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ハクソーリッジ=浦添ようどれ 同じ場所だったんですね。画面を 通して見ると 琉球石灰岩の崖の高低差が あるのが はっきりわかりますね。そこを 境に 激戦があった事 何となく 理解も出来ます。激戦地だったので 浦添ようどれも 原形を 留めてなかったでしょうね。無事 復元されて 何よりです。浦添に居た頃は 知る事もなかったのですが 激戦地だった事は省いて 琉球 の歴史上も キーポイントとなる地だった事 誇らしくもあります。
前田高地=激戦地って・・やはり、地元にいても知らない人は知らなくて・・こうした動画は必要ですね・・私も、知りませんでした・・アキラさん、来週の水曜日は、浦添、屋冨祖大通りの第2弾ですよ・・こうご期待・・
おはようございます。すごい王様のお墓ですね。石積みは土木遺産で、あの急こう配をどのようにして施工したのか考えさせられました。階段・通路にもに手すりもあり、高齢者でも安全に歩けそうです。交通の便もいいので、一度行ってみたいです。沖縄にはこのような土木遺産が多くあり、どのような歴史で土木技術が発達し、職人たちはどこから集まってきたのか、興味が湧いてきました。沖縄での石の技術の歴史を学ぶのも面白そうです。ありがとうございました。
そのとおりですね‥沖縄の石造りは、古くからあり、石ですから、それが今も見ることができる・・素晴らしい歴史のお勉強が出来ますね・・ここのも。元は14世紀くらいの古い建築物です・・よく残ってくれました、復元してくれました・・という所でしょうか・・見ていても綺麗な石積みですね~・・
@@konbaba32 いつもご丁寧な返信ありがとうございます。沖縄の歴史と石積について、材料の搬入方法も勉強してみます。今まで返信のメールを差し上げず申し訳ありません。今後とも、よろしくお願いします。藤村 久夫
なにも問題ないです(笑)ありがとうございます・・
浦添ようどれキレイに修復、復元されてるんですね。琉球国 国王第22代 尚裕さんから識名園、玉陵等寄贈されたと思います。国宝指定にされている刀の『千代金丸』の鞘は、金ピカになっていて、一度見てみたい刀なんです。那覇歴史博物館にあるらしいのですが。『千代金丸』も尚家からの寄贈。今のご当主の尚衛さんが子供の頃に千代金丸をもってチャンバラごっこの真似をされたようです。
浦添様どれ、いつの間にやら綺麗に修復されていますね・・見ごたえがありました・・那覇市歴史博物館・・うーんどこだっけ・・テンプス館の中だったか?今度調べてみます・・千代金丸・・面白そうですね、一度見てみたいです
戦後本土では、華族も金持ちも没落したところが多かった。しかし、昭和の終わりまでお墓とはいえ持ちこたえていたことに驚きます。また、嘉数台地は結構離れて見えるのですね。単純に隆起したのではなく、断層ができたりと複雑な地質的な歴史も抱えているのですね。
嘉数高台・・はまだ、私自身が良く分かっていませんが・・嘉数高台と前田高地の間には、川が流れていて・・川で浸食か、分断・・されている感じです・・こちらの前田高地の場合は、北側が比較的絶壁で(嘉数高田との間)南側は斜面になっています・・南側には、湧き水も多く、集落を形成していました・・その集落の人々が中心に戦争で1000人くらい犠牲になったようです・・これは大変大きな犠牲だったと思います・・
@@konbaba32 侵攻の初期だと余計うまく対応出来なかったことでしょう。本当は殿様の墓だけではいけませんね。
昭和の末頃訪れたことがあります。ガイドブックを頼りにバスに乗って行ったのですが、バス停🚏(名前は失念しました)から「浦添ようどれ」の方向に入る道が分からず、道で出会った方にお尋ねし、ヤットの思いで辿り着きました。それも、他所様の庭先を通らせて頂く様な細い道でした。蝶がたくさんいたことを、覚えています。動画を拝見すると、当時に比べ樹木も綺麗に伐採され、明るくなった様な感じがします。
当時は、ようどれも、改修前ですから、どんな感じだったんでしょうね・・今は,改修されて石垣がとても立派に見えます・・地元の私達が行かないだけど、興味がある方は、昔から行く場所だったんですね・・そのことに感心します・・
@@konbaba32 様石垣は崩れ、雑木雑草は生い茂り、現在とは全く異なった状況でした。「ようどれ」見学の後は、動画の末尾に出て来る斜面の道を下ったら偶然バス🚍の走っている道路に出たので、幸い順調に那覇に戻れました。
石垣が崩れ・・そうでしょうね・・今はとても素晴らしい石組になっています又チャンスがあるとお出かけください・・
改めて、沖縄の王朝時代の華やかさと言うか大きさというかそう言うのを感じますね。石組みの素晴らしさ、本当にすごいです。
本当に素晴らしいですね・・沖縄は石組の国のようです・・数百年前の建造物が、これほどたくさん、残っているのは素晴らしいですね・・ひょっとしたら、沖縄以南では、太平洋では、こういう遺跡が無いかも・・
動画ありがとうございます♪北谷に1泊で来ています。明日、沖縄そば食べて帰ります。来月、名護に行きます。
沖縄は楽しまれていますか・・私も先週北谷を撮影していました・・少しだけ活気が戻った感じいですが、まだまだですね・・今日は晴れるので、いい日にいなると思います・・どうぞ沖縄を楽しまれてください
@@konbaba32 さん。ありがとうございます。弾丸1拍だったので、帰ってきました。アメリカンビレッジに滞在しましたが、緊急事態明けたとは言え、まだまだかと。ピザインも閉店早かったです。また、来月です!
また、良い体験がありましたら、教えてください(笑)
お疲れさまでした!そりゃ息も上がりますよね。ようどれの壁面を下側から眺めるくだりは、規模の違いはあれど首里城を彷彿とさせますね。手入れもしっかりされていて、(趣旨とは違うんでしょうけど)見ていて気分の良いところだと思います。石積みがホントに見事。もちろん首里城もすごいけど。この動画を撮影されたのって、まだ暑い頃ですよね?蝉の声がけっこう響いていたので。沖縄もそろそろ涼しくなり始める頃合いでしょうか。全く違う話ですが、今回の動画を拝見していて(海外の城壁なんですけど)ルクセンブルクの城壁も連想してました。設置の目的がまったく異なるので比較の対象にはなりませんが、雰囲気だけ。ちょっと似てるなぁと感じた次第です。今回もありがとうございました。
ようどれの外壁、石済みが素晴らしいですね・・昔はこんな感じだったんでしょうか・・沖縄の涼しくなっていますが、まだ29度30度くらいですね・・11月に入るともう少し過ごしやすくなります・・ルクセンブルクの外壁‥先日テレビでしていました・・ドイツにああいう場所があるんですね・・そう創生時期が、この石積みと、同じくらいじゃないでしょうか・・
お疲れ様です。ようどれの発掘調査が終わってから、一般公開があり家族で見学に来ました。当時「パイレーツオブカリビアン」で、骸骨が動くシーンがあり、それを見ていた長男(当時4歳)なんかが「ほねほねがある!」と、大声で興奮したことを思い出します。でも、外に出てから、ボコボコの通路に足を取られて長男はキッチャキ!内部から同行していたどこかのオジィに、「墓で騒ぐから!」と怒られてしまいました。あれから、ほぼ20年経ってから、石垣も一番上まで立派に復元され、島の石工の見事なことよ!でーじ美しいです。
息子さん健やかに、おやじの、うーまくーを引き継いでいます・・子供が元気なのはいいことですね・・ここの石組も綺麗ですね・・昔もこんなに綺麗だったんでしょうか?もっとジャングルだったのかな?所で質問があります・・① 内部から同行していたどこかのオジィに・・このオジー発言です私は普通だと思うんですが、或る時視聴者さんから、オジーというのは、テレビの影響です、沖縄では他人の高齢者をオジーと、決して呼びませんと、ご指摘を受けたんです・・私は、街の、普通の会話で、60歳以下の人が高齢者を「オジー」と呼ぶ、以外の呼び方をしているのを知りません、べんさん、この呼称、オジー問題どう思います?今の時代、オジー以外の呼び方ってあるの?うすがなしーめーとか、たんめーはダメですよ、そんな古い言葉、今の人は使いません・・沖縄の人は、オジーと呼びませんと言われたのが・・心にかかりました・・
@@konbaba32 さんへ知らん人に対して、オジィは言わないですね。さすがに。目の前からいなくなってから、「え〜、あのオジィよ〜」と、どぅしなんかとユンタクしますね。してからに、知らんオジィを前にしては、名前で呼んでますね。えいきんさんとか、ししゅうさんとか。僕より5〜6歳しーじゃーでも、実際に孫を持っている人が何人もいるわけで、実質オジィですが、こっちは「にぃにぃ、やっちー」と呼んでます。
友人知人・間では使いませんね・・それを越えた人たちに使うのでは・・名前も知らないような人・・そして、私の年齢では、どんな年配者見ても、オジーとは言わないと思います・・40代までかな。。他人に、おじーっていうのは・・若い世代は、他人にたいしても、普通に、オジーっていうんじゃない目の前では言わないですね・・通り過ぎてから・・(笑)普通に使うと思うけど・・なんで、あの人は力を込めて沖縄では絶対に、使わないって言ったのかな・・
@@konbaba32 さんへ首里のデイケアを歩いていた頃は、これの問題は、でーじ厳しいしつけがされましたね。特に首里は、「格」が違った方々がいらっさるので、このオジィ呼称が耳に入った途端、上司に報告されてました。でも、会話の中では普通に使っていたのですが。袋をいつも持っているオジィは「袋オジィ」、いつも歩いているオジィは「アッチャーオジィ」ーーと、本人を前にしてユンタクしていたような。あの頃は30歳代だったはず。「沖縄はお年寄りを大切にしている」と、上司は豪語していましたが、「オジィとは言わん!」と言う人は、そのことを言っているのでは?あ〜、コザでは、「グランマ(おばぁ)」「グランパ(おじぃ)」と、呼んでいる人が多かったですよ。これは、少し尊敬している(と相手に伝えている)ような呼称ですね。
おじいとは言わんって・・私の周りには、おじいという言い方以外する人が見た事が無いです・・ですから、おじい―に変わる表現方法があれば教えてください・・そういえば・・40年ほど前に、知人が、たんめー・・うんめー・・メェ~って、ヒージャーと掛け合わせた冗談を言ってました・・ (屋号)例えば、メ~ヌカーのたんめーって言うかもしれないけれど・・そうした言い方は、40年くらい聞いた事がありませんグランパですか・・おっしゃれー(笑)
こんばんは。思い出しました!ブラタモリでタモリが行ったところですね!近々訪沖するので、行ってみたい場所の候補にさせていただきます!
ブラタモリ・・そうでしたね‥やってました・・録画しているので、もう一度見て見たいです・・テレビは、ピンポイントで映すので、その場所の全体像が見えてこないです・・実際に訪問するのが一番ですけど‥テレビとは印象がまた違って見える場所でした
おはようございます。今日も小さな驚きや発見がたくさんありました。浦添ようどれ、ようどれって「夕凪」!勉強になりました。王家の墓「王」本当に沖縄の歴史を感じます。そして、2005年に修復されたんですね、修復後の歴史は浅いのに、凄く歴史を感じるたたずまい!末裔の個人所有だったことも。そして石垣の美しさ、実物のお城はどんな姿だったんだろう?なんて想像してしまいました。地元、沖縄の方があまり知らない、ってところにも驚きました。こちらは他にもいろいろな見どころがありましたよね、ぜひ伺ってみたいです。
1400年代とか、1600年代とかの遺構が、尚家の所有で、それが最近までそうだったってすごいですよね・・あの顕彰碑もっと立派にするべきですよ、たった10年くらいで、古ぼけて見えますから・・周辺には、現在の墓が密集して墓地なんですが・・それは、遠くからでも見える・・そこに、もっと古い墓があったとは・・浦添城跡自体・・大きな目印が無い・・中心地が分かりにくい・・ぼんやりとした城跡なので、印象が薄いですね・・
歴史ある場所の散策、綺麗な景色に空にとてもいい動画ですね✨あとそのお車止めた駐車場左側にパーラーなかったですか?もう2年半前だけどそこの手作りバーガーとパスタ類が旨くてそれ食べた後に自分も付近を散歩したのですがそれ以来行ってなくて…
コメントとありがとうございます。駐車場の横にパーラーがあったんです・・建物は木々に隠れて見えなかったんですが・・面白い場所にあると思ってました・・いつか、このパーラの特集もしないとですね(笑)
富山からハイタイ!浦添ようどれ、初めて聞きました!!景色も良くて良い感じの場所ですね^_^辿り着けるか心配ですが(^^)
ここはめちゃくちゃ、行き方が簡単です・・地域の有力な交差点・・あはちゃ・安波茶交差点から、一本道を歩いても10分くらいで、たどり着けます・・一本道ですから、超簡単ですよ~
散策を兼ねて、歩く歩道としていい感じですね。景色もいいし歩くの好きなんでうずうずしてくる…。石の壁がとてもキレイで芸術的な感じの壁に見とれてしまう。こう言う場所へいったら 手を合わせてお参りとかはするべきなのですかね?🙏
手を合わす方も多いと思います・・ユタも来ますしね・・この公園は、歩くには最適です・・動画には映ってませんが、崖にある墓の下に・・古くからの道があって・・東方向に1キロ近く続いています、良い散策コースだと思います・・
琉球歴史の守りたいものが戦争の場になり壊されたことは悔しいでしょうね。
あの崖は‥元々、浦添城址だったり王家の墓だったり・・しましたが、沖縄戦で破壊されました・・でも今は、かなり復元されているので、それでいいと思います・・壊されても、壊れても、今の人が復元する事が、これが重要かもですね・・
ハクソーリッジ=浦添ようどれ 同じ場所だったんですね。
画面を 通して見ると 琉球石灰岩の崖の高低差が あるのが はっきりわかりますね。
そこを 境に 激戦があった事 何となく 理解も出来ます。
激戦地だったので 浦添ようどれも 原形を 留めてなかったでしょうね。無事 復元されて 何よりです。
浦添に居た頃は 知る事もなかったのですが 激戦地だった事は省いて 琉球 の歴史上も キーポイントとなる地だった事 誇らしくもあります。
前田高地=激戦地って・・やはり、地元にいても知らない人は知らなくて・・
こうした動画は必要ですね・・私も、知りませんでした・・
アキラさん、来週の水曜日は、浦添、屋冨祖大通りの第2弾ですよ・・こうご期待・・
おはようございます。
すごい王様のお墓ですね。石積みは土木遺産で、あの急こう配をどのようにして施工したのか考えさせられました。
階段・通路にもに手すりもあり、高齢者でも安全に歩けそうです。交通の便もいいので、一度行ってみたいです。
沖縄にはこのような土木遺産が多くあり、どのような歴史で土木技術が発達し、職人たちはどこから集まってきたのか、
興味が湧いてきました。沖縄での石の技術の歴史を学ぶのも面白そうです。
ありがとうございました。
そのとおりですね‥沖縄の石造りは、古くからあり、
石ですから、それが今も見ることができる・・
素晴らしい歴史のお勉強が出来ますね・・
ここのも。元は14世紀くらいの古い建築物です・・
よく残ってくれました、復元してくれました・・という所でしょうか・・
見ていても綺麗な石積みですね~・・
@@konbaba32
いつもご丁寧な返信ありがとうございます。
沖縄の歴史と石積について、材料の搬入方法も
勉強してみます。
今まで返信のメールを差し上げず申し訳ありません。
今後とも、よろしくお願いします。
藤村 久夫
なにも問題ないです(笑)
ありがとうございます・・
浦添ようどれ
キレイに修復、復元されてるんですね。
琉球国 国王
第22代 尚裕さんから識名園、玉陵等寄贈されたと思います。
国宝指定にされている刀の『千代金丸』の鞘は、金ピカになっていて、一度見てみたい刀なんです。那覇歴史博物館にあるらしいのですが。『千代金丸』も尚家からの寄贈。
今のご当主の尚衛さんが子供の頃に千代金丸をもってチャンバラごっこの真似をされたようです。
浦添様どれ、いつの間にやら綺麗に修復されていますね・・
見ごたえがありました・・
那覇市歴史博物館・・うーんどこだっけ・・テンプス館の中だったか?
今度調べてみます・・
千代金丸・・面白そうですね、一度見てみたいです
戦後本土では、華族も金持ちも没落したところが多かった。しかし、昭和の終わりまでお墓とはいえ持ちこたえていたことに驚きます。また、嘉数台地は結構離れて見えるのですね。単純に隆起したのではなく、断層ができたりと複雑な地質的な歴史も抱えているのですね。
嘉数高台・・はまだ、私自身が良く分かっていませんが・・
嘉数高台と前田高地の間には、川が流れていて・・川で浸食か、分断・・
されている感じです・・
こちらの前田高地の場合は、北側が比較的絶壁で(嘉数高田との間)
南側は斜面になっています・・
南側には、湧き水も多く、集落を形成していました・・
その集落の人々が中心に戦争で1000人くらい犠牲になったようです・・
これは大変大きな犠牲だったと思います・・
@@konbaba32 侵攻の初期だと余計うまく対応出来なかったことでしょう。本当は殿様の墓だけではいけませんね。
昭和の末頃訪れたことがあります。ガイドブックを頼りにバスに乗って行ったのですが、
バス停🚏(名前は失念しました)から「浦添ようどれ」の方向に入る道が分からず、道
で出会った方にお尋ねし、ヤットの思いで辿り着きました。それも、他所様の庭先を通
らせて頂く様な細い道でした。蝶がたくさんいたことを、覚えています。
動画を拝見すると、当時に比べ樹木も綺麗に伐採され、明るくなった様な感じがします。
当時は、ようどれも、改修前ですから、どんな感じだったんでしょうね・・
今は,改修されて石垣がとても立派に見えます・・
地元の私達が行かないだけど、興味がある方は、
昔から行く場所だったんですね・・そのことに感心します・・
@@konbaba32 様
石垣は崩れ、雑木雑草は生い茂り、現在とは全く異なった状況でした。
「ようどれ」見学の後は、動画の末尾に出て来る斜面の道を下ったら
偶然バス🚍の走っている道路に出たので、幸い順調に那覇に戻れまし
た。
石垣が崩れ・・そうでしょうね・・
今はとても素晴らしい石組になっています
又チャンスがあるとお出かけください・・
改めて、沖縄の王朝時代の華やかさと言うか大きさというかそう言うのを感じますね。
石組みの素晴らしさ、本当にすごいです。
本当に素晴らしいですね・・沖縄は石組の国のようです・・
数百年前の建造物が、これほどたくさん、
残っているのは素晴らしいですね・・
ひょっとしたら、沖縄以南では、太平洋では、こういう遺跡が無いかも・・
動画ありがとうございます♪北谷に1泊で来ています。明日、沖縄そば食べて帰ります。来月、名護に行きます。
沖縄は楽しまれていますか・・私も先週北谷を撮影していました・・
少しだけ活気が戻った感じいですが、まだまだですね・・
今日は晴れるので、いい日にいなると思います・・
どうぞ沖縄を楽しまれてください
@@konbaba32 さん。ありがとうございます。弾丸1拍だったので、帰ってきました。アメリカンビレッジに滞在しましたが、緊急事態明けたとは言え、まだまだかと。ピザインも閉店早かったです。また、来月です!
また、良い体験がありましたら、教えてください(笑)
お疲れさまでした!そりゃ息も上がりますよね。ようどれの壁面を下側から眺めるくだりは、規模の違いはあれど首里城を彷彿とさせますね。手入れもしっかりされていて、(趣旨とは違うんでしょうけど)見ていて気分の良いところだと思います。石積みがホントに見事。もちろん首里城もすごいけど。この動画を撮影されたのって、まだ暑い頃ですよね?蝉の声がけっこう響いていたので。沖縄もそろそろ涼しくなり始める頃合いでしょうか。全く違う話ですが、今回の動画を拝見していて(海外の城壁なんですけど)ルクセンブルクの城壁も連想してました。設置の目的がまったく異なるので比較の対象にはなりませんが、雰囲気だけ。ちょっと似てるなぁと感じた次第です。今回もありがとうございました。
ようどれの外壁、石済みが素晴らしいですね・・
昔はこんな感じだったんでしょうか・・
沖縄の涼しくなっていますが、まだ29度30度くらいですね・・
11月に入るともう少し過ごしやすくなります・・
ルクセンブルクの外壁‥先日テレビでしていました・・
ドイツにああいう場所があるんですね・・そう創生時期が、この石積みと、
同じくらいじゃないでしょうか・・
お疲れ様です。
ようどれの発掘調査が終わってから、一般公開があり家族で見学に来ました。
当時「パイレーツオブカリビアン」で、骸骨が動くシーンがあり、それを見ていた長男(当時4歳)なんかが「ほねほねがある!」と、大声で興奮したことを思い出します。
でも、外に出てから、ボコボコの通路に足を取られて長男はキッチャキ!内部から同行していたどこかのオジィに、「墓で騒ぐから!」と怒られてしまいました。
あれから、ほぼ20年経ってから、石垣も一番上まで立派に復元され、島の石工の見事なことよ!でーじ美しいです。
息子さん健やかに、おやじの、うーまくーを引き継いでいます・・
子供が元気なのはいいことですね・・ここの石組も綺麗ですね・・
昔もこんなに綺麗だったんでしょうか?もっとジャングルだったのかな?
所で質問があります・・
① 内部から同行していたどこかのオジィに・・このオジー発言です
私は普通だと思うんですが、或る時視聴者さんから、オジーというのは、テレビの影響です、沖縄では他人の高齢者をオジーと、決して呼びませんと、ご指摘を受けたんです・・
私は、街の、普通の会話で、60歳以下の人が高齢者を「オジー」と呼ぶ、以外の呼び方をしているのを知りません、べんさん、この呼称、オジー問題どう思います?今の時代、オジー以外の呼び方ってあるの?うすがなしーめーとか、たんめーはダメですよ、そんな古い言葉、今の人は使いません・・
沖縄の人は、オジーと呼びませんと言われたのが・・心にかかりました・・
@@konbaba32 さんへ
知らん人に対して、オジィは言わないですね。
さすがに。
目の前からいなくなってから、「え〜、あのオジィよ〜」と、どぅしなんかとユンタクしますね。
してからに、知らんオジィを前にしては、名前で呼んでますね。えいきんさんとか、ししゅうさんとか。
僕より5〜6歳しーじゃーでも、実際に孫を持っている人が何人もいるわけで、実質オジィですが、こっちは「にぃにぃ、やっちー」と呼んでます。
友人知人・間では使いませんね・・それを越えた人たちに使うのでは・・
名前も知らないような人・・
そして、私の年齢では、どんな年配者見ても、オジーとは言わないと思います・・40代までかな。。他人に、おじーっていうのは・・
若い世代は、他人にたいしても、普通に、オジーっていうんじゃない
目の前では言わないですね・・通り過ぎてから・・(笑)
普通に使うと思うけど・・なんで、あの人は力を込めて
沖縄では絶対に、使わないって言ったのかな・・
@@konbaba32 さんへ
首里のデイケアを歩いていた頃は、これの問題は、でーじ厳しいしつけがされましたね。
特に首里は、「格」が違った方々がいらっさるので、このオジィ呼称が耳に入った途端、上司に報告されてました。
でも、会話の中では普通に使っていたのですが。袋をいつも持っているオジィは「袋オジィ」、いつも歩いているオジィは「アッチャーオジィ」ーーと、本人を前にしてユンタクしていたような。あの頃は30歳代だったはず。
「沖縄はお年寄りを大切にしている」と、上司は豪語していましたが、「オジィとは言わん!」と言う人は、そのことを言っているのでは?
あ〜、コザでは、「グランマ(おばぁ)」「グランパ(おじぃ)」と、呼んでいる人が多かったですよ。これは、少し尊敬している(と相手に伝えている)ような呼称ですね。
おじいとは言わんって・・私の周りには、
おじいという言い方以外する人が見た事が無いです・・
ですから、おじい―に変わる表現方法があれば教えてください・・
そういえば・・40年ほど前に、知人が、たんめー・・うんめー・・
メェ~って、ヒージャーと掛け合わせた冗談を言ってました・・
(屋号)
例えば、メ~ヌカーのたんめーって言うかもしれないけれど・・
そうした言い方は、40年くらい聞いた事がありません
グランパですか・・おっしゃれー(笑)
こんばんは。思い出しました!
ブラタモリでタモリが行ったところですね!近々訪沖するので、行ってみたい場所の候補にさせていただきます!
ブラタモリ・・そうでしたね‥やってました・・
録画しているので、もう一度見て見たいです・・
テレビは、ピンポイントで映すので、その場所の全体像が
見えてこないです・・
実際に訪問するのが一番ですけど‥
テレビとは印象がまた違って見える場所でした
おはようございます。
今日も小さな驚きや発見がたくさんありました。
浦添ようどれ、ようどれって「夕凪」!勉強になりました。
王家の墓「王」本当に沖縄の歴史を感じます。
そして、2005年に修復されたんですね、修復後の歴史は浅いのに、凄く歴史を感じるたたずまい!
末裔の個人所有だったことも。
そして石垣の美しさ、実物のお城はどんな姿だったんだろう?なんて想像してしまいました。
地元、沖縄の方があまり知らない、ってところにも驚きました。
こちらは他にもいろいろな見どころがありましたよね、ぜひ伺ってみたいです。
1400年代とか、1600年代とかの遺構が、尚家の所有で、
それが最近までそうだったってすごいですよね・・
あの顕彰碑もっと立派にするべきですよ、たった10年くらいで、
古ぼけて見えますから・・
周辺には、現在の墓が密集して墓地なんですが・・
それは、遠くからでも見える・・そこに、もっと古い墓があったとは・・
浦添城跡自体・・大きな目印が無い・・中心地が分かりにくい・・
ぼんやりとした城跡なので、印象が薄いですね・・
歴史ある場所の散策、綺麗な景色に空にとてもいい動画ですね✨あとそのお車止めた駐車場左側にパーラーなかったですか?もう2年半前だけどそこの手作りバーガーとパスタ類が旨くてそれ食べた後に自分も付近を散歩したのですがそれ以来行ってなくて…
コメントとありがとうございます。
駐車場の横にパーラーがあったんです・・
建物は木々に隠れて見えなかったんですが・・
面白い場所にあると思ってました・・
いつか、このパーラの特集もしないとですね(笑)
富山からハイタイ!
浦添ようどれ、初めて聞きました!!
景色も良くて良い感じの場所ですね^_^
辿り着けるか心配ですが(^^)
ここはめちゃくちゃ、行き方が簡単です・・
地域の有力な交差点・・あはちゃ・安波茶交差点から、
一本道を歩いても10分くらいで、たどり着けます・・
一本道ですから、超簡単ですよ~
散策を兼ねて、歩く歩道としていい感じですね。景色もいいし歩くの好きなんでうずうずしてくる…。石の壁がとてもキレイで芸術的な感じの壁に見とれてしまう。こう言う場所へいったら 手を合わせてお参りとかはするべきなのですかね?🙏
手を合わす方も多いと思います・・ユタも来ますしね・・
この公園は、歩くには最適です・・動画には映ってませんが、
崖にある墓の下に・・古くからの道があって・・
東方向に1キロ近く続いています、良い散策コースだと思います・・
琉球歴史の守りたいものが戦争の場になり壊されたことは悔しいでしょうね。
あの崖は‥元々、浦添城址だったり王家の墓だったり・・
しましたが、沖縄戦で破壊されました・・
でも今は、かなり復元されているので、それでいいと思います・・
壊されても、壊れても、今の人が復元する事が、これが重要かもですね・・