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深い洞察力、本当に素晴らしい内容で感動しました!!!
MTRでコピーアンサンブルして楽しんでます。その昔、ラジカセ2台でピンポン録音していた頃を思えば、電子機器の進歩(しかも安価に入手出来るようになった。)には感謝しかありません。昭和のヒット曲やアニソンや県民しか知らないローカルCM曲が多いですが、近年の曲だとあいみょん「マリーゴールド」がお気に入りです。今の曲も捨てたもんじゃあないです。演奏参考資料はRUclipsです。すみません。
素晴らしい考察です、納得しました。私も昭和48年生まれ、バブル期を中学高校時代過ごし、今の流行りの音楽に同じ意見を感じてました。なんか今まで腹に落ちてなかったつっかえたもんがスッとなくなりました。
とても納得できる内容でした。学生の自分が、昭和2、30年台の曲を好む理由がわかった気がします。
同じ時代を生きてきて、なんとなく感じていたことをバッサリ解説されてとても納得しました。以前のビッグバンドの生演奏の入った歌謡番組では、同じ曲でも毎回アレンジが変わります。贅沢な時代だったんだなと思いました。
大学に遅く入ったんですが、平成生まれの現役の子達の中に中島みゆきや大瀧詠一などが大好きというのがチラホラいてびっくりしたことがありました。音作り、歌詞、聴く環境、生活の変化…一つ一つの考察が↑の理由を丁寧に説明されているようで非常に納得でき楽しんで聴けました。昭和歌謡ってのは今の基準で考えるととてもお金をかけて贅沢に提供されていたんですね!そういえばモーツァルトの時代まで遡れば、後に天才と呼ばれる戯曲家が作詞、作曲家が作曲、自身で指揮を振って生演奏、ホールで聴く、さらに生PV(という言い方は完全に間違いだけど)の劇付き、っていう贅沢だったんですよね?ラップやヒップホップのくだりからも、もしかして音楽はその構造やそれを取り巻く範囲が少しずつシンプルになっていってるのかなと考えたりもしました。平成のポップスは苦手だったのですが、令和に入ってからは逆に、いいなと感じる曲や頭に残る新曲が増えてきたように感じています。周りの昭和生まれでも同様に感じている人が少なくないようで…何かまた面白い変化があったんでしょうか?もし直近の歌謡曲について解説動画が出たら、と楽しみにしています!
ご視聴ありがとうございます。平成のポップスよりも令和に入ってからのほうが良いと感じるというのは、やはり米津玄師やあいみょん、ヨルシカとかの影響でしょうか。確かに少し前の大合唱アイドルグループよりも聴きやすいとは思います。でもやはり令和のミュージシャンたちも、才能ある「原石」だと思うんですよ。それを磨いて光らせるアレンジャーやプロデューサーが、今の時代はいなくなってしまったと思います。昭和歌謡も全てが良いわけではありません。駄作もありました。聴くに耐えない曲だって数え切れないほどあります。でも、やっぱり生演奏、それもストリングスやブラスなどを思いっきり使えるというフルバンド体勢というのがとても効いているんだと思います。
@@akiyamakimiyoshi ご返信まで頂けて嬉しい限りです!教授のお話を聞いて、「令和でヒットした曲を昭和歌謡曲的手法でリメイクしてみた」みたいな企画は楽しそうだなと感じました。途轍もなくお金がかかりそうな上に短期的な収益を得られるか微妙なので、TVはもちろん誰もやりませんねきっと笑非常に勉強になりました。ありがとうございます!
時代は流れても、音楽は「嗜好品」ということに変わりないし、「国境はない」という事実も変わらない。それぞれが好きな音楽を、好きな環境で、楽しめればいいんですよね。高校時代に吹奏楽やっててよかった~!いい勉強させていただきました♫
あっという間の30分でした!今につながる音楽シーンの流れについて、これほど納得のいくお話しを聞くのは初めてでした。製作サイドでの事情などについても、専門家ならではの考察を画像や音源なども随所に使われながら、本当に分かりやすく聞きやすい語り方でご説明頂きまして、本当にありがとうございました!あまりにもそうだったのか!と思う話で何か感動してしまいました!秋山先生と言えば私のようなクラギ系の街のギターのせんせいにとっては最高のアレンジャーのお一人で、先生のアレンジされた楽譜にどれだけお世話になっているか分かりません。思い付くだけでも「想い出の渚」「贈る言葉」「いちご白書をもう一度」「花嫁」「SWEET MEMORIES」「この空を飛べたら」(最後の曲はアップもさせて頂きました)etc...今回のような本当にためになるお話しも含め、本当に感謝しております。長文失礼いたしました。
昭和30年生まれです、全く同感でした。クラシックのように博物館として選べる時代は気が付かずだったので希望が持てました。
ここ数年、また流行歌が生まれるようになってきたと思います。
非常に説得力があり解りやすく学べました。ありがとうございます。
今は恋だの愛だのヒット曲の世界観が狭くなりましたよね。たまに阿久悠の特集とか見ると歌詞の多様さと深さに驚かされますもん。今の歌もそれなりにいいものがありますけど、それなりなんですよね。
悲観的な動画かと思ったけど、最後の締めで気持ち良かった
価値観の多様化が閾値を超えた様に思います. 音楽に現を抜かしてる市況でなくなったのも大きい. 音圧論は眼から鱗. R.StraussとH.Berliozの総譜の差などに想い至りました.
素晴らしい考察と解説です!! これ無料で聴けるなんて、とんでもない時代だなぁと思いました。
何をもって流行歌と位置付けるかわかりませんが、世界的にヒットしたアニメのテーマソングなんて、世代や国籍を問わず聞かれてるし歌われているので現代においては少し当てはまらないかもしれませんね。2000年あたりは、インターネットが徐々に普及をしてきて、テレビやラジオを中心に情報を得ている世代と、ネットを軸に情報を得ている人でそれぞれ流行っている曲が違っていて大ヒットが生まれにくい状況になっていたのはあったかもしれません。しかし、ここ数年はおじいちゃんおばあちゃんから小さな子供まで、ネットを使う時代になりまた流行歌が増えてきている気もします。(ネットで流行った曲が地上波の音楽番組でカバーされたりしています)
自分は単に共感されない曲は流行ら無いと漠然と思ってました現在の曲にスケール感、豪華さ、歌詞の凄みを感じる事が少なくなりました一方でAKBのフライングゲットやあいみょんのマリーゴールドは好きだし流行歌だとも思いますどんな作り方であろうがその時代に生きる大多数を共感させる力が曲にあればヒットするんでしょうね。
私まだ30代なので秋山さんに比べると全然若造ですが、とても納得しました。高音圧化の流れは問題視されてて、先のコメントでもありましたが欧州勢がコンテンツの当ラウドネス化を進めようとしていますね。本当は公共放送であるNHKがこのへんキチンと先取りしてくれればいいのですが、、、最後にすこし触れられていた、ながら聴き文化への変遷もあるでしょうね。本当に音楽に関心がある人は、音楽を聴くとエネルギーを使ってしまうので、ここぞという時にそれなりの環境を整えて聴かないと大変なことになります。(ものを落としたりとか、事故ったりとか笑。音楽に限らず、どんなことでもそうです。)ながら聴きは音楽そのものと言うより、音楽が流れてる雰囲気を楽しんでいるように感じます。そうなれば、音楽性は希薄な方がいい。テレビつけっぱなしで見ないのと同じですね。音楽が希薄になったからながら聴き文化になったのか、あるいはその逆なのかは難しいところですが。あと、余談ですが、イヤホン、特にカナル式のイヤホンが長時間しない方がいいです。耳の中にカビが生えるかもしれませんので。
凄い深い考察、ありがとうございます。感動しました。
売れないのは、過去の凄い演奏がRUclipsで膨大に聞けるからです。それら膨大な曲も1万分の1も聞く時間はありません。そうなると外れの多い新曲なんか聞く時間はありません。膨大に蓄積された名曲たちを凌駕する新曲が出る確率は限りなく0です。
分かりやすい考察ありがとうございます😊流行歌が全員製作時代の賜物だったのも納得です。売れる歌が流行してるとも限らなくて、バロメーターにならないですね。。
とても面白い考察ですね。私としてはポリティカルコレクトネスのせいだと思ってます。例えば、昭和のアニメで再放送禁止の物があります。差別用語やダーティなやり取りなど、タバコや酒を不健康的と非難し、暴対法などで「人として感心出来ないこと」を遠ざけたので、大衆の心の中から人生の営みとしての共感、話題性を生み出す元ネタが失われたのです。少子化の原因だとも思います。ソレらをことごとく禁止したら、「頭の中で想像した汚いこと」つまり、予定調和の世界観から生まれた文化が幅を効かせ、それらの価値観の中で成長した子供たちは、枠からはみ出ることの出来ない家畜に育った、と思います。教育現場で教員が性犯罪を犯す、なんてのは「其処が世界の全て」という感覚の持ち主だから、他の世界が怖いからです。家畜は「キチンと出来た、根拠が伴った」(平均律の退屈さ)作品で、同調圧力の批判から保身を計ります。これが、現在の日本の硬直化の完全な説明です(自信たっぷりに断言☺️👍)私は昭和のアニメの歌が好きで、ゲッターロボとかキューティハニーとか、あの演奏はスゴい。ガンバの冒険なんかは超ド級ですね!
御回答感謝です。純正律&平均律の頃よりフォローしています。いずれにせよ自分の幼少の頃からの調弦(ギター&ピアノ)に関する疑問にアプローチしてくれて感謝です。C, G, D and maybe Eで調弦した安ギターは、それも5フレット以上でなければなんとか聞ける、の理由が貴殿のこのサイトで+対数関数のおかげです。では次回のアップを期待します。
今回はラジオ深夜便のようで要所要所に「あ、なるほど」と相槌を入れながら聞きました!80年代はアイドル歌手のバックに生演奏があり、長めのイントロを聴かせてくれた。テレビを見てる我々もカウント取って、歌う気持ちを高めていた…それが 今は無くなったのか。人間は十代のある時期に聴いた音楽がずっと好きな音楽になるという話を聞いたことがありますが (女子は11~13歳とか 男子15~17歳だったか…男女でやや違うらしい)平成世代の好みの音が不思議な方向にいったと感じるのは、生の音を聴かなくなったり映像に気を取られて音を聴こうとしなくなった ことによるのですね。今朝は「題名のない音楽会」という番組で一般人がオーケストラと共演する企画を観ました。チューバ奏者の女子中学生が 夏の夕焼けのような音を鳴らしていました。こんな若者も居るんだ!聴かせてくれてありがとう!番組企画 (夢響) ありがとう!と拍手した。
悪く言えば消費サイクルの早いアマチュアだらけの雑多な世界ですが、良く言えば回転率が高く、多様性に溢れた選択肢の多い世界とも言えますね。ラウドネスウォーも下火になってきましたし、若い人は過去の音楽に縛られることなく、カネやコネが無くとも世界に発信できるという現代の利点を活かしてどんどん面白い音楽をつくってほしいと思います。
RUclipsにある過去の膨大な名曲を凌駕する音楽を作れる人はいないだろ。しいて言えば、藤井聡太くらいか
自分は「流行歌」の定義をリンゴの唄からlemonまで(或いは東京ブギウギからU・S・Aでも良いですが)と広義に考えているので、非常に違和感を持ちつつ視聴していました。でも最後まで聞くとちゃんとオチはあるのですね。納得しました。自分は民主化が突きすすむとや「流行歌」のような共同体や、世代を横断して共鳴するものが成立しにくくなると考えています。
とっても興味深いお話ありがとうございます!説得力があり、とても納得のいくものでした。そこで秋山さんに1つお伺いしたいことがございます!ジャンルの多様化という面ではどうお考えですか?最近の学生は友達それぞれ聞くものが異なると聞きます。私は、ジャンルが多様化しすぎて=人々の好みがそれぞれな為、流行歌のようにみんなが好きな曲ができるということが無くなったと考えることがあります…。
なぜジャンルが多様化するのかは私も考えたことがあります。これは何かで読んだんですが、新しいジャンルを作れば、自分はそのジャンルのパイオニアであり、トップの座に躍り出ることができます。たとえばハードロックと言えばレッドツェッペリンやディープパープル、ブラックサバスかもしれませんが、ヘビーメタルというジャンルを作れば、先の3つのバンドとは区別されます。以下、デスメタル、ハードコアなどいろいろです。ジャズだってスイング、ビバップ、ハードバップ、モード、モダンと分かれていきましたが、この時代はまだ新しいジャンルを作ってそこの中で一等賞を取るという考えは無かったでしょう。だからジャズが末期になった時に何がジャズで何がジャズでないかで揉めてたらしいです。ただ、現在ボヘミアンラプソディという映画でクイーンが見直されているように、どんなにジャンル分けして新たな土俵を作ったところで、メロディ、ハーモニー、リズム、音色がしっかりしている音楽はやはり皆が聴くと思うのですがね。つまりはメロディとハーモニーが軽視されすぎてしまっているのが大きな問題だと思うんです。
秋山公良 やはり根底はメロディーやハーモニーが軽視されている、というところなんですね…。実は自分自身、音楽の専門学校を出て今でもバンドや作曲をやっていてとても気になっていたものでした。改めて本当にありがとうございます!
いろいろ納得ですが…「生楽器」は別の形で生きていると思います。歌詞は「魔女狩り」を乗り越えて進むしかありません。音楽史の中で「録音した媒体を聴く」という形態が、音楽と共に生きてきた人類史の最低数万年間のうちたかだか「ここ最近100年間の特殊な出来事」だったんじゃないか、という誰かの言葉も思い出します。技術や経済のあり方の変化と共に、音楽のあり方もかなり大きく変わっていってしまうものなのだなー…と思います。たとえ「ここ100年間の特殊な出来事」だったとしても、生まれた時からそれがあって、それで育った世代としては、寂しい限りです😢
メディアが増えたことにより、好みの音楽にしか接しなくなったとは思いますね。お笑いしか見ない人、スポーツしか見ない人、アニメしか見ない人…、自然に音楽もバラけてしまいます。情報として入ってこないというか。まぁこれも、順番が違うかもしれませんが。
いやー、面白かった。知らなかったことも、たくさんあった。ありがとうございます。それと秋山先生、以外にいい声しているなあ。新しい気付き。「みながわおさむ」を「みやがわおさむ」と読んだのはご愛嬌(笑)。
今の中学生、20年前の私の世代の曲を友達同士で歌うんですよね。私の頃そんなことしたら「古いww」とバカにされるか、おふざけですよ。大人になって上司に合わせる選曲をするならわかるんですがね。つまり、カラオケ=「80,90年代のヒット曲を歌う娯楽」という定義付けになるのかもしれませんね。
アイドルのCD曲がペラペラで煩く感じるのは音圧のせいだったのか…面白かったです。
USA!!USA!!平均寿命がのびたというのは?ヒトの脳機能の問題とかは?流行歌とは?
この「音圧」は、その昔のラウドネスとは違うんですか。あと、最大音圧で再生した場合の音は、エコライザーを全域にわたり目一杯あげたときの音と似通っていますがどうでしょう。ご回答願えればと思います。
ラウドネスという機能、ありましたね。僕の高校時代に使っていたサンスイのコンポにも付いていました。基本的にはラウドネスは高音と低音を増幅して小音量でも迫力ある音にするというもので、あの時代には音圧はたぶんいじっていないと思います。現代の機器であれば同時に音圧も操作するかも知れません。イコライザーで全域を目一杯あげても確かに同じような効果が起きますが、そうすると最悪の場合音が歪むと思います。エキサイターやコンプレッサー、リミッターはうまく使うと歪まないギリギリの所まで音圧を上げることができるんです。耳にはキツイですが。
国連、文部省推薦みたいな歌ばかりで、「三分間のドラマ」なんて、死語ですね。最近、作詞、作曲、編曲家の作家性など皆無。求めるものは何でしょう。その時代の名曲をアナログな制作法でききたいです。
最近は音楽で薄利多売してるように感じます
言いたいことは分からないでもないし、昔の人の気持ちも汲んであげたいけど、ちょっと思想が強すぎるな
おっしゃる通り。ここで言われていることは頓珍漢というわけではないしある程度一聴に値する意見ですが、偏った視点から要因の一つをピックして針小棒大に語り、それのみに全てを押し付けてしまっています。楽曲がチープになった理由のひとつとしてシンセサウンドの登場が挙げられていますが、コスト削減なんてのはたまたま作り手の目的にシンセが合致しただけであって、カルチャーとしてシンセが作り手に歓迎されたのがはじまりだし、シンセサイザーの登場はまた新たなジャンルを沢山作りました。それを無視しては片手落ちです。コスト削減は理由の一つですが、かつての編曲家たちが色眼鏡を外せずにそれを使いこなせなかったのも大きな理由の一つでしょう。最新の楽器に果敢に挑戦したマーヴィンゲイや、しっかりと自分の世界に取り入れたマイケルジャクソンを見ないふりすることで、自分たちの実力不足から目を逸らす事ができるんですね。アマチュアが登用されるようになった部分に対しても自動化によって素人が作曲家気取りできることに論を集約させてますが、バンドブームのことには一切触れられていない。編曲家の仕事を奪った理由には自分たちで楽曲を制作し、またオーケストラアレンジなどを必要としないバンドマン達の登場も大きい。ここに目を瞑ることで「私たちは音楽を知らない素人に仕事(音楽)を奪われた」という論を完成させてしまっている。かつての編曲家は素晴らしいですが、バンドマンには彼らにはない新しいアレンジ技術と演奏力がある。それともバンドマンもオーセンティックな楽典を知らないというところだけ切り抜いて素人扱いしますかね。歌詞に対する考察は正直見当違いの方が大きいように感じますね。抽象的な論としてはわかる部分もありつつ、愛とか翼とかのセカイ系歌詞は演歌の延長に一端をおく、90年代後半から00年代の文脈。むしろ東北の震災は広すぎるセカイ視点のファンタジーに浸っていても現実はここにあるという転換点だった。海外のトッププロではバンドマンやDAW作曲から始まって、それらをシンフォニックやジャズやらなんやらとハイブリッドに融合させたり、プロデューサーによるアレンジの妙が出ているし、日本では単にかつての編曲家が新しい音楽の武器をとりいれられずに没落していった(だからアマチュアが台頭してきた)面の方が残念ながら強いと思いますね。差別の話なんかはいかにもという感じ。クレームに大きなリスクがあるのはその通りではあるけども、普通に差別はダメだろっていう。日本でもここ数年はこういったうねりの果てに素晴らしいアレンジメントの楽曲がチャートのトップを飾る事が増えた。大衆の規模そのものが小さくなったのは事実ではあるけど、音楽的大衆の平均的ピークが90年代〜00年代前半だったことを考えると反論には弱い。音圧とライヴの話も、、、人間の耳は80dbあたりを境にリミッティングがかかるようになってるので、それを超える大音量では原理的に音は平面的です。それでも現場が支持されるのはそこが一回きりのアトラクションだからです。音楽の売上が減っているのはデータで聴けるからです。イヤホンが増えたのもデータをポータブルするためです。そのアンチテーゼとして最近はまたレコードが売上を伸ばしていますね。結局現象を語るにはバイアスを外して奥の奥まで見ないといけません。
素晴らしい解説です。20年以上音楽がつまらなくなったのは、昭和の音楽を知っているからですね。最近の歌は楽曲付きのお経のようです。
そうなんです。半世紀もの時代、音楽の変化をこの目と耳で確認してきたわけです。いわゆる生き証人みたいなもんです。
そういや、中学の娘に、ステレオ買ってやるからヘッドホンやめてスピーカーからきけっていったら、真っ向否定されました。置き場がない、邪魔、音がうるさい?!いやいや、部屋8畳あって狭くないだろと。今の子はヘッドホンが当たり前なんですね
作り手の,聴き手の「好みの問題」で片付くのでは。
娘とカラオケとかいくと、凄い音痴なんですよね。音圧世代だなあ~って感じます笑 そんな世代が作った騒音みたいな曲をよく聞かされます。でもこんな高尚なお話を聞けるのは、逆に今の時代のいいとこかもです。なんか新しいものが出来るといいですね。
そんなことおっしゃらず…娘さん上手いと思います、知らんけど…親御さんとカラオケいくお子さん、素晴らしい親孝行な娘御さんですよ!
ダイナミックレンジ。
皮肉だなぁ
才能のない人が増えたのもあるまあ、とても造詣の深いよい考察であった。大義じゃ、褒めて遣わす。
才能は、あるけどそれに聴衆がついてこれないだけ将棋や野球は凄い人は、すぐわかるから評価されるけど音楽は凄い曲作っても理解されない凄い曲より単純で分かりやすい曲がうれるから才能関係なし 才能より顔とスタイル
いくつか指摘させていただきます。 まず、スピーカーとヘッドホン/イヤホンのどちらが良いかは環境や製品の質によりまちまちです。80年代、そして90年代でも未だヘッドホン/イヤホンはスピーカーで聴けないときの代わりで音質に多くを望めるものではなかったかもしれませんが、今は本当に高音質(価格も音質も極めてチープなものをハイファイと銘打って売ってた某メーカーありますからね…)なヘッドホン/イヤホンも多数売られています。今は1万円くらいで良質なヘッドホンやイヤホンなら(ヘッドホンの場合ヘッドホン・アンプを使わないとまともな音でならないものも多いと思いますが)80年代に一番多く売れていたと思われるコンポなどとは比べ物にならない良い音で鳴ります。そもそも20ヘルツあたりの低音が出せるくらいのサイズのスピーカーを低音が過反響にならずに鳴らせる大きさの部屋に住んでいる人はどれくらいいるでしょう。4畳半や6畳くらいでは6インチのウーファーでさえ持て余すでしょう。反響しすぎるのは(ごくごく小音量でない限り)かなり聴き疲れします。ヘッドホンやイヤホンの場合耳に直接なので耳に悪い、聴き疲れする、という意見もあるかと思いますが、耳に直接なのであまり音量を上げなくても十分迫力ある音で楽しむことができます(ものによってはその製品の周波数特性によって聴き疲れするということはあると思いますが)。 またヘッドホン/イヤホンがながら聞きを助長する、というのも一般的に言えることなのか疑問に思います。私の場合スピーカーで聴くときのほうがながら率が高いです。ヘッドホン/イヤホンの方が直接耳に来るので没入しやすいことが一つの理由で(贅沢なリスニング・ルームと機材を持っていれば別かもしれませんが)、むしろ歩きながらのように強制的に意識が他に向けられる時以外は意識が散りにくいです。私と同様の方も少なくないと思いますが、どうでしょうか。 最後に、今やスピーカーで音楽を聴く人が10人に1人しかいないのでは、というのも疑問です。あるいは、言葉足らずな表現というべきなのかもしれません。プレーヤーとアンプとスピーカーをつないで音楽を聴くという人の割合ということであれば、10人に1人もあり得ると思います。スマホやタブレットの内臓スピーカー等も含めれば半数くらいの人はスピーカーで音楽を聴いていてもおかしくないと思いますす。また、スマホやタブレットのスピーカーでしか聴いていないのであれば、それに1万円程度のイヤホンを足して聴いている人の方が遥かに高音質で音楽を楽しんでいると言えるでしょう。 長文失礼しました。
おっと…CDの売り上げ減の原因についてはspotifyやamazon musicのような定額ストリーミングサービス等インターネットの影響は決して無視できないはず、ということを言い忘れました。
深い洞察力、本当に素晴らしい内容で感動しました!!!
MTRでコピーアンサンブルして楽しんでます。
その昔、ラジカセ2台でピンポン録音していた頃を思えば、電子機器の進歩(しかも安価に入手出来るようになった。)には感謝しかありません。
昭和のヒット曲やアニソンや県民しか知らないローカルCM曲が多いですが、近年の曲だとあいみょん「マリーゴールド」がお気に入りです。
今の曲も捨てたもんじゃあないです。
演奏参考資料はRUclipsです。すみません。
素晴らしい考察です、納得しました。私も昭和48年生まれ、バブル期を中学高校時代過ごし、今の流行りの音楽に同じ意見を感じてました。なんか今まで腹に落ちてなかったつっかえたもんがスッとなくなりました。
とても納得できる内容でした。
学生の自分が、昭和2、30年台の曲を好む理由がわかった気がします。
同じ時代を生きてきて、なんとなく感じていたことをバッサリ解説されてとても納得しました。以前のビッグバンドの生演奏の入った歌謡番組では、同じ曲でも毎回アレンジが変わります。贅沢な時代だったんだなと思いました。
大学に遅く入ったんですが、平成生まれの現役の子達の中に中島みゆきや大瀧詠一などが
大好きというのがチラホラいてびっくりしたことがありました。
音作り、歌詞、聴く環境、生活の変化…一つ一つの考察が↑の理由を丁寧に説明されているようで
非常に納得でき楽しんで聴けました。
昭和歌謡ってのは今の基準で考えるととてもお金をかけて贅沢に提供されていたんですね!
そういえばモーツァルトの時代まで遡れば、後に天才と呼ばれる戯曲家が作詞、作曲家が作曲、自身で指揮を振って
生演奏、ホールで聴く、さらに生PV(という言い方は完全に間違いだけど)の劇付き、っていう贅沢だったんですよね?
ラップやヒップホップのくだりからも、もしかして音楽はその構造やそれを取り巻く範囲が少しずつシンプルになっていってるのかなと考えたりもしました。
平成のポップスは苦手だったのですが、令和に入ってからは逆に、いいなと感じる曲や頭に残る新曲が増えてきたように感じています。周りの昭和生まれでも同様に感じている人が少なくないようで…何かまた面白い変化があったんでしょうか?
もし直近の歌謡曲について解説動画が出たら、と楽しみにしています!
ご視聴ありがとうございます。平成のポップスよりも令和に入ってからのほうが良いと感じるというのは、やはり米津玄師やあいみょん、ヨルシカとかの影響でしょうか。確かに少し前の大合唱アイドルグループよりも聴きやすいとは思います。でもやはり令和のミュージシャンたちも、才能ある「原石」だと思うんですよ。それを磨いて光らせるアレンジャーやプロデューサーが、今の時代はいなくなってしまったと思います。
昭和歌謡も全てが良いわけではありません。駄作もありました。聴くに耐えない曲だって数え切れないほどあります。でも、やっぱり生演奏、それもストリングスやブラスなどを思いっきり使えるというフルバンド体勢というのがとても効いているんだと思います。
@@akiyamakimiyoshi ご返信まで頂けて嬉しい限りです!
教授のお話を聞いて、「令和でヒットした曲を昭和歌謡曲的手法でリメイクしてみた」みたいな企画は楽しそうだなと感じました。
途轍もなくお金がかかりそうな上に短期的な収益を得られるか微妙なので、TVはもちろん誰もやりませんねきっと笑
非常に勉強になりました。ありがとうございます!
時代は流れても、音楽は「嗜好品」ということに変わりないし、「国境はない」という事実も変わらない。
それぞれが好きな音楽を、好きな環境で、楽しめればいいんですよね。
高校時代に吹奏楽やっててよかった~!いい勉強させていただきました♫
あっという間の30分でした!今につながる音楽シーンの流れについて、これほど納得のいくお話しを聞くのは初めてでした。製作サイドでの事情などについても、専門家ならではの考察を画像や音源なども随所に使われながら、本当に分かりやすく聞きやすい語り方でご説明頂きまして、本当にありがとうございました!あまりにもそうだったのか!と思う話で何か感動してしまいました!秋山先生と言えば私のようなクラギ系の街のギターのせんせいにとっては最高のアレンジャーのお一人で、先生のアレンジされた楽譜にどれだけお世話になっているか分かりません。思い付くだけでも「想い出の渚」「贈る言葉」「いちご白書をもう一度」「花嫁」「SWEET MEMORIES」「この空を飛べたら」(最後の曲はアップもさせて頂きました)etc...
今回のような本当にためになるお話しも含め、本当に感謝しております。長文失礼いたしました。
昭和30年生まれです、全く同感でした。クラシックのように博物館として選べる時代は気が付かずだったので希望が持てました。
ここ数年、また流行歌が生まれるようになってきたと思います。
非常に説得力があり解りやすく学べました。ありがとうございます。
今は恋だの愛だのヒット曲の世界観が狭くなりましたよね。たまに阿久悠の特集とか見ると歌詞の多様さと深さに驚かされますもん。
今の歌もそれなりにいいものがありますけど、それなりなんですよね。
悲観的な動画かと思ったけど、最後の締めで気持ち良かった
価値観の多様化が閾値を超えた様に思います. 音楽に現を抜かしてる市況でなくなったのも大きい. 音圧論は眼から鱗. R.StraussとH.Berliozの総譜の差などに想い至りました.
素晴らしい考察と解説です!! これ無料で聴けるなんて、とんでもない時代だなぁと思いました。
何をもって流行歌と位置付けるかわかりませんが、世界的にヒットしたアニメのテーマソングなんて、世代や国籍を問わず聞かれてるし歌われているので現代においては少し当てはまらないかもしれませんね。
2000年あたりは、インターネットが徐々に普及をしてきて、テレビやラジオを中心に情報を得ている世代と、ネットを軸に情報を得ている人でそれぞれ流行っている曲が違っていて大ヒットが生まれにくい状況になっていたのはあったかもしれません。
しかし、ここ数年はおじいちゃんおばあちゃんから小さな子供まで、ネットを使う時代になりまた流行歌が増えてきている気もします。(ネットで流行った曲が地上波の音楽番組でカバーされたりしています)
自分は単に共感されない曲は流行ら無いと漠然と思ってました
現在の曲にスケール感、豪華さ、歌詞の凄みを感じる事が少なくなりました
一方でAKBのフライングゲットやあいみょんのマリーゴールド
は好きだし流行歌だとも思います
どんな作り方であろうがその時代に生きる大多数を共感させる力が曲にあれば
ヒットするんでしょうね。
私まだ30代なので秋山さんに比べると全然若造ですが、とても納得しました。高音圧化の流れは問題視されてて、先のコメントでもありましたが欧州勢がコンテンツの当ラウドネス化を進めようとしていますね。本当は公共放送であるNHKがこのへんキチンと先取りしてくれればいいのですが、、、
最後にすこし触れられていた、ながら聴き文化への変遷もあるでしょうね。本当に音楽に関心がある人は、音楽を聴くとエネルギーを使ってしまうので、ここぞという時にそれなりの環境を整えて聴かないと大変なことになります。(ものを落としたりとか、事故ったりとか笑。音楽に限らず、どんなことでもそうです。)
ながら聴きは音楽そのものと言うより、音楽が流れてる雰囲気を楽しんでいるように感じます。そうなれば、音楽性は希薄な方がいい。テレビつけっぱなしで見ないのと同じですね。音楽が希薄になったからながら聴き文化になったのか、あるいはその逆なのかは難しいところですが。あと、余談ですが、イヤホン、特にカナル式のイヤホンが長時間しない方がいいです。耳の中にカビが生えるかもしれませんので。
凄い深い考察、ありがとうございます。感動しました。
売れないのは、過去の凄い演奏がRUclipsで膨大に聞けるからです。
それら膨大な曲も1万分の1も聞く時間はありません。
そうなると外れの多い新曲なんか聞く時間はありません。
膨大に蓄積された名曲たちを凌駕する新曲が出る確率は限りなく0です。
分かりやすい考察ありがとうございます😊
流行歌が全員製作時代の賜物だったのも納得です。売れる歌が流行してるとも限らなくて、バロメーターにならないですね。。
とても面白い考察ですね。
私としてはポリティカルコレクトネスのせいだと思ってます。
例えば、昭和のアニメで再放送禁止の物があります。
差別用語やダーティなやり取りなど、タバコや酒を不健康的と非難し、暴対法などで「人として感心出来ないこと」を遠ざけたので、大衆の心の中から人生の営みとしての共感、話題性を生み出す元ネタが失われたのです。少子化の原因だとも思います。
ソレらをことごとく禁止したら、「頭の中で想像した汚いこと」つまり、予定調和の世界観から生まれた文化が幅を効かせ、それらの価値観の中で成長した子供たちは、枠からはみ出ることの出来ない家畜に育った、と思います。教育現場で教員が性犯罪を犯す、なんてのは「其処が世界の全て」という感覚の持ち主だから、他の世界が怖いからです。
家畜は「キチンと出来た、根拠が伴った」(平均律の退屈さ)作品で、同調圧力の批判から保身を計ります。
これが、現在の日本の硬直化の完全な説明です(自信たっぷりに断言☺️👍)
私は昭和のアニメの歌が好きで、ゲッターロボとかキューティハニーとか、あの演奏はスゴい。ガンバの冒険なんかは超ド級ですね!
御回答感謝です。純正律&平均律の頃よりフォローしています。いずれにせよ自分の幼少の頃からの調弦(ギター&ピアノ)に関する疑問にアプローチしてくれて感謝です。C, G, D and maybe Eで調弦した安ギターは、それも5フレット以上でなければなんとか聞ける、の理由が貴殿のこのサイトで+対数関数のおかげです。では次回のアップを期待します。
今回はラジオ深夜便のようで要所要所に「あ、なるほど」と相槌を入れながら聞きました!
80年代はアイドル歌手のバックに生演奏があり、長めのイントロを聴かせてくれた。
テレビを見てる我々もカウント取って、歌う気持ちを高めていた…それが 今は無くなったのか。
人間は十代のある時期に聴いた音楽がずっと好きな音楽になるという話を聞いたことがありますが
(女子は11~13歳とか 男子15~17歳だったか…男女でやや違うらしい)
平成世代の好みの音が不思議な方向にいったと感じるのは、生の音を聴かなくなったり
映像に気を取られて音を聴こうとしなくなった ことによるのですね。
今朝は「題名のない音楽会」という番組で一般人がオーケストラと共演する企画を観ました。
チューバ奏者の女子中学生が 夏の夕焼けのような音を鳴らしていました。
こんな若者も居るんだ!聴かせてくれてありがとう!番組企画 (夢響) ありがとう!と拍手した。
悪く言えば消費サイクルの早いアマチュアだらけの雑多な世界ですが、良く言えば回転率が高く、多様性に溢れた選択肢の多い世界とも言えますね。
ラウドネスウォーも下火になってきましたし、若い人は過去の音楽に縛られることなく、
カネやコネが無くとも世界に発信できるという現代の利点を活かしてどんどん面白い音楽をつくってほしいと思います。
RUclipsにある過去の膨大な名曲を凌駕する音楽を作れる人はいないだろ。
しいて言えば、藤井聡太くらいか
自分は「流行歌」の定義をリンゴの唄からlemonまで(或いは東京ブギウギからU・S・Aでも良いですが)と広義に考えているので、非常に違和感を持ちつつ視聴していました。でも最後まで聞くとちゃんとオチはあるのですね。納得しました。自分は民主化が突きすすむとや「流行歌」のような共同体や、世代を横断して共鳴するものが成立しにくくなると考えています。
とっても興味深いお話ありがとうございます!説得力があり、とても納得のいくものでした。
そこで秋山さんに1つお伺いしたいことがございます!
ジャンルの多様化という面ではどうお考えですか?
最近の学生は友達それぞれ聞くものが異なると聞きます。
私は、ジャンルが多様化しすぎて=人々の好みがそれぞれな為、流行歌のようにみんなが好きな曲ができるということが無くなったと考えることがあります…。
なぜジャンルが多様化するのかは私も考えたことがあります。これは何かで読んだんですが、新しいジャンルを作れば、自分はそのジャンルのパイオニアであり、トップの座に躍り出ることができます。たとえばハードロックと言えばレッドツェッペリンやディープパープル、ブラックサバスかもしれませんが、ヘビーメタルというジャンルを作れば、先の3つのバンドとは区別されます。以下、デスメタル、ハードコアなどいろいろです。ジャズだってスイング、ビバップ、ハードバップ、モード、モダンと分かれていきましたが、この時代はまだ新しいジャンルを作ってそこの中で一等賞を取るという考えは無かったでしょう。だからジャズが末期になった時に何がジャズで何がジャズでないかで揉めてたらしいです。ただ、現在ボヘミアンラプソディという映画でクイーンが見直されているように、どんなにジャンル分けして新たな土俵を作ったところで、メロディ、ハーモニー、リズム、音色がしっかりしている音楽はやはり皆が聴くと思うのですがね。つまりはメロディとハーモニーが軽視されすぎてしまっているのが大きな問題だと思うんです。
秋山公良 やはり根底はメロディーやハーモニーが軽視されている、というところなんですね…。
実は自分自身、音楽の専門学校を出て今でもバンドや作曲をやっていてとても気になっていたものでした。
改めて本当にありがとうございます!
いろいろ納得ですが…「生楽器」は別の形で生きていると思います。
歌詞は「魔女狩り」を乗り越えて進むしかありません。
音楽史の中で「録音した媒体を聴く」という形態が、音楽と共に生きてきた人類史の最低数万年間のうちたかだか「ここ最近100年間の特殊な出来事」だったんじゃないか、という誰かの言葉も思い出します。
技術や経済のあり方の変化と共に、音楽のあり方もかなり大きく変わっていってしまうものなのだなー…と思います。
たとえ「ここ100年間の特殊な出来事」だったとしても、生まれた時からそれがあって、それで育った世代としては、寂しい限りです😢
メディアが増えたことにより、好みの音楽にしか接しなくなったとは思いますね。お笑いしか見ない人、スポーツしか見ない人、アニメしか見ない人…、自然に音楽もバラけてしまいます。
情報として入ってこないというか。まぁこれも、順番が違うかもしれませんが。
いやー、面白かった。知らなかったことも、たくさんあった。ありがとうございます。それと秋山先生、以外にいい声しているなあ。新しい気付き。「みながわおさむ」を「みやがわおさむ」と読んだのはご愛嬌(笑)。
今の中学生、20年前の私の世代の曲を友達同士で歌うんですよね。私の頃そんなことしたら「古いww」とバカにされるか、おふざけですよ。大人になって上司に合わせる選曲をするならわかるんですがね。つまり、カラオケ=「80,90年代のヒット曲を歌う娯楽」という定義付けになるのかもしれませんね。
アイドルのCD曲がペラペラで煩く感じるのは音圧のせいだったのか…面白かったです。
USA!!USA!!
平均寿命がのびたというのは?
ヒトの脳機能の問題とかは?
流行歌とは?
この「音圧」は、その昔のラウドネスとは違うんですか。あと、最大音圧で再生した場合の音は、エコライザーを全域にわたり目一杯あげたときの音と似通っていますがどうでしょう。ご回答願えればと思います。
ラウドネスという機能、ありましたね。僕の高校時代に使っていたサンスイのコンポにも付いていました。基本的にはラウドネスは高音と低音を増幅して小音量でも迫力ある音にするというもので、あの時代には音圧はたぶんいじっていないと思います。現代の機器であれば同時に音圧も操作するかも知れません。イコライザーで全域を目一杯あげても確かに同じような効果が起きますが、そうすると最悪の場合音が歪むと思います。エキサイターやコンプレッサー、リミッターはうまく使うと歪まないギリギリの所まで音圧を上げることができるんです。耳にはキツイですが。
国連、文部省推薦みたいな歌ばかりで、「三分間のドラマ」なんて、死語ですね。最近、作詞、作曲、編曲家の作家性など皆無。求めるものは何でしょう。その時代の名曲をアナログな制作法でききたいです。
最近は音楽で薄利多売してるように感じます
言いたいことは分からないでもないし、昔の人の気持ちも汲んであげたいけど、ちょっと思想が強すぎるな
おっしゃる通り。ここで言われていることは頓珍漢というわけではないしある程度一聴に値する意見ですが、偏った視点から要因の一つをピックして針小棒大に語り、それのみに全てを押し付けてしまっています。
楽曲がチープになった理由のひとつとしてシンセサウンドの登場が挙げられていますが、コスト削減なんてのはたまたま作り手の目的にシンセが合致しただけであって、カルチャーとしてシンセが作り手に歓迎されたのがはじまりだし、シンセサイザーの登場はまた新たなジャンルを沢山作りました。それを無視しては片手落ちです。コスト削減は理由の一つですが、かつての編曲家たちが色眼鏡を外せずにそれを使いこなせなかったのも大きな理由の一つでしょう。最新の楽器に果敢に挑戦したマーヴィンゲイや、しっかりと自分の世界に取り入れたマイケルジャクソンを見ないふりすることで、自分たちの実力不足から目を逸らす事ができるんですね。
アマチュアが登用されるようになった部分に対しても自動化によって素人が作曲家気取りできることに論を集約させてますが、バンドブームのことには一切触れられていない。編曲家の仕事を奪った理由には自分たちで楽曲を制作し、またオーケストラアレンジなどを必要としないバンドマン達の登場も大きい。ここに目を瞑ることで「私たちは音楽を知らない素人に仕事(音楽)を奪われた」という論を完成させてしまっている。かつての編曲家は素晴らしいですが、バンドマンには彼らにはない新しいアレンジ技術と演奏力がある。それともバンドマンもオーセンティックな楽典を知らないというところだけ切り抜いて素人扱いしますかね。
歌詞に対する考察は正直見当違いの方が大きいように感じますね。抽象的な論としてはわかる部分もありつつ、愛とか翼とかのセカイ系歌詞は演歌の延長に一端をおく、90年代後半から00年代の文脈。むしろ東北の震災は広すぎるセカイ視点のファンタジーに浸っていても現実はここにあるという転換点だった。
海外のトッププロではバンドマンやDAW作曲から始まって、それらをシンフォニックやジャズやらなんやらとハイブリッドに融合させたり、プロデューサーによるアレンジの妙が出ているし、日本では単にかつての編曲家が新しい音楽の武器をとりいれられずに没落していった(だからアマチュアが台頭してきた)面の方が残念ながら強いと思いますね。
差別の話なんかはいかにもという感じ。クレームに大きなリスクがあるのはその通りではあるけども、普通に差別はダメだろっていう。
日本でもここ数年はこういったうねりの果てに素晴らしいアレンジメントの楽曲がチャートのトップを飾る事が増えた。大衆の規模そのものが小さくなったのは事実ではあるけど、音楽的大衆の平均的ピークが90年代〜00年代前半だったことを考えると反論には弱い。
音圧とライヴの話も、、、人間の耳は80dbあたりを境にリミッティングがかかるようになってるので、それを超える大音量では原理的に音は平面的です。それでも現場が支持されるのはそこが一回きりのアトラクションだからです。音楽の売上が減っているのはデータで聴けるからです。イヤホンが増えたのもデータをポータブルするためです。そのアンチテーゼとして最近はまたレコードが売上を伸ばしていますね。結局現象を語るにはバイアスを外して奥の奥まで見ないといけません。
素晴らしい解説です。
20年以上音楽がつまらなくなったのは、昭和の音楽を知っているからですね。
最近の歌は楽曲付きのお経のようです。
そうなんです。半世紀もの時代、音楽の変化をこの目と耳で確認してきたわけです。いわゆる生き証人みたいなもんです。
そういや、中学の娘に、ステレオ買ってやるからヘッドホンやめてスピーカーからきけっていったら、真っ向否定されました。置き場がない、邪魔、音がうるさい?!いやいや、部屋8畳あって狭くないだろと。今の子はヘッドホンが当たり前なんですね
作り手の,聴き手の「好みの問題」で片付くのでは。
娘とカラオケとかいくと、凄い音痴なんですよね。音圧世代だなあ~って感じます笑 そんな世代が作った騒音みたいな曲をよく聞かされます。でもこんな高尚なお話を聞けるのは、逆に今の時代のいいとこかもです。なんか新しいものが出来るといいですね。
そんなことおっしゃらず…
娘さん上手いと思います、知らんけど…
親御さんとカラオケいくお子さん、素晴らしい親孝行な娘御さんですよ!
ダイナミックレンジ。
皮肉だなぁ
才能のない人が増えたのもある
まあ、とても造詣の深いよい考察であった。大義じゃ、褒めて遣わす。
才能は、あるけどそれに聴衆がついてこれないだけ
将棋や野球は凄い人は、すぐわかるから評価されるけど
音楽は凄い曲作っても理解されない
凄い曲より単純で分かりやすい曲がうれるから才能関係なし 才能より顔とスタイル
いくつか指摘させていただきます。
まず、スピーカーとヘッドホン/イヤホンのどちらが良いかは環境や製品の質によりまちまちです。
80年代、そして90年代でも未だヘッドホン/イヤホンはスピーカーで聴けないときの代わりで音質に多くを望めるものではなかったかもしれませんが、今は本当に高音質(価格も音質も極めてチープなものをハイファイと銘打って売ってた某メーカーありますからね…)なヘッドホン/イヤホンも多数売られています。今は1万円くらいで良質なヘッドホンやイヤホンなら(ヘッドホンの場合ヘッドホン・アンプを使わないとまともな音でならないものも多いと思いますが)80年代に一番多く売れていたと思われるコンポなどとは比べ物にならない良い音で鳴ります。そもそも20ヘルツあたりの低音が出せるくらいのサイズのスピーカーを低音が過反響にならずに鳴らせる大きさの部屋に住んでいる人はどれくらいいるでしょう。4畳半や6畳くらいでは6インチのウーファーでさえ持て余すでしょう。反響しすぎるのは(ごくごく小音量でない限り)かなり聴き疲れします。ヘッドホンやイヤホンの場合耳に直接なので耳に悪い、聴き疲れする、という意見もあるかと思いますが、耳に直接なのであまり音量を上げなくても十分迫力ある音で楽しむことができます(ものによってはその製品の周波数特性によって聴き疲れするということはあると思いますが)。
またヘッドホン/イヤホンがながら聞きを助長する、というのも一般的に言えることなのか疑問に思います。私の場合スピーカーで聴くときのほうがながら率が高いです。ヘッドホン/イヤホンの方が直接耳に来るので没入しやすいことが一つの理由で(贅沢なリスニング・ルームと機材を持っていれば別かもしれませんが)、むしろ歩きながらのように強制的に意識が他に向けられる時以外は意識が散りにくいです。私と同様の方も少なくないと思いますが、どうでしょうか。
最後に、今やスピーカーで音楽を聴く人が10人に1人しかいないのでは、というのも疑問です。あるいは、言葉足らずな表現というべきなのかもしれません。プレーヤーとアンプとスピーカーをつないで音楽を聴くという人の割合ということであれば、10人に1人もあり得ると思います。スマホやタブレットの内臓スピーカー等も含めれば半数くらいの人はスピーカーで音楽を聴いていてもおかしくないと思いますす。また、スマホやタブレットのスピーカーでしか聴いていないのであれば、それに1万円程度のイヤホンを足して聴いている人の方が遥かに高音質で音楽を楽しんでいると言えるでしょう。
長文失礼しました。
おっと…CDの売り上げ減の原因についてはspotifyやamazon musicのような定額ストリーミングサービス等インターネットの影響は決して無視できないはず、ということを言い忘れました。