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元12戦車大隊(今は無き)の隊員ですM41戦車~61式戦車を乗り継ぎました動画内の61式が超信地旋回出来ないとありますが、信地旋回すら出来ないが正しいと思いますまた、腕時計が壊れる原因はシフトレバーの振動によるものです当時の腕時計は自動巻きが主流でしたので老兵の独り言…動画はよかったですこれからも、頑張って下さい
腕時計のバンドは良く切れましたね、必然的に右手に腕時計を着けるのが習慣化してしまい、退職後30年以上過ぎた現在でも右手に腕時計を着け癖がついています。それと、乗用車程度ならクラッチを使わないでも変速が出来る様になってしまいました。
力任せにシフトするヤツはシフトレバー折ったりしてましたね。61でも慣れると地形次第ではノークラッチでシフトできました。
自分も1戦車大隊で乗りました 榴弾射撃時に信管の切替を間違えて短延期にして弾着地に大穴があいてしまい怒られた記憶があります Drの頃、直望で撃つのに潜望鏡で撃って停弾提外に弾着したり、フレキシブルハンドルの射距離を間違えて撃ったり懐かしい思い出です。
すげえ、歴戦の老兵が集まっとるw。こういう人たちのお話は貴重やで。
すごい「ベテラン兵 老兵」感あってかっこいい...w
いくらポンコツと言われても、俺は砲塔に「士魂」と書かれた61が大好きだ。
昔、うちの近くの多摩川の川辺に三菱特殊車両の工場があって61戦の砲塔の無い台車部分を作って試運転をしているところがあったので良く工場の外から見物していました。
7師団(もしくは、混成団から丙師団?)の71(当時だと第7戦車大隊?)の牛さんマークのカラー写真も見てみたい
帝国陸軍の戦車第十一連隊にはホント頭が上がらん
ごめん・・・61はトミカになっても財布のひもが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
士魂の六一式は、真駒内駐屯地新隊員教育隊時代に、観たかも?七四式戦車なら、整備中も、見て居る当時は、十八才爆笑元自衛官の一人として、感謝いたします以上
戦後ボロボロな状態で、これだけの戦車を作れるのは凄いと思う。厳しくジャッジすると、戦場では期待できる活躍は出来ないけどもそれ以外のところで評価したい。後継の戦車作る礎になったし。
「習作」としての存在及び功績を、忘れてはいけませんね
お疲れ様ですおっしゃっる通りでございます。
設計思考が厳し過ぎ!
何事も「第一歩」が大切ですからね。
御意に ございます。
一度も実戦を経験せずに全車退役出来た事が61式最大の幸福、日本や地球を護る為に戦ったのは怪獣や宇宙人だけ!
タイムスリップして武田騎馬隊と戦ったのも61式でしたっけ?笑
@@green597 確かそうでしたね
BGMは怪獣大戦争マーチ❗
戦国自衛隊だっけ?
宮沢りえにエレーナて名前付けられ花火を打ち上げた。
なにもしなければ失敗はしない失敗をしなければ進化しない61式は日本の戦車の出発地として今後素晴らしい戦車をつくって欲しいな
これぞ まことのPanzer vor…!
そう、絶対に失敗しない方法は何もチャレンジしない事。でも、そんなんで未来は拓けない。
その通りですね。ただ隣国さんは失敗×失敗で+になると思ってらっしゃるようですな。
北朝鮮vs韓国 どちらが勝つ
失敗は成功の元ってね
アメリカ人の戦車紹介で61式は世界有数の実践経験を誇ると紹介されてたねぇ(敵は怪獣だが)
東宝の怪獣映画でお馴染みですね。
川中島でも戦ってますしね。アレはカドカワ61式プロップだけど。
@@さすらいのアルバトロス ウルトラセブンのマグマライザーの後部キャタピラは61式のプロップから持って来ているそうです。東宝の奴ではないかと?
@@straker1701 さんへマグマライザーかぁ…めちゃ懐かしいなぁ…エピソードの件については初耳であります!
時には戦国時代に遡ったり…
うん、防衛戦専念が基本的な概念だったろうから結構いいできしてるんよな。良く初の国産戦車でここまでの物を作れたもんだ。
その頃は、逆に戦時中の技術者が多かったからね
STA-1とか色々な試作案があってその中で採用されてるからね
帝国陸軍からの技術の継承がみられるから大好き
青春の思い出!61式戦車。駒門駐屯地での棍棒で戦車帽を小突かれながらの操縦訓練。前進6段、後進2段。ハイとローのダブルクラッチ。言うことをきかないシフトレバー。硬いトーションバー! 涙と汗の61式。北富士で海兵隊のコブラに20mmガトリング砲で照準されたり思い出は尽きません。北千歳で、74式戦車に配属された時には、61式に比べたら月とスッポンぐらいの差がありました。105mm砲もレーザーもFCSもスタビライザーも油気圧サスペーションも無い61式戦車でしたが、何故か無性に懐かしいです。戦後初の国産戦車!万歳!
クソデカキューポラ😂
某Thunderじゃ大体同世代で世代分けされてるお陰で装甲薄い代わりに意外な瞬発力活かして投げつけたら大概の敵を刺し殺せるHEAT-FSとよそが持ってない測距儀持ってあちこち神出鬼没の忍者みたいな戦車でクッソ強かったなぁ……
面白かったです。ありがとうございました。批判ばかりで潰してしまう事もなく、時代遅れでも、欲張らず、諦めず頑張ってなんとか使用していく事が出来た時代背景もあったのでしょうね。
ちなみにT字型のマズルブレーキには稜線射撃をした際に稜線の土が砲撃で巻き上げを抑え視界をふさがないメリットがある。
61式戦車と言えば巨大な敵に果敢に戦った戦車
同世代の列強の戦車と比較した場合色々と至らない点は多かったかもしれないが、戦後16年の技術的空白を埋め現在の10式戦車の礎を築いたという点で大いに評価されるべき戦車だと思う。何よりも私が小学生から高校生にかけて陸上自衛隊の主力戦車であった事もあり、個人的にも愛着のある戦車である。
えーっと、61が主力の時に学生という事は今は大体50か60代くらいですか?ちなみに俺は14です技術を得るとか冷戦期とかの観点でいけば、日本に無かったら180°くらい陸上戦力の装備内容とかが変わるようにも思えるし、当時は遅れていても今となっては世界トップクラスの戦車を持つに至っている事もあるので、やはり嫌いになるなんて事はできませんねどの戦車にもいい所・悪い所はありますし、それは性能だけの話では無いと思います61式含む歴代戦車の開発者の方々には敬意を持ちます長くなり、申し訳ありませんでした
@@APApenger 御推察の通り還暦過ぎの爺です。14歳の若者が61式戦車に熱い思いを持つという事はちょうど私達の世代が旧日本陸軍の97式中戦車や95式軽戦車に思いを馳せるのと似ていますね。兵器の開発はその時代の人間の英知を結集した最先端の科学技術の成果です。当然日本人として先代の人々が開発した兵器に愛着と誇りを持つ事は当然の事です。願わくばこの61式戦車のように、10式や90式戦車も実戦に参加せず、人を一人も殺傷せずに引退する事が一番幸せな事ではないでしょうか?
@@MrEjidorie そうですね実際どうなるかなんて分かりませんが、俺が生きてる間だけでもそうあって欲しいですね死んだ後もそうあれば一番良いんですけどね
そうです☺️同世代と比して古くさい戦車かもですが(-_-;) 演習終盤とか離脱時に 61の背に乗り移動できた時は天国でした(笑) もう足も腰も痛く 走って離脱なんて嫌でしたから 61戦車 頼もしかったですよ❗
@@シマチビ タンクデサント素敵だと思います。
元自です。昔演習場で操縦させてもらいました。3速に入れられず笑われた。クラッチの繋ぎが荒くて上から蹴られた。などなど。いろいろと言われてますが、愛すべき戦車だと思います。
ですよね❗ 接した事もないシャバのマニアこそが うるさいですよね💦 シャバ出てからマニアに捕まり 六一や64小銃のあら探し講釈 聞かされたりしました😱💦 心中で オンどれは 泥の中這ったり 藪こきしたり、雨中でポンチョ被り 銃抱いて 股ぐら固形燃料とかしたりしてから文句言え❗️とか思いました(≧▽≦)
小学校の遠足でこの戦車に乗せてもらい走りました、砲身を覗くと丸い先に外が見えました。昭和30年代の後半の頃です。
いい時代ですね!羨ましいです!
ゴジラやキングギドラと果敢に戦った61式戦車は、名戦車だと思います😅
シンゴジラと戦った10式戦車も名戦車だと思うぞ(震え声)
@@APApenger 10式は名戦車だと思います(確信!)
@@fayamatosoul6418 ネットに出回ってる情報見てもわかる通りに世界トップクラスの性能だからね現代戦車だからって前後進70km/hは速すぎるって!!(キレてるっぽいけど褒め)
@@APApenger イタリア人もニッコリ
@@Taremayu-ST イタリー……確か彼らの国はアリエテだねなぜニッコリ?(ネタがわかってないんです)
むしろ原爆2発と大量の焼夷弾で徹底的に焼け野原にされ、兵器開発禁止からこれだけ早く"使用可能"程度の国産戦車が出来た事は凄いと思う。
欧州戦線から見れば豆鉄砲の軽戦車クラスのチハくらいしか量産出来なかった国だしね
ブリキの棺からここまで進化した。
まあ一応チヘとかチヌとかチト、チリもあったからそれの技術とかも使っているのかもですね
一番すごいのは砲弾かな戦時中榴弾砲に換装しても貫徹力が上がらなかったのは砲弾が敵装甲にぶつかるときにぐちゃぐちゃになることが理由で根本的な鉄を硬くする技術がない事が大きな理由になった訳だし相当な貫徹力を持つように進化出来たんだから凄い!うん!最高です!
@@kairusakoda5109さん61式はチトのブレーキ技術を流用したとか言う話もありますからねぇ
61式乗ってました。今でもとても愛着がある。
他に61式意外に乗りました?
自衛隊時代に乗ってました。懐かしいです。 ダブルクラッチは慣れるのに時間かかりました。外国に展示されているのは、知らなかったです。まぁ、七日間戦争にも出てますが(笑)
「戦国自衛隊」や「僕らの7日間戦争」とか登場してましたね。昭和の戦車って感じが好きです
武器学校に入校した時、最新式の戦車でした。クラッチの構造が独特でしたね。助教も最初はてこずったようで、これで演習場は大変だろうなって言っていました。回転半径は4~6mの間だった様におもいます。エンジンは大変良いと思いました。
61式と74式戦車は日本の戦車製造の技術蓄積に必要不可欠な戦車であったんだろうきっと彼らなしじゃきっと90式は完成してない。
90式で急に何があった状態な件についてレオ2を参考にした(パクリじゃないよ)んですねわかります
@@APApenger 当時からよく言われていた話ですけどね。中身はまるで違うし、複合装甲取り入れたらたまたま似てたっていうのが真相のようです。個人的には似てるようには見えない…
複合装甲は曲げるのが大変。最新の砲の前では傾斜装甲があまり意味ないし車内が窮屈になる。というわけでどうしても垂直気味で平面多用するから似たり寄ったりしちゃうんだな。
@@オレ様ボクちん あれよ、レオ2A4と似てるって話シルエットは割と似てるハズ
@東方は遠く ビグザムでは無いんじゃない?74→ジムとしたらガンダムかな
愛する戦友の動画ありがとうございます。私の知らないことも色々知れました。松本零士先生の鉄の墓標を読み戦車兵を目指した私としては駆動系がチト車を参考にしているとは感無量です。確かに変速はダブルクラッチなどで難しかったです。新人操縦手の頃北富士から駐屯地に帰る途中下り坂の変速でシフトレバーが弾かれスピードが落ちず危うく他部隊のトラックに突っ込みそうになりました。車長が気が狂った様に怒鳴っていたのを思い出しました。部隊に帰り着いた時には左掌の皮がべろんちょ剥けていました。命中率については総合火力演習時、90,74は一車につき的一つ61は小隊で一つ、ところが90,74より高い命中率をたたき出し富士学校長からお褒めの言葉を頂きました。その時、私は参加していなかったのですが、その後、帰還した班長に祝いの言葉を述べるとこぶしを握った二の腕をたたきながら「コンピューターより人の腕だよ」と言って豪快に笑った姿にたまらなく頼もしさを感じました。つい懐かしくなり長々と書いてしまいましたが老兵の繰り言と思いご容赦ください。
61式戦車、懐かしい。3ヶ月の訓練で戦車の運転を習ったが、まさにこの戦車だった。覚えていることと言えば、ギアが全然入らないこと。特に2速から3速。結局、強引に入れようとしてトランスミッションを壊したことぐらいか。当時は「74式に乗らせろ」とぶーたれてた。隣の第10師団(戦車隊は同じ駐屯地)は74式しかなかった。
T字型の砲塔と丸っこくて小さめのデザインが味わい深くて、日本戦車の中で見た目は一番好き
61式はゴジラなどの怪獣に壊されるキャラとの認識だったね。実車は隣町の駐屯地から、展示に自走してきて乗せてもらってうれしかったよ。
実戦では使えなくても怪獣退治とか戦国時代で暴れてるからいいもん
私等の世代が子供の頃、戦車の絵描くと砲身の先っちょがT字型になってたのは、ゴジラ映画やウルトラマンに出てくるコイツの影響かと思いますwww 戦国自衛隊(千葉真一主演)にも出てたよね。
2万人達成おめでとうございます!自衛隊好きとしてこれからも応援します。
射撃精度はステレオ測距儀持ってる分T55より優位で70式対戦車榴弾が配備されたことで初期T62までなら防御戦 伏撃なら撃破できる見通しがある性能が確保できただけでも十分だと思います。戦後15年ぐらいならまだまだT34/85あたりが極東でも大量配備されていた時代ですし繋ぎとしては十分だったと思います。ただ改良しないならもっと早く退役させてほしかったかな。
開発&登場が遅いと分かってても戦後第一世代戦車の開発のノウハウを得たかったからね。元陸自の戦車兵(61式&74式&90式に搭乗)の知り合いが言ってたのは操縦が滅茶苦茶難しいってのは熱く語ってくれた。色々と巻き込まれるとかで操縦してる時に腕時計をしてたら駄目らしいもんね…
脳天直撃な動画を目指して頑張ってくださいw
多分どの国の戦車よりも多くの敵と戦った戦車
怪獣王やら戦国最強の騎馬軍団やらと戦ったり、わからず屋の大人社会に反旗を翻した中学生が乗ったり、邦画のスクリーン上をところ狭しと駆け回った名戦車でありました❗
@@五十嵐真一-h6v さん、カドカワ61式戦車は未だ存命の様で時々映像で見掛けますね。石原プロの装輪車は解体されたのが残念です。
マズルブレーキが反動を抑制するのは発射ガスを横に逃すからではなく、発射ガスがマズルブレーキを押す=砲が前にひっぱられる=砲の後座する距離が減少する、ということまたむしろあると横に吹き出した砲口爆風で周囲の土煙が大きくなり、弾着観測はやりにくくなるはず(例えばIV号駆逐戦車ではそれで撤去された)なお105mm砲や120mm砲では駐退復座機の性能が向上しており、後座距離を減らす必要がないため不必要
そもそも戦車は自動車だから、当時の国産自動車の性能を見たら61式の性能も納得だと思う。そして現代の日本車の高性能ぶりを見たら10式の高性能も理解出来る。
車はアメリカで産まれました。日本の発明品じゃありません。
@@あごだし-u4i その場合、車じゃなく自動車ね。車(荷車や馬車)なんかは有史以前からあり、誰の発明か分からないよ。重量物をコロ敷いて動かしてたのが進化したんだろうね。ちなみにアメリカよりイギリスやドイツの方が先だよ。【自動車は、18世紀に蒸気機関を用いた蒸気自動車として登場し、19世紀にはイギリスやフランスで都市間を移動するためのバスに用いられるようになっていた。19世紀後半、1870年代から1880年代にかけてはオーストリアやドイツでガソリンの内燃機関を用いた自動車の制作や特許取得が行われた。1896年に米国のヘンリー・フォードもガソリン自動車を開発…】
戦後の日本の歩みそのものを物語っていると思います❗
@@あごだし-u4i 歴史的にはベンツが最初という事になっています。
@@あごだし-u4i なんで自動車の起源主張になってんの?
BGMが鋼鉄の騎士をやりたくなるタイプのパンツァーリート
2001〜2003年ごろだったかな?掩体掘っていたら単騎で射界を横断して行ったのが最後の動く61式の姿。カブトムシみたいだなあと思いました。
角川映画「戦国自衛隊(千葉真一主演)」で唯一戦国時代へタイムスリップし、最後は燃料切れで沼へ遺棄される気の毒な戦車。しかし戦前のチハやチトと比べれば段違いに進化してますがね。
自衛官が村人の娘をさらう(強姦する)シーンが問題となって戦車借りれなかったので、戦車は映画スタッフが制作したそうです。
欧米露の戦車はもっと進化していたけど。完全に1世代遅れた戦車。敗戦国として、武装放棄を面に出しての、装備だからいた仕方ないが。
二万人おめでとうございます🎊投稿待ってました!(^^)!
ありがとうございます!!!やっと出せました!!また頑張ります😃
ゴジラとかの怪獣ものの特撮でボカボカやられていた印象が強い。
いざという時に弾の補給を米軍に頼る可能性があるから105mmは無理だったよ。空冷ディーゼルや排気系のレイアウトに旧軍の戦車からの継続性を感じる。原乙巳氏が依然、戦車開発に影響力を持っていたのかも。ところでこの90ミリ砲はタイガー戦車の88より強力だからなんか不思議な気がする。
105mm砲があってもそれに耐えられる車体や砲塔が造れなかったかもですねそれに重量制限が厳しすぎる...M60が50t程度なのを考えると
でも74式は105mmでも38tなのか...意外と軽い
@@sato_u2898 走行がペラいんでしょ(雑)
@@APApenger 装甲の話なら、74式は防盾や砲塔正面はM60と同等クラス、車体前面はレオパルド1以上の装甲だけども…
@@オレ様ボクちん なっ……なんだと?!マジでなぜそんなに軽くなったんだ……日本の技術ってスゴーイ
お久しぶりです!待ってたんだよぉぉぉ
内容がある良い動画で勉強になった。飛ばし見もしない、できないほど引き込まれた。
お久しぶりです!61式いいですね!
実戦は無い。しかし『映像』の中で僕らを楽しませてくれた『名戦車』いや、当時は『タンク』と言われてたか?懐かしき『昭和』に乾杯✨🍻🎶
61式戦車と言えば「陸の王者、前へ!」
61式戦車といえば「僕らの7日間戦争」
子供達が戦車に乗って思いっ切り大砲やマシンガンで暴れてほしかった 映画なんだからトコトン突き抜けてほしかったです。
蒸気機関車と同じで、いうこと聞かないじゃじゃ馬だけど、コツをものにしたときはピンとくるような戦車だったのかもしれない。俺たちが動かしているんだ!ということを実感できる戦車だったから、愛されたのかもね。
補足として、61式のような動力配置は「パワートレイン」と言います。シフトの難しさは、当時米軍戦車部隊がキャンプ富士に駐屯していたとき、試乗したアメリカ戦車兵が増速できず、自衛隊戦車乗員のことを「ゴッドハンド!」と言ったとか。ちなみに当時の最新鋭、74式の姿勢制御を見て「ニンジャタンク!」とも語ったそうでwしかしながら時期は違いますが、F1ドライバーの中嶋悟さんだったかな?が試乗した際は、簡単な説明だけで乗りこなしてしまい、さすがはプロレーサーだと自衛隊側が感嘆したとか。ダブルクラッチ、中間ガス、失われたテクニックですね。
そうです、中嶋さんです一発で増速したときは感動を覚えました。現役でも触らせてもらえなかったDrもいますからね、61は74に慣れたDrじゃ無理です
@@金たまたま-k1h 逆に、90しか知らないDrは74は乗れないとも言われますね。時代の変遷ですな~
はい はい大丈夫でちゅよ-😊
中学生になったときに、正式化されたのだが、当時の三菱重工(名前はちょっと違うはず)下丸子工場(今のキヤノンの隣)にあって多摩川の土手の上から、見たものです。
61式戦車は出てくる時世が悪過ぎた迷兵器に分類されるが、旧陸軍戦車からの空白期を乗り越えて次の74式戦車に繋いだ中継ぎかつ、戦場ではなく映画で活躍した他、何よりも戦わずにして退役したという兵器にとって最も幸せとも言える最期を迎えた。
四式中戦車の技術が生きて、砲はアメリカ。そして、戦争は経験せず。何か非常に心温まる車輌ですね。ありがとうございました。
配備時には既に旧式化は不運だがコンパクトに納めたのは良い判断だったと思う
1964年公開の東宝映画モスラ対ゴジラに初登場その後は怪獣大戦争とかサンダ対ガイラ等で活躍伊福部マーチのBGMも相まって印象深いです!
お釈迦にする→溶接の失敗→火が強かった→訛って、しがつよかった→4月8日だ→お釈迦様の誕生日だ🎉もひとつ鋳物屋さんが地蔵作るのを間違えてお釈迦様を作ったなどの言い伝えがあります(^^;)あと61式のギヤチェンジはほんとに難しいらしく74式と90式を操縦した事のある自衛隊の方が試乗した時に1速→2速に弾かれてシフトアップできず止まってしまったと専門誌に書いてありました。とても楽しい動画ありがとう👍チャンネル登録しました!
@Pond _ さんへ、ソ連のT-34みたいですよね!そこからの進歩は素晴らしいと思います。
それまでの日本戦車の開発史の挫折と悲哀を知ると涙が出るような戦車
超信地旋回は今ではコンバインでもできちゃう。ヤンマーでは「その場旋回」って言ってますね。
当初、装甲を薄く設計していたのは「せめて一矢報いたい」という大戦生き残り組の無念から攻撃力>防御力となったとか、どこかで読んだことがあります。しかしいざ作ってみると「これでは鉄の棺桶だ」と…大戦中の経験や反省もいろいろ詰め込まれた戦車だったのでしょうね。
元乗員です。これで免許取りました。ただねぇ・・・操縦手泣かせの困った戦車で変速がエンジン回転数に合わせて変速しないとチェンジレバー弾くんで物凄く運転し難い戦車でした。変速はダブルクラッチを多用した記憶が逆を言えば61式を完璧に操縦出来る人は何でも乗れますね。
当時、戦後の反戦運動で火力の高い兵器が作れなかった。おまけにドルも360円で国民も貧乏な時代だった。61式はよくゴジラに踏まれた。でも技術者の努力と執念でようやく出来上がり反響がすごかった。日本の戦後の傑作品だと言っても間違いとは言えない。
私のような世代にはずっと心に残る戦車です。子供の頃に見た怪獣映画や特撮ドラマなどで(やられ役ではありましたが)勇敢に怪獣に立ち向かった雄姿は、空のF-86やF-104と共に目に焼き付いています。
友達の90式の元戦車長の話だと、61式戦車の命中精度が良いのは戦車だけでは無く、61式戦車と共に過ごして来た熟年の老兵達の感と経験によるものだと言っていた。彼らが74式で演習をしたら若い連中には敵わないが、61式に乗り換えると本領発揮していたらしい。つまり、熟年者達にとっては61式戦車は勝手を知った仲間だったという事だね。
初弾が弾着する前に次弾を装填する装填手もいましたし、てかそれを追求されていた時代…初弾弾着前に修正量を割り出し、次弾装填時の動揺を嫌う砲手とか、標的の足だけを狙い撃つ砲手とかいましたね~
人間FCS~
2万人おめです!
昭和60年~62年の一任期だけですが、駒門の第1戦車大隊にいました。マニュアルでタイミングあわせないとクラッチ踏んでもギアがはいらない。舗装道路を走行するときはキャタピラ一枚一枚にゴム坂をボルトで取り付ける手間が大変でした。機銃はきゃりばー30・50と呼称してたっけ。いろいろ懐かしいな。操縦時、腕時計はしないようにしてたなぁ。そうそう。ぼくらの7日間戦争にも登場してたね。
おつかれさまでしたーなるほどなー!げーむで出てくるよなーあと、ゴジラいっぱい倒したなー
昔滝ケ原駐屯地に勤務してた時、東富士演習場で74と一緒に射撃等訓練してるの良く見たけど、いかにもタンクって感じでした。因みに当時富士学校に有った戦教は74も多かったみたいだけど駒門の1機甲は61の方が多かった様な気がします。又戦車の後方を車で走ると荷台に居たらキャタピラでまきあげた砂煙が大量に入って凄かったです(笑)。
豆戦車から出世した戦車ですねぇー日本では戦車じゃなく特車ですね?
90年代の中ごろでしたか習志野駐屯地の桜が満開になり一般開放した日に行くと61式戦車が置いてあり泥除けをトントン叩くと雨戸みたいに薄い音がし、横の傾斜装甲を叩くとベチベチ硬い音でした
ソ連軍戦車は初めの1発は必ず外すとか言われた時代があったねぇ、それに、61式は戦後、日本で戦車開発を再開した初モデルだったから致し方ないかな、戦前の設計を見直したとも何かに書いてあったし。初弾、一発必中だよ。
スタイリッシュでカッコいいと思います👍
ゴジラ、モスラの的。90が使徒の的。子供の頃に町の祭りにゴムキャタ履いた61が来て乗せてもらったのは良い思い出。
とても面白かったです、ありがとう👍
コイツもそうだけど第一世代主力戦車の形好き、戦車してて機械って感じが凄いする。
確かに至らない点もあれば不備もあった。だが、ポンコツ戦車と言われる筋合いはない
思い切って、小型の戦車を国産化している事が凄いなぁ👍T55がライバルなのに不思議です❤️
ヒント:鉄道輸送
ゴジラ映画に出てきては「ポーンッ!!」っていう甲高い主砲の発砲音が印象的でした
親父の同期がブルーインパルスの機種変換の訓練で殉職しています。
私の世代では特撮映画だけでなく武田騎馬軍団と戦ったり、工場跡地から出て来て中学生が乗り回したり、芸人相手に色々とやってたイメージですね。あと、知り合いに61式→74式→90式と乗り継いだ方が居ますが、61式は色々と大変だったが、面白い戦車だと言ってましたね。
「ぼくらの七日間戦争」「戦国自衛隊」この作品に登場して最も有名で、そして最も愛された戦車です。こう言う無骨っぽいスタイルが……なんか、いい!
61式は、対ゴジラ用に造られた国産戦車でしかないよね(苦笑)
兎に角、思い出深い戦車です。駒門駐屯地の一機甲教育隊で大型特殊の免許取得のため乗りました。前進6段、後進1段プラス格段に高と低の切り替えがありダブルクラッチには、苦労させられました。シフトレバーが暴れて、入らず白蝋病になるんじゃないかと仲間と噂したものです。その後に、7師団7戦車大隊に配属されたときは74式戦車でしたので61式のトーショバーと74式の油気圧サスペーションの違いがよくわかり勉強にはりました。FCS, CBR防護装置、105mm 戦車砲、ルビーレーザー側遠機、砲安定装置、ターボ等の無い61戦車でしたが東富士で、操縦訓練中に米海兵隊の対戦ヘリのコブラに見つかりホバリングしながら20mm砲が私の方に向けられた時の思い出は、いまも鮮明に思い出されます。冷汗物でした。今回の、数十年ぶりに61式戦車に再開できて最高です。アップありがとうございました。
私は操縦手として乗ってました。夜間戦闘が出来無いとありましたが、私の時は赤外線照射装置と赤外線ゴーグル付ければ夜間移動はできてましたし、夜間の走行訓練とかしてました。餅の論。ゴーグル無しの目視夜間操縦も富士の2合目両脇崖道を走る訓練もやりました。夜間射撃はした記憶があるんですが・・・・呆けたかなあ。覚えてね~w シュノーケル付ければ、水中移動も出来ます。あだ名は「鉄の棺桶」。ギアは五速位有ったかな。そして高低の切り替えがあるので、実質10速だったかなw なかなか出す所が少ないのですが、45km出すと慣れててもさすがに怖わい。最高速度出すには、苦も無く5速高まで持って行く腕も要りますw まあこれ乗れるアメちゃん居ないと私も聞いています。大隊長車の操縦手として新車に乗らせていただきました。新車なので下手打って「ギャン!!」と1回鳴らしてしまい、暫く回転数が高くてギャを入れられず、大変お優しい駐屯地司令で大隊長である車長から「前へ」というお叱りを受けた事が良い思い出です。新車はギャが固いのよ。あれから34年経ってますが、今でも操縦方法は忘れてません。戦車に乗ったら目の色変えろ!ですから。シフトレバーの反動は下手だと腕を骨折する隊員も居ました。最期に74に乗れなかったのは残念。無線にハングル語入れてくるのは怒りしか無かったなあ。今はチャイナ語もあるんでしょう。今は露の侵略と虐殺行為で、自衛隊も出動待機命令が下ってるでしょ。厳戒態勢になって隊舎へ箱詰めで大変でしょう。自衛隊の皆さんごくろう様です。
61式戦車は、同じ年現物が、間近で、射撃した瞬間を、見てました中々の轟音です因みに自分は、普通科ありがとうございます四十年前自分は、一等陸士七四戦車に、追い掛けられた思い出も有りますもちろん演習での一コマ当時北海道は、最前線自分は、釧路駐屯地に、勤務して居ました今時分の話ですが、穴に入って前方監視、キャタピラーの音で、全力疾走懐かしいです
鉄道で運搬運用するからトンネルに通るよう作られているから仕方ない。
アメリカの艦船と同じだよね~
鉄道トンネルを貨車に載せて通過できるように設計された…が!新たに発発(発射発煙弾とも発煙弾発射筒とも)を溶接したら、寸法がオーバーしてて、トンネル通過したら片側の発発が全車両落ちてた…なんてこともw
とても良く出来た動画でしたヨ!!
43年前に乗りましたM41 61式 74式61式は隊員を厳しく育てた感じがします。
ほんとイラストやの使い方が秀逸w
私は産業機械メーカーに勤務して居ましたが、開発段階での、スペック要求過多はコストアップとクレームの元です。何事もほどほど腹八分目が地味ですが賢明な選択なのです。
砲塔後部の抉りはSTA-1案とSTA-2案で比較検討した際の名残なんだね。
怪獣と戦うのは自衛隊の伝統だけどよ!「桑原曹長」w
おおひさしぶりぃ~しずかちゃん笑ったw
戦争を想起させないために付けた「特車」って表現好き。
いまではレイバーの呼称ですね♪ちなみに、砲兵のかわりに特科となりましたが、特車の部隊と間違えられることもあったそうで…
特殊車輌の略称かと判断する次第です!
61式中戦車は、ワイの一番好きな特車やねん。ポンコツ言うたら“耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるでえ!”(by時次郎)
61式…ゴジラうっ頭が
61式……装甲……うっ、頭が
61式...戦国...うっ、頭が
「モスゴジ」の61式は、当時発売されて間もない相原模型製作所製・1/15・金属&一部プラ製キット(試作型STA―4/1964年発売/¥4950円)を使用しています。中ロングシーンで走行しながら発砲している車両はキットをストレートに組んだものですが、アップシーンの走行砲撃車両は操演上の関係からか、相原製ボデイのみを「空の大怪獣ラドン」で東宝美術部が製作したM24チャーフィー(通称・東宝チャーフィ)に被せたタイプになっています。(その為に接地転輪数が実車より1個少ない5個です。) またゴジラの放射能火炎での炎上シーンには、日本ホビー製(マンモス戦車シリーズ)・1/20・プラモデルが使用されています。尚、相原製61式はこの後も、映画「怪獣大戦争」「フランケンシュタイン対地底怪獣」(落とし穴に落下)「サンダ対ガイラ」他やTVドラマ「ウルトラQ」(甘い蜜の恐怖)「ウルトラマン」(怪獣殿下 後編 他)等、長年に渡り使用されました。
怪獣映画には61式とF104とメーサー砲はお約束で欲しいところです。
動画の中で74式と並べられて展示されているのは、すぐ近所の陸自駐屯地かな?毎年駐屯地祭りの時によじ登って見てます。あの煙突みたいな砲口が大好きです。
高校の時に駅のホームで待ってると何回か貨車に載せられた61式が通って行ったなぁ🎵
まぁ開発から実戦配備して直ぐに旧式化してるからボンコツ呼ばわりされたのは無理も無い…なにせ登場したら仮想敵のソ連はT-54/55を開発配備してたから…西側もL7 105mm砲が標準戦車砲になってたし。
s55年にこれでもで免許証ととた、懐かし
戦国時代に行けるスーパー戦車
元12戦車大隊(今は無き)の隊員です
M41戦車~61式戦車を乗り継ぎました
動画内の61式が超信地旋回出来ないとありますが、信地旋回すら出来ないが正しいと思います
また、腕時計が壊れる原因はシフトレバーの振動によるものです
当時の腕時計は自動巻きが主流でしたので
老兵の独り言…動画はよかったです
これからも、頑張って下さい
腕時計のバンドは良く切れましたね、必然的に右手に腕時計を着けるのが習慣化してしまい、退職後30年以上過ぎた現在でも右手に腕時計を着け癖がついています。
それと、乗用車程度ならクラッチを使わないでも変速が出来る様になってしまいました。
力任せにシフトするヤツはシフトレバー折ったりしてましたね。
61でも慣れると地形次第ではノークラッチでシフトできました。
自分も1戦車大隊で乗りました 榴弾射撃時に信管の切替を間違えて短延期にして弾着地に大穴があいてしまい怒られた記憶があります Drの頃、直望で撃つのに潜望鏡で撃って停弾提外に弾着したり、フレキシブルハンドルの射距離を間違えて撃ったり懐かしい思い出です。
すげえ、歴戦の老兵が集まっとるw。
こういう人たちのお話は貴重やで。
すごい「ベテラン兵 老兵」感あってかっこいい...w
いくらポンコツと言われても、俺は砲塔に「士魂」と書かれた61が大好きだ。
昔、うちの近くの多摩川の川辺に三菱特殊車両の工場があって61戦の砲塔の無い台車部分を作って試運転をしているところがあったので良く工場の外から見物していました。
7師団(もしくは、混成団から丙師団?)の71(当時だと第7戦車大隊?)の牛さんマークのカラー写真も見てみたい
帝国陸軍の戦車第十一連隊にはホント頭が上がらん
ごめん・・・61はトミカになっても財布のひもが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
士魂の六一式は、真駒内駐屯地
新隊員教育隊時代に、観たかも?
七四式戦車なら、整備中も、見て居る
当時は、十八才
爆笑
元自衛官の一人として、感謝いたします
以上
戦後ボロボロな状態で、これだけの戦車を作れるのは凄いと思う。
厳しくジャッジすると、戦場では期待できる活躍は出来ないけどもそれ以外のところで評価したい。後継の戦車作る礎になったし。
「習作」としての存在及び功績を、忘れてはいけませんね
お疲れ様です
おっしゃっる通りでございます。
設計思考が厳し過ぎ!
何事も「第一歩」が大切ですからね。
御意に ございます。
一度も実戦を経験せずに全車退役出来た事が61式最大の幸福、日本や地球を護る為に戦ったのは怪獣や宇宙人だけ!
タイムスリップして武田騎馬隊と戦ったのも61式でしたっけ?笑
@@green597 確かそうでしたね
BGMは怪獣大戦争マーチ❗
戦国自衛隊だっけ?
宮沢りえにエレーナて名前付けられ花火を打ち上げた。
なにもしなければ失敗はしない
失敗をしなければ進化しない
61式は日本の戦車の出発地として今後素晴らしい戦車をつくって欲しいな
これぞ まことの
Panzer vor…!
そう、絶対に失敗しない方法は何もチャレンジしない事。でも、そんなんで未来は拓けない。
その通りですね。ただ隣国さんは失敗×失敗で+になると思ってらっしゃるようですな。
北朝鮮vs韓国 どちらが勝つ
失敗は成功の元ってね
アメリカ人の戦車紹介で
61式は世界有数の実践経験を誇ると紹介されてたねぇ(敵は怪獣だが)
東宝の怪獣映画でお馴染みですね。
川中島でも戦ってますしね。アレはカドカワ61式プロップだけど。
@@さすらいのアルバトロス ウルトラセブンのマグマライザーの後部キャタピラは61式のプロップから持って来ているそうです。
東宝の奴ではないかと?
@@straker1701 さんへ
マグマライザーかぁ…
めちゃ懐かしいなぁ…
エピソードの件については
初耳であります!
時には戦国時代に遡ったり…
うん、防衛戦専念が基本的な概念だったろうから結構いいできしてるんよな。良く初の国産戦車でここまでの物を作れたもんだ。
その頃は、逆に戦時中の技術者が多かったからね
STA-1とか色々な試作案があってその中で採用されてるからね
帝国陸軍からの技術の継承がみられるから大好き
青春の思い出!61式戦車。
駒門駐屯地での棍棒で戦車帽を小突かれながらの操縦訓練。
前進6段、後進2段。ハイとローのダブルクラッチ。言うことをきかないシフトレバー。硬いトーションバー! 涙と汗の61式。北富士で海兵隊のコブラに20mmガトリング砲で照準されたり思い出は尽きません。北千歳で、74式戦車に配属された時には、61式に比べたら月とスッポンぐらいの差がありました。105mm砲もレーザーもFCSもスタビライザーも油気圧サスペーションも無い61式戦車でしたが、何故か無性に懐かしいです。戦後初の国産戦車!万歳!
クソデカキューポラ😂
某Thunderじゃ大体同世代で世代分けされてるお陰で装甲薄い代わりに意外な瞬発力活かして投げつけたら大概の敵を刺し殺せるHEAT-FSとよそが持ってない測距儀持ってあちこち神出鬼没の忍者みたいな戦車でクッソ強かったなぁ……
面白かったです。ありがとうございました。
批判ばかりで潰してしまう事もなく、時代遅れでも、欲張らず、諦めず頑張ってなんとか使用していく事が出来た時代背景もあったのでしょうね。
ちなみにT字型のマズルブレーキには稜線射撃をした際に稜線の土が砲撃で巻き上げを抑え視界をふさがないメリットがある。
61式戦車と言えば巨大な敵に果敢に戦った戦車
同世代の列強の戦車と比較した場合色々と至らない点は多かったかもしれないが、戦後16年の技術的空白を埋め現在の10式戦車の礎を築いたという点で大いに評価されるべき戦車だと思う。何よりも私が小学生から高校生にかけて陸上自衛隊の主力戦車であった事もあり、個人的にも愛着のある戦車である。
えーっと、61が主力の時に学生という事は今は大体50か60代くらいですか?
ちなみに俺は14です
技術を得るとか冷戦期とかの観点でいけば、日本に無かったら180°くらい陸上戦力の装備内容とかが変わるようにも思えるし、当時は遅れていても今となっては世界トップクラスの戦車を持つに至っている事もあるので、やはり嫌いになるなんて事はできませんね
どの戦車にもいい所・悪い所はありますし、それは性能だけの話では無いと思います
61式含む歴代戦車の開発者の方々には敬意を持ちます
長くなり、申し訳ありませんでした
@@APApenger 御推察の通り還暦過ぎの爺です。14歳の若者が61式戦車に熱い思いを持つという事はちょうど私達の世代が旧日本陸軍の97式中戦車や95式軽戦車に思いを馳せるのと似ていますね。兵器の開発はその時代の人間の英知を結集した最先端の科学技術の成果です。当然日本人として先代の人々が開発した兵器に愛着と誇りを持つ事は当然の事です。願わくばこの61式戦車のように、10式や90式戦車も実戦に参加せず、人を一人も殺傷せずに引退する事が一番幸せな事ではないでしょうか?
@@MrEjidorie
そうですね
実際どうなるかなんて分かりませんが、俺が生きてる間だけでもそうあって欲しいですね
死んだ後もそうあれば一番良いんですけどね
そうです☺️同世代と比して古くさい戦車かもですが(-_-;) 演習終盤とか離脱時に 61の背に乗り移動できた時は天国でした(笑) もう足も腰も痛く 走って離脱なんて嫌でしたから 61戦車 頼もしかったですよ❗
@@シマチビ タンクデサント素敵だと思います。
元自です。昔演習場で操縦させてもらいました。
3速に入れられず笑われた。クラッチの繋ぎが荒くて上から蹴られた。などなど。
いろいろと言われてますが、愛すべき戦車だと思います。
ですよね❗ 接した事もないシャバのマニアこそが うるさいですよね💦 シャバ出てからマニアに捕まり 六一や64小銃のあら探し講釈 聞かされたりしました😱💦 心中で オンどれは 泥の中這ったり 藪こきしたり、雨中でポンチョ被り 銃抱いて 股ぐら固形燃料とかしたりしてから文句言え❗️とか思いました(≧▽≦)
小学校の遠足でこの戦車に乗せてもらい走りました、砲身を覗くと丸い先に外が見えました。昭和30年代の後半の頃です。
いい時代ですね!羨ましいです!
ゴジラやキングギドラと果敢に戦った61式戦車は、名戦車だと思います😅
シンゴジラと戦った10式戦車も名戦車だと思うぞ(震え声)
@@APApenger
10式は名戦車だと思います(確信!)
@@fayamatosoul6418
ネットに出回ってる情報見てもわかる通りに世界トップクラスの性能だからね
現代戦車だからって前後進70km/hは速すぎるって!!(キレてるっぽいけど褒め)
@@APApenger
イタリア人もニッコリ
@@Taremayu-ST
イタリー……確か彼らの国はアリエテだね
なぜニッコリ?(ネタがわかってないんです)
むしろ原爆2発と大量の焼夷弾で徹底的に焼け野原にされ、兵器開発禁止からこれだけ早く"使用可能"程度の国産戦車が出来た事は凄いと思う。
欧州戦線から見れば豆鉄砲の軽戦車クラスのチハくらいしか量産出来なかった国だしね
ブリキの棺からここまで進化した。
まあ一応チヘとかチヌとかチト、チリもあったからそれの技術とかも使っているのかもですね
一番すごいのは砲弾かな
戦時中榴弾砲に換装しても
貫徹力が上がらなかったのは
砲弾が敵装甲にぶつかるときに
ぐちゃぐちゃになることが理由で
根本的な鉄を硬くする技術がない事が
大きな理由になった訳だし
相当な貫徹力を持つように進化出来たんだから
凄い!うん!最高です!
@@kairusakoda5109さん
61式はチトのブレーキ技術を流用したとか言う話もありますからねぇ
61式乗ってました。今でもとても愛着がある。
他に61式意外に乗りました?
自衛隊時代に乗ってました。懐かしいです。
ダブルクラッチは慣れるのに時間かかりました。
外国に展示されているのは、知らなかったです。
まぁ、七日間戦争にも出てますが(笑)
「戦国自衛隊」や「僕らの7日間戦争」とか登場してましたね。昭和の戦車って感じが好きです
武器学校に入校した時、最新式の戦車でした。クラッチの構造が独特でしたね。助教も最初はてこずったようで、
これで演習場は大変だろうなって言っていました。回転半径は4~6mの間だった様におもいます。エンジンは
大変良いと思いました。
61式と74式戦車は日本の戦車製造の技術蓄積に必要不可欠な戦車であったんだろうきっと
彼らなしじゃきっと90式は完成してない。
90式で急に何があった状態な件について
レオ2を参考にした(パクリじゃないよ)んですねわかります
@@APApenger
当時からよく言われていた話ですけどね。
中身はまるで違うし、複合装甲取り入れたらたまたま似てたっていうのが真相のようです。
個人的には似てるようには見えない…
複合装甲は曲げるのが大変。
最新の砲の前では傾斜装甲があまり意味ないし車内が窮屈になる。
というわけでどうしても垂直気味で平面多用するから似たり寄ったりしちゃうんだな。
@@オレ様ボクちん
あれよ、レオ2A4と似てるって話
シルエットは割と似てるハズ
@東方は遠く
ビグザムでは無いんじゃない?
74→ジムとしたらガンダムかな
愛する戦友の動画ありがとうございます。
私の知らないことも色々知れました。
松本零士先生の鉄の墓標を読み戦車兵を目指した私としては駆動系がチト車を参考にしているとは感無量です。
確かに変速はダブルクラッチなどで難しかったです。
新人操縦手の頃北富士から駐屯地に帰る途中下り坂の変速でシフトレバーが弾かれスピードが落ちず危うく他部隊のトラックに突っ込みそうになりました。
車長が気が狂った様に怒鳴っていたのを思い出しました。
部隊に帰り着いた時には左掌の皮がべろんちょ剥けていました。
命中率については総合火力演習時、90,74は一車につき的一つ61は小隊で一つ、ところが90,74より高い命中率をたたき出し富士学校長からお褒めの言葉を頂きました。
その時、私は参加していなかったのですが、その後、帰還した班長に祝いの言葉を述べるとこぶしを握った二の腕をたたきながら「コンピューターより人の腕だよ」と言って豪快に笑った姿にたまらなく頼もしさを感じました。
つい懐かしくなり長々と書いてしまいましたが老兵の繰り言と思いご容赦ください。
61式戦車、懐かしい。
3ヶ月の訓練で戦車の運転を習ったが、まさにこの戦車だった。覚えていることと言えば、ギアが全然入らないこと。特に2速から3速。結局、強引に入れようとしてトランスミッションを壊したことぐらいか。当時は「74式に乗らせろ」とぶーたれてた。隣の第10師団(戦車隊は同じ駐屯地)は74式しかなかった。
T字型の砲塔と丸っこくて小さめのデザインが味わい深くて、日本戦車の中で見た目は一番好き
61式はゴジラなどの怪獣に壊されるキャラとの認識だったね。
実車は隣町の駐屯地から、展示に自走してきて乗せてもらってうれしかったよ。
実戦では使えなくても怪獣退治とか戦国時代で暴れてるからいいもん
私等の世代が子供の頃、戦車の絵描くと砲身の先っちょがT字型になってたのは、ゴジラ映画やウルトラマンに出てくるコイツの影響かと思いますwww 戦国自衛隊(千葉真一主演)にも出てたよね。
2万人達成おめでとうございます!
自衛隊好きとしてこれからも応援します。
射撃精度はステレオ測距儀持ってる分T55より優位で70式対戦車榴弾が配備されたことで初期T62までなら防御戦 伏撃なら撃破できる見通しがある性能が確保できた
だけでも十分だと思います。戦後15年ぐらいならまだまだT34/85あたりが極東でも大量配備されていた時代ですし繋ぎとしては十分だったと思います。
ただ改良しないならもっと早く退役させてほしかったかな。
開発&登場が遅いと分かってても戦後第一世代戦車の開発のノウハウを得たかったからね。
元陸自の戦車兵(61式&74式&90式に搭乗)の知り合いが言ってたのは操縦が滅茶苦茶難しいってのは熱く語ってくれた。
色々と巻き込まれるとかで操縦してる時に腕時計をしてたら駄目らしいもんね…
脳天直撃な動画を目指して頑張ってくださいw
多分どの国の戦車よりも多くの敵と戦った戦車
怪獣王やら戦国最強の騎馬軍団やらと戦ったり、わからず屋の大人社会に反旗を翻した中学生が乗ったり、邦画のスクリーン上をところ狭しと駆け回った名戦車でありました❗
@@五十嵐真一-h6v さん、
カドカワ61式戦車は未だ存命の様で時々映像で見掛けますね。
石原プロの装輪車は解体されたのが残念です。
マズルブレーキが反動を抑制するのは発射ガスを横に逃すからではなく、発射ガスがマズルブレーキを押す=砲が前にひっぱられる=砲の後座する距離が減少する、ということ
またむしろあると横に吹き出した砲口爆風で周囲の土煙が大きくなり、弾着観測はやりにくくなるはず(例えばIV号駆逐戦車ではそれで撤去された)
なお105mm砲や120mm砲では駐退復座機の性能が向上しており、後座距離を減らす必要がないため不必要
そもそも戦車は自動車だから、当時の国産自動車の性能を見たら61式の性能も納得だと思う。
そして現代の日本車の高性能ぶりを見たら10式の高性能も理解出来る。
車はアメリカで産まれました。
日本の発明品じゃありません。
@@あごだし-u4i
その場合、車じゃなく自動車ね。
車(荷車や馬車)なんかは有史以前からあり、誰の発明か分からないよ。
重量物をコロ敷いて動かしてたのが進化したんだろうね。
ちなみにアメリカよりイギリスやドイツの方が先だよ。
【自動車は、18世紀に蒸気機関を用いた蒸気自動車として登場し、19世紀にはイギリスやフランスで都市間を移動するためのバスに用いられるようになっていた。19世紀後半、1870年代から1880年代にかけてはオーストリアやドイツでガソリンの内燃機関を用いた自動車の制作や特許取得が行われた。1896年に米国のヘンリー・フォードもガソリン自動車を開発…】
戦後の日本の歩みそのもの
を物語っていると思います❗
@@あごだし-u4i 歴史的にはベンツが最初という事になっています。
@@あごだし-u4i
なんで自動車の起源主張になってんの?
BGMが鋼鉄の騎士をやりたくなるタイプのパンツァーリート
2001〜2003年ごろだったかな?掩体掘っていたら単騎で射界を横断して行ったのが最後の動く61式の姿。
カブトムシみたいだなあと思いました。
角川映画「戦国自衛隊(千葉真一主演)」で唯一戦国時代へタイムスリップし、最後は燃料切れで沼へ遺棄される気の毒な戦車。
しかし戦前のチハやチトと比べれば段違いに進化してますがね。
自衛官が村人の娘をさらう(強姦する)シーンが問題となって戦車借りれなかったので、戦車は映画スタッフが制作したそうです。
欧米露の戦車はもっと進化していたけど。完全に1世代遅れた戦車。敗戦国として、武装放棄を面に出しての、装備だからいた仕方ないが。
二万人おめでとうございます🎊
投稿待ってました!(^^)!
ありがとうございます!!!
やっと出せました!!
また頑張ります😃
ゴジラとかの怪獣ものの特撮でボカボカやられていた印象が強い。
いざという時に弾の補給を米軍に頼る可能性があるから105mmは無理だったよ。空冷ディーゼルや排気系のレイアウトに旧軍の戦車からの継続性を感じる。原乙巳氏が依然、戦車開発に影響力を持っていたのかも。ところでこの90ミリ砲はタイガー戦車の88より強力だからなんか不思議な気がする。
105mm砲があってもそれに耐えられる車体や砲塔が造れなかったかもですね
それに重量制限が厳しすぎる...M60が50t程度なのを考えると
でも74式は105mmでも38tなのか...
意外と軽い
@@sato_u2898
走行がペラいんでしょ(雑)
@@APApenger
装甲の話なら、74式は防盾や砲塔正面はM60と同等クラス、車体前面はレオパルド1以上の装甲だけども…
@@オレ様ボクちん
なっ……なんだと?!
マジでなぜそんなに軽くなったんだ……
日本の技術ってスゴーイ
お久しぶりです!
待ってたんだよぉぉぉ
内容がある良い動画で勉強になった。飛ばし見もしない、できないほど引き込まれた。
お久しぶりです!61式いいですね!
実戦は無い。
しかし『映像』の中で僕らを楽しませてくれた『名戦車』
いや、当時は『タンク』と言われてたか?
懐かしき『昭和』に乾杯✨🍻🎶
61式戦車と言えば「陸の王者、前へ!」
61式戦車といえば「僕らの7日間戦争」
子供達が戦車に乗って思いっ切り大砲やマシンガンで暴れてほしかった 映画なんだからトコトン突き抜けてほしかったです。
蒸気機関車と同じで、いうこと聞かないじゃじゃ馬だけど、コツをものにしたときはピンとくるような戦車だったのかもしれない。俺たちが動かしているんだ!ということを実感できる戦車だったから、愛されたのかもね。
補足として、61式のような動力配置は「パワートレイン」と言います。
シフトの難しさは、当時米軍戦車部隊がキャンプ富士に駐屯していたとき、試乗したアメリカ戦車兵が増速できず、自衛隊戦車乗員のことを「ゴッドハンド!」と言ったとか。
ちなみに当時の最新鋭、74式の姿勢制御を見て「ニンジャタンク!」とも語ったそうでw
しかしながら時期は違いますが、F1ドライバーの中嶋悟さんだったかな?が試乗した際は、簡単な説明だけで乗りこなしてしまい、さすがはプロレーサーだと自衛隊側が感嘆したとか。
ダブルクラッチ、中間ガス、失われたテクニックですね。
そうです、中嶋さんです
一発で増速したときは感動を覚えました。
現役でも触らせてもらえなかったDrもいますからね、61は74に慣れたDrじゃ無理です
@@金たまたま-k1h
逆に、90しか知らないDrは74は乗れないとも言われますね。
時代の変遷ですな~
はい はい
大丈夫でちゅよ-😊
中学生になったときに、正式化されたのだが、
当時の三菱重工(名前はちょっと違うはず)下丸子工場(今のキヤノンの隣)にあって
多摩川の土手の上から、見たものです。
61式戦車は出てくる時世が悪過ぎた迷兵器に分類されるが、旧陸軍戦車からの空白期を乗り越えて次の74式戦車に繋いだ中継ぎかつ、戦場ではなく映画で活躍した他、何よりも戦わずにして退役したという兵器にとって最も幸せとも言える最期を迎えた。
四式中戦車の技術が生きて、砲はアメリカ。そして、戦争は経験せず。何か非常に心温まる車輌ですね。ありがとうございました。
配備時には既に旧式化は不運だが
コンパクトに納めたのは良い判断だったと思う
1964年公開の東宝映画
モスラ対ゴジラに初登場
その後は怪獣大戦争とか
サンダ対ガイラ等で活躍
伊福部マーチのBGMも
相まって印象深いです!
お釈迦にする→溶接の失敗→火が強かった→訛って、しがつよかった→4月8日だ→お釈迦様の誕生日だ🎉もひとつ鋳物屋さんが地蔵作るのを間違えてお釈迦様を作ったなどの言い伝えがあります(^^;)あと61式のギヤチェンジはほんとに難しいらしく74式と90式を操縦した事のある自衛隊の方が試乗した時に1速→2速に弾かれてシフトアップできず止まってしまったと専門誌に書いてありました。とても楽しい動画ありがとう👍チャンネル登録しました!
@Pond _ さんへ、ソ連のT-34みたいですよね!そこからの進歩は素晴らしいと思います。
それまでの日本戦車の開発史の挫折と悲哀を知ると涙が出るような戦車
超信地旋回は今ではコンバインでもできちゃう。ヤンマーでは「その場旋回」って言ってますね。
当初、装甲を薄く設計していたのは「せめて一矢報いたい」という大戦生き残り組の無念から攻撃力>防御力となったとか、どこかで読んだことがあります。
しかしいざ作ってみると「これでは鉄の棺桶だ」と…
大戦中の経験や反省もいろいろ詰め込まれた戦車だったのでしょうね。
元乗員です。
これで免許取りました。
ただねぇ・・・操縦手泣かせの困った戦車で
変速がエンジン回転数に合わせて
変速しないとチェンジレバー弾くんで
物凄く運転し難い戦車でした。
変速はダブルクラッチを多用した記憶が
逆を言えば61式を完璧に操縦出来る人は
何でも乗れますね。
当時、戦後の反戦運動で火力の高い兵器が作れなかった。おまけにドルも360円で国民も貧乏な時代だった。61式はよくゴジラに踏まれた。でも技術者の努力と執念でようやく出来上がり反響がすごかった。日本の戦後の傑作品だと言っても間違いとは言えない。
私のような世代にはずっと心に残る戦車です。子供の頃に見た怪獣映画や特撮ドラマなどで(やられ役ではありましたが)勇敢に怪獣に立ち向かった雄姿は、空のF-86やF-104と共に目に焼き付いています。
友達の90式の元戦車長の話だと、61式戦車の命中精度が良いのは戦車だけでは無く、61式戦車と共に過ごして来た熟年の老兵達の感と経験によるものだと言っていた。
彼らが74式で演習をしたら若い連中には敵わないが、61式に乗り換えると本領発揮していたらしい。
つまり、熟年者達にとっては61式戦車は勝手を知った仲間だったという事だね。
初弾が弾着する前に次弾を装填する装填手もいましたし、てかそれを追求されていた時代…
初弾弾着前に修正量を割り出し、次弾装填時の動揺を嫌う砲手とか、標的の足だけを狙い撃つ砲手とかいましたね~
人間FCS~
2万人おめです!
昭和60年~62年の一任期だけですが、駒門の第1戦車大隊にいました。
マニュアルでタイミングあわせないとクラッチ踏んでもギアがはいらない。舗装道路を走行するときはキャタピラ一枚一枚にゴム坂をボルトで取り付ける手間が大変でした。
機銃はきゃりばー30・50と呼称してたっけ。
いろいろ懐かしいな。
操縦時、腕時計はしないようにしてたなぁ。
そうそう。ぼくらの7日間戦争にも登場してたね。
おつかれさまでしたー
なるほどなー!
げーむで出てくるよなー
あと、ゴジラいっぱい
倒したなー
昔滝ケ原駐屯地に勤務してた時、東富士演習場で74と一緒に射撃等訓練してるの良く見たけど、いかにもタンクって感じでした。
因みに当時富士学校に有った戦教は74も多かったみたいだけど駒門の1機甲は61の方が多かった様な気がします。
又戦車の後方を車で走ると荷台に居たらキャタピラでまきあげた砂煙が大量に入って凄かったです(笑)。
豆戦車から出世した戦車ですねぇー日本では戦車じゃなく特車ですね?
90年代の中ごろでしたか習志野駐屯地の桜が満開になり一般開放した日に行くと61式戦車が置いてあり泥除けをトントン叩くと雨戸みたいに薄い音がし、横の傾斜装甲を叩くとベチベチ硬い音でした
ソ連軍戦車は初めの1発は必ず外すとか言われた時代があったねぇ、
それに、61式は戦後、日本で戦車開発を再開した初モデルだったから致し方ないかな、戦前の設計を見直したとも何かに書いてあったし。初弾、一発必中だよ。
スタイリッシュでカッコいいと思います👍
ゴジラ、モスラの的。
90が使徒の的。
子供の頃に町の祭りにゴムキャタ履いた61が来て乗せてもらったのは良い思い出。
とても面白かったです、ありがとう👍
コイツもそうだけど第一世代主力戦車の形好き、戦車してて機械って感じが凄いする。
確かに至らない点もあれば不備もあった。だが、ポンコツ戦車と言われる筋合いはない
思い切って、小型の戦車を国産化している事が凄いなぁ👍T55がライバルなのに不思議です❤️
ヒント:鉄道輸送
ゴジラ映画に出てきては「ポーンッ!!」っていう甲高い主砲の発砲音が印象的でした
親父の同期がブルーインパルスの機種変換の訓練で殉職しています。
私の世代では特撮映画だけでなく武田騎馬軍団と戦ったり、工場跡地から出て来て中学生が乗り回したり、芸人相手に色々とやってたイメージですね。
あと、知り合いに61式→74式→90式と乗り継いだ方が居ますが、61式は色々と大変だったが、面白い戦車だと言ってましたね。
「ぼくらの七日間戦争」
「戦国自衛隊」
この作品に登場して最も有名で、そして最も愛された戦車です。
こう言う無骨っぽいスタイルが……
なんか、いい!
61式は、対ゴジラ用に造られた国産戦車でしかないよね(苦笑)
兎に角、思い出深い戦車です。
駒門駐屯地の一機甲教育隊で大型特殊の免許取得のため乗りました。
前進6段、後進1段プラス格段に高と低の切り替えがあり
ダブルクラッチには、苦労させられました。
シフトレバーが暴れて、入らず白蝋病になるんじゃないかと仲間と噂したものです。
その後に、7師団7戦車大隊に配属されたときは74式戦車でしたので
61式のトーショバーと74式の油気圧サスペーションの違いがよくわかり勉強にはりました。
FCS, CBR防護装置、105mm 戦車砲、ルビーレーザー側遠機、砲安定装置、ターボ等の無い61戦車でしたが
東富士で、操縦訓練中に米海兵隊の対戦ヘリのコブラに見つかりホバリングしながら20mm砲が私の方に向けられた時の思い出は、いまも鮮明に思い出されます。
冷汗物でした。
今回の、数十年ぶりに61式戦車に再開できて最高です。アップありがとうございました。
私は操縦手として乗ってました。夜間戦闘が出来無いとありましたが、私の時は赤外線照射装置と赤外線ゴーグル付ければ夜間移動はできてましたし、夜間の走行訓練とかしてました。餅の論。ゴーグル無しの目視夜間操縦も富士の2合目両脇崖道を走る訓練もやりました。夜間射撃はした記憶があるんですが・・・・呆けたかなあ。覚えてね~w シュノーケル付ければ、水中移動も出来ます。あだ名は「鉄の棺桶」。ギアは五速位有ったかな。そして高低の切り替えがあるので、実質10速だったかなw なかなか出す所が少ないのですが、45km出すと慣れててもさすがに怖わい。最高速度出すには、苦も無く5速高まで持って行く腕も要りますw まあこれ乗れるアメちゃん居ないと私も聞いています。大隊長車の操縦手として新車に乗らせていただきました。新車なので下手打って「ギャン!!」と1回鳴らしてしまい、暫く回転数が高くてギャを入れられず、大変お優しい駐屯地司令で大隊長である車長から「前へ」というお叱りを受けた事が良い思い出です。新車はギャが固いのよ。あれから34年経ってますが、今でも操縦方法は忘れてません。戦車に乗ったら目の色変えろ!ですから。シフトレバーの反動は下手だと腕を骨折する隊員も居ました。最期に74に乗れなかったのは残念。無線にハングル語入れてくるのは怒りしか無かったなあ。今はチャイナ語もあるんでしょう。今は露の侵略と虐殺行為で、自衛隊も出動待機命令が下ってるでしょ。厳戒態勢になって隊舎へ箱詰めで大変でしょう。自衛隊の皆さんごくろう様です。
61式戦車は、同じ年
現物が、間近で、射撃した瞬間を、見てました
中々の轟音です
因みに自分は、普通科ありがとうございます
四十年前自分は、一等陸士
七四戦車に、追い掛けられた思い出も有ります
もちろん演習での一コマ
当時北海道は、最前線
自分は、釧路駐屯地に、勤務して居ました
今時分の話ですが、穴に入って前方監視、キャタピラーの音で、全力疾走
懐かしいです
鉄道で運搬運用するから
トンネルに通るよう作られているから仕方ない。
アメリカの艦船と同じだよね~
鉄道トンネルを貨車に載せて通過できるように設計された…が!
新たに発発(発射発煙弾とも発煙弾発射筒とも)を溶接したら、寸法がオーバーしてて、トンネル通過したら片側の発発が全車両落ちてた…なんてこともw
とても良く出来た動画でしたヨ!!
43年前に乗りました
M41 61式 74式
61式は隊員を厳しく育てた感じがします。
ほんとイラストやの使い方が秀逸w
私は産業機械メーカーに勤務して居ましたが、開発段階での、スペック要求過多はコストアップとクレームの元です。何事もほどほど
腹八分目が地味ですが
賢明な選択なのです。
砲塔後部の抉りはSTA-1案とSTA-2案で比較検討した際の名残なんだね。
怪獣と戦うのは自衛隊の伝統だけどよ!「桑原曹長」w
おおひさしぶりぃ~
しずかちゃん笑ったw
戦争を想起させないために付けた「特車」って表現好き。
いまではレイバーの呼称ですね♪
ちなみに、砲兵のかわりに特科となりましたが、特車の部隊と間違えられることもあったそうで…
特殊車輌の略称かと
判断する次第です!
61式中戦車は、ワイの一番好きな特車やねん。ポンコツ言うたら“耳の穴から指突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるでえ!”(by時次郎)
61式…ゴジラうっ頭が
61式……装甲……うっ、頭が
61式...戦国...うっ、頭が
昔、うちの近くの多摩川の川辺に三菱特殊車両の工場があって61戦の砲塔の無い台車部分を作って試運転をしているところがあったので良く工場の外から見物していました。
「モスゴジ」の61式は、当時発売されて間もない相原模型製作所製・1/15・金属&一部プラ製キット(試作型STA―4/1964年発売/¥4950円)を使用しています。中ロングシーンで走行しながら発砲している車両はキットをストレートに組んだものですが、アップシーンの走行砲撃車両は操演上の関係からか、相原製ボデイのみを「空の大怪獣ラドン」で東宝美術部が製作したM24チャーフィー(通称・東宝チャーフィ)に被せたタイプになっています。(その為に接地転輪数が実車より1個少ない5個です。) またゴジラの放射能火炎での炎上シーンには、日本ホビー製(マンモス戦車シリーズ)・1/20・プラモデルが使用されています。尚、相原製61式はこの後も、映画「怪獣大戦争」「フランケンシュタイン対地底怪獣」(落とし穴に落下)「サンダ対ガイラ」他やTVドラマ「ウルトラQ」(甘い蜜の恐怖)「ウルトラマン」(怪獣殿下 後編 他)等、長年に渡り使用されました。
怪獣映画には61式とF104とメーサー砲はお約束で欲しいところです。
動画の中で74式と並べられて展示されているのは、すぐ近所の陸自駐屯地かな?毎年駐屯地祭りの時によじ登って見てます。あの煙突みたいな砲口が大好きです。
高校の時に駅のホームで待ってると何回か貨車に載せられた61式が通って行ったなぁ🎵
まぁ開発から実戦配備して直ぐに旧式化してるからボンコツ呼ばわりされたのは無理も無い…なにせ登場したら仮想敵のソ連はT-54/55を開発配備してたから…西側もL7 105mm砲が標準戦車砲になってたし。
s55年にこれでもで免許証ととた、懐かし
戦国時代に行けるスーパー戦車