【二千年の時を越えて】「諸葛亮の志を伝えたい」世界一の諸葛亮オタク渡邉義浩教授が語る『三国志』の複雑な"成り立ち"と"面白さ"(第2回/全2回)
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- Опубликовано: 4 фев 2025
- 前編 • 【諸葛亮好きを極めたオタク】「三国志は”志”...
▼目次
0:44 僕の「三国志」観を覆した正史
2:24 「歴史書」はいかにして紡がれるか
5:43 僕の歴史研究を駆り立てるもの
▼渡邉義浩さん紹介書籍
『正史 三国志』陳 寿(著)、裴 松之(著)、筑摩書房
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『三国志演義』井波 律子(訳)、講談社
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▼番組概要
志の交錯する至極のノンフィクション『三国志』。
歴史は、描く人によってなぜこうも違うのか?世界で一番、諸葛亮オタクのおじさん・渡邉義浩教授が語る、「三国志の複雑な歴史」。
▼出演者プロフィール
渡邉義浩
1962(昭和37)年、東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。大東文化大学文学部教授を経て、現在、早稲田大学常任理事・文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。専門は「古典中国」。三国志学会事務局長。著書に『後漢国家の支配と儒教』、『儒教と中国―「二千年の正統思想」の起源』、『三国志―演義から正史、そして史実へ』、『全譯後漢書』(全19巻、主編)など、漫画『キングダム』の時代の関連書籍で知られる。吉川英治『三国志』の新装版や映画「レッドクリフ」日本語版などの監修を担当。推しメンは諸葛亮。
渡邉義浩研究室
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#三国志
#陳寿
#諸葛亮
諸葛亮の凄いところって、滅亡寸前の蜀を北伐可能な状態まで建て直した内政力と最期まで国のために身を粉にして働いた忠誠心だと思う。
渡邉先生の見解だと、みんなが思ってるより全然劉備から信頼をされてなかった中でこの忠誠心だから、マジで凄いだよね。
先生の言葉はいちいち突き刺さる。オタクとしても研究者としても一流。
わたなべ先生いつ見てもかわいい
諸葛孔明も渡邉先生もかっこいい
五丈原で仲達が孔明の死を確信するシーンがある。蜀の使者が、孔明が多忙を極めていることを仲達に話てしまうシーンだ。この中で語られる孔明の仕事は、戦場にいてなお宰相の仕事に忙殺されている姿だった。
私も三国志に惹かれて、かれこれ40年になります。三国時代前後に関する本は古本屋や図書館を巡って読み漁り、買い集めたものです。
新しい情報、知らない逸話を読みたくて。
やがて当然の様に正史を読みたいと思うようになりましたが、この動画で紹介している正史訳本が出るまでは、完訳本は無かった(ネットも無い当時は見つけられなかっただけかも)ようでした。
原文を自分で読もうと独学で学びましたが、難しく断念😅
で、紹介されてる正史三国志完訳の発売を見つけて一人喜んだのを思い出します。
しかし!やはり世間で既に出版物として出ている三国志関係の書籍は、面白い部分だけを抜き出しているわけですね。
正史三国志は必ずしも時系列に書かれおらず、人物ごとのエピソードの集合体とうか。まあ、分かりづらい訳です。
子供の頃から読み漁ったおかげで、素人なりに、三国志関係の逸話は全部頭に入ってるぜーくらいに思ってた天狗でしたが、楽しんで読むことが難しく、伊達に出版物は書かれてる訳じゃないなぁと、変に感心しました。
限られた史料の中で歴史とその時代に生きた人を調べていくには、その人に気持ちになって考えるしかない。
先生の話を聞いていると、その時代義に生き志を持った人間から直接話しかけられている気になってきます。
歴史が大好きです、きっかけは予備校の世界史の先生でした!高校の先生だった世界線も興味ありますが、色々な生徒が育ってます。先生、今も尊敬しています。
わかりやすい
天にそえば曹操 讃えるは諸葛亮の志
スクールカラーネクタイにする渡辺先生シャレオツやね。
15年ほど前、成都の武侯祠に行ったことがあります。もちろん諸葛亮を祀ってるんですが、劉備は端の方に申し訳程度に塚があるだけで諸葛亮とは扱いが雲泥の差なんですよね。現地ではこうなのか…と、我々日本人の知ってる三国志の見方とはまた違うのだなあと思った記憶があります
張献忠にどれだけの人が殺されたとしても「思い」は現在まで残り伝わったのですね😊
高校教師になりたかったのか
合ってるよな〜
正史の諸葛亮評について
張裔(劉禅とのつなぎ役として成都に詰めていた人)・・・「諸葛亮の刑罰・賞与は公平無私だった」
呂凱(南中征伐で諸葛亮に従った)・・・「諸葛亮は劉備の遺詫により劉禅を補佐している」
劉曄(魏の文帝の腹心の一人)・・・「蜀漢が強いのは諸葛亮の高い政治能力のおかげ」
賈詡(上に同じ)・・・「諸葛亮がよく国を治めている(から蜀を攻めるのはやめなさい)」
司馬懿(晋宣帝)・・・「(自分は軍服を着ているのに、相手はカジュアルなファッションで指揮ししかも統制が見事に取れていると聞いて)諸葛亮は名士と言うべきである」
また、「(諸葛亮が陣没し蜀軍が撤退した後その陣営の跡を調査して)諸葛亮は天下の奇才である」
面白いのが司馬懿で、司令官の身でありながらファッショナブルなスタイルを貫く姿勢だったり、陣営建築の褒め方が「奇才」だったりと、諸葛亮にはセオリーや常識にとらわれない尖った部分があったということであり、ここに陳寿が評したようなただの真面目人間とは違った姿が見えてくる。
すなわち、後の演義で強調されるような、大雪の日に梅の花を見に行く変人で、人を食った智謀を繰り出す奇人・諸葛亮である。
次に晋の時代
桓玄(東晋の皇族を倒して帝位を僭称した)・・・「(皇帝に命じられて自分を討伐しに来た劉牢之に)乱世で君臣が信じあっていた例は、玄徳と孔明がある」
劉淵(洛陽を落として西晋を滅亡させた人物)・・・「(王弥に)私に将軍が必要なのは、魚に水が必要であるのと同じだ」
袁宏(東晋の歴史家)・・・「いったん国家を治めると礼に従った政治を行い、人々に恨みの声はなくなった。(略)君臣として、まことに理想とすべき関係である」
重要なのは孔明の政治が「礼」、すなわち儒教に則ったものであるという論が出てきます。
習鑿歯(上に同じ)・・・「諸葛亮は劉備を助け、滅亡しようとする漢を復興しようとしたのである。この行為を誰が間違っていると言えるだろうか」
司馬炎(晋の武帝)・・・「私がこの人(諸葛亮)を自分の補佐にしていたならば、今日の苦労はなかったであろう」
司馬昭(司馬炎の父)・・・「(蜀漢滅亡後、陳勰に)諸葛亮の陣形・用兵・伏兵の方法、および軍旗を使った軍隊の統率方法を継承せよ」
張補(西晋の将軍だが名士優劣論などを著すなど文才もあった)・・・「諸葛亮は文武の双方に優れた才能を持っており、泉から水が湧き出るような奇策と、縦横無尽な鬼謀により、東は使者となって同盟を結び、北は大国の魏に拮抗して三国鼎立の状況を作り上げた」
陳寿とほぼ同時代人だが真逆の評価
嵆康(竹林の七賢)・・・「(友人への手紙で)諸葛亮は徐庶に友情をたてに一緒に入蜀しようとは迫らなかった。これは初めから終わりまで良い関係を続けた友情と言うべきで、本当に相手のことをよく知っている者であると言えよう」
南北朝時代。
宇文泰(耳が大きく手が長く徳を基として治めるなど劉備の生まれ変わりのような人)・・・「(劉道徳に)文武の才能を兼ね備えた私の孔明である」
かくして、劉道徳は亮という名と侯莫陳という姓を賜り、侯莫陳亮と名乗ることに
陸法和(梁の将軍)・・・「(白帝城付近で矢じりを発見して)諸葛亮は名将と言うべきである」
他にも北魏の大臣だった高閭の伝に「八陣の法」が採用されたと書かれ、南斉の学者だった祖沖之の伝には「木牛・流馬」が製作されたと記述される
王叡(北魏の寵臣でイケメン)・・・「『君主に仕えて忠なる者はその節度が臨終の際に現れ、親に孝行を尽くす者はその純粋な意思が没する時に現れる』と私は聞いております。だから、諸葛亮は軍中に陣没する際に蜀漢を全うする計略を残すことを忘れませんでしたし、曾参は臨終の床で、まことに善い言葉を残したのです」
孔子の高弟で、曾参と並べて評価
また、文才については劉勰(梁の文学評論家。中国史上初の文学評論とされる「文心雕龍」を著した)「孔融の『禰衡を薦める表』は意気高らかに文彩は躍動するが、諸葛亮の『出師の表』は志を述べ尽くして文章はのびやかである。両者は表現と内容の面で趣を異にしながらも、ともに表における秀作となっている」
「出師の表」は「文選」に収められるだけの文学性を持ち、吉川先生も「孔明は文豪と呼んでも差し支えない」と評価しています
演義ができるはるか前より諸葛亮は軍事、政治、人格、文書について非常に高い評価をされている人物です
いまでいうニートみたいな状況から天下の軍師ないし宰相になっていくのはやはりロマンがあるよね
おいおい、こんな高校教師がいたら最の高ではないか。
諸葛亮の実像が変わりました。
私の個人的見解ですが諸葛亮孔明を理解しようとすると奇門遁甲を学ぶべきと思います。奇門遁甲は古代中国の歴史に大きな影響を与えているんです。
分かろうとした志
三国史ではなくて三国志ですね
あ、名士先生(笑)だ
でもやはりフィクションがいい…
蕭何7
張良3
キャットエンペラータイム最強!
孔明は元々は内政に優れた文官で、軍師がいない劉備軍だから軍師もやってただけでしょうね。丞相なら全ての外交決済しないといけないし。
私腹を肥やさない清廉潔白な内政官だから部下や民衆からも慕われたのでは?信賞必罰を是とした方なので、採決にも不満はつけようが無いし。
「死せる孔明生ける仲達を走らす。」ですが、孔明の木像を見て慌てて逃げた司馬懿が「吾われ能よく生せいを料はかるも、死しを料はかる能あたはわず。」と返しているのは、孔明の才能の怖さもあるけど、それ以上に、もう追撃する必要が無かったからと言われていますね。孔明がいなくなった蜀は恐れる必要も無く、もう勝ちは決まったのだから、今さら兵を消耗しなくてもと言うのが本音かと。後に魏を滅ぼすことを考えると。
司馬懿を持って「孔明は天下の奇才なり」としたのだから、やはり陣立の才能はかなりあったのでしょうが。
蜀びいき視点で見ると三国志なんだろうけど、魏からすればアイスティーについてるシロップとレモンエキスみたいなものだろう… 呉と蜀なんて
もとから、諸葛亮のイメージは内政の人だけどな。
何をもってそう思われたのですか?
もうその辺の安牌評価も微妙だよね。武廟十哲に選ばれてる時点で軍事の才能の凄すぎると結論出てると思うけど
諸葛亮が軍師ではなく実は内政の人って言われはじめたのって30年くらい前からだから、渡邉先生の世代だと諸葛亮=軍師のイメージが強いよ
それこそ、今の研究者世代がそういう発信をしてきたからこそ、一般人がそういう認識を持てるだけの情報が社会広がってるわけで
順番が逆かと
パリピ孔明を見て、そう思った。
研究者が今更そんな認識なのか…創作の諸葛亮と混同してるじゃないか…もともと彼は蕭何のようなタイプの人材
まず「孔明」ではなくて「諸葛亮」