「四国特急」
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- Опубликовано: 10 сен 2024
- 昭和30年代、積極的にディーゼル化を進めた四国、高速準急列車網が四国各県の主要都市を結ぶこととなります。
特急設定を許されなかった当時、これらの高速気動車列車を「四国特急」と称してその高速性をアピールしていました。
参考資料
車輛工学 27(12)(290) 車輛工学社
国鉄線 16(6)(145) 交通協力会
国有鉄道 18(4)(130) 交通協力会
香川年鑑 昭和36年版 四国新聞社
NVIDIA Iray GPU Rendering www.nvidia.com...
Super Notch Man Ver.3 イメージテクノロジー研究所
地理院地図 国土地理院
引用画像 www.publicdomai...
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フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY www.hmix.net/
CGはじめました turbotrain.net/...
#準急気動車
#四国支社
#キハ55
しかしその執念が世界初の「振り子装置を搭載した気動車」2000系を誕生させたんですね。
四国の努力はこの頃からなんですね。今や、2700に結実している。企業運営としては厳しすぎる状況なれど、技術論、地域特性を冷静に捉えるのは
さすが。
「四国特急」とあったから、てっきり初代「しおかぜ」「南風」のキハ181系を特集するのかな、
でもその割にはサムネの車両が違うし時代も古い、なぜだろうと思っていましたが
そういうことだったんですね。大変勉強になりました。
昭和30年代に徳島地区ではパターンダイヤが導入されていたそうですし、意外と四国の鉄道って先進的だったんだな。
「F1マシンを走らせるには」と初代JR四国社長がそう呼んで軌道強化まで導入された2000系気動車、まさに執念の賜物ですね。
2700系が創られるまで実質的に187系までずっと2000系が造り続けられたような名作でしたからね。
九州住みの私なんかは四国にいつも興味津々……最近のJR九州もJR四国も頑張ってると思っています。地方の鉄道事情は、いろいろ大変な面が多いと思いますが、伸び代がまだまだある地方に期待が大です。
本来であれば36.10の改正時に特急富士(東京ー宇野間の電車特急でした)に宇高連絡線を介して接続する気動車特急を運行するはずでしたが、キハ80系のトラブル対策(キハ82でも克服しきっていなかった)の為の予備車確保の結果による車両不足(みどり・ひばりが不定期だったのもそれが理由)で没になってしまったのです。ちなみに80系気動車が四国に入線したのは約四半世紀後にはるばる北海道からやって来たトマムサホロエクスプレスが唯一。
お疲れ様です。最後の最後で謎の見えないレール。
毎回、素晴らしいCG制作に見入っています。
無理をなさらずに、健康第一ですよ。
JR四国が製造した空気ばね車体傾斜式の新鋭次世代気動車すら刃が立たなかった四国山地。時代が移り変わってもその険しさは変わりませんね。
こう考えると2000系ディーゼルカーってすげえんだな
他の動画の紹介になってしまいますが、「小松ディーゼル 季節を駆け抜ける」で検索すると小松ディーゼルのエンジン紹介動画がヒットします。こそで2000系登場当時の走行動画や乗務員さんへのインタビューが見れてなかなかいいのでご興味があればぜひ。
彼らが誕生していなければ、他社のキハ281やキハ187、HOT7000等も誕生していなかったかも知れませんからね。。。
@@wideviewODORIKO.002 キハ281系は2000系酷寒地仕様って言っても良いほどでしたからね〜
子供の頃に渥美清さん主演の喜劇団体列車を見て、ディーゼルカーが登場してワクワクしました。架空の伊予和田駅が舞台です。喜劇列車シリーズはフランキー堺さんも主演されており、いずれもテレビ放映が楽しみでした😊
伊予和田駅のロケ地は堀江駅でした。
今は黒貨車転用の駅舎になり、不健全な落書きが目立つようになっています。
DF50₀ 100kwモーター6個。101系電車1ユニット100kwモーター8個。101系電車1ユニット分の出力にも満たない非力な機関車でも輸送改善されたとは、それ以前の四国の鉄道環境は、時代の流れに取り残された感すらあった。30㎏レールなんて当時でもドローカル線だ。タイムマシーンで戻ったような昔のこうした四国の鉄道環境に、懐かしさすら覚える。
四国には、新幹線岡山開業(昭和47(1972)年3月)まで特急列車がなかった。それまでは、気動車急行列車が最上級の優等列車だった。四国の高速化の決め手は、気動車を用いることが最も有効であることは、この頃から運命づけられていた。
当時は、四国の急行形気動車にだけヒゲがついていた。特急形車両が3本ヒゲ以上で、四国の急行のものは2本ヒゲだった。当時の四国鉄道総局の、四国にも特急列車を走らせたいという熱意と、特急列車に対する畏敬の念の表れが、この2本ヒゲだったのかもしれない。
ラスト、客車列車が脱線してますね。
本当だ!よく気が付いたね。気づかない脱線。
しかも全車軸が片方乗り…
結局四国にキハ80系が投入されなかったというよりもキハ181系を待ったということでしょうか...
昭和50年代に、徳島本線沿線に住んでいて、ローカル運用に辛うじて生き残っていた、晩年のキハ55に乗れたことは、遠い日の思い出です・・・
昔、ホンモノの特急が走らない。今ホンモノの新幹線が走らない四国w
うまいこと言うなw
0系新幹線になりたかった気動車はいますけどね😂🚅w
いつも往時の気動車編成を見るのが楽しいです。今回はキロハ18なんてキワモノが登場ですね。
一線スルーは、この時の四国が全国的に初の試みだったのでしょうか。
なーるほど四国特急ってそういう事だったのか!!
いつも楽しませて頂いております✨
本物!?
軌道が劣悪過ぎてこれが今になっても尾を引いている
松山産まれで今海外住みの自分の感想では、平成入って高速道路や国道改修で正直言って四国のJR線ってどんどん地位が下がってると思うんですよね。四国でて首都圏や北海道九州とあちこち転勤しましたが各地JRで昔の準急より停車駅の多いニセモノ特急跋扈が現状
四国は線路規格が丙線と丁線だったと聞いていましたが、ここまで速度が制限されるとは厳しいですね。
この頃に、国鉄本社が頑張って四国四県の県庁所在地周辺だけでも良いので高速化と複線化が出来ていれば。。。
相変わらず画像が素晴らしい👍運転曲線がわかりやすい❣️
グリーン車か普通車を半分潰してうどんだけに特化した供食スペースを用意すれば受けたのに
四国の特急と言えばキハ181系、キハ185系やJR四国では2000系等と高速化に発展したが新幹線は未だ実用化せず、やはり利用しにくいのかな?
四国で初めて導入された特急は「南風」と「しおかぜ」でした。特に南風は2019年ダイヤ大改正まで高松/岡山から中村・宿毛まで結ぶロングラン特急として名を馳せましたね。(しおかぜは急行時代なんかは本州色が強かったらしいからなぁ。四国で高徳線、予讃線急行といえばいよとむろと、うわじまでした。その急行うわじまが特急しおかぜとして再誕生したのが1972年ダイヤ改正からです。)
使用車両は前々回言及していたキハ181ですね。意外と東日本旅客鉄道と西日本旅客鉄道だけでなく四国旅客鉄道にも配備されていたわけで、このしおかぜと南風に先行導入しましたね。
キハ181系が高松に配備されたのは昭和40年代半ばだったんですね。四国に本物の特急が走ったのはかなり後の話だったのだなと改めて実感しました。
土讃線の37kg/mレール化は1949年のD51形蒸気機関車投入時から始まったと聞きます。
なんか瀬戸内は船舶で活発に産業が発展していった事情がなかったことになってるか?w
国鉄が黄金期の頃ですね。