頃)に國友一貫斎と言う人物がオランダより伝わった空気銃の製作に成功しています。
田中久重は当時世界でも最新鋭の大砲アームストロング砲の制作にも携わってるからある意味最新鋭の武器製造には携わっていたんやけどな
漂着先が、種子島でなく、屋久島だったら、鉄砲の別名は、屋久島に、なっていた❓
綱吉人気者ですね🎵。
生類あわれみの令が悪法になる過程を知れたら面白いカナ?。🐻🤓
鉄砲伝来させたポルトガルの商人達もビックリだろうな。
自分達があまり使用しなかった物が国内で大量に流通する様になったのだから。
動画ありがとうございます。
戦国時代の銃社会とは対照的に戦後日本は動画でも触れられたように徹底した銃規制社会ですからね。そこら辺CNNの名物番組アンダーソン・クーパー360°でアメリカの銃社会とこれほど違うのかと論じていましたよ。