Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
糸島でなくて、志賀島でした😂
秀真伝より大綿津見神(豊玉彦:ハテツミ)。子供①トヨツミ彦、②豊玉姫、③カモタケツミ彦、④乙玉姫。後に乙玉姫は、兄であるカモタケツミ彦とイソヨリヒメの娘として、ウガヤフキアエズに嫁いでいる。その際の物語では、白羽の矢が当たりミケイリを産んでいる。…となっていますね。
対馬には、更に強い海流があり、丸木船時代までは、みんな隠岐に流されて漂着してました。今でも北朝鮮の兵士の死体は隠岐に流れ着くのです。と、ユネスコジオパークの研究や、説明がありました。帆掛船ができてから、対馬まで来れるようになりました。なので、素戔嗚が対馬に来れたのは、帆掛船時代以後のコトになりますね。旧石器から縄文までは、対馬に朝鮮半島から着くのは困難ですね。
あはは、「ふとどきさん」って読んじゃった。ごめんなさい。お話は面白かったです。龍神につながる女神の事が知りたかったので見に来ました。
対馬の際神社半分は雷大臣、半分は素戔嗚・五十猛・事代主になっており、神功皇后の征伐伝承と、普段の朝鮮半島の磁鉄鉱などの貿易ルートの伝承の二つになっています。此処では確か、スサノオと事代主が一緒に朝鮮半島に渡ったという変わった伝承になっている筈です。しかし、対馬のスサノオが、和歌山のイタキソ神社の様に、治山の神様になっているとは知りませんでした。
神社関連は「豊」って名前が多いんですよね。記録したときは区別できてても今ではどこまで同一人物なんだかわからないですね。
とても興味深い動画を有難うございます。神話の世界は日本人のアイデンティティだと多くの日本人は素直に受け取っているので、多少荒唐無稽な話も好意的に受け取っています。しかし、神社伝承なども付き合わせると日本書紀や古事記に書かれた日本神話は互いに矛盾することもあり、訳がわからんようになりますよね!そこで大胆な仮説が登場することになります。もしも天皇家の歴史書ではないとすると、考古学の成果と矛盾する結果になりますから、どっちを信じるのが科学的でしょうか?神話の元になった話は史実からの伝承ではないある権力者がその不都合な史実を隠すために神話を創作したと考えると合理的ですよね!多くの日本人は天武天皇が歴史書の編纂を命じたので天皇の歴史書だと勘違いしていたようですよ!崩御から三十年以上経って完成しているのですからね!時の権力者は天皇ではなかったのですよ!どうやって藤原氏が権力を握ったのかを調べると真相が見えて来ました!詳しくは拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照下さい。日本の歴史の始まりが見えてきました!勿論、邪馬台国の卑弥呼の正体も、初代天皇も解りました!お邪魔しました^_^
糸島ではなく志賀島の志賀神社です。ここは、出雲と系統が同じです。
私も宮崎?と思っているのですがこれだけの改ざんがあったとしてダーーレが得したのだろう?記紀の時代の権力者の誰かが宮崎と縁の深い人物だったという事ですよね。
対馬海流に乗り、隠岐島に着き、そこから見える本土の大山を目指します。
決定的な確実な話です。天孫降臨の話神武以前の話は新羅、イスラエル、エジプト、メソポタミアの話をです。又、氏族により、時代が差を経て日本に来てます。なのでおそらく、スサノオと豊玉姫には関係はないです。まだまだヤマタノオロチも悪いオロチにさせて書かれたので、スサノオか退治したにはなりますが、根本に話が違うためそこへも学ばないと確信にはいかれません。
日向ーひむかいXひゅうがO
糸島でなくて、志賀島でした😂
秀真伝より
大綿津見神(豊玉彦:ハテツミ)。子供①トヨツミ彦、②豊玉姫、③カモタケツミ彦、④乙玉姫。
後に乙玉姫は、兄であるカモタケツミ彦とイソヨリヒメの娘として、ウガヤフキアエズに嫁いでいる。その際の物語では、白羽の矢が当たりミケイリを産んでいる。…となっていますね。
対馬には、更に強い海流があり、丸木船時代までは、みんな隠岐に流されて漂着してました。
今でも北朝鮮の兵士の死体は隠岐に流れ着くのです。
と、ユネスコジオパークの研究や、説明がありました。
帆掛船ができてから、対馬まで来れるようになりました。
なので、素戔嗚が対馬に来れたのは、帆掛船時代以後のコトになりますね。
旧石器から縄文までは、対馬に朝鮮半島から着くのは困難ですね。
あはは、「ふとどきさん」って読んじゃった。ごめんなさい。お話は面白かったです。龍神につながる女神の事が知りたかったので見に来ました。
対馬の際神社半分は雷大臣、半分は素戔嗚・五十猛・事代主になっており、神功皇后の征伐伝承と、普段の朝鮮半島の磁鉄鉱などの貿易ルートの伝承の二つになっています。
此処では確か、スサノオと事代主が一緒に朝鮮半島に渡ったという変わった伝承になっている筈です。
しかし、対馬のスサノオが、和歌山のイタキソ神社の様に、治山の神様になっているとは知りませんでした。
神社関連は「豊」って名前が多いんですよね。記録したときは区別できてても今ではどこまで同一人物なんだかわからないですね。
とても興味深い動画を有難うございます。神話の世界は日本人のアイデンティティだと多くの日本人は素直に受け取っているので、多少荒唐無稽な話も好意的に受け取っています。しかし、神社伝承なども付き合わせると日本書紀や古事記に書かれた日本神話は互いに矛盾することもあり、訳がわからんようになりますよね!そこで大胆な仮説が登場することになります。
もしも天皇家の歴史書ではないとすると、考古学の成果と矛盾する結果になりますから、どっちを信じるのが科学的でしょうか?
神話の元になった話は史実からの伝承ではないある権力者がその不都合な史実を隠すために神話を創作したと考えると合理的ですよね!多くの日本人は天武天皇が歴史書の編纂を命じたので天皇の歴史書だと勘違いしていたようですよ!崩御から三十年以上経って完成しているのですからね!時の権力者は天皇ではなかったのですよ!どうやって藤原氏が権力を握ったのかを調べると真相が見えて来ました!詳しくは拙ブログ「古代史の謎を推理する」をご参照下さい。日本の歴史の始まりが見えてきました!勿論、邪馬台国の卑弥呼の正体も、初代天皇も解りました!お邪魔しました^_^
糸島ではなく志賀島の志賀神社です。
ここは、出雲と系統が同じです。
私も宮崎?と思っているのですが
これだけの改ざんがあったとして
ダーーレが得したのだろう?
記紀の時代の権力者の誰かが宮崎と縁の深い人物だったという事ですよね。
対馬海流に乗り、隠岐島に着き、そこから見える本土の大山を目指します。
決定的な確実な話です。天孫降臨の話神武以前の話は新羅、イスラエル、エジプト、メソポタミアの話をです。又、氏族により、時代が差を経て日本に来てます。なのでおそらく、スサノオと豊玉姫には関係はないです。
まだまだヤマタノオロチも悪いオロチにさせて書かれたので、スサノオか退治したにはなりますが、根本に話が違うためそこへも学ばないと確信にはいかれません。
日向ーひむかいXひゅうがO